2011年08月03日

バジルと金目鯛 3

昨日は横浜美術館でトリエンナーレの展示レイアウトをする横尾忠則さんを撮影していたのだが、老眼鏡を忘れて大変だった。フィルムのカメラの場合はルーペの視度調節をすれば良いのでメガネは要らないのだが、デジタルカメラとなって、液晶モニターを使うものだから、老眼鏡のお世話にならなければ、どこにフォーカスが合っているのだかボケボケ映像を見ているばかりなのである。かろうじて右下に表示される距離表示と横尾さんまでの目測距離とを見比べて、なんとかフォーカスリングを回したのである。
この前の九州ロケでは三脚とバッテリーチャージャーを忘れて大慌てしたばかりなのに。普段は助手に頼っているので、いつになっても独り立ちできないのか、ボケが進んでいるのか・・・。

今日はアトリエでの取材風景が撮影不許可となって、のんびりとした1日を送ることができた。

ゆっくり寝坊して、起きたら洗濯機を回して、ベランダのゴーヤとバジルの鉢に水をやる。
レトロアパートのクーラーは10年以上前から壊れているので、今年は緑のカーテンを、ということで、近所の花屋でゴーヤの苗を4本買った。「4本も植えたらゴーヤがゴロゴロ成って、処理に困りますよ」と照明部の松っちゃんは言っていたけれど、花はたくさん咲いてもすぐに落ちてしまい、現在小さいのが1本しか実が成っていない。

バジルは以前、埼玉に広い畑を持っていたときに女房が植えたことがあったけれど、うまく育たなかった。
前作、喜多一郎監督の『シェアハウス』では主人公の吉行和子さんがハーブを色々とベランダで育てているという設定だったので、使い終わった小道具のバジルを1鉢もらってきた。それを玄関の下駄箱の上に置いておくと、バジルのい〜い香りが部屋中に漂ってくる。

その後、イメージフィールドからの帰り、新宿御苑近くの花屋で大量に苗を売っているのに遭遇した。1鉢なんと100円!即決2鉢買って、計3鉢ベランダに並べた。後から買った方はぐんぐん伸びている。1週間の九州ロケから帰ってきたときは萎れてしまったけれど、水をやったらまた元気になった。
時々葉っぱをちぎってはサラダや冷やしトマトにふりかけていたけれど、今日は一番伸びた茎を大胆に半分に切り、昼食に「バジル多め入りのスパゲティ」を作った。枝の部分はオリーブオイルに漬け込んだ。
ニンニクのみじん切りと鷹の爪をオリーブオイルで温め、ベーコンと舞茸とみじん切りのバジルを炒め、そこにアルデンテの1.4ミリスパゲティをからめる。安い赤ワインなんか飲んで、昼から優雅な気分!

寝転んでテレビの旅チャンネルなんか見て、夕食はーーーっと。
そうだ、オーケーで50%引き(225円!)で買った立派な金目鯛の頭があった。あれを煮付けにしよう。

専用の道具で鱗を取り、お湯で洗って鍋に入れ、酒、味醂、水を1カップずつ、三温糖を大匙2杯入れて火にかけ、落し蓋をする。煮立ったところでアクを取って醤油をたらす。今日はこの醤油加減が奇跡的に上手くいって、今までで最高の味になった。
金目のアラ煮には日本酒でしょう!冷蔵庫には「菊水の辛口」の小瓶が冷やしてあった。某国際映画祭の関係者から1ダース送られてきたものだ。酒が弱い私なので、照明の上保さんにお裾分けしてもまだまだ楽しめるぞ。味噌をつけたキュウリを齧りながら、ロケ弁では味わうことができないゆったりとした夕食!

でも、このゆったりがいつまで続くのかが怖い。先日、劇映画のスケジュールの問い合わせがあったが、「結論出るまで2〜3日待ってください」と言われたきり、もう5日になるのだ。
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2011年06月18日

上海映画祭作品賞に 5

ワールドビジネスサテライトを見ていたら、「日本映画が快挙」という見出しだったので、イライラしながらCM明けを待った。すると、上海国際映画祭の会場が映り、『毎日かあさん』のタイトル!

オオ、聖太郎君が映っている!聖太郎君が笑っている!聖太郎君がちょっとひきつっている!
即、電話をかけると、「海外にいらっしゃるのでローミング中です」のアナウンスが。そうか、まだ上海にいるんだ、そりゃそうだろうな、と思いながらしばらく待つと聖太郎君の声。
「もう、ニュースやったんですか?早いですね。今まさに、会場を出てきてバス降りて、ホテルに入るところです」だって。「いやー、頭真っ白になっちゃいましたよ」

確かに素早い放送でしたね。ほとんど生中継ですよ。

我が《JAZZ爺MEN》はやっとモントリオール映画祭のエントリーフォームを書き上げ(英語で)、昨日、半蔵門まで行って、FedExに出してきました。そこでまた送り状とか税関申告書とか書いて(英語で)、慣れない仕事をしたから疲れてしまった。そもそもFedExのアカウントを開くのにも一苦労。出品料100$も自分のVISAカードで支払い。
監督がデビュー作だから、そこらへんで引っ掛からないかなあ。招待されるといいなあ。

ちなみに《死にゆく妻との旅路》は早々とモントリオール映画祭出品を決めました。ダブル参加にならないかなあ。
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2011年04月18日

《JAZZ爺MEN》大盛況の舞台挨拶 5

《JAZZ爺MEN》のユナイテッドシネマ・ウニクス上里での公開初日は午前10時開映なのに、9時30分には300席が完売。満員の注視のなか、ブルーレイによる上映が始まると、前半は笑いが絶えなかったが、後半になると洟をすする音が絶えなかった。そして、クライマックスのコンサートの「茶色の小瓶」を演奏している最中、心配していた余震が来た!しかし、逃げ出す人も、立ち上がる人も、悲鳴を上げる人も無く、全員が冷静でいてくれたことがとても嬉しかった。

宮武由衣監督の名がロールアップして客電が点くと場内は自然発生的拍手が起こった。

続いて舞台挨拶になり、先頭を切った本庄市長が早速スマートフォンから得た地震情報を報告して観客を安心させた。
次に挨拶に立った宮武監督は身長が低くてマイクに届かない。普通なら係りの人が来て、サッとマイクの高さを調整するところなのだが、都内の映画館と違い、舞台挨拶などあまり経験が無いためか、プロのイベント業者を入れてないためか、誰も面倒を見てくれる人が近づいて来ない。しかたなく監督は、マイクを精一杯下に向け、背伸びするように話しをした。

終わると司会者のアナウンスの後、両手を高々と上げて井上順さんが登場し、ワイヤレスマイクが渡された。スパイダーズ時代の「振り」をちょっと披露すると、それだけで場内が沸く。次に、当本庄市に在住している清水省吾さん、本庄市生まれの黛英里佳さんが登場。監督と併せて4人がスクリーンの前に並んだが、司会の空白があり、マイクを持っている井上さんが「挨拶していいの?」と一歩前に出ると「あ、ちょっと待ってください。お土産が…」と、全員に豆腐セットが渡された!どういう進行なんだろう!で、豆腐会社の社長が出てきて豆腐の説明…。ちょっと間が悪いんじゃないの?

2分ずつのスピーチが終わると抽選会。4人のサイン入り色紙が10名に当たる。井上さんが「写真撮ろう」と言い出して、当選者一人ひとりを俳優が囲んで記念写真。家宝になるだろうね。

ロビーに出ると出口近くに俳優と監督が並んで握手会。ただし、パンフレットを購入した人のみということで、パンフレットも良く売れた。
このパンフレットは《死にゆく妻との旅路》のアイデアをいただいたもので、綴じずにB5のクリアファイルに入っている。ファイルの表紙はポスターと同じ構図だが全員タキシードのバージョン。中身の原稿は手作りの試写会用プレスのまんまなので、裏は白紙になっていて、そこにサインを求める人が続出し、係員は「サインはご遠慮してください!」と叫ぶのだが全く止まらず、俳優も監督も笑顔でサインに応じていた。

その後、休む間もなく被災者訪問。本庄にも東北から集団避難している人がいて、その人たちをコミュニティセンターに集め、映画のモデルになったジャズバンドの演奏会があるのだ。
ここでも井上さんは両手を高く上げて登場、スパイダーズの「振り」をして笑わせる。どこに行っても人気者で、考えてみるとテレビでも被災地を訪問している芸能人のニュースをやっているけど、こういうことが現在の被災者の方々には一番喜ばれるのではないだろうか。

さらにここで井上さんは大盤振る舞い!4月22日から三越劇場で公演する『イヴ・モンタン 彼を憎んだ女と男』に希望者全員を招待すると発表した。本庄から日本橋までバスで送迎、お弁当つき、もちろん無料。『ラヂオの時間』の撮影のときも「競馬で儲けた」と言って、スタッフ・キャスト50名全員にうな重をご馳走してくれたことがあった。大物感があるなぁ。

清水省吾さんは画家の奥さん(ハルマンさん)とお絵かきセットを子供たちに配った。これもテレビの受け売りだけど、子供たちに絵を描かせることは、ストレス解消にとても効果的らしい。自由に描かせると、精神状態が安定していく様子が絵に表れるのだという。

映画館に戻ると、2回目の上映が終わっていた。160数名の入場者だと言う。やはり舞台挨拶があると無いとじゃ差が出るなぁ。これから心配だなぁ。アンケートの回答を見ると「もう1回見ます」と書いている人もいて、とても良い評価なんだけど、口コミだけが頼りの低予算映画だからなぁ…。
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2011年02月19日

《JAZZ爺MEN》秘密試写会 4

《JAZZ爺MEN》が完成した。しかし、現像所を全く使っていないので、試写する場所が無い。有料試写室を借りる予算も無いので困っていたところ、某大手現像所の某担当者が空いている日を調べて試写室を貸してくれることになった。
最近はデジタル撮影が多くなり、こういうケースが増えているため、「試写室だけ貸せ」という要求が出るようになって困っているので秘密にしてくれと言いながら、2回も貸してくれたのだ。「高間さんとは長い付き合いだから」と言い訳しながら……。持つべきものは友達、亀の甲より年の功、である。感謝、感謝!

1回目は20人が立ち見、2回目は40人が立ち見の大混雑になってしまい、早く来たのに立ち見をお願いした若い人たち、ご協力感謝します。こういう映画なので観客の年齢層が高く、席を譲っていただきました。
上映終了後の暖かい拍手、ありがとうございました。皆様の感動のお言葉、満足感あふれた表情、嬉しかったです。上田耕一さんからはお礼のメールをいただきました。長いお付き合いの中でも初めてのことです。
清水章吾さんはご自身のブログにこう書かれています。

〈絹子とJAZZ爺MENの試写を拝見しました、出演者はとかく、話に入り込めないのですが、そして隣が、本庄市長の席で、本庄代表としては、クールにかっこよく観ようとしましたが、最後の方は、もう涙が止まりません、絹子もまた、泣いていました、俳優は腹式呼吸なので、う!う!う!と堪えていると、腹がぶるぶる震えてしまって;;
人間の美しさと悲しさを綺麗な映像で表現されて、とても一週間で撮ったとは思えないし;;よくまあ撮り終えたなーーーと言うのが感想です、本庄は住んでると意外と解りませんが、とても暖かな綺麗な景色です@@
今時ドライな社会ですが;;学生さんなんかにも観て貰いたいな@@
夫婦の絆!人間同士の絆!親子の絆!考えさせられます、コミカルなカットもあり、最高の映画になっていました@@20日が劇場でお披露目会がウニクスでありますので、また関係者の皆様とはお会いします〉

僕はオールラッシュのとき、この腹式呼吸状態になりました。最後にはもう堪らず、ハンカチを出しました。
奥さんを1年前に肺腺癌で亡くした録音技師は、ダビングのとき、我々に背を向けて泣いていました。奥さんを亡くしてからは無気力状態になっていたけど、この仕事をして、生きる意欲が湧いてきたと言っていました。

「もう、思い残すことはありません」という年賀状をくれたふくまつみさんの嬉しそうな顔、抱きつきたくなるような徳井優さんの笑顔、あのときよりもっと美人になった岡まゆみさん、映画の中のほうが美人だった(失礼!)宮下ともみさん……、みんなにハグしたかった!
川村亮介くんはトンガリ頭が無くなって、普通の好青年に。あ、酒井敏也さんは知らない間に帰ってしまった。黛英里佳さんも、他のお客さんに対応している隙に帰ってしまったようだ。残念!

井上順さんは、自分が出演した映画は映画館でお金を払って観るのが主義だそうで、あんなに完成を楽しみに待っていてくれたのに、ナンという皮肉!
河原さぶさんはすでに沖縄に移住してしまったので、DVDを送ったところ、「もう6回見た」と宮武監督にメールがあった。このDVDを自分の棺桶に入れてもらうそうだ。「沖縄上映があったら、ティーチインをしてやるよ」と言ってくださっている。

この《JAZZ爺MEN》、大きな力を持った波になっていくような気がする。なったらいいなぁ。なるんじゃないかなぁ……。
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2011年02月03日

試写会の日々 1

2月撮影予定の映画が5月に延びて《JAZZ爺MEN》のポスプロダクション以外、することがなくなった。で、『わたしを離さないで』を皮切りに、試写会めぐりの日々を送っている。

ある金曜日、小林聖太郎監督の『毎日かあさん』を観るために銀座の松竹本社に行く。聖太郎監督は『ナビィの恋』で新藤風監督とともに助監督をしてくれた青年だ。前作の『かぞくのひけつ』もデビュー作とは思えない面白さだった。

試写室に座っていると後藤幸一監督が入ってきた。後藤監督とはお互い助手時代から30数年のお付合いで、三朝温泉を舞台にした映画を久しぶりに撮るというので、去年の春、オファーを受けていた。ところがモロモロの事情でズルズルと延期され、いよいよクランクイン決定となったときには既に予定されていた別の作品とダブってしまい、温泉三昧を楽しみにしていたのに泣く泣く断ざるを得なかった。

この日、後日談を聞かせてもらった。
カメラマンは田中一成君に頼んだと言う。この前の沖縄・成都ロケの台湾映画も、僕が監督から却下されて一成君に代わった。30年前、僕の助手をしていた子が僕のすぐ後ろに迫ってきて僕を脅かしているのは嬉しいことである。
「高間さんならこういうカットは撮りませんが、僕は撮りますよ」なんて自分の柔軟さをPRしていたようだが、今は私も柔軟ですよ。でなきゃ1000万映画は撮れないでしょう、5億の映画も撮れますけど。

そんな話をしていると、どこかで見たようなオジサンが入ってきて、ニコッと親しみのある笑顔を僕に向けた。おお、秋山道男君だ。「ずいぶんオジサンになったなー」と言うと「お互い様でしょう」。
道男君とは40数年前、若松プロからの知り合いで、助監督やったり、作曲したり、面白商会やったり、無印良品立ち上げたり、桃井かおりと共演したりの多才な人だが、チェッカーズの発見者となって有名人となり、NHK教育などにも出演し、先生と呼ばれるようになった。
道男君の顔を見ると、40年前の青春が蘇ってきて嬉しくなってしまう。

翌週の火曜日はJSCの名作上映会。普段は京橋のフィルムセンターでやっているのだが、今回はモロモロの事情でIMAGICAの第1試写室をお借りして故工藤栄一監督の『ヨコハマBJブルース』を鑑賞。上映終了後、地下の「リュミエール」でコーヒーを飲みながら仙元誠三カメラマンのありがたーいお話。

その翌週の水曜日は、自分の作品の試写にも行かなくてはと思い、『死にゆく妻との旅路』を観るため京橋テアトルの試写室に行くが、案内もなければポスターも貼っていない。また日時を間違えたかと思いながら恐る恐るドアを開けると、なんだ、朴木浩美プロデューサーがいるではないか。あまりの人気に、わざとわからないようにして試写しているのではないか(そんなことないか)。
記帳しているとドアが開き、昔、CMでとてもお世話になった山本昌邦さんが入ってきて「おー、高間ちゃん」「あれっ!山本さん、ナンで試写状持っているの?」「何言ってんの、高間ちゃんから送ってきたんじゃない」
うー、相当ボケてる……。

翌木曜日、『木洩れ日の家で』を観に東銀座のシネマート銀座試写室に行く。入口に近づくと、岩波ホールの原田さんが僕の顔を見るなり「どうやって1000万で映画が作れるんですか?」といきなりの質問。
この映画は木立の中の文化遺産のような木造の家に住む老婆と愛犬が主人公。息子家族とのやり取り、隣人との関わりをモノクロ映像で静かに描く。試写室を出ると岩波律子さんが「どうでした?」と聞いてきた。律子さんとは『月山』からの知り合いだから、こちらももう30数年。15年ほど前、久しぶりに会ったとき、「どうしたの?普通のオバサンになっちゃったじゃないの」と言って、本気で怒らせてしまった。

翌金曜日は『青い青い空』を観に日比谷の東宝本社の試写室に行く。
この映画は、うちらのチームでよく照明助手をやってくれる石川欣男君が技師として参加した作品なのでお知らせをもらった。試写室に座っているとすぐに石川君が来て、僕の隣りに座った。こういう人は苦しい低予算の仕事には欠かせないスタッフだ。キツイ現場でも文句を言わずによく働き、現場を和ませ、それでいて正しいことを主張する。本当に頭が下がります。
撮影の三本木さんは『受験のシンデレラ』のカラコレを手伝ってくれた若いカメラマンだ。大変苦労のあった現場だとは思うけど、敢えて苦言を呈すると、もう少し丁寧なカメラワークをして欲しい。真っ赤な夕陽に染まる生活指導室の主人公の顔にでた縞模様など、どうにかならないものでしょうか。

監督の太田さんはこれが『ストロベリーフィールド』に次ぐ2作目だそうで、《JAZZ爺MEN》と同じような境遇の映画なので、出口で太田監督を捕まえて立ち話を迫る。
脚本を書き終えてから、ロケに相応しい街を探し回り、書道が盛んだという浜松に来て「ここしかない」と思ったそうで、それから地元の協力を取り付けて撮影にかかるまで、ナント4年!その間に似たような題材の『書道ガールズ』という映画が先に公開されてしまい、かなり焦ったという。こっちも最初は「書道」と「ガールズ」の間にハートマークが入ったものだったそうだ。その痕跡が、パンフレットからも読み取れる。でも、地元浜松では2館から4館にムーブオーバーし、延べ5ヶ月と1週間のロングランとなり、2万人動員したそうだ。我々も見習わなければならない。

2月2日はいよいよ我らの『死にゆく妻との旅路』の完成披露試写会。試写会は夕方からなのだが、昼過ぎ、映写チェックのため読売ホールに行く。スクリーンがビスタサイズになったまま映写が始まりそうなので映写室に注意しに行こうと思ったのだが、どこのホールも映写室の位置はわかりにくくなっている。昼飯中の係員を煩わせてなんとか入口に辿り着いたときにはもう始まってしまっていて、映写技師「あれえ、シネスコだよ」とか言っている。フィルム缶に何の表示もないのだろうか。

夕方まで時間があるので、朴木プロデューサー、塙監督、山方録音技師とで原作者を連れて増上寺に行き、ヒット祈願をしてもらった。
試写会は敢えて三浦友和さん、石田ゆり子さんの舞台挨拶があるという情報を載せなかったにも拘らず、1200名の満員御礼!
映画の後半はあちこちで鼻をグズグズさせる音が聞こえ、エンドロールが終わると自然発生的に拍手が起きた。

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2011年01月23日

渡辺文樹監督、理不尽な! 2

《JAZZ爺MEN》の本編集を終えて帰宅すると、渡辺文樹監督から「怒りの葉書」が届いていた。

「前略お世話になっております。私共の撮影報告に対しても何ら誠意が見受けられないのは非常に残念です。様々な方の資本をもって製作している以上、このまま看過する事は到底出来ません。近々民事訴訟等で争いたいと考えております。本気で闘いますので宜しくお願いします。1,2月は取材で関西におります」

渡辺監督からは1月3日に『朝鮮物語』の撮影に参加したことについて感謝の意を表し、「ギャラの支払いはもう少し待ってください」という年賀状が来たのだが、5日には手紙が来て「撮影してもらったラッシュを正月休みに見たのだがピンボケなどのNGが多い。もう一度役者を集めなければなりません」という内容と数十に及ぶNGカットが書いてあった。
サインペンで書かれた達筆を解読し、NGカットの内容をチェックすべく、シナリオに書き込んだメモと撮影当日配られた画コンテと自分の手帳の記録を照合してNGカットリストを作るのに2日かかった。
それをプリントアウトして、「カメラマンと撮影助手が行って、16ミリの撮影で、こんなにピンボケが出るとは俄かには信じ難い。撮影途中で帰ってきてしまってラッシュも見ていないのは無責任でもあるので、助手と2人でお宅まで伺ってとにかくラッシュを見たい。来週のご都合はいかがですか?」という手紙を出した。

渡辺文樹さんはパソコンとメールは一切ダメな人なので、手紙を書くしかないのだ。しかし、悠長に手紙の到着を待っていたのでは手遅れになるかもしれないと思い、電話もかけてみた。
携帯電話は「パケット通信中か電波の届かないところにいるか、電源が入っていません」ということなので、自宅に電話すると「撮影に出ております。連絡は携帯電話にお願いします」となっている。一応、留守録にメッセージを残し、その後何回か電話をしたけれど、返事はなく、この「怒りの葉書」になってしまったわけだ。

NG理由の中には、「天井の破損が写っている」というのが3カットあったが、ボロボロの廃ホテルで撮影しているのでどうしようもなかった。ま、北朝鮮の招待所だから、そういうことも現実にはあるだろうという了解の下で撮ったのではなかったのだろうか。

「自衛官の後ろに老人が写っている」というカットは、15人の自衛隊精鋭部隊の半数はシルバー人材派遣の人なので、顔を写さないようにしてくれと言われたのだが、ピンボケでないテイクは老人の顔が写ってしまったという私の不注意なのだ。半数の若い人も、何人かは他の役で登場している人なので、その人も顔が判らないようにしなければならなかった。

「大井川鉄道の遠景は全て露出オーバーでNG」とあるのは、3台のキャノンスクーピックのうち、僕以外はメーターを持っていない監督とボランティア助監督が撮影しているので責任は持てないのだが、最近のフジフィルムは3絞りオーバーでもノーマルに補正できるので、ぜひラッシュを見て判断したいと思った。

「トンネル内の撮影は全カット片ボケNG」というのは、もしそれが本当ならば、撮影助手のフォーカス合わせの問題ではなく、ズームレンズは固定式なので、考えられる原因はカメラ内部のプレッシャープレートが正しい位置に固定されていなかったのかもしれない。それであれば私と助手の責任だが、映写機のせいかもしれないので、これもラッシュを見て原因究明をしなければならないと思っていたのだ。

とにかく、渡辺文樹さんとは連絡の取りようがない状態なのだ。会って話せば解決方法はあると思う。ギャラを払わない方便だとは思いたくはないけれど、そうだとしても、協力者を切っていくようなことはあまり得策ではないように思えるのだが…。
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2011年01月16日

『JAZZ爺MEN』編集終わる? 3

いよいよ『JAZZ爺MEN』の本編集が近づいているので、ファイナルカットプロによる編集はいい加減に終わらせなければならない。って言うか、とっくに終わっているはずじゃあなかったのか?

最近は本編集と言っても、ファイナルカットプロでHDのクウォリティになっているので、色補正とか、スローモーションとか、タイトル入れの作業をするだけになっている。

しかし、これが最後かという目で全カットを眺めていくと、気になるカットが出てくるもので、ふくまつみさんが腹筋しているカットの尻が止まっているように見えるので11コマ切って、その分、上田耕一さんがリズム取りながらキュウリの収穫をしているカットの頭を伸ばしてもらった。

そのほかの気になるカット、例えば、カメラがちょっと斜めになっているとか、人物の頭をもう少し切った方がバランスが良くなるとか、そんなカットがボロボロ出てきて、シツコク編集をしている宮武監督がウンザリした顔を見せた。

オッと時計を見るともう9時に近く、ポレポレ東中野で上映する大谷寿一監督の『ケサル大王』の試写に間に合わなくなってしまった。この映画は大谷監督が執念を燃やしてチベットに通っているドキュメンタリーで、まだ完全版ではないのだけれど、サポーターに見せてくれるという貴重な機会だったのだ。

結局、編集が終わったのは12時過ぎで、終電1本前の電車で帰る破目になってしまった。
これから家に帰って晩飯の用意というのもナンなので、駅の近くの松屋に入り、カレーとカルビ焼きを食べた。松屋でカレーを食べたのは初めてだったけど、これが意外に美味い。3軒隣りにCoCo一番屋があるのだけど、そこはどんなに辛いカレーを注文しても、どんなトッピングをしても、なぜか満足感が得られないのだ。松屋のカレーは思いがけない拾い物だった。
それに松屋は白ご飯がすばらしく美味い。数年前、山形駅前の松屋に入ってその美味さに驚き、しばらくの間、シミジミと白いご飯だけ味わって満足したことがあった。

明日はカラコレ打合せ。全688カットを一覧表に書き出し、それをもとに技術者に明るさ、色合い、コントラストなどの微調整をお願いする。特に最後のコンサートシーンは朝から夕方まで、晴れようが曇ろうが陽が落ちようが撮り続けなければならなかったので、それを一様に見えるように調整するのは至難のワザだろう。
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2011年01月14日

『わたしを離さないで』 1

昨日今日と『JAZZ爺MEN』の音楽録りだったのが、音楽監督が来ないでくれと言うので、20世紀フォックスの試写室に行って『わたしを離さないで』を観て来た。
この映画は東京国際映画祭に出品されたそうだが、サボってしまったので、全く予備知識は無かった。でも、試写状の写真がきれいだったので、映像が美しい映画なんだろうなぁくらいの期待で観に行ったのである。

確かに美しい映像だった。主人公たちの子供時代はお揃いではないけれど、抑制された淡いブルーグレーの色調の使い古された衣裳に統一され、古城のような学校が建つイギリスの田園は絵に描いたようだった。
しかし、そこに語られるストーリーは、映画が進むにつれ、非情極まりないものであることが解ってくる。

その時代、医学が進歩して、人間の平均寿命が100歳になったというテロップが冒頭に入るのだが、時代設定は1960年代という、ちょうど1987年に作られた『1999年の夏休み』を2011年に観ているという感覚だと思えばよい。結末は本当に衝撃的で、希望を持たせるような甘いモンではない。静かな静かな映画で、ASCにもこんなに審美眼に優れたカメラマンがいることに驚いた。ただ、どこにもピントが合っていないようなカットが少なからずあるのはどういうことなのだろう。

でも、美しかったなぁ……。女の子がきれいだったなぁ……。

音楽監督の猛獣のような顔を見なくて幸せな日だった。彼は今日も『JAZZ爺MEN』の音楽を録りながら泣いたそうだ。エンドロールに入れるチェロの奏者は泣きながら弾き、サックスの奏者もラストシーンだけ観て泣いたそうである。僕もパソコンでカット表を作りながら、ラストの井上順さんの表情を見てウ、ウ、ウ……
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2011年01月06日

清水章吾さん 4

清水章吾さん、ブログに書き込み、ありがとうございました。

前回、『JAZZ爺MEN』のラストカットのことを書きましたが、慌ただしい撮影条件のなかで、よくあれだけの集中力が保てたものだと本当に感心しました。で、清水さんのブログを拝見したところ「あれは演技ではなく、本当に泣いていたんだ」ということが書かれていました。
そうだったんですね。

実は、2曲目の撮影をしていたとき、移動車に載せたプロジブで観客の頭上にカメラを突き出し、頭をナメながらバンドメンバーにトラックアップするというカットがありました。カメラが寄っていくと段々はっきりとメンバーが見えるようになるのですが、そのとき気が付くと、右端にいる清水さんが指揮をしていなかったのです。
僕は演技をしていないのかと思い「ヤバイ!フレームに入っていないつもりなんだろうか?」と反射的に、早く清水さんが切れるようにカメラを左にパーンしてしまいました。と言っても切れるほどパーンしたら変な画面になってしまうので、すぐにやめました。それで、ちょっとグラっと揺れたみっともないカットになってしまいましたが、編集でよく見ると、清水さんは泣いていたのです。リハーサルもロクにできない状況だったので、本当にすみませんでした。

監督はまだ、ハードディスクを家に持ち帰って、1秒とか数コマ単位で編集を直しています。だから、撮影した素材で最高のリズムを持った映画を作っているはずですが、編集を終わらせたら自分の手から離れて行ってしまう、それが寂しいと思っているのではないでしょうか。

いいお知らせもあります。
普通の映画は現像所でフィルムを焼くので、その現像所で完成試写をしますが、この映画はデジタル撮影デジタル上映なので、現像所が介在していません。なので、東京で試写をする場所に困っていたのです。そこでIMAGICA映画部の担当者に相談したところ、好意で試写室を使わせてくれることになりました。2月20日の本庄での招待上映の前に東京でご覧になれるチャンスが…、あ、清水さんは本庄にお住まいでした!うーん、じゃあ、本庄の早稲田芸術科学センターでも試写できるよう、頼みましょうか。
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2010年12月21日

『JAZZ爺MEN』感動のラッシュ 1

撮影が終わってから早や5週間、『JAZZ爺MEN』の編集もいよいよ完尺に限りなく近くなってきた。普通は監督ラッシュ、監督ラッシュその2、セミオールラッシュ、オールラッシュと進んで完尺となる。英語で言うとピクチャーロックで、もう、編集は変えませんよ。だから、これを基に音楽、効果音を付けてください、というものである。
しかし、宮武監督はオールラッシュが終わってから10日間、いまだに推敲を重ねている。

オールラッシュではほとんど音楽が入っていないのであるが、それにも拘らず、泣けて泣けて、どうしようもなく泣けてしまうのだ。それまで何度も編集で見ているのに、最後のシーンはハンカチを出さずにはいられない。

この映画は、地方都市のダメダメおじさん・おばさんが集まってジャズコンサートをしようという話であるから、当然のこと、ラストシーンはジャズコンサートである。商工会議所とショッピングモールが募集したのだけど女性ピアニスト以外の4人は全くの素人だったという設定だ。
ところが、音楽監督の磯田健一郎氏が「5人ではビッグバンドの音にならないから、少なくとも3人増やしてくれ」という注文が出た。それで宮武監督は頭を振り絞り、ショッピングモールの支配人(徳井優)がジャズ好きで、後半からベースで参加し、花山(上田耕一)の、パンクバンドをやっていて「クソジジイ」が口癖の孫(川村亮介)がドラムで、指導者野津手(清水章吾)の教え子(水野神奈)がトロンボーンで参加するということにした。

そしてラストシーン。演奏が終わり、満場の拍手。メンバーのアップがスローモーションで入る。高齢者メンバーは皆泣いている。ところが若者2人は明るく笑っているのである。
撮影のときはカメラをキャスター付きのプロジブに載せて、次々と連続的にワンカットで撮っていった。泣いている清水さんから水野さんにパーンしたとき、彼女が笑っているので「あれっ?」と思ったのだった。
ところがこうして編集されたものを見ると、当初、この映画は「高齢者を元気にする」映画を目指していたのだが、プラス、図らずも「世代間の交流」が描けているのではないかと思った。高齢者と若者が力を合わせて練習してきたけれど、若者の笑顔は未来に向かっているのだという、ふか〜い意味が生まれてきたのだった。

今、磯田音楽監督は相模湖畔の自宅兼アトリエで「映画史に残る音楽(と言ってプレッシャーをかけている)」を作曲中である。ラストシーンの音楽をつけていると、何回やっても泣けてしまうと言うのだ。それを後ろで見ている奥さんも一緒に泣いているのだそうだ。
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