2010年09月30日
またまた帰ってきた今週のブログ紹介
何故なんでしょうか?
今回は以前2度に渡り特集し、社内では発行日当日からクレームの電話の嵐で対応に追われることで有名な「救命病棟24時」です。
私は本当にこのブログが嫌いだし、そもそもやまさんが嫌いです。特集の度にやまさんに会うのが苦痛で仕方ないです。今回、この特集が決定したと聞いて退職しようかと思いました。
しかし、日本は広いですね。こんな推薦お便りが届きました。
私は、先週定年退職を迎えた者です。
世間的に定年退職と言えば聞こえはいいかもしれないですが、私の場合はそんな艶かしいものではありません。
長く長く暗いトンネルをようやく抜け出したような気分です。
確かに晴れ晴れした気持ちはあります。
しかし、自分の人生はこれでよかったのかと思う気持ちもあります。
この15年間は一体何だったのだろう。
信念を貫いた15年は、失った15年とも言える。
しかし、この長かった15年は私にとっては誇りとも言える。
いや、そうでも言わなければ堪えられない、堪えられやしない。
15年前、私が45歳の時でした。私の人生の全ての何もかもが変わってしまったのは。
私が勤めていた会社は、地元ではそこそこ大手の企業でした。当時、統括本部長の役職に就いていた私は、社内のほとんどの実情といいますか、内情を把握しておりました。社長は実務にはほとんど手を出さず、どちらかと言うと隠居に近いような状態で、役員クラスのおじさん連中も名ばかり役員だったので、業務には何の役にも立たないような存在でした。自分でいうのも何ですが、会社の運営は私中心に回っていたようなものでした。
しかし、いや、だからこそ私は気が付いてしまいました。
この会社には莫大な使途不明金があることを。
地方には談合と呼ばれるものが未だに根強く残っています。
そう、私が勤めていた会社にも談合があったのです。
そして、その見返りとして地元警察の裏金作りに積極的に融資していたのです。
それを知った時、私は落胆しました。
私は高校を卒業してすぐにその会社に就職しました。
私の年代でも、高卒での就職は少なく、周りは皆大卒です。
やはり周りからはある程度の偏見を持たれていましたが、私は寝る暇も惜しんで掛けずり回って営業をしました。そして成績を上げました。
会社はそんな私を評価してくれ、大卒連中よりも飛躍的に昇進しました。
学歴社会、年功序列が当たり前の世の中で、実力主義を掲げたそんな会社を私は愛していました。愛していたからこそ、私は会社の歯車として犠牲になろうがかまわずに誠心誠意働きました。愛していたからこそ、許せませんでした。
内部告発。それを決意した時の気持ちを今はもう忘れました。
若さ故の正義感だったのか。間違った方向に進んでいる会社を立て直したかったのか。単なる憎しみだったのか。
理由はどうあれ、私が内部告発したことに変わりはありません。
その告発はセンセーショナルでした。
初めて明らかになる談合の実態。警察の裏金作りの実態。
きっとそういう事はあるんだろうなと誰もが分かっていたことでも、それが克明に浮き彫りになると、誰もが色めき立ちます。それを更に煽ったのはマスコミでした。
私は一躍時の人となります。
私自身、ここまで大事になるとは思っていませんでした。それはもちろんある程度の話題にはなってしまうかとは思いましたが、その想像を軽く超越していました。
そして、この後私が地獄を見ることになることは誰もが想像できることだと思います。
告発後、社長は私を呼び出すどころか、何の接触も図ってきません。たまたますれ違っても全く反応しません。無視そのものです。役員のおじさん連中も同じような反応です。
部下達の行動や言動も一見、今までと変わりなく私に接しているように見えましたが、彼等の私を見つめる目が、どこか焦点が合ってないというか、まるで物をみるかのような冷めた目でした。
私はそれを覚悟していました。いくら私が正義感なのか怒りなのかそのようなものを抱き告発したところで、その会社の社長や役員の感情は差し置いて、談合という裏事情と一切関係のない一生懸命頑張っている社員達を悪者にしたて上げ、ある意味裏切った私は、会社の中では大きな悪者になってしまったのだから。
覚悟をしていたというのはもちろん、はじめから辞職する気持ちでいました。
会社を告発しといて辞職するなんて今考えたらとても自分勝手な発想だと思います。卑怯かもしれません。会社の為に家族の為にと純粋な心で頑張る可愛い部下達のことを全く考えていないような行動だったかもしれません。しかし、それを差し置いても当時の私はその会社の体制が絶対に許せなかったのです。間違っていると声を大にして言いたかったのです。
しかし、本当の悪夢はその後に起こりました。
辞表を鞄に入れ、最後の決着をつけにと意気込んで出社した朝のことでした。
正面玄関にある掲示板に張り出された1枚の紙を見ました。
「本日付けで、小林勝統括本部長を特別顧問の役職に命ずる。」
特別顧問?それはどういうことなのか?出世なのか?はたまた…。
そんな疑心暗鬼を抱いていると、役員の年配管理職が、「小林君、出世おめでとう。君の席はこちらに用意してあるから。」そう言い、これまで物置化していた部屋に通されました。
以前まで物置になっていた部屋に入ると、一人用のデスクと椅子がぽつんと置いてあるだけだった。ただのデスクと椅子です。他には何もありません。
「私はここで何を?」
「君は特別顧問なのだから。特に何もする必要はないですよ。」
彼の冷酷な表情と言動で全てを理解しました。
私はいわゆる窓際族という体裁を受けたのだと。
その日一日、その部屋で過ごしました。何もない部屋。何もない空間。
気が遠くなる時間を過ごし、私はふつふつと怒りが込み上げてきました。
マスコミ、メディアで取り上げられた以上、会社は私を表立ってクビにすることはできない。だからこうやって精神的な体裁を加えて自主的に退職せざる負えない環境を与えたのだと。
私は辞表を書き、その日付けで退職する決意をしていましたが、その決意は違うものに変わりました。
私が定年を迎えるまで、この嫌がらせを受けようじゃないか。
それは単なるプライドなのか、自分で切り開いた運命を受け入れたのか、部下達に対する罪悪感なのかは今はもう分からないが、それらを全て含んだ気持ちだったのだろうとも思う。
それを15年間。
朝出社して、席に座り、定刻になって家に帰る。15年間。
本を読んで1日過ごすこともあった。外の雑草の草むしりをして1日過ごすこともあった。小説を書いていた時期もあった。孫が生まれた時は幾分良かった。1日中孫の命名候補をノートに書き綴った。あとは窓の外を眺めて、早く日没になることを祈っていた。
辛かったことは、代々、新入社員が入社する度に先輩社員に私のことを聞かされて興味本位でこっそりドアを開けて私を覗いてくることだった。
それぐらいはまだ良かった。
ある日、業務の多忙さゆえ、心身共に疲れ切っている新人の社員が私の部屋のドアを勝手に開けてきた。「あんたいつも何してんの?やることないの?何もしないのに給料貰えて羨ましいですよ。その幸せを僕らにも分けて下さいよ。こちらの世界は忙しすぎて過労死しそうですよ。あ、でもあんたは暇疲れで死なないで下さいね。また変なニュースになられても迷惑ですから。」と言ってきた時には彼がドアを閉めるやいなや恥ずかしながらいい歳にもなって泣いてしまいました。
それは悔しかったからなのか、情けなかったからなのか、自分の運命を呪ったからなのかよく分かりませんでした。とにかく泣きました。
長い長い年月が過ぎました。それは本当に本当に長く長く、果てしなく長い年月でした。これは15年間その環境で過ごした者でしか分からない境地かもしれませんが、意地を張って信念を貫いて15年間を堪えたというよりも、ある程度の期間を過ごしたあたりから半分廃人になって、半ば諦めたというか、むしろ、罪を犯して数十年の懲役を受けて投獄され、出所する日を待ち焦がれている罪人のような心理状態になっていたのかもしれません。
定年退職の日。とある民法のテレビ局1社が取材をさせて欲しいと私の元へ来ました。
私の存在を忘れられていなかったことは素直に嬉しかったですが、私もその15年間で歪んでしまったのでしょう、私を見世物のように煽りに煽ったマスコミやメディアに対しての恨みもあったのでしょう、とにかくそっとしてほしかった気持ちも強くあり、取材を断りました。
いつものように朝出社して、定時になって帰る準備をします。
普通の会社だったら定年退職者は皆から壮大に見送られることでしょう。それぞれ思い思いにと祝福の言葉を述べ、最後に「長い間お疲れ様でした。」と添えるでしょう。花束の贈呈もあることでしょう。
でも、それは私にはありません。ありえないことです。唯一の味方であった家族にも8年前に縁を切られました。もう私には何もないのです。
15年間堪えて生きてきた、それは、誇りなのか、ただの愚か者なのか、それすらも分かりません。
「特別顧問室」の部屋を出る。社員達はパソコンの画面を睨み、キーボードを叩き続ける。
15年の歳月はここまで変わるものかと冷静に思う。
自動扉を出た。
これから私は何をして生きていくのだろう。
永遠とも思える時間を過ごしてきたのに、そのことは全く考えていなかった。
胸を張って歩くこともできずに下を向いたまま歩いていたので、近くに人影があることに気付いたのは、ほんの数m前でした。
花束を持ったその女性は、毎日部屋の掃除をしてくれていた掃除のおばさんだった。
おあばさんと言っても、15年前はまだ20代の若い女性で、ちょうど私が隔離された時に清掃人のアルバイトとして配属された人だった。
当初はこんな若い女性が清掃人のアルバイトをしてるなんて、とも思ったが、彼女は事務的に部屋を掃除するだけで、これまで15年間会話らしい会話をしたことがなかった。
「今までお疲れ様でした。」
「こちらこそ、毎日掃除してくれてありがとう。」
「実は、私。テレビで見ました。15年前。小林さんの告発。」
「…そう。」
「率直にかっこいいと思いました。だから、ここで働きました。小林さんがいるこの職場で。」
「いつも部屋の花瓶の花、変えてくれてたよね。」
「はい。」
「いつも楽しみにしてたんだ。花と。毎朝、誰が花を飾っているんだろうって。」
その1年後、私達は結婚しました。私が61歳。彼女が43歳。
実は、今、家内のお腹の中には新しい生命が宿っています。
遅咲きの第2の人生ですが、今は生きる喜びを感じています。
救命病棟24時がいいと思います。
だそうです。
やま(以下や):つかだちゃんはどんな体位が好きなの?
インタビュアー(以下イ):あの、勝手に話さないで下さい。あと突飛に変な質問はしないで下さい。
や:最近ってさ、背面騎乗位っていうの?それ流行ってんの?
イ:本当にやめてもらえますか?その話。
や:は?てめー彼氏いるんだろ?彼氏いるんならそういうことしてんだろ?じゃあてめーはしねーのかよ?しねーんだな。それでいいんだな。まぐろ。
イ:あの、「てめー」ってやめてもらえます?あと「まぐろ」も。
や:あ、それはさすがに言い過ぎました。すいませんでした。ところでまぐろさんの好きな体位は何ですか?
イ:…
や:ごめん、なんか、まじちょっと、色々あってさ、最近。
イ:それではインタビューに入りたいと思います。前回の特集後の反響はどうでしたか?
や:うん?あーまぁ、ぼちぼち。まぁでも、ほんとまじ、最近色々あってさ。
イ:訪問者数なんてのも伸びているんじゃないですか?あれ以来。
や:10人ぐらい。でも、ほんと最近色々あるなまじで。まじなんでだろ?あれとかなんなの特に?
イ:その話聞いた方がいいですか?
や:いや、別に。
イ:では、こちらの進行に戻ります。もし何もないようでしたら、二度とさっきのようなことは言わないで下さい。
や:わかりました。
イ:ブログ上ではご自身のことをあまり語らないようですが、やまさんの謎の経歴を簡単に教えていただけますでしょうか?
や:1983年埼玉生まれ。でも、ほんと、あれは何だったんだろって1週間経った今でも思う。うん、それすごい思うんだ。
イ:もうわかりましたから、その話を先にして下さい。私は早くこのインタビューを終わらせてさっさと帰りたいので。
や:いや、でもあれは口で説明できるような生半可なものではないし、いいや言わない。
イ:経歴を続けて下さい。
や:は?経歴?やだよ。なんでそんなプライバシーな話をいちいち塚田に言わなきゃいけないんだよ。懐に入り込もうとすんなよ。他人のくせに。性格ブス。
イ:では結構です。えー、毎回うかがっていますが、影響を受けた人物は誰でしょう?小林多喜二とさくらももこさん以外で。
や:うーん。影響ねぇ。元祖をたどればやっぱり、オサムあたりになるのかなぁ。
イ:オサム、さん?やまさんの知人ですか?
や:知人?いやいや、オサム・テヅカでしょう。さすがに知人じゃないわ。何意味わかんないこと言ってんの?アホじゃね?
イ:…あまりそう呼ぶ人はいないんで。
や:そう?俺、世界基準の著名人はそう呼んじゃう癖があんだよね。
イ:癖…。
や:まぁ、癖っつーか、習慣っつーか。ヒデキ・マツイとか、ケン・ワタナベとか、アキラ・クロサワとか、タケカワ・ユキヒデみたいな感じでさ。
イ:そうですか。
や:うん。
イ:話を戻しますが、その手塚治虫先生のどの辺りに影響を受けたのでしょうか。
や:影響を受けたって言ったら恐れ多いけど、まぁとにかく世界屈指の漫画先進国の日本においての随一の先駆者というか、プロの漫画家の中でも神様的存在ていうか、そんなとこかなぁ。
イ:特に深い理由はないということでいいですか?
や:まぁそういうことになるよね。
イ:ちなみに、手塚治虫先生の作品の中で一番好きな作品は何ですか?
や:ドカベンだよね。
イ:では、今回もまたこのブログを特集しているわけですが、ここに注目して読んで欲しいというセールスポイントはありますか?
や:セールスポイントって(笑)いまどき誰も言わねーよ(笑)
イ:まぁ、いちいちそういうのはいいのでとにかく何かありますか?
や:ねーよ(笑)
イ:別にこちらも聞きたくもないんで結構です。
や:丸の内線ってけっこう朝でも空いてるし、車内もわりと綺麗だしいいよね。
イ:はい?何の話でしょうか?
や:いやだから丸の内線。毎日乗ってるでしょあなた。
イ:…乗ってますけど。
や:で、東高円寺駅だっけ?あの駅けっこう地味だけど俺はわりと好きだよ。改札口出たら目の前が青梅街道とかね。
イ:あの、前回、尾行しました?
や:しねーよ。ストーカーじゃあるまいし。でもまぁなかなかいいとこ住んでんじゃん。駅チカ徒歩5分の新大久保通り沿い8階建てのマンションの801号室でしょ。
イ:尾行しましたね。
や:って嘘だよー!ドッキリでしたー!テッテレー!びっくりした?
イ:全くドッキリになってないんですけど。インタビュー終わったら警察に通報しますね。
や:ドア越しに部屋の様子を窺っているところをあなたの彼氏に見付かって半殺しにされてますからそれはもういいじゃないですか。眼底骨折してますからそれはもういいじゃないですか。
イ:自業自得すぎて何も言えません。今後半径2km圏内に近寄らないで下さい。
や:わかりました。その前に彼氏が怖すぎるのでもう二度とやりませんから。今も左目が見えてませんから。
イ:それはとてもよかったです。で、今回もまた、ゲストにお越し頂いています。私個人的にはとても遺憾なのですが、編集部で決定したことなので仕方なく対談という形をとらさせて頂きます。くれぐれも失礼のないようにお願いします。
や:え?まじで?え?嘘っしょ?え?まじなの?俺冗談とかまじ嫌いだからね!まじそういうのキレるよ?もしかして薬師丸ひろ子さんが来てるんですか?そうなんでしょ?
イ:いえ、薬師丸ひろ子さんではないのですが、この方です。どうぞ。
新垣結衣:薬師丸ひろ子さんではなくてごめんなさい。やまさんはじめまして。新垣結衣です。
や:ゆいぼんお疲れ。
結衣:え?あ、はい。お疲れ様です。
や:彼氏いるの?
結衣:え?
や:いやだから彼氏。三浦春馬?
結衣:いえ、違います。彼氏はいません。
や:ですよねー。しかもあいつきもいよね。
結衣:いや、きもくはないですよ…。
や:え?じゃあ好きなの?
結衣:そういう恋愛感情はありません。
や:じゃあきもいってことでいいよね。
結衣:…。
イ:今日のやまさんは特にひどいですね。
や:つかだは三浦のことどう思う?
イ:彼は爽やかで演技もできて普通にかっこいいと思いますけど。
や:どんな立場でものを言っているのですか?たかだか東高円寺の分際で。よく言えたもんだわ。
イ:…。
や:ゆいぼん、俺ね、昔よく母親にこんなこと言われたんだ。
結衣:え?あ、はい。
や:「今日、石山君のお母さんに会ったら『山本さん家のけんちゃんは勉強ができて運動もできて素直で本当に良い子よね』って言われたよ。なんでか知らないけど、色んなお母さんに会う度に同じようなこと言われるんだよね。何故か近所じゃ評判なんだよねあんた。外面いいんでしょ?まったく、こんなにデキが悪いのにどう見ればそう見えるんだろうね。」という母は、言葉とは裏腹に自慢気に嬉しそうに話していました。
結衣:…
イ:…
や:…
結衣:え?
イ:それで?
や:以上ですけど。
イ:それは何の話ですか?
や:僕が地元では神童扱いを受けていたという話ですけど。
結衣:すごいですね…。
や:こんなエピソードもあったな。あれは小学校5年生の時の話です。
その日はクラスメイトが各々自ら考えたゲームを披露して遊ぶ授業の一コマでした。島野さんが考えたゲームは、なぞなぞを出して、それに答えることができたら箱の中のクジを引いて当たりがでたら島野さんが用意した景品をプレゼントするというゲームでした。僕はずっと観客として傍観していましたが、そのなぞなぞの難易度が高すぎてほとんどの男子が答えられません。挑戦するのが男子なのは、島野さんがませた可愛い女子だったからです。島野さんは嫌いな男子が来ると露骨に嫌そうな顔をして、小学生には答えられないような難題を出します。
島野さんはませているのでクラスのバカな男子達ほとんどが嫌いです。大抵答えられないような難易度の高いなぞなぞを出しては男子連中は散っていきます。しかし、中には正解を出し、クジを引く権利を与えられますが、その当たりと呼ばれる券は2枚しかないのに対して、外れクジは100枚近くあります。まず引き当てることは無理です。
クラスの男子共がことごとく失敗している中、島野さんが傍観していた僕に対して、「やまもやる?」と言ったので、「うん。」と言い、挑戦することにしました。「今日は何月何日でしょうか?」と質問してきました。ずっと難易度の高いなぞなぞだったのに僕に対しては世間話程度のお話をされてきたので僕は素直にその日の日付を言いました。「当たり。」と言われ、クジを引こうとすると、「ちょっと待ってね。」そう言い、2枚の券を目の前に出されました。「どっちがいい?」と言われたので、「こっち」と片方を指差すと、「当たり」と言われ、用意していた全ての景品を袋に詰めて僕に渡しました。どんな景品だったかはあまりよく覚えていませんでしたが、目玉景品だけは覚えていました。
「ドラゴンなんとか」とかいう聞いたこともないファミコンソフトの攻略本でした。「これを貰った僕は一体何をすればいいのだろうか。」と悩みましたが、家に帰って攻略本を開いた時にほのかに香った島野さん家の家庭臭を感じ取り、なんだか異常にドキドキしました。
結衣:…え?
イ:…何の話でしょうか。
や:僕が小学生の頃何故かモテたっていう話し以外の何物でもないのだが。
結衣:…
イ:それを聞いた私達はなんて答えたらいいのでしょうか。
や:いや別に。聞くだけでいいから。
イ:対談にならないので勝手に一方的に意味の分からないことを話さないで下さい。
や:あれは何年前だったかな?山道を歩いてたんですよ。
イ:あの、その話前回聞きましたけど。
や:え?うそ?僕が老人を熊から救った話だよ?したっけ?
イ:えぇ聞きました。熊を殺されたんですよね。
や:しかも素手でね。
結衣:…
や:まぁ、今だから言うけど、ぶっちゃけあれ嘘話だけどね。
イ:みんな知ってます。
結衣:…
イ:お願いしますから対談をしていただけないでしょうか。
や:そうですよね。ゆいぼん何かあります?
結衣:いえ、特には。
や:そっか。
イ:ではいつもの詩を披露して下さい。
や:え?聞きたいの?
イ:聞きたくありません。早く帰りたいんです。
や:ゆいぼんは?
結衣:特には。
や:そっか。じゃあいいです。
イ:それでは本日はこの辺りで締めさせていただきます。新垣さん今回はわざわざどうもありがとうございました。本当にすみませんでした。
結衣:いえいえ、こちらこそありがとうございました。
や:またね。
今回、新垣結衣さんをスペシャルゲストとして迎えたわけですが、やまさんはインタビュー中、何故か用意した椅子に一切座らずに常に直立不動で答えていました。とても気持ち悪かったです。
今回は以前2度に渡り特集し、社内では発行日当日からクレームの電話の嵐で対応に追われることで有名な「救命病棟24時」です。
私は本当にこのブログが嫌いだし、そもそもやまさんが嫌いです。特集の度にやまさんに会うのが苦痛で仕方ないです。今回、この特集が決定したと聞いて退職しようかと思いました。
しかし、日本は広いですね。こんな推薦お便りが届きました。
私は、先週定年退職を迎えた者です。
世間的に定年退職と言えば聞こえはいいかもしれないですが、私の場合はそんな艶かしいものではありません。
長く長く暗いトンネルをようやく抜け出したような気分です。
確かに晴れ晴れした気持ちはあります。
しかし、自分の人生はこれでよかったのかと思う気持ちもあります。
この15年間は一体何だったのだろう。
信念を貫いた15年は、失った15年とも言える。
しかし、この長かった15年は私にとっては誇りとも言える。
いや、そうでも言わなければ堪えられない、堪えられやしない。
15年前、私が45歳の時でした。私の人生の全ての何もかもが変わってしまったのは。
私が勤めていた会社は、地元ではそこそこ大手の企業でした。当時、統括本部長の役職に就いていた私は、社内のほとんどの実情といいますか、内情を把握しておりました。社長は実務にはほとんど手を出さず、どちらかと言うと隠居に近いような状態で、役員クラスのおじさん連中も名ばかり役員だったので、業務には何の役にも立たないような存在でした。自分でいうのも何ですが、会社の運営は私中心に回っていたようなものでした。
しかし、いや、だからこそ私は気が付いてしまいました。
この会社には莫大な使途不明金があることを。
地方には談合と呼ばれるものが未だに根強く残っています。
そう、私が勤めていた会社にも談合があったのです。
そして、その見返りとして地元警察の裏金作りに積極的に融資していたのです。
それを知った時、私は落胆しました。
私は高校を卒業してすぐにその会社に就職しました。
私の年代でも、高卒での就職は少なく、周りは皆大卒です。
やはり周りからはある程度の偏見を持たれていましたが、私は寝る暇も惜しんで掛けずり回って営業をしました。そして成績を上げました。
会社はそんな私を評価してくれ、大卒連中よりも飛躍的に昇進しました。
学歴社会、年功序列が当たり前の世の中で、実力主義を掲げたそんな会社を私は愛していました。愛していたからこそ、私は会社の歯車として犠牲になろうがかまわずに誠心誠意働きました。愛していたからこそ、許せませんでした。
内部告発。それを決意した時の気持ちを今はもう忘れました。
若さ故の正義感だったのか。間違った方向に進んでいる会社を立て直したかったのか。単なる憎しみだったのか。
理由はどうあれ、私が内部告発したことに変わりはありません。
その告発はセンセーショナルでした。
初めて明らかになる談合の実態。警察の裏金作りの実態。
きっとそういう事はあるんだろうなと誰もが分かっていたことでも、それが克明に浮き彫りになると、誰もが色めき立ちます。それを更に煽ったのはマスコミでした。
私は一躍時の人となります。
私自身、ここまで大事になるとは思っていませんでした。それはもちろんある程度の話題にはなってしまうかとは思いましたが、その想像を軽く超越していました。
そして、この後私が地獄を見ることになることは誰もが想像できることだと思います。
告発後、社長は私を呼び出すどころか、何の接触も図ってきません。たまたますれ違っても全く反応しません。無視そのものです。役員のおじさん連中も同じような反応です。
部下達の行動や言動も一見、今までと変わりなく私に接しているように見えましたが、彼等の私を見つめる目が、どこか焦点が合ってないというか、まるで物をみるかのような冷めた目でした。
私はそれを覚悟していました。いくら私が正義感なのか怒りなのかそのようなものを抱き告発したところで、その会社の社長や役員の感情は差し置いて、談合という裏事情と一切関係のない一生懸命頑張っている社員達を悪者にしたて上げ、ある意味裏切った私は、会社の中では大きな悪者になってしまったのだから。
覚悟をしていたというのはもちろん、はじめから辞職する気持ちでいました。
会社を告発しといて辞職するなんて今考えたらとても自分勝手な発想だと思います。卑怯かもしれません。会社の為に家族の為にと純粋な心で頑張る可愛い部下達のことを全く考えていないような行動だったかもしれません。しかし、それを差し置いても当時の私はその会社の体制が絶対に許せなかったのです。間違っていると声を大にして言いたかったのです。
しかし、本当の悪夢はその後に起こりました。
辞表を鞄に入れ、最後の決着をつけにと意気込んで出社した朝のことでした。
正面玄関にある掲示板に張り出された1枚の紙を見ました。
「本日付けで、小林勝統括本部長を特別顧問の役職に命ずる。」
特別顧問?それはどういうことなのか?出世なのか?はたまた…。
そんな疑心暗鬼を抱いていると、役員の年配管理職が、「小林君、出世おめでとう。君の席はこちらに用意してあるから。」そう言い、これまで物置化していた部屋に通されました。
以前まで物置になっていた部屋に入ると、一人用のデスクと椅子がぽつんと置いてあるだけだった。ただのデスクと椅子です。他には何もありません。
「私はここで何を?」
「君は特別顧問なのだから。特に何もする必要はないですよ。」
彼の冷酷な表情と言動で全てを理解しました。
私はいわゆる窓際族という体裁を受けたのだと。
その日一日、その部屋で過ごしました。何もない部屋。何もない空間。
気が遠くなる時間を過ごし、私はふつふつと怒りが込み上げてきました。
マスコミ、メディアで取り上げられた以上、会社は私を表立ってクビにすることはできない。だからこうやって精神的な体裁を加えて自主的に退職せざる負えない環境を与えたのだと。
私は辞表を書き、その日付けで退職する決意をしていましたが、その決意は違うものに変わりました。
私が定年を迎えるまで、この嫌がらせを受けようじゃないか。
それは単なるプライドなのか、自分で切り開いた運命を受け入れたのか、部下達に対する罪悪感なのかは今はもう分からないが、それらを全て含んだ気持ちだったのだろうとも思う。
それを15年間。
朝出社して、席に座り、定刻になって家に帰る。15年間。
本を読んで1日過ごすこともあった。外の雑草の草むしりをして1日過ごすこともあった。小説を書いていた時期もあった。孫が生まれた時は幾分良かった。1日中孫の命名候補をノートに書き綴った。あとは窓の外を眺めて、早く日没になることを祈っていた。
辛かったことは、代々、新入社員が入社する度に先輩社員に私のことを聞かされて興味本位でこっそりドアを開けて私を覗いてくることだった。
それぐらいはまだ良かった。
ある日、業務の多忙さゆえ、心身共に疲れ切っている新人の社員が私の部屋のドアを勝手に開けてきた。「あんたいつも何してんの?やることないの?何もしないのに給料貰えて羨ましいですよ。その幸せを僕らにも分けて下さいよ。こちらの世界は忙しすぎて過労死しそうですよ。あ、でもあんたは暇疲れで死なないで下さいね。また変なニュースになられても迷惑ですから。」と言ってきた時には彼がドアを閉めるやいなや恥ずかしながらいい歳にもなって泣いてしまいました。
それは悔しかったからなのか、情けなかったからなのか、自分の運命を呪ったからなのかよく分かりませんでした。とにかく泣きました。
長い長い年月が過ぎました。それは本当に本当に長く長く、果てしなく長い年月でした。これは15年間その環境で過ごした者でしか分からない境地かもしれませんが、意地を張って信念を貫いて15年間を堪えたというよりも、ある程度の期間を過ごしたあたりから半分廃人になって、半ば諦めたというか、むしろ、罪を犯して数十年の懲役を受けて投獄され、出所する日を待ち焦がれている罪人のような心理状態になっていたのかもしれません。
定年退職の日。とある民法のテレビ局1社が取材をさせて欲しいと私の元へ来ました。
私の存在を忘れられていなかったことは素直に嬉しかったですが、私もその15年間で歪んでしまったのでしょう、私を見世物のように煽りに煽ったマスコミやメディアに対しての恨みもあったのでしょう、とにかくそっとしてほしかった気持ちも強くあり、取材を断りました。
いつものように朝出社して、定時になって帰る準備をします。
普通の会社だったら定年退職者は皆から壮大に見送られることでしょう。それぞれ思い思いにと祝福の言葉を述べ、最後に「長い間お疲れ様でした。」と添えるでしょう。花束の贈呈もあることでしょう。
でも、それは私にはありません。ありえないことです。唯一の味方であった家族にも8年前に縁を切られました。もう私には何もないのです。
15年間堪えて生きてきた、それは、誇りなのか、ただの愚か者なのか、それすらも分かりません。
「特別顧問室」の部屋を出る。社員達はパソコンの画面を睨み、キーボードを叩き続ける。
15年の歳月はここまで変わるものかと冷静に思う。
自動扉を出た。
これから私は何をして生きていくのだろう。
永遠とも思える時間を過ごしてきたのに、そのことは全く考えていなかった。
胸を張って歩くこともできずに下を向いたまま歩いていたので、近くに人影があることに気付いたのは、ほんの数m前でした。
花束を持ったその女性は、毎日部屋の掃除をしてくれていた掃除のおばさんだった。
おあばさんと言っても、15年前はまだ20代の若い女性で、ちょうど私が隔離された時に清掃人のアルバイトとして配属された人だった。
当初はこんな若い女性が清掃人のアルバイトをしてるなんて、とも思ったが、彼女は事務的に部屋を掃除するだけで、これまで15年間会話らしい会話をしたことがなかった。
「今までお疲れ様でした。」
「こちらこそ、毎日掃除してくれてありがとう。」
「実は、私。テレビで見ました。15年前。小林さんの告発。」
「…そう。」
「率直にかっこいいと思いました。だから、ここで働きました。小林さんがいるこの職場で。」
「いつも部屋の花瓶の花、変えてくれてたよね。」
「はい。」
「いつも楽しみにしてたんだ。花と。毎朝、誰が花を飾っているんだろうって。」
その1年後、私達は結婚しました。私が61歳。彼女が43歳。
実は、今、家内のお腹の中には新しい生命が宿っています。
遅咲きの第2の人生ですが、今は生きる喜びを感じています。
救命病棟24時がいいと思います。
だそうです。
やま(以下や):つかだちゃんはどんな体位が好きなの?
インタビュアー(以下イ):あの、勝手に話さないで下さい。あと突飛に変な質問はしないで下さい。
や:最近ってさ、背面騎乗位っていうの?それ流行ってんの?
イ:本当にやめてもらえますか?その話。
や:は?てめー彼氏いるんだろ?彼氏いるんならそういうことしてんだろ?じゃあてめーはしねーのかよ?しねーんだな。それでいいんだな。まぐろ。
イ:あの、「てめー」ってやめてもらえます?あと「まぐろ」も。
や:あ、それはさすがに言い過ぎました。すいませんでした。ところでまぐろさんの好きな体位は何ですか?
イ:…
や:ごめん、なんか、まじちょっと、色々あってさ、最近。
イ:それではインタビューに入りたいと思います。前回の特集後の反響はどうでしたか?
や:うん?あーまぁ、ぼちぼち。まぁでも、ほんとまじ、最近色々あってさ。
イ:訪問者数なんてのも伸びているんじゃないですか?あれ以来。
や:10人ぐらい。でも、ほんと最近色々あるなまじで。まじなんでだろ?あれとかなんなの特に?
イ:その話聞いた方がいいですか?
や:いや、別に。
イ:では、こちらの進行に戻ります。もし何もないようでしたら、二度とさっきのようなことは言わないで下さい。
や:わかりました。
イ:ブログ上ではご自身のことをあまり語らないようですが、やまさんの謎の経歴を簡単に教えていただけますでしょうか?
や:1983年埼玉生まれ。でも、ほんと、あれは何だったんだろって1週間経った今でも思う。うん、それすごい思うんだ。
イ:もうわかりましたから、その話を先にして下さい。私は早くこのインタビューを終わらせてさっさと帰りたいので。
や:いや、でもあれは口で説明できるような生半可なものではないし、いいや言わない。
イ:経歴を続けて下さい。
や:は?経歴?やだよ。なんでそんなプライバシーな話をいちいち塚田に言わなきゃいけないんだよ。懐に入り込もうとすんなよ。他人のくせに。性格ブス。
イ:では結構です。えー、毎回うかがっていますが、影響を受けた人物は誰でしょう?小林多喜二とさくらももこさん以外で。
や:うーん。影響ねぇ。元祖をたどればやっぱり、オサムあたりになるのかなぁ。
イ:オサム、さん?やまさんの知人ですか?
や:知人?いやいや、オサム・テヅカでしょう。さすがに知人じゃないわ。何意味わかんないこと言ってんの?アホじゃね?
イ:…あまりそう呼ぶ人はいないんで。
や:そう?俺、世界基準の著名人はそう呼んじゃう癖があんだよね。
イ:癖…。
や:まぁ、癖っつーか、習慣っつーか。ヒデキ・マツイとか、ケン・ワタナベとか、アキラ・クロサワとか、タケカワ・ユキヒデみたいな感じでさ。
イ:そうですか。
や:うん。
イ:話を戻しますが、その手塚治虫先生のどの辺りに影響を受けたのでしょうか。
や:影響を受けたって言ったら恐れ多いけど、まぁとにかく世界屈指の漫画先進国の日本においての随一の先駆者というか、プロの漫画家の中でも神様的存在ていうか、そんなとこかなぁ。
イ:特に深い理由はないということでいいですか?
や:まぁそういうことになるよね。
イ:ちなみに、手塚治虫先生の作品の中で一番好きな作品は何ですか?
や:ドカベンだよね。
イ:では、今回もまたこのブログを特集しているわけですが、ここに注目して読んで欲しいというセールスポイントはありますか?
や:セールスポイントって(笑)いまどき誰も言わねーよ(笑)
イ:まぁ、いちいちそういうのはいいのでとにかく何かありますか?
や:ねーよ(笑)
イ:別にこちらも聞きたくもないんで結構です。
や:丸の内線ってけっこう朝でも空いてるし、車内もわりと綺麗だしいいよね。
イ:はい?何の話でしょうか?
や:いやだから丸の内線。毎日乗ってるでしょあなた。
イ:…乗ってますけど。
や:で、東高円寺駅だっけ?あの駅けっこう地味だけど俺はわりと好きだよ。改札口出たら目の前が青梅街道とかね。
イ:あの、前回、尾行しました?
や:しねーよ。ストーカーじゃあるまいし。でもまぁなかなかいいとこ住んでんじゃん。駅チカ徒歩5分の新大久保通り沿い8階建てのマンションの801号室でしょ。
イ:尾行しましたね。
や:って嘘だよー!ドッキリでしたー!テッテレー!びっくりした?
イ:全くドッキリになってないんですけど。インタビュー終わったら警察に通報しますね。
や:ドア越しに部屋の様子を窺っているところをあなたの彼氏に見付かって半殺しにされてますからそれはもういいじゃないですか。眼底骨折してますからそれはもういいじゃないですか。
イ:自業自得すぎて何も言えません。今後半径2km圏内に近寄らないで下さい。
や:わかりました。その前に彼氏が怖すぎるのでもう二度とやりませんから。今も左目が見えてませんから。
イ:それはとてもよかったです。で、今回もまた、ゲストにお越し頂いています。私個人的にはとても遺憾なのですが、編集部で決定したことなので仕方なく対談という形をとらさせて頂きます。くれぐれも失礼のないようにお願いします。
や:え?まじで?え?嘘っしょ?え?まじなの?俺冗談とかまじ嫌いだからね!まじそういうのキレるよ?もしかして薬師丸ひろ子さんが来てるんですか?そうなんでしょ?
イ:いえ、薬師丸ひろ子さんではないのですが、この方です。どうぞ。
新垣結衣:薬師丸ひろ子さんではなくてごめんなさい。やまさんはじめまして。新垣結衣です。
や:ゆいぼんお疲れ。
結衣:え?あ、はい。お疲れ様です。
や:彼氏いるの?
結衣:え?
や:いやだから彼氏。三浦春馬?
結衣:いえ、違います。彼氏はいません。
や:ですよねー。しかもあいつきもいよね。
結衣:いや、きもくはないですよ…。
や:え?じゃあ好きなの?
結衣:そういう恋愛感情はありません。
や:じゃあきもいってことでいいよね。
結衣:…。
イ:今日のやまさんは特にひどいですね。
や:つかだは三浦のことどう思う?
イ:彼は爽やかで演技もできて普通にかっこいいと思いますけど。
や:どんな立場でものを言っているのですか?たかだか東高円寺の分際で。よく言えたもんだわ。
イ:…。
や:ゆいぼん、俺ね、昔よく母親にこんなこと言われたんだ。
結衣:え?あ、はい。
や:「今日、石山君のお母さんに会ったら『山本さん家のけんちゃんは勉強ができて運動もできて素直で本当に良い子よね』って言われたよ。なんでか知らないけど、色んなお母さんに会う度に同じようなこと言われるんだよね。何故か近所じゃ評判なんだよねあんた。外面いいんでしょ?まったく、こんなにデキが悪いのにどう見ればそう見えるんだろうね。」という母は、言葉とは裏腹に自慢気に嬉しそうに話していました。
結衣:…
イ:…
や:…
結衣:え?
イ:それで?
や:以上ですけど。
イ:それは何の話ですか?
や:僕が地元では神童扱いを受けていたという話ですけど。
結衣:すごいですね…。
や:こんなエピソードもあったな。あれは小学校5年生の時の話です。
その日はクラスメイトが各々自ら考えたゲームを披露して遊ぶ授業の一コマでした。島野さんが考えたゲームは、なぞなぞを出して、それに答えることができたら箱の中のクジを引いて当たりがでたら島野さんが用意した景品をプレゼントするというゲームでした。僕はずっと観客として傍観していましたが、そのなぞなぞの難易度が高すぎてほとんどの男子が答えられません。挑戦するのが男子なのは、島野さんがませた可愛い女子だったからです。島野さんは嫌いな男子が来ると露骨に嫌そうな顔をして、小学生には答えられないような難題を出します。
島野さんはませているのでクラスのバカな男子達ほとんどが嫌いです。大抵答えられないような難易度の高いなぞなぞを出しては男子連中は散っていきます。しかし、中には正解を出し、クジを引く権利を与えられますが、その当たりと呼ばれる券は2枚しかないのに対して、外れクジは100枚近くあります。まず引き当てることは無理です。
クラスの男子共がことごとく失敗している中、島野さんが傍観していた僕に対して、「やまもやる?」と言ったので、「うん。」と言い、挑戦することにしました。「今日は何月何日でしょうか?」と質問してきました。ずっと難易度の高いなぞなぞだったのに僕に対しては世間話程度のお話をされてきたので僕は素直にその日の日付を言いました。「当たり。」と言われ、クジを引こうとすると、「ちょっと待ってね。」そう言い、2枚の券を目の前に出されました。「どっちがいい?」と言われたので、「こっち」と片方を指差すと、「当たり」と言われ、用意していた全ての景品を袋に詰めて僕に渡しました。どんな景品だったかはあまりよく覚えていませんでしたが、目玉景品だけは覚えていました。
「ドラゴンなんとか」とかいう聞いたこともないファミコンソフトの攻略本でした。「これを貰った僕は一体何をすればいいのだろうか。」と悩みましたが、家に帰って攻略本を開いた時にほのかに香った島野さん家の家庭臭を感じ取り、なんだか異常にドキドキしました。
結衣:…え?
イ:…何の話でしょうか。
や:僕が小学生の頃何故かモテたっていう話し以外の何物でもないのだが。
結衣:…
イ:それを聞いた私達はなんて答えたらいいのでしょうか。
や:いや別に。聞くだけでいいから。
イ:対談にならないので勝手に一方的に意味の分からないことを話さないで下さい。
や:あれは何年前だったかな?山道を歩いてたんですよ。
イ:あの、その話前回聞きましたけど。
や:え?うそ?僕が老人を熊から救った話だよ?したっけ?
イ:えぇ聞きました。熊を殺されたんですよね。
や:しかも素手でね。
結衣:…
や:まぁ、今だから言うけど、ぶっちゃけあれ嘘話だけどね。
イ:みんな知ってます。
結衣:…
イ:お願いしますから対談をしていただけないでしょうか。
や:そうですよね。ゆいぼん何かあります?
結衣:いえ、特には。
や:そっか。
イ:ではいつもの詩を披露して下さい。
や:え?聞きたいの?
イ:聞きたくありません。早く帰りたいんです。
や:ゆいぼんは?
結衣:特には。
や:そっか。じゃあいいです。
イ:それでは本日はこの辺りで締めさせていただきます。新垣さん今回はわざわざどうもありがとうございました。本当にすみませんでした。
結衣:いえいえ、こちらこそありがとうございました。
や:またね。
今回、新垣結衣さんをスペシャルゲストとして迎えたわけですが、やまさんはインタビュー中、何故か用意した椅子に一切座らずに常に直立不動で答えていました。とても気持ち悪かったです。
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この記事へのコメント
1. Posted by たかゆき 2010年10月01日 03:59
わーわーわー!!
2. Posted by k太 2010年10月01日 20:42
かわいいですね!
結衣さん!
結衣さん!
3. Posted by めい 2010年10月06日 23:03
好きです。
やらせてくださぃ(´∀`)
4. Posted by ジョン万次郎 2010年10月10日 04:12
好きです!やらしてください(●^ー^●)
5. Posted by やま 2011年01月12日 21:01
>たかゆきさん
わーわーわー!!
わーわーわー!!
6. Posted by やま 2011年01月12日 21:03
>k太さん
結衣さんは可愛いですよとても。可愛い結衣さんを自由に発言させるなんて夢みたいで嬉しいですとても。
結衣さんは可愛いですよとても。可愛い結衣さんを自由に発言させるなんて夢みたいで嬉しいですとても。
7. Posted by やま 2011年01月12日 21:06
>めいちゃん
好き…だよ。
いい…よ。
好き…だよ。
いい…よ。
8. Posted by やま 2011年01月12日 21:09
>ジョ万さん
おうぇー!げぼー!…げぼー!
おうぇー!げぼー!…げぼー!