2011年07月07日

リアルJAZZ爺MEN 4

先日、「ハイクラソーナ」というジャズバンドのライブがあるというので、《JAZZ爺MEN》の宮武由衣監督と江古田に出かけた。会場は駅前のカフェバーだった。隣りのゲーセンは金子修介監督の《ホーリーランド》のロケで来たことがある。

ご存知のとおり《JAZZ爺MEN》の主人公・野津手は中学の音楽教師を定年退職して、「まちおこし」のジャズバンドの指導に四苦八苦するという話しになのだが、映画が「ブラストライブ」というジャズ雑誌に紹介されると、その話しと自分の人生がそっくりだという人が現れた。
もともとは本庄に実在する野津先生に取材してシナリオを書いたものなのだが、同じような人生を歩んだ人がいるものなのですね。

その人は四万十川で産湯を浸かった高知県出身の佐野啓さん(私と同じ62歳)で、20代の頃、東京音大在学中からプロのトランペッターとなり、テレビ出演もしていた。あるとき、その道に限界を感じ、小学校の音楽教師になった。教師になるとは考えてもいなかったが、「邪魔になるものじゃないから取っておけ」と言われた教員免許が役に立ったという。そして定年退職して「ハイクラソーナ」というプロバンドを結成した。

オリジナルのシナリオは野津先生をモデルにしているので、元トロンボーン奏者だった。ところが、野津手役を地元在住の清水省吾さんがやってくれることになり、清水さんがトランペットを吹いていたというので、シナリオの方を変えたのだ。で、偶然にも佐野さんの人生に近づいていった。

この日のプログラムの第1部の最後に、《JAZZ爺MEN》のコンサートシーンで演奏されたオリジナル曲「君と駆け抜けた人生」のアレンジバージョンが演奏された。音楽監督の磯田健一郎さんが楽譜を公開してくれたのだ。改めて、シミジミ良い曲だなと思った。
曲の前に宮武監督がステージに呼ばれて、ちょっとだけトークショウ。
ハイクラソーナさんは「僕は3回観ました。1回目は感動するシーンでちょこっと泣きました。2回目はそのシーンが始まる前から泣きました。3回目は映画の始めから泣きっぱなしでした」ですって。

誰もが感動するこの映画、なかなか都内で上映してくれるところが現れないのです。しかしやっと、井上順さんの尽力で、耳の不自由な人のために日本語字幕版を作る助成金を渋谷区からもらい、ホール上映をすることがきまったそうです。宣伝費がまったく無い映画なので、このイベントが口コミとなって、なんとか都内一般上映に持っていけないものだろうか。皆様の応援だけが頼りなんです。
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2011年06月18日

上海映画祭作品賞に 5

ワールドビジネスサテライトを見ていたら、「日本映画が快挙」という見出しだったので、イライラしながらCM明けを待った。すると、上海国際映画祭の会場が映り、『毎日かあさん』のタイトル!

オオ、聖太郎君が映っている!聖太郎君が笑っている!聖太郎君がちょっとひきつっている!
即、電話をかけると、「海外にいらっしゃるのでローミング中です」のアナウンスが。そうか、まだ上海にいるんだ、そりゃそうだろうな、と思いながらしばらく待つと聖太郎君の声。
「もう、ニュースやったんですか?早いですね。今まさに、会場を出てきてバス降りて、ホテルに入るところです」だって。「いやー、頭真っ白になっちゃいましたよ」

確かに素早い放送でしたね。ほとんど生中継ですよ。

我が《JAZZ爺MEN》はやっとモントリオール映画祭のエントリーフォームを書き上げ(英語で)、昨日、半蔵門まで行って、FedExに出してきました。そこでまた送り状とか税関申告書とか書いて(英語で)、慣れない仕事をしたから疲れてしまった。そもそもFedExのアカウントを開くのにも一苦労。出品料100$も自分のVISAカードで支払い。
監督がデビュー作だから、そこらへんで引っ掛からないかなあ。招待されるといいなあ。

ちなみに《死にゆく妻との旅路》は早々とモントリオール映画祭出品を決めました。ダブル参加にならないかなあ。
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2011年05月30日

日本映画批評家大賞だどー! 1

《命のTANGO》の北九州ロケから帰って、翌28日、韮崎の日本航空高校で開かれた「日本映画批評家大賞授賞式」に行ってきました。

送られてきたチケット通り、新宿発11時の「あずさ13号」のグリーン車に乗ると、隣の席には孫に連れられたお爺ちゃんが座った。その人も授賞式関係の人らしいのだが、あとで瀬川昌治監督だということが分かった。瀬川監督とは去年、瀬川塾を見学させてもらったときにお会いしていて、夕食までご馳走になっていたのに、あの時の精力的なお姿と、孫に面倒を看られているお爺ちゃんとでは全くの別人で、想像することさえできなかったのだ。

航空高校の教室で小林政広監督ご夫妻と雑談しながら待つこと2時間、雨の中、授賞式会場の格納庫に向かう。我々の丸テーブルは《春との旅》関係の小林監督、編集の金子直樹さん、主演の仲代達矢さんとその関係者。もう一人の主演者徳永えりさんは隣の新人賞席に座っている。

今回は第20回ということもあるのか、新人女優賞、新人男優賞、審査員特別演技賞、新人監督賞、主演女優賞、主演男優賞が2人ずつ、ゴールデン・グローリー賞が犬塚弘さん、大滝秀治さん、財津一郎さんの3人という大盤振る舞いなので、授賞式は延々と続くのである。僕の撮影監督賞は富士フイルム奨励賞と名付けられており、5番目のだったけど、作品賞《春との旅》はラス前、そしてラストのダイヤモンド賞ならびに審査員特別男優賞の仲代達矢さんがステージに上がる頃には暗くなりかけていた。

パーティ会場の大食堂に行く頃には暗くなっていて、最初に紛れ込んだ立食のテーブルには金子直樹応援団が陣取っていた。編集賞は浦岡敬一賞と名付けられているので、プレゼンテイターは故敬一さんの奥様で、この日は上品な和装で浜松からお越しになって、数名の編集マンと和やかに談笑なさっていた。僕が挨拶すると「生前、浦岡が高間さん高間さんって何度も話をしていたんですよ。お会いできて嬉しかった」とおっしゃった。
浦岡さんとは12年前、戸井十月監督の《風の国》という映画で1回だけ一緒に仕事をするチャンスがあったのだが、その時、浦岡さんは「高間君が撮影するって言うから編集引き受けたんだよ」とおっしゃっていた。でも、そんなに家族の方にまで話をしていたのは知る由もなく、僕にも影の応援団がいてくれたのを知り、とても感動した。パーティが終わるときには、何度も何度もおじぎをして奥様はお帰りになった。
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2011年04月26日

『イヴ・モンタン―彼を憎んだ女と男』 5

今日は井上順さんのご招待で三越劇場で公演している『イヴ・モンタン―彼を憎んだ女と男』を観て来ました。

これは《JAZZ爺MEN》の公開初日、本庄に避難している大震災の被災者を訪問したときに約束したプレゼントなんですが、なんと我々スタッフまで招待してくださったのだ。
携帯の電源を切るようにだとか、公演中の飲食はご遠慮くださいだとかのアナウンスが流れたあと、女性係員が舞台下に立ち、また「公演に先立ちまして・・・」と言うので、また同じことを言うのかと思ったら、「当劇場は建物が免震構造になっておりますので、公演中に地震があっても安全でございます。先程の大地震でもお皿一枚割れませんでした。くれぐれも建物の外には出ないようお願いします」だって。
《JAZZ爺MEN》の初回上映中にも地震があって、幸いにも騒ぎにはならなかったけれど、ここに来ている人たちは大震災の経験者だから、この一言でずいぶん安心して観劇することができたのではないかと思う。

本庄のコミュニティセンターで招待を発表したとき、「井上さんがイヴ・モンタン役をするんですか?」って僕が質問したら、「それを言っちゃ、面白くないでしょう」とかわされてしまったのだが、なるほど、その意味がよく分った。ネタバレになるけれど、イブ・モンタンを待っている天国の女と男の話なのだ。その女とは、妻のシモーヌ・シニョレ、恋人のエディット・ピアフ、愛人のマリリン・モンロー! で、男とは専属のピアニストで、これだけは創作の人物らしいのだが、その素性が明かされるシーンは圧巻だった。もちろん、井上順さんの役。
大女優シモーヌ・シニョレの役は安奈淳さん、シャンソン歌手エディット・ピアフは大島れいさん、セクシーアイドル女優マリリン・モンローは南海まりさんが演じている。彼女たちは劇中で歌を歌うのだが、それはその道のプロであるからして当然上手く、驚愕の歴史とともに歌も楽しめてしまうので『イヴ・モンタン』はとてもお得感のするお芝居であった。

僕たちはエディット・ピアフを知っている。マリリン・モンローを知っている。シモーヌ・シニョレの名前くらいは聞いたことがある。でも、この3人がイブ・モンタンをめぐってこういう関係があったことは知らなかったので、とても勉強になったし面白かった。
この3人が天国に召された年齢で登場し、地上の空間ではありえない会話を進める。そこに関係性の真実が焙り出されてくる。しかしそれは専属ピアニストの秘密の作戦だったというドンデン返しも面白い着想だった。

お芝居が終わり、一般客が退出した後、井上さんが客席にやってきて、招待者と握手したり写真を撮ったり、僕たちまでお土産をもらってしまった。
その後また楽屋を訪ね、《JAZZ爺MEN》の上映が2週間延長された報告をすると、「何でもやるから、必要なときは呼んでね」と、どこまで素晴しい人なんだ!
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2011年04月18日

《JAZZ爺MEN》大盛況の舞台挨拶 5

《JAZZ爺MEN》のユナイテッドシネマ・ウニクス上里での公開初日は午前10時開映なのに、9時30分には300席が完売。満員の注視のなか、ブルーレイによる上映が始まると、前半は笑いが絶えなかったが、後半になると洟をすする音が絶えなかった。そして、クライマックスのコンサートの「茶色の小瓶」を演奏している最中、心配していた余震が来た!しかし、逃げ出す人も、立ち上がる人も、悲鳴を上げる人も無く、全員が冷静でいてくれたことがとても嬉しかった。

宮武由衣監督の名がロールアップして客電が点くと場内は自然発生的拍手が起こった。

続いて舞台挨拶になり、先頭を切った本庄市長が早速スマートフォンから得た地震情報を報告して観客を安心させた。
次に挨拶に立った宮武監督は身長が低くてマイクに届かない。普通なら係りの人が来て、サッとマイクの高さを調整するところなのだが、都内の映画館と違い、舞台挨拶などあまり経験が無いためか、プロのイベント業者を入れてないためか、誰も面倒を見てくれる人が近づいて来ない。しかたなく監督は、マイクを精一杯下に向け、背伸びするように話しをした。

終わると司会者のアナウンスの後、両手を高々と上げて井上順さんが登場し、ワイヤレスマイクが渡された。スパイダーズ時代の「振り」をちょっと披露すると、それだけで場内が沸く。次に、当本庄市に在住している清水省吾さん、本庄市生まれの黛英里佳さんが登場。監督と併せて4人がスクリーンの前に並んだが、司会の空白があり、マイクを持っている井上さんが「挨拶していいの?」と一歩前に出ると「あ、ちょっと待ってください。お土産が…」と、全員に豆腐セットが渡された!どういう進行なんだろう!で、豆腐会社の社長が出てきて豆腐の説明…。ちょっと間が悪いんじゃないの?

2分ずつのスピーチが終わると抽選会。4人のサイン入り色紙が10名に当たる。井上さんが「写真撮ろう」と言い出して、当選者一人ひとりを俳優が囲んで記念写真。家宝になるだろうね。

ロビーに出ると出口近くに俳優と監督が並んで握手会。ただし、パンフレットを購入した人のみということで、パンフレットも良く売れた。
このパンフレットは《死にゆく妻との旅路》のアイデアをいただいたもので、綴じずにB5のクリアファイルに入っている。ファイルの表紙はポスターと同じ構図だが全員タキシードのバージョン。中身の原稿は手作りの試写会用プレスのまんまなので、裏は白紙になっていて、そこにサインを求める人が続出し、係員は「サインはご遠慮してください!」と叫ぶのだが全く止まらず、俳優も監督も笑顔でサインに応じていた。

その後、休む間もなく被災者訪問。本庄にも東北から集団避難している人がいて、その人たちをコミュニティセンターに集め、映画のモデルになったジャズバンドの演奏会があるのだ。
ここでも井上さんは両手を高く上げて登場、スパイダーズの「振り」をして笑わせる。どこに行っても人気者で、考えてみるとテレビでも被災地を訪問している芸能人のニュースをやっているけど、こういうことが現在の被災者の方々には一番喜ばれるのではないだろうか。

さらにここで井上さんは大盤振る舞い!4月22日から三越劇場で公演する『イヴ・モンタン 彼を憎んだ女と男』に希望者全員を招待すると発表した。本庄から日本橋までバスで送迎、お弁当つき、もちろん無料。『ラヂオの時間』の撮影のときも「競馬で儲けた」と言って、スタッフ・キャスト50名全員にうな重をご馳走してくれたことがあった。大物感があるなぁ。

清水省吾さんは画家の奥さん(ハルマンさん)とお絵かきセットを子供たちに配った。これもテレビの受け売りだけど、子供たちに絵を描かせることは、ストレス解消にとても効果的らしい。自由に描かせると、精神状態が安定していく様子が絵に表れるのだという。

映画館に戻ると、2回目の上映が終わっていた。160数名の入場者だと言う。やはり舞台挨拶があると無いとじゃ差が出るなぁ。これから心配だなぁ。アンケートの回答を見ると「もう1回見ます」と書いている人もいて、とても良い評価なんだけど、口コミだけが頼りの低予算映画だからなぁ…。
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2011年04月12日

《JAZZ爺MEN》公開近づいて後悔 3

今週の土曜、いよいよ埼玉の本庄で《JAZZ爺MEN》が公開初日を迎える。
http://ameblo.jp/locationjapan/

公開用にエンドロールを直し、ついでにちょっとカラコレの直しもして、ブルーレイディスク(BD)に焼いてもらった。しかし、埼玉に送る前にチェックしてみると、前回のお披露目試写用よりもかなりフラットな感じに上がっている。ビデオ丸出しって感じ。試しに前回のBDをチェックすると、こちらはすごくコントラストが強く、ガチガチという感じだ。でも、お披露目試写ではちょうど良い感じだったので、大きなスクリーンに映写すると拡大されるためにコントラストが低くなるのかもしれない。ということで、焼き直しをお願いした。ちゃんとした現像所で焼いているわけではないので、満足行く仕上がりになるのにかえって手間がかかるのである。

サンプル用に何枚かDVDを焼いて、試写に来られなかった配給関係の会社を回り、DVDを見てもらって配給あるいは上映をお願いしているのだが、まだ、良い結論は得られていない。

先々週は『60歳のラブレター』に続く高齢者向けの映画を探しているという情報をもらい、大胆にも東銀座にある大手の配給会社に編成部長を訪ねた。「ウチで全国配給する手のものでなないね」と言いながらも、『京都太秦物語』の例などを挙げて、上映方法などを懇切丁寧にアドバイスをしてくださった。

1時間半ほど、都内最大のスクリーンを誇った映画館跡のコーヒーショップでお相手をしてもらった後、晴海通りを銀座4丁目の方に向かって歩いていると、ドキュメンタリーの会社の某プロデューサーから電話がかかってきた。三原橋交番に人だかりしているので、それを見ながら立ち止まって話す。明日の打合せの確認かと思ったら、延期になったということだった。このご時勢だから取材対象の某伝説的前衛的カリスマ的芸術家が「自粛したい」とおっしゃるのだそうだ。この映画のお話は去年の11月にいただいたのだが、なかなかスタートできず、やっと顔合わせに漕ぎ着けたと思ったのも束の間、またもや『自粛の高波』に襲われてしまったのだ。

そんな話をしていると、路地から晴海通りに出ようとする黒塗りの大型ワゴンが交番の視界を遮って停まった。それからゆっくりと晴海通りを左折したのだが、また僕の前で停まった。そして助手席の窓がスーッと降りると見たこともない男がこちらをみている。次に後ろのスライドドアがスーッと開くと、2列目3列目シートにも男が座っているのだが、一番奥の男が僕に手を振っている。よく見ると、中村獅童くんだった。僕も電話しながら手を振った。また獅童くんが手を振る。僕もお辞儀しながら手を振る。スライドドアがスーッと閉まると車内はまったく見えなくなった。助手席の男も無言で会釈して窓が閉まり、築地方向にワゴンは走っていった。

電話をちょっと待ってもらって、ちゃんと挨拶をしなければならなかったのではないか。ちょっと失礼になったのではないか。久し振りなのに。後悔、先に立たずってヤツですね。
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2011年03月26日

移動パン屋さん 3

道路に面したカウンター席で陳麻飯と坦々麺の半々セットを食べていると、向かい側の酒屋の前で軽のバンからパンを降ろし、移動販売店の準備をしているオバハンがいた。

昨日あたりからスーパーでもたくさんのパンを見るようになったけど、食パンを買っておいてもいいなと思い、立ち寄った。世田谷中町の美味(MIMI)というパン屋さんだった。
地震のあと、すぐに食パン100斤持って被災地に行ったけど「アッという間に無くなってしまった」と言っていた。被災者に次から次へと無料で配ったのだから、そりゃそうだろうと思っていたら「ちょっと目を離した隙に盗む奴がいるんだよ」。
「えっ、何を盗むの?」
「炊き出ししようと思って持って行ったプロパンのボンベ。3本置いたうちの1本が無いんだよ。ボンベだけ持って行ったってしょうがないのに。ズルズルと引きずって行った跡があるんだよ。かわいそうで追いかけなかったよ」
オバハンの話は続く。
「あたしゃ新潟の出だから、市場に残っている野菜を全部押さえて、近所のタオル屋さんにタオル500本出させて、料理人乗せて、3台のトラックで新潟に向かったんだ。緊急車輌しか通れないよって言うのを振り切って。こっちには神様がついているんだから何とかなるよって行ったんだけど、一度も止められなかったね。で、新潟で食料積んで東北に向かったんだけど、高速道路が地割れでクレバスみたいに開いているんだよ。タイヤが落っこちるかと思いながらソロソロと進んだんだけど、うちの3台のトラックは神様がついているんで大丈夫だったんだ。その後ろの車はもうダメ」

更に延々と続きそうだったけど、胚芽入り食パンと美味しそうな菓子パン数個を買って帰った。
世の中には元気なオバハンがいるもんだなと感心した。ただじっと節電だけしている自分が情けない。
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2011年03月20日

悪運強し! 2

この1週間、第2次世界大戦の広島・長崎の破壊に相当する災害で、電話での第一声が「お宅は大丈夫でしたか?ご家族は?」という挨拶になってしまった。

実は11日の夕方はユニジャパンに行く約束になっていて、もし地震が数時間遅く起きていたら帰宅できなくなっていた。
もし1週間早かったら「ふるさと発:元気プロジェクト」の取材ロケで秋田から帰れなくなっていた。
もし4ヶ月早かったら、福島原発の南のいわき市の海岸で渡辺文樹監督の『金正日』を撮影していた。
もし2年早かったら、気仙沼で小林政広監督の『春との旅』を撮影していた。

ロケから帰ると雨が降るというふうに、わたしは悪運が強い。

小林監督は気仙沼近くの唐桑という地が気に入り、民家を借りて改造し、別荘として使っていたけど、地震と火災でどうなってしまったろうか。
撮影した気仙沼港はテレビの影像を見ても、どこがどうなってしまったのか、原形をとどめないので、あの当時を思い出すこともできない。

海沿いのある町では1000人の遺体が発見されたという報道があったが、ニュースにその映像は流れないので、にわかに信じがたいものがあった。その町に限らず、ニュースカメラマンは遺体収容の映像を撮影しているのかもしれないが、視聴者の感情を考慮して編集で切るのだろう。

それに対し、外国メディアは日本人に対する配慮は無用なので、非常にリアルな報道がなされている。

http://news.livedoor.com/article/detail/5426354/

これを見ると、毛布からはみ出している遺体の手など、ドキッとさせられるとともに、本当に感動する写真もある。災害の写真というよりも、ほとんど戦場の写真を見ているようだ。
この破壊された街が再建され、人々の生活が元のように戻るまで、何年かかるのだろう。
政府と電力会社は原発に頼ることをやめるだろうか。元来危険な原子力にインフラを頼りにしてはいけなかったのだ。「原発は安全ですから」と主張し、「万が一のことはあり得ないから、その対策も無い」と言っていた。太陽光発電や風力発電には冷ややかで、お荷物扱いしていた。「供給量が不安定なので、その分、火力発電所を増やさなければならない」という理屈だった。

ここら辺で国民の贅沢な意識も根本的に考え直さなければならない時代になったのではないだろうか。私のように、みんなが貧乏生活をすれば良いのだ。
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2011年02月19日

《JAZZ爺MEN》秘密試写会 4

《JAZZ爺MEN》が完成した。しかし、現像所を全く使っていないので、試写する場所が無い。有料試写室を借りる予算も無いので困っていたところ、某大手現像所の某担当者が空いている日を調べて試写室を貸してくれることになった。
最近はデジタル撮影が多くなり、こういうケースが増えているため、「試写室だけ貸せ」という要求が出るようになって困っているので秘密にしてくれと言いながら、2回も貸してくれたのだ。「高間さんとは長い付き合いだから」と言い訳しながら……。持つべきものは友達、亀の甲より年の功、である。感謝、感謝!

1回目は20人が立ち見、2回目は40人が立ち見の大混雑になってしまい、早く来たのに立ち見をお願いした若い人たち、ご協力感謝します。こういう映画なので観客の年齢層が高く、席を譲っていただきました。
上映終了後の暖かい拍手、ありがとうございました。皆様の感動のお言葉、満足感あふれた表情、嬉しかったです。上田耕一さんからはお礼のメールをいただきました。長いお付き合いの中でも初めてのことです。
清水章吾さんはご自身のブログにこう書かれています。

〈絹子とJAZZ爺MENの試写を拝見しました、出演者はとかく、話に入り込めないのですが、そして隣が、本庄市長の席で、本庄代表としては、クールにかっこよく観ようとしましたが、最後の方は、もう涙が止まりません、絹子もまた、泣いていました、俳優は腹式呼吸なので、う!う!う!と堪えていると、腹がぶるぶる震えてしまって;;
人間の美しさと悲しさを綺麗な映像で表現されて、とても一週間で撮ったとは思えないし;;よくまあ撮り終えたなーーーと言うのが感想です、本庄は住んでると意外と解りませんが、とても暖かな綺麗な景色です@@
今時ドライな社会ですが;;学生さんなんかにも観て貰いたいな@@
夫婦の絆!人間同士の絆!親子の絆!考えさせられます、コミカルなカットもあり、最高の映画になっていました@@20日が劇場でお披露目会がウニクスでありますので、また関係者の皆様とはお会いします〉

僕はオールラッシュのとき、この腹式呼吸状態になりました。最後にはもう堪らず、ハンカチを出しました。
奥さんを1年前に肺腺癌で亡くした録音技師は、ダビングのとき、我々に背を向けて泣いていました。奥さんを亡くしてからは無気力状態になっていたけど、この仕事をして、生きる意欲が湧いてきたと言っていました。

「もう、思い残すことはありません」という年賀状をくれたふくまつみさんの嬉しそうな顔、抱きつきたくなるような徳井優さんの笑顔、あのときよりもっと美人になった岡まゆみさん、映画の中のほうが美人だった(失礼!)宮下ともみさん……、みんなにハグしたかった!
川村亮介くんはトンガリ頭が無くなって、普通の好青年に。あ、酒井敏也さんは知らない間に帰ってしまった。黛英里佳さんも、他のお客さんに対応している隙に帰ってしまったようだ。残念!

井上順さんは、自分が出演した映画は映画館でお金を払って観るのが主義だそうで、あんなに完成を楽しみに待っていてくれたのに、ナンという皮肉!
河原さぶさんはすでに沖縄に移住してしまったので、DVDを送ったところ、「もう6回見た」と宮武監督にメールがあった。このDVDを自分の棺桶に入れてもらうそうだ。「沖縄上映があったら、ティーチインをしてやるよ」と言ってくださっている。

この《JAZZ爺MEN》、大きな力を持った波になっていくような気がする。なったらいいなぁ。なるんじゃないかなぁ……。
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2011年02月03日

試写会の日々 1

2月撮影予定の映画が5月に延びて《JAZZ爺MEN》のポスプロダクション以外、することがなくなった。で、『わたしを離さないで』を皮切りに、試写会めぐりの日々を送っている。

ある金曜日、小林聖太郎監督の『毎日かあさん』を観るために銀座の松竹本社に行く。聖太郎監督は『ナビィの恋』で新藤風監督とともに助監督をしてくれた青年だ。前作の『かぞくのひけつ』もデビュー作とは思えない面白さだった。

試写室に座っていると後藤幸一監督が入ってきた。後藤監督とはお互い助手時代から30数年のお付合いで、三朝温泉を舞台にした映画を久しぶりに撮るというので、去年の春、オファーを受けていた。ところがモロモロの事情でズルズルと延期され、いよいよクランクイン決定となったときには既に予定されていた別の作品とダブってしまい、温泉三昧を楽しみにしていたのに泣く泣く断ざるを得なかった。

この日、後日談を聞かせてもらった。
カメラマンは田中一成君に頼んだと言う。この前の沖縄・成都ロケの台湾映画も、僕が監督から却下されて一成君に代わった。30年前、僕の助手をしていた子が僕のすぐ後ろに迫ってきて僕を脅かしているのは嬉しいことである。
「高間さんならこういうカットは撮りませんが、僕は撮りますよ」なんて自分の柔軟さをPRしていたようだが、今は私も柔軟ですよ。でなきゃ1000万映画は撮れないでしょう、5億の映画も撮れますけど。

そんな話をしていると、どこかで見たようなオジサンが入ってきて、ニコッと親しみのある笑顔を僕に向けた。おお、秋山道男君だ。「ずいぶんオジサンになったなー」と言うと「お互い様でしょう」。
道男君とは40数年前、若松プロからの知り合いで、助監督やったり、作曲したり、面白商会やったり、無印良品立ち上げたり、桃井かおりと共演したりの多才な人だが、チェッカーズの発見者となって有名人となり、NHK教育などにも出演し、先生と呼ばれるようになった。
道男君の顔を見ると、40年前の青春が蘇ってきて嬉しくなってしまう。

翌週の火曜日はJSCの名作上映会。普段は京橋のフィルムセンターでやっているのだが、今回はモロモロの事情でIMAGICAの第1試写室をお借りして故工藤栄一監督の『ヨコハマBJブルース』を鑑賞。上映終了後、地下の「リュミエール」でコーヒーを飲みながら仙元誠三カメラマンのありがたーいお話。

その翌週の水曜日は、自分の作品の試写にも行かなくてはと思い、『死にゆく妻との旅路』を観るため京橋テアトルの試写室に行くが、案内もなければポスターも貼っていない。また日時を間違えたかと思いながら恐る恐るドアを開けると、なんだ、朴木浩美プロデューサーがいるではないか。あまりの人気に、わざとわからないようにして試写しているのではないか(そんなことないか)。
記帳しているとドアが開き、昔、CMでとてもお世話になった山本昌邦さんが入ってきて「おー、高間ちゃん」「あれっ!山本さん、ナンで試写状持っているの?」「何言ってんの、高間ちゃんから送ってきたんじゃない」
うー、相当ボケてる……。

翌木曜日、『木洩れ日の家で』を観に東銀座のシネマート銀座試写室に行く。入口に近づくと、岩波ホールの原田さんが僕の顔を見るなり「どうやって1000万で映画が作れるんですか?」といきなりの質問。
この映画は木立の中の文化遺産のような木造の家に住む老婆と愛犬が主人公。息子家族とのやり取り、隣人との関わりをモノクロ映像で静かに描く。試写室を出ると岩波律子さんが「どうでした?」と聞いてきた。律子さんとは『月山』からの知り合いだから、こちらももう30数年。15年ほど前、久しぶりに会ったとき、「どうしたの?普通のオバサンになっちゃったじゃないの」と言って、本気で怒らせてしまった。

翌金曜日は『青い青い空』を観に日比谷の東宝本社の試写室に行く。
この映画は、うちらのチームでよく照明助手をやってくれる石川欣男君が技師として参加した作品なのでお知らせをもらった。試写室に座っているとすぐに石川君が来て、僕の隣りに座った。こういう人は苦しい低予算の仕事には欠かせないスタッフだ。キツイ現場でも文句を言わずによく働き、現場を和ませ、それでいて正しいことを主張する。本当に頭が下がります。
撮影の三本木さんは『受験のシンデレラ』のカラコレを手伝ってくれた若いカメラマンだ。大変苦労のあった現場だとは思うけど、敢えて苦言を呈すると、もう少し丁寧なカメラワークをして欲しい。真っ赤な夕陽に染まる生活指導室の主人公の顔にでた縞模様など、どうにかならないものでしょうか。

監督の太田さんはこれが『ストロベリーフィールド』に次ぐ2作目だそうで、《JAZZ爺MEN》と同じような境遇の映画なので、出口で太田監督を捕まえて立ち話を迫る。
脚本を書き終えてから、ロケに相応しい街を探し回り、書道が盛んだという浜松に来て「ここしかない」と思ったそうで、それから地元の協力を取り付けて撮影にかかるまで、ナント4年!その間に似たような題材の『書道ガールズ』という映画が先に公開されてしまい、かなり焦ったという。こっちも最初は「書道」と「ガールズ」の間にハートマークが入ったものだったそうだ。その痕跡が、パンフレットからも読み取れる。でも、地元浜松では2館から4館にムーブオーバーし、延べ5ヶ月と1週間のロングランとなり、2万人動員したそうだ。我々も見習わなければならない。

2月2日はいよいよ我らの『死にゆく妻との旅路』の完成披露試写会。試写会は夕方からなのだが、昼過ぎ、映写チェックのため読売ホールに行く。スクリーンがビスタサイズになったまま映写が始まりそうなので映写室に注意しに行こうと思ったのだが、どこのホールも映写室の位置はわかりにくくなっている。昼飯中の係員を煩わせてなんとか入口に辿り着いたときにはもう始まってしまっていて、映写技師「あれえ、シネスコだよ」とか言っている。フィルム缶に何の表示もないのだろうか。

夕方まで時間があるので、朴木プロデューサー、塙監督、山方録音技師とで原作者を連れて増上寺に行き、ヒット祈願をしてもらった。
試写会は敢えて三浦友和さん、石田ゆり子さんの舞台挨拶があるという情報を載せなかったにも拘らず、1200名の満員御礼!
映画の後半はあちこちで鼻をグズグズさせる音が聞こえ、エンドロールが終わると自然発生的に拍手が起きた。

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