2011年12月13日

新藤兼人賞上映会 4

今日、アスミック・エースの試写室で、新藤兼人賞金賞の《死にゆく妻との旅路》と銀賞の《エクレール・お菓子放浪記》の記念上映会が開かれた。

《死にゆく妻との旅路》はもう何回も見ているけれど、久しぶりにまた見てみようと思った。
故・宮島義勇カメラマンは「自分がやった作品は公開されて半年間は褒めろ。それ以上褒めていたらお前は馬鹿だ」と言っていた。つまり、作品を作るということにおいては監督と共犯なのだから批判はするな。しかし、公開が終わって数ヶ月も経てばいろいろ反省点が見えてくるはずだろう、と言いたかったんだと思う。そういう覚めた目で自分の映像を見てみると、「いいなあ、どうやって撮ったんだろう」という自画自賛じゃなくって、単なる健忘症なんですが、そう思うカットと、「どうしてもうちょっと丁寧なオペレートをしなかったんだろう」と思わざるを得ないカットがあった。時間が無かった、機材が無かった、条件が悪かった、いろいろ言い訳はできるけど、今自分に言いたいのは「もうちょっと落ち着いて考えろ!」だ。「今考えれば、ああすれば良かった、こうすれば良かったと思うじゃないか。だったらその時思い付け!」だ。反省…。

《エクレール・お菓子放浪記》は前から気になっていた作品だった。
実は《JAZZ爺MEN》の上映先を探していたとき、文化庁のS伯調査官から「シネマとうほく」の鳥居明夫さんに電話するように助言をもらった。さっそく電話してみたが、時期が悪かった。震災間もないときで、まだFAXも使えない、パソコンも使えないという状況だったのだ。
いろいろ調べてみると、《ふみ子の海》とこの《お菓子放浪記》を製作・上映して、そのときの大手の映画よりも良い観客動員をしていることを知った。その影には並々ならぬ努力と熱意があったと想像に難くない。しかし、なかなか見る機会が無いし、授賞式で近藤明夫にお会いしたら《サンクチュアリ》《ムルデカ》の藤由紀夫監督の先輩だといういうことが分かり、タダナラヌ縁を感じていたのである。

新藤兼人監督がおっしゃったように「後半が長い」とは感じなかった。ただ、題名にある「エクレール」は登場しないし、「お菓子放浪」もしない。戦中戦後を生き抜いた孤児の話だ。近頃、スイーツを題材にした映画が多いけれど、お菓子なんか無かった戦争中に、どう少年とお菓子の話が展開するのだろうという期待は裏切られた。でも、石田あゆみ「婆さん」が凄かった。林隆三「座長」が良かった。主人公の明夫少年の歌が本当に上手かった。後半、ジワジワと涙が出てきてハンカチを出してゴシゴシと顔を拭いた。
それにしても感心したのは、ローカル映画が豪華なことだ。大勢のエキストラ、これは石巻の人たちの協力があったからだろうと思うが、その大勢にその時代の衣装を着せている、それだけでも貧乏に慣れた僕には感心してしまうのだ。映画館のセットもオープンに建てて、その焼け跡も再現している。堂々たる映画だった。
予算を聞いたら1億2千万!うーん、《死にゆく妻との旅路》の約2倍、《JAZZ爺MEN》の12倍だ。その製作費を集めたということだけでも凄い!この「ダブル明夫」路線、次なる展開、頑張って欲しい!
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