2009年10月12日

朝倉摂さんがカワイイ! 5

このところ、朝倉摂さんのドキュメンタリーを撮っている。
横浜のBankARTというところで、舞台美術のワークショップを毎週土・日に開いているんだけど、その記録を撮っているわけだ。

朝倉摂さんと言えば、映画では篠田正浩、松本俊夫、市川崑監督の美術監督をしていたが、もとは日本画家で、舞台美術の仕事の方が多い。80歳を過ぎてもその毒舌は衰えず、それがまたナンとも可愛らしいのである。

お父上は彫刻家の朝倉文夫氏で、「いつまで谷中の朝倉邸にいらしたんですか?」と聞くと「二十歳ころまで」とおっしゃった。じゃあ、ニアミスしてたかなと思ったんだけど、いま調べてみたら、10年ほどギャップがあった。佃煮屋の話し、兄弟で店を並べている喫茶店の話しなどは一致したのだけどね。

子供のころ、八百屋の屋根越しに見える真っ黒で真四角な、屋上に真っ黒な「考える人」が座っている屋敷は気味悪かった。黒い扉はいつも閉まっていて、中をうかがうこともできない。何度もバアチャンに「あれ、なあに?」と聞いたものだ。「朝倉さんのお屋敷だよ」と言われても、その朝倉さんってナンなのか、2歳や3歳の子供にわかるはずもない。

撮影助手をしているころ、師匠の吉岡康弘がよく「せっちゃん、せっちゃん」と言っていたので、もっと若い人かと思っていたのだけど、宮川一夫さんを訪ねて『舞姫』の撮影現場に行ったとき、結構なお婆ちゃんだなあと思った記憶がある。20年前のことだ。そのときも帆船の甲板でパラソルを持つ女性のエキストラに「ナンテ持ち方をしてんのよ!」と怒鳴っていて、元気だなあと思った。

でも、素晴しい才能を持つ人を撮影できるのはとても楽しい。劇映画の撮影も良いけれど、ドキュメンタリーは「本物」を撮れるのが楽しいのだ。
今回、とうとうPanasonicのHMC155を買ってしまった。やはり素晴しく活躍してくれている!
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2009年10月06日

日活撮影所の懐かしい面々 3

今日はマイミクさんがメイキングの撮影をしている映画の撮影現場に遊びに行った。

その映画は藤沢周平原作の時代劇で、監督は平山秀幸さん。『学校の怪談』シリーズ、『愛を乞う人』などが有名ですね。和田誠監督の『怖がる人々』の助監督だったので、毎年「和田誠を囲む忘年会」でお会いする。僕は和田誠最後の監督作品(今のところです。まだまだ撮ってほしい!)『ガクの絵本』のメイキングを撮ったという御縁で参加させてもらっている。

平山監督の映画の撮影を担当したことは無いのだけれど、僕がCMで売れっ子カメラマンだったころ、ある住宅メーカーのCMに出演することになった東山君から「ちゃんと演出してくれるディレクターにしてくれ」という要求があったので、僕が知り合いだった平山さんにお願いして、無事にCMを完成したということがあった。

その後、そのとき共演した国分君を主役に、平山さんは『しゃべれどもしゃべれども』という落語家の映画を撮っている。カメラマンは日本映画5本の指に入ると思う藤沢順一さん。そのときも日活のセットに遊びに行った。国分君は「藤沢さんって静かなカメラマンですね」と言っていた。ま、『ファンタスティポ』のときの僕は怒鳴り通しだったからね。今は「笑うカメラマン」と言われているんですけど。

今回のカメラマンは奥田瑛二監督との仕事が多い石井浩一さん。
おお、撮影助手に見た顔が!『クロスファイア』から『ムルデカ』『みんなのいえ』『ホテル・ハイビスカス』『女理髪師の恋』『アイデン&ティティ』『ロード88』まで僕の助手に着いたコだ。
おお、照明技師が見た顔だ!『エンジェル・僕の歌は君の歌』では照明助手だった椎原君。17年ぶりの再会だ。
おお、主役が見た顔だ!いや、豊川悦司だと言われてもチョンマゲだから認識できなかった。こっちを向いてニヤッと笑ったとき、やっと認識できた。彼も18年ぶりの再会だから、ずいぶん貫禄がついて…。映画デビュー作『12人の優しい日本人』を撮ったのだ。挨拶すると妙に甲高い声で「やーどーもー」と声を返してくれたのだが、一緒に渋谷のジャンジャンに芝居を観に行ったことなど覚えているだろうか。

久しぶりに食堂に行くと『1999年の夏休み』の製作部だった田口さんが。今、鴻上尚史監督作品の準備中だそうだ。鴻上さん、次は一緒にやろうって言ってくれたじゃないですか!ウウウ…。

大手CM会社のプロデューサーとも久しぶりに遇った。6番ステージでCMの撮影をしていると言う。覗いてみると、おお、懐かしい顔が!映画デビュー作『シュート!』を撮ったのだ。そのとき僕たちは木村拓哉を知らなかった!キムタクという言葉は無かった!岩のセットの上に立っている木村君に挨拶すると「オッ!」と16年前を思い出してくれたようだった。
しかし、それ以上、会話は続かなかった…。

帰りがけにポスプロセンターを覗くと、「高間さーん!」と出てきた人が。よく見ると荒戸源次郎さん。太宰治作品の仕上げをやっている。僕の「顔認識能力」が低いのか、年取って昔の記憶ばかりが強く残るのか、なにせ40年前は奇怪な(失礼!)大男という印象でしたから。
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2009年10月02日

やぐちひとり 4

昨日だったか一昨日だったか、テレ朝の『やぐちひとり』のオンエアが最終回だった。
「また同じメンバーでいつか再開したいね」と言っていたけど、それが意外と早く実現した。その、再開第1回が今晩だったのだ!地デジのMXTV(と思ったけど)だから、我が家では見られないんだ、お恥ずかしい話し…。

でも、ナンとしても見たい!何故かって、私メが出演してるんです、今日から4回!映画の撮り方を2人にコーチするって役回りでね。

実はこの番組のプロデューサーが喜多一郎さんという人で、『Life on the longboard』とか『サンシャインデイズ』の監督なのだ。
『Life on the longboard』は種子島で5年前に撮影したのだが、南の島3部作という構想を持っていて、「次はハワイ!シナリオはできている!」と言われながら数年経っている。
久しぶりに電話が来たので「いよいよか!」と喜んだのだが、「いや、ちょっとテレビに」と頼まれて厚顔をサラシテしまったのである。

準備の間に劇団ひとりさんと『嫌われ松子』の話しなどをした。
ひとりさんの出演シーンとなった超ボロアパート。そこに『真木栗ノ穴』のロケハンのとき、ボロアパートを探しに行ったのだ。そしたら深川栄洋監督は、その左隣りの崩れかけたアパートを気に入って、嫌われ松子アパートは控え室として活躍したのだった。製作部はその部屋に泊まりこんで、ロケ現場を見張っていたのだ。

矢口真里さんも勘のいい人で、カンペに従って、それとは悟られないように、巧妙に番組を仕切って行く。
第1回は「パーン」の練習だったのだけど、男女のモデルに芝居をさせ、それを我々3人が順番にパーンを使ってビデオ撮影するという段取り。最初に矢口さんが撮影したのだけど、これが実に上手くって、本当に感心してしまったのである。「最後に手本を」と言われて恥ずかしいくらいだ。頭の回転も良いし、可愛いし、撮影助手にならないかなあ…。
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2009年09月29日

大変なことになってきた! 4

こんなホームページが出ている。プロダクション・デザイナーだって!

http://www.todayisthedaymovie.com/Today_is_the_Day/News/Entries/2009/9/26_Production_Designer_Made_In_Japan__Kenji.html
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2009年09月20日

『南国料理人』じゃなかった 3

『南極料理人』を観てはいけない。お腹がすいているときにね。
南極では本当にこんな豪華な食事をしているの?
唾液が口の中に溜まってきて、何度もゴクリと飲み込まなければならなかった。
高級旅館のような料理、伊勢海老のエビフライ、巨大なローストビーフ、蟹の食べ放題…。そして行き着く果ての究極の感動料理がラーメン!だったという料理人の心境や如何に!ラストの後味も良かったです。堺雅人を連れてロケに行きたい!

この作品の撮影監督は芦澤明子くん。『60歳のラブレター』に続く快挙だが、こんなの撮っているなんて一言も言わないんだもんナー。
彼女は『みすず』あたりから急速に上手くなった。大器晩成というんだろうか。『火星のわが家』なんかは、まあ普通で、特にどうということもなかったが、そのころ、全国に消えゆく木造校舎を探し歩き、「木造校舎の思い出」関東編、近畿・中国編の2冊の写真集を出した。
僕が『遠くへ行きたい』で連れて行ったのがキッカケになっていると思うのだけど、本人はそうは言っていない。他のことがキッカケだと書いている。とにかく、教育委員会などに電話をかけ、木造校舎の有無を取材し、車の免許がないから、列車とタクシーを乗り継いで撮影に行ったと、やっとのことで聞き出した。彼女ほど、自慢話しをしない人も珍しい。そういう人柄が黒沢清監督や五十嵐匠監督はじめ、多くの監督の指名を受けることにつながっていると思う。

そう言えば『守ってあげたい!』という映画もあったな、と思いながらアカデミー外国語映画賞日本代表に選出された『誰も守ってくれない』を思い出した。単なる語呂合わせだけど。

先日、ポン・ジュノ監督の『母なる証明』試写を観ようと、表参道で銀座線に乗り換え、空席を探してウロウロしているとポンと肩を叩かれた。振り返ると、8月に撮影していた『妻旅(仮題)』のシナリオライター山田耕大さん。
「どこに行くの?」
「し、試写です」と『母なる証明』の試写状を見せると
「あ、僕も行こう」と言って試写状をポケットに入れ、次の駅で降りてしまった。

映画美学校の試写室には、止む無く顔パスで入った。いや、もう少しでドアを入ろうというところで名前を呼ばれた。ムム、うるさい奴が現れたかと振り向くと助監督のジョンくん。『ロード88』のロケでとろろうどんが食べられなかった韓国人青年だ。ポン・ジュノ監督の助監督をしたり、ナンチャッテ監督をしていると言っていた。頑張って欲しいな。

パンフによると、この『母なる証明』がアカデミー外国映画賞の韓国代表に選出されたそうだ。うーん、そーかー、この作品が我らの『誰も守ってくれない』とハリウッドで対決するのか。どっちが強いかなー、微妙なところだなー。『誰も…』の方がスピード感もあるし、現代的な問題意識もあるから外国語映画賞に強いと思うし、『母なる』は特殊な環境であることがグローバル性を欠くとも言えるけれど、いい味出しているからなぁー。
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2009年09月17日

カレーが白い! 1

ステンレス鍋の蓋を取った。二日前のチキンカレーの表面がなんだか白い。昨日の朝はバタートーストにのせて食べたのだけど、とても美味しかった。なのに、匂いを嗅いでみても昨日とは違う。
秋になったと思って油断したのがいけなかった。黴がはえたらしい。即、また、新聞紙の袋へ。

このチキンカレーの作り方は30年ほど前、『銀花』の仕事で吉岡康弘の助手として、京都に住む陶芸家・下村良之助さんの家に行ったとき御馳走になって、作り方を教わったのだ。下村さんはインドに行ったとき覚えたのだそうだ。

材料は、骨付き鶏肉、玉葱、バター、カレー粉のみ。
薄切りした玉葱を狐色になるまでバターで炒める。別のフライパンで鶏肉を骨付きのままカレー粉を入れて炒める。それを玉葱の鍋に移し、水を足して煮込む。それだけなのに、今まで食べてきたどのカレーよりも美味かった。

その調理法を真似して、僕も何回も作った。自信が無いのでカレー粉だけでなく、市販のカレールーも入れてしまう。鶏肉をカレー粉で炒めるとき、みじん切りしたニンニクと生姜も入れる。煮込むときにはローリエも入れる。グローブも入れる。シナモンも入れる。

今、ちょうど天山山脈を越えている戸井十月さんとオーストラリア一周に行ったとき、砂漠を横断中、僕がカレーを作ることになったのだけど、戸井さんが「ジャガイモとニンジンが入ってなきゃカレーじゃない!」と言い出し、僕が「絶対に入れない!」と反対して険悪な雰囲気になった。
僕はみんなの多数決を採り、「入れない票」を勝ち取ったのだけど、それでも戸井さんは納得せず、妥協してニンジンだけ入れたのだった。
戸井さんはこの事件がひどく印象的だったらしく、あれから10年過ぎても、『わたしが子どもだったころ』のロケで、まだこのカレー事件を話題にしていた。

カレーは1日2日置いた方が美味くなるのに黴させてしまって、返すがえすも残念だ!そんなことならダイエットを考えず、腹いっぱい食べておくんだった。嗚呼…。
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2009年09月02日

DVD三昧の日々 3

ドトーのロケから戻って1週間、だらだらとDVDを鑑賞して過ごしている。その合間にキッチンに立つ。

深鍋にお湯を沸かして塩を入れ、スパゲティを茹でる。ニンニク3片を薄切りにして少量のオリーブオイルで煮る。去年、タイでもらった鷹の爪3本の種を除いて、同じフライパンに入れる。本来はこれだけでもペペロンチーノなのだが、昨日のJSC懇話会も粗食だったので、冷凍してあったベーコンも入れたりしていると尿意が我慢できなくなり、トイレに入る。
「あ〜、そろそろ塙監督にも電話を入れないとナァ…。ラッシュも見たいし」と思いながら出てくると携帯が振動している。塙監督からだった!

時々こういうことがある。「虫の知らせ」というか「テレパシー」というか。
昨日、HDDを受け取ってMacに取り込みを始めたのだと言う。来年冬の撮影も残っているし、編集時間はたっぷりあるから慌てていないのだろう。それより主な用件は、ロケ中にちょっと話題になっていた、お互いの共通の知り合いの某有名プロデューサーとの飲み会の日取りの打診だった。

もう何年前になるだろう。『南極物語』『敦煌』のカメラマン、椎塚彰さんから電話があり「仕事がダブってしまったから、俺の替わりに雪の実景撮りに行ってくれ」と頼まれた。それで、そのプロデューサーの弟さんの勤める日産の営業所で4WDを借り、撮影助手と蔵原惟繕監督を乗せて富山県八尾町に行った。
宿で休んでいるとチラチラと雪が降ってきたので、二人の助手と取り敢えずという気持ちで町の実景を撮影した。雪はすぐに止んだので宿に戻ると、まだ監督とプロデューサーは寝ていたのだが、それっきり二度と雪は降らなかった。

IMAGICAでのラッシュには椎塚さんも来てくれた。主役は北大路欣也さんと高橋惠子さんだと言われていたが、なぜか本編の撮影に入れず、椎塚さんはアルメンドロスの後を追うように亡くなってしまったのだ。
葬式のとき、「椎塚さんの弔い合戦やろうな!」と言ってくれた蔵原監督も、それが果たせないうちに永い旅に出たのだった。

さて、またDVDに戻らなければならないが、これはただ好きで観ているのではない。某機関から、私が劇場で観ていない分の20枚の邦画が送られて来ているのだ。観ている邦画は撮影した作品も含めて5本しかないのだから、如何に邦画を観ていないかの証拠みたいなものだ。この中から、某国の某○○○○ー賞の某部門に送り出す作品を1本決めなければならない。

ここ数十年(はオーバーかな)送っても送ってもノミネートにすら引っ掛からなった。数年前やっと『たそがれ清兵衛』がノミネートされただけだ。3年前、これなら同賞に受けると思った『フラガール』もダメ。2年前、ならば絶対的に良い作品をと思った『それでもボクはやってない』もダメ。やっと去年『おくりびと』がノミネートされ、やれやれと思っていたら同賞を獲得してしまった。本当に嬉しかった。
この作品は予備知識無くDVDを観て(予備知識が無いということが如何に普段サボっているかという証しなのだが)ファーストカットから面白かった。「ナンナンダ、これは!タダモノではない!」と思わせる画に惹きつけられた。

某映画大国の映画はみんな、ファーストカットに工夫を凝らしている。始めにガツンと観客の心を奪わなければならない。それに比べると、今見ている映画は「始めは退屈かもしれないけれど、そのうち面白くなりますよ」的なものが多いので、映画祭には向かない。世界の映画祭では、最初の5分で、観客はどんどん出て行ってしまうのである。また、そういう映画は、最後まで観ていても面白くならないことが多いのである。それにしても外人相手に『○り○カ○誌』は無理でしょう?
でも『○も○っ○く○ない』なんかは最初から最後まで、意外と面白かったですよ。
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2009年08月27日

ハムとの別れ 2

3週間以上のロケから帰って、恐る恐る冷蔵庫を開けると、ありました、茶色くドロドロになった野菜サラダが。

出かける前日、冷蔵庫の野菜を全部食べてしまおうと、レタスサラダを作り、実家から送られてきたボンレスハムを豪華に厚切りして散りばめたのだが、やはり多すぎて、ドンブリ一杯残ってしまった。
それをタッパに詰めてロケに持って行こうかと考えながら寝たのであるが、翌朝、目覚ましで起きたにもかかわらず、たるんで二度寝してしまい「ウワッ!遅刻だ!」。慌てて飛び出てしまったので、サラダのことなどすっかり忘れていた。

袋状にした新聞紙に元サラダを流し込み、更にビニール袋に入れて捨てた。
しかし、冷蔵庫にはほとんど減っていないボンレスハムが…。これは食べられないものだろうか。よく見ると、表面はブニョブニョになって茶色に変色している。その部分を包丁で切り落とし、厚切りにして周りも削り取り、ブラックペッパーを振り掛けて焼き、粒々マスタードを塗った食パンに挟んで食べた。ちょっと本来の味と違うけど、始めからそういうもんだと思えば、まあいいか。

でも、というか、やはり、というか、数時間後に下痢をした。腹痛は無かったから、気のせいだったかもしれないな。しかし、残りのハムとは サヨナラしよう。今日は三浦友和さん主催の中打ち上げだし。
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2009年08月26日

怒涛のラストスパート 4

『死にゆく妻との旅路(仮題)』の夏篇撮影も残り僅かとなり、行動は俄かにハゲシクなった。

8月21日、氷見漁港は最後の撮影。
ワケアリで家に帰れない三浦友和さんと石田ゆり子さんは、漁港の片隅に停めたボンゴの中で生活しているのだ。
その昼食はまたしても出現した恐怖の巾着餅味噌汁煮込み!当のケイタリングくんは悪びれた様子も無く「♪もちきん、♪もちきん」と陽気にはしゃいでいる。さすがに僕は遠慮して汁だけもらった。しかしこれがスッゴク辛い!「身体に悪いものばかり出るわよねー」と石田さんは穏やかだったが、僕は「味噌汁辛過ぎるよ!巾着餅なんか食べたくねえ!野菜出せ!」とイカってしまった。

夜は氷見市からの差し入れで、豪華な割烹弁当。氷見牛照り焼き、つくね、野菜煮物、松茸ご飯…、どれも深ーい味わいがあり、僕たちはゆっくり噛み締めて食した。一緒に出された卵野菜スープも素晴しく美味しく、さすが割烹!と思ったら、これは制作部山本礼二くんが作ったのだということを後から知った。もちきんケイタは何だったんだろう。挨拶も無く、東京に帰ったそうだ。

22日は氷見最終日。
朝から町の縫製工場で回想シーンの撮影。とろろ昆布と海苔を巻いたオニギリ、美味しい味噌汁を工場で出しくれた。このロケ一番の豪華な朝食かも。
石田ゆり子さんの若い頃を『サンシャインデイズ』の西原亜希さんが演じた。僕が「似ている」と言ったことがキャスティングの原因となったそうだ。自分では全く忘れていたけど、塙監督が「似ている」と言ってくれて助かった。
昼も市からの差し入れ弁当で、アパートを借りて回想シーン。
このアパートのオーナーはちょっと危なそうに見えるオジサンだが、撮影隊が無料で泊まれる施設を造るのが夢だと言っていた。
それが終わると氷見市民病院に移動して、赤ちゃんに沙織と名付けるシーン。赤ちゃんの機嫌が良かったので助かった!

これで夏の氷見ロケは終了、一行は鳥取へと向かう。が、実景班は機材車とボンゴで神戸に向かった。夜の神戸ポートタワーをボンゴから撮影して鳥取のホテルに入ったのは午前2時!

23日は4時半に出発!鳥取砂丘で撮影。小高い丘に5尺イントレを立て、日の出を待つ。5時半頃、雲の割れ目から朝陽が射し、砂丘が美しく浮かび上がるが、二人の俳優さんに向かって自分の長ーい影が出てしまった。「どうしよう、どうしよう」と慌てふためいている間に太陽は再び雲の中へ。太陽待ち。待っている間に陽も高くなるから影問題も解決するだろうと思っていたら、早くも長蛇の観光客がロングに現れた!「ウワッ!あれが画面に入る前に撮らなければ!」と太陽を諦め、曇りで撮影。その後、ドアウェイドリーなど使って数カット撮影したが、太陽が出ることは無かった。太陽が出たら出たで、光線はどんどん変化するから、また別の苦しさがあったはず。この映画は曇りこそ相応しいのだ。シナリオ上は雨設定だったし。

で、僕たちは自棄になることも無く姫路に移動。
フィルムコミッションの助けで、姫路城敷地内もスムーズに撮影。見物人から急遽募集して通行人をやってもらった。
ここで台湾から来た龍くん演じる写真屋さんが記念写真の勧誘をする。その彼が持っているカメラはCanon EOS-1Dsという最高級のデジタル一眼レフカメラだ。わざわざキヤノンが送ってくれたものだが、数秒しか登場しなかった。すみません、キヤノンさん。
昼食は撮影でご迷惑をかけた食堂で、ほぼ全員がカツカレー。食べるとすぐに明石に移動。

明石に着くとすでに陽は西に傾き、ボンゴの後部ドアを跳ね上げて、レール2本の移動撮影。西陽がピカッ、ピカッと画面に入ってきていい感じだった。

終わると静岡県清水まで行って宿泊。この日も2時。

24日の朝はホテルの朝食バイキング。久しぶりに普通のサラダが美味しかった。スタッフと「恐怖のケイタリングは野菜が…」なんて話してたそこに「お早うございます!」と入ってきたのが「もちきんのケイタ」!ナンナンダ、このタイミングは!
で、昼食は昨日も食したカツカレー!
いちご街道、三保の松原、ヨットハーバーで撮影し、夜は清水駅前で雨降らし。消防車1台と水道栓からのホース。地方では消防署が雨降らしに協力してくれることが多い。しかし、それが専門職ではないので、上手いとは言い難く、細かく具体的に指導しないと良い雨は降らないのだ。びしょ濡れになった。

夕食は夜目にも貧しいケイタリング弁当。しかも数が足りない。足りない分はプロデューサーが買ってきたのだが、そっちの方がずいぶんと豪華に見えた。

25日、いよいよ最終日。清水を出発し、甲府駅前に移動。友和さんがホームレスを見るシーン。これは予てからウチトラ(スタッフがエキストラ出演すること)が予定されていたのだが、それに相応しい人に拒否されたため、フィルムコミッションの協力を仰いだ。

昼食はゆり子さんオゴリのうなぎ弁当!幸せ〜。

午後はボンゴを暴走させる山道を探して撮影し、終わると陽が暮れていた。山の中の湖畔で冬の再会を誓ってお疲れ乾杯!

富山、石川、福井、鳥取、岡山、兵庫、静岡、山梨…。4000キロを超える旅であった。思えばこのロケは差し入れに支えられていた気がする。そもそもケイタリングの米2俵からして、地元出身プロデューサーの実家からの差し入れだったのだから。ありがたや。
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2009年08月19日

差し入れの日々、氷見カレー 2

金沢から宿泊地を氷見に移して、昨日は撮影始まって二度目の撮休!と言っても、撮影部と少数のスタッフはボンゴの走りの実景撮りに出発。

富山県滑川で、悪天候のため撮りこぼしていた○田○○子さんのアパートの窓から見た目の景色。そして石川県小松市に移動して、ボンゴのタイヤなめの走り実景撮影。そして福井県三国海岸に移動。高台から海岸線を走ってくるボンゴを撮影。しかし、乗っているはずの○浦○○さんと○○ゆ○○さんはお休みなので、スタッフがスタンドインをやらなければならない。と思って見回しても、三○○○さんに似ているのは私メしかいないので、カメラを助手君に任せてハンドルを握る。隣には石○○○○さんといい勝負の美人プロデューサー○木○○さん。

それが済むとまた石川県に戻って東尋坊の夕陽を撮影。ラストカットに使用する予定。そして暮れなずんでゆく道をボンゴの車内から撮影しながら氷見に戻る。

氷見という町は、町をあげて撮影に協力的で、今日は夕食に氷見牛カレーを直径50センチの大鍋2杯、差し入れしてくれた。これは、氷見牛カレー研究会というのがあるそうで、数日前から差し入れの申し出があったのだ。ならば、我がケイタリング君には、日ごろ野菜不足なので、サラダでも作ってもらおうとリクエストしたのだけど、出てきたのは味噌汁!カレーに味噌汁!夜の浜辺で受け取ると、モッコリ膨らんでいるのだ味噌汁が!ヨッコラセとスプーンで持ち上げてかじると、それはアブラゲに餅が入ったいわゆる巾着餅!味噌汁というよりは巾着餅の味噌煮込みだ!

今日の夕食に並んだ差し入れはそのほかに、トマト、きゅうり、きゅうりにつける味噌、いわしの缶詰、瓜の奈良漬、卵豆腐などなど。○○○和さんと石○○り○さんからは毎日のようにお菓子。昼間は近所の島尾海浜植物園からジュース類。制作部からは向かいのお店で100円かき氷食べ放題!

肝心の氷見牛カレーの味はどうだったんだ?

大鍋カレーの差し入れで思い出したのは、20年前、戸井十月監督の『風の国』の山の中のロケで、弁当に飽きたスタッフに出されたのが○○友○さんが持ってきた大鍋のカレー。スタッフは当然「ウワッ!○も○ちゃんが作ったカレーだ!」と小躍りして喜んだ。で、○和さんが「僕が作りましたァ」 で、スタッフが「あ・・・・そうなの」
でも、美味しかったです。

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