2011年02月19日

《JAZZ爺MEN》秘密試写会 4

《JAZZ爺MEN》が完成した。しかし、現像所を全く使っていないので、試写する場所が無い。有料試写室を借りる予算も無いので困っていたところ、某大手現像所の某担当者が空いている日を調べて試写室を貸してくれることになった。
最近はデジタル撮影が多くなり、こういうケースが増えているため、「試写室だけ貸せ」という要求が出るようになって困っているので秘密にしてくれと言いながら、2回も貸してくれたのだ。「高間さんとは長い付き合いだから」と言い訳しながら……。持つべきものは友達、亀の甲より年の功、である。感謝、感謝!

1回目は20人が立ち見、2回目は40人が立ち見の大混雑になってしまい、早く来たのに立ち見をお願いした若い人たち、ご協力感謝します。こういう映画なので観客の年齢層が高く、席を譲っていただきました。
上映終了後の暖かい拍手、ありがとうございました。皆様の感動のお言葉、満足感あふれた表情、嬉しかったです。上田耕一さんからはお礼のメールをいただきました。長いお付き合いの中でも初めてのことです。
清水章吾さんはご自身のブログにこう書かれています。

〈絹子とJAZZ爺MENの試写を拝見しました、出演者はとかく、話に入り込めないのですが、そして隣が、本庄市長の席で、本庄代表としては、クールにかっこよく観ようとしましたが、最後の方は、もう涙が止まりません、絹子もまた、泣いていました、俳優は腹式呼吸なので、う!う!う!と堪えていると、腹がぶるぶる震えてしまって;;
人間の美しさと悲しさを綺麗な映像で表現されて、とても一週間で撮ったとは思えないし;;よくまあ撮り終えたなーーーと言うのが感想です、本庄は住んでると意外と解りませんが、とても暖かな綺麗な景色です@@
今時ドライな社会ですが;;学生さんなんかにも観て貰いたいな@@
夫婦の絆!人間同士の絆!親子の絆!考えさせられます、コミカルなカットもあり、最高の映画になっていました@@20日が劇場でお披露目会がウニクスでありますので、また関係者の皆様とはお会いします〉

僕はオールラッシュのとき、この腹式呼吸状態になりました。最後にはもう堪らず、ハンカチを出しました。
奥さんを1年前に肺腺癌で亡くした録音技師は、ダビングのとき、我々に背を向けて泣いていました。奥さんを亡くしてからは無気力状態になっていたけど、この仕事をして、生きる意欲が湧いてきたと言っていました。

「もう、思い残すことはありません」という年賀状をくれたふくまつみさんの嬉しそうな顔、抱きつきたくなるような徳井優さんの笑顔、あのときよりもっと美人になった岡まゆみさん、映画の中のほうが美人だった(失礼!)宮下ともみさん……、みんなにハグしたかった!
川村亮介くんはトンガリ頭が無くなって、普通の好青年に。あ、酒井敏也さんは知らない間に帰ってしまった。黛英里佳さんも、他のお客さんに対応している隙に帰ってしまったようだ。残念!

井上順さんは、自分が出演した映画は映画館でお金を払って観るのが主義だそうで、あんなに完成を楽しみに待っていてくれたのに、ナンという皮肉!
河原さぶさんはすでに沖縄に移住してしまったので、DVDを送ったところ、「もう6回見た」と宮武監督にメールがあった。このDVDを自分の棺桶に入れてもらうそうだ。「沖縄上映があったら、ティーチインをしてやるよ」と言ってくださっている。

この《JAZZ爺MEN》、大きな力を持った波になっていくような気がする。なったらいいなぁ。なるんじゃないかなぁ……。
    • 6 Comment |
    • 0 Trackback |
2011年02月03日

試写会の日々 1

2月撮影予定の映画が5月に延びて《JAZZ爺MEN》のポスプロダクション以外、することがなくなった。で、『わたしを離さないで』を皮切りに、試写会めぐりの日々を送っている。

ある金曜日、小林聖太郎監督の『毎日かあさん』を観るために銀座の松竹本社に行く。聖太郎監督は『ナビィの恋』で新藤風監督とともに助監督をしてくれた青年だ。前作の『かぞくのひけつ』もデビュー作とは思えない面白さだった。

試写室に座っていると後藤幸一監督が入ってきた。後藤監督とはお互い助手時代から30数年のお付合いで、三朝温泉を舞台にした映画を久しぶりに撮るというので、去年の春、オファーを受けていた。ところがモロモロの事情でズルズルと延期され、いよいよクランクイン決定となったときには既に予定されていた別の作品とダブってしまい、温泉三昧を楽しみにしていたのに泣く泣く断ざるを得なかった。

この日、後日談を聞かせてもらった。
カメラマンは田中一成君に頼んだと言う。この前の沖縄・成都ロケの台湾映画も、僕が監督から却下されて一成君に代わった。30年前、僕の助手をしていた子が僕のすぐ後ろに迫ってきて僕を脅かしているのは嬉しいことである。
「高間さんならこういうカットは撮りませんが、僕は撮りますよ」なんて自分の柔軟さをPRしていたようだが、今は私も柔軟ですよ。でなきゃ1000万映画は撮れないでしょう、5億の映画も撮れますけど。

そんな話をしていると、どこかで見たようなオジサンが入ってきて、ニコッと親しみのある笑顔を僕に向けた。おお、秋山道男君だ。「ずいぶんオジサンになったなー」と言うと「お互い様でしょう」。
道男君とは40数年前、若松プロからの知り合いで、助監督やったり、作曲したり、面白商会やったり、無印良品立ち上げたり、桃井かおりと共演したりの多才な人だが、チェッカーズの発見者となって有名人となり、NHK教育などにも出演し、先生と呼ばれるようになった。
道男君の顔を見ると、40年前の青春が蘇ってきて嬉しくなってしまう。

翌週の火曜日はJSCの名作上映会。普段は京橋のフィルムセンターでやっているのだが、今回はモロモロの事情でIMAGICAの第1試写室をお借りして故工藤栄一監督の『ヨコハマBJブルース』を鑑賞。上映終了後、地下の「リュミエール」でコーヒーを飲みながら仙元誠三カメラマンのありがたーいお話。

その翌週の水曜日は、自分の作品の試写にも行かなくてはと思い、『死にゆく妻との旅路』を観るため京橋テアトルの試写室に行くが、案内もなければポスターも貼っていない。また日時を間違えたかと思いながら恐る恐るドアを開けると、なんだ、朴木浩美プロデューサーがいるではないか。あまりの人気に、わざとわからないようにして試写しているのではないか(そんなことないか)。
記帳しているとドアが開き、昔、CMでとてもお世話になった山本昌邦さんが入ってきて「おー、高間ちゃん」「あれっ!山本さん、ナンで試写状持っているの?」「何言ってんの、高間ちゃんから送ってきたんじゃない」
うー、相当ボケてる……。

翌木曜日、『木洩れ日の家で』を観に東銀座のシネマート銀座試写室に行く。入口に近づくと、岩波ホールの原田さんが僕の顔を見るなり「どうやって1000万で映画が作れるんですか?」といきなりの質問。
この映画は木立の中の文化遺産のような木造の家に住む老婆と愛犬が主人公。息子家族とのやり取り、隣人との関わりをモノクロ映像で静かに描く。試写室を出ると岩波律子さんが「どうでした?」と聞いてきた。律子さんとは『月山』からの知り合いだから、こちらももう30数年。15年ほど前、久しぶりに会ったとき、「どうしたの?普通のオバサンになっちゃったじゃないの」と言って、本気で怒らせてしまった。

翌金曜日は『青い青い空』を観に日比谷の東宝本社の試写室に行く。
この映画は、うちらのチームでよく照明助手をやってくれる石川欣男君が技師として参加した作品なのでお知らせをもらった。試写室に座っているとすぐに石川君が来て、僕の隣りに座った。こういう人は苦しい低予算の仕事には欠かせないスタッフだ。キツイ現場でも文句を言わずによく働き、現場を和ませ、それでいて正しいことを主張する。本当に頭が下がります。
撮影の三本木さんは『受験のシンデレラ』のカラコレを手伝ってくれた若いカメラマンだ。大変苦労のあった現場だとは思うけど、敢えて苦言を呈すると、もう少し丁寧なカメラワークをして欲しい。真っ赤な夕陽に染まる生活指導室の主人公の顔にでた縞模様など、どうにかならないものでしょうか。

監督の太田さんはこれが『ストロベリーフィールド』に次ぐ2作目だそうで、《JAZZ爺MEN》と同じような境遇の映画なので、出口で太田監督を捕まえて立ち話を迫る。
脚本を書き終えてから、ロケに相応しい街を探し回り、書道が盛んだという浜松に来て「ここしかない」と思ったそうで、それから地元の協力を取り付けて撮影にかかるまで、ナント4年!その間に似たような題材の『書道ガールズ』という映画が先に公開されてしまい、かなり焦ったという。こっちも最初は「書道」と「ガールズ」の間にハートマークが入ったものだったそうだ。その痕跡が、パンフレットからも読み取れる。でも、地元浜松では2館から4館にムーブオーバーし、延べ5ヶ月と1週間のロングランとなり、2万人動員したそうだ。我々も見習わなければならない。

2月2日はいよいよ我らの『死にゆく妻との旅路』の完成披露試写会。試写会は夕方からなのだが、昼過ぎ、映写チェックのため読売ホールに行く。スクリーンがビスタサイズになったまま映写が始まりそうなので映写室に注意しに行こうと思ったのだが、どこのホールも映写室の位置はわかりにくくなっている。昼飯中の係員を煩わせてなんとか入口に辿り着いたときにはもう始まってしまっていて、映写技師「あれえ、シネスコだよ」とか言っている。フィルム缶に何の表示もないのだろうか。

夕方まで時間があるので、朴木プロデューサー、塙監督、山方録音技師とで原作者を連れて増上寺に行き、ヒット祈願をしてもらった。
試写会は敢えて三浦友和さん、石田ゆり子さんの舞台挨拶があるという情報を載せなかったにも拘らず、1200名の満員御礼!
映画の後半はあちこちで鼻をグズグズさせる音が聞こえ、エンドロールが終わると自然発生的に拍手が起きた。

    • 4 Comment |
    • 0 Trackback |
2011年01月14日

『わたしを離さないで』 1

昨日今日と『JAZZ爺MEN』の音楽録りだったのが、音楽監督が来ないでくれと言うので、20世紀フォックスの試写室に行って『わたしを離さないで』を観て来た。
この映画は東京国際映画祭に出品されたそうだが、サボってしまったので、全く予備知識は無かった。でも、試写状の写真がきれいだったので、映像が美しい映画なんだろうなぁくらいの期待で観に行ったのである。

確かに美しい映像だった。主人公たちの子供時代はお揃いではないけれど、抑制された淡いブルーグレーの色調の使い古された衣裳に統一され、古城のような学校が建つイギリスの田園は絵に描いたようだった。
しかし、そこに語られるストーリーは、映画が進むにつれ、非情極まりないものであることが解ってくる。

その時代、医学が進歩して、人間の平均寿命が100歳になったというテロップが冒頭に入るのだが、時代設定は1960年代という、ちょうど1987年に作られた『1999年の夏休み』を2011年に観ているという感覚だと思えばよい。結末は本当に衝撃的で、希望を持たせるような甘いモンではない。静かな静かな映画で、ASCにもこんなに審美眼に優れたカメラマンがいることに驚いた。ただ、どこにもピントが合っていないようなカットが少なからずあるのはどういうことなのだろう。

でも、美しかったなぁ……。女の子がきれいだったなぁ……。

音楽監督の猛獣のような顔を見なくて幸せな日だった。彼は今日も『JAZZ爺MEN』の音楽を録りながら泣いたそうだ。エンドロールに入れるチェロの奏者は泣きながら弾き、サックスの奏者もラストシーンだけ観て泣いたそうである。僕もパソコンでカット表を作りながら、ラストの井上順さんの表情を見てウ、ウ、ウ……
    • 2 Comment |
    • 0 Trackback |
2011年01月06日

清水章吾さん 4

清水章吾さん、ブログに書き込み、ありがとうございました。

前回、『JAZZ爺MEN』のラストカットのことを書きましたが、慌ただしい撮影条件のなかで、よくあれだけの集中力が保てたものだと本当に感心しました。で、清水さんのブログを拝見したところ「あれは演技ではなく、本当に泣いていたんだ」ということが書かれていました。
そうだったんですね。

実は、2曲目の撮影をしていたとき、移動車に載せたプロジブで観客の頭上にカメラを突き出し、頭をナメながらバンドメンバーにトラックアップするというカットがありました。カメラが寄っていくと段々はっきりとメンバーが見えるようになるのですが、そのとき気が付くと、右端にいる清水さんが指揮をしていなかったのです。
僕は演技をしていないのかと思い「ヤバイ!フレームに入っていないつもりなんだろうか?」と反射的に、早く清水さんが切れるようにカメラを左にパーンしてしまいました。と言っても切れるほどパーンしたら変な画面になってしまうので、すぐにやめました。それで、ちょっとグラっと揺れたみっともないカットになってしまいましたが、編集でよく見ると、清水さんは泣いていたのです。リハーサルもロクにできない状況だったので、本当にすみませんでした。

監督はまだ、ハードディスクを家に持ち帰って、1秒とか数コマ単位で編集を直しています。だから、撮影した素材で最高のリズムを持った映画を作っているはずですが、編集を終わらせたら自分の手から離れて行ってしまう、それが寂しいと思っているのではないでしょうか。

いいお知らせもあります。
普通の映画は現像所でフィルムを焼くので、その現像所で完成試写をしますが、この映画はデジタル撮影デジタル上映なので、現像所が介在していません。なので、東京で試写をする場所に困っていたのです。そこでIMAGICA映画部の担当者に相談したところ、好意で試写室を使わせてくれることになりました。2月20日の本庄での招待上映の前に東京でご覧になれるチャンスが…、あ、清水さんは本庄にお住まいでした!うーん、じゃあ、本庄の早稲田芸術科学センターでも試写できるよう、頼みましょうか。
    • 9 Comment |
    • 0 Trackback |
2010年11月06日

感涙の『死に妻』初号試写 1

昨夜18時30分から五反田IMAGICAで『死にゆく妻との旅路』の初号試写が行なわれた。

この映画は昨年の8月2日にクランクインしたものの、8月10日には幹事会社からの入金がストップして早くも資金難に見舞われた。朴木浩美プロデューサーは親からの借金などで急場をしのぎ、文化庁からの助成金は幹事会社の借金返済に消えてしまうことを恐れて申請を取り下げざるを得なかった。
秋の1泊2日の実景ロケは塙監督のポケットマネーでやり繰りした。
1月の5日間の冬ロケは三浦友和さんからの○○で実現することができた。
そして、幹事会社を近年成長著しいIF社に変わってもらい、再度、文化庁に映画事業助成金を申請し、交付されることが決まった。

だからこの日は、100名近くの関係者の中に、文化庁から○○審議官と○○審査員が顔を見せた。

冒頭の挨拶で、朴木プロデューサーは苦難の多くは語らなかったが「私はプロデューサーとして名前を連ねていますが、本当のプロデューサーは塙幸成監督と三浦友和さんです」と言って会場の拍手を受けた。監督にとってもここまでの苦難の道が思い出され、すでに感涙状態となってしまった。

イマレコのシネマスコーププリントは、テストのときの若干の心配は杞憂に終わり、大した画質劣化も無く、スーパー35mmからのシネマスコープと堂々勝負できる画質を持っていたし、数年前には失望した色の出方も申し分なく改良されていた。フジフィルム販売会社のT地さんは「新ポジが貢献しているのではないか」と手前味噌を言っていたが、テストのときと現在との間には確かにポジの改良があったので、IMAGICAの技術向上と相俟って、良い相乗効果が出たのだろう。

技術者と若干の色修正打合せのあと、スタッフ約20名は駅の近所の居酒屋に移動した。すると既にそこには○○審議官と○○審査員が呑んでおり「いやー、語らずには帰れなかったんだ。出演者が2人だけだけど、風景がもう1人の出演者だったね。助成金出して本当に良かった」と本気で感動してくれたようだった。
録音技師の山方さんが「ダビングのとき、技術者が号泣していた」なんていうエピソードを披露したりして打ち上げの方も盛り上がり、時計を見るとナンと0時11分!「電車がなくなるから、先に帰ります」と飛び出した。貧乏カメラマンにタクシー代は無いのだ。

    • 4 Comment |
    • 0 Trackback |
2010年08月17日

三浦友和さん試写 4

思えばちょうど去年の今ごろ撮影中だった『死にゆく妻との旅路』!やっとポスプロの最終段階に入ってきました。

オールラッシュから更に7分切り落として1時間53分にスリム化しました。塙監督としては自分の身を切るようなツライ作業だったに違いない。
そして7月下旬にダビング。CG合成も加えられたが、どこがCGか、皆さん判るでしょうか?密かな楽しみです。

そして8月4日、IMAGICAのSPRIT DATA CINEでカラコレと呼ばれる色の微調整作業。ここでは1カットごとに明るすぎ、暗すぎを直したり、夏に撮影した秋のシーンの緑を少し黄色っぽくしたり、冬のシーンを寒そうにしたり、死に顔を顔色悪くしたり、回想シーンを半脱色してそれっぽくしたりと、映画を見てくれる観客が違和感を抱かないよう、自然な気持ちでストーリーに入り込めるよう、微力を尽くしているのであります。

映画はこの後、キネコという作業に入ります。デジタルからフィルムに転換する作業です。本来なら、フィルムレコーディングと呼ばれるシステムでフィルムネガを作るのが正しい映画創りなのでありますが、低予算映画なので、その約1/3の値段で済む日本独自のキネコ! その原理はHDCAM-SRというハイビジョンの最高画質のテープに採り込んだ映像を特殊なモニターに映し出し、それをフィルムカメラで再撮影するという方式。
モニターの色の出方がフィルムとはちょっと違うので、その分を見込んでカラコレをしなければならない。

再撮影するフィルムも、フジにするかコダックにするか、フジなら微粒子の64Dにするか、鮮やかな発色の160Tにするか、カメラマンが決めなければならない。前の経験から、キネコにすると色がちょっと押さえられたような感じになってしまうので、鮮やかな発色のフィルムを使うのも「手」かと思い、両者をテストしてみた。その結果、この映画に関しては色鮮やかにする必要性もなく、自然な感じを重視して64Dでキネコするよう技術者にお願いした。
しかし、無理繰りシネマスコープにしているせいもあるのか、全体にシャープネスが無くなり、ちょっとボケたような映像になってしまうのは、やはりキネコの技術的限界というものなのだろうか…。

昨日は主演の三浦友和さん、原作を出版した新潮社、配給関係各社をお呼びして、IMAGICA第2試写室で半完成試写!
ここで見るのは、音に関してはダビング後の完成状態だが、画に関してはキネコ前のカラコレ前の状態で、HDCAM-SRのビデオデッキを直接DLPにつないだデジタル上映だ。実はこの状態が最高に画がきれいに見えるということに気が付いた。あの小さなPanasonic HMC155でこれだけきれいに撮れるならば、これ以上ナニをよこせと言うんだ!このカメラを選んで大正解だった。

友和さんは今日の主賓なのに中央に座らず、僕が勧めても「いいよ、いいよ」と言って最後列の技術者用テーブルの隣りに座った。
僕は今日はDLP上映であり、完成するとこれよりも画質が落ちるんですと小声で説明すると、「多少荒くなった方がドキュメンタリーっぽくなっていいんじゃない?」なんて言っていた。

上映が終わると場内から拍手が起きた。関係者の試写で拍手が起きるのは三浦さんが来ているという事実を差し引いても珍しいことだ。これが、全スタッフが集まる完成試写だったら、僕が真っ先に拍手をする。それは苦労して完成まで努力した仲間を称える意味もあるからだ。でも昨日は、後半、泣き通しだったという人もいたそうだから、自然発生的なシミジミとした拍手だった。

ロビーに出た人々はなかなか立ち去りがたく、いつまでも立ち話をしていた。
    • 3 Comment |
    • 0 Trackback |
2009年07月25日

テスト試写 5

Canon EOS 5D Mark2、Panasonic LUMIX GH1、Panasonic HMC155で撮影し、シネマスコープのフィルムに焼いたテストの試写には30数人のカメラマン、関係業者の方々がお出でくださって、大いに盛り上がった。

一番心配していた5DとGH1のチラチラする動きは、IMAGICAの技術で滑らかになっていた。5Dの30pから24pに変換する方法は何通りかあるが、動きの滑らかさに重点を置いた変換方法を取ってくれたそうだ。GH1の60iから24pへの変換も2-3-3-2プルダウンが上手く行き、本当の24pになっていた。

『炬燵猫』や『受験のシンデレラ』のときのイマレコは、色が少し薄くなってしまうのが不満だったのだが、今回は同じイマレコでも、色の彩度が高い フジフイルムのETERNA Vivid 160というネガを使用したため、色が薄いという印象は無かった。

ただ、不思議だったのは、モニターで見たとき、3台の画質の差があれほどあったのに、フィルムにして大スクリーンで見ると、その差があまり感じられないことだった。
これは、進化したイマレコといえども所詮はキネコで、ここら辺にある種の限界があるのではないか。正しきフィルムレコーディングだったら、もっと歴然とした差が表れるのではないだろうか。
しかし今回は、そこまでの比較テストをする気はない。フィルムレコーディングが良いのは火を見るよりも明らかだし、それを再確認したところで、その費用を捻出できる製作予算ではないのだ。

そんなこともあって、3台のうち、意外な健闘を見せたのがHMC155だった。
GH1の1/16、D5の1/64という小さな面積のCCDで、ほぼ互角に勝負しているのだ。動きは始めから滑らか(当たり前の話しだが)、パーンしても像が歪まない、撮影中も外付けのモニターが見られる(これも当たり前の話し)メリットは手放しがたいものがある。

「それで高間さんはどのカメラを使うんですか?」と鋭い質問を飛ばすのは『少年メリケンサック』をSONY F35で撮影した田中一成カメラマン。
「田中チャンだったらどうする?」と逆襲すると、
「僕だったら155ですね」という明快な即答。この毒舌男が言うのだったら間違いは無いだろうってことで、優柔不断な私も決心が付いたのであった。

試写が終わって、IMAGICAの技術者が「別室でお見せしたいものが…」。
それは、「今回のフィルムでは動きの滑らかさを重視した変換方法を取ったのですが、画質を重視した変換方法もやってみました」と言って、HDモニターでHDCAM SRを見せてくれた。5Dのキネコ前の状態で比較してみると、確かに若干シャープに見える。だけど、人物の動き、車窓の景色の流れはチカチカとしていて、やはり欠点の方が気になってしまう。

HMC155でという決定に、監督よりも「きれいに撮ってね」と言っていた一番えらいプロデューサーのニコニコ笑顔に安心した。

キヤノンさん、すみません。オマケのつもりで出した動画機能に散々ケチを付けてしまって。24pモードができたら、絶対に映画で使わせてもらいますから。ヨドバシカメラで見た『凛と。』というデモフィルムは素晴しかったですよ。
    • 0 Comment |
    • 0 Trackback |
2008年11月26日

TOKYO FILMeX 5

昨日はTOKYO FILMeXで上映された『ノン子36歳(家事手伝い)』を観に有楽町の朝日ホールに行った。

東京国際映画祭もTOKYO FILMeXも、僕にはゲストIDパスが発行されるので(エッヘン!)すべての映画を無料で観ることができるのである。であるので、席は招待席で、左隣はドナルド・リチーさんが座っていた。
リチーさんは戦後、日本映画を世界に紹介したえらい人で、20年前、金子修介監督の『1999年の夏休み』を国際記者クラブで上映したとき、監督と一緒にディナーをご馳走になった。もちろんそんなことを言い出しても、リチーさんは困るばかりだろうから、僕は何も言わず、黙っていた。有名人だから、いろんな人が挨拶に来る。どこかでお見かけした外人もいたけど思い出せない。
日本人のお婆ちゃんも来た。「ノン子です」黒澤プロの野上照代さんだ。厚い茶封筒をリチーさんに渡す。「ナニ?食べ物?」と訊いたけど、ノン子さんは自分の席に戻っていった。開けてみると『かあべえ』のDVD。『かあべえ』は野上さんの自伝なのである。ちなみに、『ノン子36歳』は野上さんとは関係ない。念のため。
熊切監督、頑張ってね。

こういう映画祭は、ふだん、なかなか会えない人に出くわすのが楽しい。昨日も帰りがけに「高間さーん」と呼ぶ声がして、後ろを振り返ると星久美子さん。堀江慶さんのマネージメントをしていた人だ。素晴しい美人!やはり、元女優だということだ。

東京国際映画祭のときは『ワイルドライフ』で一緒に仕事をした録音技師の山方さんに会った。メッポウ中国映画に強い人で、『さくらんぼ―母と来た道』の女性プロデューサー、ミッシェル・ミーさんを紹介してくれた。ミーさんは来秋に監督するかプロデュースする映画があるので、一緒にやらないかと言ってくれた。こんな出会いから仕事が実現すれば嬉しいですね。

で、今日は金子修介監督の『プライド』のオマケというか、主題歌のプロモーションビデオを北新宿の小さなスタジオで撮影した。久しぶりにステファニーと満島ひかりちゃんのデュエットを聞くことができて楽しかった。
撮影終了後、ステファニーは週刊現代のグラビア撮影が残っていたので、監督とひかりちゃんとで大久保の町に食事に出た。TOKYO FILMeXに行こうかとも思っていたが、監督がご馳走してくれるというので、焼肉の誘惑に負けてしまった。


I went to Yurakucho Asahi Hall to see a film "Non-ko (literary
translation: Non-ko 36years olds domestic help(ノン子36歳
(家事手伝い))", which was the one of the programs for a
film festival, "TOKYO FILMeX" yesterday.

Since guest IDs have been issued to me for Tokyo International
Film Festival and Tokyo FILMeX(big shot here), I was able to
see all films in those festivals for free. My seat was a
reserved seat and, at this time, Mr. Donald Richie was sitting
on my left.

Mr. Richie is a great person who introduced Japanese cinema to
the world after WW. Director Syusuke Kaneko and I had been
invited a dinner from him as Director Kaneko's film "Summer
Vacation 1999" was played at the Foreign Correspondents'
Club of Japan 20 years ago. Of course, I thought if I brought
up this story, it would confuse him. So I decided not to
mention it. Since he was famous, lots of people came to
greet him. There were several foreign people whom I must have
seen somewhere before, but I couldn't remember their names.
A Japanese elderly lady came to him saying "I'm Non-ko".
She was Ms. Teruyo Nogami from Kurosawa production. She
gave a thick brown envelope to Mr. Richie. She was asked,
"What? Is this food?", but she just returned to her seat.
As it was opened, there was a DVD, "Our Mother (かあべえ)".
"Our Mother (かあべえ)" was Ms. Nogami's autobiography. By the
way a film "Non-ko" has nothing to do with Ms. Nogami. Just
in case.
Good luck, Director Kumakiri.

Whenever I go to this kind of film festival, it's fun to be
able to meet people whom I rarely see. Yesterday, as I was
leaving someone called out, "Mr. Takama!" As I looked back,
I saw Ms. Kumiko Hoshi. She used to do management work for
Mr. Kei Horie. She was gorgeously beautiful. She was a former
actress, indeed.

As I went to Tokyo International Film Festival, I met a
recording engineer, Mr. Yamagata whom I worked with for a
shooting of "Wildlife". He's very familiar with Chinese film.
He introduced me Ms. Michelle Mi who was a female producer
for a film called "Cherries". Ms. Mi will have a project which
she might produce or direct next autumn. She asked me if we
could work together. I'm happy if this kind of encounter
results in a project.

For today, I ended up doing some extra work for Director
Kaneko's film "Pride". I shot Promotional Video for the film's
theme song at a small studio in Kita-shinjyuku. As it's been
a while since I last heard them, I enjoyed listening to a duet
by Stephanie and Hikari Mitsushima again.
Stephanie had to go to a photo shoot for "Shukan Gendai" after
this session. Director Kaneko, Hikari, and I went to the area
around Okubo to eat a dinner. In fact I was thinking of going
to Tokyo FILMeX, but since Director Kaneko offered a dinner,
I gave in to the temptation of grilled beef.
    • 0 Comment |
    • 0 Trackback |
2007年09月12日

試写会荒らしの日々 5

このところ、本業の撮影が暇になったので、あっちこっちの試写会に顔を出している。引きこもりにならないようにね。

『ミス・ポター』
もう、公開が始まってしまったけれど、とても安心して観られる映画。
ピーター・ラビットの作者の話で、出てくる人はみな善人。人を騙そうなんていう人は出てこない。安定した演技、安定した作風、綺麗な景色。ああ、これが映画なんだなァ…。

『てれすこ』
オフィス・シロウズ初の時代劇。『ナビィの恋』『ホテル・ハイビスカス』で呼んでいただいた。信頼する佐々木史朗社長には失礼だが、シロウズでこんなに立派な本格的時代劇が作れるとは思ってもいなかった。特に美術がしっかりしていて、セットに安っぽさが見られないのは見事!遊郭のセットなど『さくらん』の数倍豪華でリアルだ。柄本明さん、上手いな〜。30年前、お互い若い頃、『ひらけ!ポンキッキ』の仕事をしたけど、こんな未来は予想できなかったなァ…。

『シアトリカル』
唐十郎、虚虚実実のドキュメンタリー。面白い!笑っていたと思ったら、何気ないことが切っ掛けとなって怒り出したり、飲み会が突如、芝居の稽古になったり、油断もスキもあったもんじゃない。でも、監督は慣れていたんじゃない、お父さんで。あの、大島渚監督だもの。
夕焼けとクレーン

最近、夕焼けが綺麗。ただ、裏のマンション建設がうるさい!窓を開けると建設重機のディーゼル排気ガスが入ってくる。

それから、今日は【911】だけど、6年前、リアルタイムでニュースを見ていた。こんなに脆くビルが崩れるものなのかと思った。降下しながらカーブして細いビルに命中するなんて、神業に近い操縦技術だと思った。そんな疑問がこのビデオで…。

http://www.asyura2.com/07/war88/msg/914.html#top

    • 0 Comment |
    • 0 Trackback |
2007年08月27日

『シッコ』観ないと後悔 5

「本日公開、観ないと後悔」というチョーオヤジギャグのキャッチも相応しいマイケル・ムーア監督の『シッコ』を観た。

正しい解説は新聞各紙に掲載されているのでそちらに譲って、僕の率直な感想は「アメリカ人ってバカだなァ」っていう感じ。だって、国民皆保険制になると社会主義になって、麦畑強制労働に送られるって真剣に信じている人がいるんだもの。
アメリカの医者、政治家、保険会社、そんなに儲けなくたっていいじゃないか!一般人よりちょっと良い生活が出来ればいいじゃないか!それで満足しろよ!限りない物欲の結果がアメリカの悲惨な保険事情を形成しているということが『シッコ』を観ていると浮かび上がってくる。

共産主義はおろか、社会主義という言葉に関して、一般的アメリカ人は我々には信じ難いほどの拒絶感というか、ほとんど恐怖心に近いものを持っている。入国ビザだって共産党にいた人には出ないし、ASC(アメリカ映画撮影監督協会)の入会規約にも「共産党員ではないこと」っていう項目があるんだ。

それとは反対に、原爆に関しては驚くほど楽観的なんだ。映画の中でも危機一髪、原爆を海に投げ入れて爆発させてセーフ!なんて恐ろしい話がある。日本人は広島・長崎の被爆直後の映像、その後の原爆症の映像などを何度となく目にしているが、そのアメリカの戦略爆撃調査団が撮影した映像をアメリカ人は見ていないのだ。原爆が落ちたら机の下にもぐって亀のように上着をかぶれば大丈夫!なんていうPR映画を政府が作っていたのだ。

僕は25年前、ニューヨークのジャパンソサエティで行われた「10フィート運動」の映画『予言』の上映会に立ち会ったことがあるけれど、初めてケロイドを見たアメリカ人婦人の驚き様は凄かった。
12月9日に『ブルーサンダー』の撮影現場に行くと「昨日はお祝いしたか?」と聞かれた。「真珠湾攻撃の日だろ」と言うわけ。アメリカ人の中では広島・長崎より、真珠湾の方が重いのだ。

その頃、僕は1年間アメリカで生活していたのだけど、ソーシャル・セキュリティ・ナンバーというのがあって、それは社会保険番号と訳されていたので、国民健康保険のようなものかと思っていた。ところがそれは税金を取り立てる制度で、国民皆保険は無いと聞かされ、信じられなかった。幸い僕らも若かったし、子供も健康だから良かったようなものの、病気や事故にあったらどうなっていたことやら!

ま、アメリカは自由主義を掲げた徹底した金持ち社会になっているのだ。それがイヤなら社会主義になるよと脅かしているわけ。別に貧乏人には社会主義は怖くはないけどね。そこで麦畑強制労働が出てくるのだろうね。

ついでに言うと、自動車のいわゆる「自賠責」も無いんだよ。自分の意思で保険を「買う」わけ。だから、保険に入っていない車にぶつけられる可能性だって充分あったのだ。危ない危ない。
    • 0 Comment |
    • 0 Trackback |