2011年04月18日

《JAZZ爺MEN》大盛況の舞台挨拶 5

《JAZZ爺MEN》のユナイテッドシネマ・ウニクス上里での公開初日は午前10時開映なのに、9時30分には300席が完売。満員の注視のなか、ブルーレイによる上映が始まると、前半は笑いが絶えなかったが、後半になると洟をすする音が絶えなかった。そして、クライマックスのコンサートの「茶色の小瓶」を演奏している最中、心配していた余震が来た!しかし、逃げ出す人も、立ち上がる人も、悲鳴を上げる人も無く、全員が冷静でいてくれたことがとても嬉しかった。

宮武由衣監督の名がロールアップして客電が点くと場内は自然発生的拍手が起こった。

続いて舞台挨拶になり、先頭を切った本庄市長が早速スマートフォンから得た地震情報を報告して観客を安心させた。
次に挨拶に立った宮武監督は身長が低くてマイクに届かない。普通なら係りの人が来て、サッとマイクの高さを調整するところなのだが、都内の映画館と違い、舞台挨拶などあまり経験が無いためか、プロのイベント業者を入れてないためか、誰も面倒を見てくれる人が近づいて来ない。しかたなく監督は、マイクを精一杯下に向け、背伸びするように話しをした。

終わると司会者のアナウンスの後、両手を高々と上げて井上順さんが登場し、ワイヤレスマイクが渡された。スパイダーズ時代の「振り」をちょっと披露すると、それだけで場内が沸く。次に、当本庄市に在住している清水省吾さん、本庄市生まれの黛英里佳さんが登場。監督と併せて4人がスクリーンの前に並んだが、司会の空白があり、マイクを持っている井上さんが「挨拶していいの?」と一歩前に出ると「あ、ちょっと待ってください。お土産が…」と、全員に豆腐セットが渡された!どういう進行なんだろう!で、豆腐会社の社長が出てきて豆腐の説明…。ちょっと間が悪いんじゃないの?

2分ずつのスピーチが終わると抽選会。4人のサイン入り色紙が10名に当たる。井上さんが「写真撮ろう」と言い出して、当選者一人ひとりを俳優が囲んで記念写真。家宝になるだろうね。

ロビーに出ると出口近くに俳優と監督が並んで握手会。ただし、パンフレットを購入した人のみということで、パンフレットも良く売れた。
このパンフレットは《死にゆく妻との旅路》のアイデアをいただいたもので、綴じずにB5のクリアファイルに入っている。ファイルの表紙はポスターと同じ構図だが全員タキシードのバージョン。中身の原稿は手作りの試写会用プレスのまんまなので、裏は白紙になっていて、そこにサインを求める人が続出し、係員は「サインはご遠慮してください!」と叫ぶのだが全く止まらず、俳優も監督も笑顔でサインに応じていた。

その後、休む間もなく被災者訪問。本庄にも東北から集団避難している人がいて、その人たちをコミュニティセンターに集め、映画のモデルになったジャズバンドの演奏会があるのだ。
ここでも井上さんは両手を高く上げて登場、スパイダーズの「振り」をして笑わせる。どこに行っても人気者で、考えてみるとテレビでも被災地を訪問している芸能人のニュースをやっているけど、こういうことが現在の被災者の方々には一番喜ばれるのではないだろうか。

さらにここで井上さんは大盤振る舞い!4月22日から三越劇場で公演する『イヴ・モンタン 彼を憎んだ女と男』に希望者全員を招待すると発表した。本庄から日本橋までバスで送迎、お弁当つき、もちろん無料。『ラヂオの時間』の撮影のときも「競馬で儲けた」と言って、スタッフ・キャスト50名全員にうな重をご馳走してくれたことがあった。大物感があるなぁ。

清水省吾さんは画家の奥さん(ハルマンさん)とお絵かきセットを子供たちに配った。これもテレビの受け売りだけど、子供たちに絵を描かせることは、ストレス解消にとても効果的らしい。自由に描かせると、精神状態が安定していく様子が絵に表れるのだという。

映画館に戻ると、2回目の上映が終わっていた。160数名の入場者だと言う。やはり舞台挨拶があると無いとじゃ差が出るなぁ。これから心配だなぁ。アンケートの回答を見ると「もう1回見ます」と書いている人もいて、とても良い評価なんだけど、口コミだけが頼りの低予算映画だからなぁ…。
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2011年03月20日

悪運強し! 2

この1週間、第2次世界大戦の広島・長崎の破壊に相当する災害で、電話での第一声が「お宅は大丈夫でしたか?ご家族は?」という挨拶になってしまった。

実は11日の夕方はユニジャパンに行く約束になっていて、もし地震が数時間遅く起きていたら帰宅できなくなっていた。
もし1週間早かったら「ふるさと発:元気プロジェクト」の取材ロケで秋田から帰れなくなっていた。
もし4ヶ月早かったら、福島原発の南のいわき市の海岸で渡辺文樹監督の『金正日』を撮影していた。
もし2年早かったら、気仙沼で小林政広監督の『春との旅』を撮影していた。

ロケから帰ると雨が降るというふうに、わたしは悪運が強い。

小林監督は気仙沼近くの唐桑という地が気に入り、民家を借りて改造し、別荘として使っていたけど、地震と火災でどうなってしまったろうか。
撮影した気仙沼港はテレビの影像を見ても、どこがどうなってしまったのか、原形をとどめないので、あの当時を思い出すこともできない。

海沿いのある町では1000人の遺体が発見されたという報道があったが、ニュースにその映像は流れないので、にわかに信じがたいものがあった。その町に限らず、ニュースカメラマンは遺体収容の映像を撮影しているのかもしれないが、視聴者の感情を考慮して編集で切るのだろう。

それに対し、外国メディアは日本人に対する配慮は無用なので、非常にリアルな報道がなされている。

http://news.livedoor.com/article/detail/5426354/

これを見ると、毛布からはみ出している遺体の手など、ドキッとさせられるとともに、本当に感動する写真もある。災害の写真というよりも、ほとんど戦場の写真を見ているようだ。
この破壊された街が再建され、人々の生活が元のように戻るまで、何年かかるのだろう。
政府と電力会社は原発に頼ることをやめるだろうか。元来危険な原子力にインフラを頼りにしてはいけなかったのだ。「原発は安全ですから」と主張し、「万が一のことはあり得ないから、その対策も無い」と言っていた。太陽光発電や風力発電には冷ややかで、お荷物扱いしていた。「供給量が不安定なので、その分、火力発電所を増やさなければならない」という理屈だった。

ここら辺で国民の贅沢な意識も根本的に考え直さなければならない時代になったのではないだろうか。私のように、みんなが貧乏生活をすれば良いのだ。
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2011年01月23日

渡辺文樹監督、理不尽な! 2

《JAZZ爺MEN》の本編集を終えて帰宅すると、渡辺文樹監督から「怒りの葉書」が届いていた。

「前略お世話になっております。私共の撮影報告に対しても何ら誠意が見受けられないのは非常に残念です。様々な方の資本をもって製作している以上、このまま看過する事は到底出来ません。近々民事訴訟等で争いたいと考えております。本気で闘いますので宜しくお願いします。1,2月は取材で関西におります」

渡辺監督からは1月3日に『朝鮮物語』の撮影に参加したことについて感謝の意を表し、「ギャラの支払いはもう少し待ってください」という年賀状が来たのだが、5日には手紙が来て「撮影してもらったラッシュを正月休みに見たのだがピンボケなどのNGが多い。もう一度役者を集めなければなりません」という内容と数十に及ぶNGカットが書いてあった。
サインペンで書かれた達筆を解読し、NGカットの内容をチェックすべく、シナリオに書き込んだメモと撮影当日配られた画コンテと自分の手帳の記録を照合してNGカットリストを作るのに2日かかった。
それをプリントアウトして、「カメラマンと撮影助手が行って、16ミリの撮影で、こんなにピンボケが出るとは俄かには信じ難い。撮影途中で帰ってきてしまってラッシュも見ていないのは無責任でもあるので、助手と2人でお宅まで伺ってとにかくラッシュを見たい。来週のご都合はいかがですか?」という手紙を出した。

渡辺文樹さんはパソコンとメールは一切ダメな人なので、手紙を書くしかないのだ。しかし、悠長に手紙の到着を待っていたのでは手遅れになるかもしれないと思い、電話もかけてみた。
携帯電話は「パケット通信中か電波の届かないところにいるか、電源が入っていません」ということなので、自宅に電話すると「撮影に出ております。連絡は携帯電話にお願いします」となっている。一応、留守録にメッセージを残し、その後何回か電話をしたけれど、返事はなく、この「怒りの葉書」になってしまったわけだ。

NG理由の中には、「天井の破損が写っている」というのが3カットあったが、ボロボロの廃ホテルで撮影しているのでどうしようもなかった。ま、北朝鮮の招待所だから、そういうことも現実にはあるだろうという了解の下で撮ったのではなかったのだろうか。

「自衛官の後ろに老人が写っている」というカットは、15人の自衛隊精鋭部隊の半数はシルバー人材派遣の人なので、顔を写さないようにしてくれと言われたのだが、ピンボケでないテイクは老人の顔が写ってしまったという私の不注意なのだ。半数の若い人も、何人かは他の役で登場している人なので、その人も顔が判らないようにしなければならなかった。

「大井川鉄道の遠景は全て露出オーバーでNG」とあるのは、3台のキャノンスクーピックのうち、僕以外はメーターを持っていない監督とボランティア助監督が撮影しているので責任は持てないのだが、最近のフジフィルムは3絞りオーバーでもノーマルに補正できるので、ぜひラッシュを見て判断したいと思った。

「トンネル内の撮影は全カット片ボケNG」というのは、もしそれが本当ならば、撮影助手のフォーカス合わせの問題ではなく、ズームレンズは固定式なので、考えられる原因はカメラ内部のプレッシャープレートが正しい位置に固定されていなかったのかもしれない。それであれば私と助手の責任だが、映写機のせいかもしれないので、これもラッシュを見て原因究明をしなければならないと思っていたのだ。

とにかく、渡辺文樹さんとは連絡の取りようがない状態なのだ。会って話せば解決方法はあると思う。ギャラを払わない方便だとは思いたくはないけれど、そうだとしても、協力者を切っていくようなことはあまり得策ではないように思えるのだが…。
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2011年01月16日

『JAZZ爺MEN』編集終わる? 3

いよいよ『JAZZ爺MEN』の本編集が近づいているので、ファイナルカットプロによる編集はいい加減に終わらせなければならない。って言うか、とっくに終わっているはずじゃあなかったのか?

最近は本編集と言っても、ファイナルカットプロでHDのクウォリティになっているので、色補正とか、スローモーションとか、タイトル入れの作業をするだけになっている。

しかし、これが最後かという目で全カットを眺めていくと、気になるカットが出てくるもので、ふくまつみさんが腹筋しているカットの尻が止まっているように見えるので11コマ切って、その分、上田耕一さんがリズム取りながらキュウリの収穫をしているカットの頭を伸ばしてもらった。

そのほかの気になるカット、例えば、カメラがちょっと斜めになっているとか、人物の頭をもう少し切った方がバランスが良くなるとか、そんなカットがボロボロ出てきて、シツコク編集をしている宮武監督がウンザリした顔を見せた。

オッと時計を見るともう9時に近く、ポレポレ東中野で上映する大谷寿一監督の『ケサル大王』の試写に間に合わなくなってしまった。この映画は大谷監督が執念を燃やしてチベットに通っているドキュメンタリーで、まだ完全版ではないのだけれど、サポーターに見せてくれるという貴重な機会だったのだ。

結局、編集が終わったのは12時過ぎで、終電1本前の電車で帰る破目になってしまった。
これから家に帰って晩飯の用意というのもナンなので、駅の近くの松屋に入り、カレーとカルビ焼きを食べた。松屋でカレーを食べたのは初めてだったけど、これが意外に美味い。3軒隣りにCoCo一番屋があるのだけど、そこはどんなに辛いカレーを注文しても、どんなトッピングをしても、なぜか満足感が得られないのだ。松屋のカレーは思いがけない拾い物だった。
それに松屋は白ご飯がすばらしく美味い。数年前、山形駅前の松屋に入ってその美味さに驚き、しばらくの間、シミジミと白いご飯だけ味わって満足したことがあった。

明日はカラコレ打合せ。全688カットを一覧表に書き出し、それをもとに技術者に明るさ、色合い、コントラストなどの微調整をお願いする。特に最後のコンサートシーンは朝から夕方まで、晴れようが曇ろうが陽が落ちようが撮り続けなければならなかったので、それを一様に見えるように調整するのは至難のワザだろう。
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2010年12月21日

『JAZZ爺MEN』感動のラッシュ 1

撮影が終わってから早や5週間、『JAZZ爺MEN』の編集もいよいよ完尺に限りなく近くなってきた。普通は監督ラッシュ、監督ラッシュその2、セミオールラッシュ、オールラッシュと進んで完尺となる。英語で言うとピクチャーロックで、もう、編集は変えませんよ。だから、これを基に音楽、効果音を付けてください、というものである。
しかし、宮武監督はオールラッシュが終わってから10日間、いまだに推敲を重ねている。

オールラッシュではほとんど音楽が入っていないのであるが、それにも拘らず、泣けて泣けて、どうしようもなく泣けてしまうのだ。それまで何度も編集で見ているのに、最後のシーンはハンカチを出さずにはいられない。

この映画は、地方都市のダメダメおじさん・おばさんが集まってジャズコンサートをしようという話であるから、当然のこと、ラストシーンはジャズコンサートである。商工会議所とショッピングモールが募集したのだけど女性ピアニスト以外の4人は全くの素人だったという設定だ。
ところが、音楽監督の磯田健一郎氏が「5人ではビッグバンドの音にならないから、少なくとも3人増やしてくれ」という注文が出た。それで宮武監督は頭を振り絞り、ショッピングモールの支配人(徳井優)がジャズ好きで、後半からベースで参加し、花山(上田耕一)の、パンクバンドをやっていて「クソジジイ」が口癖の孫(川村亮介)がドラムで、指導者野津手(清水章吾)の教え子(水野神奈)がトロンボーンで参加するということにした。

そしてラストシーン。演奏が終わり、満場の拍手。メンバーのアップがスローモーションで入る。高齢者メンバーは皆泣いている。ところが若者2人は明るく笑っているのである。
撮影のときはカメラをキャスター付きのプロジブに載せて、次々と連続的にワンカットで撮っていった。泣いている清水さんから水野さんにパーンしたとき、彼女が笑っているので「あれっ?」と思ったのだった。
ところがこうして編集されたものを見ると、当初、この映画は「高齢者を元気にする」映画を目指していたのだが、プラス、図らずも「世代間の交流」が描けているのではないかと思った。高齢者と若者が力を合わせて練習してきたけれど、若者の笑顔は未来に向かっているのだという、ふか〜い意味が生まれてきたのだった。

今、磯田音楽監督は相模湖畔の自宅兼アトリエで「映画史に残る音楽(と言ってプレッシャーをかけている)」を作曲中である。ラストシーンの音楽をつけていると、何回やっても泣けてしまうと言うのだ。それを後ろで見ている奥さんも一緒に泣いているのだそうだ。
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2010年11月30日

第一次福島「見立て」ロケ終了 3

本日で渡辺文樹組の第一次福島ロケを終わり、明日は大井川鉄道ロケのため静岡に移動する。僕が担当するのはそこまでで、あとは清村君がカメラマンに昇格して12月後半、また福島に来る。

数年前、ナイト・シャマラン監督が来日した特別披露試写会のとき、一瀬プロデューサーと話をしたのだけど、一瀬さんが「日本人には見立てるという文化がある」と言っていた。盆栽を大自然に見立てる。明らかにミニチュア、着ぐるみと判るゴジラを本物の大きさに見立てる。そういう文化と才能があるので、ハリウッド・ゴジラは日本で受けなかったという分析だった。

今回の福島ロケは見立てっぱなし!
白河の廃ホテルの瓦礫をシルバー人材センターの人たちに片付けてもらい、アメリカ大使館内部、アメリカ軍キャンプ、潜水艦内部、北朝鮮招待所外観、屋上、受付、部屋、無線室、特閣内部、金正日の部屋、駅の司令室、信号所などに見立てて撮影した。福島の教育会館のホールでもアメリカ大使館内部、訓練キャンプ、特閣内部、ヘリコプター内部!、シルバーさん並ばせてぺリポート!に見立てて撮影した。

数十人に及ぶ配役は自衛隊コマンドと拉致被害者に扮する約10名は劇団ひまわりからきているけれど、その人たちはそれ以外にも数役に見立てられ、掃除していたシルバーさんも軍服を着て、北朝鮮の将校はじめ、兵隊、通信技師、駅務員、足りない分の自衛隊コマンドとして活躍した。

今日は旅館近くの線路を北朝鮮の鉄道に見立て、はずしたレールをコマンドと拉致被害者が運ぶシーンを撮影したけれど、レールが無いので鉄パイプをそれに見立てた。

監督の言いたいことはビシビシと伝わるのですが、いったい、どういう映画になるのでしょうか?ある意味、とても楽しみです。
また、久しぶりのキヤノンスクーピックを使った16ミリスタンダード撮影で、監督のアナーキーな部分も含めて、エネルギーにあふれた30年前に戻ったような、とても懐かしい香りのする体験でした。
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2010年11月24日

HALTANさんへ 3

助成金出して本当に良かった

ここだけ取り出すと美談ですが、製作途中でスポンサーが逃げるような映画を公金で救ってあげるのって、やはりそれは違うと思うなあ・・・。

そんな映画、もう作らなくていいんだよ。どうせ封切っても回収できんのかって・・・。

・・・「極限の低予算化」「撮影途中でスポンサーがトンヅラ」、、、

日本映画はやっぱり終わってる。

それはもう直ぐ外の人間にも誰にでも分かるようになる。今はまだうわべの「邦高洋低」で気づけない。

(追記)

上の高間さんのエントリ中に出てくるIF社(アイデアファクトリー)ってのも・・・一応はゲームの会社らしいですが・・・。こういう会社がなぜ映画に出資するのか私はいまだによく分からない。やはり「映画製作」の実績は会社の信用になるという感覚が「コンテンツ系」企業にはまだまだ根強いのかもしれない。尤も現在は恐らくそういう感覚で出資していた会社(具体的にはTVとかCMとかゲームとかやってたようなトコ)の大半が不況でもう殆ど手を引いたのでは?

・・・もちろん(不況はともかく)「クズ映画が減る」ので拙ブログ的には日本映画からのスポンサー撤退は良い事です。マジでもっともっと撤退した方がいいよ。「節税」感覚その他甘い見通しで映画に出資する会社が多過ぎる。ゲーム系だと昔はセガやアスキーも映画に手を出してたんだよ(確かアスキーは外国映画の配給だけだったかな)・・・ホント、1970年代以降は色んな会社が日本映画に出たり入ったりしてきた・・・そうした入退出の新陳代謝もいよいよ途絶えつつあるけどね・・・(2010-11-13■[無題]・・・やっぱり日本映画は無くなります。id:HALTAN:20101113:p1) 



以上は私のブログに対するHALTANさんの反応ですが、『死にゆく妻との旅路』は「スポンサーがトンヅラ」したのではありません。製作幹事会社の経営が悪化して、製作現場に資金が流れなくなったのです。それは、他のいろいろな映画関係事業の資金繰りに失敗したためで、この映画の責任ではありません。この映画は作られなくてはいけない映画だったのです。だからこそ、朴木プロデューサーは必死に出資者を探し、それに応えてくれる会社や個人が現れたのです。決して「クズ映画」ではありません。おっしゃるとおり儲からないかもしれません。しかし、作られなくてはならない映画はあるのです。

ですから「公金で救われた」のは事実ですが、「トンヅラするような映画を公金で救った」という言い方はちょっと違いますね。「こういう映画を公金で助成できて良かった」と書くべきでしょう。

それから、「IF社」は「アイデアファクトリー」ではありません。勝手に注釈を入れないでください。イメージフィールド株式会社をぼかした表現です。

「高間さんともあろう人が、こんな低予算映画を」と言ってくれるのは嬉しくもありますが、私だからこそ!この作られるべき映画を完成に導けるのです。経済的状況がもっと良くなればそれに越したことはありませんが、私は充分に満足しています。
私は中高予算の娯楽作品も数多く撮ってきました。今、そのジャンルは私より10歳若い世代のカメラマンの活躍する場所になっています。還暦も過ぎた私の役割は、これからの若い監督の映画作りを技術面から支えることだと思っています。それが唯一、非力な私にできる日本映画のレベルアップなのです。そして、その監督が次にまた撮ることができれば(できればもう少し高予算の)またこの年寄りに仕事が来るかもしれないじゃないですか。ね。
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『JAZZ爺MEN』編集快調! 4

イメージフォーラムの授業があったので、福島ロケから東京に戻った。交代カメラマンを探すのに苦労したけれど、ギリギリで猪本雅三カメラマンを捕まえることができ、「すみません、今すぐ新幹線に乗って郡山に来てください。で、明日と明後日、僕の代わりをやってください」という無理な注文にも快く応じてくださって、更に白河の廃ホテルでの撮影が長引いて、郡山駅で3時間も待たせてしまったのだ。
猪本さんは大森一樹監督が「世界の猪本」と呼ぶカメラマンで、河瀬直美監督作品などで多くの国際映画祭参加作品を担当している。

東京に戻ったついでに『JAZZ爺MEN』の編集室に顔を出すと、映広スタジオの地下室で宮武由衣監督がファイナルカットプロと格闘していた。
宮武監督の編集方法は、一般的な、ザッと全体を繋いでから細部を吟味していく形ではなく、頭から1シーン1シーン厳密に完成させていく、完璧にしなければ次のシーンに進めないというタイプなので、かなりの集中力を必要とする。
しかし、この映画の完成を人一倍楽しみにしている映広の岩田会長は「気にしなくていいからね」と言いながら彼女の後ろに立つ。これが気にせずにいられるほど宮武監督に「鈍感力」は無いのだ。まして録音の瀬谷さんに「人がバレてんじゃないの!」(だからこれはNGカットなんだ!)とか「オレ、そういうカット嫌いなんだよなあ」とか「普通は川に入って撮るモンだよな」とかトンチンカンな雑音を発せられたのでは妨害以外のナニモノでもない。それよりも、このマイクの影をどうしてくれるんだ!

本庄の八百屋から出てきた商工会議所事務局長役の酒井敏也さんが、中山道を横断して、向かいの和菓子屋さんに入るシーンがある。朝一番の撮影だったので冬の太陽は低く、自分達の影が画面に入らないよう、カメラはローアングル、スタッフには全員しゃがんでもらった。テイク1はタイミング悪く車が2台も通過して、酒井さんがなかなか道路を渡れず、おまけに夏のシーンなのに正面からモコモコに着込んだオバサンの自転車がやってきた。なので「もう1回撮ろう!」。で、問題なくテイク2でOK。と思ったら、編集になって電柱やガラス戸や「どらQ」の幟にマイクの影が動いているのが発見された!

あんなに注意して撮ったのに、テイク2でなぜこんなにアカラサマに出ているんだ!少ないとはいえ、10人近くのスタッフが見ていて誰も気が付かなかったのだ。あれだけ影が出ないように注意していたのだし、テイク1には影が無かったので、誰もが安心しきっていたのだ。
カメラを覗いている僕も、モニターを見ている監督も、人物に注意が集中しているので、意外に気が付かないものなのだ。マイクそのものが出るときにはそういう予感があるので、即座に「マイク!」と叫んでカメラをストップさせるのだが、マイク影は照明部や撮影助手が発見することが多い。でも、このときはみんな油断していたのだ。

ビデオで撮影する場合、普通はVEやスクリプターがモニターをチェックしていたり、撮ったカットを再生したりするものなのだが、今回はそういうスタッフがいないし、時間節約のため、問題ないと思われる限り、再生チェックもしなかったのだ。それがアダになった。
しかし、「監督、見てなかったんだ」って、そりゃ録音部の言う台詞ではないだろう。

俳優さんたちからは監督に応援の電話があったり、感動と賞賛のメールが来たりするそうで、清水章吾さんは自分のブログに紹介してくれたり、音楽監督の磯田健一郎さんはとうとう宣伝活動にまで乗り出したり、『JAZZ爺MEN』へのみんなの期待は高まるばかりなのである。笑いと涙の感動は、ゆっくりではあるけれど、順調に尺を伸ばしていますよ。
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2010年11月15日

『JAZZ爺MEN』撮影終了! 4

クランクインして1週間、昨日クランクアップして東京のアパートに戻ってきた。

普通だったら4週間はかかると思われる撮影を7日間で終わらせてしまったその勝因は、毎晩深夜までに及ぶ監督、助監督とのカット打合せではないかと思う。ABカメラでどういうカットが同時に撮れるか、同じ演技を何回してもらえば成立するか、細かく詰めて行った。
古来、日本ではフィルムが高かったので、監督が細かくカット割りした台本に添って、アップならアップ、フルサイズならフルサイズと、必要な部分だけ撮影し、それを繋げば編集完了!ほかの選択権無し!というスタイルだった。
しかし、デジタルでの撮影では、フィルム代、現像代を考える必要が無いので、一番のコストは「時間」だと考えた方が良い。1カット1カット細かく区切って撮影するよりも、必要なサイズ、必要なポジションをなるべく続けて撮った方が効率的なのだ。そうすれば、俳優のテンションも一定にできるし、労力も少なくて済む。
同じデジタルでも小型カメラの方が有利だ。カメラポジションの変更が早い。狭い部屋では大型カメラよりもずっと理想的な位置にカメラを置くことができる。

そんなわけで、予定表には「24時終了」と書いてあっても15時半に終わってしまったこともあった。「毎日こんなに早く終わっても、することが無いじゃないか!」という声も俳優からは上がった。

で、クライマックスの屋外ジャズコンサートのシーンも勝算が出てきたのだけれど、やはりカット数の多さには勝てず、準備は5時から、撮影は8時から始め、何カットか諦めたにもかかわらず、日が暮れてもデイシーンを撮る破目になってしまった。曇天が幸いし、時間が経過しても光線状態が変わらないのはラッキーだったけれど、さすがにライトが目立つようになってしまっては、カラコレでどれほど直せるものなのだろうか。

その慌ただしい撮影の中でも、俳優陣が感動の表情を見せてくれたことは敬服に値するものだと思う。皆が「世界の映画祭に行けるようになるといいね」と言ってくれたり、河原さぶさんなどは「これ、DVD作るの?冥土の土産に欲しいな」なんて言っていた。

井上順さんは今回の撮影のために、初めてアルトサックスの練習を始めたのだけれど、1時間でドレミファソラシドが出るようになり、下手ではあるけれど「ムーライトセレナーデ」をふけるようになったのだ。川原で病気の奥さん(岡まゆみさん)に吹いて聞かせるシーンでは、僕も感極まってパン棒を握る手が震えるので、カメラから手を離して撮影した。

宮武監督が自分でする編集が楽しみなのだけれど、今日から渡辺文樹監督の新作の撮影で福島に行かなければならず、本当に残念!
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2010年11月05日

『JAZZ爺MEN』本読み 5

11月3日、新宿の角筈市民センターの集会室を借りて、宮武由衣監督の映画『JAZZ爺MEN』の本読みが行なわれた。

この映画は埼玉県本庄市の商工会議所とフィルムコミッションが地域振興のために製作するものだが、依頼を受けた宮武監督のシナリオが面白いということで、低予算映画であるにも拘らず、井上順、河原さぶ、上田耕一、徳井優、ふくまつみ、宮下ともみ、川村亮介、水野神奈、黛英里佳、酒井敏也、岡まゆみ、清水章吾(敬称略)という実力俳優陣が参加してくれることになった。

町興しのため、ショッピングモールの支配人と商工会議所の事務局長が中学の音楽教師に頼んでジャズバンドを作ろうとするが、集まったのはピアニスト以外はド素人の高齢者ばかりで、自分勝手なことばかり言って練習が進まないというお話。

テーブルをコの字型に並べ、助監督がト書きを読み、俳優たちがセリフ部分を読んでいく。読んでいくと言っても棒読みではなく、すでに芝居になっている。だから聞いているだけでもかなり感動して、涙が出そうになる。それでもこの新人監督は更に注文をつけていくのだ。

製作費が1000万しかないので、駅前のホテルに泊まれるのは俳優だけ。それも半額に値切り倒して。スタッフは町の不動産屋が所有する空き家とマンションを借りて雑魚寝する。撮影期間は1週間。『死にゆく妻との旅路』同様、Panasonic HMC155を2台使って、効率良く撮影しなければならない。

もともとは早稲田大学大学院安藤研究室の学生が撮るはずだったのだが、2本も企画が頓挫してしまったので、急遽、卒業生で本庄では『精霊のモリ』という実績のある宮武由衣に白羽の矢が立てられたのである。それが6月のことで、何を撮ろうかという相談が来た。僕は『精霊のモリ』のときの森林の印象が強かったので、都会の引きこもり青年が森林ボランティアに来て、聾唖の少女と出会うような話はどうだと言ったのだけど、ストーリーが発展せず、地元も「森林なんてどうでもいいんだ!」と協力してくれないことがわかった。

で、ウニクス上里というショッピングモールで定期コンサートを開いている社会人ジャズバンドを取材し、その指導者の話から『神泉中学★音楽部』というシナリオを宮武監督は3日で書いた。これがかなり感動的なストーリーで、西岡徳馬さん始め、出演したいという俳優さんも続出したのだけど、しかしこれは500万という当時の予算ではどうやっても実現不可能だという結論になった。

で、もっと音楽シーンを少なくして、しかもジャズの話にしてくれという無理難題を押し付けられ、悩んだ挙句に2日で書いたのが『JAZZ爺MEN』なのだ。機材車を借りる予算も無いので某プロダクションの阿久根社長に相談すると「只で貸してあげるよ」というありがたいお言葉。「じゃ、ついでに製作資金の足りない分を」「あ、出資集めてあげるよ」ということで、計1000万となったのである。

こういう自主映画にとって幸運なのは、すでに2月公開する映画館が決まっていることで、それも300席もあるシネコンの大型スクリーンなのだ。キネコする予算もないので、ブルーレイに焼いてDLP上映する。シネマスコープのテスト試写の結果も良かったので楽しみだ。願わくば、本庄と川越だけでなく、埼玉全県、日本全国へと広がっていくことを!
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