2009年10月16日

江角マキコに国民栄誉賞を! 3

思ったとおり、前原国交相と会談した千葉県知事は「同じような意見だったよ」と笑っていた。だから最初から前原さんはそう言っていたじゃないですか。森田さんこそ人の意見をよく聞いて判断しないとみっともないですよ。「もっと知的な人を選ぶんだったなあ」と、千葉県民は今、思っているかもしれません。
あの、すぐ怒る性格、僕にはよく解るんです。僕もそうでしたから。
助手のころ、師匠から「怒れ、怒れ」と教育されて、機材屋の爺さんをクソミソに怒鳴ったら、あとでその人は『浮雲』など、成瀬巳喜男監督の名作を撮った名カメラマンの晩年の姿だとわかったなんてこともありました。

「成田は遠いなあ、不便だなあ」って、近隣住民以外みんなそう思っているでしょう。でも、国が決めたことだからしょうがない。撮影で海外ロケに行くとき、飛行機に乗り込むまでに疲れきってしまい、滑走したのは覚えているけど飛び上がった記憶が無いということがよくあった。

「ダムで温泉場が沈むのかあ」と悲しんでも、国で決めたことだから中止にすることはできないと思っていたでしょう。「治水のために必要だ」と言っていた筈なのに、八ッ場ダムが無いせいで甚大な洪水被害が発生したということも無かった。将来の水不足のためと言われたけれど、現実には水余りになっている。近隣県知事が「それならウチが払った金を返せ」と怒っているけれど、ダムができたら要らない水のために水利権を払い続けることになるんですよ。今のうちに放棄した方が賢い判断です。

『薄れゆく記憶の中で』を岐阜で撮影していたころ、長良川河口堰の反対運動は激しかった。にも拘らず、県は強引に推し進めた。金丸副総裁が視察に来たとき、市民は最後のチャンスと思って直訴したが、金丸は「ウン、やはり河口堰は必要だね」と言って帰った。かわいそうな市民は知らなかったのだ、建設すればお代官様が儲かるというカラクリを。その後ろにくっついて歩いていた金庫番が小沢一郎で、彼こそ自民党金権コンクリート構造を最もよく知っている人材なのだ。

しかし、ナンと言っても自民党がぐらつく引き金となったのは年金問題でしょう。年金制度を始めた時、カネは自動的にどんどん集まったが支払うのはまだ当分先の話で、蔵は千両箱でいっぱいになった。
「どんどん使いなされ、もっと懐にお入れなされ。将来困る?そんなことはござんせん。その頃にゃ貨幣価値が変わっておりましょうから。つーか、バレたってその頃にゃ退職金タンマリもらって天下りしてましょうや」「おぬしもワルよのう、ウッシッシ…」なんて年金役人はやっていたのだ。
バレた時には遅かった。年金の大半は無駄なコンクリートになり、払った証拠が無いなんて言われて、もらえない人が出てきたのである。

バレた切っ掛けを覚えていますか?
それは皮肉にも「年金を納めましょう」というCMだったのです。そのCMに出演した江角マキコが年金を払っていなかったということが発覚し、国会で問題になったのです。
ところが、突っ込みを入れた国会議員も払ってなかったりして大騒動!テレビをつければ年金問題で、国民の目はイヤでも年金に集中した。それで更に調査を進めると、ボロがボロボロと明るみに出てきて、内閣もボロボロ。国民生活は小泉老中の改革でボロボロ。年寄りは姥捨て山制度が追い討ちをかけて更にボロボロ。
「オラあイヤだ〜、こんな生活イヤだ〜、こんな政府イヤだ〜」「自民党以外ならナンでもいい」という事態になって老中の交代となったのだ。

そして今、やっと日本が、もしかしたら良い方向に行くかもしれないという希望が持てる時代になった。
だから、無血革命とも言えるこの政権交代の坂本竜馬は江角マキコだったのだ!というのが僕の持論なのです。

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2009年10月14日

前原、がんばれ! 4

「マエハラ、ガンバレ!マエハラ、ガンバレ!」と叫びたくなってしまう。

羽田空港をハブ化するってことは「ハブする」んじゃありませんよ、村八分じゃ。
羽田のハブ化は当然しなけりゃならないことです。今や、韓国の仁川空港がハブになって、アジアの中心空港になりつつある。なぜかって、大きいからですよ、単純に言って。成田空港じゃ滑走路が1本半しかないのだから、所詮無理なんです。

三里塚闘争の時点にだって、羽田空港の拡張計画はA・B・C・D案あり、どれもが成田空港が不要だということを表していた。しかも、成田より早く完成することができた。裏の計画は、どうしても成田に必要だということにして空港を造り、その後、羽田を拡張して、不要になった成田空港を自衛隊がいただくという計画だと言われていた。

飛行機と新幹線の競争では、3時間が分れ目になっていると言われる。つまり、乗っている時間が3時間以内だったら新幹線を選ぶ人が多いということだ。飛行機に乗っている時間が1時間だとしても、羽田まで30分前までに行って、待って、長い通路を歩かされて…を考えたら時間的にもあまり変わらないし、疲れないし、安全確実だし、というわけである。

それと同じことが海外旅行にも言えるのではないか。
アメリカやヨーロッパに行くのなら2時間かかって成田に行っても「まあいいや」と思えるかもしれないが、韓国や香港、グアムに行くのに、乗っている時間よりも乗り込むまでの時間の方が長いというのは合点がいかない。
僕は『デスノートthe Last name』の撮休の日にソウル日帰りしたけれど、羽田発着だったから助かったな。

千葉県知事は怒り爆発しているけれどみっともないね。自民党だからしょうがないとは言えるけど。
でも、考えてみると自民党のアホのツケがここで表面に出てきているのだ。川原湯温泉には2度ほど行ったことがあるけど、八ッ場ダムもそうです。50年も絶望状態に置かれた住民の気持ちは「どうしてくれるんだ!」というもので、本当は誰もダムそのものが必要だと思っているわけではないのではないか。その計画のために壊された生活と見捨ててしまった温泉場をどうしてくれるんだと怒っているのだ。

しかし、解決策はあると思うのだ。

すでに予算の大部分は使ってしまったから、ダムを造らなければムダになるという論理がある。でも、残る予算では完成しないんです。予算を立てるときには少なめに。造り出したらこっちのもの、公共事業に中止の文字は無いんだからどんどん追加予算を計上する。これが常套手段です。東海道新幹線の時もそうでした。「鉄道なんて時代遅れだ」という反対意見を抑えるために、この常套手段が使われました。新幹線は正解だったけれど、ダムは状況が変わっているんだからね、そこを考えないと。
有明海干拓、長良川河口堰、みんなそうだけど、自民党議員を潤すために自然を壊してきたのです。これからは逆に、そういう不要物を解体して自然を回復する工事に、ゼネコンはビジネスチャンスを見付けなさい。いや、地元土建業者が住民ぐるみで手を挙げなさい。

八ッ場ダムの場合は工事の進んでいる付け替え道路とあの有名になった高い橋は完成させ(日本変革の象徴として観光資源にもなる)、代替地に引っ越してしまった住民の希望を聞いて、その生活を保障し、幸いにも!捨て去られた感のある川原湯温泉は九州の黒湯温泉などを手本として、「自然の中にある温泉」をテーマとする方向で再建し、政府がそれを法を改正してでも援助するべきだと思う。それにどれだけ予算を使っても、ダムをこれから造るよりも圧倒的に安い!

これからも前原国交相の仕事は多く、重要だ。日本がやっと良い方向に進むかもしれない。前原さんを選んだ鳩山由紀夫はエライ!

日本道路公団に就職した息子が小学生だったころ、鳩山さんが民主党の党首になって、テレビのニュースに出るようになった。それを見た息子が「アッ!鳩山の親爺がテレビに出ている!」と叫んだ。今、モスクワに留学しているご子息と同級生だったのだ。
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2009年10月12日

朝倉摂さんがカワイイ! 5

このところ、朝倉摂さんのドキュメンタリーを撮っている。
横浜のBankARTというところで、舞台美術のワークショップを毎週土・日に開いているんだけど、その記録を撮っているわけだ。

朝倉摂さんと言えば、映画では篠田正浩、松本俊夫、市川崑監督の美術監督をしていたが、もとは日本画家で、舞台美術の仕事の方が多い。80歳を過ぎてもその毒舌は衰えず、それがまたナンとも可愛らしいのである。

お父上は彫刻家の朝倉文夫氏で、「いつまで谷中の朝倉邸にいらしたんですか?」と聞くと「二十歳ころまで」とおっしゃった。じゃあ、ニアミスしてたかなと思ったんだけど、いま調べてみたら、10年ほどギャップがあった。佃煮屋の話し、兄弟で店を並べている喫茶店の話しなどは一致したのだけどね。

子供のころ、八百屋の屋根越しに見える真っ黒で真四角な、屋上に真っ黒な「考える人」が座っている屋敷は気味悪かった。黒い扉はいつも閉まっていて、中をうかがうこともできない。何度もバアチャンに「あれ、なあに?」と聞いたものだ。「朝倉さんのお屋敷だよ」と言われても、その朝倉さんってナンなのか、2歳や3歳の子供にわかるはずもない。

撮影助手をしているころ、師匠の吉岡康弘がよく「せっちゃん、せっちゃん」と言っていたので、もっと若い人かと思っていたのだけど、宮川一夫さんを訪ねて『舞姫』の撮影現場に行ったとき、結構なお婆ちゃんだなあと思った記憶がある。20年前のことだ。そのときも帆船の甲板でパラソルを持つ女性のエキストラに「ナンテ持ち方をしてんのよ!」と怒鳴っていて、元気だなあと思った。

でも、素晴しい才能を持つ人を撮影できるのはとても楽しい。劇映画の撮影も良いけれど、ドキュメンタリーは「本物」を撮れるのが楽しいのだ。
今回、とうとうPanasonicのHMC155を買ってしまった。やはり素晴しく活躍してくれている!
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2009年10月06日

日活撮影所の懐かしい面々 3

今日はマイミクさんがメイキングの撮影をしている映画の撮影現場に遊びに行った。

その映画は藤沢周平原作の時代劇で、監督は平山秀幸さん。『学校の怪談』シリーズ、『愛を乞う人』などが有名ですね。和田誠監督の『怖がる人々』の助監督だったので、毎年「和田誠を囲む忘年会」でお会いする。僕は和田誠最後の監督作品(今のところです。まだまだ撮ってほしい!)『ガクの絵本』のメイキングを撮ったという御縁で参加させてもらっている。

平山監督の映画の撮影を担当したことは無いのだけれど、僕がCMで売れっ子カメラマンだったころ、ある住宅メーカーのCMに出演することになった東山君から「ちゃんと演出してくれるディレクターにしてくれ」という要求があったので、僕が知り合いだった平山さんにお願いして、無事にCMを完成したということがあった。

その後、そのとき共演した国分君を主役に、平山さんは『しゃべれどもしゃべれども』という落語家の映画を撮っている。カメラマンは日本映画5本の指に入ると思う藤沢順一さん。そのときも日活のセットに遊びに行った。国分君は「藤沢さんって静かなカメラマンですね」と言っていた。ま、『ファンタスティポ』のときの僕は怒鳴り通しだったからね。今は「笑うカメラマン」と言われているんですけど。

今回のカメラマンは奥田瑛二監督との仕事が多い石井浩一さん。
おお、撮影助手に見た顔が!『クロスファイア』から『ムルデカ』『みんなのいえ』『ホテル・ハイビスカス』『女理髪師の恋』『アイデン&ティティ』『ロード88』まで僕の助手に着いたコだ。
おお、照明技師が見た顔だ!『エンジェル・僕の歌は君の歌』では照明助手だった椎原君。17年ぶりの再会だ。
おお、主役が見た顔だ!いや、豊川悦司だと言われてもチョンマゲだから認識できなかった。こっちを向いてニヤッと笑ったとき、やっと認識できた。彼も18年ぶりの再会だから、ずいぶん貫禄がついて…。映画デビュー作『12人の優しい日本人』を撮ったのだ。挨拶すると妙に甲高い声で「やーどーもー」と声を返してくれたのだが、一緒に渋谷のジャンジャンに芝居を観に行ったことなど覚えているだろうか。

久しぶりに食堂に行くと『1999年の夏休み』の製作部だった田口さんが。今、鴻上尚史監督作品の準備中だそうだ。鴻上さん、次は一緒にやろうって言ってくれたじゃないですか!ウウウ…。

大手CM会社のプロデューサーとも久しぶりに遇った。6番ステージでCMの撮影をしていると言う。覗いてみると、おお、懐かしい顔が!映画デビュー作『シュート!』を撮ったのだ。そのとき僕たちは木村拓哉を知らなかった!キムタクという言葉は無かった!岩のセットの上に立っている木村君に挨拶すると「オッ!」と16年前を思い出してくれたようだった。
しかし、それ以上、会話は続かなかった…。

帰りがけにポスプロセンターを覗くと、「高間さーん!」と出てきた人が。よく見ると荒戸源次郎さん。太宰治作品の仕上げをやっている。僕の「顔認識能力」が低いのか、年取って昔の記憶ばかりが強く残るのか、なにせ40年前は奇怪な(失礼!)大男という印象でしたから。
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2009年10月02日

やぐちひとり 4

昨日だったか一昨日だったか、テレ朝の『やぐちひとり』のオンエアが最終回だった。
「また同じメンバーでいつか再開したいね」と言っていたけど、それが意外と早く実現した。その、再開第1回が今晩だったのだ!地デジのMXTV(と思ったけど)だから、我が家では見られないんだ、お恥ずかしい話し…。

でも、ナンとしても見たい!何故かって、私メが出演してるんです、今日から4回!映画の撮り方を2人にコーチするって役回りでね。

実はこの番組のプロデューサーが喜多一郎さんという人で、『Life on the longboard』とか『サンシャインデイズ』の監督なのだ。
『Life on the longboard』は種子島で5年前に撮影したのだが、南の島3部作という構想を持っていて、「次はハワイ!シナリオはできている!」と言われながら数年経っている。
久しぶりに電話が来たので「いよいよか!」と喜んだのだが、「いや、ちょっとテレビに」と頼まれて厚顔をサラシテしまったのである。

準備の間に劇団ひとりさんと『嫌われ松子』の話しなどをした。
ひとりさんの出演シーンとなった超ボロアパート。そこに『真木栗ノ穴』のロケハンのとき、ボロアパートを探しに行ったのだ。そしたら深川栄洋監督は、その左隣りの崩れかけたアパートを気に入って、嫌われ松子アパートは控え室として活躍したのだった。製作部はその部屋に泊まりこんで、ロケ現場を見張っていたのだ。

矢口真里さんも勘のいい人で、カンペに従って、それとは悟られないように、巧妙に番組を仕切って行く。
第1回は「パーン」の練習だったのだけど、男女のモデルに芝居をさせ、それを我々3人が順番にパーンを使ってビデオ撮影するという段取り。最初に矢口さんが撮影したのだけど、これが実に上手くって、本当に感心してしまったのである。「最後に手本を」と言われて恥ずかしいくらいだ。頭の回転も良いし、可愛いし、撮影助手にならないかなあ…。
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