2010年09月09日

おめでとう、深津絵里さん! 5

昨日も今日も各局のテレビニュースで報道されていたけれど、深津絵里さんがモントリオール国際映画祭で主演女優賞を受賞した。スクリーンデビューから22年目の快挙!ひと様以上にヒジョーーーーーに嬉しい。
なぜかって、そのデビュー作を撮影したのがこの私メだからである!
金子修介監督と初めて組んだ忘れえぬ名作『1999年の夏休み』である。テレビで流されているJRのクリスマスキャンペーンCMはこの後のことだ。

ちなみに、ゴクミ(当時16歳)出演の国鉄からJRに変わる1週間前からの日替わりCMも私メが撮影したのであ〜る。

深津絵里は1987年当時、14歳か15歳で、オーディションに現れた彼女はそれはもう、とてもとても可愛らしかった。ナンでも、原宿美少女コンテストの優勝者だということだった。

出演が決まって、深津じゃナンだからというので、プロデューサーが水原里絵という芸名をつけた。ナンで深津じゃいけないんだ! 私メは高校のとき深津クンというイケメンがいて、彼がクラス一番の美女と結婚したので、深津という名前は美人の代名詞みたいなモンで、ヒジョーに印象が良かったのだ。

じゃあ、なぜ水原なんだ?と問い詰めると、芸能界は水商売なので、「水」を付けると売れるのだということだった。そういえば、死んだ婆ちゃんが撮影助手をやっていた私メに「賢ちゃんは真面目だから学者にでもなるかと思ったら、水商売なんかやって…」とこぼしていたが、水商売ねえ…。

ちなみにこの水商売業界には、ちょっとエッチな芸名を付けると売れるというジンクスもあるのだそうだ。その例は浜美枝だそうで。何がエッチなのか、考えてみてください。

で、絵里ちゃんは可愛い黒髪をばっさりと切って少年になったわけだが、それでも可愛いのは映画を見てくれれば納得してもらえるだろう。衣裳合わせにも熱が入るのは当然で、ソックスガーターが出てきたときには「決まったー!」と思った。そのソックスガーターがキーとなって、チョイ長めの半ズボン、ジャケット、襟章などが決まっていったのだ。

彼女は単身、福岡(だったかな?)から上京して頑張っていた。でも数年後、碑文谷のダイエーで偶然会ったときはお母さんと一緒だった。私メと女房が下りエスカレーター、絵里ちゃんとお母さんが上りエスカレーター。「ああー!」と指差しながら擦れ違い、そのままになってしまった。

テレビである女子アナが「『おくりびと』もモントリオールで最優秀作品賞になってアカデミー外国語映画賞を取ったので『悪人』ももしかして」と言っていたけれど、ごめんなさい。私メはただ1人『悪人』に票を入れたんですけど…。各審査員、それを知りつつも『告白』になってしまいました。

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