2011年10月18日

尾鷲の小アジ 3

台風の被害で一段と有名になってしまった三重県尾鷲(おわせ)から小アジが1箱届いた。

去る10月14日にBS-Japanでオンエアした《ふるさと発元気プロジェクト・「ありがとう」の気持ちで守る世界遺産熊野古道》の取材で尾鷲に行ったのは、幸運にも大雨と大雨の僅かな間隙。熊野古道の石畳が濡れて光っていた。そこを今回の主役である「夢古道おわせ」の伊東将志店長に歩いてもらい、とても素晴らしい画が撮れた。

尾鷲はヒノキの産地として有名だが、近年、間伐材が売れないので間伐ができない→木が密集して地面に陽が射さない→下草が生えない→地表が剥き出しになって雨で土が流れる→山林が崩壊したり土砂崩れが起きる。そもそも良いヒノキが育たない。

一方、市は見事にバカデカイ熊野古道センターを町外れに作り、古道客を呼び込もうとしたのだけれど、そこにはレストランも休憩設備もないので客は怒るし、リピーターがいない。そこで商工会議所は余った土地に古民家を移築してレストランを作り、「おかあちゃんのランチバイキング」として、地元の食材を使ったお袋料理を提供した。そしてその隣に、市が持て余している海洋深層水を使った温浴施設を建設した。
商工会議所の職員である伊東さんはそこの店長を志願し、地元でしか食べられていない低利用魚などを積極的にメニューに取り入れ、風呂には「世界遺産風呂」と称して樹齢80年のヒノキの間伐材の丸太を浮かべ、父の日、母の日、敬老の日には「ありがとう風呂」と称して、子供たちに感謝の言葉を樹齢20年のヒノキ丸太のスライス99枚に書かせて浮かべ、客に喜ばれている。

そして、伊東さんは「ありがとう風呂」を全国に広めようと努力し、その甲斐あって、今年の敬老の日には99ヶ所の温浴施設がこのイベントに参加した。ということは、男湯女湯あるから1ヶ所で198枚、99ヶ所で19602枚売れたわけだ。だから伊東さんは、1本200円にしかならないこの間伐材を1本1万円で買い取って、微力ながらも間伐に貢献している。

僕はかねがね、間伐するくらいなら、なぜ初めからパラパラに苗を植えないのかなと疑問に思っていた。1.3mx1.3mに1本の割で植えるのだ。今回の取材でその謎が解けた。密植することで日当たりを少し悪くさせ、木の生長を抑制するのだ。そうすると密度の高い年輪ができ、強い柱になるというわけだ!関東大震災でも、尾鷲ヒノキの家だけは倒れなかったという。

尾鷲で育った伊東さんは尾鷲漁港の魚市場を遊び場にしていた。そこに取材に行くと、組合長も低利用魚を大量に買ってくれる伊東さんに感謝していた。そんなこんなで発泡スチロールのトロ箱1杯が送られてきたわけなのだが、さあ大変。中には体長12センチくらいの小さなアジが90匹以上入っていた。どうすんのこれ!とりあえず、10匹ずつビニール袋に小分けして冷凍庫へ。しかし、食べきれる訳もないから、松戸の両親のところへ30匹、東京国際女性映画祭の招待券とともに持っていった。それは唐揚げにして食べたそうだ。

で、ハラワタの取り方など電話で聞いて、僕は南蛮漬けを作ることにした。スーパーで買ってきた調理済みの小イワシを3枚におろしてマリネを作ったことはあったのだけれど、その時は少量の油で済んだから良かった。これが姿揚げになると多めの油が必要だから、それをどう捨てるか。まず、「固めるテンプル」を買いに行った。店員に「どこに置いてあるんですか?」と聞くと「アイヨ」と手渡してくれた。お徳用2箱セット!ウチで開けたら5袋ずつ入っているではないか!一生モノだ!

パソコンで簡単レシピを探して恐る恐る作ったけど、結構美味しく出来た。でも、随分あるな、10匹だったはずなのに。昨日たくさん食べて、今日も食べて、まだ残っている。玉ねぎスライスの下でどんどん増えているんじゃないだろうか。
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2011年10月13日

イシバシ楽器店から 4

《JAZZ爺MEN》の東京公開が迫り、このところ毎日のようにポスターとチラシを持って歩き回っているのだが、今日は渋谷センター街のイシバシ楽器店に行ってきた。

去年の夏、早稲田本庄のプロデューサーから《精霊のモリ》を撮った教え子の宮武由衣監督に「ジャズを題材にした映画を500万で撮れ」という要請があった。しかし、宮武も僕もジャズに関しては門外漢と言ってもよいほど無知だった。楽器の名前もよくわからないという程度だ。

そこで、とにかく楽器を見ようということで入ったのが渋谷のイシバシ楽器店だった。エレベーターを2階で降りて、管楽器のショーケースを眺めてウロウロしていると、当然のこと、不審者に店員が寄ってくる。かなり恥ずかしかったが、ここで怯んでは先が無いので、思い切って映画の企画の話をした。するとその店員さんは、一般的にジャズに使われる管楽器、つまりサクソフォンとかトランペットとかトロンボーンをケースから出して、かなり丁寧に使い方を教えてくれた。サックスで音を出すにはリードという木片が必要だということ、マウスピースの取り付け方、指の使い方、アメセル・マークシックスというビンテージがあるということ・・・。「映画の制作にも協力しますよ」というありがたい言葉までいただいた。

しばらくすると宮武監督はアルトサックスを買うと言い出した。貧乏症の僕は「ナニも買う必要は無いんじゃないの」と言ったのだけど、監督は「自分で実際にやってみなければ脚本を書けない」と言うので、一番安い中国製の中古品と教本を買った。トランペットもサックスも、音を出すだけでも初心者には大変なことなのだ。そういうことが全てシナリオに反映されたのである。

また、主人公とその妻はジャズ喫茶で知り合ったということにしたいのだけど、ジャズ喫茶がどういうところだか知らないと自信が持てないというので、ネットで調べて道玄坂の上の方にあるジャズ喫茶にも行った。

音楽監督にはジャズに詳しいかもしれない、安くやらせることができるかもしれないという考えで、《ナビィの恋》《ホテル・ハイビスカス》の磯田健一郎氏に有無を言わせずやらせることにした。50万のギャラで「茶色の小瓶」のアレンジとオリジナルを書かせ、出演者の練習を指導させ、プレスコ用の音楽を録音させ、背景音楽を作曲させ、自費で相模湖から本庄まで来させ、自費でホテルに泊まらせ、演奏シーンの指導をさせ、果ては自費でサントラ盤CDを作らせ・・・。自分の取り分は撮影途中で無くなった。

結果的に磯田氏は別の楽器店とコネがあったため、イシバシ楽器店にはその後お世話になることはなかったのだが、僕としては映画《JAZZ爺MEN》はイシバシ楽器店のエレベーターを降りた時から始まったという思いが強いので、今日、イシバシ楽器店を訪ね、ポスターとチラシと招待券を渡し、お礼を言って帰ってきたのである。

宣伝予算が全く無いこの映画には、無償でポスター貼りなどをしてくれている応援団が何人もいる。数シーンにチョコっと出演もしてくれているマイミクのS.Y.さん、《薄れゆく記憶の中で》の制作スタッフで、今は出版社に務めているR.K.さんと彼の仲間たち、照明のA.S.さん・・・。それから横浜の上映館を紹介してくれたN監督、京都の映画館を紹介してくれたM監督、新潟の映画館を紹介してくれたI監督、はままつ映画祭参加のきっかけを作ってくれたナースのSさん、快くポスターを貼ってくれた浪漫坊、海森の店長、東京工芸大学のT先生・・・。ありがとうございます。
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