2011年03月26日

移動パン屋さん 3

道路に面したカウンター席で陳麻飯と坦々麺の半々セットを食べていると、向かい側の酒屋の前で軽のバンからパンを降ろし、移動販売店の準備をしているオバハンがいた。

昨日あたりからスーパーでもたくさんのパンを見るようになったけど、食パンを買っておいてもいいなと思い、立ち寄った。世田谷中町の美味(MIMI)というパン屋さんだった。
地震のあと、すぐに食パン100斤持って被災地に行ったけど「アッという間に無くなってしまった」と言っていた。被災者に次から次へと無料で配ったのだから、そりゃそうだろうと思っていたら「ちょっと目を離した隙に盗む奴がいるんだよ」。
「えっ、何を盗むの?」
「炊き出ししようと思って持って行ったプロパンのボンベ。3本置いたうちの1本が無いんだよ。ボンベだけ持って行ったってしょうがないのに。ズルズルと引きずって行った跡があるんだよ。かわいそうで追いかけなかったよ」
オバハンの話は続く。
「あたしゃ新潟の出だから、市場に残っている野菜を全部押さえて、近所のタオル屋さんにタオル500本出させて、料理人乗せて、3台のトラックで新潟に向かったんだ。緊急車輌しか通れないよって言うのを振り切って。こっちには神様がついているんだから何とかなるよって行ったんだけど、一度も止められなかったね。で、新潟で食料積んで東北に向かったんだけど、高速道路が地割れでクレバスみたいに開いているんだよ。タイヤが落っこちるかと思いながらソロソロと進んだんだけど、うちの3台のトラックは神様がついているんで大丈夫だったんだ。その後ろの車はもうダメ」

更に延々と続きそうだったけど、胚芽入り食パンと美味しそうな菓子パン数個を買って帰った。
世の中には元気なオバハンがいるもんだなと感心した。ただじっと節電だけしている自分が情けない。
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2011年03月20日

悪運強し! 2

この1週間、第2次世界大戦の広島・長崎の破壊に相当する災害で、電話での第一声が「お宅は大丈夫でしたか?ご家族は?」という挨拶になってしまった。

実は11日の夕方はユニジャパンに行く約束になっていて、もし地震が数時間遅く起きていたら帰宅できなくなっていた。
もし1週間早かったら「ふるさと発:元気プロジェクト」の取材ロケで秋田から帰れなくなっていた。
もし4ヶ月早かったら、福島原発の南のいわき市の海岸で渡辺文樹監督の『金正日』を撮影していた。
もし2年早かったら、気仙沼で小林政広監督の『春との旅』を撮影していた。

ロケから帰ると雨が降るというふうに、わたしは悪運が強い。

小林監督は気仙沼近くの唐桑という地が気に入り、民家を借りて改造し、別荘として使っていたけど、地震と火災でどうなってしまったろうか。
撮影した気仙沼港はテレビの影像を見ても、どこがどうなってしまったのか、原形をとどめないので、あの当時を思い出すこともできない。

海沿いのある町では1000人の遺体が発見されたという報道があったが、ニュースにその映像は流れないので、にわかに信じがたいものがあった。その町に限らず、ニュースカメラマンは遺体収容の映像を撮影しているのかもしれないが、視聴者の感情を考慮して編集で切るのだろう。

それに対し、外国メディアは日本人に対する配慮は無用なので、非常にリアルな報道がなされている。

http://news.livedoor.com/article/detail/5426354/

これを見ると、毛布からはみ出している遺体の手など、ドキッとさせられるとともに、本当に感動する写真もある。災害の写真というよりも、ほとんど戦場の写真を見ているようだ。
この破壊された街が再建され、人々の生活が元のように戻るまで、何年かかるのだろう。
政府と電力会社は原発に頼ることをやめるだろうか。元来危険な原子力にインフラを頼りにしてはいけなかったのだ。「原発は安全ですから」と主張し、「万が一のことはあり得ないから、その対策も無い」と言っていた。太陽光発電や風力発電には冷ややかで、お荷物扱いしていた。「供給量が不安定なので、その分、火力発電所を増やさなければならない」という理屈だった。

ここら辺で国民の贅沢な意識も根本的に考え直さなければならない時代になったのではないだろうか。私のように、みんなが貧乏生活をすれば良いのだ。
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