2010年11月05日

『JAZZ爺MEN』本読み 5

11月3日、新宿の角筈市民センターの集会室を借りて、宮武由衣監督の映画『JAZZ爺MEN』の本読みが行なわれた。

この映画は埼玉県本庄市の商工会議所とフィルムコミッションが地域振興のために製作するものだが、依頼を受けた宮武監督のシナリオが面白いということで、低予算映画であるにも拘らず、井上順、河原さぶ、上田耕一、徳井優、ふくまつみ、宮下ともみ、川村亮介、水野神奈、黛英里佳、酒井敏也、岡まゆみ、清水章吾(敬称略)という実力俳優陣が参加してくれることになった。

町興しのため、ショッピングモールの支配人と商工会議所の事務局長が中学の音楽教師に頼んでジャズバンドを作ろうとするが、集まったのはピアニスト以外はド素人の高齢者ばかりで、自分勝手なことばかり言って練習が進まないというお話。

テーブルをコの字型に並べ、助監督がト書きを読み、俳優たちがセリフ部分を読んでいく。読んでいくと言っても棒読みではなく、すでに芝居になっている。だから聞いているだけでもかなり感動して、涙が出そうになる。それでもこの新人監督は更に注文をつけていくのだ。

製作費が1000万しかないので、駅前のホテルに泊まれるのは俳優だけ。それも半額に値切り倒して。スタッフは町の不動産屋が所有する空き家とマンションを借りて雑魚寝する。撮影期間は1週間。『死にゆく妻との旅路』同様、Panasonic HMC155を2台使って、効率良く撮影しなければならない。

もともとは早稲田大学大学院安藤研究室の学生が撮るはずだったのだが、2本も企画が頓挫してしまったので、急遽、卒業生で本庄では『精霊のモリ』という実績のある宮武由衣に白羽の矢が立てられたのである。それが6月のことで、何を撮ろうかという相談が来た。僕は『精霊のモリ』のときの森林の印象が強かったので、都会の引きこもり青年が森林ボランティアに来て、聾唖の少女と出会うような話はどうだと言ったのだけど、ストーリーが発展せず、地元も「森林なんてどうでもいいんだ!」と協力してくれないことがわかった。

で、ウニクス上里というショッピングモールで定期コンサートを開いている社会人ジャズバンドを取材し、その指導者の話から『神泉中学★音楽部』というシナリオを宮武監督は3日で書いた。これがかなり感動的なストーリーで、西岡徳馬さん始め、出演したいという俳優さんも続出したのだけど、しかしこれは500万という当時の予算ではどうやっても実現不可能だという結論になった。

で、もっと音楽シーンを少なくして、しかもジャズの話にしてくれという無理難題を押し付けられ、悩んだ挙句に2日で書いたのが『JAZZ爺MEN』なのだ。機材車を借りる予算も無いので某プロダクションの阿久根社長に相談すると「只で貸してあげるよ」というありがたいお言葉。「じゃ、ついでに製作資金の足りない分を」「あ、出資集めてあげるよ」ということで、計1000万となったのである。

こういう自主映画にとって幸運なのは、すでに2月公開する映画館が決まっていることで、それも300席もあるシネコンの大型スクリーンなのだ。キネコする予算もないので、ブルーレイに焼いてDLP上映する。シネマスコープのテスト試写の結果も良かったので楽しみだ。願わくば、本庄と川越だけでなく、埼玉全県、日本全国へと広がっていくことを!
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2010年11月02日

東京国際映画祭クロージング 3

イモだった。立食パーティの丸テーブルの中央の皿に盛ってあるのはアーモンドスライスがこびり付いた大学イモだった。
普通は料理が並べられる角テーブルにはオードブルの小皿が並べられていたのだが、スポンサーであるTOYOTA重役の、自社PRが延々と続く乾杯の挨拶が終わる頃にはほとんど食い尽くされていた。チョコレート菓子が1個残っていたので手に取ると、小さな丸いケーキが半月状にカットされて中身が見えている。「なんか変だなー」と考えていると、隣りで食べている女性が「それ、私のかじりかけ」だって。なんて行儀悪い人だろう。とりあえず唾つけておこうという考えなんだろうか。さもしい。

そのうちメインの料理が運ばれてくるだろうと待っていたが、ついにそれを見ることはなかった。そう言えば「立食パーティ」とは書いてなかったな。「感謝の夕べ」だった。食事ができると思った貧乏人の勘違いだったのだ。貧乏人は誰も手をつけないイモを食ってお腹を満たした。

この会場に来る途中、前を歩いていたのが脚本家の高山由紀子さんで、久しぶりにお会いした。僕のデビュー作『月山』の脚本を書いた人で、「盛岡映画祭で僕の噂をしてたんだって?」と言うと「あの時、偉そうにしてたから、経験豊かな人だと思ったら、初心者だったんじゃない。損しちゃった」と返されてしまった。33年前の話だ。

会場には懐かしい顔が。
今は公式プログラムの制作に当たっている小出幸子さんの付き合いも古い。「ぴあ編集部のときからだっけ?」「いえ、シティーロードです、商売ガタキの」

1週間ぶりの人たちも。
原田眞人監督御夫妻、河野通和新潮社編集長と村上典吏子プロデューサーの御夫妻。
背中をつつかれて振り向くと、授賞式では98歳の新藤兼人監督の車椅子を押していた新藤風監督のにこやかな顔。「自分の監督作は?」「おじいちゃんの面倒見なけりゃだから、ちょっと無理」。
釜山映画祭ではグランプリを取った教え子のエドモンド、マレーシア人。まだ料理を待っている。
サングラス掛けて、どこの親分さんかと思うと千野皓司監督。
東宝映画の富山省吾さんは4月で社長を退いたそうだ。「社長の次は会長じゃないの?」「貧乏会社に会長なんてあるわけないじゃないですか。築地のアカデミー賞協会に行っていますよ」。
東宝社長の高井英幸さんは「高間君、久しぶりじゃないか。ちっとも変わらないねぇ」「ナニ言ってるんですか、1週間前エスカレーターのところで会ったばかりじゃないですか」

なんて言いながらバス停で渋谷行きのバスを待っていると、行きのバスでも一緒になった女性映画祭ディレクターの大竹洋子さん、それに映画ジャーナリストの野島孝一さんと一緒になり、最後部の座席に並んで座った。大竹さんが「審査員が揃いましたね」と言った。そうそう、この3人は某外国語映画賞の選考委員だったのだ。揃いも揃って貧乏だね。タクシーくらい乗れよ。でも、いいのだ!東京国際映画祭はエコ映画祭なのだから!
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2010年10月27日

東京国際映画祭オープニングパーティ 4

地鶏のコンソメで煮込んだ有機大根とフォアグラのソテー。江戸野菜と真鯛のマリネ、イクラ、純粋野菜のエッセンスと富津海苔のビネグレット。秋川牛ロースのロースト、奥多摩山葵風味のナチュラルジュー、クリーミーポテト、茄子と茸のグラタン添え。源吉兆庵「栗きんとん」モンブラン、あきるの市うみたて卵のカスタードソース。シャンペン、赤ワイン、白ワイン呑み放題。

でも、知らない人の間で飲み食いだけしていても面白くない。そんな心配をしていると、右隣の初老の紳士が名刺を出してきた。ナンと、WOWOWの和崎信哉社長夫妻。「WOWOWのお仕事、させてもらいましたよ。『6時間後に君は死ぬ』とか『扉は閉ざされたまま』とか」「これからもどんどん作っていきますから、よろしくおねがいします」。

左隣には原田眞人監督夫妻が座った。良かった。原田さんとはMGMにジョン・ギラーミン監督の『キングコング』の撮影を取材に行ったとき、東宝東和の人と一緒に食事したことがあったので、奥様より古い知り合いなのだ。「最近は出演者としてもご活躍で。この前、中国映画でも見ましたよ」「あれはどうしても上海に行きたかったものだから」

その向こうには新潮社「考える人」河野通和編集長と『スパイ・ゾルゲ』などの村上典吏子プロデューサーが初対面の僕に「おととい、クシャミしなかった?」。盛岡映画祭で岡本みね子ママや脚本家の高山由紀子さんと僕の話で盛り上がったそうだ。某M野監督が偉そうな撮影助手だった僕をポカリとやりたかったと言っていたそうだ。

遥か遠く、中央の長ーいテーブルには肉付きの良いカトリーヌ・ドヌーブの背中が見える。

左の丸テーブルには渡辺謙さんと抜群に輝いている南果歩さんがいる。「『ラヂオの時間』の撮影の高間です」と挨拶すると「オーオーオー!こちら、妻の南…」と握手。「一度、下北沢の金子修介監督忘年会でお会いしました。あの時は大変失礼しました」
あの時というのは、女優で誰が一番美人だったか、という話になり、目の前に果歩さんがいるにも拘らず「そりゃ間違いなく中山美穂だね」なんて言ってしまってから、夫の辻仁成は別れた前夫だと気が付いたのだ。

謙さんの左にはバイリンガル俳優でもあり、監督でもある塩屋俊さん。「いま、阪本善尚さんと仕事してますよ」。彼はこの映画祭に『ふたたび』というジャズバンドを再結成する老人の話の映画を出品している。僕も今、中高年の市民ジャズバンドの映画『JAZZ爺MEN』の準備をしている。ジャズの映画がブームみたいだ。

帰りがけに株式会社東宝映画の富山省吾社長に挨拶し、更にエスカレーターで東宝株式会社の高井英幸さんを捕まえて「まだ社長やっているんですか?」と訊くと「もう9年だよ。疲れちゃったよ」

渋谷行きの都バスに乗り、100円玉拾った。ラッキー!
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2010年09月09日

おめでとう、深津絵里さん! 5

昨日も今日も各局のテレビニュースで報道されていたけれど、深津絵里さんがモントリオール国際映画祭で主演女優賞を受賞した。スクリーンデビューから22年目の快挙!ひと様以上にヒジョーーーーーに嬉しい。
なぜかって、そのデビュー作を撮影したのがこの私メだからである!
金子修介監督と初めて組んだ忘れえぬ名作『1999年の夏休み』である。テレビで流されているJRのクリスマスキャンペーンCMはこの後のことだ。

ちなみに、ゴクミ(当時16歳)出演の国鉄からJRに変わる1週間前からの日替わりCMも私メが撮影したのであ〜る。

深津絵里は1987年当時、14歳か15歳で、オーディションに現れた彼女はそれはもう、とてもとても可愛らしかった。ナンでも、原宿美少女コンテストの優勝者だということだった。

出演が決まって、深津じゃナンだからというので、プロデューサーが水原里絵という芸名をつけた。ナンで深津じゃいけないんだ! 私メは高校のとき深津クンというイケメンがいて、彼がクラス一番の美女と結婚したので、深津という名前は美人の代名詞みたいなモンで、ヒジョーに印象が良かったのだ。

じゃあ、なぜ水原なんだ?と問い詰めると、芸能界は水商売なので、「水」を付けると売れるのだということだった。そういえば、死んだ婆ちゃんが撮影助手をやっていた私メに「賢ちゃんは真面目だから学者にでもなるかと思ったら、水商売なんかやって…」とこぼしていたが、水商売ねえ…。

ちなみにこの水商売業界には、ちょっとエッチな芸名を付けると売れるというジンクスもあるのだそうだ。その例は浜美枝だそうで。何がエッチなのか、考えてみてください。

で、絵里ちゃんは可愛い黒髪をばっさりと切って少年になったわけだが、それでも可愛いのは映画を見てくれれば納得してもらえるだろう。衣裳合わせにも熱が入るのは当然で、ソックスガーターが出てきたときには「決まったー!」と思った。そのソックスガーターがキーとなって、チョイ長めの半ズボン、ジャケット、襟章などが決まっていったのだ。

彼女は単身、福岡(だったかな?)から上京して頑張っていた。でも数年後、碑文谷のダイエーで偶然会ったときはお母さんと一緒だった。私メと女房が下りエスカレーター、絵里ちゃんとお母さんが上りエスカレーター。「ああー!」と指差しながら擦れ違い、そのままになってしまった。

テレビである女子アナが「『おくりびと』もモントリオールで最優秀作品賞になってアカデミー外国語映画賞を取ったので『悪人』ももしかして」と言っていたけれど、ごめんなさい。私メはただ1人『悪人』に票を入れたんですけど…。各審査員、それを知りつつも『告白』になってしまいました。

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2010年08月17日

三浦友和さん試写 4

思えばちょうど去年の今ごろ撮影中だった『死にゆく妻との旅路』!やっとポスプロの最終段階に入ってきました。

オールラッシュから更に7分切り落として1時間53分にスリム化しました。塙監督としては自分の身を切るようなツライ作業だったに違いない。
そして7月下旬にダビング。CG合成も加えられたが、どこがCGか、皆さん判るでしょうか?密かな楽しみです。

そして8月4日、IMAGICAのSPRIT DATA CINEでカラコレと呼ばれる色の微調整作業。ここでは1カットごとに明るすぎ、暗すぎを直したり、夏に撮影した秋のシーンの緑を少し黄色っぽくしたり、冬のシーンを寒そうにしたり、死に顔を顔色悪くしたり、回想シーンを半脱色してそれっぽくしたりと、映画を見てくれる観客が違和感を抱かないよう、自然な気持ちでストーリーに入り込めるよう、微力を尽くしているのであります。

映画はこの後、キネコという作業に入ります。デジタルからフィルムに転換する作業です。本来なら、フィルムレコーディングと呼ばれるシステムでフィルムネガを作るのが正しい映画創りなのでありますが、低予算映画なので、その約1/3の値段で済む日本独自のキネコ! その原理はHDCAM-SRというハイビジョンの最高画質のテープに採り込んだ映像を特殊なモニターに映し出し、それをフィルムカメラで再撮影するという方式。
モニターの色の出方がフィルムとはちょっと違うので、その分を見込んでカラコレをしなければならない。

再撮影するフィルムも、フジにするかコダックにするか、フジなら微粒子の64Dにするか、鮮やかな発色の160Tにするか、カメラマンが決めなければならない。前の経験から、キネコにすると色がちょっと押さえられたような感じになってしまうので、鮮やかな発色のフィルムを使うのも「手」かと思い、両者をテストしてみた。その結果、この映画に関しては色鮮やかにする必要性もなく、自然な感じを重視して64Dでキネコするよう技術者にお願いした。
しかし、無理繰りシネマスコープにしているせいもあるのか、全体にシャープネスが無くなり、ちょっとボケたような映像になってしまうのは、やはりキネコの技術的限界というものなのだろうか…。

昨日は主演の三浦友和さん、原作を出版した新潮社、配給関係各社をお呼びして、IMAGICA第2試写室で半完成試写!
ここで見るのは、音に関してはダビング後の完成状態だが、画に関してはキネコ前のカラコレ前の状態で、HDCAM-SRのビデオデッキを直接DLPにつないだデジタル上映だ。実はこの状態が最高に画がきれいに見えるということに気が付いた。あの小さなPanasonic HMC155でこれだけきれいに撮れるならば、これ以上ナニをよこせと言うんだ!このカメラを選んで大正解だった。

友和さんは今日の主賓なのに中央に座らず、僕が勧めても「いいよ、いいよ」と言って最後列の技術者用テーブルの隣りに座った。
僕は今日はDLP上映であり、完成するとこれよりも画質が落ちるんですと小声で説明すると、「多少荒くなった方がドキュメンタリーっぽくなっていいんじゃない?」なんて言っていた。

上映が終わると場内から拍手が起きた。関係者の試写で拍手が起きるのは三浦さんが来ているという事実を差し引いても珍しいことだ。これが、全スタッフが集まる完成試写だったら、僕が真っ先に拍手をする。それは苦労して完成まで努力した仲間を称える意味もあるからだ。でも昨日は、後半、泣き通しだったという人もいたそうだから、自然発生的なシミジミとした拍手だった。

ロビーに出た人々はなかなか立ち去りがたく、いつまでも立ち話をしていた。
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2010年07月13日

『ボローニャの夕暮れ』 4

今日はまた、スパゲティを茹でた。

いつものようにニンニクと鷹の爪をオリーブオイルで香りが出るまで炒め、そこに冷蔵庫から使えそうなものを出して、どんどん入れて行く。
ベーコン、玉葱、茄子、ピーマンなどを切って炒めるのだが、焦げる寸前にちょっと水を入れる。そうするとパサパサしないし、フライパンの後始末が楽になる。
そこにアルデンテになったbarillaの1.4mmを入れ、黒胡椒とパセリの粉末とバジルの粉末を入れ、更にユーロスペースでもらった瓶詰めのオリーブトマトソースをぶち込んで手早くまぜる。それをレタスを敷き詰めた皿に盛って手早く食べる。オーケーで買った350円の赤ワインと共に…。レタスを敷くのは、もちろん野菜を摂取するためだが、これで豪華に見えて皿洗いも楽になるという一石三鳥!
もうこれは、自分で作ったのだから美味いと思うしかない!

オリーブトマトソースは堀越さんや北条さんや大野さんと知り合いだからくれたわけじゃないんだ。「シニアで…」と言ったらチケットカウンターの女の子がbarillaのマークの付いた青い手提げ袋を出してきた。「1200円です」「え、シニアは1200円なの?じゃあ、映職連の会員証で…」「1000円です」
それでもその青い袋をくれたんだ。で、中を見てみると、スパゲティソースの瓶詰めが入っていたのだ。

『ボローニャの夕暮れ』は映画評で「撮影がきれいだ」と書かれていたので見る気になった。最初はモノクロで始まり、イントロが終わったあたりからカラーになるのだが、フルカラーではなく、ちょっと脱色してセピアにしたような古びた感じだ。ムッソリーニが台頭した時代から敗退するまでの時代だから、そんな色合いがストーリーにとても自然にマッチしていた。しかし別段「夕暮れ」がどうのという話でもなく、印象的な夕方のシーンがあるわけでもない。

原題を直訳すると「ジョヴァンナのパパ」だ。チョイブスな娘がジョヴァンナで美人のママとはしっくり行かない。それをカバーしているのは娘の行っている学校で教師をしているチョイチビのパパ。アパートのお隣りさんはハンサムな警察官。この隣人関係が当時のイタリアを良く表しているみたいで面白い。パパが娘とドレスを買いに行くときもついて来て「警察だ!」と言って値切らせる。ママと映画に行くときもついて来て「警察だ!」と言ってママと一緒に只で入る。

娘が事件を起こし、パパは失業し、生活に困るようになると、その隣人はお金を貸してくれたり、一緒に食事をさせてくれたりする。その食事は当然ながら、いつもスパゲティ。鍋の中でまぜたスパゲティを各自の皿に盛る。ボローニャのスパゲティ…となれば、これがスパゲティ・ボロネーゼでなくてナンであろう!早い話し、ミートソース・スパゲティだと思うんだけど。
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2010年06月16日

恐るべき空白 2

全ての仕事が片付いて、何もすることがない、空白の日々を送っている。

10日前まではCMのロケで忙しかった。去年11月に撮影したカラオケマシンのローカルCMの続きで、今回は山形、小倉、和歌山、奈良、大阪、滋賀、京都、神戸を回った。各地で最高に美味いものを食べ歩くことができたのは前回と同じだが、今回は機材のトラブルが多かったのが反省点だ。

このCMは連日各県1店舗のクラブやスナックと周辺の街角できれいなオネーサンを撮影し、その県だけでオンエアするというローバジェット撮影なので、プロの技術スタッフは僕と照明の上保さんだけ。それぞれ自分の機材を持って行く。録音担当は制作のI川君で、ガンマイクとミキサーを借りてきた。「歌おうよ!」と叫ぶオネーサンの声をガンマイクからミキサーを通して僕のPanasonic HMC155に入れる。彼は機材車の運転もしなければならない。前回の制作のW辺君が今回はディレクターに昇格した。

9インチのモニターはいつも便宜を図ってくれるスタジオDUから無料で借りてきた。前回は撮影助手のK村君が準備してくれたのだが、今回は自分でやった。それが間違いの元だった。
明日早朝出発のために、一応チェックをしてみようとしたら、カメラから伸びるケーブルとモニターのジャックが合わずに接続できない。K村君に電話しても留守電になっている。もう1人の撮影助手F屋君は撮影中だ。万策尽きて夜中の1時半、W辺君をたたき起こして「もしかするとモニターは使えないかもしれない」と、とんでもない電話をした。

持ち前の面倒くさがりがこういう準備の悪さという結果になっているのだ。自分を呪いつつ寝床に着くとF屋君から電話が来た。「早朝に撮影が終わる見込みですから、間に合ったら家に帰って、変換ジャックを持って届けに行きます」。地獄に仏だ!
朝6時に近くのコンビニで待ち合わせ、変換ジャックと予備のケーブルを受け取り、おまけに渋谷駅まで送ってくれた。

山形の現場で、いざケーブルを接続するとモニターの映像が横に滲むのだ。さーて困った。いつもは助手任せだから、機械的な知識は全く進歩がない。そこにK村君から電話。「なにか電話もらったそうで…」。今ごろ電話かよと思ったけれど、これ幸いと現状のトラブルを話すと「ケーブル代えてみたらどうですか」。そこで1本あったカメラから途中のDジャックまでのケーブルを代えてみたところ、映像は正常に映るようになった。

夜になって商店街に出た。街路灯を背景の拠り所とし、オネーサンを立たせて望遠で狙う。「ガンマイクをもっと寄せろ」とかなんとかI川君を指導していると、音声ケーブルに引っ張られて、三脚もろともカメラが前に倒れた。ガチャーン!「オー、撮影もこれまでか!」と覚悟したけれど、プラスティックのレンズフードがちょっと傷ついただけで、撮影も再生も何の問題も無くできたのである。Panasonicは信じられないほど丈夫なカメラだ。

また、小倉の現場では今まで使っていたモニターがパタッと映らなくなった。どのスイッチを押しても、何回接触を確認しても映らないので、その日の後半はモニター無しで我慢してもらった。
ホテルに戻り、念のために不調で取り替えたケーブルに戻してみた。と、ナンでもなかったように滲みも無く正常に映るではないか!そんなことがあるのか!じゃ、もしかして、と、元の映らなかったケーブルにまたまた戻してみると、これまた正常に映るではないか!うーん、わからん。

ロケも後半になると、音声ケーブルが怪しくなってきた。ミキサーのメーターは振るのだけれど、カメラのインジケーターが振らない。ということは、マイクとミキサーは問題ないのだけれど、ミキサーからカメラに来ているケーブルがNGで、音声が記録されないというわけだ。騙しダマシ使っていたけれど、京都でどうにもならなくなった。どこのカメラ屋でも売っているというものではない。イベント業者なら持っているはずだというので、手分けして電話したけれど、手に入らなかった。

そのとき、ふと思い出した。『死にゆく妻との旅路』の録音技師・Y方さんが京都で『大奥』の撮影をしているんだった。実は僕もプロデューサーから誘われたのだけれど、『アザミ嬢のララバイ』と重なってしまったので、時間があったら撮影所に遊びに行こうと思っていたのだ。急いで電話すると「今日はもうすぐ終わるから、適当に見繕って持って行くよ」
で、夕闇迫って撮影にちょうど良いころ、祇園の白川巽橋に軽ワゴンが停まり、ひと箱一杯にあるケーブルの中から同じものを選び出し「じゃ、また」と言ってY方さんは去っていったのである。

うーん、最後までドトーの撮影であったことよ。しかし、問題なく編集も終わり、好評に納品も済んで、もう何もやることが無くなった。ここ数日は白井佳夫さんから送られてきた対談集「銀幕の大スタアたちの微笑」を読んでいた。岸惠子、池部良、若尾文子、香川京子、八千草薫、高倉健、吉永小百合、勝新太郎、そして和田誠さんとの面白くてとても貴重なお話しが詰まっていた。

白井さんといえば、日経新聞に『春との旅』の映画評を書いてくださった。『告白』を見にバルト9に行ったとき、壁に貼られていた。評論や紹介でカメラマンにまで言及してくれたのは白井さんだけかもしれない。ありがとうございます、白井さん。渋谷でタン塩焼き定食をご馳走してくれたことも忘れていませんよ。

昨日、母から電話があった。「横浜の西川さんから日経新聞の切り抜き送ってきたよ。仕事は相変わらず不安定だね。退屈してたら遊びにおいで」
弟から借りていた100万は半分返したけれど、母からの20万はまだ返せない。
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2010年05月25日

青木美稚子コンサート 3

映画『プライド』のオペラコンクールのシーンで、ステファニーや満島ひかりちゃんの振り付けを指導してくれたメゾソプラノ歌手・青木美稚子さんのコンサートに行ってきた。先週の金曜、「青木美稚子と楽しむ日本の歌・世界の歌」と題して練馬文化センターで開かれた。

ピアノ、あるいはチェロの伴奏で〈日本歌曲〉は馴染み深い〈この道〉〈城ヶ島の雨〉、初めて聞く石川啄木作詞の〈初恋〉、池澤夏樹の母である原條あき子作詞の〈髪〉など、彼女の歌は前にもオペラ歌曲を聞いたことはあるが、日本語の歌もいいもんだ。
〈イタリア歌曲とアリア〉では〈愛の喜びは〉〈ガンジスに陽は輝き〉〈私は泣き、呻き〉などが歌われたが、こういう機会がなければ、全く耳にせずに人生終わる歌だと思う。

チェロ独奏はフォーレ作曲の〈夢のあとに〉。この曲は『風の又三郎―ガラスのマント』で又三郎のお父さんが弾いていた曲だ。あのカットは草刈正雄が弾く弦のアップから始まり、カメラは天窓を突き抜け、森の上の月まで行くという伊藤俊也監督の要求で、どうやって撮ればいいか、散々頭を捻った難しいカットだった。
音楽に疎い僕は、あの心地良い曲が何という曲なのか、20年間ずっと知りたかったのだが、それが〈夢のあとに〉だとは、このコンサートに来なかったら、更に数十年、悩み続けていただろう。

休憩を挟んで〈スペイン歌曲〉がいくつか。最後に〈フランスオペラ〉となって〈ウェルテル〉より〈私に涙を流させて〉、そしておなじみ〈カルメン〉より〈ハバネラ〜恋は野の鳥〉。これは僕でも知っているポピュラーな曲だけれど、日本語で歌われたのは初めて聞いた気がする。やはり日本語だと、意味が直接わかるだけに、カルメンがぐっと身近に迫ってくるのである。続けて原語で「アモーレ、アモーレ…」と聞くと、なぜか感動で涙が出てくるのである。なぜだろう。上野中学の教室に立っていたあの青木道子が、40数年の時を飛び越えて青木美稚子となって、ここに立っている。そんな感傷もあったのかもしれない。

終わってロビーで挨拶をすると、打ち上げに参加するように言われ、一足先に練馬駅の地下のイタリアンレストランに行った。するとそこには既に10人ほどの妙齢のオバサンが待ち構えていた。彼女らは青木さんの御茶ノ水高校時代の同級生なんだそうだ。でも、どう贔屓目に見ても青木さんより10コくらい先輩に見える。
で、黙っていても間が持てないので、「どんなご関係?」「青木さんって中学ではどうでした?」「お仕事は?」なんていう会話から
「映画のカメラマンなんです。明日公開される『春との旅』という映画を撮りました」と言うと
「ワッ!それ見ました、試写会で。仲代達矢がラジオで口角泡を飛ばす勢いで、自分の映画人生で3本の指に入るいい映画だって言っていたので、応募したんです」というオバサンが3人もいたのである。

で、翌日土曜日はバルト9で『春との旅』の舞台挨拶。壇上には恥ずかしそうな小林政広監督はじめ、国宝級の俳優、仲代達矢、淡島千景、徳永えり、柄本明、美保純が並んだ。満員の観客の満足そうな顔。拍手も多かった。
「初日にこんなに多くのお客さんが入ったのは初めてです」と監督がしみじみ言った。嬉しそうだった。
2010年05月05日

ベッドシーンも最高! 4

今日の深夜は『アザミ嬢のララバイ』第3話、『しろへびの涙』のオンエア。残念ながら、東京地区はやはり見ることができず、7月21日のDVDレンタル・販売開始を待たなければならない。

先月24日、紀尾井町の映広というポスプロスタジオで『しろへびの涙』のMA(マルチ・オーディオ=映画で言うダビング)があったので顔を出した。

雪山のセットは、前日の手塚眞監督『赤い靴』で使用した工事用のイントレを組み合わせた焼け跡のビルを組み替え、それに白布を被せたものだ。それだけでもクリムトの芸術を思わせるものがあるが、そこにスモークをなびかせ、半逆光のライティングをすると、本当に雪山に思えてくる。更にCGで降る雪を加え、MAで吹雪の音を加えると、扇風機の風で白布がフワフワ動いているにもかかわらず、まぎれも無く雪山なのだ!
小市慢太郎と中村ゆりが登って行くのを仰角で撮影すると、当然のこと、東映東京撮影所第2スタジオの天井とキャットウォークが映ってしまうのだが、逆にそれが不思議な感じを与えるのだ。「空に天井がある!」という不思議な感じ…。

雪山に登る前、ホテルでのベッドシーンがある。このホテルも、ダブルベッドとサイドテーブル、スタンドライト、コートハンガーだけで表現されている。壁は無く、ステージの周囲に下がっている暗幕だけ。
結びのカットで、ベッドからクレーンアップすると、照明が落とされた撮り終えたセットが今までの歴史のように見え、その奥にこれから行く雪山の夜景が見える。それが同ポジで朝の雪山にディゾルブして、前述のシーンになるわけだ。この、深ーい意味のある大スペクタクル・クレーンカット、我ながら素晴しいアイデアであった(エッヘン!)。

しかーし、更に素晴しいのは、中村ゆりのあのときの表情!ラブシーンで、こんなにリアルで美しい顔!ウワーッ、日本映画では見たことが無い!撮影、オールラッシュ、編集、MAと、何度も何度も見ているうちに、これは確信に変わった。中村ゆりは絶対に伸びる!

東京の人、残念ですね。7月まで待ってね。
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2010年04月29日

ああ、本田美奈子が・・・ 1

『アザミ嬢のララバイ』第10話の撮影のとき、登坂監督が「フィルムのリーダー部分を人物に投射して、それを撮影したい」と言うのだが、最近では身の回りにフィルムが無い。が、ハタと思い出し、昔のCMの16ミリプリントをスタジオに持って行った。それはもう、信じられないくらい退色していた。改良前のポジなので、シアン色素が完全に分解してしまって、全体に赤っぽくなっている。

ところが、映し出された映像は、歌手デビュー直前の本田美奈子だ!
サイパンのビーチで、水着姿の本田美奈子が手を振りながら走ってくる!なんという笑顔!なんという可愛らしさ!
ああ、不覚にも涙が・・・。

あの、カルビー・ポテトチップスのロケのとき、彼女が「私、今度、歌手デビューするの」と言った。僕らは単に笑い転げているノーテンキな女の子だとしか思ってなかったので「ほんとかー?じゃ、ちょっと歌ってみろ」とか冷やかすと、彼女は都はるみを歌った。すごくコブシが効いていて、聞いているスタッフは「オーーー」と唸ったのだ。

ああダメ。書いているだけで、また涙が・・・。
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