弱きもの
ネット上で見え隠れする人格と現実のそれとはちがって見えるのが常で、たとえば武州無宿・健次郎という人物は、現実のぼくが持つ人格の一部が表出しているに過ぎないことは、大方の人は暗黙のうちに了解しているだろう。
実際のぼくは単なるホームレスに過ぎない。ふつうの人が難なくこなすあれこれさえ満足にできず、相手の顔色を見て先と今とでいうことがコロコロ変わり、できもしないことをやるといって結局なにもできない大ウソつきで、他人の痛みがどうこうといいながら自分のことしか考えない冷徹な自己チューであり、あいまいではっきりせず、情けないほどに頼りなく、いうこととやることがちがっていて、いつも腹が据わらずオドオドしている小心者であり、にもかかわらず大見得を切り見栄っ張りでいつも自分を大きく見せたがる、まぁここまでゆくとロクデナシの部類である。だからホームレスなのだ、といういい方ももちろんできるわけだ。
うかつにもこの本来の自分をさらしてしまうと化けの皮がはがれたということになり、それこそ激昂と非難と厳しいご指導ご鞭撻が待ち受けているので、ふだんは必至で隠し通すわけだが、ぼくはそういう自分が大嫌いでもあるから、「こうありたい」「こうあるべき」という立派な考えを健次郎という人格に語ってもらい、自身は彼の後ろをコソコソくっついてゆくような感じになっている。とはいえ、健次郎自身も年がら年じゅう混乱していて、かっこいい啖呵を切ったかと思えば惨めにみっともなくなったり、強がって見せたかと思えば突然泣き叫んだりしていて、よくよく見ているとそうとうに情けない人物だ。
そういう意味では現実のぼくと大差なく、完全に人格を反映してはいないにしても、一部を欠いた不完全なホロスコープでありDNAでもある。そこから全体を再現できるわけではないが、全体の情報を不完全なかたちで含んでいる。人間は、自分が持っていない情報を提供することはできない。
けれど、ぼくはそういう自分の「弱さ」や「脆弱さ」を惨めにさらしながらも、それを否定せず肯定し受け容れてゆきたいとも思っていて、蹴飛ばして自分の中から叩き出してしまうよりも、むしろ大嫌いな自分でさえしっかりと抱き締めてやりたくもあるのだ。
自分自身の一部であるものを切除してつまみ出すのではなく、弱さはそこにあってオーケーなんだと、弱さはぼくの一部なんだぞと、認めてゆきたいと願ってさえいる。否定すればそれは肥大化して暴れ出すが、認めれば安心して穏やかになり、役割を終えて全体の中に溶けて戻ってくるだろうからである。
他者は他者の弱さをほぼ100パーセントまちがいなく、否定しにかかってくる。だとしたら、それを守ってやれるのは自分自身しかいない。自身の一部であるものを自身が切り捨ててしまったら、それでいったいなにが得られるというのか。否定されたものは大暴れし、切り離されたものは流浪の果てにホームレスとなるだけである。それだから、弱い自分にオーケーを出したいのだ。
とはいうものの、これは健次郎がいう「こうありたい」なのであって、現実のぼくにできるわけではない。実際のところ、弱くて情けなくてどうしようもなくダメで大嫌いな自分を受け容れてゆくのは、そうしたものをビシビシと鍛えてゆくことよりもむずかしい。
たいていは「これではいかん」と修正したくなって自身に厳しくなるか、「まぁしようがない」と諦めて投げやりになってしまうものだ。投げやりや諦めを伴うことなく、肯定的に「これでよし」と心から納得するのは、「不安定」をそのまま受け容れてゆくことだから、これはかなり厄介だ。
人はいつも安定を求めている。不安のない安心できるものを求める。わからないものをはっきりとさせたがる。勝負は白黒の決着がつかなければ嫌だし、闇があったら光を当てて安全を確かめたがる。あいまいで不安定なものをはっきりとさせ、安定した秩序の中に組み込みたがる。グラグラと揺れ動いて不安定な弱いものをビシビシ鍛え、強く安定させようとする。その逆を受け容れようというのである。
誰しも自分自身でさえ嫌になってしまう欠点は持っている。ときどき思い出しては厳しく当たったり、ぶん殴ったり、指導しようとしてみるが、そのたびに大暴れしたり、さっと身をかわして離れたところでうなり声を上げたり、隅に走ってこちらを睨みつけていたりして、手なずけたくとも思ったようにならない。
けれど、彼らはこれまで他者によって、あるいは自分自身によって、コテンパンにぶちのめされてきたのだ。身も心もボロボロのはずなのだ。心を旅して彼らひとり一人に出会うたび、
「やぁ、今までひどいことをして済まなかったね。もうなにもしないから、これからは好きなだけそこにいていいよ」
といってあげられたら、彼らはどれだけ安心するだろうか。はじめは疑って牙を剥くかも知れないけれど、いつかそのうちとびきりの笑顔を見せてくれるはずだ。そしておのれの役割を終えたと知り、自分自身の中へと溶けて帰ってくるだろう。
そうすることで初めてぼくらは切り離された自身の一部を取り戻し、ほんのちょっぴり強くなっていることに気がついて、そんな自分が好きになるにちがいない。
「弱きもの」、全くもって同感というか、実に同様の葛藤を抱いている一人です。
それでいて、権威に迎合しない意地っ張りだったりして。(笑)
今までで一番いいんじゃないですか、今回の仕上がりは。
ただ、真の創作者(真の意味での作家)は、決して自身に満足ということはしない。
道を進むのみです。
わはは。まぁ悩んで悩んで悩み抜いて、ま、いっかと、そうできりゃ幸せ(笑)。
aresさん
お褒めていただいて恐縮至極に存じ入り奉りましてございますです。時間の都合で一気に書いてロクに推敲していないんですが、筆の勢いってのがあったんでしょうかねぇ? チャプリンじゃないけれど「次を読んでくれ」ってことで(笑)。


