2011年08月03日

バジルと金目鯛 3

昨日は横浜美術館でトリエンナーレの展示レイアウトをする横尾忠則さんを撮影していたのだが、老眼鏡を忘れて大変だった。フィルムのカメラの場合はルーペの視度調節をすれば良いのでメガネは要らないのだが、デジタルカメラとなって、液晶モニターを使うものだから、老眼鏡のお世話にならなければ、どこにフォーカスが合っているのだかボケボケ映像を見ているばかりなのである。かろうじて右下に表示される距離表示と横尾さんまでの目測距離とを見比べて、なんとかフォーカスリングを回したのである。
この前の九州ロケでは三脚とバッテリーチャージャーを忘れて大慌てしたばかりなのに。普段は助手に頼っているので、いつになっても独り立ちできないのか、ボケが進んでいるのか・・・。

今日はアトリエでの取材風景が撮影不許可となって、のんびりとした1日を送ることができた。

ゆっくり寝坊して、起きたら洗濯機を回して、ベランダのゴーヤとバジルの鉢に水をやる。
レトロアパートのクーラーは10年以上前から壊れているので、今年は緑のカーテンを、ということで、近所の花屋でゴーヤの苗を4本買った。「4本も植えたらゴーヤがゴロゴロ成って、処理に困りますよ」と照明部の松っちゃんは言っていたけれど、花はたくさん咲いてもすぐに落ちてしまい、現在小さいのが1本しか実が成っていない。

バジルは以前、埼玉に広い畑を持っていたときに女房が植えたことがあったけれど、うまく育たなかった。
前作、喜多一郎監督の『シェアハウス』では主人公の吉行和子さんがハーブを色々とベランダで育てているという設定だったので、使い終わった小道具のバジルを1鉢もらってきた。それを玄関の下駄箱の上に置いておくと、バジルのい〜い香りが部屋中に漂ってくる。

その後、イメージフィールドからの帰り、新宿御苑近くの花屋で大量に苗を売っているのに遭遇した。1鉢なんと100円!即決2鉢買って、計3鉢ベランダに並べた。後から買った方はぐんぐん伸びている。1週間の九州ロケから帰ってきたときは萎れてしまったけれど、水をやったらまた元気になった。
時々葉っぱをちぎってはサラダや冷やしトマトにふりかけていたけれど、今日は一番伸びた茎を大胆に半分に切り、昼食に「バジル多め入りのスパゲティ」を作った。枝の部分はオリーブオイルに漬け込んだ。
ニンニクのみじん切りと鷹の爪をオリーブオイルで温め、ベーコンと舞茸とみじん切りのバジルを炒め、そこにアルデンテの1.4ミリスパゲティをからめる。安い赤ワインなんか飲んで、昼から優雅な気分!

寝転んでテレビの旅チャンネルなんか見て、夕食はーーーっと。
そうだ、オーケーで50%引き(225円!)で買った立派な金目鯛の頭があった。あれを煮付けにしよう。

専用の道具で鱗を取り、お湯で洗って鍋に入れ、酒、味醂、水を1カップずつ、三温糖を大匙2杯入れて火にかけ、落し蓋をする。煮立ったところでアクを取って醤油をたらす。今日はこの醤油加減が奇跡的に上手くいって、今までで最高の味になった。
金目のアラ煮には日本酒でしょう!冷蔵庫には「菊水の辛口」の小瓶が冷やしてあった。某国際映画祭の関係者から1ダース送られてきたものだ。酒が弱い私なので、照明の上保さんにお裾分けしてもまだまだ楽しめるぞ。味噌をつけたキュウリを齧りながら、ロケ弁では味わうことができないゆったりとした夕食!

でも、このゆったりがいつまで続くのかが怖い。先日、劇映画のスケジュールの問い合わせがあったが、「結論出るまで2〜3日待ってください」と言われたきり、もう5日になるのだ。
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2011年03月26日

移動パン屋さん 3

道路に面したカウンター席で陳麻飯と坦々麺の半々セットを食べていると、向かい側の酒屋の前で軽のバンからパンを降ろし、移動販売店の準備をしているオバハンがいた。

昨日あたりからスーパーでもたくさんのパンを見るようになったけど、食パンを買っておいてもいいなと思い、立ち寄った。世田谷中町の美味(MIMI)というパン屋さんだった。
地震のあと、すぐに食パン100斤持って被災地に行ったけど「アッという間に無くなってしまった」と言っていた。被災者に次から次へと無料で配ったのだから、そりゃそうだろうと思っていたら「ちょっと目を離した隙に盗む奴がいるんだよ」。
「えっ、何を盗むの?」
「炊き出ししようと思って持って行ったプロパンのボンベ。3本置いたうちの1本が無いんだよ。ボンベだけ持って行ったってしょうがないのに。ズルズルと引きずって行った跡があるんだよ。かわいそうで追いかけなかったよ」
オバハンの話は続く。
「あたしゃ新潟の出だから、市場に残っている野菜を全部押さえて、近所のタオル屋さんにタオル500本出させて、料理人乗せて、3台のトラックで新潟に向かったんだ。緊急車輌しか通れないよって言うのを振り切って。こっちには神様がついているんだから何とかなるよって行ったんだけど、一度も止められなかったね。で、新潟で食料積んで東北に向かったんだけど、高速道路が地割れでクレバスみたいに開いているんだよ。タイヤが落っこちるかと思いながらソロソロと進んだんだけど、うちの3台のトラックは神様がついているんで大丈夫だったんだ。その後ろの車はもうダメ」

更に延々と続きそうだったけど、胚芽入り食パンと美味しそうな菓子パン数個を買って帰った。
世の中には元気なオバハンがいるもんだなと感心した。ただじっと節電だけしている自分が情けない。
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2010年11月02日

東京国際映画祭クロージング 3

イモだった。立食パーティの丸テーブルの中央の皿に盛ってあるのはアーモンドスライスがこびり付いた大学イモだった。
普通は料理が並べられる角テーブルにはオードブルの小皿が並べられていたのだが、スポンサーであるTOYOTA重役の、自社PRが延々と続く乾杯の挨拶が終わる頃にはほとんど食い尽くされていた。チョコレート菓子が1個残っていたので手に取ると、小さな丸いケーキが半月状にカットされて中身が見えている。「なんか変だなー」と考えていると、隣りで食べている女性が「それ、私のかじりかけ」だって。なんて行儀悪い人だろう。とりあえず唾つけておこうという考えなんだろうか。さもしい。

そのうちメインの料理が運ばれてくるだろうと待っていたが、ついにそれを見ることはなかった。そう言えば「立食パーティ」とは書いてなかったな。「感謝の夕べ」だった。食事ができると思った貧乏人の勘違いだったのだ。貧乏人は誰も手をつけないイモを食ってお腹を満たした。

この会場に来る途中、前を歩いていたのが脚本家の高山由紀子さんで、久しぶりにお会いした。僕のデビュー作『月山』の脚本を書いた人で、「盛岡映画祭で僕の噂をしてたんだって?」と言うと「あの時、偉そうにしてたから、経験豊かな人だと思ったら、初心者だったんじゃない。損しちゃった」と返されてしまった。33年前の話だ。

会場には懐かしい顔が。
今は公式プログラムの制作に当たっている小出幸子さんの付き合いも古い。「ぴあ編集部のときからだっけ?」「いえ、シティーロードです、商売ガタキの」

1週間ぶりの人たちも。
原田眞人監督御夫妻、河野通和新潮社編集長と村上典吏子プロデューサーの御夫妻。
背中をつつかれて振り向くと、授賞式では98歳の新藤兼人監督の車椅子を押していた新藤風監督のにこやかな顔。「自分の監督作は?」「おじいちゃんの面倒見なけりゃだから、ちょっと無理」。
釜山映画祭ではグランプリを取った教え子のエドモンド、マレーシア人。まだ料理を待っている。
サングラス掛けて、どこの親分さんかと思うと千野皓司監督。
東宝映画の富山省吾さんは4月で社長を退いたそうだ。「社長の次は会長じゃないの?」「貧乏会社に会長なんてあるわけないじゃないですか。築地のアカデミー賞協会に行っていますよ」。
東宝社長の高井英幸さんは「高間君、久しぶりじゃないか。ちっとも変わらないねぇ」「ナニ言ってるんですか、1週間前エスカレーターのところで会ったばかりじゃないですか」

なんて言いながらバス停で渋谷行きのバスを待っていると、行きのバスでも一緒になった女性映画祭ディレクターの大竹洋子さん、それに映画ジャーナリストの野島孝一さんと一緒になり、最後部の座席に並んで座った。大竹さんが「審査員が揃いましたね」と言った。そうそう、この3人は某外国語映画賞の選考委員だったのだ。揃いも揃って貧乏だね。タクシーくらい乗れよ。でも、いいのだ!東京国際映画祭はエコ映画祭なのだから!
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2010年10月27日

東京国際映画祭オープニングパーティ 4

地鶏のコンソメで煮込んだ有機大根とフォアグラのソテー。江戸野菜と真鯛のマリネ、イクラ、純粋野菜のエッセンスと富津海苔のビネグレット。秋川牛ロースのロースト、奥多摩山葵風味のナチュラルジュー、クリーミーポテト、茄子と茸のグラタン添え。源吉兆庵「栗きんとん」モンブラン、あきるの市うみたて卵のカスタードソース。シャンペン、赤ワイン、白ワイン呑み放題。

でも、知らない人の間で飲み食いだけしていても面白くない。そんな心配をしていると、右隣の初老の紳士が名刺を出してきた。ナンと、WOWOWの和崎信哉社長夫妻。「WOWOWのお仕事、させてもらいましたよ。『6時間後に君は死ぬ』とか『扉は閉ざされたまま』とか」「これからもどんどん作っていきますから、よろしくおねがいします」。

左隣には原田眞人監督夫妻が座った。良かった。原田さんとはMGMにジョン・ギラーミン監督の『キングコング』の撮影を取材に行ったとき、東宝東和の人と一緒に食事したことがあったので、奥様より古い知り合いなのだ。「最近は出演者としてもご活躍で。この前、中国映画でも見ましたよ」「あれはどうしても上海に行きたかったものだから」

その向こうには新潮社「考える人」河野通和編集長と『スパイ・ゾルゲ』などの村上典吏子プロデューサーが初対面の僕に「おととい、クシャミしなかった?」。盛岡映画祭で岡本みね子ママや脚本家の高山由紀子さんと僕の話で盛り上がったそうだ。某M野監督が偉そうな撮影助手だった僕をポカリとやりたかったと言っていたそうだ。

遥か遠く、中央の長ーいテーブルには肉付きの良いカトリーヌ・ドヌーブの背中が見える。

左の丸テーブルには渡辺謙さんと抜群に輝いている南果歩さんがいる。「『ラヂオの時間』の撮影の高間です」と挨拶すると「オーオーオー!こちら、妻の南…」と握手。「一度、下北沢の金子修介監督忘年会でお会いしました。あの時は大変失礼しました」
あの時というのは、女優で誰が一番美人だったか、という話になり、目の前に果歩さんがいるにも拘らず「そりゃ間違いなく中山美穂だね」なんて言ってしまってから、夫の辻仁成は別れた前夫だと気が付いたのだ。

謙さんの左にはバイリンガル俳優でもあり、監督でもある塩屋俊さん。「いま、阪本善尚さんと仕事してますよ」。彼はこの映画祭に『ふたたび』というジャズバンドを再結成する老人の話の映画を出品している。僕も今、中高年の市民ジャズバンドの映画『JAZZ爺MEN』の準備をしている。ジャズの映画がブームみたいだ。

帰りがけに株式会社東宝映画の富山省吾社長に挨拶し、更にエスカレーターで東宝株式会社の高井英幸さんを捕まえて「まだ社長やっているんですか?」と訊くと「もう9年だよ。疲れちゃったよ」

渋谷行きの都バスに乗り、100円玉拾った。ラッキー!
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2010年07月13日

『ボローニャの夕暮れ』 4

今日はまた、スパゲティを茹でた。

いつものようにニンニクと鷹の爪をオリーブオイルで香りが出るまで炒め、そこに冷蔵庫から使えそうなものを出して、どんどん入れて行く。
ベーコン、玉葱、茄子、ピーマンなどを切って炒めるのだが、焦げる寸前にちょっと水を入れる。そうするとパサパサしないし、フライパンの後始末が楽になる。
そこにアルデンテになったbarillaの1.4mmを入れ、黒胡椒とパセリの粉末とバジルの粉末を入れ、更にユーロスペースでもらった瓶詰めのオリーブトマトソースをぶち込んで手早くまぜる。それをレタスを敷き詰めた皿に盛って手早く食べる。オーケーで買った350円の赤ワインと共に…。レタスを敷くのは、もちろん野菜を摂取するためだが、これで豪華に見えて皿洗いも楽になるという一石三鳥!
もうこれは、自分で作ったのだから美味いと思うしかない!

オリーブトマトソースは堀越さんや北条さんや大野さんと知り合いだからくれたわけじゃないんだ。「シニアで…」と言ったらチケットカウンターの女の子がbarillaのマークの付いた青い手提げ袋を出してきた。「1200円です」「え、シニアは1200円なの?じゃあ、映職連の会員証で…」「1000円です」
それでもその青い袋をくれたんだ。で、中を見てみると、スパゲティソースの瓶詰めが入っていたのだ。

『ボローニャの夕暮れ』は映画評で「撮影がきれいだ」と書かれていたので見る気になった。最初はモノクロで始まり、イントロが終わったあたりからカラーになるのだが、フルカラーではなく、ちょっと脱色してセピアにしたような古びた感じだ。ムッソリーニが台頭した時代から敗退するまでの時代だから、そんな色合いがストーリーにとても自然にマッチしていた。しかし別段「夕暮れ」がどうのという話でもなく、印象的な夕方のシーンがあるわけでもない。

原題を直訳すると「ジョヴァンナのパパ」だ。チョイブスな娘がジョヴァンナで美人のママとはしっくり行かない。それをカバーしているのは娘の行っている学校で教師をしているチョイチビのパパ。アパートのお隣りさんはハンサムな警察官。この隣人関係が当時のイタリアを良く表しているみたいで面白い。パパが娘とドレスを買いに行くときもついて来て「警察だ!」と言って値切らせる。ママと映画に行くときもついて来て「警察だ!」と言ってママと一緒に只で入る。

娘が事件を起こし、パパは失業し、生活に困るようになると、その隣人はお金を貸してくれたり、一緒に食事をさせてくれたりする。その食事は当然ながら、いつもスパゲティ。鍋の中でまぜたスパゲティを各自の皿に盛る。ボローニャのスパゲティ…となれば、これがスパゲティ・ボロネーゼでなくてナンであろう!早い話し、ミートソース・スパゲティだと思うんだけど。
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2009年12月03日

メチャウマ!胡桃味噌炒め 3

15年前、椎名誠監督の映画『あひるのうたがきこえてくるよ。』のロケハンで、奥会津を猪腰助監督と徹底的に走り回ったことがあった。そのとき、山奥にすごく鄙びた温泉宿があって、その湯小屋の表にアヒルを繋いで撮影した。内部の風呂も温泉神社と言われるほど神秘的でモノスゴク良かったのだけど、撮影させてくれなかった。で、金山町の八町温泉の恵比寿屋旅館の隣りの共同浴場で撮影したのだが、あの、これ以上鄙びようがないといった、僕の理想とする温泉が何処だったのか、ずっと気になっていた。

ところが最近、ネットを検索していて、それが西山温泉郷の老沢温泉旅館であることを確信した。で、編集のバイトのお金が入ったので「今日、泊まれますか?」と電話すると「ううー、マズイなぁ」というやる気なさそうな爺さんの声。まあ、土曜の今日だからしょうがないか。
で、次にネットで評判が良かった同じ字名の新湯旅館に電話すると、簡単に「どーぞー」とおばさんの声。「バスは無いから会津柳津駅からタクシーに乗って」と言われた。

で、渋谷駅で新幹線の指定席を買い、新宿湘南ラインで大宮に。乗り換えに30分あるので、コーヒーショップでモーニングセットを食べていた。コートの胸ポケットから切符を出して時間と座席を確認して、オー、もうそろそろ行かなくてはと店を出た。出たところで胸ポケットを探ると切符が無い!あれ?他のポケットかな?バッグに入れたかな?
店に戻ったけれど、そこにも無い!乗り遅れてしまう!駅員に事情を話しつつ改札を強行突破!しかし、階段を上がる途中で「やまびこmax111号」はホームを滑り出してしまった。

結局、切符は店員がすぐ拾って預かってくれていたのだが、新幹線は1本遅れて、磐越西線も遅れて、会津若松に着いたら、只見線は3時間待ち!
3時間待合室にいてもしょうがないから、会津城を目指しながら街をブラブラすることに。城近くまで来ると、古い造り酒屋があり、日本酒の試飲とお土産の試食ができる。「ひやおろし生原酒宮泉」というのがメッポウ旨く、720ml入り1470円を買ってしまった。それから「うど溜り漬け」も「会津天宝くるみみそ」も。

会津柳津に着くともう真っ暗で、小雨も降り出している。タクシーなんていないし、タクシー会社の電話番号も書いてない。どうするんだよ!途方に暮れるとはこのことだと駅前に佇むと、あ、電話ボックスにひょっとしてローカル電話帳が。

運転手は電話に出たおばさんだった。遠かった。4000円もかかった。

部屋は10年前に増築したそうだけど、こんな山奥に!と思うほど立派。風呂はさすがに古く、すごくいい感じ。チョロチョロと源泉が流れ込んでいる。コンクリート壁のペンキ塗りはいただけないけれど、そういう安っぽさも含めて楽しんだ方が幸せかも。

夕食は家族の居間かと思うような部屋でキノコ鍋!馬刺しにワラビの煮物!クルピー!もうメシなんて入らないよー!
「エエーッ!キノコの炊き込みご飯なのに!」
「じゃあ、このエビフライと茶碗蒸しと一緒に朝、食べるから」
「朝は白飯よ。じゃ、お握りにしてあげるから昼飯にしなさい」
なんだか『春との旅』の田中裕子と仲代達矢を思い出してしまった。

朝は旦那さんがついでがあるからと、孫のリンちゃんと一緒に車で送ってくれることに。走り出すと、ナント隣りが目的の老沢旅館で、やっぱりここだったんだ!と感動した。


昨日、お土産の胡桃味噌を使って、挽肉野菜炒めを作った。
中華鍋にサラダオイルを熱し、刻んだニンニクと鷹の爪を入れ、3ヶ月前にハンバーグを作ろうと思って買った挽肉を解凍し、冷蔵庫にあったナス、ネギ、ピーマン、キャベツと炒める。そこに胡桃味噌を日本酒で溶いて流し入れる。もったいないから「宮泉」は使わなかった。醤油と砂糖もちょっと入れてみた。
しかしこれがメチャウマ!
ウドの溜り漬け、玉葱と茗荷の味噌汁、発芽玄米雑穀入りのご飯と併せて至福の夕食……。

宿のノートには5月に来た客が「山菜尽くしに感激した」と書いていたから、来年また行ってみよう。でも、3日ぶりの泊り客だったみたいだな。連泊したいし……。
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2009年09月20日

『南国料理人』じゃなかった 3

『南極料理人』を観てはいけない。お腹がすいているときにね。
南極では本当にこんな豪華な食事をしているの?
唾液が口の中に溜まってきて、何度もゴクリと飲み込まなければならなかった。
高級旅館のような料理、伊勢海老のエビフライ、巨大なローストビーフ、蟹の食べ放題…。そして行き着く果ての究極の感動料理がラーメン!だったという料理人の心境や如何に!ラストの後味も良かったです。堺雅人を連れてロケに行きたい!

この作品の撮影監督は芦澤明子くん。『60歳のラブレター』に続く快挙だが、こんなの撮っているなんて一言も言わないんだもんナー。
彼女は『みすず』あたりから急速に上手くなった。大器晩成というんだろうか。『火星のわが家』なんかは、まあ普通で、特にどうということもなかったが、そのころ、全国に消えゆく木造校舎を探し歩き、「木造校舎の思い出」関東編、近畿・中国編の2冊の写真集を出した。
僕が『遠くへ行きたい』で連れて行ったのがキッカケになっていると思うのだけど、本人はそうは言っていない。他のことがキッカケだと書いている。とにかく、教育委員会などに電話をかけ、木造校舎の有無を取材し、車の免許がないから、列車とタクシーを乗り継いで撮影に行ったと、やっとのことで聞き出した。彼女ほど、自慢話しをしない人も珍しい。そういう人柄が黒沢清監督や五十嵐匠監督はじめ、多くの監督の指名を受けることにつながっていると思う。

そう言えば『守ってあげたい!』という映画もあったな、と思いながらアカデミー外国語映画賞日本代表に選出された『誰も守ってくれない』を思い出した。単なる語呂合わせだけど。

先日、ポン・ジュノ監督の『母なる証明』試写を観ようと、表参道で銀座線に乗り換え、空席を探してウロウロしているとポンと肩を叩かれた。振り返ると、8月に撮影していた『妻旅(仮題)』のシナリオライター山田耕大さん。
「どこに行くの?」
「し、試写です」と『母なる証明』の試写状を見せると
「あ、僕も行こう」と言って試写状をポケットに入れ、次の駅で降りてしまった。

映画美学校の試写室には、止む無く顔パスで入った。いや、もう少しでドアを入ろうというところで名前を呼ばれた。ムム、うるさい奴が現れたかと振り向くと助監督のジョンくん。『ロード88』のロケでとろろうどんが食べられなかった韓国人青年だ。ポン・ジュノ監督の助監督をしたり、ナンチャッテ監督をしていると言っていた。頑張って欲しいな。

パンフによると、この『母なる証明』がアカデミー外国映画賞の韓国代表に選出されたそうだ。うーん、そーかー、この作品が我らの『誰も守ってくれない』とハリウッドで対決するのか。どっちが強いかなー、微妙なところだなー。『誰も…』の方がスピード感もあるし、現代的な問題意識もあるから外国語映画賞に強いと思うし、『母なる』は特殊な環境であることがグローバル性を欠くとも言えるけれど、いい味出しているからなぁー。
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2009年09月17日

カレーが白い! 1

ステンレス鍋の蓋を取った。二日前のチキンカレーの表面がなんだか白い。昨日の朝はバタートーストにのせて食べたのだけど、とても美味しかった。なのに、匂いを嗅いでみても昨日とは違う。
秋になったと思って油断したのがいけなかった。黴がはえたらしい。即、また、新聞紙の袋へ。

このチキンカレーの作り方は30年ほど前、『銀花』の仕事で吉岡康弘の助手として、京都に住む陶芸家・下村良之助さんの家に行ったとき御馳走になって、作り方を教わったのだ。下村さんはインドに行ったとき覚えたのだそうだ。

材料は、骨付き鶏肉、玉葱、バター、カレー粉のみ。
薄切りした玉葱を狐色になるまでバターで炒める。別のフライパンで鶏肉を骨付きのままカレー粉を入れて炒める。それを玉葱の鍋に移し、水を足して煮込む。それだけなのに、今まで食べてきたどのカレーよりも美味かった。

その調理法を真似して、僕も何回も作った。自信が無いのでカレー粉だけでなく、市販のカレールーも入れてしまう。鶏肉をカレー粉で炒めるとき、みじん切りしたニンニクと生姜も入れる。煮込むときにはローリエも入れる。グローブも入れる。シナモンも入れる。

今、ちょうど天山山脈を越えている戸井十月さんとオーストラリア一周に行ったとき、砂漠を横断中、僕がカレーを作ることになったのだけど、戸井さんが「ジャガイモとニンジンが入ってなきゃカレーじゃない!」と言い出し、僕が「絶対に入れない!」と反対して険悪な雰囲気になった。
僕はみんなの多数決を採り、「入れない票」を勝ち取ったのだけど、それでも戸井さんは納得せず、妥協してニンジンだけ入れたのだった。
戸井さんはこの事件がひどく印象的だったらしく、あれから10年過ぎても、『わたしが子どもだったころ』のロケで、まだこのカレー事件を話題にしていた。

カレーは1日2日置いた方が美味くなるのに黴させてしまって、返すがえすも残念だ!そんなことならダイエットを考えず、腹いっぱい食べておくんだった。嗚呼…。
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2009年08月27日

ハムとの別れ 2

3週間以上のロケから帰って、恐る恐る冷蔵庫を開けると、ありました、茶色くドロドロになった野菜サラダが。

出かける前日、冷蔵庫の野菜を全部食べてしまおうと、レタスサラダを作り、実家から送られてきたボンレスハムを豪華に厚切りして散りばめたのだが、やはり多すぎて、ドンブリ一杯残ってしまった。
それをタッパに詰めてロケに持って行こうかと考えながら寝たのであるが、翌朝、目覚ましで起きたにもかかわらず、たるんで二度寝してしまい「ウワッ!遅刻だ!」。慌てて飛び出てしまったので、サラダのことなどすっかり忘れていた。

袋状にした新聞紙に元サラダを流し込み、更にビニール袋に入れて捨てた。
しかし、冷蔵庫にはほとんど減っていないボンレスハムが…。これは食べられないものだろうか。よく見ると、表面はブニョブニョになって茶色に変色している。その部分を包丁で切り落とし、厚切りにして周りも削り取り、ブラックペッパーを振り掛けて焼き、粒々マスタードを塗った食パンに挟んで食べた。ちょっと本来の味と違うけど、始めからそういうもんだと思えば、まあいいか。

でも、というか、やはり、というか、数時間後に下痢をした。腹痛は無かったから、気のせいだったかもしれないな。しかし、残りのハムとは サヨナラしよう。今日は三浦友和さん主催の中打ち上げだし。
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2009年08月19日

差し入れの日々、氷見カレー 2

金沢から宿泊地を氷見に移して、昨日は撮影始まって二度目の撮休!と言っても、撮影部と少数のスタッフはボンゴの走りの実景撮りに出発。

富山県滑川で、悪天候のため撮りこぼしていた○田○○子さんのアパートの窓から見た目の景色。そして石川県小松市に移動して、ボンゴのタイヤなめの走り実景撮影。そして福井県三国海岸に移動。高台から海岸線を走ってくるボンゴを撮影。しかし、乗っているはずの○浦○○さんと○○ゆ○○さんはお休みなので、スタッフがスタンドインをやらなければならない。と思って見回しても、三○○○さんに似ているのは私メしかいないので、カメラを助手君に任せてハンドルを握る。隣には石○○○○さんといい勝負の美人プロデューサー○木○○さん。

それが済むとまた石川県に戻って東尋坊の夕陽を撮影。ラストカットに使用する予定。そして暮れなずんでゆく道をボンゴの車内から撮影しながら氷見に戻る。

氷見という町は、町をあげて撮影に協力的で、今日は夕食に氷見牛カレーを直径50センチの大鍋2杯、差し入れしてくれた。これは、氷見牛カレー研究会というのがあるそうで、数日前から差し入れの申し出があったのだ。ならば、我がケイタリング君には、日ごろ野菜不足なので、サラダでも作ってもらおうとリクエストしたのだけど、出てきたのは味噌汁!カレーに味噌汁!夜の浜辺で受け取ると、モッコリ膨らんでいるのだ味噌汁が!ヨッコラセとスプーンで持ち上げてかじると、それはアブラゲに餅が入ったいわゆる巾着餅!味噌汁というよりは巾着餅の味噌煮込みだ!

今日の夕食に並んだ差し入れはそのほかに、トマト、きゅうり、きゅうりにつける味噌、いわしの缶詰、瓜の奈良漬、卵豆腐などなど。○○○和さんと石○○り○さんからは毎日のようにお菓子。昼間は近所の島尾海浜植物園からジュース類。制作部からは向かいのお店で100円かき氷食べ放題!

肝心の氷見牛カレーの味はどうだったんだ?

大鍋カレーの差し入れで思い出したのは、20年前、戸井十月監督の『風の国』の山の中のロケで、弁当に飽きたスタッフに出されたのが○○友○さんが持ってきた大鍋のカレー。スタッフは当然「ウワッ!○も○ちゃんが作ったカレーだ!」と小躍りして喜んだ。で、○和さんが「僕が作りましたァ」 で、スタッフが「あ・・・・そうなの」
でも、美味しかったです。

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