2009年01月15日

『プライド』あさって封切り 1

映画『プライド』の封切りが今週の土曜に迫っているので、ずっとテレビをチェックしているのだけど、スポットCMも番組での紹介も見たことが無い。シャチホコやゴジラがマスクをしている『感染列島』ばかりが報道されている。ミッチーが出演していると思ったら、別の主演映画のことだけ話している。
大丈夫なのか?これで!

封切り日に観客が入るか入らないかは、ヒジョーーーーーーに重要なことなのだ。舞台挨拶があって満員となり、日を追って徐々に観客が少なくなるというのが一般的なパターンで、どれだけ客足が落ちないかというところが勝負なのだ。初日がガラガラで、徐々に口コミで満員になっていくというのはあり得ないのである。映画館は待ってくれない。成績が悪ければ、すぐに打ち切って『稲村ジェーン』をかけるというのがパターンだった時代もある。

金子修介監督が一昨日の読売新聞で語っているように、3本続けてコケると「あの監督の作品は当たらない」という風評が立ち、発注が来なくなる。『デスノート』『デスノートthe Last name』の80億円大ヒットの記憶が新しいうちに、この『プライド』でもガツンと中ヒットぐらいは飛ばしてほしいのだ。

撮影監督の場合は興行成績が良くても悪くても収入に変わりはないし、次の仕事への影響も監督ほど厳しいものではないけれど、やはり、多くの観客に喜んでもらえるということは嬉しいことだし、元気も沸いてくるのだ。
特に『デスノートthe Last name』は故・高瀬比呂志君のピンチヒッター、『プライド』の場合は蔦井孝洋君のピンチヒッターとして登板したのだから、ヒットを打たないと役目を果たしたことにならないのである。

それよりも恐ろしいのは、他人の作品のトバッチリである。
僕が今、頻繁にブログを書いているというのも、その作品がコケたお蔭で、1月2月の仕事が無くなってしまったからだ。その仕事がうまくいったら、8月にはN川監督の上海ロケの仕事もあるよと言われていた。ガ〜〜〜〜ン。

そのコケた作品は、製作費3億、P&A(プリント代と宣伝費)2億と言われていたが、そのときのスタッフの話だと、製作費は実際には1億しか無かったそうだ。そして、全国200館で上映され、興行収入は4000万円!
すると平均、1館の売り上げが20万円。2週間で打ち切りになったそうだから、週10万円。1日14286円。平均入場料金は1400円から1500円で計算することになっているから、1日の観客は平均10人。1日5回上映だったら1回に2人、4回上映でも2.5人しか入っていないことになる。しかし、初日には都心で3割程度入っていたと言うので、0人の回も多かったのではないか。

ま、計算しても虚しいばかりだ。

あまりに暇なので、毎日朝寝坊している。起きると12時だなんてこともあり、自己嫌悪がつのって来る。今日は小林政広監督が特別に呼んでくれた『ワカラナイ』の試写を忘れて眠りこけていた。本当にごめんなさい。
数年前、3ヶ月仕事が無いことがあり、「もう、一生、休みは要らない!」と痛切に思ったのに…。反省!
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2009年01月12日

JSC新春パーティと三浦賞 4

去る1月6日、京王プラザホテル花の間でJSC(Japanese Society of Cinematographers=日本映画撮影監督協会)の新春パーティが開かれた。

そのパーティが開かれる前、恒例のJSC賞と三浦賞の授賞式がある。
JSC賞は、三浦賞の対象外の分野のカメラマンに与えられる撮影賞で、三浦賞は、故・三浦光雄カメラマンの功績を称え、デビュー作から5本以内の劇映画のカメラマンに与えられる撮影新人賞だ。
ちなみに僕はデビュー作の『月山』で「非常に惜しい!」と言われつつ、取り逃がしたのである。30年前のことだから、日本映画の黄金時代のカメラマンが審査員で、「ワシらの時代には、こんなもんじゃなかった」みたいな感覚が残っていて、審査の基準が重箱の隅をつつくような、時代遅れに厳しいものだったのだ。それで「該当者なし」が何年も続いた。

その後、審査員が僕たちの世代になり、「新人賞なのだから、出すことに意味がある」という意見が大勢を占めるようになった。また、「カメラマンと言えば劇映画」ばかりではなくなったので、テレビ映画、ドキュメンタリー、展示映像など幅広く、新人カメラマンに限定されない撮影賞としてJSC賞を設けたのである。

三浦光雄さんは、五所平之助監督、豊田四郎監督らと組んで、数々の名作を残したカメラマンで、代表作は『藤十郎の恋』『川中島合戦』『煙突の見える場所』『雁』『夫婦善哉』など。『猫と尚造と二人のをんな』が最後の作品となった。

『猫と庄造…』では、晴れている砂浜が、一天にわかにかき曇り、土砂降りの雨になるシーンがある。もちろん、その中で芝居もあり、天気待ちをしなければならないので、当時、製作部は1週間の撮影期間を予定していた。ところが快晴で撮影しているうちに曇ってきて、しまいには本当の夕立が降ってきたので、1日で撮影してしまったそうだ。だから、もの凄く忙しい撮影になって、その疲労のためか、三浦さんはクランクアップを待たずに亡くなってしまったのだ……
という話しを三浦さんのチーフ撮影助手をしていた故・伊東英男さんから伺った。で、伊東さんは残りの部分を撮影し、作品を完成させた。

猫が屋根から降りて井戸に向かう俯瞰のカットは苦労したと言っていた。二階にカメラがあって、カメラ下からフレームインした猫が一階の屋根を歩いて行って飛び降りる。飛び降りるんだけど、その猫が絶対に井戸に行かない。そこで伊東さんは兄弟の猫を用意させ、飛び降りたタイミングでその兄弟猫を放させた。井戸の陰には親猫を隠しておいたので、そっくり猫は井戸の方に歩いて行き、1カットでと言う豊田四郎監督の要求に応えることができたそうだ。

その伊東さんは東京映画から出向して『筑豊の子供たち』という名作を残しながら、交通事故で足を骨折し、会社を契約解除となってピンク映画を撮るようになっていた。

若松孝二監督は伊東さんの撮ったピンク映画を見て「どうしてこうも自分の映画のカメラと違うんだ!」とショックを受け、以後、全作品を伊東さんにお願いしていた。そのため伊東さんは、若松プロの専属カメラマンと勘違いされて、ほかからの仕事が少なかったのも事実だ。

その公式行事が嫌いな若松さんがJSC新春パーティに顔を出していたので
「珍しいじゃないですか」と言うと
「これと一緒にやった『連合赤軍』が三浦賞になったからな」と、指差す方向には若きカメラマン辻智彦君が、胸に菊の花飾りをつけている。
辻君は数年前、『日本心中』でJSC賞を受けた。一人で二冠制覇は初めてじゃないだろうか。そのとき、「次は若松監督から声がかかっているんです」と話していたので、僕は「ご愁傷様です」と応えた。
それは、伊東さんが亡くなって以来、鈴木達夫さん以外は組んだカメラマンの悪口ばかり聞かされていたからだ。伊東さんの助手をやっていたとき、若松さんの壮絶な現場は散々見てきた。後悔することになるんじゃないかと心配したからだ。

しかし、アニハカランヤ、『17歳の風景』では他人を褒めたことが無い若松さんが辻君を大絶賛!そしてこの初めての劇映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』三浦賞受賞へとつながったのだ。

授賞式会場に座っていると、後ろから「タカマケンジクン!」という大声が。振り返ると、数列後方の席から木村大作カメラマンが「年賀状ありがとう!」
僕は毎年、JSCの重鎮には年賀状を出していたのだけど、木村さんは返事をくれたことが無かったので、ここ数年は出していなかった。それなのに、今年初めて年賀状が来たので、あわてて返事を書いたのだった。
木村さんの年賀状は初監督作『劔岳 点の記』の宣伝だ。この作品に対する熱意が解る。

ただ、「ありがとう」に終わらず、何かゴチャゴチャ言っているので傍に行くと、「お前!老骨にムチ打ってとは何だ!」と怒っている。若い頃の『八甲田山』ならまだしも、69歳になって雪の剣岳に登ってカメラを回すなど、僕には考えられない。その姿に敬服しつつも「老骨にムチ打って頑張ってますね」と、ちょっと冷やかしたのだ。

ちなみに、『八甲田山』も木村さんが豪雪と格闘して三浦賞を獲得した大ヒット作品で、俳優座映画放送はその利益2000万円を『月山』に投資した。それで高間カメラマンがデビューして三浦賞を取りそこなうという因縁話になるわけなので、木村さんをオロソカにはできない。そのJSC随一のウルサガタ木村大作が僕を相手に怒っている。周囲はハラハラで「お前の方が老骨だ」とか無理言ってフォローしてくれる。でもまあ、本気で怒っていないことは目を見れば解る。いろいろ言い訳をして、「高間ァ、いくつになった?おお、そうかァ、お互い歳だなァ」なんてことで場は収まったのある。僕は10歳年下なのだけど、反論はしなかった。

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2009年01月11日

『地球防衛軍』と『デスノートthe Last name』 4

今、京橋のフィルムセンターで「日本映画史横断?怪獣・SF映画特集」をやっている。

一昨日は50年間待ち続けていた『地球防衛軍』を見に行った。
子供の頃、年に一度の東宝特撮映画が楽しみで、ゴジラやモスラの怪獣シリーズ、『世界大戦争』や『海底軍艦』、『妖星ゴラス』などを見た。ある年は、それが『マタンゴ』で、漂着した男女のグループが醜い食料争いをしたあげく、変なキノコを食べてマタンゴになっていくという、子供にはちっとも面白くない映画で腹が立ったことを覚えている。

『地球防衛軍』は、一人で映画を見に行くようになる直前の映画だったので、見逃していたのだ。なんで親にねだらなかったのだろうか。宣伝ポスターなどを見て、すごーくカッコいい、夢のような映画だと思っていたのに。だから、その後の特撮映画を見ても、『地球防衛軍』の方がもっと技術的に優れた映画だと勝手に思い込んでいたのだ。

フィルムセンターのパンフには「高度なミニチュア技術を堪能することができる」と書かれているけれど、なにせ50年前の映画だからね。ピアノ線は見えるし、ブルーマットの合成マスクははみ出しているし、破壊光線が光っているようには見えないし、ちょっと期待過剰だったかな。場内にもときどき失笑が起きていた。

ロサンジェルスに住んでいたとき、『E.T.』をやっていたシネラマドームの次の作品がアベル・ガンスの『ナポレオン』だった。それは『E.T.』のちょうど50年前の映画だったのだ。それを考えると、なんとなく納得できるような、できないような、奇妙な感じで…。

その日の夜は『デスノートthe Last name』のテレビ放映があり、久しぶりに懐かしく見た。実を言うと、その数日前に自分のDVDを見ていたのだけど、個人的に見るのと、テレビのオンエアを見るのとでは楽しさが違う。テレビは、日本国民の何パーセントかにあたる数百万人の人が一緒に見ているんだなと思うと、なんだか嬉しくなってしまうのである。

あの、キラ対策室は『24』をリファレンスとしてライティングしたのだけれど、やはり「月とスッポン」だったな。ミサミサが監禁されて、マジックミラーの窓を開けているときだけ対策室の明かりを暗く落としたのだけど、そのときだけはちょっと『24』になったかな?他人が撮影した映画は陰影のある素敵なライティングだなと思っても、いざ自分が撮影する段になると「暗い」と言われるのが心配で明るくなってしまうのだ。反省。


A program called the "Cross-section of Japan's Cinematic Past
(Part3): Monster and Science Fiction Film" was held at the film
center in Kyobashi, Tokyo.

I went to see "The Mysterians" the day before yesterday. I had
been waiting for a chance to see it for 50 years! When I was a
child, I looked forward to seeing the Toho's Science Fiction
Movie which played every year. I saw "The Last Year",
"Artagon", "Gorath" and monster serials such as Godzilla and
Mothra. One year, they showed "Matango". The group of men
and women who drifted to the island started to have a nasty
food war. Then finally they ate strange mushrooms and became
Matango. Seeing it as a child the film was rather uninteresting.
I remember being upset about this.

I missed "The Mysterians" as it was before I reached the age of
being allowed to go to theaters by myself. How come I didn't
beg my parents? Looking at a poster of the film, I thought that
it was SOOO cool and such a dreamlike film. After that,
whatever Japanese Science Fiction Movies I saw, I believed
that "The Mysterians" could be technically superior to any of
them.

A brochure from the film center described the film as "you can
enjoy advanced miniature effect." But, see, this was a film of
50 years ago. The audience could see the piano wires and the
mask for the blue mat not fixed correctly. The beam didn't look
like a ray of light. My expectations might have been too high.
Sometimes I heard laughs raising in the theater.

When I lived in Los Angles, Cinerama Dome showed "E.T.". Their
next film was "Napoleon" by Director Abel Gance. "Napoleon" was
made exactly 50 years before "E.T.". Considering that
experience, I had mixed feelings trying to understand the
technical issue at this time, and kind of strange feeling came
to me…

That night, "Death Note: The Last Name" was aired on TV. I
watched it happily. It's been a while since I saw it. Actually,
I had watched it on my DVD several days ago. However, seeing
a film I shot individually and it on TV provided me with a
different joy. When I saw it on TV, I felt that I was watching
it with several million people which reflected some percent of
the Japanese population. Somehow I felt excited.

I used the lighting of "24 Hours" as a reference to arrange the
lighting for the office room for Killa Division. But I guess the
difference between them was like night and day. There was the
scene where Misa Misa was held captive. As the window of the
magic mirror for her room was opened, I made a lower lighting
for the office side. I wonder if this shot might look like
"24 Hours". When I see other people's films with shade and
shadow lightings, I think that they did some very wonderful
work. But when I shoot a film as DP, I'm worried that they may
tell me "it's dark." Because of that, I tend to make bright
lightings. Reflecting to myself…
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2009年01月06日

初夢はミツバ 2

去年の正月のお雑煮には四苦八苦してしまったが、今年はテレビCMで宣伝している「松茸の味お吸いもの」のお蔭で、簡単に美味しく作ることができた。

簡単といっても、こちとら京都の嵐山吉兆に料理の撮影に行っている身分なので、生シイタケには十字の切れ目を入れ、ニンジンは梅の花びらを形取り、大根は扇に切って、大晦日に出汁の素を入れて煮ておく。鶏のささ身は売り切れていたのでもも肉で代用。これも出汁で煮る。
ほうれん草は根の部分に十字に切れ目を入れて、土が落ちやすくしてしばらく水につけ、根の方から熱湯に入れてさっと煮る。
タケノコは細かく切って水煮した袋詰めを買った。
紅い蒲鉾は包丁をひらひらと泳がせながら切り、扇の断面を作る。
去年買いそびれたミツバは2本まとめて結んでおく。

ミツバ以外は椀に入れ、電子レンジで温め直す。そこにこんがり焼いた餅を載せ、鍋で沸かした松茸の味お吸いものをそそぎ、ミツバを飾る。

これが本当に美味い!前日に届いた「魚がし日本一」のおせちと併せて、結構な正月気分だ。

2回分の材料を仕込んであったので、夜もまた松茸の味お吸いもの雑煮を食べ、満足感でいっぱいになって寝た。で、変な夢を長々と見ていたのだけど、最後になぜか、流しの調理台の隅に結んだミツバが置いてあるのだ。ハッと目を覚ます。
そうだ!夜の雑煮にミツバを入れるのを忘れた!
冷蔵庫に入れられたままのミツバの怨念が夢に現れたのか!
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