2017年01月21日

エネルギー活用の効率化の徹底を!

エネルギー資源の確保をめぐり、世界の多くの国々が醜き
紛争に巻き込まれ、簡単にテロ騒動から本気の戦争に突入する。

そして、多くの云われ無き人々が剣や銃弾、爆弾や毒薬等・・・・・
様々な方法でその尊い命を落とし続ける。

この醜い奪い合いは太古の昔から現在に至るまで、止まる事無く
続いており、安らぐこともない。

全世界の人口は、減ることは稀で、長期的には増加し続けている。
この増え続ける人々の生活の有り様は、その食事は贅沢化し、
生活は高度化し続け、その異動範囲は地球内に留まらず宇宙にま
で拡がっている。

この人類の増加と生活行動の拡張を支えるのが、エネルギーの開発
と確保であり、人類はその獲得競争を止める気配は毛頭無い。

人類の生存環境保全確保の観点から、「地球温暖化防止運動」が
世界各国に呼びかけられてはいるが、各国の個別事情や損得勘定
から、その足並みはマチマチで、迅速な運動前進には疑念が残る
情況と仄聞する。

各国が競争して求める「より楽な生存環境保全確保」のため、各国の
エネルギー獲得競争は熾烈を極めており、
ついにはあの危険極まりない核分裂エネルギーの獲得競争に血道を
挙げるに至っては、まさに人類滅亡の道を突進しているのではないか
と疑わざるを得なくなる。

我が国に絞って眺めてみても、「暖」も「涼」も「明」も「遠」も「食」も「速」
も「パワー」もと、「夏冬」「昼夜」を問わずこれら人間の欲望を確保する
ために、膨大なエネルギー確保に邁進している。

そのため、悪魔かも知れない手に負えない原子力に手を出し、
原子爆弾の洗礼を浴び、原発事故による治まらない放射線被爆を受け
ているにかかわらず、悪魔のエネルギーから手を引くことが出来ないで
いる。

人間は何故、核分裂による核エネルギーの失敗と長期間に亘り継続する
危険と恐怖に晒されながら、この危険極まりない核エネルギーから離れら
れないでいるのだろうか?

その強力な破壊力が、人間同士の戦争の武器として、捨てるに捨てられな
い威力を発揮するから、捨てられずに、いつでも絶対の武器に転用出来る
よう、危険を承知で重要エネルギーとして使い続けているのだろう。

福島原発事故の処理費用は当初想定の2倍の21.5兆円に及ぶとの推定が
ある。

使用すれば回り回って最後は自分に災いをもたらすという核の武器の側面
を熟慮して、核の武器利用を断念するならば、
こんなに莫大なコストを必要とするエネルギー開発は止めにして、
太陽光発電とか風力・潮力・水力発電で賄えるクリーンエネルギーに特化し
て、その僅かなエネルギーで「熱」も「動力」も「明」も賄えるような技術開発
に邁進しては如何であろうか?

福島原発事故処理に要する21.5兆円を、LED電球の開発のように(従来の
電球の1/10のエネルギーで同じ明るさをより長時間保てた。)、
僅かなエネルギーを大きなパワーに変換活用出来るよう、エネルギーの
飛躍的活用方法を開発する方が、どれだけ人間に留まらず自然の保全に
役立てることが可能となることか!!!

人間は悪魔の開発から神のパワーの享受に、進歩の道を変換せねばならない。











































  
Posted by kenken_ac at 22:07Comments(0)TrackBack(0)脱原子力発電

2016年06月03日

景気推進の秘策!マイナス消費税やってみろ!

日銀の黒田総裁は、マイナス金利という奇策を導入した。
これで銀行が企業融資に積極的になるとの思惑だという。
現実は、個人の住宅ローン金利引き下げ効果があったダケだとのこと。

安倍総理、アベノミクスによる景気拡大が思うように行かないのは、
8%への「消費増税」が好調であった景気の足枷となったからだと、
かねて約束の残り2%の「消費増税」の2年半先への引き延しを狙って、
サミットの場でリーマンショック並みの世界景気減速不安を訴え、
約束の「消費増税」先延ばしの根拠としたと聞く。

これに対して、「増税環境を整えられなかったのは、安倍政権の
アベノミクス政策の失敗であるから、その責任をとれ!」と、
民進党は安倍退陣を迫ったという。

つい先日まで、約束通り2%の追加の消費増税の実行を迫っていたはず
なのに、追加増税反対の国民の声が大きくなると、話をすり替え、
増税環境を創れなかった責任をとって退陣せよと、自らがかつて持ち出
した主張でもあった消費増税を安倍さんに擦り付けて、
自分たち(民進党)は「良い子」になってしまうとは?

あなた方民主党が、マニュフェストに違反し、小沢グループを切り捨てて、
大見得切って主張した「消費増税」策ではなかったのか!???

かつて、衆議院解散を餌に「消費増税」を阿部さんに迫って、これを合意
させたのは当時の民主党の総理野田佳彦をはじめとする現民進党の
岡田代表以下の今の民進党幹部たちである。
「消費増税に賛成するなら、解散総選挙に応じましょう!」と安倍自民代表
にせまった野田総理の姿を思い出す。

自分たちが何をやり何を主張したのか一言でもいいから言ってみろ!

マニュフェスト違反を強行して実現した「消費増税」策が、
景気の減速をもたらす原因と気づくと、その責任のすべてを
自公政権に擦り付け、自らは責任回避し、反省の素振りも見せない!
自分たちは常に正しい・・・・。こんな民進党には反吐が出る。

余計なお世話だが、民進党の無責任10人衆と言われる幹部たちを
追い出さないと、単なるご都合主義のゴネ政党に過ぎないことになり
下がるだろう。
財務省に言われて、「消費増税」の片棒を担いだ政権党だったのに、
このままではこの党の余命は幾ばくも無いであろう。

アベノミクス政策は、米欧がリーマンショック下で競うように金融緩和に
突き進んだ結果、円が国際上の通貨バランスを失い未曾有の円高(対
ドル80円割れ)に固定され続ける結果をもたらした白川前日銀総裁と
財務省の言いなりになった当時の民主党の金融対策部門の長期間に
亘る「超円高政策」の失政(輸出競争力の大幅後退・企業の国内空洞化
の結果の「失われた20年」)を猛省し、米欧との金融バランスを志向した
合理性の高い緊急の政策である。
アベノミクス政策の根幹はこの超円高政策の是正にあったのだ。
結果は、日本の輸出競争力を大幅に引き上げ、国際競争力が回復し、
国内空洞化も治まったではないか。

このほかの政策には多々疑問に思える「口先だけ政策、無駄遣い政策、
思い付き政策等」も垣間見えるが、日本経済全体に及ぼす影響は、
今のところ軽微であるようだ。
だが、年金財源の株式運用は、損失が軽微なうちに手を引くべきである。
(もし、年金株式運用で大赤字を出し、年金受給者に大きな負担を掛ける
ことにでもなったら、おそらく安倍さんの命は危なくなるだろう。)

しかし、自公政権のせっかくの金融緩和政策は民主党との約束の「消費
増税」の実行で打ち消されて、これが景気の腰折れに直結した。


「消費増税」は景気の加熱を抑える策であり、「税収増」は景気の活性化
による国全体の「利益」の増加による、所得税・法人税等の基本諸税の
増加によってのみ、もたらされるモノと肝に銘ずべきだ。
「消費増税」は景気という車のブレーキと考えるべきなのだ。
ハイパーインフレというスピード違反車のスピードを抑えるブレーキなのだ。

これから消費を拡大し景気を上昇させようとする時に、「消費増税」という
ブレーキを掛けたのだから、せっかくの金融緩和政策が本来の成果(=国
民所得の増加)を発揮できずに萎んでしまったと結論付けても過言でない。

国民の所得が増加してから消費税でその一部の果実を吸い上げるという
ならまだしも、庶民の懐が温まる前に未だ乏しい財布の中に手を入れれば、
誰もが消費の量も質も下げて、将来の生活に備えるは当然!

景気が拡大すれば、所得税・法人税・資産税・金融取引税等々、既存の税
そのものが増収になる。
税収の拡大がどうしても必要なら、景気を良くし、消費意欲を誘発すること
が王道であり、
「消費増税」という「景気のブレーキ」(道具)で税収増を計っても、逆効果だ。
「消費増税」という政策は、景気拡大にはブレーキとしてしか働かないことを
肝に銘じて置かなければならない。


我が国にあっては国民所得の60%は個人消費の動向に懸っていると聞く。
法人所得の動向もつまるところは、個人消費の動きに左右される。
個人の懐を温めなければ、法人はもとより国家の増収も期待はできない。

(注)タックスヘイブンによる所得・収益隠しの税金逃れは、個人に掛かる
   全税収入に匹敵するとのウワサもある。
   「法人が画策する脱税」を潰すことの方が「消費増税」より先に片づける
   べき課題とも言えよう。
   日本という市場で稼いだ利益について、場所代も払わないという仕切りに
   は、例え敗戦国といえども、キチッとした落とし前を着けなければなるまい。
   まず、該当する法人・個人に然るべき税金を納めさせた後、日本での商売
   から締め出す(放逐)しなければならない。

個人の懐を温めるためには、「消費増税」などと言う景気拡大の邪魔になり、
ブレーキにしかならない税は、完全撤廃してしまえば良いではないか?

元々、消費税は一部の特定商工業者や特殊法人等は免除されるという
不公平な税制である。こんな税は無くした方が公平だ!


むしろ、「消費税」を、消費をしたら消費功労金を消費者に還元して
くれるという、いわば消費還元税(マイナス消費税)としてくれるなら、
これは景気拡大のエンジン税になるかも知れない。
つまり、「消費増税」ではなく、本物の「消費減税」をやるのだ!
これなら、「マイナス金利」の政策より、はるかに国民のためになる・・・・。
1,000円の買い物をしたら、50円が国家から功労金として返還されると
するなら、
もしかしたら1個で済む買い物でも2個買って置くかもしれない!?

生活必需品の原材料の多くを輸入に頼る我が国にあっては、
金融緩和による円安を価格転嫁可能な法人はともかく、
個人にとっては一方的に物価の上昇に晒されることになるのだ。
そんな中で「消費増税」を強行された多くの個人の収入は、物価の上昇に
追随できず従前の収入に取り残されただけでなく、いくつもの所得控除
の撤廃により、減収の憂目に晒された。

特に約30%に及ぶ年金生活者層は、年金受給額の抑制に留まらず、
各種所得控除の大幅な見直しの影響に直面し、
生活の質を抑えざるを得ない事態に追い込まれているのだ。

こうした年金生活者層を中心とした買い控え(消費節減)が、
景気拡大腰折れの重要な原因となってしまったのだ。

60%のウェイトを占める個人消費を拡大させることこそが
景気拡大に直結するのであって、
法人の懐がいくら豊かになっても、その富は蓄積されるだけで、
消費拡大にはなかなか直結するものではない。
法人が大型プロジェクトを大量に展開するというのなら、話は別だがネ!
利益が上がった法人からは、国民個々に「滴り落ちる」恵みがあるとは、
よくぞ言ったものだ。
お上が、儲けた法人に対し、国民に恵みを与えよと命ずるなら別だが・・・。

法人の収益増加は個人の所得向上には直接的には結び付かない。
結びついたとしても、この恩典に預かり給与が増加した者は、上場会社
の極く一部の社員(全個人の10%に満たない)に過ぎない。
これらの給与増加個人層とて、物価の高騰への対応が精一杯で、
それを乗り越えて景気拡大につながる消費拡大への寄与は無理だ。

まして、とりわけ30%相当の年金生活者層にあっては、自己生活防衛上、
食を減らしてでも財布の紐を引き締めざるを得ないではないか???

だから、景気拡大は腰折れしてしまったのだ!

政策の順序は、企業を優先するのではなく、国民個人の懐をまず温めて、
国民の豊かさが景気を引っ張る姿にしなければ、
長続きする所得政策とはなり得ない。

以上の私の感覚的独断が数理的に正しいかどうか?
はなはだ心もとないので、数理的にこれを裏付けるご意見はないかと、
探してみた。
すると、私が尊敬する大蔵省出身の数理経済学者゛ある「高橋洋一」先生
の「ダイヤモンド・オンライン6月2日配信」の「増税見送りは当然、財務省
の権益拡大を許すな」という記事に出会った。

高橋先生の指示されるところは、以下に集約される。
「消費増税を見送ったうえで、消費減税と実質的に同じ経済効果となるよう
な財政支出増を行うのが現実的である。筆者試算では、消費増税スキップと
30兆円程度の財政支出だ。消費減税(消費増税スキップと財政支出30兆円と
効果は同じ)をすれば、2020年度に名目GDPは630兆円程度になるだろう。」

私の言いたいことは、この先生の主張で承認された思いである。

国民が喜ぶ事をすれば、国民の元気が経済を飛躍させる道理である。


「慌てる乞食は貰いが少ない」との言葉は生きている!!!

政府はこの言の葉を噛み締めて、不要不急の政策を所官庁のエゴに
とり込まれることなく廃止して、まずは借金の返済に全力を尽くしたら
如何でしょうかネ。
何しろ利息の支払いほど高く付くものはないのだから・・・・・。
その借金は、担当部署の職員一人一人が生涯背負う位の気概をもって
事に当たって欲しいものだ。
金を使うのではなく、我が国民を信じて仕組み・考え方を国民が喜ぶモノ
に変えて、国民のパワーに期待する方式に変えてほしいものだ。


舛添都知事みたいな「独善」は絶対やらないでネ!お願いだから・・・・・・・・・。













































  
Posted by kenken_ac at 02:11Comments(0)TrackBack(0)景気振興

2016年04月05日

日本経済沈没の危機、カウント・ダウンが始まった!

民主党が維新の会と合併するに当たって、民主党前総理の
「野田佳彦」氏が次のように語ったという。
「一番(私の)足を引っ張った(小沢)元代表さえ来なければ、
あとは全部飲み込もうとおもっている。」
「方針が決まってもゴチャゴチャ言ったのは(小沢)元代表だ!」

これに関して、作家の「室井佑月」女史は言う。
「野田佳彦元民主代表!ええかげんにしぃや!」
「格差が広がってしまった今、消費増税はギリギリの暮らしを
しているいる人々を痛みつけるだけ。
反対だと言って党を出た小沢さんのほうが正しかった。」

当時、民主党はマニュフェスト選挙と称して、選挙後の党が
やるべき政策を明示して選挙戦を戦い、それで国民の支持を
得て、第一党を勝ち取った筈である。
そのマニュフェストには「消費増税」は一言も触れられては
いなかった。
当時財務大臣をしていた野田前総理は財務官僚の言説に
丸め込まれ、解散総選挙を「オトリ」に自・公両党相手に論戦を
張り、マニュフェストには無い「消費増税」を年金原資確保の
ためと称して強行した。

しかし、総選挙の結果は民主党の大敗北、圧倒的多数を誇った
民主党はその立場を自民党と反転、入れ替わる結果となった。

小沢元代表はこのマニュフェスト違反は党の支持者に対する
背信行為であると、同志約50名と脱党して筋を通した。

毎日新聞出身の評論家「板垣英憲」氏は次のように言う。
民主党が下野した原因と責任を「消費増税」に反対した小沢氏に
擦り付け、自分の責任を回避した野田元総理は、
「生活と組むなら(自分)は民主党を離党する!」とまで言い切った。
その野田氏を支えた「無責任6人衆」が、現在の民進党代表の
岡田克也、枝野幸男、安住淳等の面々である。

事ここに至った今、現状についての私の率直な感想は次の3点。

.泪縫絅侫Д好醗稟燭鯣箸靴燭里蓮¬酖鳥瓩鮖呂瓩箸垢詭運陛泙
  幹部達である旧民主党幹部達であり・・・・・。

金融規律堅持の白川金融政策の影響で進められた円高が、
  日本経済の空洞化と国内雇用・賃金減少をもたらしている最中に、
  「消費増税」を強行すれば、国民は財布の紐を締めて節約する
  しか生きる道がない。
  「消費増税」を担保に総選挙実行に踏み切らせた自民党政権は
  約束どおりそれを実行してしまうとは!?
  <参考>
    一昨日のニュースで、民進党党首の岡田代表が言ったという。
    「約束の残りの消費増税」をまた引き延ばすと言うなら、それは
    公約違反に当たるから、阿部総理には責任を取って総理大臣を
    辞めてもらうしかなかろう!」と。
    総需要減少下の今、消費増税をやったなら、日本経済は「止めを
    刺された」も同然。
    日本経済を沈没させても「昔の約束の方が大切」なのか??
    経済は生き物なのだ!
    まさか昔の「自・公・民」の密約を公約と言っているのでは!
    消費増税実施前に年金10%アップをやってくれるなら別だが・・・。
「安倍政治の暴走」(憲法違反の疑いが強い安保法制)と
  「行き過ぎた金融緩和政策」と「景気引き締め作用の強い消費増税
  を止める」という3つの大きな課題について、野党間連携による
  選挙必勝対策を具体的に提案したのは「生活の党」であり、
  その流れで民主と維新が合体したのに・・・・・・・。

今更に思う、「小沢」氏が言っていたのは、このことだったのかと!
票の食い合いをして選挙に勝てるわけがないではないか!

私は、この現状を解決すべき課題を次のように考える。
^楕殍\に違憲の疑念がある限り、司法による厳密な審議と国民投票に
  よる成否の決着がなされるべきである。
  そうでなければ、司法の独立は架空の空言になってしまう。
  賛否は別として、民主主義を前提とするなら、国民の総意と透明ルール
  のもとで事が決着されなければならない。
金融緩和政策の続行は、為替レート次第である。
  あまりに円高過ぎては輸出産業が疲弊する。国内の空洞化が再現する。
  あまりに円安過ぎても、物価の高騰による国内総需要の減退が生ずる。
 
  民主政権下の白川前日銀総裁の金融政策は、欧米がこぞって金融緩和
  する中、金融規律堅持の考えから日本だけが緩和しなかった。
  結果、円の独歩高($=70円)で、輸出産業の対外競争力の顕著な低下を
  もたらす主要原因となった。当時私は、対ドル50円になるのでは?と
  心配したものだ。浜矩子教授もそんな予想をしていた。
  輸出産業は安い資源と労働力を求めて海外に転出し、その結果として
  「工場・営業拠点の海外流失」,「国内雇用の大幅減少」と「賃金低下」が
  もたらされた。
  円の価値は世界比較で大いに高まり、輸入品は円換算すると安価に
  手に入る。
  その一方で、国内事業は国際比較で空洞化し衰退する事態となった。
  これが失われた20年とも、空洞化の20年とも言われる実態だ。

  自公政権下になって、黒田現日銀総裁が欧米並みの金融緩和政策に
  踏み込んだことは、日本の輸出競争力の回復と国内雇用の増大、
  賃金の上昇をもたらした。
  世界の金融緩和に歩を合わせたことで、円の独歩高は収束したが、
  $=120円の円安は行き過ぎだ。
  過度の金融緩和の結果は、輸入品の円換算価格の上昇をもたらし、
  国内物価の高騰につながって行く。
  結果として、全国民の26.7%を占め、その比率は刻々と増大すると
  予測される年金生活者層は、年金支給額の物価スライドもない中で、
  日一日と高騰する物価の影響に加えて諸所得控除の撤廃という
  個人所得への重い増税で購買力を失い、急速に低所得者層への転落を
  余儀なくされる。
  一方、企業は生産性向上を狙って、非正規社員を飛躍的に増加させ、
  その結果若年層の相対的プア化をもたらすにとどまらず、一部の中核的
  働き手を除き、プア化は全年齢層に蔓延・波及しつつある。

G金財源の安定確保を主目的と称する財政基盤安定のための消費増税
  と大義名分を掲げても、今日の情況下での消費増税はやってはいけない。

  円高是正目的の金融緩和政策は「前回の消費増税」と相まって、
  生活必需品の高騰をもたらしている現況下で、国内消費力の大幅減少が
  続いている今、二回目の消費増税を実行すると、
  日本経済は沈没に歩を踏み出すことになる。
  「消費増税」により「年金財源」が確保され緊急に年金の増額支給がなされ
  たとしても、その前に低所得者から破綻が始まり、無傷ではおさまらない。
  今はもはや買い物を制限するしか生活安定の道がないところまで来ている。
  ので、庶民の消費力が回復する前に増税されては、それに耐えられる力が
  残っていないのだ。

白川前日銀総裁の金融規律重視の政策だけならまだ何とかなった景気は、
最初の消費増税3%が足枷となり、今のままでも景気の暗転は実体的に明らか
になりつつある。

再度の消費増税はたとえ2%といえども、多くの国民の財布の締めをきつくする
だけでなく、消費そのものを厳しく見直し節減せざるを得なくなる。
結果は、国民が一部の金持ちと多くの貧民に分断され、圧倒的多数の国民に
窮乏が迫り来て、国家としての元気(国民総需要)はスッ飛んでしまう。

少数の金持ちが反吐するほど消費しても、国民総需要にはほとんど影響しない。
金持ちの所得に占める消費比率が30%を超えることはめったにない。
一方、圧倒的多数の国民の消費比率は限りなく100%に近くなる。
金持ちは収入の多くを使い残し金融をベースとする資産だけが蓄積されて行く。
使い残す富が増えれば、国民総需要のサイズは縮小することになる。
富が国民全体に均等に分けられれば、使い残しする金持ちが減る分、
国民総需要は大きくなるというわけだ。

消費増税で富の偏在が進み、金持ち以外の大多数の国民のエンゲル係数が
上限に近づけば、節約という形で消費が抑えられ、総需要の減退、企業倒産、
貧富の差の拡大、人口減少等々、日本経済の「沈没」が見えてくる。
多くの貧乏人が増加し続け、彼らが財布の紐を締め切ると、
いくら金持ちが消費しまくっても、
国全体の総需要は停滞し、やがて地獄の釜の底が見え始める。

今がその直前なのだ。
一般国民の所得を増やさないと、日本経済の沈没は避けられないことになる。





















  
Posted by kenken_ac at 04:27Comments(0)TrackBack(0)日本の今

2015年10月06日

しっかりしてよ!「阪神タイガース」と「稀勢の里」!60年来のファンがファンを止めるとは・・・・・・。

私がプロ野球に接したのは10歳のころ、相撲はその後の
13歳のころかと記憶する。

岡山県津山市に小学4まで居たが、その津山を去る最後の
年、近所の警察官の方々に連れられて広島球場に行ったのが、
「タイガース」ファンになった切っ掛けだ。
その試合で、藤村富美男が2本もホームランをかっ飛ばした。その
豪快さと格好の良さに感動し魅了された。
以来、「タイガース」ファンは60年越えて続いている。

しかし、今年の「タイガース」には言いたいことが沢山ある。
「ファンをバカにするな!恥を知れ!」「60年に亘るファンとして
の応援と我慢の年月を返してくれ!弁済しろ!」・・・・・と。

私は今、大学時代に縁あった「神宮球場を拠点とするヤクルト」に
完全乗換えしたいという欲望を抑えられずに、悶々とした毎日
を過ごしている。

一方「大相撲」は、「千代の山」が優勝したころからと記憶する。
丁度テレビが登場しゲルマニウムラジオの組立が流行ったころ。
組み立てたラジオから「美空ひばり」の「港町13番地」が流れて
いたころに、そのラジオに相撲の中継が重なった。
津山の小学校から静岡県の沼津市の学校に転校して間もない
時期、友達に連れられて訪れた「今川焼屋」で観た大相撲の映像
に捉われ、「千代の山」に惚れ、夢中になった。

以来、「千代の山」の九重部屋のファンであったが、小兵力士
の初代「若乃花」の登場は、「力」から「技」へと相撲の本質の
転換をもたらした。
以来、今日まで変遷が続けども「花籠部屋」系のファンである。

現在は、かつての「花籠部屋」の「隆の里」の流れで、その一番
弟子であった「稀勢の里」のファンだが、
場所前の期待が千秋楽前に「諦め」に陥ることの繰り返しだ。

振返ると、「タイガース」も「稀勢の里」も「最後のひと踏ん張り」が
効かない。何回ガッカリさせられたことか!
「気ばかり持たせて、必ず期待を裏切る」は、両者共通だ。

もう、彼等に期待するのは止めて、神宮の「スワローズ」と元「間垣
部屋」(二代目若乃花)出の「照の富士」に宗旨替えしようと思う
毎日が空しく過ぎて行く。

しかし、見切りを付けるにしても? ? ? と、
最後の注文として、両者に通ずる欠点を忌憚無く指摘して、
あと3年だけ様子を観ることにした。

1.「すべてを緻密に!」は止め、各々が最も得意とする「技」
   を徹底して磨き上げること。その道のプロになれ!



「タイガース」の選手は、各人一人独りが自らの得意分野を磨き上げ、
業界No.1を目指すこと。
走塁の神、守備の達人、バントの鬼、ヒットのマシン、
四球のプロ、そしてホームランの王様と各々の「個」を誰にも負け
ないものに磨き上げること。
投手陣もスピードの王、とかフォークの神様と得意手を磨くことが
最も大切であることを忘れてはならない。

「スワローズ」の山田哲人選手は、何をやったからあれ程の急に
して大いなる成長を成し遂げたのか?
それを支え続けたコーチ杉村繁氏との二人三脚は物語になる。


大関「稀勢の里」も、人様から何と言われようが、自分の得意手
を磨き上げ、自分の「欠点」「弱点」を消し去る「構え」を確立する
ことだけに集中すること。
加えて、その改善のプロセスをマンツーマンで徹底して支える指導者、
この指導者を自ら選び出すことが出来るか否か!?

「左の差し手」と「右上手」にこだわり、当たり負けして、あっ気
ない負け方をする悪癖を正すためには、「左おっつけ」
「右前まわし」の「型」を確立することが鍵となる。
「右前まわし」は、大関の「腰高是正」につながるものだから、
徹底して完成してほしい。

「稀勢の里」は、山田選手を基礎から鍛え直した名コーチ「杉村繁」
氏のような名伯楽を、相撲界に限らず他の世界からでも自ら探し
求め、二人で綱を目指す決意と覚悟が必要だ。

若さを誇った「稀勢の里」も、もう後が無い歳になった。
本気で、自らを変える強い気持ちを保ち続けなければならない。


2.フロントや指導者(コーチ)は、一人一人が負うべき責任を
     明確にして、その達成に全力を尽くすこと。
   責任を全うできない結果には、潔く責任を取って辞する
    覚悟が不可欠だ!


フロントや専任外のコーチがあれこれ注文をつけることは禁じて、
専任コーチに全てを任せ、その結果の責任は専任コーチが取る。
特に、素人のフロントが選手へ口出しするは厳禁である。
選手育成に責任を取れない者が選手を評価することがあって
はならない。
これは野球や相撲に限らない社会の常識。
しかし、ともするとこの常識を理解しない者が出てくる。
本当のトップは、こういう輩を摘み出さねば、その任を全うした
ことにはならない。

また、電鉄本社の出身者である球団職員が選手経験も無い
くせに、やたらと強い権限を振り回す。
選手をまるで自分傘下の部下のように・・・・・・。
出来の悪い公家のように責任感も危機感も無く、すべての責任
は他人に押し付ける「ぬるま湯」の公家体質!

今の「タイガース」は、球団社長を含めてフロントの全員を入れ替え
なければ、球団の立ち直りは「夢のまた夢」。
監督変えても新監督の構想を主軸にした体制整備がなされねば、
今の体質を変えようがない。

現在の「タイガース」の選手の質的傾向を観てみると、打撃陣の
バランスが極めて悪い。
内野守備の器用な選手、短打中心の教科書的、中位の選手
が多数を占めている。(これがフロント好みの方針なのか??)

「タイガース」という球団は、電鉄本社や阪神グループ専属の所有
物ではない。「タイガース」に限らず全ての球団は1会社の所有物
ではない。
「タイガース」について言えば、関西は言うに及ばず、全国の多く
のファンのモノでもあり、より広くすべての「野球好き」の皆の
モノなのだ。
この原点が解ってないから、内輪の話だけで話が進む。
本当はどのようになれば、ファンの皆さんの気を盛り上げ、
皆さんに納得してもらえるようになれるのか?
そうなるために己の置かれた立場と仕事は何なのか、深く考え
ねばならない。

今季の「タイガース」には、「ヤクルト」や「ソフトバンク」ような長距離打者
でオールラウンドな選手は皆無だったと言っても過言ではない。
外人達もスターには程遠い。
褒められるは、懸命に応援し我慢したファンだけだったのでは?

季の途中で大砲不足を感じた私は、大物ぶって・ヤンチャで扱
い難いが故に手を出す球団がいなかったと聞く「中村紀洋」選手
と「ソフトバンク」の2軍で悶々としていた「松中信彦」選手を
現役兼特定者専任打撃コーチとして招くべきと、強く想っていた。
扱い難い有力選手を嫌って遠避けるフロントでは、
自分の身だけを守らんとする無責任体制と言われても、
反論のカケラもなかろう。

特に、今季の最後のCS進出を懸けた数試合、望みが残る
土壇場でのフロントの言葉は「聞くに耐えない」モノだった。
「和田は監督更迭で次季監督は金本の見込み!」
「和田が連れて来た関川コーチはダメ、打撃不振は彼の責任!」
「二人の外人と投手層の薄さが敗因。」・・・・・・等々。
これではチームの誰がヤル気になれるのか?選手間に疑心暗鬼
が湧き起こり、選手間の連帯の綱はボロボロになってしまった。
最後の広島戦では、CS進出に望みを懸けた広島の一体感とは
比較すべくもない有様であった。

「タイガース」の欠点は選手よりフロントと指導者に問題が大きい。
金本氏に監督を要請するなら、シーズンが終わってからにすべき
だし、新監督の構想に沿って組閣のすべてを委ねるべきで
あろうのに。

最後に、「タイガース」を去った過去の多くの大物に対する痛烈な
仕打ちは、田淵・掛布・小山・新庄等々目に余る。
今季は、酷い仕打ちで昨季放出した元選手会会長であった
新井貴浩選手に厳しい反撃を食わされた。
もう少し、優しさを込めて、かつてのヒーローを遇する気持ちを
現わさないと、
この球団は多くの先輩功労者の怨念を背負うことになる。


相撲の方は、野球に比べると単独のスポーツであるから、組織
上の連携は少なく、個人の努力にかかるウェートが大きい。

その意味で、「稀勢の里」は自らの責任で、取り巻きに左右され
ることなく、独自の「構え」を確立することに専念すべきだ。
位は大関なのだから、指導者は自らの考えで選び、ことの成否
の責任は自ら取ればよいのであって、誰に遠慮することもない。

「稀勢の里」をこよなく愛した「隆の里」の鳴門親方が「草場の陰」
から、そう言っているように思えてならない。
「隆の里」が亡くなってから、「稀勢の里」の流浪の部屋名跡の
移転が続き、稽古場もない時期があったという。

今の「田子の浦」部屋の指導者は、師匠の元前頭8枚目の
「隆の鶴」に、先場所引退の元関脇「若の里」が加わるだけで、
「稀勢の里」の指導を徹底できる人材が居るか否かは疑わしい。
指導者側にも遠慮も気後れもありそうだ。

「千代の富士」でも「北の湖」でもよいし、近しい「貴の花」でも
よいから、専任コーチとして徹底指導を自ら申し出るべきだ。
その決断が、将来の「稀勢の里」を決めるだろう。

何としても「日本人横綱」になるのだという決意を固めてほしい。
「日本人弱いネ、根性ないネ!」
「相撲の本場が日本で良いのかな〜?」等々・・・・・・・。
世界からそう言われても、返事のしようが無い!


プロの勝負の世界にサラリーマン的人間は全く不要なのだから!

私の60年は何だったのか???
あまりの悔しさに、駄文を弄しました。 ご勘弁を・・・・・・・・。






























  
Posted by kenken_ac at 18:53Comments(0)TrackBack(0)民の心

2015年07月16日

「金権民主主義」で人類は幸せになれるか!?

国際支援団体オックスファム(1942年の「オックスフォード
飢餓救済委員会」を母体とする、貧困と不正を根絶するための
持続的支援・活動を100ケ国以上で展開する世界的団体)が、
 「世界人口の1%の富裕層が持っている資産総額は、
  来年までに残る99%の人口の資産を合わせた額と
  同額になる」
という推計を発表したと聞く。

富の集中は留まるを知らない。



<人類生存のための叡智を掛けた「民主主義」の出現>


 人類はもとよりすべての生物は、そもそも単独で生きてきたの
 ではなく、助け合い・役割を分担する社会性に強く依存してきた。

 「自助」を根本に置きながらも、厳しい環境・社会を生き抜くため
 には、互いに助け合う「共助」を
機動的に作動させねばならなかった。

 しかし、「共助」の集団が大きくなり、多勢の人々がグループで
役割分担する仕組が出来上り、複雑になってくると、
 役割から外されたり、脱落する一群が現れてくる。

 一方、多勢が同じ役割に就くうちに、手抜きをしたり、
 役割をこなしている振りをする者も出てきたりする。

 そしてその前に、集団を統制し機能させるためのリーダーたる
 統制・統治者が不可欠となり、
 どんな国でも「力」で集団を取り仕切る「専制君主」が
 制度として出現してくる。

 しかし、統治者と被統治者の間の立場の乖離と
 被統治者の不満は、
 長年に亘る「統治者転覆の繰り返し」をもたらした。

 この「転覆の繰り返し」の歴史の中から、
 人類の歴史から見ればごく最近になって、
 「主権者は民であり、統治者は民により選ばれし民の代理人」
 という、人類が生存を懸けた叡智の賜物である「民主主義」が
 編み出され、これが広まり定着してきた。


 
<人類の経済的成長の欲求は、「自助」の比率を高め、資本力の 
増強を求める?>



 「共助」の仕組に甘えて「楽」する者が出てくると、
 その組織の効率は停滞する。

 こうなると集団の統治者は、集団の生産性を高めるために、
 「自助」の評価ウェイトを高め、集団内の個人間競争を煽る
 「自由競争」を促進する。

 すると必然的に、労働の平等性確保のため、
 「自助努力」の差により「自助」の成果物の取得比率に差を
 設けざる得なくなる。
 成果取得率に差が生ずるようになると、
 儲けるだけ儲ける者と「共助」に頼って手抜きをして暮らす者
 とに集団が二分されて行く。

 労働不能者や生活費不足の者など社会として救済を要する
 者の救済には、
 一定の「公助」が集団社会維持のため不可欠となる。

 集団の存立・発展のため、
 集団の成果物をどう分配するのがベストの配分であるか。
 100の成果物を、
  「公助」に10「共助」に20、「自助」に70
  「公助」に15、「共助」に25、「自助」は60
  「公助」に20、「共助」に30、「自助」には50
 のどれがベストの分配率なのか?

 「自助」への配分が多くなれば、努力して成功した者は
 ますます富裕化する。
 成功できなかった者は配分が減り、貧困化が進む。

 「自助」への配分が小さく、「共助」や「公助」への配分が大きいと、
 成果物たるパイを大きくしようとする「自助努力」の魅力は減る。
 大きな政府の問題はここにある。

 しかし、「自助」の配分が大き過ぎると、
 努力の結果である成果の分配率が高く、大きなストックを持つ者の
 収入はますます増え、そのストックの力(資本力)もあって
 成果物たるパイのほとんどを手にする。
 これでは、「消費市場」に回るカネは少なくなり、
 次第に「市場」は枯渇して行く。

富裕者は持てる資金の大半を運用に回し、生活にはごく僅かの
 割合の資金を回すだけで、豊かで豪華な生活を営む。
 しかし、多くの貧困者は持てる全資金を生活に回しても、厳しい
 生活を強いられる。
 貧困層の消費率は100%に近いが、富裕層の消費率は豪華な
 生活をたっぷり楽しんでも資金の10%程度ということになる。
 消費市場全体からすると、消費比率の低い層(富裕層)に資金が
 集まるほど、市場の需要は減少するということになる。
 

 私が最近最も信奉する"Office「W・I・S・H」"代表で大阪経済
 大学経営学部客員教授である「岩本沙弓」先生は言う。
 (海外経済紙主催のコンファレンスのパネリストでの話)
 「失われた日本の数十年は国内の賃金の低迷が主要因の一つ
  である。賃金が低迷している状況下で更に実質的に国民から
  所得を奪ってしまう消費税の増税などはもっての外。
  実際に税率を引き下げてきたカナダを模倣して、消費税は増税
  でなく引下げ(最終的には廃止へ)、賃金は引き上げへ。それが
  失われた十数年の処方箋です。
  実体経済が活性化すれば税収も増え財源も賄えます。 」
 
 冒頭のオックスファムの推計は、蓄積された資金(資本)の力の作用
 が強く働くことで、 成果物に占める資本の収益力(利息・配当金等)
 の比率がどんどん高まり、
 資本を持つ富裕層の資本力を加えた「自助」の成果取得比率が
 徐々に100%に近づきつつあることを示している。

 この流れの終点は、1%の富裕層だけが生き残り、人類の99%は
 消滅する可能性を高めることになる、と言うこと。

 つまり、「自助」の名の下、富裕層がその蓄積した資本力を
 フル活用して、全体の富の100%を収奪する事態となると、
 富の源泉である民の消費市場は枯渇し、その市場の消滅は
 いずれは富裕層の壊滅につながってゆくことになる。
 
 ついには、人類の消滅にすらつながってゆく。

 田畑の作物が毎年収穫できるのは、土地を大切に、
 改良し続け、肥沃にして育てているからであり、
 富を産む土地そのものを破壊してしまうなら、
 富は再生産されない。
 マグロもウナギも米も麦も野菜も全部食べ尽くせば再生は
 不可能。
 石油を初めとするエネルギー資源はもっと早く限界がくる。

 1%の富裕層が出現するテコとなっているのは、
 個人の能力・努力だけでなく、彼らが蓄積した「資本」という
 武器の力が極めて大きい。

 以上の流れは、「資本という武器」が本来的に内臓する
 「限りなき利潤の追求」という本質(金権性)が、
 人類の生存を約束した集団の命を断ち、
 集団の存続・成長を約束した「民主主義」をも否定してしまうほど
 の「猛毒」を内包していることを示している。



<「毒」のある資本主義を貫くと人類はどうなってしまうのか?>


 資本を中心に置き、効率を上げ、可能な限り経済的利潤を
 追求してゆくこと(資本の論理)は、
 「人類の生存の棚」から落ちこぼれる多くの者を続出せしめ、
 1%の富裕層だけが、彼らの生活の手助けをするに必要な
 少しばかりの者を残して、生き残る。

 それだけでは足りず、残った1%とそれに付属する奴婢は、
 更に残り1%の間での更なる収奪を繰り返し、
 人類の数は限りなく減り続ける。

 以上は極端なシュミレーションだが、資本優先のシステムは、
 一部の資本家とその関係者だけが生き残るという力学が
 強く働く仕組であり、人類全体の生存を考えるにあたっては、
 資本が内包する「毒」の取り扱いには最大限の注意を要す。

 資本の「毒」が「民主主義」とバッティングする時は、思い切って
 資本を抑え込み、「民主主義」を人類のため護る要がある。

 米国にあっては、「資本家」の論理が強過ぎて、彼らが誇る
 「民主主義」を歪めかねない段階にきているように思われる。
 特に、「人種問題」「銃所有」は放置できない段階では?



<民主主義下で資本(主義)の「毒」をどう調和させるか??>

 評判のフランスの経済学者ピケティ先生は、
 「資本収益率>経済成長率」と言う。
 そして、アベノミクスについて「賃上げの必要性」を強調し、
 「日本は所得税累進最高税率が高かった時代は格差が小さく
  経済成長も高かった。」と分析した上で、
 「日本のように国民所得に比べて民間資本が大きい国は、
  労働所得に減税をし、資本に増税するのが自然な解決策だ。」
 と見解を述べている。
 
 そうしなければ、「資本は巨大化し続け、市場の主たる構成員
 である個人(消費者)の所得は減り続ける。」のだと言っている
 ものと思われる。

 つまり、田畑に肥料を与え土地(市場)を肥やすことを優先し、
 資本の「限りなき利潤の追求」という「毒素の力」を弱め、
 土地の成長を阻害しない対策を講ずべきだと主張されている。

 この点は、現場出身の岩本沙弓先生と考えが一致している。

 ピケティ先生は続けて、
 日本は「資本の本質」と「市場の育成」を「富の分配」の按配に
 より調整し、その最適化を図るべきと忠告されている。

 私は加えて、どんな事業であれ、政治が採るべき喫緊の課題を
 次のとおり主張したい。
  企業の独占・寡占化を防止し、企業間競争が働く状況整備を
   すること。(大資本の暴利防止)
  企業や事業への細かな政府の指導・干渉の禁止
   (経営の自由)
  賃金を引き上げざるを得ないように、法人会計に占める
支出人権費のウェートによる厳しい税率調整制度の確立
   (市場の育成)
 
私たちは今一度、「民主主義」とは人類生存の基本システムであり、
長い年月を懸けて人類が目覚め辿りついた「叡智」であることを
肝に銘じ、大切にしてゆかねばならない。

そして、「金権民主主義」の行き過ぎが人類の生存を破壊する
可能性を内包していることを忘れることなく、
「民主主義」は人類の生存を懸けた「人権民主主義」こそが、
その基本であり根本であることを行動で示さねばならない。

国家間で考えると、ウクライナ問題もギリシャ問題も「人権民主主義」に
照らして、恥じるべき点はないかを各国が考えなければならない。
 

 



 
 

 
























   
Posted by kenken_ac at 01:17Comments(0)TrackBack(0)命と心

2015年04月10日

地方創生!「交付金」を止め、「規制緩和」で実現を!

1.少子・高齢化対策には地方の充実が不可欠

 日本は人口減少サイクルに入り、2060年には現在の人口
 12,800万人の2/3の8,670万人にまで、減少するという。
 特に、地方を中心に消滅市町村は約900自治体に及ぶと
 のこと。

 今から約120年ほど前、日露戦争の勝利後の富国強兵実現
 のための独占資本主義の推進による経済発展に加え、
 国力誇示の狙いもある「間引き禁止令」の影響から、
 日本の人口構造は大きく変化(増加)することとなった。

 経済の主体は農業中心から商工業中心への変化が始まり、
 その進展とともに農村から都市への人口の移転を生起した。

 発展する商工業経済体制を支えた労働者供給の源泉は、
 「出稼ぎ」から「供出」にまでつながる農村の過剰人口の流出
 であった。

 景気の不況時にあって、
 労働者とその子供達の命綱となったのは、
 大家族に支えられた「実家」(農村)の懐の深さに他ならない。

 都会に集められた労働者の「生活」と「子育て」を支えたのは、
 地方(農村)の力であった。
 農村(実家)の体制は、長男が家を継ぎ、その妻と両親がともに
 働き手となるだけでなく、子供も家を支え、「子育て」「介護」を
 順繰りに支える形が自然に形成されていた。

 この時期、一家の構成は、子供は4〜7人、両親・祖父母
 に加えて家長の兄弟・姉妹とその家族と長男の子供達という、
 今では考えられない大家族構成世帯が普通であった。
 いわば、一家そのものが「企業」であるような構成であった。

 この事実は、人口減少を怖れる今日の日本の将来対策として、
 大いに参考になる。

 つまり、いざという時の「受け入れ先」と「介護」「子育て」の場が
 用意されていたと言うことである。

 日本の少子・高齢化の現状を鑑みるに、太古の昔から構築さ
 れたこの「大家族システム」、「親族の役割分担システム」を、
 今一度深く考慮すべきではなかろうか。

 「子育て」に悩み、「介護」に疲れ切る、現在のような小単位の
 「家族システム」では、少子・高齢化の波は乗り切れない。
 祖父母から孫まで、縦に連なる親族の連携が今求められている。

 祖父母が孫を育て、父母が生活の稼ぎ手・切りまわし手になり、
 やがて孫が祖父母の介護の補助をする。
 このような「親族の役割分担」が連鎖し続けるシステムこそが、
 現代日本の抱える最大問題を社会制度に頼るのはでなく、
 家族が自立して解決する、実現可能な唯一の道なのかも知れない。

 一族四代が同じ屋根の下で役割を果たすための生活拠点は、
 それなりの広さ(個人空間)と利便性が確保されねばならない。

 それには、地代も物価も高い大都会ではなく、地代も物価も安い
 地方を拠点とするしか、広さと資金面から実現可能性がない。

 地方の再構築と整備こそが、人口増加の鍵となるだろう。


2.「親族の役割分担システム」のための基盤確立の条件は?

 「親族の役割分担システム」の構成要員は、典型例を挙げれば、
 次のようになる。
 「祖父母」(2名)+「父母」(2名)+「父母の弟妹」(1〜2名)+
 「長男夫婦」(2名)+「長男の弟妹」(2〜3名)+「子」(4〜6名)
 =総勢12名から15名 の大家族となる。
 
 「生計の担い手」は、「父」と「長男」がメイン。「父の弟妹」と
 「長男の弟妹」はこれを一部補完する。
 「子育ての担い手」と「介護の担い手」は、母と長男の嫁。
 「祖父母・父・長男とその弟妹」がこれの一部を補完する。

 最低単位で、被介護・被子育ての対象者が5名。
 この被介護者と被子育て対象者5名も相互監視程度の
 補完は可能。
 これに加え、「父の弟妹」と「長男の弟妹」少なくとも3名が
 介護・子育てを補助することができるとすれば、
 妻一人に負担が集中する現在の悲劇は大きく緩和される。
  
 地方がこの態勢を確保するための要件は、
 大家族体制を前提に、
  崟厳廖廚成立ち、
 公的「子育て」・「介護」の環境が整備され、
 生活上の安全
 だ験茲陵便性 
 が確立されることが必須の要件となる。

 |亙に「生計が成立つ場」を用意するためには、
   法人税の大幅減税をテコとする企業・工場の誘致が不可欠。
   併せて、「子育て」「介護」充実の観点から、職住接近の近距
   離通勤の実現を図るためのコンパクトタウンを実現する。

 ◆峪勸蕕董廖峅雜遏廚慮的環境整備は、
   学校・保育施設・介護施設の数と運営力の確保。(大家族体制
   で介護も保育もカバーするが、家族の手に余る教育・躾・介護
   については、身近にしっかりした公的機関の整備が必須)
   完全送迎安全バス(輸送)体制の整備。(安全と足の確保)
   病院・商業・リクレーション施設の充実。(生活施設の整備)
  
 0汰干諒櫃蓮警察のきめ細かいカバー体制と警備力の充実
   による犯罪抑止力の向上が肝。
   同時に消防・救急体制の確立と医療機関との連携が不可欠。

 だ験萢便性は、通信ネットワークの確立と宅配システム
   および金融機関の近場設置を軸とする
   人・モノ・カネの連絡・輸送システムの確立が鍵となる。

 要は、コンパクトなタウンの中で、
 通信網・交通網・必要施設の完備・警察による警備体制の充実
 を前提に、法人税大幅減税をテコとして有力企業を誘致する。
 これこそが、地方の「親族の役割分担システム」定着のポイント。

 約120年かけて進んだ家族体制の小規模化は、
 それ自体が人口減少のシステムであり、
 「子育て」「介護」こそが本来の「家庭の最大の仕事」との認識の下、
 それを実現する「場の提供」=「親族の役割分担システム」こそが、
 「地方の使命」であると認識すべきであろう!


3.地方力強化のための必要要件

 上記の体制確立のためには、「地方力」の徹底強化が不可避。

 一昔前の如く、「親族の役割分担システム」の確立が地方自治体の責任
 であることを前提に、そのための必須の政策スタンスは次の三つ。

 A.県や国を頼らず、住民の合意の下に、
   自治体自らが置かれた地域特性を分析し、具体策を立案し、
   自らの力を尽くして、「親族の役割分担システム」を実現する。
   (自治体の自立・主体性確保)

 B.国や県からの金銭的支援は一切排除。
   (国・県の手出し排除−自治体の主体性確保)

 C.国・県の法律・条例に基づく諸「規制」については、必要に応じて
   特例的緩和を強く要請し、国・県は原則としてこれを認める。
   (規制緩和にかかる国・県の協力)

 D.「大家族制度」推進のため、大家族制を採用する家族の所得税
   ・住民税等諸税の軽減措置等の抜本的改定も必要となろう。

 E.「大家族制度による役割分担システム」構築について、
   県・国から自治体に権限と財源委譲がなされねばならない。
   
   
4.「地方創生」にかかる自治体の視点

 日本の少子・高齢化の解消は、
 「縦に連なる親族の役割分担システム」の実現可能性を唯一握っている
 地方自治体が負うべき最大の役割。

 まず、各自治体は、この役割を果たすべきと、その責任を自覚し、
 これを自治体を構成する住民全員の総意としてまとめること。
 その上で、自治体住民全員の総意として、
 主体的に、全員参加の独自案を決定する。
 
 地方創生の目玉を何にするかは、
 各自治体のもつ歴史・文化・環境・伝統・技術等々独自の地盤を
 徹底的に活かし、その上に立って、独自・最適の案を策定する。

 自治体間での相互の役割分担も考慮すべきであろう。

 自治体の発展・経済的成長のためには、
 日本国内のみを意識するのではなく、
 グローバルに世界全体を見回す要がある。
 2013年の186ケ国の人口統計によれば、世界の人口は、
 日本の人口(127百万人)の約55倍の70億人という。
 つまり、日本の55倍のマーケットを日本に呼び寄せることこそ、
 マーケット拡大・経済発展の資源なのだ。

 我が町・我が市は世界186国のどことコラボレートするのが
 経済発展のために最も効率が良いかを見極め、
 単なる儀礼的連携にとどまる「姉妹都市」提携制度から、
 相互移民、事業連携、言語・文化交換共通化等々と、
 一歩も二歩も深い連携を進めて行くことが必要となる。

 これを実現するためには、多くの「規制」の緩和が不可欠だ。
 この点だけは、国・県の理解が必要だ。
 自治体の独自性尊重の観点から国・県の決断が求められる。
 提携外国の企業と人材を当該自治体に呼び寄せるには、
 消費税の免税措置と法人税に加えて、
 住民税の減税措置も欠かせない勧誘策。

 多くの市町村がいろんな外国と姉妹都市提携・交流している。
 この提携を単なる交流にしておくだけでなく、
 より生活に密着した、生活密着型の提携に進化させ、
 自治体発展に繋げて行けば、大きな意味が出てくる。
 

 私は、子供時代を静岡県の沼津市で過ごした。
 沼津市はカラマズー市(米国シカゴ市とデトロイト市の中間に
 位置するミシガン湖に近い都市)と姉妹都市提携50周年を
 本年7月に迎えるとのことである。
 中国の岳陽市とも提携しているそうだ。
 こうした提携を単なる儀礼的な友好提携に終わらせず、
 一歩踏み込み、事業・学術・観光等経済的相互発展に
 資する提携を企画してはいかがであろうか。
 沼津市民が全員英語で、カラマズー市からの移民の方々と
 会話できることを目的として、英語市民塾を創生したら、
 日本国内の他の市町村からの「語学研修移住」も期待できようし、
 カラマズー市民のみならず、他のアメリカ人も日本語は勿論、
 日本の技術・経済・食物・伝統・文学等の勉強に沼津市を訪れ、
 移住する人も出てこよう。
 沼津なら富士山も伊豆も温泉も近いから、
 カラマズー市からの観光客も期待できるだろう。
 逆に、沼津からカラマズー市に移民・観光・留学する人も
 安心して行けるではないか。
 沼津市が日本のカラマズー市になるのだ。
 そんな活気溢れる特徴ある街にしてほしいものだ。

 京都市は、パリ・ボストン・ケルン等々と全部で世界の9都市と
 姉妹都市提携をしているそうだ。
 この全ての提携都市と本格的生活密着型の提携に進化
 させることは容易ではないから、区を単位とし3都市程度
 から、より深い連携を模索したらどうだろう。
 等々・・・・。

 日本中の市町村が世界中の国々と住民の生活レベルで
 結び付き、日本に世界が同居する。
 日本に行けば、
 「世界旅行しているのと同じ」と思えるようになれば、
 日本は世界の中で特別にして抜群の位置付けを得ることになる。

 フランスのマルセイユなら、神戸市に行けば、その香りがする・・・・・。
 芦屋市を訪れると、カルフォルニア州のモンテベロ市を思い出す・・・・・。
 五輪で訪れた外国人達がついでに自国の自分町・村が提携する
 日本の町・村・市を訪問し、自分の住まう町・村の良さを確認する・・・・・。
 
 五輪は東京だけの五輪にあらず。
 日本中の市町村のすべてが、世界の人々に「おもてなし」する
 「平和のイベント」なのだ・・・・・・・・・・・・・!
 


(追加)
 昨日第8回統一地方選挙の前半選があった。
 投票率は軒並み50%割れ、
 無投票当選者も多数であったという。
 あの兵庫県議の泣き喚き事件を初め、その質が問われる中、
 この選挙の実態では、当選者を「住民の代表」と呼べるのか?
 当選者の質・資格に大きな疑問が残らざるを得ない。
 どうしたら、議会に住民の真意を届けることが出来るのだろうか?
 地方議会制度をゼロから見直すことが優先課題なのか!?
 思い切って、議員の数を100倍にして、住民の60%以上の投票数
 を条件に、獲得票数の多い順に当選者を決める。
 報酬は議決案件1回につき一人5,000円としたら、
 住民の本音を議会に反映できるようになるのかも知れない。
 議員数を100倍にして、報酬大幅引き下げをすれば、
 もっと多くの正常な人が住民の本音を掴み取ってくれるかも?
 今回はまことに、
 大変残念なことでありました。
 これでは自治体に国民的課題を託すのは所詮無理なのかも!
 そうでないことを祈るばかりです・・・・・・・。
 


 
 


































  
Posted by kenken_ac at 00:06Comments(0)TrackBack(0)地方創生

2015年03月14日

学校の安全対策!教員の多忙をどうすれば良いのか?人権の重みをどう考える?

また、川崎で中一の上村遼太君の悲惨な事件が発生した。
こうした事件の件数は減少傾向にあるとのことだが、
少子化が進む中、大切な「金」の卵が、心無い無残なやり方で
その命を消された・・・・・。

周辺のみならず、日本中の否、世界中の子供達に与えた影響は
極めて大きく、複雑である。

学校は義務教育であり、いやでも行かねばならない。
それなのに欠席が続く生徒には、それなりの事情があり、
苦悩が潜んでいる。

川崎の学校の長は「今年に入ってからは全欠でした。」と言う。
全欠と把握しながら、相応の手は打てなかったのだろうか?
担任教師はどうしていたのだろうか?

スクールソーシャルワーカーという仕組もあるそうだが、
これも機能しなかったようである。

教育委員会は事態そのものを認識していたと言えるのだろうか?


文科省からの指示・命令が山ほど流れてきて、
その全てが担任教師の仕事になってしまう。
授業の中身の充実・児童の置かれている環境の把握・
児童の問題事項の是正・部活指導等々、
現場にその全てが投げ出される。
その上で、現場を熟知してない文科省や県・市町村の教育委員会
から、次々と報告を求められる。
担任教師はその忙しさに追いまくられている。

堺市の中学の26歳の男の先生が教師生活2年で、
心臓麻痺にて頓死したという。
忙し過ぎて、死の直前3ケ月の平均残業時間が61〜71時間
であったという。

私どものような昔の学校システムでは、クラスの人数は50〜60人
と、今では考えられないほど多勢であったが、
きちっ!と年2回家庭訪問があり、先生は日ごろの私たちの
学校内での生活振りも把握して、父兄と話し合い、児童の
育成を共同して成し遂げようという仕組が成立していた。

また、悪いグループの仲間に入れられている児童についての
個別の指導や悪童化防御にも手を貸す先生もいた。
私の学校では「ジープ」先生と言われ、「ジープに見つかると
叱られるのでおとなしくしていよう」と、生徒が自らの行動を
正すことも多々あったように覚えている。

何故こんな悲惨な事件が起こるのか?

義務教育下の教育現場の問題と社会制度の問題を指摘したい。

学校現場の態勢の問題については、次の2点を指摘したい。

機コ惺擦箸靴討虜本的責務の理解と自覚の欠如。

  平成18年に改正された教育基本法第120号によれば、
  第5条(義務教育)は、義務教育を次のように規定している。

  1. 国民は、その保護する子に、義務教育を受けさせる義務
    を負う。
  2. 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する
    能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を
    培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる
    基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
  3. 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、
    その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の
    協力の下、その実施に責任を負う。
  4. 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育
    については、授業料を徴収しない。 
 
  遼太君のケースでは、母親が独りでその生活を支える中、
  遼太君が弟妹の面倒を見ながら、学校に通っていたが、
  ある時から何か月も不登校になっていたという。
  これを校長は把握していながら、何の行動も起こしていない。
  担任は授業を初めとする実務に追われ、
  気になりながら手を打てずに時が流れたそうだ。

  法律は第1項で国民に教育を義務付け、第3項で義務教育の
  実施を国及び地方公共団体にその責任を負わせている。
  
  現場における担任教師の責任もあるだろうが、公務員として
  教育現場を預かる管理者たる校長や教頭は
  事態を知っていながら、具体的に何をしていたのだろうか?
  自治体や警察等の組織と連携した対策を取っていた
  のだろうか?
  学校現場が負わされた責任の重さについて、
  本当の理解と自覚が欠如していたとしか思えない。
  全ての対応を現場の教師に任せて何もしないでいたとは、
  言い過ぎになるのだろうか?

供ッ甘教師が忙し過ぎる。(分業の勧め)

  学校現場における担任教師の多忙さは、問題視されて久しい。
  そんな中にありながら、文科省を始め教育委員会、自治体等
  義務教育実施の責任を負わされている当事者たちに、 
  その多忙さを減らす具体策がなされた形跡は認められない。
  それどころか、ますます報告事務を初めとする新しい業務が
  各方面からバラバラに際限なく降りてくる。
  真面目な現場の先生ほど、その忙しさに身体を崩される。

  そもそも、法律で義務教育を国民に義務つけているのだから、
  学校に通学する過程で、悪いグループに巻き込まれることがない
  よう、校内規律およびその環境の安全を図るのは、学校・国・
  自治体の責任ではないのか?
  放課後も含めてである。

  学校生活は集団育成の場で、それを義務付けているのだから、
  学校を巡る生活全般の安全を全うする責任は
  義務付けた側にも相当程度あると言わざるを得ない。

  昔の先生は、授業は勿論、校外での生活・素行等々、
  そこまで含めて児童の育成を自覚しそれに対応していた。

  それが出来なくなったのは、現場の担任教師の仕事が増え過ぎ
  たからに他ならない。
  教育委員会を初め、上層部からの指示・報告・注文は、
  校長・教頭を通じ、次々と切れ目なく現場に投げ続けられる。

  学校内の諸々の仕事を担任教師に集中するのではなく、
  その業務を分担する分業システムの確立が喫緊の課題だ。
 
  義務教育として行う教育の目的を基本法第5条2項では、
  次のように規定している。
  ヽ童朕佑陵する能力を伸ばしつつ、
  ⊆匆颪砲いて自立的に生きる基礎を培い、
  9餡筏擇喙匆颪侶狙者として必要とされる基本的な
   資質を養うこと

  ,稜塾呂凌長は、体育・音楽・絵画工作等も含め、
   教科書をベースとする科目についても、各教科ごとに
   専門家された高レベル教師の受け持ちとし、
   より高度の知識・理解力の養成を実現する。
  △亮立して生きる基礎の養成は、人生経験の豊富な健全
   思想の持ち主の担当とする。
   人間力(心)の養成であり、児童教育の根幹となる。
   これを担当する者が担任教師としてクラスを束ねる。
  社会人として社会のルールを身に付けさせることであり、
   社会の成立ち・法律等が中心となる。
   罰則・民主主義の成立ち・社会への理解等、現実的には
   最も大切となる一種の「社会的躾」と言えようか。
   これは、社会経験の深い者が担当し、その体験を伝える。

  この三つの目的全部を一人の先生が独り背負うというのは、
  オーバーワークであり、手に余る。

  結果として、上村君のような悲劇的なケースが出てしまう。
  教育現場の分業制の定着が重要な鍵を握っていると思われる。
 
  そして、義務教育下の児童の安全確保が可能で、学校全体に
  目配せできる責任者を最低2名確保し、学校単位の「安全」を
  全うできる体制を創設すべきであろう。

  上村君事件が他の多くの児童に与えた影響は極めて大きい。
  このような心の傷を児童に与えることのないように・・・・・。


掘ゲ坦下圓寮嫻い反邑△亮茲螳靴い砲弔い
  
  加害者と言われる18歳Aは、その過去を手繰ると、過去の
  学校生活は孤独と苦痛の毎日であり、家庭もかなり厳しい
  環境にあったようだ。
 
  Aこそは、人間力と社会ルールの養成が不可欠であったので
  あろうが、残念ながら人間力も社会ルールの養成もないまま、
  社会に適合できない人間として育ってしまった。
  「本当の教育」の欠如としか言いようがない。

  こうした環境に不備があった可哀そうな人間だからと言って、
  過度の人権尊重論に振り回されて、刑を軽くして世に出して
  はいけないのだろう。
  少なくとも養成出来なかった人間力・社会ルールを徹底的に
  養成し直し、本当に間違いないと皆が認めるほどの人間に
  生まれ変わるのでなければ、社会に復帰させられない。

  精神的に病んでいるからとか、彼の人生を考えればとかの
  甘い人権論に惑わされ、世に出してはならない。

  最近、裁判員裁定を覆しての逆転の減刑裁判の例が
  増えているようだが、甘い人道主義で世に出して、
  万一、無関係の健全な人々がAの毒牙にかかるような
  ことが起こってからでは、この毒牙にかかった人の
  人権が踏み躙られたことになる。

  二次災害であり、それはAにとっても災難なのである。

  人権尊重が、更なる新たな人間の人権を奪うことになる。
  加害者の人権と児童を含む一般社会人の生きる権利の重さを
  心して考えるべきなのではなかろうか。

  また、「上村事件でもあの程度の刑罰であるなら、軽いもの」と、
  新たに同様の事件を誘発しかねない。
 
  同様の事件抑止の観点からも、
  刑罰の及ぶ範囲とその程度に躊躇があってはならないのでは?
 
















  
Posted by kenken_ac at 02:11Comments(0)TrackBack(0)日本の今

2014年11月29日

消費税、進めた自公民、犯罪者!消費増税、取り消さねば、浮揚せず。消費増税、景気過熱の、熱さまし。

2008年のリーマンショックを機に行われた欧米の金融緩和は、
欧・米が談合して決めたと思われるほど、同時にして大量の
資金供給であった。

110円/1$の為替レートは、たちまちに80円/1$と大幅な
円高をもたらした。

当時圧倒的に有利であった輸出産業は、たちまち有利性を
失い、中国・台湾・韓国等の企業の輸出競争力を増強
せしめる結果をもたらした。

同時に国際上の日本の労働賃金の高騰をもたらし、
日本の国際比較上の生産コストの急上昇をもたすことになった。

日本企業の多くが、中小企業を含め、
国際的にみて円換算で廉価な労賃を土台とする生産コストの安い
国に生産拠点を求め進出することとなった。

日本国内産業の空洞化である。
国内の工場新設は姿を消す一方で、多くの工場閉鎖が続いた。

この間、日銀が頑なに守り通した金融政策が超の字が付く
「円高」をもたらした期間は、約5年に及ぶ・・・・・・。
白川ドクトリンとも言うべきこの愚策が、
日本から生産エネルギーを奪い、
日本を消費中心の老弱国家に変貌させた。

欧米が歴史的金融緩和を続ける中、日本だけが頑なに
金融緩和を嫌い続ければ、相対的に円高が進まざるを得ない。

空洞化が進む日本にあって、高齢化・雇用喪失が進むにつれ、
「労働の場」を失った結果としての生活保護世帯・
低所得層の劇的増加(現役労働者の大幅な賃金低下)
長時間労働が一般化し、
それ故の国民総生産の減少・福祉対策費の膨張をもたらした。

結果として、国の借金は増大を続け、1,000兆円を超える
世界でも類を見ない借金大国となってしまった。

だから、この国家負債を縮小しなければならないので、
「消費税」を増加し、財政の破綻懸念を払拭しなければ、
世界から「円」を売り浴びせらる「ハイパーインフレ」のリスクを
避けられない。

ハイパーインフレになれば、国民の生活は破綻し、
国家そのものが成り立たなくなってしまう。
だから、一刻も早い「消費増税」は避けられない。
と言う財務省の主張を、
福祉政策の充実という名目にすり替え、
自民・公明・民主の三党合意による「消費増税」を実現した。

経済が停滞しているときに、消費の負担増をもたらす税
(消費増税)を導入すれば、
消費が冷えて経済が停滞することは、
子供でも解る「ブレーキ論」であり、
それをやれば景気という風船の空気が抜けてしまうだけ。

国民生活の破綻を防ぐ名目で実施した消費増税は、
反対に国民の首を絞め上げる結果をもたらした。

安倍総理は、さすがに事の重大さに気付き、
更なる消費増税を延期し、その判断の正否を国民に問う
衆議院総選挙に打って出た。

問題点を絞り込んだ政策(消費増税)の良否を問う
「国民投票」であってもよかったとも思われるが、
併せて政権の良否を判断するというのであれば、
総選挙はやらないより、やった方がよい。
特に独断・専横の観がみられる安倍政権においては尚更だ。

そもそも、超円高態勢下で「消費増税」を言い出したのは、
財務省と民主党政権下の財務大臣「菅直人」と「野田佳彦」の
二人。
野田佳彦(民主)と安倍晋三(自民)と山口那津男(公明)の三党
合意で「消費増税」を決めた。

黒田ドクトリンの登場で超円高状態を「金融緩和」により、
為替の波をようやくのこと、高浪から凪状態に戻したのである。

今回の消費増税は、つまり長い闘病生活からようやく床上げした
ばかりの病み上がりの弱わ弱わしい経済に、
扶養控除を初めとするいくつかの減税制度を廃止を浴びせかけ、
加えてついには「消費増税」というメガトン級の爆弾を
投じてしまったことになる。

この「消費増税」は、厳しい生活を強いられていた国民の多くに、
極めて重く大きな圧力となって迫ってきたのである。
彼らは更なる生活の規模の縮小を求められることとなった。

考えても見て欲しい、約5年を掛けて空洞化した日本経済の
改善対策(金融緩和)を講じて、未だ1年と半年余り。
空洞化した日本の経済の体力は、元の体力にはほど遠い。
そこにメガトン級爆弾を落とされたのだから、
その影響は劇的反応を示し、被害は甚大となり、
経済は急転直下大きく減少する結果となった。

安倍総理は、この予期せぬマイナス反応に驚き、とりあえず
再消費増税についてはかろうじて思い止まった。

自・公・民は「消費増税」を進めたという1点において、
大きな政策の判断ミスをやったことになる。
当時、「消費増税」に反対した党は、共産党と社会党と
言われるが、「生活の党」こそは民主党を割ってでも「消費増税」
反対を真っ向から唱えた、党利・党略を超えた党である。
現民主残党組とちがって、「生活の党」は、選挙時に公約してない
「所得増税」をやってはいけない、国民騙しだ、と主張し民主党と
袂を分かって筋を通した。
(マニュフェストを守ったのだ。マニュフェストとは何だったのか?!)

多くのマスコミが「生活の党」をゴミ扱いしているが、
今回の選挙に当たっては、
当時の各党の主張を具体的に思い返して、
「どの党の主張が正しかったか」を
静かに思い返してみる必要があるだろう。

少なくとも、残党兵ならぬ現民主党の党員には
その責任を負ってもらわねばならない。
然るに彼らには反省のカケラもないのは、いかなることなのか?

さて、事ここに至って、どうすれば景気を良く出来るかの問題だが、
「岩本沙弓」さんの主張が一番納得できる。

岩本さんは、1991年東京女子大学卒業で、青山学院大学院の
国際政治経済学科修士課程を終了し、長年外国の各種銀行に
勤務され、為替予想部門の優秀ディーラーに数回選出された
金融のプロで、現在は金融コンサルタントで経済作家でもある。

機会があって、同氏の著書「円高円安でわかる世界のお金の大原則」
を拝見した。
現場感覚に溢れた素晴らしい考え方に深く教えられたところ。

曰く、次の二つで景気は変えられる。

〃糞い鯲匹するには、消費増税を元に戻す(消費減税して元の5%に)。
円安が行き過ぎたら、政府の持っているドル債権を売ればよい。

折角のアベノミクスは「消費増税」で打ち消された。
「消費増税」を無かったことにすれば、景気はアベノミクスの当初の勢いに
戻る。
景気が過熱したら、「消費増税」すればよい。熱冷ましにはなるだろう。

福祉予算の破綻を回避するには、「消費増税」でなく、
保有過剰の「米国債を売却」すればよい。
それでなくとも、円安に振れ過ぎているのだから、
為替の振れ過ぎをドル売り調整すればすむ。

石油は値下がりした時大量に買い込み、大量備蓄する。
値が上がれば備蓄石油を売ればよい。
絶対大きな儲けが出るはずだ。
石油も金と同じ相場の対象。

高い時に買って、安い時に売っていては、
税金をドブに棄てるようなモノ。

石油の買い時は、石油の値段が下がっている「今でしょう!」

為替で損ばかりしてないで、
地道に政府支出のムダを省き、政府資金を効率的に活用すること、
これに本気で取り組まないと、本当の危機がやって来る。
政治家の数と負担経費の削減から始めなければなるまい。

政治家は、岩本さんの臍のゴミでも煎じて飲んでみたら如何かな・・・・・・。

















  
Posted by kenken_ac at 22:43Comments(0)TrackBack(0)国民の生活

2014年09月02日

「不戦と平和を誓う10日間」(不戦記念日)の創設を!

2014.7.24「国連人権委員会」は、日本政府に対し、
〆瀑韓国人らに対するヘイトスピーチの禁止
⊇招外岼舵慳簑蠅鬚瓩阿觜餡叛嫻い鯒Г瓩晋式の謝罪
死刑制度廃止の検討
を勧告したという。

この勧告には拘束力はないとのことだが、
世界の日本を見る目は厳しくなるだろう。

しかし、この勧告は本当に納得できるモノと言えようか?

,痢ヘイトスピーチ禁止勧告」は勧告に従って自粛すべき点も
あるが、韓・中の反日デモの破壊力・規模・侮辱度は
日本のそれに勝るとも劣らない。

△痢崕招外岼舵慳簑蝓廚蓮朝日新聞の32年前の記事撤回
もあったばかりであり、「強制連行」を国家として主導したという
明快な事実証拠が確認されてもいない。
でっち上げクレームの疑いも拭えない問題である。
韓国ではない別の国で、少数の軍人が個人的に拉致を主導
したことはあったらしいが、軍が軍規違反として処罰したという
記録があるという。

の「死刑制度廃止」は、当事国各々の独自の「治安維持」の
観点から検討されるべきものであり、国連から勧告される
筋合いのものではない。
世界の2/3の国が法律上または事実上「死刑制度」を廃止し
ていると聞く。
しかし、被害者に寄り添った主として「犯罪抑止」の観点からと
思われるが、「死刑制度」存続国は1/3に及んでいる。
この制度の存否はその国の「善良なる国民の保護」にかかる
考え方によるものではなかろうか?

一部の国の煽動に偏って、特定国を狙い撃ちしたり、正確な
事実を確認せずに問題を指摘したり、多数国を巻き込んで
数を頼んで問題提起をすることが、「平等・公正」を原則とする
国連人権委員会の仕事といえるのだろうか?

慰安婦問題も並べられた主張が真実に基づくものならば、
韓国の主張や国連の勧告を待たずとも、
日本は自ら真摯に国家として謝罪しなければならない。
ドイツがユダヤ人に行った「ホロコースト」を国家として謝罪したように。

この勧告のすぐ後の8月6日、広島の原爆の日の式典が厳かに
テレビに放映された。

従軍慰安婦問題どころではない、あの大戦の最中の
連合軍の絨毯爆撃による多数の一般日本民間人の生命が
無残に奪われたという人権問題はどのように謝罪された
のだろうか?と思わざるを得なかった。
まさか、戦勝国はどんな人権無視の行為があったとしても、
謝罪の必要はないということなのだろうか?

日本の民間人に対する連合国の絨毯爆撃は、200都市、
死者数約33万人、被災戸数223万戸、被災人口約970万人に
及んだという。

加えて、1945年8月6日には広島(ウラン型)続いて8月9日には
長崎(プルトニウム型)の威力実験とも思われる「原子爆弾投下」に
より、原爆死没者名簿によれば、一般市民約38万人の生命が
奪われた。

軍相手でなく、一般市民が標的にされ殺された「無差別攻撃」が、
戦争中であるからという理由で、人権侵害行為には当たらない
と言えるのだろうか?
一般市民の多数の命が奪われたのであってもそう言えるのか?
従軍慰安婦にかかる主張が事実であったとして、その人権違反
行為が無差別殺人行為に勝る違反行為と言えるのか?

当時は日韓は合併国であり、絨毯爆撃の標的となった民間韓国人
はコモンウェルス戦争墓地委員会のデータによれば、約38〜48万人、
原爆による死者数は約1万人という。
ウィキペディアの「第二次世界大戦の犠牲者」によれば、
日本軍属にあった朝鮮人は約24万人、死者は2.2万人とある。
この数字は日韓連合の中、日韓・軍民ともに散った実態が見える。

日韓ともに特に民間人が晒された連合軍の無差別攻撃対する
米国人の人道上の批判意見のいくつか拾ってみた。 

※いかなる詭弁を用いようと、原爆投下の主目的が、戦闘員では
  なく女子供老人などの非戦闘員の殺傷であったことを否定する
  ことはできない。そもそもアメリカは日本を挑発しなければ決して
  真珠湾を攻撃されることはなかったであろう。
  <ハーバート・フーバー第31代米国大統領>
※原爆投下は、米国兵士の命を救うためには全く必要のないもの
  だった。我々は日本に原爆を投下する必要はなかった。
  <ドワイド・アイゼンハワー第34代米国大統領,連合国軍総司令官>
※日本がソ連に和平仲介を頼んだと知った1945年6月、私は参謀
  達に、戦争は終わりだ、と告げた。ところがワシントンのトルーマン政権
  は突如日本に原爆を投下した。
  私は投下のニュースを聞いた時激怒した。
  <連合軍荘司令官ダグラス・マッカーサー>
※ドイツがアメリカに原爆を落としたとしましょう。その後ドイツが戦争
  に負けたとします。その場合我々アメリカ国民の誰が原爆投下を戦
  争犯罪とし、首謀者を極刑に処すことに異議を唱えるでしょうか?
  原爆投下は外交的にも人道的にも人類史上最悪の失敗だった。
  <マンハッタン計画参画の科学者 レオ・シラード>
※アメリカはこの戦争を外交手段で終了させられた。原爆投下は不要
  だった。日本の犠牲はあまりにも不必要に巨大すぎた。私は東京
  大空襲において、同僚達と、いかにして日本の民間人を効率的に
  殺傷できるか計画した。その結果一晩で女子供などの非戦闘員
  を10万人焼き殺したのである。
  もし、戦争に負けていれば私は間違いなく戦争犯罪人となって
  いたであろう。
  では、アメリカが勝ったから、それらの行為は正当化されるのか??
  我々は戦争犯罪を行ったのだ。
  一体どうして、日本の67の主要都市を爆撃し、広島・長崎まで
  原爆で、アメリカが破滅させ虐殺する必要があったというのか?
  <ロバート・マクナマラケネディー政権国防長官,元世界銀行総裁>
※日本上空の偵察で米軍は、日本に戦争継続能力がないことを知っ
  ていた。また天皇の地位保全さえ認めれば、実際原爆投下後
  アメリカはそれを認めたのだが、日本は降伏する用意があることも
  知っていた。だがトルーマン大統領はそれを知っていながら無視した。
  ソ連に和平仲介を日本が依頼したことも彼は無視した。
  この野蛮な爆弾を日本に投下したことは、
  なんの意味をもたなかった。海上封鎖は十分な効果を挙げていた。
  この新兵器を爆弾、と呼ぶことは誤りである。
  これは爆弾でもなければ爆発物でもない。これは「毒物」である。
  恐ろしい放射能による被害が、爆発による殺傷力をはるかに超えた
  モノなのだ。アメリカは原爆を投下したことで、中世の虐殺にまみれた
  暗黒時代の倫理基準を採用したことになる。
  私はこのような戦い方を訓練されてないし、女子供を虐殺して戦争
  に勝ったということはできない。
  <ウィリアム・ダニエル・リーヒ米海軍提督・大統領首席補佐官>

戦争という行為は、一方的に片方が悪いとは言えない。

戦勝国の全ての行為が許されるものでもなく、敗戦国の全ての行為が
否定されるものでものでもない。

人道的に、日本が反省すべきは謙虚に反省し、事の真否を証拠に基づき
確認の上、敗者であっても主張すべきは堂々と明確にその見解を陳述
すべきである。

特に今回の国連人権委員会の勧告には、その根拠となる事実に誤認が
あるように思われるし、某国の意図的誘導を感ぜざるをえない。

我が国は戦後、戦勝国に対する謝罪観念や遠慮から、主張したいことが
あってもこれを控えて、我慢してきたように思われる。

日本はあの戦争に対する反省の念を込めて、
憲法第9条において「戦争の放棄」を世界に向けて宣言した。
そして、世界の平和に尽力することを誓った。

前後70年を期して、受身の平和追求から、積極的なリーダーシップを伴う
世界平和への行動を発揮して行かねばならない。

これを世界の各国に受け入れていただくためには、
日本国としてまずやらなければならない事がある。

その第一は、あの戦争についての反省と事実確認である。
戦争に至る流れや理由、戦争中のプロセス・動機の真実の確認、
敗戦の理由、他国民のみならず自国民に対しての人道上の問題点、
終戦時における軍部・政治の実態と問題点等々、
閉ざされ続けた約100年前からの歴史の真実を包隠さず明らかにし、
それを日本人の最も大切な現代史として確定する要がある。
そして、若い年齢層の頭脳に叩き込まねばならない。
これこそが、国体の継続であり、国際社会への理解につながる。

その第二は、第一を前提に、平和志向の新たな国際秩序構築に向け、
他国が日本に期待するテーマの確認作業を実施することであろう。
そのためには、まず詫びるべきことは心底からお詫び申し上げ、
世界平和の観点から「是は是、非は非」と堂々と偏ることの無い正論を
国際社会に発言してゆかねばならない。
このことこそが、敗戦国としての自戒であり、
平和への希求の証と言えよう。

そして、敗戦国であり唯一の原爆被爆国である日本が辿りついた
「永遠の不戦」・「平和への希求」の印として、毎年深く、
不戦・平和を考える記念日の創設を考えてはどうだろうか?

毎年8月6日(広島原爆投下日)から8月9日(長崎原爆投下日)を経て、
8月15日(第二次世界大戦終結日)までの10日間を休日とし、
「不戦と世界平和を誓う10日間」(連続記念日)とするのである。

せめて8月6日から8月9日の原爆投下の連続4日間を
記念日とするだけでも、
世界へ向けての「人道主義の重要性」「原爆の使用禁止」「戦争の放棄」
「世界平和の実現」に想いを至らせる無言の道標となるのでは・・・・・?






























































  



























  
Posted by kenken_ac at 12:07Comments(0)TrackBack(0)平和

2014年08月13日

マスコミの「知る権利」の主張と「報せる義務」の関係。

マスコミはあらゆる場面で、自らの「知る権利」を主張し、
事ある度に自らの立場の「特別扱い」を主張して止まない。

報道という立場を考えれば至極当然とも思われるが、
それには知り得た内容を事実確認した上で正しく国民に
「報せる義務」がある。

「知る権利」を行使して得た情報を隠匿し「報せなかった」
とか、「事実確認を怠った」り、事実を曲げて「報せたり」
するのであれば、「知る権利」を主張する資格はない。

朝日新聞の従軍慰安婦にかかる「吉田清治」証言を報じた
32年前の記事取消はどう考えるべきなのか!

何故32年間も真実を確認しないまま報道を放置したのか?
これは、単に「報せなかった」ことよりタチが悪い。
これでは、「知る権利」どころか「報せる資格」も無い。

その結果世界に対し、日本は著しく名誉を棄損され、
国民は言われ無き侮蔑を被ることとなっただけでなく、
中韓のみならず国連を初め世界の多くの国から
「反省」と「歴史認識」という弾劾を受ける羽目になっている。

日本国民一人一人の名誉は地に貶められた。

32年目に「あの記事は誤報だから取り消す」だけで済む話
ではない。
まして国民に「詫びて」もいないとは、どう言うことなのか?

日本国民の有志は今こそ、朝日新聞を「訴」をもって弾劾すべき
なのであろう。

朝日新聞は国民一人一人に「名誉棄損」の慰謝料を支払わねば
ならないのでは?
一人100万円の慰謝料とすれば、約120兆円となる。

朝日新聞の経営陣はその重さを自覚しているのだろうか?!

つまり、もう朝日新聞は無用と言われてもやむを得ない。

そんな新聞社が消費税非課税扱いを政府に求めているとは・・・!


























  
Posted by kenken_ac at 01:18Comments(0)TrackBack(0)マスコミ

2014年07月31日

日本の経済成長の決め手は?(その1)「土地制度改革」と「建材・土建技術の革命」か?

日本経済の失われた20年を取り戻すため、
放たれた「アベノミクス」という経済構造転換政策の成功を
期するためには、「第三の矢」と言われる具体的経済政策
の実現が不可欠であることは論を待たない。

思い切った「金融緩和」と「財政再建」と「経済成長」を狙い
とする「アベノミクス」は、その激しさが故に「両刃の剣」的政策
であるため、何がなんでも成功させないと国民生活を壊滅
させかねない極めて危険な側面をもつ政策でもある。

しかし、最近次々と並べられる成長戦略は、
政府がこうする、政府が自治体にこうさせる、
民間にはこれをやらせる、と上位下達型の「呪文」を
聞かされているようで、本当にあてにして良いものかと
心配になる。

国や地方自治体が直接あるいは「第三者機関」
を通して自らの手を染めて実施するような政策は、
所詮市場原理が働かない独占事業でしかないので、
結局は自立した経済成長のエンジンには成り得ない。
逆にそれは必ず「将来の荷物」になると言うことを
肝に銘ずべきであろう。

国・自治体が推進したいことは、よく検討したうえで、
民間にやってみたい思わせるよう、張り巡らされた規制を
緩和・撤廃し、利益が透けて見えるような制度設計をして、
市場に委ねてその競争原理を活かすことである。
国・自治体が自ら当事者になったり、
資金をむやみに提供したりすることではない。

一方で、提供された制度を悪用したり、
ただ乗りするような民間は、
厳しくチェックし取り締まらければならない。

そして、提示・提供される経済戦略は、
日本の将来の支柱となるだけでなく、
人類の平和と繁栄につながるほどの
メガトン級の戦略的施策でなければならない。


以上の観点から日本の将来(100〜200年)を展望すると、
「国土の強靭化と最大有効活用」
「科学技術の革新的促進と超高度活用」
「人口維持の堅守」  の三つが
当面の「究極の課題」と位置づけられるのではなかろうか?

これらの課題を、市場メカニズムの原理で実現するために、
既得権者をどう説得し、取り巻く諸規制をどう緩和・撤廃し、
市場にどのようなインセンティブを与えれば、よいのか?
これを政府がやるのは、「今でしょ!」。


今回は、「土地の有効利用促進」のための
「土地制度改革」と「建材・土建技術革命」の必要性を
指摘したい。

T大大学院教授の金本良嗣氏が言う。

「土地政策」は国民の生活を豊かにするために、
土地の有効利用促進の市場メカニズムを機能強化する仕組を、
住宅・都市・建築規制・農地・税制の個別政策を
最効率に組み合わせることである、と。

そして、現行の土地行政の最大の歪みは、
都市近郊農地(生産緑地)の税制(廉価な固定資産税と相続税)と
転用規制であり、早急なる税の平等化と規制撤廃が必要である。
また、宅地についても、容積率緩和・日影規制の撤廃・
借地借家法の改正が必要である、と。

T教授は土地の価値を政府が決めるのではなく、
経済原則に則り市場メカニズムに委ねれば、土地の有効活用は
一気に進展すると、提言されておられるのだ。

まさにご指摘のとおりで、政府の「為にする」諸規制は早急に
洗い直す必要が不可避であろう。
加えて、先の東日本大震災でクローズアップされた登記簿謄本に
未記載の多数の「土地所有権者」を最大でも2〜3名に絞り込める
よう法律改正の必要がある。
これがために土地権利者が確定せず、土地の整理もつかず
再建の妨げになるまま放置されてしまった愚の是正は、
待ったなしの緊急の課題でもある。
併せて登記放置を無くすために、行政の積極的働きかけと
登記料金の引き下げも検討すべき課題と言えよう。

土地は所有者のモノではあるが、土地の有効利用の観点からは、
土地の公共利用も考慮して、土地移転のゴネ得禁止の法制も
検討すべき課題と言えよう。

更に近年、近隣国が特に水源を求めて日本の遊休地を所有すべく
虎視耽々と狙っている。無人・無所有者の離党の所有権も含め、
日本国籍外の法人・個人が所有権を行使するためには、
政府の厳しい審査を経た上で、国会の同意を必要とするくらいの
歯止め法律の成立を急がねばならない。
法人の所有地が法人ごと乗っ取られるとか、個人の所有地が結婚
による相続により移転されるとか、抜け穴も塞がねばならない。

土地有効利用のための土地規制の抜本的改正、土地自体の価値
を高めるための「容積率緩和」「日影規制緩和」、
公共・安全施設整備のための国民の協力義務等の新設が待たれる。


2011.3.11の東日本大震災からの復興、2020年のオリンピックと、
世界から日本の実力を測られかねない時は待ったなしにやって来る。
「さすがに日本!」と世界に胸を張るためには、
失われた20年を一刻も早く取り戻し、
アベノミクスを絶対成功に導くためにも、
本物の「第三の矢」である
「土地有効利用促進のための市場メカニズムの確立」は、
待ったなしに必要不可欠の緊急課題である。

この緊急課題に併せて、もう一つの緊急課題が
「土地活用に資する革新的新技術の開発」である。

これは、以下の3点からなる「建材」・「土建技術」・「人材養成」の
大革新である。
 ‖冤冉数の長期化
 ∀卦牴修鉾爾ι分修理の簡便化
 人的労力から技術的パワーへの転換

巨大な資金を投入して造り上げた橋・道路・堤防・ダム・建物・
鉄道・トンネル等々、木造はもとより鉄筋もコンクリートもその寿命は
わずか50年と大変短い。
構造物の部分的取り換え修理が可能であればまだ救われるが、
そのほとんどはピース・パーツの取り換え修理では間に合わず、
寿命が来ると全体を取り壊し、造り直しに莫大な費用を要する。

せめて200年の耐用年数をもつ素材=建材の早急な開発が必要。

一方、東日本大震災の影響もあり、建築現場の労働力不足が
顕著になっている。そのため人権費の高騰は、事業の進展に
暗雲をもたらしている。多くの労働力が必要になるのは、
その素材が大きくて重いことに起因する。軽くて持ち運びも容易
であれば、労働力は少なくて済み、事業期間も短縮でき、
費用も少なくて済む。

ボーイング737や777の機体に活用された東レ蠅涼坐覗^櫃蓮
建材革命の先端的素材の最有力素材のひとつと言えよう。
パーツ・ピース単位に建材を用意し、それを組み立て上げると
極めて強度が高くて重量は軽い構造物が出来上ると言うことに
なれば、少々高価な構造物と言えども、その耐用年数を考えれば、
投入した資金効率の合理性は担保されるはず。

パーツ・ピースの組み合わせ方式が可能となれば、設計図に基づく
工場での部分組み立て後、順次工事現場での据え付け設置の
繰り返しで、工事現場のスペースも節約できることになる。

構造物にかかる光熱設備や清掃設備も自家発電や自動清掃の
装置を予め組み込むことで、将来の維持費用の節約も可能になる。
パーツ組合せの構造物は、構造物の変更・修理・解体も容易で
そのコストも大幅に低減させられる。

近い将来、建物を初めとするすべての構造物が、人に優しい
タッチ感なのに、極めて軽くて強度の高い「炭素繊維」に
取って代わられた姿を想像してみるが良い。

既にボーイング737等で実現済みの「炭素繊維」を更に研究・
開発し、より優れた素材を創り出し、そうした新素材に技術的に
対応できる人材によって事業が進められるなら、
日本の人口減少による労働力不足の心配をすることもない。

最新の技術に対応できる人材を官民協力して養成するならば、
国民の所得水準は高額となり、日本のマーケットの縮小を
心配する必要もなかろう。

人口が多いことだけが国力の将来を測る指標ではない。
国力は、「国民個々の能力×人口数」
国富は、「国民個々の年収×人口数」
なのだから・・・・・・・・・。
一人一人の能力と年収を高めれば、
人口減少に怯えることはない。















































  
Posted by kenken_ac at 14:00Comments(0)TrackBack(0)明日の日本

2014年06月14日

最近の安倍政権は政策視点が近視眼!全体を俯瞰して観る「国家」とは何なのか?

自己の主張に固執、自己に満足、異見の抹殺、
自己責任の認識欠如、責任転嫁の横行・・・・・
これで良いのだろうか??

国家とは何なのだろう。主権在民と言うのだから、
国民が等しく豊かで幸せな生涯を送れるよう、
国民の生命・生活・財産・心情を守り貫くことこそが、
国家の使命であり、存在そのものなのだろう。

そう考えると、ウクライナの問題は、国家が国民の全員を
護るのではなく、一部(東部)の国民の利益を優先して
擁護したために、国家の存在そのものが曖昧になって
しまったようだ。
つまり、前政権のヤヌコビッチ大統領が我欲に溺れ、
NATOに擦り寄り、拒否されるとロシアに逃げ込み、
その隙をNATO寄りの暫定政権に乗っ取られたことから、
NATOとロシアの紛争に転じてしまった。
この間、正に国民不在で政権も不在、国際間の対立が
残る中、事態が進み、今もその最中にある。
国民はそっちのけで、他国の言い分に振り回されている。
だから、「国家とは何か」と問い直さざるを得なくなる。

国民のリーダーたる者が「国民を護る」と言う自覚と責任感を
持っていないと、国民が頼るべき国家は消えて無くなる。

「主権在民」の国家のリーダーが、
考え違いでその皮をひと剥きすれば、
国家はその場で「専制君主制」に変貌する。
しまいには「国家」そのものが無くなり、他国の餌食の地と
なり果てる。
ウクライナの暫定政権を始めイスラムの紛争国の多くが
これを証明している。

現今の日本の実態は、国家・社会のリーダーの多くが、
国民の真の幸福を追求するのでなく、
自分の都合の良い考え・屁理屈に捉われ、
自説を頑固に貫こうとする。
国民・社会の声には耳を塞ぎ、異見は抹殺し、
それが間違っていても自ら負うべき責任を
他に転嫁し、擦り付けて逃げ出す。

そのことで被害を被るのは、残されし多くの国民だけ。

韓国の沈没旅客船セウォル号の船長や船会社の幹部、
それを統括するコングリマリットのトップを
「対岸の火」と嘯いていて済む話ではない。
日本のリーダーの多くも、これを「他山の石」と、
考えを改め、深く反省する必要がある。

「自己責任の自覚」の欠如は国・社会のリーダー達だけの
問題ではない。
国民たる一般市民も日本と言う国家の一員として、
自らの責任を自覚し、それを逸脱した場合は「腹を切る」
くらいの「覚悟」をもたねばならない。
それこそが、民主国家の一員としての最低限の義務。

以下にその「自覚」の無さを露呈するような事件の数々を
いくつかピックアップしてみる。

大津の「いじめ」による小学生自殺事件の教育委員会・学校・
教師・父兄の責任回避のための隠蔽事件。

これは、かつて本ブログにも取り上げたが、
これと同じ構図がSTAP細胞論文撤回事件だ。

理化学研究所(理研)の幹部たちは、
小保方さんに論文を書かせ、
共著者にも理研の多くのメンバーを参加させ、
ネーチャーにチャレンジさせたではないのか・・・・・?

然るに、論文に不備ありと批判されると、
小保方さんを庇護することなく、
自分達は「知らぬ!存ぜぬ!」と、
その責を若い小保方さんひとりに擦り付け、
自分達の責任を回避した。

心あるなら、STAP細胞の存否を
小保方さんと一緒に再現実験し、論文の不備を書き直し、
誤りがあれば明快に謝れば済む話。

小保方さんが加わっての再現実験が失敗したのなら、
「万事窮す」だが、それを拒み続けた理研の幹部の対応は、
組織としての自己責任の欠如そのものと断ぜざるを得ない。

理事長の野依良治氏は自らの進退をどう考えているだろうか?
外部有識者による改革委員会(岸輝雄委員長)の提言書は
極めて厳しい。
理研を「自浄作用が全く機能しない非常識な体質」と断罪し、
小保方さんの厳罰と併せ「発生・再生科学総合研究センター」の
解体という厳しい指摘である。

私は加えて、野依氏の責任・理研の存否・監督官庁たる文科省の
責任についての見解も明らかにする必要があると思うのだが・・・。

野依理事長は自らを含め、理研の存廃に及ぶ決断と自らの指導
不足を最初に詫びるべきだったのではなかろうか。
すべての責任を小保方さんひとりに負わせた対応は「卑怯」と
言われてもやむを得ない。

小保方さんを再現実験から除外するとした理研の対応に、
下村文科大臣が小保方さんの参加を求めた発言は、
理研を監督する責任組織の長のあるべき姿と、
大いに評価すべきであろう。
併せて理研そのものの存否と改革の徹底が望まれる。

ノバルティス社の「降圧剤データの不正操作」事件も、似た構造だ。
忙しい大学の研究者達の手伝いをすると、
実際は降圧効果の無い薬のデータを不正に操作して、多くの
患者を詐欺し、1,000億円を超えるカネを集めたと言う。
まるで「暴れん坊将軍」の悪徳御典医が大仕掛けの詐欺に
働き笑いが止まらない映像が見えるようだ。
「暴れん坊将軍」では、この悪徳御典医はもちろん、被害者を
装って自分の地位保全を図っている多くの研究者や教授は、
打ち首かお家断絶となるから救われる。
ノバルティス社及び関係した大学、加えて監督官庁の厚労省の
担当部署の責任はどうなるのか?
厳しいケジメを付けないと、第二・第三のノバルティス社が現れる。

組織に不正や不備があれば、直接関係が無い部下のミスでも、
組織としての責任を一身に背負っているのが、
組織の長の職責である。
にもかかわらず、多くの長は、
「自分は直接担当してないので、今後は起こらないよう指導する」
と、自己の責任を回避する。
「未公表の飛ぶボール事件」の前プロ野球コミッショナーの加藤良三氏の
「私は聴いていなかった!」発言が正にこれ。
私は、「私の責任」と自己の責任を明らかにし自らを処分する
ほどの者を、あの福島第一原発所長の「吉田昌郎」氏を除いて、
あまり聞いたことがない。

北海道JRの事故連発事件も、本当の責任は社長にあるはず。
社長が自ら「腹を切らない」から、事件を起こし、それを隠蔽した
社員や組織を罰し、抜本的改革をすることができない。


これが行政・政治の世界に蔓延すると、国家が揺らぎ、
いつかは崩壊する。
第二次世界大戦時における軍部の一部が行った思い込みと
独断・偏見、責任転嫁と真実の隠蔽が、
戦争の幕引きを遅らせ、
ついには国家の崩壊をもたらしたと聞く。
これからの日本があの大戦の愚行を
繰り返さないことを祈るばかりだ。


最近「あせり」があるのだろうか、安倍政権が矢継ぎ早に上程する
各種政策や外交対応の中に、全体俯瞰の視点欠如のまま
上程される政策や「本音の目的」は別にあるのではと思わざるを
得ない政策・行動が散見される。

失敗したら「総理」を辞すればよいではなく、
文字通り「腹を切る」覚悟で、
最大高効率の政策実行にあたって欲しいものだ。

以下に気になる政策のいくつかを取り上げてみる。

 タクシー料金規制問題」
 国交省が業界の収益確保・拡大のため、タクシー料金に幅規制を
 掛け、低料金タクシー会社に下値保持の規制強制をした事件。
 一部低料金タクシー会社の訴訟が裁判所に認められた。
 国交省が運転手の収入確保を名目に業界の利益を優先し、
 「自由競争」の原則に枠をハメ、
 利用者に負担増の犠牲を求めた事件である。
 世界一高い料金の日本のタクシーに気楽に
 消費者が乗車するわけがない。
 低料金タクシーがあればそれを利用するのは当然の行為。
 その低料金を規制し高料金で競争
 しろという論理は「自由競争」の原理にかい離する。
 こうした業界の一部の意向にのみ耳を傾け、業界への
 特別優遇措置を講ずるから、業界の競争が削がれ、
 独禁法違反につながる談合の常態化を招いている。
 その例は、電力・マスコミ・金融・農業・交通・通信等々
 枚挙の暇がない。
 こうした施策は、消費者に負担を強いるだけでなく、
 いつかは業界の競争力を弱体化させる「麻薬」に相当する。

◆崘朸者控除撤廃問題」
 日本の労働人口の減少が進む中、
 「女性の労働戦力化」・「社会進出の促進」が狙いと、
 「130万円の壁」を撤廃すると言うが、
 本音は「減税措置撤廃」による「増税」にあるのではないか?
 労働人口減少下にあって、
 女性の労働戦力化は重要度が高いと言うが、
 一方でこれは女性の「家庭の御守役」「育児の護り主」
 としての戦力を低下・削減させることに他ならない。
 加速度的な少子化進行中の今、
 家庭を重視せずに出生率の向上はあり得ない。

 また、子供の養育を「保育園任せ」で、
 子供が親の愛情で満たされ情緒豊かな成人に
 育ちあげることを保証できると言うのだろうか?
 「女性の労働力化」が「親が手掛ける子育て」以上に、
 我国にとって必要と言うのなら納得もするが、
 母親が家庭で「育児専念」する方が、
 国家の将来にとっては
 はるかに大切な政策なのではなかろうか?
 むしろ、扶養控除を削除した時の「見返りの約束」の
 「子供手当」をより充実し、
 保育園の保育料(1人6万円と聞く。)程度に
 思い切って引き上げ、
 「母親の育児専念」を可能ならしむことこそが、
 国家としての喫緊の課題なのではないか?
 保育園の増設・充実も必要だが、「家庭保育の充実」の方が
 より優先すべき課題と思われるのだが・・・・・・・。
 一定期間の子育てが済んだ後に、
 労働戦力として社会復帰するのなら、
 子育て経験を通して人間的に成長した
 本物の労働戦力としての期待が増すのではなかろうか?
 絶対に、女性から「子育ての機会」を奪ってはいけないのだ。
 これこそは「禁じ手」なのである。

「残業代ゼロの労働法制度化」
 業務効率・貢献度評価の人事考課を前提とする賃金体系の
 合法化がねらいで、残業代ゼロによる労働時間短縮化・
 健康増進化が目的とするというのは「付けたし」の屁理屈。
 人事考課の客観性が担保されない中、
 恣意的考課がまかり通り、
 労働強化が進み、企業はブラック化する。
 一見、個人の能力を引き出し仕事の効率が上がるように
 みえるが、まったくの逆バネが働く。
 労働者は疑心暗鬼に陥しめられ、
 要領の良さが競わされ、騙しと裏切りが先鋭化するだけで、
 生産性向上とは逆行する。
 金融バブルが心配され出した頃から、
 細かな個人人事考課制度が持て囃され、
 個人個人の生産性が問われるようになった。
 その頃から、日本の伝統である家族主義的グループ生産性の
 重要度が低下した。
 そして、その頃から、日本の労働生産性そのものが、
 世界から遅れをとるようになったと思われる。
 日本の優位性は、グループ生産性の高さにあったのだ。

ぁ崕乎津自衛権行使容認」問題
 前回これは「両刃の剣」とブログに記したが、
 日本の友好国と米国が交戦することになった時が問題になる。
 現在の我が国の憲法でも「自衛権」は認められ、
 国際的にも理解されている。
 あえて、「集団的自衛権」と言わずとも、
 独力で自衛し切れるだけの戦力を備えれば済む話。
 他国支援の武力行使は、国際平和維持の観点から、
 「国連の合意と要請」がある場合に限り、
 発動することができることにしておけば、
 進略戦争の汚名を被ることもなく、
 いきなりの武力行使に進むのでなく、
 国連の場での話し合いの間も取れる。
 その上での「国連の要請」を受けての武力行使と言うことなら、
 戦わざるを得ない友好国に対する弁明の余地も出て来ようし、
 武力行使そのものを止めることもできようというもの。
 このためには、国連の紛争対応力の強化が喫緊の課題。
 常任理事国の強権とその全員一致しか事態を
 決せられない仕組のままでは、国連の意味は無い。
 この改革こそが「永世中立」を謳う我が日本が唱える
 「積極的世界平和主義」の実現への道と言えるのであろう。
 ウクライナ問題における日本とロシアの関係が、
 集団的自衛権の「両刃性」を今日本に突き付けている。
 ロシアとの友好関係を消し去ってしまって良いのだろうか?

その他にも気になる政権の動きが散見される。
NHKの幹部人事への政権の介入問題、選挙制度の見直し、
議員定数の削減問題、原子力規制委員会の人事、
原子力推進の容認等々安倍政権の本音が透けて見える。
いずれにしても、政策の本音を明らかにして、
国会または国民投票を通じて、国民の意思を確認の上、
実行に移す「努力」「手間」を掛けて欲しいもの。
それが「民主主義」の基本ルールなのだから・・・・・・・・・・・・。

何でも「決めれば良い」と言うものではない。
もう少し謙虚に全体を俯瞰して、試してみて、
それから決めても遅くない問題も数多くある。
やってみて、「失敗したらやり直せば良いでは済まない」
問題もあるのだから・・・・・・。

金融緩和を軸とするアベノミクスの大英断を汚すことのないよう、
今は「慎重なかじ取り」をあえて強く求めたい。

最後に個人レベルの「モラル」「人間性」「責任感」の欠如が
目に余る。
小さい頃からの真の「しつけ」・「教育」・「情操」の不足が
招いた結果と言える。

改めて項を起こして訴えたいが、
「栃木・今市の女児殺害事件」「熊本の女子高生殺害遺棄事件」
「厚木市の幼児保護放棄殺人事件」等々・・・・・・・。
パパ、パパとすがる息子に食事もやらず放棄して逃げ出した
父親!
「鬼」としか言いようがない。可哀そう過ぎて胸が詰まる。

どうすればこの「無責任」を減らすことができるのか?
被害者の人権は加害者の人権に比べ、
どうしてこんなに低いのか?
項を改めたい。


 
 











 
 



 
 


























  
Posted by kenken_ac at 11:34Comments(0)TrackBack(0)政府の責任

2014年03月19日

「集団的自衛権」は国際平和にとって本当に必要なのだろうか?

EU諸国は、財政難のウクライナに財政支援のワナを
仕掛けて、NATO加盟を誘った。

財政不安のウクライナ大統領ヤヌコビッチは最初はこの
誘いに乗ったが、EU側が簡単には了解しないので、
EU側の誘いの1/10程度のロシアの援助(150億ドル)に
鞍替えした。

ヤヌコビッチの我欲を敬遠したロシアは、EU側(独・仏・
ポーランド)と協議、ヤヌコビッチを相手にせずウクライナの
西部・東部・南部の全域を平等・公平に統治する
新政権を新しく選挙すべきと、2月23日に一致したという。

ところがその翌日2014年2月24日、
政権のスキをついて、ウクライナ西部中心の過激派
デモ隊が突如政府機関と地域党本部を占拠してしまう。
これが現在の暫定政権なのだそうだ。

ヤヌコビッチは大統領を辞めたと宣言したわけではなく、
デモ隊は政府機関を占拠しているとは言え、
ウクライナ国民の選挙によって選出された政権ではなく、
単に暫定政権と称しているだけなのだということになる。

NATOは元々EU諸国のソ連邦に対する集団的自衛組織
であり、極論すれば対ソ軍事同盟にほかならない。

ウクライナは元はソ連邦を構成する一員であり、
現在でもクリミア半島にはロシア軍の軍港があるという。

このウクライナをNATOの一員に誘い込むということは、
ロシアの喉元にNATOが匕首を突きつけるようなもの。
とりわけ、ロシア軍港があるクリミア半島を
暫定政権=EUに抑えられてしまっては、
ロシアの地中海への窓が封鎖されてしまうことになる。

ロシアとしては黙って暫定政権のなすがままにしておく
訳には行かない。

そこでクリミア自治区の人民の選挙による独立を認めた。
それも95%を圧倒的多数でである。

これに暫定政権とEUが無効を主張し、同盟国たる米国も
米国の同盟国たる日本も無効を認め、
ロシア制裁を口にすることとなってしまった。

このまま事態が進んでしまうと、場合によっては、
第三次世界大戦に突入しかねないことになる。

ロシアから見れば、米国も日本も何も関係ない国が、
EUとロシアの問題に出しゃばって来るようなもの。
実際のところ、日本にとってはウクライナは何の特別の
関係があるわけではない。

ウクライナ紛争はヤヌコビッチという欲張り大統領が
引き起こした紛争であり、そのスキをついた過激派
デモ隊の暴挙が紛争激化の原因ではあるが、
世界大戦になってはEUにもロシアにも何の利益にもならない。

これを穏便に治めるためには、EUとロシアで暫定政権樹立の
前日(2月23日)合意したウクライナ全国民を対象にして、
ウクライナ全域を大切に公平に扱う理念をもった大統領を
正式に選出し、
新たな国民の認める本格政権を確立するしかない。

集団的自衛権=軍事同盟は「両刃の剣」となるだけでなく、
場合によっては世界大戦の引き金にもなりかねない
凶器であるという自覚をもって、
安易に一方的制裁を振り回し、相手を追い詰めてはならない。

こうした「同盟の連鎖」と「相手国の憤懣」による紛争の激化を
抑えるためにこそ、「国際連合」という組織があるはずなのに、
その姿が一向に見えないのは如何なることなのか?

軍を動かして問題を解決するのではなく、
話し合いと譲歩によって、事を治めるためにこそ、
「国連」という組織があるのではないのか!

事ここにまで至った現状にあって、何の反応も示さない
組織は、邪魔者以外の何者でもない。

高い費用を払って組織を温存する意味は皆無ではないか。

国際司法裁判所の在り方、国連決議事案の採決方法、
国連権限の強化、国連理念の確立と更新、
集団的自衛権の連鎖防止等々、
「国連運営」の抜本的改革が待たれる課題は山ほどある。

日本の集団的自衛権行使の問題は、
国連改革が済んでから、その理念に従って改定すべきであろう。

根っ子には、「人命の尊重第一」を命題とする
一歩もブレない国家精神を貫いて、世界をリードする姿勢が、
我が日本においては何にも増して大切と思われる。

それこそが第二次世界大戦の敗戦国・原爆による被爆経験の
唯一国としての真の責任でもあろう。


























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Posted by kenken_ac at 03:39Comments(0)TrackBack(0)平和

2014年01月13日

小規模事業は「雇用の安全ネット」。小規模事業の経営支援強化を!

安倍政権は大企業に盛んに、「雇用を増やせ!」
「給与を上げろ!」としつこく迫っている。

しかし、企業は、自己責任で経営をしており、
政府のお世話になっているわけではないのだから、
政府がお願いしようと強制しようと、
それに従う義務も義理も無い。

人を増やした方が良いと思えば増やすし、減らすべきと
考えれば減らさざるを得ない。
賃金を上げた方が効率が良ければ上げるし、
反対なら引き下げる。

人を増やすインセンティブは、増やすことによって利益が
増大し、将来的にも人件費コストのモトを取れる状況で
あることが確信できる場合であり、
給与を引き上げる決断は、給与を引き上げることに
より、単位労働力による収益効果を引き上げる
メリットに確信が持てる場合に限られる。

要は利益拡大のための労働市場の受給がタイトに
なれば、政府がことさら何も言わなくても
採用数は増え、賃金は単位労働力の質に応じて
引き上がる。

日本の政府が、国民の生活の本拠地を全世界と考える
のか、あくまで日本国内をベースと考えるのかで、
労働力を全世界に求めるのか、日本国内に求めるのか
答えは違って来る。

政府が日本国の隆盛を考え、
日本在住の国民の幸せを考えるのであれば、
国際為替相場の在り方は極めて重要なアイテムとなる。

すなわち、日本国中心に考えるなら、
円安は輸入品の高騰を招くけれど、
国際的な比較労働力価格は安くなり、
労働力の国内調達の方が安上がりになる。
日本国内の「労働の需給」はよりタイトになり、
雇用と賃金の上昇が見込まれる。

逆に円高の場合は、海外の労働力の値段が安くなる
ので労働力を海外に求めるチカラ(需要)が働き、
国内の労働需給は弱くなる。
海外で外国人を雇った方が労働コストは安く済む。

日本の空洞化だ。
日本は近年この道をまっしぐらに進んでしまった。

既に自動車を初め電機等輸出産業の多くは海外進出
しており、日本空洞化はますます進んでいる。

この傾向の究極の結末は、ベトナム・ミャンマー・フィリピン等に
出て行かねば、
日本人が職を得ることは難しくなる。

グローバル時代の到来と言って済ませられるのだろうか?


日本の空洞化を防ぐため円安誘導すると、
輸入品が暴騰する。
特に米と麦と石油が深刻だと言われる。

例えば、1ドル=75円のとき、5kg=1,500円(20ドル)
であった輸入米に対応する日本米の価格が、
5kg3,000円であったとすると、
市場競争力を確保するために、5kg1,500円の関税
を輸入米に掛けて輸入米の市場価格を5kg3,000円
とすることで、国内農家を保護している。

本当は5kg1,500円で買える輸入米を国内産米保護
のため、消費者は倍の3,000円で買わされるのだ。

この為替相場が変動して、
1ドル=75円×2=150円と円安になると、
輸入価格は150円×20ドル=3,000円となる。
こうなると、輸入米と国産米の価格は同じになるので、
農家保護のための関税は不要になる。
日本の農家は自立して輸入米と競争することができる。

実際には、輸入米にかかる関税は700%と言うから、
消費者は7倍高いお米を買わされていることになる。

言い換えれば、消費者は7倍も高い税金の塊りを
無理やり食べさせられていることになる。
「食糧自給率の維持」という名の下でである。

円安が進めば進むほど輸入品価格は高くなるが、
その分国産品の価格競争力は高まり、
関税で完全保護されていた産業の自立可能の道が
開けることになる。
(元々輸出競争力のあった自動車や電機等の工業品
の国際競争力はますます強化される。)

日本で石油は採掘されないので、円安になれば、
石油の値段(円)は暴騰し、石油の効率活用とか、
代替エネルギーの開発等よる国内産業の懸命の努力が
求められることになる。
しかし、この時初めてエネルギーの自前化に国・国民
全体が本気にならざるを得なくなる。

安易に原発に回帰するでなく、
新しいエネルギーを創り出すべく、国民全体が本気に
なって、国を挙げて課題に取り組むことになる。

換言すれば、「働かざる者食うべからず」であり、
自律と創意工夫が強く求められることになる。

政府が提供すべきは、保護ではなく自律のための
環境整備である。
保護は人をダメにする。
競争と厳しさこそが人を成長させる。
保護から競争環境の整備に政策の重点を移すことが
国家としての実力を養成することになる。
厳しいけれど、やりがいある環境を提供することだろう。


昨年の7月頃、日本の失業率は約4%、
潜在失業者を含めた失業率は約11%で、
約750万人が「働く場」を持てないでいた。
昨年11月現在では20万人ほど改善されたと言うが、
潜在失業率を含めた失業率に目立った変化はない。

約750万人(労働人口の10%を超える)の実質失業者の
存在は労働力需要が不足していることに
変わりがないことを示している。

これでは賃金上昇圧力は発生しない。
この状況下では、労働の質を飛び抜けて高く磨かねば、
採用も賃金上昇も期待できない。

大企業は効率化と収益性の向上がすべてに優先する
から、円安により国際的に日本の賃金が比較低廉に
なったとは言え、コストのかかる労働力の増加は避け、
単位当たりの労働コストも可能な限り引き下げようとする。

労働需要が弱まった原因は、円高による工場・拠点の
海外移転だけではない。
中小(特に小規模)企業や個人事業の激減も大きい。

「従業者規模別の民営事業所数の推移」によれば、
従業者数300人未満の事業所数が全事業所数の99.8%
を占めており、
平成13年に6,124千あった300人未満事業所が、
平成24年には5,453千に減少している。
実に671千の事業所が姿を消したことになる。

消えた小規模事業所の平均従事者数は6.5人とのこと
なので、
671千事業所×6.5人=436万人の雇用が失われた。

750万人の実質失業者に占める小規模事業所の
減少は労働需要増大を考えるとき、
極めて大きな意味をもつ。

かつて、日本の農家が労働需給の安全弁となっていた。
しかし今や、現代の安全弁である小規模企業の崩壊が
広汎に拡がり、雇用吸収機能が失われつつある。

雇用の安全弁が無くなって、
労働者が浮浪し、生活保護者が激増する結果が残った。
社会保障経費がますます増大している。


社会の変化に目をやれば、商店街はシャッター通りが
目立ち、旅館・ホテルは倒産、ゴルフ場は閑古鳥が鳴く。
タクシーの運転手の稼ぎは減り、料亭は潰れ、
旅行会社に秋風が吹く。
商店・小規模事業が壊滅的打撃を受け、姿を消した。

ここで働いていた436万人は「働く場」を失った。

雇用というと大企業ばかりに目が行く。
しかし、労働者の約88%に、「300人未満の事業所」が
「働く場」を提供しているのだ。

全国の小規模事業所を立て直すことこそが、
喫緊の雇用対策であり、小規模事業所が発展できる
環境を創り、提供することが、アベノミクス最大の課題だ。

これにより、労働市場をタイトに変えれることができれば、
安倍総理は何も頭を下げて雇用・賃金引き上げを
大企業にお願いしなくとも、必然的にそうせざるを
得なくなる。
そうしなければ、企業競争に負けるのだから・・・・・。

小規模事業は、大企業の分業流れ作業では得られない
精神と世界がある。
「よく生きるために、仕事を好きになり、人に認められる
ほどの素晴らしい仕事を創り上げる」(稲盛さんの精神)。
そうゆう「精神と世界」が目の前にあるのだ。

このような世界が脈々と拡がり続けて行けるような環境
を提示し勧めることこそが、政府の大切な仕事。

まさに小規模事業所の活性化こそは労働市場の大転換を
もたらす「魔法の杖」なのである。

平成25年11月「全国青色申告会」の「平成26年度
税制改正要望に関する決議」の要点は次のとおり。

仝朕融業者の活性化を図るため、青色申告者の
  給与所得控除を認める事業主報酬制度を創設する。
個人企業の継続と発展のために、事業用資産の
  非課税を含めた個人企業版事業承継税制を確立する。
青色申告特別控除額を引き上げる。(30万円に)


私は、消費税納税義務免除の売上高課税基準1,000万円
の引き上げは、小規模企業活性化に是非必要と考えている。
従来の3,000万円に戻すべきと考える。

大企業の交際費50%損金算入は認められたが、
加えて、福利厚生費の損金算入可能項目の緩和が必要だ。


このような「税制の改善」もさることながら、
加えて、小規模企業を経営的に支援する手厚い対策が
必要不可欠である。

経営コンサル、市場開拓(紹介)、財務支援、市場創造支援、
技術・技能養成、人材育成・紹介、顧客サービス支援・・・等々
これらを地域ブロック単位に一括提供可能な窓口を創設し、
地域密着のトータル支援体制を構築することが大切。

家族・同族労働をまとめた「労働の場」を提供することが
できれば、一事業所につき、
最低でも数人の雇用を実現することが可能となる。

小規模企(事)業が全国各地に根を張り得る税制の支援が
必要なことは言うを待たない。

青色申告会の税制改革要望に加え、
事業そのものを支援する「青色振興会」なる組織が
全国的に必要となるのかも知れない。

この「労働の安全ネット」は、必ずや地域活性の柱となり、
地域住民の生活活性にもつながるはずである。
東京・大阪・名古屋等々大都市だけが安定し、
田舎は無残に取り残され切り捨てられる。
そんなやり方は、人体の心臓・肺・胃等々主要器官だけは
強化されたが、カラダのあちこちの小さな細胞が
痛み浮腫み腐り出すのと同じこと。
カラダの隅々まで元気で活力に満ちてなくては、
決して健康体とは言えない。

日本の「国民の幸福」とは、安定した「労働の場」を得て、
安全で豊かな地域で、皆仲良く「活き活き」と輝くことに
尽きるのではなかろうかと・・・・・・・・思う。

地方行政の責任も極めて重いものと、強い自覚が必要だ。

 行政に求む!<雇用の安全ネットを創るため・・・・>

      雇われる人より、    
          雇う人(自律した個人事業主)にこそ、
                光当て・・・・・!



































  
Posted by kenken_ac at 23:49Comments(0)TrackBack(0)政府の責任

2013年12月24日

国と国では無理だから、人と人とで創る、世界の平和!

近年、中国・韓国と日本の関係はもとより、世界的にも
国と国の関係が全体的にキナ臭くなってきました。

中国や韓国の「歴史認識」を合言葉にする
自己中心的言い掛りには、交渉のカケラもありません。
もっと学問的に公平・公正に「歴史」を突き詰める
べきではと思うのですが・・・・・・。

とにかく相手の言うがままに、その言い分を受入れない
と話にならないのです。
言い分を聞き入れれば入れたで、その言い分はエスカレートし、
止め処がないというのが本当のところです。

極く最近、南スーダンでのPKO活動に関し、
韓国からの銃弾補給要請に応じた日本に対して、
韓国は「国連には頼んだが韓国が日本に直接頼んだ
覚えは無い。」
「日本は積極的平和主義の正当化にこれを利用している。」
「日本は本件を政治問題化してはならない。」
「日本が無理やり韓国に弾薬を押し付けて、
自衛隊派遣を正当化した。」etc.
と遺憾の意を示しているとのこと。
この件は、韓国の要請はもとより、国連の要請もあって、
人道上の緊急性に鑑みて、特例として要請に応じたもの。

逆に、要請を蹴れば蹴ったで、
何を言われるかわかりはしません。

世界にも稀な平和憲法をもつ我が国は、
できれば話し合いで物事(紛争事案)を解決したいのですが、
先方は話し合いそのものを全く受付けようともしません。
受付けるどころか、真逆に話を捻じ曲げて受止めるのです。
それが国連を通しての要請であってもです。

国際司法裁判所なる仕組も、当事者の一方が話し合いを
拒否すれば、訴訟そのものが成り立たないと言う
ルールなのですから、
「話し合い」は机上の空論と化すのです。

そうしている間に、尖閣諸島は領空・領海を侵犯され、
竹島は領土そのものを占拠されて、
まさに領土の自衛権を奪われた状態になっているのです。

こうした他国の横暴に、我が国の憲法が平和憲法であり、
かつ敗戦国なのだから、
自衛権を行使してはならないとでも言われるのでしょうか?

我が国憲法においてはこの自衛権について、
第2章第9条に次のように規定しています。
 第9条:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を
      誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による
      威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する
      手段としては、永久にこれを放棄する。
   2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の
      戦力は、これを保持しない。
      国の交戦権はこれを認めない。

日本政府は、この憲法第9条を次のように解釈しています。
 わが国が独立国である以上、この規定は主権国家としての
 固有の自衛権を否定するものではない。
 である以上、その行使を裏付ける自衛のための
 必要最小限度の実力を保持することは、
 憲法上認められる。
 この考えに基づき、
 わが国は、日本国憲法の下、「専守防衛」を
 わが国の「防衛の基本的方針」として、実力組織としての
 自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図っていく。

必要最小限度の実力の「限度」が第9条2項に言う「戦力」
に該当するか否かについては、その時々の国際情勢、
軍事技術水準その他の諸条件により変わり得る
相対的なものである。
しかし、個々の兵器については、
相手国の国土の壊滅的破壊のためのみに用いられる
攻撃的兵器を保有することは、
いかなる場合も最小限度内として許されるものではない。

次に「集団的自衛権」(自国と密接な関係にある外国
に対する武力攻撃を、
我国が実力をもって阻止する権利)は、
憲法第9条にあってはこれを許されないものとしている。

2項に言う「国の交戦権」は「専守防衛」のために
必要最小限度の実力を行使することは、当然のことであり、
交戦権の行使とは別のものと考えている。

以上の現在の政府の憲法第9条解釈については、
「主権国家としての自衛権を否定するものではない。」
との解釈は「良」とするも、
他の解釈は極めて曖昧で議論の多い内容である
と言わざるを得ません。
わが国だけの身勝手な解釈が成立つ、国際的信用力の
ない解釈と言われてもやむを得ないの面も
あるように思われます。
しかし、「自衛権」を認める以上、
支配を前提に侵略をなす国に対する「専守防衛」の軍備を
整え、これを実行する権利までも、
軍隊をもって攻撃する他の国から否定されなければ
ならないイワレはない筈なのです。


とは言え、憲法に言う「正義と秩序を基調とする国際平和を
誠実に希求する日本」は、
自衛権のための軍制を確立する前に、
「話し合い」で紛争を解決するための国際的仕組づくりに
懸命なる努力を尽くすことが不可欠の責務なのでしょう。

その第一は、国連の「世界平和維持機能」の強化です。

国際紛争を平和裏に解決するためには、「国連」の機能を
もっと徹底強化しなければなりません。

1.常任理事国が第二次世界大戦の連合国で構成され、
  その5国の1国でも反対(拒否権)すれば、
  その問題は国連の意志とはならないということ
  であるので、すべては当時の戦勝国である連合国間の
  エゴのための国連となっているのであり、
  これが故に国連としての正当(平和志向)な機能が発揮
  されないままになっているのです。
 結果として、ベトナム・イラク・アフガニスタン・イラン・
  北朝鮮と、国連のあるべき機能は発揮されず、
 平和とは程遠い状態が出現してしまったのです。

  国際連盟が「世界平和」に機能しなかったので、
  新しく国際連合を立ち上げたという歴史の意味は
  皆無だったのだとしか言えません。

  この「拒否権」制度を改め、「多数決」にすべきです。

  これを支える制度として次のようなことが考えられます。

々駭△狼貔鐓々颪力帆箸澆鯆兇┐董
  参加国全体の選挙で選ばれたより多くの国々
  (参加国の20%程度)の意見を受け止め、
  その2/3の賛意を得なければ、
  単独の行動をしてはならないとか。

∪鐐菘事国双方の弁明を二度三度確認した上で、
  結果として2/3を超える賛意が得られねば、
  国連の意志として戦争当事国の仲裁に
  武力をもってして介入することは出来ないとか。

9駭∋臆湛颪蝋餡抜屬諒響茲
  武力をもってしてはならず、
  あくまで話し合いを原則とする合意を前提とするとか。
(国連にはこれくらいの権威・責任がほしいものです。)

せ務総長を初めとする枢要ポストの長は、
  公正・公平を担保する観点から、「平和憲法」を
  戴く国の国籍を持つ者でなければならないとか。

 これができないのであれば、国連の意味も
 期待される世界の警察機能ひいては
 国際平和の実を結ぶことも不可能で、
 国連は無用の長物となってしまうのでありましょう。

もし仮に、日韓双方と同盟関係にある米国が、
 戦闘に巻き込まれた韓国を支援するために、日本に
 支援を求めた場合、日本はどうすればよいのか?
 「集団的自衛権」をどう考えるかという問題です。

 韓国は日本を嫌い日本の支援は受けないと
 言い張っている現在、
 それでも日本は米国に手を貸すのか?
 嫌がり突っ張る韓国を助けるために米国に手を貸す
 のは、日本にとっては翻意ではありません。
 しかし、日本は米国の同盟国であり、
 世界平和を希求する立場でもありますから、
 国連参加国の多数が賛成する場合は、
 日本を嫌う韓国を救うためであっても、
 米国に手を貸すことになるのでしょう。
 この是非は、国連参加国の多数の賛意こそが
 そのための担保となるということなのでしょう。

 せめて、国連は「集団的自衛権」発動の担保になる
 程度の存在ではあってもらいたいものです。


2.国連を意味あるものにするもう一つのキーは
  「国際司法裁判所」の在り方です。
 
 改善が必要な点は次の2つです。

(響莵颪琉貶が訴訟を起こしても、相手国がこれを
  受けて立たなければ、審議は不能というのでは、
  話合いの「場」が成立しないではありませんか。

  当時国の一方が提訴するなら、相手国に不満が
  あろうがこれに応じて裁判の「場」で白・黒を決する、
  あるいは妥協点を明らかにする仕組が
  必要不可欠でありましょう。

  現在の日本の立場から申し上げれば、
  竹島問題では、韓国は日本の提訴を受けて立ち、
  尖閣問題では、中国の提訴を日本が受けて立つ
  べきです。

⊆,法国際司法が立脚すべき国連憲章の確立も
  必要不可欠の課題です。

  国際裁判の基礎となるべき憲章が国連参加国の
  同意の下、過去の経験を踏まえ、より詳細かつ公正に
  規定され、各国に国政の指針となるよう定められる
  必要があります。

  憲章は国際情勢の変化・考え方の変化に応じて、
  参加国の総意をまとめ、改定を積み重ね、
  毎年進化したものに改められて行く必要があります。

  この憲章こそが国際裁判の判断基準となって行くのです。


謂わばこの「国際民主主義」が世界の叡智を集めても
確立できないようであれば、
日本も本格的に「自衛権」の行使を前提とした
軍隊を準備せざるを得ないではないですか!

それは日本国民の生命・財産を護る当然の行為です。

国家と国家の間に、少しでも相手国を尊敬する気持ちが
なければ、そして相手国が求めても話すらしないと言うの
であれば、「自衛」のための態勢を準備せざるを得ない
ことになります。

カネも時間もかかる軍備など、どの国にとっても無益なこと。
しかし、戦争は避けながらも、相手国に蹂躙されないよう
国民を護るためには、戦争したらただでは済ませないだけの
軍事力を背景にもっていなければ、
他国の侵略に身を委ねるままとなりかねないのですから。

腕っ節はめっぽう強いが、暴力は振るわない。「本気になると
極めて強い男」にならないと、舐められて、イビられて、
遂には蹂躙・隷属化されてしまうのです。

各国の利害で国連が機能を全うできないのであるならば、
国連と言う組織は解体すべきで、
それに代わる、個人個人で組織する巨大な世界組織を
立ち上げなければなりません。
ノーベル賞受賞者たちが始めた
「世界平和のための世界連邦運動」を徹底拡大して、
世界から国と言う概念を消去し、国を超えて、
個人個人が組織する「世界単一国家」の創設を目指す
べきなのかも知れません。

どんな国のどんな人でも、互いに相手を尊敬し、
それぞれの人権が尊重される国際組織が、
どうしても必要になってくるのでは?と思うのですが・・・・・。

  
   「 国と国では無理だから、
            人と人とで創る
                  世界の平和! 」

  
  
































  
Posted by kenken_ac at 02:02Comments(0)TrackBack(0)平和

2013年10月24日

日本の国際的喫緊の課題は、「福島第一原発の汚染水」処理問題!

小泉元総理が、
「核のゴミ処分法が定まらないのに、
原発を推進することは、あってはならぬこと」
と発言したという。

極めて当然の発言。
自民党は、原子力ムラや大企業の圧力を振り払って、
「人間の生命保持」という真実に、
一日も早く目覚めるべきだろう。

分裂して放射物質が創り出されるのなら、
融合して放射能の出ない物質に変換出来ない筈はない。
政府は、核変換による放射物質の安定化を
模索することにこそ、資金を投入し、
研究を進める体制を構築すべきであろう。


政府が注力すべき方向は、上記のとおりだが、
今すぐにやるべき喫緊の課題は、
福島第一原発の放射能汚染水の処理である。

実務処理能力が皆無と思われるほどに弱体化した
東京電力に仕事を任せるのではなく、
新たな組織を立ち上げて、
汚染水処理の専門組織を確立すべきであろう。

この組織には、東大物理学科出身者はできるだけ排除して、
京大・阪大・東北大・北大等の出身者を選定、
併せて物理学者より化学者をより多く選ぶべきだろう。
東大物理学科出身者だけでは、
原子力ムラの延長に過ぎなくなってしまうのだから。
また、核変換は物理の世界より化学の世界の方が
馴染みが深いし、権力志向も少ない。

研究者の連携には、国際社会を念頭に、
海外の叡智・知見を結集すべきだろう。
このことは、国際政治の上でも、国際批判を封ずるためにも、
問題そのものの解決の糸口をつかむためにも、
必要不可欠の対策である。決して忘れてはならない。
世界が初めて真剣に人類存続のためにする
協力の舞台となるのだから・・・・・。


そもそも核燃料棒を冷やすのに水を使うことに問題がある。
水は液体、液体は流れて、土に浸み込み、流れ出る。
その量は膨大で、止むことが無い。
制御するにも莫大な労力と費用が必要になる。

空冷式冷却装置という考えもあるそうだが、
これはこれで、放射物質の空気中への拡散という
難問がありそうだ。

とりあえずは、タンクの中に閉じ込めた汚染水の
汚染物質を固体化することが出来れば、
タンクから漏れ出したり、溢れ出して、
土や海を汚すことを防ぐことにはなる筈。

つまり、固体化させた汚染物質の塊りを取り出し、
強固な箱の中に閉じ込めて、
地中の億深くにしまい込む。
そして、最大2,000年封じ込めることにする。

こうして、時を稼ぎながら、核変換による放射物質の
安定化をもたらす方法を確立するのだ。

水中の汚染放射物質の固体化、
言い換えれば、固体物質の中に
放射物質を封じ込めるためには、
身近な方法として、天然ゼオライトの活用が考えられる。

ALPSという高度な機械があるそうだが、
故障ばかりでなかなか実効が上がらない。
ゼオライトの細かな孔の中に、
セシウムやストロンチウムを捕捉することが可能と聞く。

原子力発電により創り出される「放射性核種」は、
バリウム-137mのように3分間ほどの半減期のものから
ヨウ素-129の約160万年の半減期をようするものまで、
62核種があるという。

この62核種は、各々その半減期も様々だが、
人体に留まってその遺伝子を浸蝕するものから、
ただ身体の中を通過して体外に排出されるものまで、
また、カラダに与える医学上の支障も様々、
発生する放射線の濃度も様々のようだ。

これらの様々な核種の中で、
人間のカラダにとって影響が強く、
排除しなければならない核種を特定し、
優先的にこれを除去する方法を確定しなければならない。

放射線の強さ・防御の困難さ・生物に与える影響の
大きさ等々、きめ細かく核種ごとの特徴を整理し、
その影響を反映して、
対応すべき具体策を講ずることこそが大切。

「放医研」の動きが目立たないのはどうしたことか。
人間の身体と放射能の関係が最終的最大課題なのに?

核種によっては、医学的対応も生物学的対応も必要。
命の時間が短い昆虫や植物などの生物の身体的変化は
10年後の人間の在り様に直接的参考になる。
対策もそうした観察の中から生まれ来る。

今こそ、あらゆる分野の研究者の叡智を結集して、
事に当たることが不可欠だ。
縄張りにこだわっている場合ではない。

各々の核種に対する対応の仕方も異なるだろう。
核種別に最適な対策を整理・実行しなければならない。
出来る対策から実行するのだ。
スピードの問題なのだから・・・・・・・。


より孔が小さく、その数が多量な人工ゼオライトもあるという。
天然ゼオライトの千倍・万倍の放射物質捕捉力のある
人工ゼオライトを創作する方が、
資金と時間がかかるALPSの完成を待つより簡単で速そうだ。
まして、凍結防護壁などにカネと時間を掛けるよりマシでは?

多核種を捕捉するにはALPSが不可欠という議論もあろうが、
それなら同時並行して進めればよい。

まずは、汚染水のタンクの中に天然ゼオライトを放り込んで、
放射物質の捕捉期間(10日?)置いて、
ゼオライトを取り出し、残ったタンクの水の汚染度を
計測して見ればよい。

効果があるなら、より効率的人工ゼオライトづくりに活かせばよい。
これで、放射物質にまみれたままの水が溢れたり、
漏れ出たりする状態から、
一歩「under controle」に近づくことになる。

土中の放射物質の汚染処理にも同じことが言える。
土とか砂とかは、なかなか人間の手には負えない。
ゼオライトの小さな塊りを土中に撒き、それをフルイに掛けて、
残った土砂を検査してみたら良い。

土にしろ水にしろ、放射物質を捕捉した物質が固体なら、
処理の仕方はいろいろある筈だ。

この作業を完璧にやりぬくロボットの登場は、
作業員の安全確保の観点から
最優先の研究課題の一つである。
全自動運転自動車の実現がそこまで来ているのだから、
放射物質除去ロボットの開発が出来ない筈はない。


国際社会の重要な一員である我が国が、
世界の期待を裏切って、この処理に失敗し、
世界の笑いモノにならないことを、
心からただ祈るばかりだ・・・・・・・・・。





















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Posted by kenken_ac at 20:20Comments(0)TrackBack(0)放射能

2013年08月26日

アベノミクス効果が雇用・所得増に及ばない今、消費増税を是たらしめるためには?

安倍総理が華々しく打ち出した「大胆な金融緩和」政策は、
世界の経済通の耳目を集めただけでなく、金融筋の大方の
賛同をも得ることとなりました。

結果、同志社大学教授の浜矩子氏を中心とする「1ドル50円」
という超円高説が散見されていた外為相場は、
「1ドル100円」がらみにとりあえず修正されました。

これにより、自動車・電機を中心とする輸出産業は「完全消滅」
の危機をかろうじて脱することができたのです。

リーマンショック(2008.9.15)を因とする欧米の未曾有の金融緩和は、
リーマン事件には全く無関係であった日本に、激烈な円高ショックを
もたらすこととなったのです。

言われない世界経済の変動をまともに受けたまま、適切な手
を打てずにいた自民党政権は倒壊し、民主党政権となります。
しかし、2009年9月から2012年末まで続いた民主党政権は、
世界経済に大嵐が吹き捲る中、嵐に身を任せ、何らの具体策
も講じないまま、白川前日銀総裁のなすに任せ、
このとんでもない円高相場を丸3年も続けてしまったのです。

いかに東日本大震災という不測の事態が生じたとは言え、
何の外為改善対策も打たず、対ドル対策にも活用でき、対米
親和対策にも活用できたはずの「東日本復興資金」10兆円を
無駄に国内で使ってしまったのです。

この復興事業のかなりの部分を米国やフランスの原子力企業
に任せていれば、円をドルやユーロ買いに使えて、円安を誘導
することもできたはずなのです。外国の企業に任せても、復興
事業そのものは日本で行う事業であり、日本企業・日本人を
活用しなければ、成し得ない性格の事業なのですから。
復興事業の進展も図れたし、円高是正にも役立てられたはず
なのです。

時とやり方を失した民主党政権の繰り言を言っても始まりま
せん。
従来相場に近い円相場に修正された今は、アベノミクスの
「第一の矢」である黒田金融緩和政策を素直に喜ぶべきで
あろうと思います。

しかし、日本経済の現状は未だ未だ、民主政権のあの無策に
よる壊滅の危機を脱する暁光が見えたに過ぎません。

安倍政権下では未だ、雇用は拡大していませんし、所得増
どころかむしろ減少が続いています。
「二本目の矢」も「三本目の矢」も未だ何も具体化はされていま
せんし、そんな中で物価上昇は先行しているし、
保険料・税・電気料金値上げの話ばかりが先行しており、
国民生活の破綻説や生活保護者の増加説
更には高額所得者にはびこる不公平感
加えて消費増税強行論など、国民にとっては先行きの不安感
ばかりが醸成されているように思われてなりません。

けれど、日本経済の今の立ち位置をよく考えてみれば、
「丸焼けの火事場」や「津波の海中」から救い出されたばかり
の被災者に等しい情況に置かれているのです。

我が国のこの立ち位置を謙虚に踏まえて、どうすれば良いのか
アイデアを提示するのが、日本の経済を司る学者や評論家や
役人が取るべき態度でなければならないのに、批判や歪曲的な
指摘ばかりが目につくのはどういうことなのでしょうか?

リーマンショックで荒れる国際経済の真っただ中、何もせずに過ごした
日本経済を立て直すには、未だ時間を要する大仕事なのです。
安倍政権にはもう少し猶予を与えるべきでしょう。

それでは多くの学者や評論家が指摘する問題点について、
その解決の方向について私見を述べさせていただきます。

 峺柩兪」
  前回、このブログで提案させていただきましたが、
  大企業頼りの雇用増だけでなく、個人や中小企業にも新たな
  「労働の場」の創造を誘導する
  支援策(資金・金融・税制・規制等)が重要です。
  これは「勤労の権利」を保証する国家の責務なのです。
  特に、新しい「個人事業の創造」が雇用安定の鍵と思われます。

◆崕蠧請」
  ,痢峺柩兪」が大前提で、その上で労働力の「質」の高度化
  が不可欠。アイスボックスの中で寝て見せるような劣悪な「質」の
  労働であれば、誰がそんな質の悪い労働者を雇う気になる
  でしょうか?
  企業は、従順にして能力(知識と応用力)の高い信頼できる
  労働力であれば、高い賃金であっても雇用するし、個人でも
  自力で新しい事業を生み出してより大きな所得を確保して行く
  ことができます。
  むしろ、このような個人の事業化が次々と出現してくるような
  社会になることが望ましい社会と言えましょう。
  政府としては、この「労働の質」のブラッシュアップをどう支援
  できるかが課題となるのではないかと思います。
  質のよい労働ならば世界の労働マーケットも黙っている
  はずはありません。
  所得の向上は、「労働の質」如何によるものなのですから。

「第二の矢(機動的な財政政策)」
  「日本経済再生に向けた緊急経済対策」(2013.1.11)という
  閣議決定が発表されており、この中の「機動的な経済財政運営」
  と題する項目に、その決意は述べられていますが、具体策は
  提示されていません。今後の課題と言うことなのでしょう。
  問題は、この中でも指摘していますが、「財政健全化」と
  「金融緩和」および「為替市場の動向」であるとされています。
  「金融緩和」は一応世界の大方の理解は得られたと思われますが、
  「財政健全化」がその理解の担保になっているように思われます。
  その「財政健全化」の裏打ちが「消費増税」となっています。
  しかし、景気動向を無視した消費増税は、景気の腰折れ、
  ひいては国民生活の破綻につながりかねません。
  もし、この財政健全化が進まない事態になりますと、国債の暴落に
  つながり、「金利の暴騰」につながります。
  まさに、「孝ならんとせば忠ならず、忠ならんとせば孝ならず」という
  状況なのです。
  この苦衷の難題を解決するには、
  まず財政のムダ使いを徹底排除することが不可避の課題です。
  ムダ削除により財政の健全化が目に見えて前進するようで
  あれば、景気の腰折れや国民生活破綻の心配がある「消費増税」
  を遅らせることが可能になります。
  しかし、ムダ削除が関係団体等の抵抗で出来ないとなると、
  国民生活破綻に気配りした形で消費増税を断行することしか
  ないのではと思うのです。
  国民生活への影響に気配りするということは、食糧品、家賃、
  水道・光熱費等の生活に密接に関連する支出項目のコストそのもの
  の引き下げを図るか、それが無理ならこれらについては消費増税の
  対象外とするか軽減税率を設定するかということです。
  食料品については、今まさにTPPの審議が進行中ですが、
  死守しようとしている主要5品目の関税を撤廃すれば、食料品のコスト
  を大幅に引き下げられるので、消費者負担の軽減に直結します。
  農家の救済は、外国産品の低コストに対抗できるように、
  農業の経営基盤徹底強化(強い農業基盤づくり)の支援を充実する
  ことで対応するのが本筋と思います。
  食糧自給率確保の題目の下、消費者の負担(高い関税率)で、
  輸入食料品の消費者価格を高くして、
  農家を救済するという考え方は、
  自給率確保につながるものではなく、
  結局は将来の日本のためにはならないと思います。
  家賃、水道・光熱費については、消費増税の対象外とすることで、
  国民生活の保護を全うすべきでしょう。
  特に、光熱費については、原発事故に因る料金アップもあります
  ので、そのために上昇した電気料金の分にまで
  消費税の負担増を消費者に求めるのは如何なものでしょうか。
  これではまるで、原発の責任は政府には全く無く、
  消費者の責任であるようなことになってしまうではありませんか。
  消費税を転嫁できない下請け的中小企業対策としては、
  昔のように売上高3,000万円までの消費税申告義務免除制度を検討
  すべきではないかと思います。

ぁ峪伊槎椶量陝(成長戦略第3弾スピーチ)
  このスピーチは安倍総理がH25.6.5日に「内外情勢調査会」で
  行ったスーピチです。
  残念ながら具体的実効プランは未だ示されておりませんが、
  スピーチの中から浮かび上がる基本的スタンスは次のようなものです。
  A.自立自助を基本に、民間力を軸にし「頑張った人が報われる」
    資本主義の原点に立ち戻った経済環境を実現する。
    そのために自由な経済活動を妨げるあらゆる規制を見直し、
    大胆な規制改革を断行する。
    「インターネットによる一般医薬品の販売解禁」とか「インターネット選挙」
    は、すでに実効に移した。
  B.ITのもつ経済成長可能性の解禁
  C.健康食品・農産物の機能性表示規制の解禁
  D.先進医療の保険外併用の範囲拡大
  E.農地集積バンクの設立
  F.国家戦略の実験場としての「構造改革特区」の拡大
  G.民業を圧迫する「官業」の大胆な開放
  H.電力システムの改革と多様なエネルギービジネスの展開
  I. 新たな健康長寿産業の創造
  J .インフラ諸設備の整備事業へのPPP(Public-Private Partnership)
    やPFI(Private Finance Initiative)の積極活用
  いずれも当を得た戦略ですが、内容の整理をして、特に経済成長、
  雇用拡大に貢献度の大きい政策からスピード感をもって順次具体化
  をして欲しいものです。

「三本目の矢」の最大の目玉である「規制改革案」と国民生活に
配慮した「消費増税案」およびムダな財政支出の削減策の提示の
三つが、アベノミクス成功への喫緊の課題と思われます。
この三っつの具体案が国民および世界に示されれば、
国民の不安感も国際経済界の心配も、遠のくのではないかと思います。

そして、保険料や税金の安易な値上げは絶対に避けるべきです。
国民の大層を占める中間層・高額所得者の気力を削いでしまっては、
何のための政治なのかということになります。
安易な値上げに走る前に、諸制度の見直しを徹底して納得が得られる
ものにすることの方が先です。
例えば、健康保険料値上げの前に、健康保険制度そのものの見直し
を徹底し、毎年1兆円の支出増が無くなるような制度設計が
求められます。最低受診料(1回500円)の窓口支払制度など。
懸命に働いても、その稼ぎの大半が保険料や税で徴収されることに
なると、彼等の意欲を大きく削ぐことになってしまいます。

次に、狡猾にして非効率極まりない官僚機構の抜本的改革が、
「三本目の矢」の最重要課題の一つです。改革の要諦は二つです。
―蝶笋蟾埓を徹底排除
地方団体の統合と中央省庁の権限の移譲

,痢崕蝶笋蟾埓」には、行政間の隙間が多く、
その隙間を巡る「縄張り争い」が多発しています。
新しい提案や急ぎの事業が遅々として進展しない原因となっています。
この問題点を解決するには、「省庁の集約化」と
問題ごとに立ち上げるプロジェクト組織の権限を縦割り組織の権限の
上位に位置づけることの二つが重要です。
特に震災復興事業などはプロジェクト中心行政の展開が必要不可欠な
典型的事例でしょう。
すべての省庁がプロジェクトの指揮下に編入されるのです。

△涼羆省庁の権限移譲については、「維新の会」や「みんなの党」が
主張しているとおりです。
あまりに細かい事まで、中央の権限が錯綜する仕組は、
中央と地方間に多大なムダと手間を産む結果となっており、
国民のための行政の妨げにになっているのです。
中央は地方行政の検査権限をもち、総合的見知から地方行政の監督
をする仕組にすべきでしょう。

きっと大変な抵抗があるでしょうが、安倍政権でなければ
やり遂げられないであろう大改革、明治以来の大掃除です。
安倍総理の強い決断と信念に期待したいものです。

アベノミクスが言う「持続的成長を実現する4っつの循環」に、
景気拡大の観点から、是非「交際費の損金算入」を解禁すべき
であろうと思うのですが・・・。

企業業績改善→投資拡大→雇用・所得の増加→消費の拡大
→企業業績の拡大
この循環の「消費の拡大」の前に、「交際費の損金算入」を入れる
べきという考えです。


最後に、本題から外れますが、東電の「放射物質漏れ」の問題に
触れて置きたいと思います。
東電の隠蔽振りと杜撰な仕事振りが世界中に流れてしまい、
国際的に批判の的となりつつあります。
早急なる「東電の解体」と「政府の全面的主導体制」の確立が、
国際的見地から必要不可欠の緊急課題となってきました。
政府が前面に出て、外国の専門業者にも依頼して、
世界中の監視下で一挙に確実なる改善を行わなければ、
日本の国際的信用が失墜してしまう懸念があります。
そうなると、アベノミクスどころではなくなってしまうのですから・・・・・・・。

一方で、放射能やCO2等のない新しいクリーンエネルギーの開発に
全力を尽くし、世界に貢献をすることで、原発事故についての
日本の「お詫び」の気持ちを世界に発信すべきではと思うのです。
それには、「海」が重要な資源となります。
潮力発電は日本の造船会社の最先端技術を結集すれば、
近未来の実用化も夢ではないものと思われます。
また、「海水」を重水素やマグネシウムを多量に含む重要資源ととらえ、
「海水」そのものを原材料とするエネルギー発生装置を発明する等、
日本の研究力・技術力・資源力が世界に貢献できる
可能性は極めて大きいものがあります。

世界平和を願う日本ならではの道を切り開いて行く覚悟と決意こそが、
日本を「世界の宝」と言わしめ、
日本国民に豊かな未来をもたらす原動力となるのだと言うことを、
我々国民の一人一人が肝に銘ずべきなのでしょう・・・・・・・。


















 
 


























  
Posted by kenken_ac at 01:10Comments(0)TrackBack(0)日本の今

2013年07月31日

憲法改正の前に、憲法27条の「勤労の義務」を全国民が全うできるよう、政府はその責任を果すべし!!

日本国憲法は、第27条第1項において、
国民に「勤労の権利と義務」を規定している。
国民は年齢・男女の別を問わず、
「働く場」を確保する権利を有するとともに、
「働く」義務を負っているのである。

実際のところ、全国民に「働く場」が確保され、
全国民がその能力の範囲で「働く」義務を
果たしていれば、国民所得は増大し、
救済的福祉のための国民支出も
少なくて済むはずである。
結果として、国の財政支出は安定する筈なのだ。

ところが現実は、失業率約4%といわれているが、
潜在失業者469万人を加えると、実質的失業率は
約11%となっているとのことである。
特に高齢者の就業率は極めて低く、
未だ元気で働く能力がある(未だ働く義務がある)
65〜69歳の就労率は36%であり、
およそ2/3の者が働きたくとも働けないでいるというのだ。

政府は、国家の責任として、この実質的失業者
約750万人に国民として「働く権利」を全うできる
「働く場」を提供しなければならないことになる。
国民にその義務の履行を求める前に、
政府は「国民に対する責任」を果たさねばならない。

これらの失業者はやがて、負担を背負わないで諸々の
給付(年金給付・医療給付・失業手当・生活保護給付等々)
のみを受ける層となって行き、
国家財政を締め付けることになる。

この現況下、政府はひたすら給付・救済をしていれば
済む話なのだろうか?
すべての働ける人々に「働ける場」を提供することこそは、
政府が全うすべき憲法上の国家の責務である。
現状では政府は、憲法違反を平然と見過ごしている。

前の菅政権では、総理が「雇用・雇用そして雇用!」と
言っていたが、何ら実効ある政策は提供できなかった。
そのうち忘れたように何も言わなくなってしまった。

安倍総理は今、景気を回復し、企業が雇用を増やせる
環境をつくることこそが、「雇用増大対策」であると、
金融緩和を行い、特に大企業の優遇税制・特権供与・
補助金等々矢継ぎ早に対策を展開しようとしている。

安倍政権は菅政権より、具体的に雇用拡大に手を
打っており、菅総理のような「言うだけ」ではないが、
経済のグローバル化や国際経済指標の変化や
業務の効率化・合理化が進んだ今日にあっては、
大企業中心の対策による雇用拡大策だけでは、
全国民に「働く場」を提供して行くことは不可能なのである。

何故なら特に大企業にあっては、
国際的経済指標に縛られて企業収益の極大化
(=株価総額主義)に追い回され、
かつての長期的視野に立った雇用戦略などは
完全に破棄し、収益率向上の観点から効率性のみを求め、
従業員を単なる駒のように扱い、
人を育てる観点を見失っている。
その分、社員に対する扱い方に優しさが無く、
雇用の不安定性は年々その度合いを増している。

その風潮は、次のような形で現れている。
‐しでもコストを削減すべく、工場や拠点を立てるなら、
  建設費も人件費も安く済む海外に進出すればよい。
機械化やIT化が進めば進むほど、
  事務処理や決算業務ひいては営業・営業管理
  の人材は少数で済ませ、
  検査や企画担当だけで業務を回そうとする。
Mイ譴榛睫撹門が揃っていればよく、
  出来上った企業や成長中の有力企業を
  買収または合併してしまえばよい。
し佝颪梁臍悗鮴蠅瓩訖遊鑒颪蓮
  希望退職や転籍を活用して、極力減らすべし。

大企業の置かれたこのような現状を考えると、
大企業優先の施策を講じて、一時的に雇用増大や
雇用の安定に改善が見られたとしても、
長期的にはこれに逆行してしまうのではなかろうか?
国際経済指標を変えさせるか、我が国はこれを無視するか
しなければ、この流れは止められない。

では政府はどうすれば、
すべての国民に「働く場」を提供できるのか?

国民の「働く場」は、大企業による「雇用」だけではない。
個人事業もあれば小規模企業も組合もある。
小説を書くのも、子守をするのも、歌うのも、絵を描くのも
仕事として確立すれば、「働く場」となる。
つまり、「働く場」の創出である。
松下幸之助さんや本田宗一郎さんやジュンコ・コシノさんなど
個人が事業を起業して、世界的大企業に育てた。
今一番求められるのは、このような起業の環境整備
(「働く場」づくりの環境)である。

政府のやるべきことは、こうした業を事業として
起業することに金銭を含めて
制度的支援(後押し)をすることである。
個人や中・小企業が大企業の下請け化される
ことを規制(取引の公正・透明化)したり、
税制特権や特区的環境提供等の措置を講ずるならば、
全就労可能者の90%を占める個人や中・小企業が
創り出す「勤労の場」は、
無限と言って過言でないほど拡がって行くものと思われる。

政府は、あらゆる規制を徹底的に見直して、
雨後のタケノコのように新しい事業・商品・市場を
創設して行く先頭に立つのである。

こうして登場する新しい制度や市場が
大企業や外国企業に買収されたり、
真似されたりしないよう、セフティーガードを整備
することも政府の大切な仕事であり、
こうした対策こそが新たな大企業を創出する源泉となって
行くことであろう。

個人・中小企業の「業を起こし、業を護る」制度的対策、
規制解除の改革、公営事業の民営化等矢継ぎ早に講じて
行くことが、「働く場」を国民に提供する「国家の義務」を
履行するための残された数少ない対策と言えよう。

この場合、政府は大企業に「勤労の場」創出の手伝いを
させることも忘れてはならない視点で、
協力した企業には法的メリットを与える等の
大企業をも巻きこむ対策も必要である。

菅政権のような、補償と給付の提供ばかりでは、国家として
国民に「勤労の権利」を保証したことにはならない。
「働く場」を提供することこそが、
「国家の責任」であることを
政治家も官僚も肝に銘じて理解して欲しいもの。

就労可能者のすべてに「働く場」が用意され、
それなりの勤労収入(最低賃金の引き上げが前提になる。)
が得られるようになれば、
おのずと消費も拡大し税収もアップし、
財政の健全化も進展することになる。

日本中に「働く場」が溢れるようになれば、
労働市場はタイトになり、
大企業の雇用の確保もままならなくなってくる。
そうなると、大企業の労働者の雇用の安定性も増し、
質の高い雇用環境が整備されることになる。

大企業の雇用の拡大ばかり追うのでなく、
個人・中小企業の「働く場」づくり対策こそが、
アベノミクス成功の「鍵」となるのかも知れない・・・・・・・・・・。



























  
Posted by kenken_ac at 23:45Comments(0)TrackBack(0)政府の責任

2013年07月24日

第23回参議院選挙の結果から、現行の選挙制度は真に民意を反映している制度と言えるのだろうか?

第23回参議院選挙は、政権政党の自公の圧勝に終わった。
一方で、二つの某弁護士グループから「違憲訴訟」が
提起されるとのことである。

日本国憲法では、第42条にて「国会は衆議院と参議院で
構成される」と規定し、同条第2項で、「議員の定数は法律で
定める」としている。
第47条では、「選挙区・投票の方法その他両議院の議員選挙
に関する事項は法律で定める」としている。

この選挙区や投票方法が民意の反映からかけ離れていて、
「違憲」であると各地の高裁判決が出て、
大騒ぎになったことは先の衆議院選挙を受けての話である。

最高裁にあっても、現行の選挙制度そのものが民意を反映
できかねる制度となっており、「違憲」状態にあると
強く認識しているところである。

こうした現状を踏まえた上で、今回の参議院選挙の結果を
以下に検証してみたい。
この選挙結果を詳細に見て行く中で、大きな疑問が生じた
からである。


今回の選挙区選挙で最低の獲得投票数で当選した方は、
まことに失礼であるが、山梨県の「森屋宏」氏(自民・新人)
で、その票数は142,529票である。

この獲得票数を基準に、他の選挙区でこの票数を上回り
ながら、落選した方が方々は何人いるのだろうか?
という疑問が検証のキッカケとなったのである。

大票田を抱える東京都選挙区とその状況を比較してみた。
東京都は当選予定数は5名。
立候補者多数の中、落選したが142,529票を上回る票数
を獲得した方々は、以下の4名。
 第6位・・・「鈴木寛」(民・現)→552,714票
 第7位・・・「小倉淳」(維・新)→413,637票
 第8位・・・「桐嶋ローランド」(みんな・新)→320,287票
 第9位・・・「大河原雅子」(無・現)→236,953票

以上の4名は、選挙区の大きさが異なるとは言え、
日本国民23万〜55万名の方々に支持されながら
議員になれないのに、14万名の支持しか得られてない
「森屋」氏は議員になってしまうのである。

国民の1票の価値を同じものとするなら、東京都選挙区の
当選予定者数を9名に拡大すべきなのである。
それでも、都民の1票の重みは、山梨県民の1票の重みの60%
しかないのである。
実際の東京都選挙区の最下位当選者の得票数は、
第5位・・・「武見敬三」氏(自・現)の612,388票であるから、
142,529票/612,388票=約23%である。
つまり、都民の票の価値は山梨県民の23%の重みしか
ないことになる。

国政選挙はすべからくこのような矛盾を抱えているのである。

こんなことは以前からとうに解っていたことであり、国会で
この歪みを一日も早く是正しようとする動きがなかったことは、
そのこと自体が「違憲」行為であり、国会議員としての
「職務怠慢」の謗りを免れない。
彼らの「被選挙権」を永久に剥奪すべきほどの
国民をバカにした「怠慢」である。
三権分立と称するなら、そのくらいの「強権」を司法に期待
してはいけないのだろうか?無理なのだろうか?

そこで、142,529票を上回る得票を得ながら落選した者が
全選挙区でどのくらいおられるのか、
拾い上げてみた結果が以下のとおりである。

 北海道・・第3位「浅野貴博」(大・新)→約35万票
 岩手・・・・第2位「田中真一」(自・新)→約16万
 宮城・・・・第3位「岡崎トミ子」(民・現)→約21万
 秋田・・・・第2位「松浦大悟」(民・現)→約19万
 山形・・・・第2位「舟山泰江」(みどり・現)→約25万
 福島・・・・第2位「金子恵美」(民・現)→約24万

 茨城・・・・第3位「石原順子」(みんな・新)→約15万
 栃木・・・・第2位「沖智美」(みんな・新)→約20万
       第3位「谷博之」(民・現)→約15万
 埼玉・・・・第4位「山根隆治」(民・現)→約39万
       第5位「伊藤岳」(共・新)→約35万
 千葉・・・・第4位「寺田昌弘」(みんな・新)→約28万
       第5位「寺尾賢」(共・新)→約23万
       第6位「花崎広毅」(維・新)→ 約18万名
       第7位「太田和美」(生・新)→約14.8万
 神奈川・・第5位「畑山君江」(共・元)→約44万
       第6位「水戸将史」(維・新)→約24万
 東京・・・・第6位「鈴木寛」(民・現)→約55万
       第7位「小倉淳」(維・新)→約41万
       第8位「桐嶋ローランド」(みんな・新)→約32万
       第9位「大河原雅子」(無・現)→約23万
 新潟・・・・第3位「森裕子」(生・現)→約16万

 長野・・・・第3位「唐沢千晶」(共・新)→約15万
 岐阜・・・・第2位「吉田理江」(民・新)→約21万
 静岡・・・・第3位「鈴木唯記子」(みんな・新)→約18万
 愛知・・・・第4位「本村伸子」(共・新)→約27万
       第5位「近藤浩」(維・新)→約26万
       第6位「宇田幸生」(諸・新)→約15万
 三重・・・・第2位「高橋千秋」(民・現)→約31万

 滋賀・・・・第2位「徳永久志」(民・現)→約16万
 京都・・・・第3位「北神圭朗」(民・新)→約20万
       第4位「山内成介」(維・新)→約16万
 大阪・・・・第5位「梅村聡」(民・現)→約33万
       第6位「安座間肇」(みんな・新)→約15万
 兵庫・・・・第3位「辻康弘」(民・現)→約33万
       第4位「金田峰生」(共・新)→約22万
       第5位「下村英理子」(みんな・新)→約17万

 岡山・・・・第2位「高井崇志」(無・新)→約18万
 広島・・・・第3位「灰岡香奈」(維・新)→約17万

 福岡・・・・第3位「吉田俊之」(維・新)→約22万
       第4位「真島省三」(共・新)→約20万
       第5位「古賀輝生」(みんな・新)→約17万
 長崎・・・・第2位「大久保潔重」(民・現)→約18万
 熊本・・・・第2位「松野信夫」(民・現)→約22万
 沖縄・・・・第2位「安里政晃」(自・新)→約26万

以上28都道府県、43名の方々が、142,529票を
上回りながら、落選となったのである。

この43名の方々を皆当選とし、その分一人当たりの
政党助成金を減額すれば、経費は同じでより多数の
「考え方」を国会に反映できることになる。

もし、そうなると、「大地」は議席を獲得し、「みどり」も
1議席を得て党の解散を免れたであろう。
「生活」も2名当選で僅かながらも面目を保てたであろう。
自民が+2名、民主は+13名となり細野幹事長の辞任は
回避できたであろう。
みんな+7名、共産+6名、維新+5名となり、各党の全体に
占めるウェイトが変わって来る。

一方、比例代表の当選者は各党の総得票を按分する
形で、当選者が決められるが、中には自分名の票数は
選挙区当選者の最少得票数にも及ばない方でも、
党の人気や考え方で当選してしまう方も出て来てしまう。

このような方は、党と見解が異なる案件であっても、
党の指令に従わざるを得なくなり、複雑かつ重要な案件
ほど自己の意志を殺して賛意を示さざるを得なくなる。

このような「しがらみ」を背負った方が、果たして憲法に
言う「国民を代表する者」と言えるのであろうか?

このような危惧を払拭するために、
広い戦場を与えられているのであるから、
比例代表の当選資格要件に、選挙区最少得票当選者の
得票数(今回は142,529票)を超えて自分名の票を確保
しなければならないという条件を加えるべきではないか。

この条件を付ければ、何故こんな人が当選するのか疑問
と思われる方を排除することもできよう。
民主党政権時や小泉政権時にも見られた問題の回避にも
なるのでは。

今回の比例代表の結果を、この案の142,529票に
充てはめると、次のようになる。
 
 自民党・・・・当選者数18名→15名
       落選 → 渡辺美樹 104,175票
            木村義雄  98,979票
             太田房江 77,173票
 民主党・・・・当選者数 7名→ 7名
 公明党・・・・当選者数 7名→ 6名
       落選 → 新妻秀規 26,044票
 みんな党・・当選者数4名→ 0名
        落選 → 川田龍平 117,389票
             山口和之 75,000票
          渡辺美知太郎 50,253票
             井上義之 47,756票
 共産党・・・・当選者数 5名→0名
       落選 → 小池晃  134,325票
             山下好生129,149票
             紙 智子  68,729票
             井上哲士 50,874票
             仁比聡平 39,768票
 維新党・・・・当選者数 6名→ 2名
       落選 → 儀間光夫 40,484票
             藤巻健史 33,237票
             中野正志 32,926票
             室井邦彦 32,107票
 社民党・・・・当選者数 1名→ 1名
 緑の党・・・・当選者数 0名→ 1名
       当選 → 三宅洋平 176,970票
  (注)三宅洋平氏は比例代表には党の得票数が
     全党中最下位のため当選できなかったが、
     ご自身の得票数は142,529票をはるかに超えている。
     これは画期的であり、大いに評価に値する。

以上合計すると、現在の当選者数は48名であるが、
最少得票数の条件を付すると32名になり、16名が
落選となる。

前記の選挙区当選者のプラス43名と比例区の
マイナス16名を合算すると、今回の選挙でも前述の
条件を付するだけで、僅か合計27名の増員により、
国民の意志を十分に反映した選挙とすることが
できるのである。

この結果を各党派の勢力状況に修正してみると、
以下のとおり、かなり様相が違ったものとなる。

       実際の当選者数  修正後の当選者数

自民党   65名(53.7%)     64名(43.2%)
民主党   17名(14.0%)     31名(20.9%)
みんな    8名( 6.6%)     12名( 8.1%)
公明党   11名( 9.1%)     10名( 6.7%)
共産党    8名( 6.6%)      9名( 6.1%)
維新党    8名( 6.6%)     10名( 6.7%)
生活党    0名( 0.0%)      2名( 1.3%)
社民党    1名( 0.8%)      1名( 0.7%)
大地党    0名( 0.0%)      1名( 0.7%)
緑の党    0名( 0.0%)      1名( 0.7%)
諸派      1名( 0.8%)      2名( 1.3%)
無所属 2名( 1.7%)      4名( 2.7%)

このような修正をしたとすると、自民党の占有率は
43.2%となり、過半数を割ることになる。
改憲勢力の「みんな」と「維新」を加えても58%であり、
公明党を加えないと2/3を超えない。
実際の現実の当選者数からすると、「みんな」と「維新」
を加えれば、「改憲」発議は可能なのだ。

結果として、国の形が変わるほどの重要な議案(例えば
「改憲」)に極めて強い影響をもたらす選挙制度が、
本当に民意を反映したものになっていると言えるのか?

特に、選挙区選挙において、60%弱の「死に票」(最少
当選者の得票を上回るのに落選するという
民意の切り捨て)が発生していることそのものが「違憲」
として問題になっているのは納得できるところである。

それ故にこそ、現行選挙制度を「合憲」として、現在の
選挙結果を容認してよいものなのか?
強い疑問が残る問題と言わざるを得ない。








      
       
 

 

















  
Posted by kenken_ac at 21:42Comments(0)TrackBack(0)日本の今

2013年06月28日

憲法改正の前に、国家と国民の関係(その権利と義務)をどう整理すればよいのか?

私は昭和17年、日本が第二次世界大戦に突入した翌年に
生まれた。既に父親も私たち母子も、外地での生活で、
父はほとんど家には居なかったという。
やがてすぐ父親とは離別せざるを得ず、私たち母子が死線を
超えて日本に帰国したのは、昭和20年の終戦を過ぎてからであった。
そして父は遂に帰らぬ人となってしまった。
私は父を知らぬまま、生活に苦闘する母を庇いながら、寂しく厳しい
幼少期を過ごした。戦争が父を私から奪い去ったのである。

この戦争は、我が日本を地獄に陥れた。
当時の人口約7,000万人の約4.5%の300万人を超える人々が
この戦争の直接的犠牲者となった。
当時の日本は大家族であり、一世帯平均5〜8人家族であったと考えると、
約25%〜30%の世帯がこの戦争で家族の誰かを失ったことになる。
軍人は元より、一般国民の多くが戦争の犠牲になり、路頭に迷ったのだ。

この戦争は、日本の有史以来最大の惨禍であった。
一昨年の東日本大震災の被災死亡者約3万人の100倍である。

敗戦の約15ケ月後の昭和21年11月3日、敗戦の反省を踏まえた
新日本国憲法が世界平和を世界に宣言する世界でも数少ない
憲法として公布され、
これは「文化の日」として広く国民に記念された。

この憲法が、この戦争にかかる強い反省に立脚し、国民主権に基づく
国民主権擁護の精神で、全文貫かれていることは、日本国として至極当然
の成り行きであり、決して占領軍の強制によるものと考えてはならない。

戦前の国家主権に立脚する憲法が、終戦宣言の遅れを生み、
東京大空襲を初めとする数々の死ぬ必要の無いはずの戦争死亡者
を生み出し、とりわけ沖縄戦にあっては、
一般人を含めその死者数は15万人を超えたという。
国家主権主義はまた、原子爆弾の投下による10万人を超える
救われたはずの命を失わしめ、
玉音放送阻止事件に明らかな「天皇の決断」の阻止すら仕掛けるという
軍部の不敬行為をもたらすことに繋がった。
たとえ「天皇の決断」といは言え、
それを阻止することこそが国家のためとの屁理屈が暴挙の基である。

この戦争と国家主権憲法の弊害についての反省は、
新日本国憲法の前文に幾重にも重ねて強く主張されているところ。

前文に秘められた現日本国憲法の根本精神を前文のセンテンスごとに
以下のとおり振り返ってみる。

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
 われらとわれらの子孫ために、諸国民との協和による成果と、わが国
 全土にわたって自由のもたらす惠沢を確保し、政府の行為によって
 戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が
 国民にあることを宣言し、この憲法を確定する。」

現憲法前文のこの一文は、次の5つを明言している。
‘本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する。
日本国民は、自分たちのために、諸外国と仲良く敬意をもって付き合い、
C楼茲砲靴个蕕譴襪海箸覆、「何人にも強制されない自己の自由な意志」
  によってもたらされる自由の恵みを満喫する。
て本国民は、「政府」の行為によって再び戦争の惨禍が起こること
  のないようにすることを決意し、
ゼ膰△蝋餡(政府)にではなく、国民にあることを宣言する。

では現憲法の現状は、この前文のとおり運用されているだろうか?
,砲弔い董
  代表者たる国会議員は、はたして正当に選挙されているのだろうか?
  最高裁が現行選挙を「違憲」と判定しているのに、あたかも合憲と認め
  られているが如きに活動しているのだが・・・・・・・・。
  また、今の選挙で当選する国会議員は、
  果して本当にすべての人が国民の代表者と言える良識を備えていると
  言い切れるのか・・・・・はなはだ疑問である。
△砲弔い董
  われら国民一人一人が、本当に他国の国民をその立場に立って理解し、
  思いやり、尊敬し合っていると言えるだろうか?
  政府・行政・マスコミを含めそのような世論誘導が出来ていると言えるのか?
について。
  あらゆる場面で、国民一人一人の自由が完全に確保されている
  と言えようか?
  自分の自由と同等に他人の自由を侵害しないという
  責任が全うされないと、結局は自分の自由が完全に確保される
  ことにはならない。
  多くの理不尽な殺人や「いじめ」が横行する中、
 他人の自由を護る責任について、
  一人一人が自覚し、それを踏みにじる者に対する厳しい罰則を用意する
  必要があるように思われる。
い砲弔い董
  二度と戦争による惨禍を引き起こさないと誓っているが、
  現実の国際関係の中で、特に政府において寸分も戦争の危険のない
  国際関係を保持していると言い切れるだろうか?
  前文の中で、特に「政府の行為によって」とことわっているように、
  政府の責任は極めて重いといわざるを得ない。
  世界の国際平和維持機構(国際連合)が純粋に公平・公正な組織として
  機能していると言えるのだろうか?
  今問題となっている尖閣・竹島・北方領土についても、
  国際司法制度は機能不全で、
  結局は武力による支配を余儀なくされている。
  国家間の紛争処理に当たっても、国連は機能せず、
  常任理事国の拒否権という極めて公正性を欠く仕組は、
  やがて戦後70年になろうとするに何らの改善もみられない。
  核爆弾を保有する国だけで構成する常任理事国が
  国連の最終意志を決定するという仕組では、
  世界平和の実現は単なる絵空事といわれても仕方ないであろう。
  国際的発言力を求めて、北朝鮮のように無理やりにでも核を持つ
  国が出現するを誰も止められないでいるのだ。

  二度と戦争はしないことを誓い、国是として世界に宣言した日本こそが、
  世界平和のための組織構築に率先したリーダーシップが
  求められるのではなかろうか!
  日本は果して、日本にこそ期待されるこの役割に、
  真正面から向きあって努力してきたと言い切れるのだろうか??

  日本国憲法前文においては、世界平和の追求について、
  次のように繰り返し強く念を押している。
  現政府は、特にこの前文を詳細に噛みしめる必要があるとともに
  この前文が世界の恒久平和にかかる日本の役割を広く世界に向かって
  宣言したものであることを自覚しなければならない。

  「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する
  崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と
  信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
  われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と辺境を地上から永遠に
  除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと
  思う。われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
  平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
  われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視して
  はならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
  この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に
  立とうとする各国の責務であると信ずる。」

最後のイ砲弔い董
  この憲法は国民主権の憲法であることをこの前文に明記し、
  更に具体的に権力の行使について、次のように規定している。
  「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は
  国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は
  国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、
  かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、
  法令、及び詔勅を排除する。」
  
  この一文は、我国の憲法が国民主権の憲法であり、その憲法を支配する
  のは国民であり、国家(=国民の代表者たる公務員)ではないことを
  明示しているものである。
  憲法上の権力の執行は国民の代表者たる公務員がこれを行使するが、
  それを信託したのは国民の意志によるものである。
  従って、国民の了解がない限り、代表者による勝手な憲法運営は真っ向
  否定されるべきものであると解釈すべきであろう。
  だからこそ、これに反する一切の憲法、法令、及び詔勅を
排すとしているのだ。

  この憲法は、国家主権憲法の名の下に、多くの国民が無理やり強制的に
  徴兵制度に基づき徴兵され、本土決戦という国家主義の故に、何の罪もない
  民間人が著しい惨禍を被ったようなことが二度と起こらないよう、先の戦争に
  対する強い反省の中から生まれた国民主権の憲法であり、戦前の国家主権
の憲法とは違うのだと言うことを、この前文に託したものと思われる。

この前文に、現行憲法の崇高な基本精神が強く謳われており、
現憲法の「平和主義」「主権在民」「国民の基本的人権」が繰り返し述べられている。

現憲法本文は103条にわたり、11章に分けて規定されている。
以下に、その条文の気になる点について、若干触れて置きたい。


第 1 章:天皇
  第1条:「天皇は、日本国民統合の象徴であって、この地位は、
        主権の在する日本国民の総意に基づく。」
       →国の象徴たる天皇においてすら、その地位は主権の在する
         国民の総意に基づくものであり、
         「国権を動かす者(代表者=公務員等)の意志に左右される
ものではない」ことが明確に示されている。

第 2 章:戦争の放棄
  第9条:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
       国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
    2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
       →昨今の自衛軍の創設論議は、
国権(=内閣)の乱用に当たらないのか?

第 3 章:国民の権利及び義務
    第10条から第40条にわたり、国民の権利と義務について
規定している。
  第13条:すべての国民は、個人として尊重される。生命、
自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、
        立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする。
        →個人の自由追求の権利の見返りに他人の自由への
配慮という責任が生ずる。
         現下の状況は、個人の自由を主張するあまり、
         公共の福祉に反する行為が横行していないだろうか?
  第15条:公務員を選定し、及びこれを罷免することは、
国民固有の権利である。
     2項:すべての公務員は、全体の奉仕者であって、
一部の奉仕者ではない。
        →現在の公務員のすべてが、常時、自らを国民の奉仕者
であると認識して職務に当たっていると
言い切れるであろうか?
        →公務員(国会議員を含む。)は、かつて国家主権の憲法の下で
「自らが国家の主体である」と誤認したようなことが、
現憲法下ではあってはならないこと。
         自分が「国民全体の主体者ではなく、
国民全体の奉仕者である。」という謙虚なる認識を
片時も忘れてはならない。
         この認識の差が、あの300万人を超える戦死者をもたらした。
  第21条:集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、
これを保障する。
     2項:検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、
これを侵してはならない。
        →「表現の自由」と「通信の秘密」は、
今後大きな問題となるだろう。
  第24条:婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、
夫婦が同等の権利を有することを基本として、
相互の協力により、維持されなければならない。
        →現在、男女平等の原則が貫かれていると言えるだろうか?
         離婚後のストーカー事件等警務の確立が求められる。
  第25条:すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む
権利を有する。
        →生活の最低限度をどこに置くかで、
社会保障へ支出すべき金額が不足しかねない。
         資金補助を受ける条件として、
最低限の仕事を強制してもよいのでは?
  第26条:
    2項:すべての国民は、法律の定めるところにより、
その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。
義務教育はこれを無償とする。
        →国民は教育の義務を負うが、国家は正しく安全に教育を
受けさせる国民の権利をどう保障して行くのか?
         教育委員会の在り方、管理者の責任を含め加害者の罰則の
         抜本的改革が必要不可欠と思われる。
  第27条:すべての国民は勤労の権利を有し、義務を負う。
        →権利のみを主張し、義務を無視する輩をどう処置すれば
         よいのだろうか?
        →国は、勤労の意欲ある者にその権利を
どう保障すればよいのか?
         保障できないで済ませられる話ではない。
本気の具体策が待たれる。 
  第30条:国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。
        →国民に与えられた「義務」の三番目である。
         現憲法は国民に多くの権利を付与する一方、
         数少ない義務を課しているが、
その数少ない義務の「納税」を逃れんとする者・法人の
あまりにも多いことは憂慮に堪えない。
         しかし、国も課した義務が履行し易いように、
税体系の簡素化や課税理由(根拠)の明確化に
尽力すべきであり、
         この点を「怠慢」と言い切っては強過ぎるだろうか?
  第38条:何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
    2項:強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く
拘留若しくは拘禁された後の自白は、
これを証拠とすることができない。
    3項:何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である
場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
        →最近の調書頼りの立件による冤罪事件の多発を監みるに、
         日本の司法制度に重大な欠陥があるように思われる。
         裁判官と検察官の間に癒着があってはならないし、
         二者のその間は完全に分離されていなければならない。
         検察官が裁判官になったり、
検察官が弁護士になったりでは
         「同じ穴のムジナ」と言われても止むを得ない。
         明らかに司法側の失策による冤罪事件など、
         司法当事者に損害賠償を含む厳しい罰則を
科さなければ、この怠慢は到底是正されないだろう。 

第 4 章:国会
    第41条から第64条にわたり、国会の細かな手続等
が規定されている。
    第4章の最大の問題は、国民の代表者たる国会議員が
国民の民意を正しく反映される仕組の下に選出されているか否か
という点である。
    民意が反映されない選挙制度で選ばれた者を
    国民の代表者とは認められないではないか!
    また、現に選ばれている代議士がすべて代表者たる人格・資格・
徳性を有していると言えるだろうか?
    本日も「佐田玄一郎」なる「バカ者」が
    「売春防止法」という世界でも数少ない法律をもつ我国の
    代表者として8回も衆議院に当選し、
    第一次安倍内閣では規制改革担当大臣を務めていたと言う。
    国民の代表者たる地位に就いた者(=公務員)の法律違反・不祥事
    については、一般人の数倍の罰則を科すのでなければ、
    代議士や公務員のこの怠慢・いい加減さは無くならないだろう。
    国民の代表者たる者の責任の在り方を正して、
    憲法の条文に明記する必要があると、強く主張したい。

第 5 章:内閣
    第65条から第75条にわたり、国家運営の主体者たる内閣の
    運営手続等について規定されている。
    この章の問題は、国民主権の憲法下において、
    国民の代表者であり国政の運営主体者である内閣に、
    憲法の意図する理想の実現に向けた政策運営を全うする
    義務を負わせる規程が欠如していることである。
    だから、現憲法を占領軍にやらされた憲法であり、
    憲法そのものに欠陥があるからこれを修正しなければならない
    とか新たなる解釈を加えねばならない等々の議論が噴出し、
    現憲法に従順に従おうとする姿勢がみられない状況に
    なってしまったのだ。  

第 6 章:司法
    第76条から第82条にわたり、司法の運営手続等
    について規定されている。  
    この章の問題は、司法が自ら憲法に違反し、
    国民の権利を犯した場合の司法当局に科せられるべき処罰
    についての規定(歯止め)がないことである。

第 7 章:財政
    第83条から第91条にわたるこの章の問題は、国家の借金
    (国債発行)の種類と金額に制限規定(歯止め)が
    ないことが問題である。   

第 8 章:地方自治
    第92条から第95条に規定されているが、人口の都市集中化、
    年齢層の地方間格差の増大、財政力の偏り等
    地方自治の根幹を揺るがす変化が顕著となってきており、
    変化に対応した地方の区割りとなっていないこともあり、
    地方自治統治の在り方を含め、時代を見据えた
    大幅な改革が必要不可欠と思われる。

第 9 章:改正
    第96条に記載されるこの条文は、最近特に話題にのぼる機会
    が多いので、以下に全文を記載する。
  第96条:この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上
        の賛成で、国会が、これを発議し、
        国民に提案してその承認を経なければならない。
        この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙
        の際行われる投票において、
        その過半数の賛成を必要とする。
     2項:憲法改正について前項の承認を経たときは、
        天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、
       直ちにこれを公布する。
    この憲法はその前文にも明らかなように、
    第二次世界大戦という大きな犠牲と反省を経て、
    策定された憲法なのであるから、
    決して安易に変更されるようなことがあってはならないことは、
    論を待つものではない。
    しかし、時代の変化、国際情勢の推移等に鑑みて、
    加除修正すべき条文があるのなら、
    確たる信頼をとても置くことができない国会議員に任せる
    のではなく、然るべき偏りのない学者等に論を尽くさせ、
    変革の論拠を明確に示し、国民の大多数の深い理解を得る中で、
    問題の提起がなされるべきであり、
    決して安易な変更があってはならないものと考える。
    こうした観点から、必ずしも信頼のおける議員ばかりではない、
    各議院の賛否については、議員総数の三分の二以上の
    賛成を要件とする国民への提案責任を
    決して緩めるべきではないと考える。

第 10 章:最高法規
     最高法規と表名された第10章の三つの条文は、
     この憲法の何たるかを最も強く訴える条文であり、
     この憲法の本質を表していると考えるので、
     その全文を記載する。
  第97条:この憲法が国民に保障する基本的人権は、
        人類の多年にわたる
        自由獲得の努力の成果であって、
        これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、
        現在及び将来の国民に対し、
        犯すことのできない永久の権利として信託されたものである。
  第98条:この憲法は、国の最高法規であって、
        その条規に反する法律、命令、詔勅及び
        国務に関するその他の行為の全部又は一部は、
        その効力を有しない。
     2項:日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、
        これを誠実に遵守することを必要とする。
   第99条:天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、
        裁判官その他の公務員は、
        この憲法を尊重し擁護する義務を負う。
     国民の基本的人権は侵すことのできない永久の権利であり、
     この憲法こそが国の最高法規でこれに反する
     あらゆる決め事を無効とするもので、
     日本国が締結した条約・国際法規には遵守義務があり、
     天皇を初め総理大臣はもとより、すべての公務員は、
     この憲法を尊重・擁護する義務を負うものである。
     国民にではなく、特にすべての公務員に対してのみ、
     強く、厳しく、
     この憲法に対する遵守義務を厳しく求めているのは、
     えてして権力をもつ公務員が自らが主権者と誤認する
     傾向があるが故に、これを戒めたものと思われる。
     本来なら、この憲法遵守義務に違反した公務員に
     対する厳しい罰則規定が用意されるべきであろう。
     この罰則がない故に、憲法遵守義務が履行されない事例が
     続出していると言っても過言ではない。

     安倍総理大臣は、この第99条の意味を今一度独り深く
     考えてみる必要があるだろう。

   国民の基本的人権を侵害するに等しい事件が毎日のように
   報道されているが、これらの事件に対して、
   公務員あるいはそれに準ずる人々が、
   その管理責任を含め自らの責任を負うことに、
   「潔よさ」のカケラもみられないことは、まことに慙愧に堪えない。
   いわく、水野靖久参事官、加藤良蔵日本プロ野球コミッショナー、
   日本原子力開発機構の鈴木篤之理事長、
   全日本柔道連盟の上村春樹理事長、佐田玄一郎衆議員等々。
   ことの是非はともかく、組織の管理責任者としてのあるまじき失態
   が続いているのに、責任の取り方に「潔よさ」が何も見られない。
   昔の侍ならば、その場で切腹するほどの事案であるのに、
   女々しさだけが印象に残るのは私だけの感想なのだろうか?
   特に、加藤良三氏の「これは不祥事だとは思っていませんので・・」
   との言葉には、こんな人が米国大使をやっていたのかと
   心底愕然とした。

   一方、現下の国際情勢を振り返るとき、この憲法に変更を加え、
   国防軍の増強・国防のための兵器の最新鋭化が必要不可欠の
   課題と考えざるを得ない側面もあるが、
   しかし、その前に、我が日本国としては、この憲法が強く指向する
   国際平和に向けて、国際司法裁判所の裁判規定の有意化や
   国連そのものの運営ルールの改革、権利の平等化等に、
   世界に率先して最大の努力を払うべきであろうし、
   本当にそのような努力をこれまでにして来たかを振り返り、
   強く反省すべきであろう。

    我が国は、国際的にも数少ない恒久平和を真っ向標榜する
    立派な憲法をもっているのであるから、
    国際平和に向けて堂々と胸を張って、世界をリードし、
    世界の多くの国から信頼と尊敬を得られるよう、
    最大の努力を払うことこそが、
    300万人の尊い犠牲者の御霊に報いる責務であり、
    世界に対する義務ではないのだろうか?
   
第 11 章:補則
    第100条から第103条にかかる条文は、法律の空白期間や
    公務員の任期の隙間等に対する対応処置を規定している。

以上、日本国憲法について概観してみたが、最後に1点だけ、
平成25年6月12日の「産経新聞」の「正論」に記載された
憲法学者・駒沢大学名誉教授「西 修」氏の主張について、
私の見解を述べて置きたい。

論点は、「憲法への忠誠は、<国民の義務>なのか?」
という点である。

この憲法は、前文で明言するごとく、
日本国民が制定者であり主権者である。
その国民がこの憲法を尊重し擁護しなければならないことは、
理の当然である。

しかし、西教授は、国民の国家に対する義務について、
元東京帝大教授で現日本国憲法の作成審議にも加わった
あの憲法学の泰斗、美濃部達吉先生の言を借りて、
次のように主張している。

日本国憲法には、国民の義務として、ゞ軌蕕鮗けさせる義務
勤労の義務G疾任竜遡魁△裡海弔竜遡海靴明記されていない。
(他に、義務ではないが、国民の責任として第12条で
「公共の福祉の擁護」を規定している。)
しかし、美濃部先生は次のように言う。
「国民の国家に対する義務としては、第一に国民は国家を構成する
一員として国家に対し忠誠奉公の義務を負うものでなければならぬ。
国家は国民の団体であり、国家の運命は国民に繋がって居る
のであるから、国民は国家の存立とその進運に貢献することを
その当然の本分と為すものである。」
この美濃部先生の考え方の、国家を「国民の運命共同体」である
と措定し、国家への忠誠奉公の義務を要求しているあたりは
実に新鮮にさえ映る。


しかし私は、国民の国民よる憲法を国民が擁護するのは当然で
あるが、「国民に国家への忠誠奉公の義務がある」とする点は、
到底容認し難い。

国家とは何なのか?
かつての戦争は、国民が主権者として進めたものなのか?
あの戦争は、国家の運営に携わる軍部を含め広い意味での
「公務員」たちの暴走が引き起こした戦争ではなかったのか?
その時、国家の名を語る公務員たちの強烈な言論統制が
無かりせば、国民はあれだけ多くの命をムダに散らすことは
なっかたのではないか?

国家の主権者は国民であるが、
国民を代表して国家を動かしているのは広義の公務員であり、
その公務員の暴走があの惨禍をもたらした最大の原因とする
ならば、現憲法はその反省に基づいて、
「国民を国家を動かす者の道具にはしない!」という
強い理念のもとに策定された憲法であるはずである。
だからこそ、憲法第99条をわざわざ設け、天皇を初め、
摂政・国務大臣はもとより、国会議員・裁判官
その他のすべての公務員だけに、名指しで、
この現憲法を尊重・擁護する義務を負わせたのである。

すべての公務員は、この意味を深く自覚し、
憲法第99条の一文一文を噛み締めなければならない。

憲法学者を名乗る者が、「国家」の位置付けに、
安易かつ勝手な理屈を付して、
国民に憲法への忠誠・奉公の義務(国家のために奉公せよ!)を
求めるのは、如何なものかと、
強い嫌悪感を覚えるのは私だけなのだろうか・・・・・・?


















  
Posted by kenken_ac at 19:23Comments(0)TrackBack(0)日本の今