2010年04月12日

『アザミ嬢のララバイ』撮影終了! 4

深夜ドラマ『アザミ嬢のララバイ』シリーズの最終話、徳永えり、蕨野友也主演の『神様の子どもたち』が予定の2日で終わらず、3日かかって撮影終了した。

途中でTKさん(タイムキーパー)が「ショートしそうだ」、つまり、尺数が足りなくなりそうだと言うので、登坂監督は演技を長め長めに、カットを増やして撮っていったのだが、撮り終わってみたら大幅にオーバーしていた。
だから言ったじゃん!29ページもあるシナリオがショートするわけないって!
経験則で、1ページは50秒から60秒になる。30分番組はCMとかプロローグを差し引くと正味は23分足らずだ。だから、シナリオが23ページ以下だったら、ショートを心配しなければならないけれど、通常は、あまり役者に「間」を取らさず、クイックモードで撮影しないと収まらなくなるのだ。

恒常的になった睡眠不足で、監督のカット割りの説明もよく頭に入らず、逆に監督に不愉快な思いをさせてしまったかもしれないけれど、寄る年波には勝てず、(体力の低下=思考力の低下)になっているようだ。しかし、ヒアルロンサンの注入が効いたのか、左膝の軟骨遊離の痛みは全く無く、医師の言うとおり、手術を見送ったことが正解だった。

撮り上がった作品は3人のエディターが手分けして編集しており、すでに何本かがオールラッシュを終え、第1話『秘蜜を、吸う』は音楽も付いた。
音楽は小林洋平という若い作曲家が書いているのだが、この低予算の作品で、10本全てにハリウッド並みに映像に合わせたオリジナルの曲を付けている。それも重労働だと思うけれど、マネージャーは「修行の身ですから」なんて言っていた。

もう1人の功労者は、美術の今井伴也。彼はアートディレクター名久井直子のデッサン画をもとに、安い材料で想像力を掻き立てるセットを造っていった。
撮影が終わるとバラして次のセットの建て込み、撮影中にもセットの組み換えがあり、おまけに靴や鞄などの小道具も用意しなければならず、作り物がリハーサルに間に合わなくて助監督に怒鳴られたり、本当に生きているのが不思議なくらいだった。感謝!

僕はかねがね、宇梶剛士の「ダダ」の芝居などを見せてもらうにつけ、簡単な箱がシーンによって椅子になったり、居酒屋のテーブルになったり、桟橋になったりするのが面白く思い、なんとかこれを映画にも応用できないかと漠然と考えていた。しかし、映画ではリアルなロケーションもあるだろうから、2時間を箱だけで押し通すことも無茶な話しで諦めていた。
だから、このシリーズを撮影中に、ハタと「多少形は変わっているが、これはダダなんじゃないだろうか!」と気付き、嬉しくなった。
工事用のイントレを並べて火災に遭ったビルに見立てたり、それを白布で覆って雪山に見立てたり、ベッドとカーテンだけでラブホテルを作ったり、アヴァンギャルドと言えなくもない、想像力を働かせないといけない見事な?セットなのだ。

このシリーズが東京で放映されるかは目下のところ努力中ということなので、もうすぐ始まるオンエアは毎日放送が受信できる地方で見るしかない事態になるかもしれない。ぜひ、DVDで!
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2010年03月20日

崎田君、逝く 2

市川海老蔵、相武紗季主演の『霧の旗』の撮影が終わって、休む間も無く、MBSの深夜ドラマ『アザミ嬢のララバイ』の撮影に突入した。カメラは前回と同じくPanasonic HPX175を2台。小型で優秀なカメラだ。このカメラが無かったら、こんなハードスケジュールの撮影は成り立たない。性能はHMC155と同じだが、P2カード収録で、SDI信号が出るのが嬉しい。

この『アザミ嬢のララバイ』は10本の独立した30分ドラマで、全てが東映東京撮影所の2番ステージに組まれた抽象的なセットで、1話を2日で撮影する。発想の原点は『DOGVILLE』の日本版だ。
田畑智子、綾野剛主演の第1話『秘蜜を吸う』と星野真里、和田聰宏主演の第3話『愛を、更新する』を犬童一心監督が、森本レオ倒れて小野寺昭主演の第2話『紅い靴』を手塚眞監督が、金澤美穂、堀部圭亮主演の第4話『金魚のローレンス』と中村ゆり、小市慢太郎主演の第6話『しろへびの涙』を早稲田大学大学院安藤研究室の教え子である宮武由衣監督が、松重豊、霧島れいか主演の第5話『月ノホタル』と第10話『神様の子どもたち』をMBSの登坂琢磨監督が、柄本佑、月船さらら主演の第7話『カラダノ記憶』と第8話『死者は死んだ羊の夢を見るか?』を三島有紀子監督が、北川弘美、金子ノブアキ主演の第9話『ANNIVERSARY』を麻生学監督が担当する。

録音部は2組体勢だが、撮影、照明、美術などのスタッフは全話を受け持っている。

助監督は初めての顔だと思ったのに、セカンドのI川君が「お久しぶりです」と声を掛けてきた。「ええっ!何で一緒だったの?」と聞くと、私メが監督した岩城滉一、高岡早紀主演のテレビ東京開局25周年記念ドラマスペシャル『トリノ発:東京物語』だと言う。20年前のことだ!「イタリアロケには連れて行ってもらえませんでした」だって。

この作品は国際放映の知り合いのS原プロデューサーが35mmフィルムでテレビドラマを撮りたくて、私メに撮影のオファーがあったのだけど、シナリオができないうちにイタリアにロケハンに行かなくてはならないという事態になってしまい、「お前でいいから監督やってくれ」ということになって監督デビューしてしまったという因縁深いドラマだ。おまけにイタリアで雇った風変わりなコーディネイターのオバサンが高校の同級生だったのだ。

I川君と思い出話しをしていたら、その私メと同い年のS原プロデューサーは10年前に他界したと言うので驚いてしまった。
あの時、チーフ助監督には『太陽にほえろ!』では制作進行をやっていた、僕と同い年の崎田憲一君にお願いした。崎田君とはその後、『高校教師』『アイデン&ティティ』『ギミー・ヘブン』などでも一緒に仕事をしている。
その崎田君から一昨日、撮影中に留守電が入った。メッセージを聞くと、奥さんの声で「今日、崎田が他界しました」!

その数日前、I川君からすい臓がんで入院していると聞いたばかりだ。そういえば、若い頃、確かすい臓の病気で入院したことがあって、大蔵病院あたりにお見舞いに行ったことがあったな。その頃は弱弱しいという印象だったのだけど、歳とともに頑丈そうな身体になっていった。仕事に熱心で迫力があった。

最後に会ったのは永田町の駅ですれ違った数分間だ。「僕も東京芸大で教えているよ」なんて言っていた。最後とわかっていれば、そのときの予定を遅らせてでも、もっと話していたかった。
篠田昇君のときもそうだ。最後とわかっていれば道後温泉を諦めて、市電から降りればよかったのだ。本当に人と人との付き合いは突然に終わるのだ。もっと大切にしなければ。
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2010年03月01日

海老蔵、最後の日 2

海老様登場から2週間で、早くも撮影最終日となってしまった。

最後のロケ地は北九州の小倉で、海老様演じる大塚弁護士が小倉に調査に来るシーン。小倉駅前コンコースにレールを敷いてミニジブを載せ、エスカレーターを降りて来る海老様を狙う。準備を終えて本番になるころには数百人の見物人に取り囲まれてしまったが、フィルムコミッションとガードマンの仕切りが良く、整然と石垣状態になっている。

そんな中、移動車を前進させながらジブダウンしたが、海老様を上手く追えずNG。緊張したわけではないけどティルトダウンが上手くできなかった。で、2テイク目は移動を諦めジブダウンだけにしたのだが、ティルトダウンが慌て気味で、しかも追い遅れてしまった。しかし、衆人環視の中、もうこれ以上NGとは言えないプレッシャーに負け、心で泣いてOKにした。それでも観客から拍手が沸いた。複雑……。どうか編集でカットになりますように。

この日のロケ弁には
          祝
     松本清張ドラマスペシャル
        「霧の旗」
     歓迎 重光組北九州ロケ!
  本日、市川海老蔵さんオールアップ!!

 北九州は、ドラマ「霧の旗」を応援しています。
     撮影の成功をお祈りします
  北九州フィルム・コミッションサポーター

と印刷された紙が被せられていた。熱い……。
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2010年02月09日

市川海老蔵登場! 5

去年の夏から撮影が続いていた『死にゆく妻との旅路(仮題)』も、長い検討の結果『死にゆく妻との旅路』と題名が決定しました。1月に冬の富山・石川ロケを終了しました。今回はあの「餅きんのケイタ」は登場せず、美味しいロケ弁で幸せな撮影でした。印象的だったのは塩ジャケで、今まで何千切れと食べているはずですが、初めて美味しいと思って食べました。食の宝庫かもしれませんね。

石田ゆり子さんは夏から更に3キロ減量して、末期癌患者を熱演しました。

また、今回のロケでは、夏に撮影した分を補完するようなアップショットも撮ったので、ライティングや美術のセッティングが同じになるように、抜き焼きしたDVDを参考にして、まるで間違い探しのような頭を使う撮影となりました。でも、これって結構楽しめましたね。
三浦友和さんも無精髭を伸ばし、一生懸命ヤツレテくれましたが、どうやってもカッコいいんですよね、これが。日本一の美男美女のカップルですから、キャスティングされた時点でこの作品の運命というか、テイストというか、方向性は決まったんです。

現在は編集が進んで、オールラッシュの運びとなりました。でも、残念ながら見に行くことができません。今は某局の松本清張ドラマスペシャルの撮影真っ最中で、今日が最後の撮休なんです。

昨日から、主役の市川海老蔵さんが参加しました。

普通、撮影のセットアップが済むと、助監督が俳優を呼びに行くのですが、海老蔵さんは呼びに行く前にカメラの前に来てしまいます。助監督がスタンドインとしてカメラ前に立つと、それをどかして自分が立ちます。撮影をとても楽しんでいるようですね。

でも昔はみんなそうだったんですよ。俳優をカメラ前に立たせてライティングをしたのです。そのシーンがどういう光の状況かも大切ですが、その中で俳優の顔がもっとも美しく見えるように考え、ライティングするわけですから、助監督にその代役が務まるわけがありません。

ところが最近は、ライティングが完成しないと俳優を呼ばないのです。俳優が来ると、また、ライティングを細かく直さなければならないという二度手間になるわけです。そうやって微調整していると、助監督が「お休みください」と言って俳優を連れ去ろうとするので、また私メは「何を考えているんだ!」声を荒げてしまうわけです。
ライティングが完成すれば、すぐリハーサルができるのに、それから呼びに行くのでは、また5分10分と待たなければなりません。助監督が「そろそろ呼びに行ってもいいですか?」と聞くので「もう、ここにいなければいけないんだ!」と答えるのですが、その様子を某助監督がオモシロオカシク物真似してまわっているので、高間はなんて性格の悪いカメラマンなんだと思われているわけです。

しかし、ハードスケジュールの中、その5分10分の無駄時間の積み重ねが「撮りこぼし」になったり「寝る暇なし」の労働強化になり、能率の低下、スタッフ間のいじめ、スケジュールオーバー、オーバーギャラの問題、会社の倒産、最悪はプロデューサーの自殺という暗い坂を転落するような状況になっていくわけです。(ちょっと言い過ぎかな?)

昨日の撮影は、そんな意味でとても楽しかったのです。スタッフと俳優が、当たり前のことですが、一緒に仕事をしているんだという気持ちになりました。


A title for the film which had been shooting since last summer
was decided after long consideration. It was called
"Shini Yuku Tsuma Tono Tabiji (literally translated as "a
journey with a wife who is terminally ill"). We finished
location shootings in Toyama and Ishikawa prefectures in the
winter of January. Normally the catering service "Mochikin no
keita" provided us with meals. This time, he didn't show up.
The box lunches that were provided instead turned out to be
great. So it turned out to be a happy shooting. What impressed
me was the salted salmon. Although I have eaten this food
thousands of times in my life, it was my first time I've had
it so deliciously. The area may be a treasure for food.

Actress Yuriko Ishida lost 3kg since last summer's shooting in
order to act like a person with terminal cancer.

Also, we shot some scenes to add to the ones taken last
summer. Because of that, we needed to arrange lightings and
settings to be exactly the same as the last time. We tried to
recreate the scenes from a DVD recording of the original
shootings. The shooting required a lot of mental work, as if
searching for mistakes. But it was exciting.

Actor Tomokazu Miura grew his stubble and lost his weight for
his role. However, he was still handsome. As the most
good-looking actors in Japan were chosen when the casting for
the couple was made, it was as if the destiny, tone and
direction of the film had been determined.

The editing process has been completed and it now came to a
rush. Unfortunately, I was unable to go to see it, as I have
to do a shooting for a Seicho Matsumoto drama special for a
TV station. Today is my last day-off.

A leading cast member, Actor Ebizo Ichikawa, joined from
yesterday. Usually, the assistant director went to call the
actors when a set-up for a shooting was done. However,
Mr. Ichikawa came in front of the camera before being called.
If assistant director had stood in front of the camera as a
stand-in, Mr. Ichikawa would have taken him away and stood
there himself. He looked like he was enjoying the shooting.

In old days, it was a normal style of the shooting. We
arranged the lightings while actors stood in their positions.
It was important to know how the effect of the lighting on a
scene came out, but also we had to consider how to make
actors' faces look their best. A stand-in by Assistant
Director was not enough to substitute for the actors.

These days, however, the actors are called in after the
lighting arrangement is done. When they stand in, further
adjustments are required. It doubled the work. While
re-adjusting the light, the assistant director had to lead
the actors out while saying "Please take a break."
Then I raised my voice and said, "What are you thinking?"
If the lighting was completed, rehearsal could be started
soon. But if they had to call for the actors after the set-up
of lighting, people had to wait another for 5-10 minutes.
Assistant Director asked me, "Can I go to get the actors?"
I responded to him, "They should have been here."
A certain assistant director mimicked this situation. I must
have a reputation of having a bad attitude.

But, in this hard schedule, an accumulation of losing 5-10
minutes here and there might lead to lost shooting times,
intensification of labor without enough sleep and
decrease in efficiency. It might cause conflicts among staff,
over schedulings, problems of over-guarantees and bankruptcy
of the companies. In the worst case, it might create a
situation like falling down the slope in the dark as a
producer commits suicide. (I might be exaggerating things a
bit here.)

So, the shooting was so fun yesterday. It might be natural,
but it made me feel good that the staff and actors worked
together to make a good film.
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2010年01月01日

怒涛の忘年会おわって 2

お節料理も作り終わって、過ぎ去りし忘年会の嵐を振り返る。

21日。西早稲田で安藤研忘年会。

 数年前から早稲田大学大学院国際情報研究科で客員准教授として映画撮影の実技を教えている。安藤紘平教授の要請で始まった授業なので、受講生の大半は安藤研究室の学生なのだ。その彼らが主催する忘年会なのだが、地図を頼りに行ってみると住宅地の真ん中で、うどん屋なんてありゃしない。
やはりウロウロしている学生と一緒に、携帯で電話しながら早稲田通りの店に辿り着いた。窓際の席に通されると、そこにはすでに脚本家の加藤正人先生が座っておられた。「長女がこのゼミにいるんですよ。自分の娘を教えるっていうのは恥ずかしいですね」と照れていた。良い脚本を書くコツは、感動した名作を書き写すことだそうだ。次女は撮影監督協会の撮影助手育成塾に通うらしい。婿殿が助監督だったりしたら、将来は大映画コンツェルンになってしまいますね。

23日。六本木ヒルズで三浦友和忘年会。

 塙幸成監督の『死にゆく妻との旅路(仮題)』の最後の冬ロケを1月中旬に控えて、三浦友和さんがオシャレな焼き鳥屋に招待してくれた。初めて行く場所なので、朴木プロデューサーと探し回ってしまった。塙監督は先に来ていて、友和さんと深刻な話しをしていたらしい。
誰が作ってきたのか、友和さんの作品暦のプリントがあった。それを見ると95年と01年には出演した映画が無かった。いつも忙しいと思っていたのに意外だったので聞いてみると「こういう仕事は浮き沈みがありますからねぇ」だって。なんて謙虚な人なんだろう。

24日。赤坂でパナソニックDU忘年会。

 このところ、映画もCMもテレビドラマもドキュメンタリーも、デジタル撮影がほとんどで、その度にパナソニックDUからカメラやモニターを提供してもらっている。あまり借りてばかりでは申し訳ないので、小さなHMC155を購入したけど、よく働くカメラなのである。
赤坂の居酒屋がワンフロア貸し切り状態の大盛況だった。向こうの喫煙席にはパナソニックの人たち、こちらの禁煙席には長田勇市カメラマンと『相棒』の会田正裕カメラマン。会田さんには『相棒』の撮影テクニックをいろいろ教えてもらった。

26日。二子玉で鮨忘年会。

 早稲田の教え子宮武由衣監督が勤める紀尾井町の会社の某役員プロデューサーが「美味い鮨をご馳走したい」と言ってくれたので、お言葉に甘えて。さすが高級店、いつも行く店とはちょっと違う。
今年はNASVA(交通事故対策機構)のPR映画をこの3人で作った。2010年には深夜ドラマ12本を企画している。

28日。新宿で和田誠忘年会とイメージフィールド忘年会。

 今年で20回を迎える「和田誠を囲む会」は、和田誠監督作品に携わったスタッフと出演した俳優が集まる会だ。年に一度の顔合わせとなる人も多い。『ラスト・サムライ』のエピソードを話してくれた真田広之さんはハリウッドから電話参加。丸テーブルを囲んで、僕の正面には和田誠さん。和田さんの右には匡村準さん、左には熊谷真実さん。
熊谷さんが僕に向かって「初めましてですよね?」「はい、でも一度、戸澤が何かの会に連れてきたことがあって…」「戸澤さん?知らないわねえ」「もう死んだんですけど…」「え、亡くなった方ならなおさら覚えていると思うんですけど」
しばらく間があって「妹じゃないですか?よく間違えられるんですよ」
あ、やってしまった!
「すみません、芸能界に疎いモンで…」

 二次会の池林坊に向かう途中、歌舞伎町でやっているイメージフィールドの忘年会を思い出し、そちらに向かう。黒人の客引きがやたらに多く、地図を見せると日本語で店の場所を教えてくれた。
イメージフィールドは『死にゆく妻との旅路』のほか、たくさんの映画やテレビを製作している会社なので、大きなスナックを貸し切りにしている。広くて暗い会場を覗くと知り合いもいなかったので帰ろうとしたところ、塙監督と朴木プロデューサーに鉢合わせしたので、会場に逆戻り。今まで5時間、また三浦友和さんとお話し合いしていたそうだ。

29日。新宿で金子修介忘年会。

 いつもの下北沢から新宿2丁目に会場移動。金子作品に関係したスタッフや俳優が参加している。僕の隣りには30年前からのお付合いの蛍雪次郎さん。金子監督は『ホーリーランド』とか『ウルトラマン』なども撮っているので、若い(失礼ながら全く顔を見たことが無い)俳優も多い。
ひとしきり盛り上がったあと、金子監督が参加者全員を一人ひとり紹介する。よく覚えているものだと感心する。僕なんか蛍さんに『真夏の夜の夢』のロケをした島を聞かれて全く思い出せず、ついには照明の上保さんにメールして聞いた始末だ。伊是名島が思い出せないなんて!アルツハイマーも進んできたみたいだ。

30日。新宿で蕎麦打ち忘年会。

 最近知り合った映画好きの人に誘われて、新宿御苑を借景とする自宅マンションで忘年会。
本格的な蕎麦打ちの道具が揃えられていて、客人たちはご主人に教わりながら蕎麦打ち初体験。粉を篩い、水と混ぜて捏ね、麺棒で伸ばして切る。僕は上手くできなければ悔しいし、上手くできてハマッテしまっても怖いので遠慮していたのだけど、みんなが下手でもやっているので思い切ってやってみた。そしたらテレビでよく見ているせいか、うどんなら伸ばしたこともあるので結構上手くできてしまったのだ。でも、やっぱり美味い蕎麦を食べ歩く方がいいな。

 さ、東京現像からお歳暮にもらった深大寺蕎麦も食べたし、2010年は皆様にとっても良い年になりますように。


As I finish up preparing the New Year's dishes, I look back at
the big rush of yearend parties.

21st. A party for Ando Laboratory in Nishiwaseda

For several years I have taught practical cinematography as a
visiting associate professor at the Graduate School of Global
Information and Telecommunication Studies of Waseda
University. Almost all students in my class were from Ando
Laboratory as the class was started by a request from
Prof. Kouhei Ando. This party was organized by the students.
I relied on a map to get to the place. However as it was in
the middle of a residential area, I couldn't find the Udon
restaurant.

I found some students looking for the place like me. Making
calls by mobile phone to ask directions, we finally reached
the restaurant on Waseda Street. I was led to a space by the
window. A scriptwriter, Prof. Masato Kato was already sitting
there. He said shyly, "My first daughter is a student in this
laboratory. It's kind of embarrassing to teach my own
daughter."

According to him, a key to writing a good script was
transcribing great scripts which you were moved by.
I also heard his second daughter was going to a training
seminar for new assistant cinematographers sponsored by the
Japanese Society of Cinematograph. If his daughter got
married with an assistant director, I wondered if his family
would become a large film combine.

23rd. A party for Tomokazu Miura in Roppongi Hills

We will have a last location shooting in mid-January for
Director Yukinari Hanawa's "Shiniyuku tsuma tono tabiji
(tentative title)". Before that, a leading actor, Tomokazu
Miura, invited us to a fancy yakitori restaurant. As I had
never been there before, I wandered around looking for it with
Producer Hoonoki. Director Hanawa was already there. It looked like he was having a serious discussion with Mr. Miura.

No one knew who prepared it, but we had papers which listed
up Mr. Miura's work history. Looking at it, I found that there
was no film in 1995 and 2001. It seemed surprising as I
thought he was always busy. When I asked him, he simply
said, "There were ups and downs in this field."
I wondered what a modest person he was.

24th. A party for Panasonic DU in Akasaka

These days, most shootings such as commercials, TV dramas
and documentaries are shot with digital cameras and monitors.
I felt bad borrowing them so much, so I bought a small HMC
155. It dose a good job.

One floor of an izakaya in Akasaka was reserved for the
party. The place was very busy. There were people from
Panasonic in the smoking area on the other side. And in
non-smoking area where I stayed, I met cameraman
Mr. Yuichi Nagata and Mr. Masahiro Aida who shot a film
"Aibou (literally translated "Partner" )". I learned a lot
about the techniques Mr. Aida used in the film.

26th. A Sushi party in Futakotamagawa

One produce kindly said, "I hope to show you a good Sushi
restaurant."
He was from a company where my student in Waseda University,
Director Yui Miyatake, worked for. I appreciated his
invitation. It was a really high class restaurant. It was not
what I was used to.

In this year, the three of us made a PR film for NASVA
(National Agency for Automotive Safety and Victim's Aid). In
2010, we plan to do 12 episodes for late night TV drama.

28th. A party for Makoto Wada and imageField, Inc. in
Shinjyuku


"Party for Makoto Wada" occurred 20 times in this year. For
this party, staff and actors who worked for Director Makoto
Wada's films were invited. I had a good chance to meet a
lot of people through this annual affairs. Actor Hiroyuki
Sanada joined the party through the telephone from Hollywood.
He talked about some episodes of "Last Samurai." We sat
around the round table. Mr. Makoto Wada sat in front of me.
Actor Hayato Kunimura sat to the right next to Mr. Wada,
while actress Mami Kumagai sat to his left next.

Ms. Kumagai said to me, "It might be our first time to meet."
"Yes, but Mr. Tozawa took me to one meeting..."
"Mr. Tozawa? I don't know him..."
"He passed away though..."
"Eh? I should remember him if he passed away."
After a while she told me, "You might have met my sister.
People often mistake us for each other."
Oops! I did it.

"I'm sorry. I'm not up on entertainment industry."
When I was on the way to "Chirinbou" for second party, I
remembered a party for imageField in Kabuki-cho. I decided to
go there. There were many black persons standing on the
street as barkers to lure customers. As I showed them my map,
they showed me the directions to the place in Japanese.

imageField was a company which produced a lot of films and TV
programs including "Shiniyuku tsuma tono Tabiji". They
reserved a big bar. When I looked into the huge and dark
floor, I couldn't find anybody I knew. As I was leaving, I
bumped into Director Hanawa and Producer Hoonoki. I went back
to the party. They told me that they had a discussion with
Actor Tomokazu Miura for 5 hours which lasted up to now.

29th. A party for Shusuke Kaneko in Shinjyuku.

We moved the site of the party from Shimokitazawa to
Shinjyuku 2-chome. All staff and actors who worked for
Directo Kaneko's films were there. Actor Yukijiro Hotaru sat
next to me. I've known him for 30 years. As Director Kaneko
made "Holly Land" and "Ultraman", there were a lot of young
actors (Sorry, I saw some actors at the first time), too.

After the party was warmed up, Director Kaneko began to
introduce each member. I was impressed that he remembered
everyone so well. When Mr. Hotaru asked me the name of the
island where we shot "A Midsummer's Okinawan Dream", I was
even unable to remember it. I finally sent an e-mail to
Mr. Uwabo, the lighting man, who gave us the answer. I hoped
I wasn't developing Alzheimer.

30th. A party for making soba

A person who loved movies and whom I recently got to know
invited me to the party. It was held in a family mansion with
Shinjyuku Gyoen as the scenic background outside. There was
a full set of items for making soba. All guests were
learning how to make it from the host. They screened
buckwheat flour, mixed it with water and kneaded dough. Then,
they rolled out the dough using a rolling pin and cut it.
I hesitated to do it because I know if I couldn't do well, I
would feel frustrated. If I could do well, I was afraid I was
going to be addicted to do it. But watching these beginners
doing it in any way, I decided to join in. Whether it was from
watching programs on TV or having some experience rolling
Udon dough, it came out OK. But still it might be better for
me to eat soba at restaurants.

I just ate Jindaiji Soba which Tokyo Laboratory, Ltd sent me
as a year-end gift. I wish you a prosperous year in 2010.
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2009年12月03日

メチャウマ!胡桃味噌炒め 3

15年前、椎名誠監督の映画『あひるのうたがきこえてくるよ。』のロケハンで、奥会津を猪腰助監督と徹底的に走り回ったことがあった。そのとき、山奥にすごく鄙びた温泉宿があって、その湯小屋の表にアヒルを繋いで撮影した。内部の風呂も温泉神社と言われるほど神秘的でモノスゴク良かったのだけど、撮影させてくれなかった。で、金山町の八町温泉の恵比寿屋旅館の隣りの共同浴場で撮影したのだが、あの、これ以上鄙びようがないといった、僕の理想とする温泉が何処だったのか、ずっと気になっていた。

ところが最近、ネットを検索していて、それが西山温泉郷の老沢温泉旅館であることを確信した。で、編集のバイトのお金が入ったので「今日、泊まれますか?」と電話すると「ううー、マズイなぁ」というやる気なさそうな爺さんの声。まあ、土曜の今日だからしょうがないか。
で、次にネットで評判が良かった同じ字名の新湯旅館に電話すると、簡単に「どーぞー」とおばさんの声。「バスは無いから会津柳津駅からタクシーに乗って」と言われた。

で、渋谷駅で新幹線の指定席を買い、新宿湘南ラインで大宮に。乗り換えに30分あるので、コーヒーショップでモーニングセットを食べていた。コートの胸ポケットから切符を出して時間と座席を確認して、オー、もうそろそろ行かなくてはと店を出た。出たところで胸ポケットを探ると切符が無い!あれ?他のポケットかな?バッグに入れたかな?
店に戻ったけれど、そこにも無い!乗り遅れてしまう!駅員に事情を話しつつ改札を強行突破!しかし、階段を上がる途中で「やまびこmax111号」はホームを滑り出してしまった。

結局、切符は店員がすぐ拾って預かってくれていたのだが、新幹線は1本遅れて、磐越西線も遅れて、会津若松に着いたら、只見線は3時間待ち!
3時間待合室にいてもしょうがないから、会津城を目指しながら街をブラブラすることに。城近くまで来ると、古い造り酒屋があり、日本酒の試飲とお土産の試食ができる。「ひやおろし生原酒宮泉」というのがメッポウ旨く、720ml入り1470円を買ってしまった。それから「うど溜り漬け」も「会津天宝くるみみそ」も。

会津柳津に着くともう真っ暗で、小雨も降り出している。タクシーなんていないし、タクシー会社の電話番号も書いてない。どうするんだよ!途方に暮れるとはこのことだと駅前に佇むと、あ、電話ボックスにひょっとしてローカル電話帳が。

運転手は電話に出たおばさんだった。遠かった。4000円もかかった。

部屋は10年前に増築したそうだけど、こんな山奥に!と思うほど立派。風呂はさすがに古く、すごくいい感じ。チョロチョロと源泉が流れ込んでいる。コンクリート壁のペンキ塗りはいただけないけれど、そういう安っぽさも含めて楽しんだ方が幸せかも。

夕食は家族の居間かと思うような部屋でキノコ鍋!馬刺しにワラビの煮物!クルピー!もうメシなんて入らないよー!
「エエーッ!キノコの炊き込みご飯なのに!」
「じゃあ、このエビフライと茶碗蒸しと一緒に朝、食べるから」
「朝は白飯よ。じゃ、お握りにしてあげるから昼飯にしなさい」
なんだか『春との旅』の田中裕子と仲代達矢を思い出してしまった。

朝は旦那さんがついでがあるからと、孫のリンちゃんと一緒に車で送ってくれることに。走り出すと、ナント隣りが目的の老沢旅館で、やっぱりここだったんだ!と感動した。


昨日、お土産の胡桃味噌を使って、挽肉野菜炒めを作った。
中華鍋にサラダオイルを熱し、刻んだニンニクと鷹の爪を入れ、3ヶ月前にハンバーグを作ろうと思って買った挽肉を解凍し、冷蔵庫にあったナス、ネギ、ピーマン、キャベツと炒める。そこに胡桃味噌を日本酒で溶いて流し入れる。もったいないから「宮泉」は使わなかった。醤油と砂糖もちょっと入れてみた。
しかしこれがメチャウマ!
ウドの溜り漬け、玉葱と茗荷の味噌汁、発芽玄米雑穀入りのご飯と併せて至福の夕食……。

宿のノートには5月に来た客が「山菜尽くしに感激した」と書いていたから、来年また行ってみよう。でも、3日ぶりの泊り客だったみたいだな。連泊したいし……。
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2009年12月02日

水浴図 4

市川海老蔵さんが「ちょっと忙しいので、新橋演舞場公演終わって2月にしてくれない」ということで、ドラマスペシャルの撮影は延期になり、12月のスケジュールはポッカリと空いてしまった。
それでもまあ、早いうちに決めなければならない所だけでもロケハンしておこうと、丸ビルに行くため、地下鉄半蔵門線で大手町に向かったのである。

iPodで音楽を聴きながら、ぼぉーーーっと窓外に流れる広告などを眺めていると、昨日見た久保田潤さんの絵画が浮かんできて、記憶の浮遊感が気持ち良かった。

久保田さんはCMのディレクターで、1999年から数年間にわたり、カネボウ基礎化粧品の60秒CMを撮ってきた。これはプロデューサーが、僕の映画の仕事の隙間を見て、年4本のペースでスケジュールを組んでくれたので、経済的にヒジョーに助かっていたのである。

サーフィンが趣味の久保田さんは、いつの頃か鎌倉に移り住み、好きなときにサーフィンを楽しんでいたのだろう。

「水浴図」と題された表参道画廊に飾られた画は、大小様々な油彩18点と小さな水彩4点。それが全て正方形なのである。5年間で描いたという油彩は全て淡い統一されたパステルカラーで、モチーフは全て波に乗る女性。フルサイズはサーフボードに乗り、バストサイズは目を瞑って風を感じている。女性は全て同じ顔で、ちょっとキュービズムになりかかっている。いろいろなタッチの絵を描いてきて、このトーンに辿り着いたのだという。

レセプションで出されたワインを重ねると、段々と波に乗り、風に吹かれている感じが乗り移ってくる。

そんな感じが、地下鉄の中で醸成されて、二日酔いのように襲ってきたのである。

www.omotesando-garo.com
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2009年11月04日

ヴァリンダさま・・・ 4

久しぶりにメールをいただきまして、ありがとうございます。

出演されたCMも拝見しましたよ。「細かい仕事」なんて卑下しなくったっていいじゃないですか。僕だって同じような仕事をやっています。菊池凛子さんだって『バベル』に出る前は、CMでは誰でもいい無名のタレントとして有名タレントの相手役をやっていました。「もがくような努力」をしていれば、いつかチャンスをつかむことができるかもしれません。努力をしていないと、チャンスが自分の側を通って行っても気がつかずに終わってしまいます。

僕も外国映画のカメラマンとして働きたいという希望を持っていたのですが、ここにきてやっと可能性が見えて来ました。いま、中国映画のオファーを2本受けています。でもこれが、製作費の問題とかシナリオの問題とかいろいろあって、撮影がいつになるのか見えない状態なのです。

本当だったら、今頃は上海なのですが、このブログは広島で書いています。鹿児島、熊本、唐津、長崎、博多、下関、岩国と回って来て、明日は松山ロケです。久しぶりのCMなのです。CMといっても各県で流すローカルCMなので、僕が自分の小型デジタルカメラを担いで、技術スタッフはいつもの照明さん一人という少人数で回っています。そんな低予算CMですが、少人数だからこそ、また楽しいモノですよ。各地で美味しいものが食べられたりしてね。

ヴァリンダさんとも、いつか撮影現場でバッタリと会えるといいですね。お元気で。


It's good to receive an e-mail from you again. Thank you.

I saw a commercial which you appeared in, too. Please don't
lose your confidence by saying "It was an insignificant work."
I have done the same kind of work. Before Actress
Rinko Kikuchi acted in a film "Babel", she played opposite to
a famous talent in a commercial, in a nameless role.
If you keep making "hard effort", you might be able to seize
on a chance at some point. Without making effort, you would
end up not even noticing a chance even it comes close to you.

I also had a wish to work as an international DoP.
And finally, I saw some possibilities. I had two offers for
Chinese films. However, the shootings schedules have not been
fixed yet. There were various things going on like budgets,
screenplays and etc.

If it had gone smoothly, I would be in Shanghai now. But I am
writing this blog in Hiroshima Prefecture. I visited
Kagoshima, Kumamoto, Karatsu, Nagasaki, Hakata, Simonoseki,
and Iwakuni. I will go to Matsuyama City for a location
shooting tomorrow. This is my first shooting for a commercial
in a while. As this would be a local commercial to be aired in
each prefecture, I have made the travels bringing my own
small digital camera and accompanied by a lighting man as
technical staff whom I have often worked with. Although this
is a fairly low budget commercial, working with a small staff
is fun. Luckily, we are able to eat delicious foods in each
location.

I hope to meet you again on some set in the future,
Varinda-san. Good Luck!
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2009年10月16日

江角マキコに国民栄誉賞を! 3

思ったとおり、前原国交相と会談した千葉県知事は「同じような意見だったよ」と笑っていた。だから最初から前原さんはそう言っていたじゃないですか。森田さんこそ人の意見をよく聞いて判断しないとみっともないですよ。「もっと知的な人を選ぶんだったなあ」と、千葉県民は今、思っているかもしれません。
あの、すぐ怒る性格、僕にはよく解るんです。僕もそうでしたから。
助手のころ、師匠から「怒れ、怒れ」と教育されて、機材屋の爺さんをクソミソに怒鳴ったら、あとでその人は『浮雲』など、成瀬巳喜男監督の名作を撮った名カメラマンの晩年の姿だとわかったなんてこともありました。

「成田は遠いなあ、不便だなあ」って、近隣住民以外みんなそう思っているでしょう。でも、国が決めたことだからしょうがない。撮影で海外ロケに行くとき、飛行機に乗り込むまでに疲れきってしまい、滑走したのは覚えているけど飛び上がった記憶が無いということがよくあった。

「ダムで温泉場が沈むのかあ」と悲しんでも、国で決めたことだから中止にすることはできないと思っていたでしょう。「治水のために必要だ」と言っていた筈なのに、八ッ場ダムが無いせいで甚大な洪水被害が発生したということも無かった。将来の水不足のためと言われたけれど、現実には水余りになっている。近隣県知事が「それならウチが払った金を返せ」と怒っているけれど、ダムができたら要らない水のために水利権を払い続けることになるんですよ。今のうちに放棄した方が賢い判断です。

『薄れゆく記憶の中で』を岐阜で撮影していたころ、長良川河口堰の反対運動は激しかった。にも拘らず、県は強引に推し進めた。金丸副総裁が視察に来たとき、市民は最後のチャンスと思って直訴したが、金丸は「ウン、やはり河口堰は必要だね」と言って帰った。かわいそうな市民は知らなかったのだ、建設すればお代官様が儲かるというカラクリを。その後ろにくっついて歩いていた金庫番が小沢一郎で、彼こそ自民党金権コンクリート構造を最もよく知っている人材なのだ。

しかし、ナンと言っても自民党がぐらつく引き金となったのは年金問題でしょう。年金制度を始めた時、カネは自動的にどんどん集まったが支払うのはまだ当分先の話で、蔵は千両箱でいっぱいになった。
「どんどん使いなされ、もっと懐にお入れなされ。将来困る?そんなことはござんせん。その頃にゃ貨幣価値が変わっておりましょうから。つーか、バレたってその頃にゃ退職金タンマリもらって天下りしてましょうや」「おぬしもワルよのう、ウッシッシ…」なんて年金役人はやっていたのだ。
バレた時には遅かった。年金の大半は無駄なコンクリートになり、払った証拠が無いなんて言われて、もらえない人が出てきたのである。

バレた切っ掛けを覚えていますか?
それは皮肉にも「年金を納めましょう」というCMだったのです。そのCMに出演した江角マキコが年金を払っていなかったということが発覚し、国会で問題になったのです。
ところが、突っ込みを入れた国会議員も払ってなかったりして大騒動!テレビをつければ年金問題で、国民の目はイヤでも年金に集中した。それで更に調査を進めると、ボロがボロボロと明るみに出てきて、内閣もボロボロ。国民生活は小泉老中の改革でボロボロ。年寄りは姥捨て山制度が追い討ちをかけて更にボロボロ。
「オラあイヤだ〜、こんな生活イヤだ〜、こんな政府イヤだ〜」「自民党以外ならナンでもいい」という事態になって老中の交代となったのだ。

そして今、やっと日本が、もしかしたら良い方向に行くかもしれないという希望が持てる時代になった。
だから、無血革命とも言えるこの政権交代の坂本竜馬は江角マキコだったのだ!というのが僕の持論なのです。

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2009年10月14日

前原、がんばれ! 4

「マエハラ、ガンバレ!マエハラ、ガンバレ!」と叫びたくなってしまう。

羽田空港をハブ化するってことは「ハブする」んじゃありませんよ、村八分じゃ。
羽田のハブ化は当然しなけりゃならないことです。今や、韓国の仁川空港がハブになって、アジアの中心空港になりつつある。なぜかって、大きいからですよ、単純に言って。成田空港じゃ滑走路が1本半しかないのだから、所詮無理なんです。

三里塚闘争の時点にだって、羽田空港の拡張計画はA・B・C・D案あり、どれもが成田空港が不要だということを表していた。しかも、成田より早く完成することができた。裏の計画は、どうしても成田に必要だということにして空港を造り、その後、羽田を拡張して、不要になった成田空港を自衛隊がいただくという計画だと言われていた。

飛行機と新幹線の競争では、3時間が分れ目になっていると言われる。つまり、乗っている時間が3時間以内だったら新幹線を選ぶ人が多いということだ。飛行機に乗っている時間が1時間だとしても、羽田まで30分前までに行って、待って、長い通路を歩かされて…を考えたら時間的にもあまり変わらないし、疲れないし、安全確実だし、というわけである。

それと同じことが海外旅行にも言えるのではないか。
アメリカやヨーロッパに行くのなら2時間かかって成田に行っても「まあいいや」と思えるかもしれないが、韓国や香港、グアムに行くのに、乗っている時間よりも乗り込むまでの時間の方が長いというのは合点がいかない。
僕は『デスノートthe Last name』の撮休の日にソウル日帰りしたけれど、羽田発着だったから助かったな。

千葉県知事は怒り爆発しているけれどみっともないね。自民党だからしょうがないとは言えるけど。
でも、考えてみると自民党のアホのツケがここで表面に出てきているのだ。川原湯温泉には2度ほど行ったことがあるけど、八ッ場ダムもそうです。50年も絶望状態に置かれた住民の気持ちは「どうしてくれるんだ!」というもので、本当は誰もダムそのものが必要だと思っているわけではないのではないか。その計画のために壊された生活と見捨ててしまった温泉場をどうしてくれるんだと怒っているのだ。

しかし、解決策はあると思うのだ。

すでに予算の大部分は使ってしまったから、ダムを造らなければムダになるという論理がある。でも、残る予算では完成しないんです。予算を立てるときには少なめに。造り出したらこっちのもの、公共事業に中止の文字は無いんだからどんどん追加予算を計上する。これが常套手段です。東海道新幹線の時もそうでした。「鉄道なんて時代遅れだ」という反対意見を抑えるために、この常套手段が使われました。新幹線は正解だったけれど、ダムは状況が変わっているんだからね、そこを考えないと。
有明海干拓、長良川河口堰、みんなそうだけど、自民党議員を潤すために自然を壊してきたのです。これからは逆に、そういう不要物を解体して自然を回復する工事に、ゼネコンはビジネスチャンスを見付けなさい。いや、地元土建業者が住民ぐるみで手を挙げなさい。

八ッ場ダムの場合は工事の進んでいる付け替え道路とあの有名になった高い橋は完成させ(日本変革の象徴として観光資源にもなる)、代替地に引っ越してしまった住民の希望を聞いて、その生活を保障し、幸いにも!捨て去られた感のある川原湯温泉は九州の黒湯温泉などを手本として、「自然の中にある温泉」をテーマとする方向で再建し、政府がそれを法を改正してでも援助するべきだと思う。それにどれだけ予算を使っても、ダムをこれから造るよりも圧倒的に安い!

これからも前原国交相の仕事は多く、重要だ。日本がやっと良い方向に進むかもしれない。前原さんを選んだ鳩山由紀夫はエライ!

日本道路公団に就職した息子が小学生だったころ、鳩山さんが民主党の党首になって、テレビのニュースに出るようになった。それを見た息子が「アッ!鳩山の親爺がテレビに出ている!」と叫んだ。今、モスクワに留学しているご子息と同級生だったのだ。
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