このブログについて

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 このブログは、その昔、私が書いたもの(未発表)をブログ化したものです。『ホワイトカラー 社会的通用力のつけ方』がメインで、付録として『働き過ぎから抜け出よう』を後半に掲載してあります。
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おわりに

おわりに

 本書に取り組みながら、私は多くの人と話す機会を得た。私が、「ホワイトカラーが会社を離れる日にどう準備すべきかについて書いている」というと、多くの人が「自分も考えなければ」といっていた。しかし、なかなか考える糸口がみえないようだ。
 私は本書で多くの著書から引用した。「サラリーマンの生き方を書いた本は掃いて捨てるほどある」とある人からいわれた。しかし、手にしてみると、なかなか実態にあったものがない。それでも、丹念に探し多くにふれると良書はあるものだ。
 会社から離れるための準備の糸口は、自分のいる会社から離れた先輩、同僚が、その後、どのような人生を歩んでいるかを調べればみつかるのではないか。満足している人もいれば、不満たらたらの人もいる。また、同じ境遇でも、満足の人もいれば、不満の人もいる。その違いを考えてみるだけで十分なものが得られよう。そして、何をすべきを考えることもできよう。
 親切な人がいて、迷っているなどというと、「応援する」といってくれる。しかし、彼らも、何の準備もない人には応援しようもないだろう。「こう考えるがどうか」「こんな方向に進みたいがどうか」などといえば、彼らも相談に乗りやすい。
 本書を書くための資料集めは、三年ほど前から開始した。その間、多くのことを勉強してきたが、今、書きおえて、特に心に残ることを並べてみよう。
⑴一般にサラリーマンは会社から離れる準備が不足していること
⑵準備をするには自立精神が必要であるが、これを身につけることは精神的な飛躍が必要であること。そして、飛躍の過程で一時的には苦しむこと。
⑶ホワイトカラーの勉強はノウハウに片寄っている。自分で理論を作りだす方法を身につけるべきだということ。
⑷ホワイトカラーの力の弱さは身分制度に安住しているためである。
 なかでも、⑵の自立精神の問題が一番気にかかる。というのは、自立精神の獲得といったことを、ノウハウとして示すことはむずかしいからだ。サラリーマンを長く続けながら、しかも、最後まで自立精神をつらぬいた先人の遍歴を調べて書くのがひとつの方法のようにも感じられる。しかし、それは簡単なことでもなく、また、私の実力を超えることでもある。しかし、大事な問題なので、私の今後の課題として心の隅においておくことにしたい。

低収入で豊かな生活をする人も

低収入で豊かな生活をする人も
これまで、ホワイトカラーをめぐる諸問題を多面的にみてきたが、実は、大きな問題を残してきた。それは、大企業と中小企業の賃金格差の問題である。よく、「大手で一千万円の人は中小企業で六百万円が相場」といったような記事をみる。この差は、不変のものでもなかろうが、おおよそ、中高年者の転職のさいの目安となるものだ。もちろん、転職しても収入が増える人もいるが、全体からみればごく少数である。そうすると大手で高収入を得ている人は、収入の低下に備え何らかの経済的準備が必要となる。
これに関して、私が三〇年もの昔に聞いた話を紹介しよう。
一九六五年に私はNTT本社の運用局にいた。当時、ここの次長は高橋達雄という実力者で、経営のプロともいえる人であった。彼は、ある時、個室から大部屋に出てきて、仕事のついでにこういった。聞いていたのは三五歳以下の社員である。
「君ら、社宅に住むのは一〇年位でやめておけ。僕は、社内(の幹部の中)では一番就職の斡旋をしているが、『子供が小さい』、『家がない』、『仕事ができない』という三条件がそろっている人はなかなか決まらない。このような人は高給を望むからだ」
これは、当時、まだ若かった私の理解力を超えたものがあるが、妙に頭に残っており、いまでも彼が話した場所と姿勢まで浮かぶくらいである。
高橋の話には中高年者の転職に伴う多くの問題が含まれている。
ここでは、高橋の話を参考にして、私なりにの見方を付け加えておく。
世の中には多くの保険がある。生命保険もあれば火災保険もある。しかし、会社を離れる危険に対する保険は、失業保険のみで十分ではない。そうすると、サラリーマンは自分で保険に見合う対策を取らねばならない。
さて、高橋があげた三条件は、これを裏返すと一種の保険のような気がする。「家がある」「子供が大きい」「仕事ができる」という条件のどれかがあれば、いくらかでも転職などでの苦労が少なくなるからだ。 裏返した三つの条件のうち、「仕事ができる」に関しては、これまで述べてきたので省略する。
では、「家がある」、「子供が大きい」はどう考えるべきなのか。
家があり子供が大きければそれに越したことはない。しかし、子供の年齢は親が決められるものでもない。また、家も簡単には手にできない。同僚と変わらない収入を得ていても、親を養っている人もいれば、家族に病人がいる人もいる。同じ年収だからといって、同じように家を持てるというわけではない。
では、諸般の事情があって経済的にゆとりのない人は、どういった態度でのぞむべきなのか。高橋は、高給を望むから就職が決まらないといったが、高給を求めない考え方を取ることはできないのだろうか。
私は、生活に対する意識を変えることで、高給を得られないことに対する、ある程度の解決がつくと考えている。
例えば、最近、子供の教育費が上がっている。これが、サラリーマンにプレッシャーを与えていることは疑いない。しかし、教育費は絶対的な固定費であろうか。そうではない。子供は親の時々の収入の範囲で育つのである。
子供は親の財布をよくみている。財布をのぞいてはいないが、雰囲気から収入の程度がわかるのだ。だから、あると思えば高望みをするし、ないと思えば控えめになる。だから、教育費は固定費でなく変動費である。そう考えると精神的に楽にならないだろか。
これは教育費に限ったことではない。日産自動者を四〇代後半に退職し、その後、友人と共同で事業をはじめた増井健一は、雑誌の対談の中でこういう。
「いま僕たちは、固定費がものすごく高い生活を送っているはずです。つまらない見えにとらわれて、ムダな費用を使っている。それをもう一度見直したらどうか。生活も、気も楽になります。*」
* 勝畑良、増井健一「エリートビジネスマンが独立を決意するとき」
『エコノミスト』、一九九四年一一月二九日号、四六頁。
増井は教育費のほか、車や衣服などを例としてあげている。柔軟性のある経費は結構多いのだ。
都市銀行の管理職の年収の高さは承知の事実である。彼らがメーカーに転籍すると、年収は半分になるという。仮に、年収が一千四百万であれば七百万になるのだ。しかし、七百万といっても勤労者の平均よりはずっと高い。しかし、その辺の認識にかけ、せっかくの転籍勧奨を断り、その後、とてつもない苦労をしている人の話も聞く。もし、彼が、普段から、低収入の人はどのように生活をしているのかと、片隅からのぞいていたなら、チャンスをのがすことはなかったのではないか。収入が低ければは、当然、それなりの苦労はあろうが、しかし、それはそれで豊かな生活をしている人も多いのだ。

安易な資格挑戦は危険な道

第十二章 資格と経済的生活設計について

最後に、資格と経済的生活設計について若干ふれておきたい。

安易な資格挑戦は危険な道
サラリーマンが転機を求める時、資格を取ろうとする人が多くみられる。私も三八歳から数年間司法試験に挑戦して多大なエネルギーを消費した。私の周囲にも、中小企業診断士などに挑戦している人が何人かいる。
私の場合、試験勉強をはじめたのは一五年以上前のことだが、今から考えると失敗であったと思っている。人生最大の失敗くらいにさえ思っている。それは、多大な労力をかけたあと、結局、数年後に、「その道は自分のいくところでない」と判断して断念したからだ。もちろん、残ったものは少なくないが、かけた労力とは比較にならない。
サラリーマンの多くが資格試験に向かうのにはそれなりの理由がある。まず、年齢が高くなればなるほど転職の環境が悪くなる。次に、大企業であればあるほど転職の事例を身じかにみることが少なく、会社からの離れ方がわかりにくいのである。また、勉強というとすぐノウハウ的なものが浮ぶサラリーマンのあり方ともつながっている。
しかし、私は安易に資格試験に挑戦することの危険性を指摘しておきたい。
第一は、例え目指す資格を得たとしても、その後の人生とそれまでの人生の関連のつけ方が難しいからである。普通、三〇歳も過ぎれば、会社人間などといわれても相当な経験の蓄積がある。転機にあたっては、まず、その蓄積を生かすことを考えるべきだ。長い間の蓄積を捨て資格で生きようとするのは、木に竹をつなぐようなことにもなりかねない。
第二は、労力があまりにも多大であることだ。一般に、生計を立てやすい資格ほど難関である。このため、身体を犠牲にし、仕事を犠牲にし、また、退職後であれば生計をも犠牲にしかねない。こうまでして挑戦する価値のある資格はそれほどないのではないか。
第三は、資格試験の勉強は、労力の割に身につくものが少ないことである。試験勉強であるから基本的には暗記であり机上の学問である。実践で鍛えられた知識とは質的に違うのである。
日本は資格社会ではないといわれている。これは、当否は別として、よく考えておくべきことだ。資格を取ったからといって安定した生活が保障されることは少ない。資格に挑戦する気力体力があるなら、是非、別の方法もあわせて検討するべきだ。

交流会は活力を得る場

交流会は活力を得る場
職業人協会のイメージを提供してみたが、もうひとつ具体性にかける。そこで、この会から得られるひとつの効用について、私の体験をまじえながらふれておきたい。
私は三〇代前半のある時、先輩から「君はいつもすっきりした顔をしているね」と二度いわれたことがある。あらたまった場所でなく、廊下でのすれ違いの瞬間である。彼は、私と同じ組織にいたがビルは別で、たまにしか会わなかったので、私の表情に人との違いを感じたのかもしれない。一方、私自身は、当時、自分のことを生き生きしていると感じたことはなかっ
た。仕事は決して楽ではなかったし、結構、難題も抱えていた。そのため、彼に「すっきりしている」といわれた時は、そうなのかなあ位に思っていた。
さて、二〇年以上もたった今、その当時のことを思い出して、あることに気がついた。それは、当時、私は理念を同じくする仲間とよく勉強会をしていたことだ。月に一度位であった
が、結構、楽しく仲間と過ごしていた。もしかしたら、この場で活力を仲間から得ていたのかもしれない。
これは、私自身のほんのひとつの例にすぎないが、私は、職業人協会の最大の効用は、働くため、生きるための活力を得る場ではないかと考えた。
私と似た見解をとる人もいる。
雑誌『ダカーポ』が三号連続で「異業種交流会徹底研究」の特集を組んだことがあったが、その中に次のような記事がある。
「ピーマンネットワークの木村さんはこういう。
『生産性から開放されないと、交流会というのもいい場所にならないと思うんですよ。何かを得るという発想をしてますと、それはまだ企業の論理かなあと思うんですけどね』
何かに役立てたい、何かを得たいと思わず、一番大事な『元気』を得るのが勉強会といえそうだ。*」
* 「会社だけでは物足りない自分の会のつくり方」、『ダカーポ』
一九九四年七月二〇日号、一三九頁。
文中の木村は、京阪神地区での交流会「ピーマンネットワーク」の主宰者である。
私が注目するのは、「生産性から開放されないと」、「『元気』を得るのが勉強会」というところである。この二つは表裏一体のものともいえよう。
職業人協会は、会員が会合の次の日に、「昨日、職業人協会の会合に出てきた。集まったのは数名で、それほど興味ある話も出なかった。しかし、今日になってみると、また元気に働くエネルギーが出てきた」と心のなかでいえるような場であるべきだ。仕事で役立つ知識・情報の獲得は二次的であってもよい。
もっとも、だからといって、これは今ある各種の異業種交流会を否定するものではない。交流会は多様であってよいからだ。

共通の理念にもとづく会とは

共通の理念にもとづく会とは
共通の理念のもとにある異業種交流会とはどのようなものか。これを、仮に、職業人協会と名づけ、私なりのイメージを作ってみよう。
職業人協会の条件としては次の四点があげられる。
 一 企業を越えた横断的な会
 二 仕事をある程度共通にする者の会
 三 職業理念を共通にする者の会
 四 会の理念に従うことを誓い自発的意思で入る会
一の「横断的」については、特に説明するまでもない。職業人協会は会社の中にないことに意味があるからだ。
二の「仕事の共通性」は、あまり厳密に考える必要はない。狭すぎては仕事の延長になりかねず、また、広すぎて、企業人と芸術家が一緒になるようでは、会自体が散漫となりねない。適当な範囲としかいいようがない。
三については少し説明を必要とする。それは、職業理念とは何かということだ。具体的に示すことは難しいが、それは広い意味で社会貢献につながることといえよう。しかし、職業人が自分の仕事を通して行なう貢献であるから、「よい商品を提供するため」、「技術者としての筋を通すため」といった類のものであろう。会員相互の仕事に共通性が強ければ、もう少し具体的なものになる。
四はわかりにくいのではないか。日本のサラリーマンは、理念に誓って会に入るといったことには縁が薄い。労働組合は社員になれば自動的に入会する仕組みであるし、また、企業の技術者が加入する各種学会も入会条件が緩いからである。みじかにイメージできるものがないのだ。
そこで、職業人協会にイメージの近いヨーロッパの労働組合を参考としよう。藤田若雄は、ヨーロッパの労働組合を日本の労働組合と比較して、次のように述べたことがある。「日本は企業内、企業別組合で、ヨーロッパは企業の外にある横断組合であるといわれるが、それは形式での議論にすぎない。本質は誓約集団という言葉で表わされる。つまりヨーロッパ組合の原始の姿である。
今日の欧米の組合はだらけて色々な要素が入っているが、運動が最初に、あるいは最も危機的な状態で姿を現わすその時の集団の性質を最も良く表わしているのが、『誓約集団』である。
加入が個人加入である事は従来説明されてきたが、加入者は加入時に執行委員の前で、綱領の立場に立ち、組合規約、組合決定を守る事を誓う。また加入者をオルグした者は身元保証人になる。こうして組織された集団を誓約者集団と私は呼ぶ。こういう組合は日本にない。会社に対し誓約書や身元保証人を入れるのであり、会社に入ったら組合がたまたまあったのでついでに入るにすぎない。*」
* 『藤田若雄キリスト教社会思想著作集第2巻』、一二六頁。
藤田によれば、ヨーロッパの労働組合の原始の姿では、組合員は、加入時に綱領などに忠誠を誓うのである。これは、日本でみられる入社時の誓約書のような形式的なものではない。そうすると、組合員は組合に対する参加意識を持ち、かつ、それは綱領のもとで意識していることになる。当然、そこでは組合員相互の信頼関係も密接となる。
職業人協会もこのヨーロッパの組合を参考に考えるとわかりやすい。そこでは、入会時に会のもつ理念とそれにもとづく決定事項に従うことを誓って入会する。このため、会員相互は理念を共にするから親近感が高くなる。そこでは、人を利用するといった余地も少なくなり、また、理念が明確なため退会の判断もしやすくなる。
以上、ヨーロッパの労働組合まで参考にして職業人協会のイメージを作ってみた。しかし、日本人には日本人なりの気質がある。あまり約束毎が厳しすぎると会の運営は難しくなる。少しゆるやかなものが適していよう。ヨーロッパを参考とし、日本的なものを探ることが大切だ。

理念を共にする会が要請される

理念を共にする会が要請される
異業種交流会の運営は難しいようだが、私はなおその必要性を感じている。
私は、サラリーマン生活の中で多くの人と出会ってきたが、中には、よく勉強し、独特の感覚を持ち、一歩深みのある仕事をする人が何人かいた。しかし、彼らには、もうひとつもの足りなさを感じていた。それは、彼らが、他流試合でもまれていないため、自分の位置づけがわからず、迷路に陥いることがあるためだ。そのため、独特の感覚と仕事熱心さが裏目に出て、厳しい批判にさらされてもいた。
私は、こんな状況をみて、彼らに他流試合の必要性を感じていた。
では、彼らはどこに場を求めるべきであったのか。会社の中に場が求められないのだから社外にということになる。そうすると、異業種交流的な場よりありえない。これが、種々の問題があると知りながら、なお、異業種交流会の必要性を認める理由である。
では、異業種交流会はどうあるべきなのか。会員が積極的に参加する会、会員を利用しない会であるにはどのようなことが必要となるのか。
さて、このようなことを考え続けていたら、ある糸口をみつけた。それは、欧米の職業人の会である。
占部都美編著『経営学辞典』のスペシャリストの項には以下の解説がある。
「本来のスペシャリストは、独特の職業倫理とその専門領域における科学的基準を維持する責任感をもち、外部のなんらかの専門家協会や学会に所属するのであるが、日本の企業の終身雇用制の下では、専門家倫理よりも企業帰属意識が強く、企業をこえたヨコの組織であるそれぞれの専門家協会が発達していないために、真のスペシャリストが十分に生じているとはいえない。*」
* 占部都美編著『経営学辞典』、一九八〇年、中央経済社、三六六頁。
欧米のスペシャリストは企業の外の専門家協会に所属するという。企業内の個々の集団が縦の組織とすれば、専門家協会は横の組織である。そして、会のひとつの目的は、独特の職業倫理の維持である。欧米のスペシャリストの職業倫理は企業の外の会合にも背景にあるようだ。 欧米の専門家協会をもとに考えると、自立精神を持つ日本のホワイトカラーに、もし横の組織があれば、独特の感覚もみがかれ、かつ、専門知識もみがかれるのではないか。
では、このような視点でみた場合、日本の異業種交流会はどのように機能しているのであろうか。異業種交流会は首都圏だけで五〇〇以上あるといわれている。しかし、技術者を対象とした会の事情に精通した人によると、理念を前面に出し、しかも、それがうまく機能しているものはほとんどないという。独自の理念を持つ人が少ないのが日本のホワイトカラーである。そうだとすれば、共通の理念のもとに集まる会が少ないのも当然であろう。しかし、ホワイトカラーに対し、自立精神の必要性がさけばれている今日、一定の理念のもとに集まる会の必要性は高まっているのではないか。
 

異業種交流は効果がある

異業種交流は効果がある
異業種交流という言葉が流行語のように氾濫している。この流れに乗ってか、私の周辺にも参加している人がいる。以前、私は、異業種交流会とは、中小企業の経営者が共同事業者を求める場だと思っていた。それが、いつのまにかサラリーマンの交流会に変わってしまった感がある。サラリーマンは異業種交流に何を求めているのであろうか。
さて、以下で、異業種交流会をめぐる諸問題をみるのだか、その前に、サラリーマンの人を通しての情報の取り方についてみてみよう。
最近、私は一〇名ほどの技術者に、人からの情報の取り方について聞いてみた。彼らは皆、技術者ではあるが、業種、企業規模も異なり、仕事も企画、研究、開発などさまざまだ。
回答を整理してみると、彼らは疑問点にぶつかると、まず、社内の識者に聞く。その所在は、同僚に聞くなどして、さほど苦労なくわかるようだ。
問題はそれで足りない場合で、当然、社外に求めることになる。この場合、彼らの多くは大学教授に接触する。教授は、特定のテーマを深く追求しており、また、官庁の標準化の検討経過などにも詳しく、情報源としては欠かせないようだ。次は、出入りの業者やユーザーなどである。また、調査会社など情報サービス業も活用している。一方、同業他社との接触は少ない。同じテーマに取り組む他社の人に聞ければ効率的だが、これは不可能なことである。わずか学会の各種会合を通して情報を得る程度のようだ。
企業間競争のなかで情報源を社外に求めることは、必ずしも容易なことではない。しかし、各技術者とも皆それなりの情報源を持って活動している。
では、何故、それ以外に異業種交流を求めるのであろうか。それは、交流の目的が、当面の仕事を解決するためとは別なところにあるからだ。例えば、社内に閉じこもっていては世の中の動きがわからないからとか、将来の企画のためのヒントになるような話を聞きたいとか、漠然と他社の人と知り合いたいとか、ということである。
異業種交流の効果はどうなのか。私もいくつかの、広い意味での異業種交流会に参加してきたが、それなりに得るところはあった思っている。それは、普段、心の奥にある疑問点が、会で聞いた一言で解けたことが何度かあったからだ。例えば、ある席で、大手化学の人が「当社位の規模でも驚くほど閑職がある」といった。私はこのひとことで、「閑職は大企業共通の問題か」とすぐ自分の会社の問題の本質を解けた思いがした。また、安全施策に関して「うちの会社の施策は形骸化している」などと聞くと、「安全施策が難しいのは各社共通のことか」と知り、その後の取り組みで精神的に楽になったこともある。会社の中にいては解けないこと
が、社外の人との交流でたちまちに解けるのである。異業種交流の効果は大きいものがある。異業種交流会はよいことばかりでない
異業種交流会から得るものは多い。しかし、会がすべてうまくいっているかといえば、そうでもない。実例をもとにみてみよう。
まず、私が参加していた、ある地方新聞主催による会である。ここには、官公庁や公益企業の関係者、地元の知名人、各種議員などが参加していた。例会は夕食を取りながら会員や外部講師の話を聞く形式である。
この会で私が得たものは、各回のテーマが仕事と離れ過ぎていたため、それほどのものはなかった。しかし、テーマで全く興味のないものもなかったし、議員とはこんな人かなど、普通では知りえないことも知った。しかし、全体としてはものたりなさを感じた。
会から得たものが少ない理由の中には、運営のあり方以外に、私の参加姿勢の問題がある。私はただ話を聞きにいくだけで、積極的な姿勢がなかったのだ。ちょうど風呂敷を広げて何かをもらいにいくようであった。また、受身だから仕事が忙しくなると出るのが苦痛にもなっ
た。知人がニューメディアに関して、「日本人は情報を取るのは好きだが、自分で発信するのは苦手だ。だから、参加型のメディアは成功しにくい」といったことがあるが、まさに私はこの日本人そのものであったのだ。
異業種交流会がうまく機能するには会員の積極的姿勢が前提となる。受身の会員が多いところではうまくいってないようだ。
次は、会員相互の信頼関係にかかわる問題である。
数年前、私は、雑誌記事をみてある会の幹事に電話した。彼は「どうぞいらしてください」といったが、私が「どんな方が出ているのですか」と聞いたところ、「いろいろな方かいらしていますが、セールスの人も結構いますよ。あとから営業に来ますよ」と答えてくれた。結
局、私は都合で出席しなかったが、異業務交流会に出て、そこの会員からすぐにセールスを受けるというのも変な話だ。
これに関して、中小企業者向けのある会に参加している知人はこういう。
「会で名刺交換をするのですが、翌日、自宅に帰ってびっくりします。自宅のファックスにダイレクトメールが何通も届いているのです」
異業種交流会で、会員が他の会員を利用するというのは決してまれな例ではないのだ。このため、異業種交流会自体を否定する意見さえ出ている。
交流を長く続け、会員相互に信頼関係ができれば、そこに会以外の関係ができるのは当然だ。しかし、これが度を過ぎて、会員が商売の相手に見えては、円滑を活動はできなくなる。異業種交流会の難しさを感じさせる一面である。

「昔の知り合い」は人脈ではない

「昔の知り合い」は人脈ではない
相談相手という意味での人脈に関してもうひとつふれておきたい。
ある時、韓国人Pが、私と同席していたNを訪ねてきた。Pは韓国で働いた後アメリカに留学し、その後アメリカと日本で働いた経歴を持っていた。PとNの間で次のような会話がかわされた。
N「Pさんは人脈が広いでしょうね」
P「知っている人が多くてもだめですよ。毎月、定期的に酒を飲んだりしていないと人脈のうちに入らないから」
私は彼らに背を向けて聞いていたが、「なるほど、国際的ビジネスマンは違うものだ」と感心した。
それは次の二点である。
ひとつは、人脈という話が出た時に即座に返事があったことだ。日本のホワイトカラーならこうはいかない。顔の広い人でも人脈に関する意識は低いからだ。
次は、「定期的に」という部分である。これは、裏を返せばたまに会う人は友人でも人脈のうちに入らないという意味である。
私が、特に印象に残ったのはあとの話である。それは私のある体験とも関係している。私は、退職がおおよそ一年後に迫った頃、自分の方向を決めるため社外の四人の友人に会った。就職先の依頼ではなく、進路の考え方について参考意見を聞くためであった。
四人のアドバイスはそれぞれ有益であった。しかし、思い出してみると、たまに会う人としばしば会っている人とでは内容が違っていた。四人のうち二人は、その直前の一〇年間でみれば一〜二度会っただけである。一方、他の二人は数カ月に一度は顔を合わせ、それこそ一緒に酒を飲むこともあった。結局、前の二人からは一般的な考え方を聞き、後の二人からは「今泉事務所を設けたら」と独立をすすめる具体的なアドバイスを得た。
私は、今では、この違いは当然のことだと思っている。久しぶりに会った二人は、私の二〇代のことはよく知っているが、その後のことはわからない。だから、旧交を暖めることはできるが、当時の私の実力、理念などを理解した上でのアドバイスをしようにもできないのだ。どうしても一般論にならざるを得ない。ところが後の二人は昔のことは知らないが、最近のことを知っている。だから、アドバイスも具体的になる。結局、私は後者の勧めに従って歩むことになった。
以上、二つの実例を紹介したが、ここでの教訓は、具体的アドバイスを得たいのなら、久しぶりに会う人では難しいということだ。もし、転職などのアドバイスまでしてくれる人が人脈だとしたら、Pのいうように、しばしば会ってなければならないのだ。

人脈はメンテナンスが必要

人脈はメンテナンスが必要
人脈に関して合理的な考え方を説く人もいる。ロンドンビジネススクールの榊原清則教授は、評論家江坂彰との対談の中でこういう。
「自分の人脈なりネットワークを、しかも社外のものもあるぞと、サラリーマンも示せるようになるべきでしょう。
もちろん、日常培っていないとならないし、しかもそれを目に見える形できちんとメンテナンスしていつでも示せるようにしていないとならない。*」
* 江坂彰、榊原清則「助走は慎重に、決定は楽観的に」、『実業の日本』
一九九二年五月号、一二七頁。
榊原は、この部分を、赤坂や銀座のホステスが店を替える時、彼女らの持つ顧客リストが待遇に反映されることを例に説明している。だから、「示せる」とは、雇用者側に対してである。人脈のリストが交渉の場に提示されるのだから、当然、メンテナンス済のものでなければならない。
ホワイトカラーの転職の場合はどうか。販路開拓者を求める会社では、人脈の有無が問題とされるようだ。しかし、一般には人脈が転職の条件となった話は聞かない。だから、人脈のメンナンスなどという人はいない。私も榊原のような考え方は聞いたことがなかった。
もっとも、ホワイトカラー一般も、人脈のメンテナンスをしていないわけではない。大手建設の研究員Aは、本社に出張した際は、必ず、技術部門のHのところに顔を出すという。Aは、普段、わからないことがあると、よくHに電話で教えてもらっている。その関係を維持するため顔を出しているのだ。
しかし、一般的にいえば、日本のホワイトカラーは、自分の知人、友人を人脈として意識することは少ない。これは日本人らしい一面であるが少し危険な感じがする。やはり、仕事で困った時、このような件は誰に、あのような件は誰にといった形で、助けてくれる人を意識しておいた方がよい。
人脈の意識がなく当惑した例がある。
ある官庁にいたCは、定年を少し残したところで上司経由で再就職の斡旋があった。ところが、その斡旋先は、誰がみてもかれにふさわしくないものだった。そのため、彼は断ったのだが、「ここを断ればもう斡旋しない」といわれ興奮して上司の部屋から出てきた。このようなトラブルは何もこの官庁に限らず民間会社でもあるようだ。人事の常識からすれば、これは手違いで再度斡旋があるのが普通である。しかし、間に入った上司の不慣れできつい言葉がはかれたのだ。
さて、同僚のJは興奮気味のCを近所の喫茶店に誘いなぐさめたが、そのうち思いつくところがあり、次のようにアドバイスをした。
「Cさん、Mさんに相談したら」
Jは普段の雑談から、Cには昔の同僚・先輩の多くと、今でも交流があるのを知っていた。そして、その中には、今、業界で有力な地位を占めているMがいた。Jはこの危機にあってはMの力を借りるべきだと思ったのだ。一方、CはMのことには気がつかなかった。もっとも、自分のことは人に頼みにくいというのが日本人であるから、そもそも、誰かに頼むという発想はなかったためともいえよう。しかし、自分より友人の方が自分の人脈に気がついたというのも変な話である。結局、CはMの尽力で人並みの再就職をしたようだ。
さて、この例で、もしCが普段から「困った時には誰に相談にのってもらえるか」と考えていたなら、Jの指摘を待つまでもなく、Mへ相談することを思いついたのではないか。多くのホワイトカラーは、皆それなりに人脈を持っている。マイペースで人生を歩んできた私の及ぶところではない。しかし、人脈のメンテナンスといった発想はない。そのため、いざという時に苦労する。私自身も、Jのような立場でアドバイスした経験が何度かある。ある女性管理職に、「人事は急に返事を求めてくるから、その時に備えて相談する人を決めておいたほうがよい」といったこともある。人脈を意識の上にのせておくことは必要だ。

人脈作りは人への親切から

第十一章 人脈をめぐる諸問題

人脈作りは人への親切から
サラリーマン向けの自己啓発書をみると「人脈」という項目に出会う。私自身は、二六年間のサラリーマン生活の中で、自己啓発書を読んだこともなく、人脈という言葉になじみがなかった。ところが、ある時、自分でサラリーマンの自己啓発のあり方をまとめることになりいくつか読みんでみた。そうしたところ、「人脈」の解説には気になることが多かった。そこに
は、「同窓会に出よ」、「異業務交流会に出よ」といったアドバイスがある。しかし、どうもその発想に自分本位のにおいがあるのだ。「自分のために人を利用しなさい」と聞こえるものさえあった。
そんな中、ある時、職業相談業に取り組む本多信一の本に出会った。本多は人脈に関してこういう。
「人脈ゼロの過去を考える時、読者の皆さんには『同じ過ちを繰返さないで下さい…』とお願いしたくなります。あなたが生きて行く上で人脈は不可欠ですから。もっとも人脈という言葉は人材と同様、なんですか人を勝手にモノ扱いするようでイヤです。としたら『あなたのことを心配してくれる人』と考えてみて下さい。」
そして、人脈づくりのこつをいくつか述べたあと、
「とにかく出会った人には、老若男女の区別なく、できる限り役立とうと努める」こと、が、彼が続けてきた唯一の方法で、そして多くの人脈を数えるにいたったという。
* 以上は、本多信一『かしこい転職・上手な離職」、一九八六年、法令総合出版
一〇四〜一〇六頁。
私は人脈論のハウツウにいささか閉口していたので、これに接して目がさめる思いがした。 確かに、人脈が増える基本は本多のいうとおりであろう。人にいじわるばかりして、困ったときに「こんにちわ」では相手にしてくれない。いや、それ以前に、自分の方から足がすくんでしまう。やはり、人脈作りの基本は信頼関係であり、テクニックではないはずだ。
さて、このようなことを、ある時、塾を経営する友人に話してみた。そうしたところ、「お前、そんなことあたり前だろう」と一蹴された。競争社会で生きてきた私も、自明のことがみえなくなっていたのだ。


世間感覚を養う場をどこに求めるか

世間感覚を養う場をどこに求めるか
では、世間感覚を養う場をどこに求めるべきか。
徳住は、それを家族、地域、趣味などの場としていた。異業種交流的発想では仕事の延長となるとみたのであろう。
では、家族、地域、趣味の場とは何か。
家族はともかく、地域にサラリーマンが入れる場を探すのは難しい。私自身、埼玉県の自宅に二〇年間住んでいるが、仕事はほとんど東京なので、近隣との付き合いはいたって少ない。地域のつながりとは「子供を通したもののみ」という人がいるが、とにかく簡単に場を求められないことは確かである。
趣味の場はどうか。大企業には社内に多数のサークルがある。私も、野球、サッカー、お茶、ダンス、囲碁、小唄など多くのサークルをみてきた。私自身はこれらに参加したことはないが、脇からみていると、そこに職場の上下関係が持ち込まれることは避けられない。一方、地域のサークルではどうか。私は、過去に地域のあるスポーツクラブに所属し、また、今、あるクラブにいる。そこでは、社会的地位による序列とは縁が薄い。相互に相手の仕事位はわかるが、地位などは話題にもならない。また、サークルの中心は、経験豊かで、熱心に活動する人である。地位で発言権が増すわけでもない。
最近、ある大手の役員の子息から次のような話を聞いた。彼の父は、二年ほど前にあるスポーツクラブの会員となった。
「クラブでいろいろな人とあって、少しは他人の生活ぶりもわかるようになった。また、父は会社でいつも人に持ち上げられているが、クラブでは雑用係もしているようだ。人の苦労もわかっていいようだ」
地域のサークルは、まったくバラ色とはいえない。しかし、世間並みの感覚を養うひとつの場であることは確かだ。もっとも、「大企業の人は命令で動く習慣があるから、サークル活動に入ってもうまくいかない」という人もいる。人によってはこの場も簡単に手に入らないかもしれないが。
世間感覚を養う場は、会社の中にもないわけではない。
同じ会社の社員気質は似ているが、そうはいっても部門によってかなり異なる。個性的という面では事務系より技術系の方が強い。また、事務系でも、経理屋は堅実で、勤労屋はおおまかといったこともある。技術系でも、外で仕事をする土木屋は開放的で、室内で保守する機械屋は一本気であったりする。このように、会社の中にもいろいろな気質の人がいる。だから、社内であっても広くつきあえば、世間との感覚のずれをある程度防げそうだ。ところが、大企業では、部門毎に縦割り集団を形成している。このため付き合う範囲は限定されている。しかし、別に禁止されているわけではない。ある大手メーカーの中堅社員は、「社内各部門はたこ壺を作っている」といい、「まず、会社内の他部門の人との交流に努めたい」というが、見習うべき考えだ。

人脈を求める以前に感覚を世間並みにすること

人脈を求める以前に感覚を世間並みにすること
弁護士の徳住堅治に、サラリーマンの人脈についても、ひとこと聞いてみた。彼はこういう。
「異業種交流会的なものはだめだ。家族、地域、趣味などでの交流でないと、その意味で社宅住まいはよくない」
「サラリーマンは、家族、地域、趣味などの視点からの交流がない。会社の中以外に世界がない。家族、地域と喜びをともにすることがない。人間に感性がない」
異業種交流会については次章でふれるが、徳住は、サラリーマンは人脈を意識する以前に、人間らしくなれといっているのだ。
私は、当初、ホワイトカラーの対人関係を、もっぱら人脈というキーワードで考えていた。しかし、いろいろ調べていると、人脈以前の問題があることがわかった。
人脈以前の問題とは、世間的感覚からのずれを修正することだ。
大企業の多くの人は世間的感覚からずれている。その原因は、社内の人間関係にある。大企業では、新卒定期採用が中心で、しかも、彼らは長期間勤めている。そのため、社員個々の思考パターンは似たものがある。異質なものにふれる機会が少ない。また、年功序列のもと序列を重視する風潮がある。しかし、これに慣れきっていると、世間の感覚にあわなくなる。
一方、中小企業はどうか。人の出入りが多いため、いろいろな人との交流が多い。そこで、世間的感覚を身につけるのである。
ある中堅機械メーカーの開発技術者はこういう。
「当社は中途採用が多い。そのため、打合せをすると、使う用語の意味が通じあわないことがしばしばある。問題は各人に通じさせようという認識が足りないことだ」
しかし、通じなければ通じる努力をせざるを得ない。その過程で、彼らは世間の感覚も身につけることができる。
また、社内組織が十分でないので、必然的に外との接触が多くなる。例えば、法律にしろ会計にしろ、大企業では社内に専門部署がある。しかし、中小企業にはない。だから、外部に知識を求めることになる。そこでまた世間の感覚を身につける場にもなる。
大企業は世間感覚を養う場が不足している。だから、会社から離れる日に備えて、意識的に場を開拓する必要があるようだ。

過剰な使命感も過ちのもと

過剰な使命感も過ちのもと
仕事に対する使命感も、それが過剰になると、他人と溶け込みにくくなる。
これは、ある放送局の人の例である。私は、講演会で、彼のおもしろい話を聞かせてもらったが、ひとつ気にかかることがあった。話が頂点に達した頃、彼はこういった。
「私は報道に携わるものとして、世界的な大舞台に立ち会えることにすごい責任を覚えます」 私はこれを聞いて驚いた。大舞台といっても他人の企画した行事ではないか、何故、それが人に強調するほど価値があるのかと。
もっとも、私は、報道業界には疎いので、彼の仕事を軽視しているのかも知れない。しか
し、仕事にはそれぞれそれが成り立つ社会的背景があり役割がある。自分の仕事を過剰に評価しすぎては、他人を軽んじることにもなりかねない。
さて、こういう私自身も、発展途上の通信事業の中で過ごしてきて、必要以上の使命感にかられていた。それが、取れたのは四〇歳を過ぎてから、閑職を経験したのちだ。
公益的色彩の強い仕事をする人は使命感を持ちやすい。しかし、それが過剰となっては自分を近づきにくくするだけだ。

優越感もわざわいする

優越感もわざわいする
先に、銀行や官庁にいた人が、転籍先で苦戦している例を取り上げた。しかし、銀行や官庁は対外的接触の多い業種である。彼らの経験はどうしたのだろうか。
経験が生きないひとつの理由は、彼らの、会社を背景とした過剰な優越感がある。
これは、大手メーカーの部長Fと広告企画会社のPとの間の話である。Pは営業活動でFとアポイントが取れた。だが、翌日Fに日時の変更を申し込んだ。それは、Fが上司を同席させるといったことを思い出し、それなら彼も、自分の上司を同席させた方が話が早いと思ったからだ。たまたま上司は予定が埋まっていたので、再度、電話し変更を申し込んだのだ。ところが、「そんなことなら止めにする」といきなりFからどなられた。
Fが怒ったのは実に単純なことだ。上司に日時変更の伺いを立てるのがいやだったのだ。しかし、それなら、正直に「上司にいいにくいからお宅で都合をつけてくれないか」といえばよいのである。契約が成立し仕事がはじまったのならともかく、まだ両社には何の関係もなく、どなられる筋もないのである。何故Fは高圧的に出たのか。Pは、Fの「うちの会社は一番偉いところ」という意識以外は思いあたらないという。 大企業からの転籍者などに対して、「元の会社を背景とした優越感が取れない」といった批判が強い。しかし、優越感が抜けなくては蓄積した対外経験も生きてこないのだ。

大企業では社外との交流経験が不足がち

大企業では社外との交流経験が不足がち
では、大企業の中高年者は、どうして社外の人とうまく交流できないのか。以下で、その原因をさぐってみよう。
そのひとつは、大企業では社内交流だけで済む場合が多く、対外的経験が不足するためである。
私は、総合的仕事ともいえる電話局長になるまでに五回ポストを替えた。ところが、振り返ってみると、そのうち四つのポストではほとんど社外折衝がないのだ。以下は、各ポストでの社外折衝の状況である。
入社四〜五年目:現場で設備管理を担当 二〜三度工事請負業者と打ち合わせたほか、営業支援で一〇件程度のお客を訪問したのみ。
入社六〜七年目:支社で社内用統計月報・年報作成などを担当 印刷業務者と校正などで数度接触したのみ。
入社八〜九年目:本社で通信機器の購買を担当 営業担当者と年中接触、工場実査で技術者と交流(約年一〇回)、会計検査院と年に二〇日程度接触。
入社一〇〜一一年目:支社で予算・資金担当課長 銀行と事務取扱で交渉(数回)、債券の購入依頼に銀行を訪問(三行)
入社一二〜一三年目:本社のデータ通信部門の総務担当課長補佐 調査会社のインタビューに二回応じたのみ。
もちろん、これは勤務時間中のもので、私的なものは含んでいない。
整理してみると、入社八〜九年目の購買担当以外は、あまりにも社外との交流が少ないので驚いた。記憶に残っていないものもあろうが、それにしてもあまりにも少ない。これは、管理職として過ごした四年間についても同じである。
私の例を一般的とみることはできない。しかし、分業の徹底した大企業では、社外の人と接触しないですむ仕事が以外と多いのではないか。
さて、私自身の記録をみて、もうひとつのことに気がついた。私は、一〇年間に五つのポストについているが、うち四つでは極めて対外的接触が少く、逆に、購買担当では異常に多くなっているのだ。今思い出してみると、極端な時は、会計検査院に文書の説明をしながら、資料を取りに戻る一〇分間ほどを利用して業者と打合せをしていた。一日中、社外の人との接触の連続であった。
大企業は分業が進んでいる。そして、これは対外折衝についても例外ではない。私は幸にも、購買部門で社外との交流経験を積むことができた。しかし、人によっては社外との交流がないまま長い年月を過ごしてしまう。これでは、中高年以降の転職で苦労をするのは当然だ。

サラリーマンは異文化の人が苦手

サラリーマンは異文化の人が苦手
大企業出の中高年者は、転職先の人間関係で苦労が絶えないようだ。では、彼らはもとの会社ではどうであったのか。事例をもとにみてみよう。
ある時、ベットタウンのD市で連続放火事件があった。犯人がなかなか逮捕されず再発の危険が続いたので、放火のあった周辺地域では大騒ぎになった。そこで、住民は自ら警戒体制を取った。旦那どうしが二人一組で徹夜で見回りをしたのである。ところが、知人から「組み合わせが作れなくて困ったよ」という話を聞かされた。隣近所の旦那どうしが呼吸が合わず、なかなか組み合わせが作れなかったのだ。D市はベッドタウンである。旦那の大半はサラリーマン、しかも、ホワイトカラーが多い。彼らは、やはり、会社以外の人と調和を取りにくいようだ。
次は会社相互の交流会でのことである。私は、地方都市勤務の時、ある公益事業所間の連絡会に参加していた。鉄道、電話、電気、水道などの営業所の管理職の情報交換会である。年に二回ほど会合があったが、年末の会合のあとには立食パーティが行なわれていた。ところが、主催者の意図に反し、この場で、各機関の職員どうしの交流がなかなか行われないのだ。極端にいえば、電話は電話で、電力は電力で、それぞれ仲間が懇談をしているだけである。出席者は、ほとんどが四〇歳以上、特にエリート意識の強い人もみられず、ごく普通のサラリーマンといってよさそうだ。もっとも、年二回程度の会合では、転勤族が多いので相互に懇意というわけにはいかない。つながりの弱い会ではある。しかし、あまりにも機関をまたいだ会話が少なすぎた。やはり、彼らも、組織を異にする人との交流は苦手なようだ。
三つ目は私自身のことである。ある時、勤務地にある異業種交流会に参加していた。会のメンバーは、オーナー経営者が中心で、ほかは医師、弁護士などの自営業者である。銀行の支店長などサラリーマンもいたが数名に過ぎなかった。私は会社の意向もあり入会したのだが、そこで、私がうまく交流できたかといえば、自信はない。サラリーマン会員とは別として、私も経営者や自営業者とはうまく交流できなかったのだ。 以上、事例を三つみてきたが、大企業出の中高年者が、転職先で苦労する兆候は、既に、在籍中に出ているのだ。問題はそれに気づくか否かである。

転職成功の鍵は人間関係の克服

第一〇章 異文化への融合力が問われる

転職成功の鍵は人間関係の克服 
ブライトキャリア社のアンケート調査(第九章参照)によると、中小企業に転じた大企業の管理職経験者に対して、「職場に溶け込めないため能力が活かせない」という批判がみられた。
大企業から転じた中高年管理職が、中小企業で人間関係に苦労している様子は、私もしばしば耳にしてきた。
ある地方銀行の知人は、諸先輩の転籍をみて「登社拒否寸前に陥っている人も多い」という。預金の勧誘、融資先との交渉などで対人関係のノウハウを持っているはずの銀行員も苦労している。また、中央官庁のOBは、「メーカーにいった人は苦労しているようだ」という。政府系の財団などに転籍した人と比べての話である。
では、苦労とはどのようなものなのか。
これは、ある大手の購買担当Aが体験した話である。
ある時、Aの担当する装置Yに仕様変更の話が持ち上がっていた。部品の材料の一部を変更する件である。Aは、仕様変更には直接係わっていなかったので、この件は会議に出た担当者から報告を受けていた程度であった。
そんな中、ある時、U社の営業課長Pが立ち寄ったので雑談をしていた。
A「今度、装置Yの仕様変更が決まりましたね」
P「えっ、もう決まったのですか、本当ですか。大変だあ。どうもありがとうございました」
Pはあわてて部屋から出ていった。仕様変更はメーカーにとっては大変なことのようだ。装置Yは量産品であり、U社は見込生産している。だから、変更があるなら早めに情報をつかまないと、旧製品を抱え込むことになる。
さて、その何日かあとにPから電話があった。
「先日はどうもありがとうございました。例の件は、当社でも聞いていたのですが、M社出身のものにだけ情報が流れ、他には伝わっていませんでした」
U社は大手から転籍者を入れている。仕様変更の窓口は大手からの転籍者であった。
その後、AはPからトラブルの詳細は聞かなかったというが、ここで問題としたいのは、U社の窓口となった部長が、もといた会社の人にしか情報を伝えなかったことだ。
転籍者が、もとの会社の仲間で固まるという話はよく聞く。ごく、自然のことでもあるが、職場に溶け込めないことも理由となっている。この部長も、プロパー社員に壁を感じ、適切な情報伝達のチャンスを失ったかもしれない。
次は、ある官庁から食品メーカーV社に転じたCの話である。
V社は従業員一千人以上を抱えているが、このところ急成長した会社である。部長として転籍したCについて、ある部長はこういう。
「Cさんはうちの会社になじめなかった。彼は、官庁の文書を重視する仕事の仕方が忘れられず、基本さえ承認されれは、あとは担当者の裁量で行う当社のやり方になじめなかったようでした」
Cは総務の一部を担当していた。急成長したV社では、例えば、採用を例に取ると、前年の経過を示す文書もあまりない。また、大筋での打合はあるが、その後は課長、係長の判断でどんどん進み、部長といえども経過は伝わってこない。黙っていると、最終段階で呼ばれるだけで口をはさむ余地が少ない。Cは、このような仕事の仕方に違和感を持ったのだ。人になじめなかったではないが、やはり新しい職場に溶け込めなかったのだ。
大企業出の中高年者は、転職先の会社に溶け込むのは大変のようだ。しかし、溶け込まなくては何事もはじまらない。人材斡旋会社イムカの武原誠郎社長は、「転職に成功するポイント」の一番目に、「郷に入っては郷に従え、その会社をよく見て、同僚、上司とうまくやっていけるか。*」をあげている。
* 「ヘッドハンターが自信を持って企業に売り込める人材<ポイント10>」
『SAPIO』、一九九〇年五月二四日号。

現場に接触するのは楽ではない

現場に接触するのは楽ではない
分業の進んだ大企業なら、現場と管理部門を往復するのがよい。現場だけでは部分しかみえない危険があり、管理部門だけでは現場感覚が鈍るからだ。しかし、往復人事が誰にでも行われるわけではない。そのため、管理部門が長い人が出てくる。そうすると、彼らは自分の努力で現場と接触し、自分の感覚を磨き、人から評価される仕事をしなければならない。しかし、実態はどうが。私が見聞してきたところでは、管理部門の人は意外に現場にはいかないのだ。
では、どうして現場に出かけないのか。
これにはいろいろな理由が考えられる。仮説をもとに事実を調べるという思考方法が身についていないこともある。現場が遠ければ出張経費が足りないこともある。しかし、もっとも大きいのは、会社の中に、現場に行きたくても行きにくい雰囲気があることだ。大手ならどの会社でも、本社など管理機関と現場は対立関係にある。本社では「現場は何を考えてやっているのか」といった風潮がある。一方、現場には「本社は現場の実態にあわない指示ばかり出してくる」といった不信感がある。これは、昨日今日の問題ではなく、長い歴史が積み重なったものである。だから、本社にいる一個人が現場に近づこうとすると、彼個人も本社の人とみられるから無言の抵抗を受ける。そして、その圧力に屈し現場から遠ざかってしまうのだ。
私は、刑事の世界の「現場百遍」とか「馬の足」といった言葉が好きで、現場に出かけることを信条としていた。しかし、これは必ずしも容易なことではなかった。現場が自分の直接管理するところであれば全く問題がない。労力を惜しむか否かだけだ。ところが、管理機関にいて現場に出かける場合は、それほど楽ではない。見学を申し出ても相手は何しにくるのかと身構える。また、見学の際、まずいことをみた時はそこだけのことにして秘密を守ることも必要だ。すぐに吹聴しては信頼が得られない。また、酒席をどうするかまでが悩みの種となる。酒席を避けるとなれば、午前中に見学時間を設定するなどの工夫も必要となる。簡単には現場にいけないのである。
しかし、現場から離れたのでは力は弱まるばかりである。管理機関と現場に距離があるといっても、個人の努力で解決できる部分もある。少しづつ信頼を得ながら、現場に近づく機会を増やすべきだ。

現場を離れては能力が低下する

現場を離れては能力が低下する
大企業ホワイトカラーの能力不足の原因として「現場からの遊離」がある。これは、中高年管理職に限ったことではないが、彼らの問題でもあるのでここで取り上げる。
最近、大手建設会社の四〇代なかばの人と会った。話題は、彼の転籍などにも及んだ。彼はあと数年で転籍勧奨を受けるという。勧奨といっても実質は命令であるから深刻に受け止めているようだ。
私は、彼に、「今後、もし仕事の選択ができるなら、できるだけ現場に近い仕事を選んだら」などと感想じみたことを述べてみた。それは、彼は本社の調査部門が長く、最近、現場から離れているからだ。もちろん、彼も調査業務のなかで、社内外の現場によく出かけている。
だから、現場から完全に遊離したとはいえない。しかし、現場で働くのと、調査で必要事項のみ調べにいくのとでは大きな違いがある。感覚が錆びついていることは確かだ。転籍などを考えると、現場に出て生きた体験をし、感覚をフレッシュにしておいた方が何かと有利であろう。私も、四〇才から五年間、閑職として管理部門にいた。しかし、幸いにも退職前の三年間は現場で仕事を得た。そして、そこでの経験が退職後の仕事に大いに役に立った。
企業規模が大きくなると、分業が進み管理専門、調査専門といった仕事が出でくる。そして、誰かがこれを分担する。しかし、長い間これらの仕事をしていると、そのうち現場がわからなくなる。一方、中小企業では、小規模なら管理専門の人はいないといってよい。全員が現場業務を持っている。
中小企業への転職・転籍とは、中小企業の現場に入ることである。そうすると、大企業で管理・調査専門であった人は戸惑うことになる。当然、苦労が多くなり、転職・転籍自体も難しくなる。
大企業の人事では本社の人が有利である。人事権者に顔を知られているからだ。だから、当然、本社に人気が高まる。しかし、現場から切り離されるマイナスは否定できない。ここを十分に考えておかないと、あとであわてることにもなる。社会的通用力からみると現場のポストは有利である。

身分の意識から脱却を

身分の意識から脱却を
管理職が行うべき雑用についてもう少し考えてみよう。
職場で雑用とされるうちの一部は、組織の各構成員の義務である。ところが、これを管理職がよく理解していないことがある。
最近、ある会社を退職した女性からこんな話を聞いた。
「ある時、課長がコピーを私に頼んできた。私は、その時ものすごく忙しかった。課長はそれを知りながら頼んできたのですが、その時、課長はほかにする仕事はなかったのです」
この女性の恨みのこもった言葉である。もっとも、このような話は過去にも何回か聞いてきた。職場では繰り返し起こることである。
では、どうして繰り返されるのか。それは職場に存在する身分制に起因する。本来、課長、係長、社員などの区分は、職務を分担する上でのものである。しかし、実態はこれに身分制の意識が結びついている。そのため、例えば、課長になると、自分の机もふけない、お茶もくめない、コピーもできないといった人が出てくる。自分は高い身分にいると意識するため、自分のなすべきことを部下に押しつけることになる。その結果、部下の反感を買い、あげくのはて自分の能力までも落としている。
実務のできない管理職について、東京管理職ユニオンの大野隆はこういう。(東京管理職ユニオンは、平成不況による中高年管理職のクビ切りに対抗して、個人加盟の組合として結成されたもの)
「東京管理職ユニオンのメンバーの多くは、ワープロやパソコンを使いこなせない。一方最近できた女性ユニオン東京の組合員は、ほぼ全員がワープロの熟達者で、パンフレットなどを簡単につくる。これは中高年男性労働者が(たとえ企業がそのように育てたとは言え)、自分で体を動かして実務をこなしてこなかったことを、明らかにしている。
何かにつけ『大の男のする仕事か』などと言う人が多いが、身についているのは『社内人間関係対応術』だけで、それ以外の世界では生活できないことの悲しさをよく自覚すべきだ。私たちは、せめて身の回りのことはやれるようになってほしいと言っている。そうすれば、家族や地域とのつながりも見直すことができるだろう。*」
* 大野隆「退職届よさようなら解雇通告よこんにちは」、『エコノミスト』
一九九五年五月二三日号、三六頁。
「ワープロやパソコンを使いこなせない」ことの評価は、各職場の実態をみなければしにくいことだ。しかし、それが、「管理職のすべきことではない」という身分意識からきている人がいることも事実である。
管理職の能力の低さの源を追求していくと、どうしても身分意識にぶつかる。乗り越えるべき大きな壁といった感じがする。

管理職の作業の再検討を

管理職の作業の再検討を

 私が期待をかけた「管理職はプレーイングマネージャーであるべきだ」との思いは意外にも評判が悪かった。しかし、なお、私は、プレーイングマネージャーにこだわりをもちたい。それは、管理職が、業務改善でリーダーシップを取るため、実務能力を維持するため、転職などに備えて適応力を維持するためである。プレーイングマネージャーをイメージし、管理職の作業のあり方を再検討する価値があると思うのだ。
 そこで、管理職の本来業務としての作業を整理してみた。
 第一は、業務の改善案を作るための前段の作業である。ここでは、原始データにあたり、かつ、加工することが作業となる。また、現場調査の実施、改善案の記述なども作業として追加されよう。
 第二は、社外や社内他部門との折衝に伴う作業である。業務改善の場合と同じで、管理職は折衝業務を部下まかせにする傾向が強い。折衝業務を取り戻せば、その前段階で資料の作成など諸作業が発生する。
 第三は、管理職固有の作業である。これは、主として、人事資料や組合説明資料などの作成作業で、性質上、他の社員が代替するのに適さないものである。
 第四は、管理職が本来業務を遂行するため、自ら勉強のために行なう作業である。これは、着任時に行なうものと、難題に挑戦するためのものに分けられよう。
 第五は、管理職自身が、一人の構成員として行なう作業である。これは、日常的には雑用的なものとみられている。休暇の申請など、社員として自分でするのが当然のことである。
 整理してみると、意外に管理職が自ら行なうべき作業は多いのだ。だから、プレーイングマネージャーを否定し、「管理職は作業をしないもの」と単純に考えるのは危険である。管理職の本来業務としての作業は、もっと追求されるべきではなかろうか。

プレーイングマネージャー論の当否

プレーイングマネージャー論の当否

 では、管理職はプレーイングマネージャーとして仕事をすることは正しいあり方であろうか。ここで、プレーイングマネージャーをめぐる議論について検討してみたい。
 私は、管理職のあり方をまとめるにあたり、当初、「管理職はプレーイングマネージャーであるべきだ」と考えていた。そして、それをもとに、中央大学教授の直江重彦に、プレーイングマネージャーについても聞いてみた。アメリカの経営学にも詳しい直江はこういう。
「プレーイングマネージャーはアメリカの経営学に出てくる。管理職はプレーしてはいけない。プレーをしてしまっては担当者と同じになってしまう。プレーイングマネージャーはマネジャーとなるための前段階としてとらえられている。いまだ、マネジャーになりえない人がプレーしながらマネジャー学を学ぶのである」
直江のいうところを文献で確かめようと、アメリカ経営学の本にあたったが、プレーイングマネージャーについて解説したものを発見できなかった。それはともかく、アメリカでは、各人の仕事の分担が明確である。だから、プレーイングマネージャーの理論のもとで、管理職が作業をむやみに行なうということは考えにくい。しかし、「いまだ、マネジャーになりえない人がプレーしながらマネジャー学を学ぶ」というのはうなずけることだ。
 日本ではどうか。経営学の概説書に何冊かあたってみたが、これを解説しているものはみあたらない。一方、管理職向けの自己啓発書には出てくる。そこでは、「プレーイングマネージャーは係長、主任の役割で、管理職としては避けるべきもの」とされている。管理職がプレーしてしまっては、本来の業務ができないからというのがその理由である。中には、「管理職がプレーイングマネージャーになることは企業にとってメリットがひとつもない」という人さえいる。どうも、プレーイングマネージャーは日本では評判が悪い。これは、本来の仕事をせず、実務に片寄る管理職が多いことの反映であろうか。

私の実務能力の獲得手法

私の実務能力の獲得手法

 大企業の管理職は、どのようにして実務能力を維持すべきか。
 まず、私の体験を述べてみよう。
 私は、若い時から「部下を持っても、できるだけ雑用は自分でしよう」と心に決めていた。それは、ある体験にもとづく。私は入社三年目に本社のある部門に配属された。そこには四つの課があり、各課の構成は、課長一名、課長補佐二名、係長四〜五名、係員一二〜一五名となっていた。ところが、職制上は局長直属であるが、実質上は課の構成員として調査役、調査員という部下なしの管理職が各課に一名づついた。一般の会社でいえば、調査役は部長待遇、調査員は課長待遇である。彼らは部下なしであるから、建前上は雑用を含むすべての仕事を一人でしなければならない。しかし、直前まで要職にあった人も多く、雑用をすることに抵抗感がある人もいた。そして、彼らは、ついつい係員に仕事を降ろしてくる。しかし、係員は自分自身の仕事があるから、彼らの依頼に陰に陽に抵抗する。そうすると依頼する方もつらくなる。
私は、これをみて感じるところがあった。そして、部下なしの管理職に自分の将来の姿をみて、「普段から雑用を自分ですることに慣れておこう」と心に決めたのである。この方針は、管理職となってからある程度実行に移してきた。例えば、自分に急ぐ仕事がないときは、部下がそばにいてもコピーなどは自分ですることにしていた。
 さて、その効果であるが、自営業として働く今日、何らかの形で生きているようだ。
 次は、私が三〇歳、係長の時代のことである。ある時、技術評論家、星野芳郎(現帝京大学教授)の「技術革新の停滞から脱しうる研究条件」という論文を読んだ。この中で星野は、研究開発の現場で、難関の突破をめざすチームにおける指導者のあり方について述べている。星野はこういう。
「ひとつの関門ででも行きづまってしまえば、いかに雄大な体系が指向されていたとしても、その体系はチームのものにはならない。チームすべての技術者が、それぞれに有効な示唆をあたえあうべきことはもちろんだが、とりわけ指導者は、ひとりひとりの技術者についてその示唆をあたえうる能力がなければ、指導者たりうる資格はない。このさい、指導者が、たんに外面的にチームをまとめているだけならば、原則的に、そのような示唆をあたえることはできないであろう。指導者もまた、チームの全員とともに第一線にあって、なんらかの最も重要な部署をうけもって仕事を押しすすめてゆくやりかたをとらなければ、そういう示唆をあたえることはできない。野球でいえば、4番打者であって監督であるという格好である。自分自身、ひとつの難問をうけもちながら、遠い目標をにらみ、仕事の体系的な前進を検討しつつ、チ−ムの全員の指導について努力するというのは、いかにも過酷な作業である。しかし、もともと指導者というのは、そういう苛酷な作業に耐えうる人間がなるべきもので、それが嫌ならば、はじめから研究や開発の幹部にならなければよいのである。*」
* 星野芳郎『技術革新の根本問題第2版』、一九六九年、勁草書房、三二一頁。
 私はこれを読んで、指導者は「4番打者であって監督」に注目した。それ以来、頭の片隅に「管理職はプレーイングマネージャーであるべきだ」という意識ができた。もっとも、星野はプレーイングマネージャーという用語は使っていない。
 「管理職はプレーイングマネージャーであるべきだ」という意識のもとで、私がしてきたことは何か。それは、管理職であっても、とにかく、自分の手をよごすことに努めた。内容は時によって異なる。繁忙期には部下の仕事の応援をする、また、弱点を持った部下がいれば彼の仕事を応援する、課題を抱えて困っている部下がいればその仕事の一部を買って出るといったものだ。業務改善の提案とか他部門との折衝など、管理職本来の仕事をするのは当然のことである。しかし、また、年間を通せば、管理職として構想力を練るための余裕時間は確保したいので、それに支障のない範囲に止めようとはしていた。私は、このようなやり方を、自分なりにプレーイングマネージャーと考えていた。
 私は自分の経験から、大企業の管理職といえども、やり方如何では、実務能力の維持も不可能ではないような気がする。もちろん、その能力は、中小企業で必要とされるものとは完全には一致はしないであろう。しかし、大企業での仕事は、中小企業への転職準備のためにあるのではない。だから、ある程度の不一致はやむを得ないが、また、多少の違いはベースがあれば転職後の努力でカバーできるのではないか。

一人で動けなければ中小企業の管理職は勤まらない

一人で動けなければ中小企業の管理職は勤まらない
中小企業の管理職に必要とされる実務能力について、中高年ホワイトカラーの再就職指導を行っている経営コンサルタントの酒井正敬はこういう。
「いちばん困るのは、売り物がない人、つまり専門分野がない人である。中小企業で欲しがっているのは、管理職でなく専門職だ。部下や秘書がいないと仕事ができないという人は、中小企業では使い物にならないのである。
たとえば経理担当を欲しがっている中小企業に、経理部長として再就職したとする。大企業であれば経理部長の下に経理課長がいて、さらにその下に大勢の経理課員がいるから、自分で実務をする必要がない。部長はでき上がったものに判を押すだけである。
しかし、中小企業では、もし女子社員が休んだら、それこそ自分で伝票の整理から帳簿付けまでしなければならない。もちろん、決算業務の知識も必要だ。何人かの女子社員を部下に持って、初歩的な事務から決算事務までを進めていけるような人間でなければ、中小企業の経理部長は努まらないのである。」
* 酒井正敬『移った会社で成功する法』、一九九三年、ダイヤモンド社
七〜八頁。
これは、実によく中小企業の実態を表現していると思う。酒井は、中小企業では、管理職といえども、一人で実務をこなす能力が必要なことを強調している。中小企業の管理職はオールランドプレーヤーであるといっているようだ。私も、中堅企業の子会社で非常勤役員としての経験がある。子会社自体はごく小規模であったが、社員一五〇名ほどの親会社の仕事振りがよくみえた。確かに、酒井のいうように、管理職はまさに自ら行動する人でかつ実務もこなす人であった。いや、管理職のみならず、程度の差こそあれ、これは役員全般についても同じであった。まさに管理のみする人はいないのだ。このような会社では、当然、管理職になっても実務の腕はほとんど低下しないであろう。
大企業ではどうか。残念ながら、机に座っている管理職、労務管理のみを仕事と心得る管理職、会議と部下の作成資料をチェックすることのみを仕事とする管理職などは、当然、実務の腕は落ちる。いや、実務どころか、「東京駅で新幹線の切符も買えない」と酷評された大手の役員もいる。大企業には、部下や秘書がいないと仕事ができない人が多いのだ。そして、彼らは、転職・転籍の際に苦労がまとめて出てくることになる。

労務管理に片寄らず「仕事に精通してほしい」との提言がある

労務管理に片寄らず「仕事に精通してほしい」との提言がある
中堅管理職はミドルともいわれるが、そのあり方に関して、ある経営者の主張を紹介する。
第一生命社長の櫻井孝穎は、経済ジャーナリストの竹間忠夫の取材に答えてミドルのあり方について述べている。(左記の文のうち、『 』内は櫻井の発言そのもので、「 」内は竹間が櫻井の発言を自分の言葉で表したものである。)
「櫻井は『ミドルは、まず自分の仕事に精通してほしい』という。それは、ミドルになると、仕事は労務管理だ、と考える人が多いからだ。
『ミドルに要求されるのは、与えられた業務に対する基本からの理解と、改革の意欲です。型破りといいますが、基本の型がなければ、それは“形なし”になってしまう。よく個性的とか個性派がいいといわれますが、それは往々にして基本ができていないことのいい訳になっていることがあります。基本、基礎がわかったうえで、一歩踏み越えることができる人が本当に個性的、型破りなんです』」
「業務に精通するというのは、どういうことか。櫻井の言葉には、単純な率先垂範とは違うニュアンスが滲んでいる。
『例えば、経理課長は、伝票に書かれている数字から、課員がやっているすべての仕事がみえています。そのうえで、その仕事のやり方でいいのかどうか考えて、改革すべきかどうかに踏み込むのがミドルの役割でしょう。その問題解決のため、どうやって部下を使うか考えて、はじめて労務管理の問題が出てくるのです』
部下の仕事の進め方を見誤らないためには、上に立つミドルが業務に精通しなければならない。ポストが上になっても、仕事が楽にならないどころか、ますます厳しいものになる。
『ポストが上にいくほど、経験のない仕事を担当させます。新しい職場に移れば、最初はアマチュアですから、長年、同じ仕事をしてきた課員に追いつくまで、かなりの勉強をしなければなりません』
だから、ミドルにとって労務管理は二の次になる。
『今は仕事が細分化され部下の数も減っていますから、実際、部下の管理は大したことではなくなっています。それに人間が好きであれば、人事のマネジメントはできるものです』*」
* 竹間忠夫『「人財」の条件』、一五二〜一五四頁による。
櫻井は、仕事が労務管理に片寄るミドルの欠点を指摘し、業務に精通した人材のみが改革の旗手になれるという。改革の旗手とは、「マニュアル作り」をする管理職と同じと考えてよかろう。
櫻井の発言で、もうひとつ私が注目するのは、「経理課長は、伝票に書かれている数字から、課員のやっているすべての仕事がみえています」という部分である。彼は、業務に精通するためには、自ら伝票などの原始データにあたる必要性を説いている。勉強とは、ビジネス書やマニュアルで勉強することだけではないのだ。
ここで、櫻井のいうところに若干つけ加えておきたい。櫻井は伝票を例としてあげたが、これは、部門が異なれば、顧客カードやクレーム記録であり、また、機器の故障履歴である。原始データは仕事によってさまざまだ。課長が業務改善に取り組むには、その前段として、課長自らが原始データにあたり、それを分析して施策を生み出さなければならない。そして、原始データをみてなお不明なことがあれば、次の段階として、現場に出かけたり、顧客を訪問することにもなる。あるいは、統計的解析といったこともあろう。そうすると、それらの過程で、作業も伴い、結果として実務をこなす腕も維持される。また、部下と共通の資料を使い、意見を交換することで一体感も生まれる。
以上、直江の「マニュアル作りをしない課長」、櫻井の「ミドルは、まず自分の仕事に精通してほしい」という主張を軸に、課長の問題点をみてきた。ある大手電機メーカーの研究員から「課長は部長の雑用係」と聞いたことがある。また、ある社の研修資料に「席に座ってばかりいる管理職」という表現もあった。このようなマイナスイメージからの脱却、即ち、管理職の復権に、中高年ホワイトカラーの能力向上への道があるのだ。
もうひとつ指摘しておきたい。それは、大企業では、係長以下が、管理職を祭り上げておきたいとか、管理職にはあまり干渉してほしくない、といった風潮があることだ。だから、リーダーシップを取ろうとしても陰に陽に抵抗を受ける。よそ者や素人に自分たちの領分を侵されては困るのだ。しかし、それを乗り越え、働く場を確保しないと確実に能力は低下しよう。

リーダーシップを取るには

リーダーシップを取るには
大企業においては係長の役割が大きい。しかし、これによって、課長本来の役割が軽減されるわけではない。課長は権限も大きく、カバーする業務範囲も広い。また、自身の能力の維持向上のためにも、本来の役割を果たす必要がある。にもかかわらず、どうして課長は業務で主導権を取れないのか。彼らのおかれた状況などをみながら検討しよう。
大企業における人事の特徴のひとつは、管理職を未経験の分野につかせることである。これは、幅広く経験させるとか、職場の同質集団化を防ぐとか、理由はいろいろあるようだ。一方、中小企業では、部長が退職などで空席となれば、課長が部長になり係長が課長になるといった方法さえ取られる。大企業ではこのような例はあまり聞かない。
さて、このような人事異動の結果、課長は実務経験のない仕事を担当することになる。他部門から、いわばよその者として転入したハンディがあるのに、さらに未経験の業務を担当する。しかも、一担当者ではないから、先輩を見習いながらマスターするのではなく、指導者として業務をマスターし、しかも改革に結びつけなければならない。
問題は、未経験の仕事を、門外漢として、いかに消化し改革するかにある。この方法については、既に、第五章で、企画力のつけ方について述べたところが参考になる。即ち、仮説の設定・資料収集と検証・理論の構築(仮説の修正)の方法である。藤田が「工場・事業場内の問題をすみずみまで調査し」というように、未経験の分野でも徹底して調査分析すれば、先はみえてくる。もちろん、問題によっては、仮説の設定すら難しいことがある。しかし、未経験といっても同じ会社の仕事である。糸口位はさがせるはずだ。また、それもみつからなければ、まず、自分自身の見習い期間を設定し、そこでいろいろ体験する方法もある。未経験者は、経験にもとづく先入観から開放されており、有利な面もあるから悲観することはない。

今の課長からは指導者のイメージが出てこない

今の課長からは指導者のイメージが出てこない

業務の遂行で主導権を持たない課長は何をしているのか。課長の実像は何なのか。まず、私の体験をもとに考えてみたい。
私は電話局長として三期八年の間に、延べ三〇人弱の課長を部下に持ってきた。その他、自分でも一度だけ課長としての経験がある。また、部下として数名の課長のもとにいた。ここでいう課長とは、おおむね、係長二名以上、課員総勢一〇名以上の上に立つ人である。この位の部下を持てば、会社によっては部長でもあるようだ。
さて、私は、NTT勤務、特に電話局長時代を思い起こして、課長の実像を作ってみようとした。しかし、明確な姿が浮かんでこない。もっとも、現役当時は、課長が本来どんな職務をすべきかなどと考えたことはあまりなかった。課長と私の間、もしくは、係長や中堅社員も含めて、いかに相互の弱点を補い合い、仕事を円滑にすすめるかが課題であったからだ。集団主義のもとにある職場では、仕事の範囲や責任の追求より、相互に補完しあうことが優先されていたのだ。
さて、そこで過去を振り返って、少し無理に、やや極端な形で課長像を作ってみた。
課長像としては二つが浮かぶ。
一つは、机に座ったままの課長である。こういって失礼であれば、机に座っている時間の長い課長である。彼らは会議や出張でもなければ年中机に座っている。このタイプは、部下の数が中程度で、その割には、業務範囲も広くなく、かつ業務が安定した部門に多い。もちろん、彼らも、人事資料や組合説明資料の作成、休暇の承認など、課長特有の業務は行なう。しかし、これはさほどの業務量ではない。また、業務が安定しているため社内外との折衝もあまりない。このため、机に座っている時間が長くなるのだ。
次は、忙しそうな課長である。彼らは、帰宅時間も遅く、年中、仕事に追われている。では、原因は何か。もちろん、業務範囲が広くかつ部下の数が多いケースもある。しかし、業務量も適当、人数も適当なのに忙しい人がいる。それは、彼らが、あたかも担当者のごとく作業をするためである。そして、これにも二つのタイプがある。ひとつは、作業が好きな人だ。特に、現場経験の豊富な人は作業を好んで行なう。昔取ったきねづかで腕を振るいたくなるようだ。もうひとつは、部下に仕事を振り分けることができず、不本意ながら自分で作業をする人だ。命令してトラブルを起こすより、自分で作業するほうが楽なのだ。
この二つのタイプを比較してみると、机に座ったままの人に比べ、忙しい人のほうが生き生きしている。何といっても仕事をしないのはつらいからだ。また、仕事がなくては成長の機会がなく発言権も減る。さらに、給与の対価を提供していないため、部下からの苦情のもとになる。私は、上司として、座ったままの課長をみながら、しばしば不快感を覚えていた。
ここで、誤解のないように付け加えておくが、これらのことは、彼らの人格そのものを問題にしているのではない。人格は人それぞれで、現に、私は今でも彼らの何人かとは友人として交流がある。また、課長して立派な役割をはたしていた人がいたことも当然のことである。
「机に座ったままの課長」、「忙しそうな課長」からは、リーダーシップを取り、進んで難題に挑戦する姿は出てこない。
では、課長がリーダーシップを発揮しなくとも、組織が動く理由は何か。
それは、係長が多様な役割を果たすためである。係長は、まず、日常業務の主導権を握り、日々の作業を部下に振り分ける。また、業務の年間計画、月間計画を作り、さらに、他部門との折衝もこなす。そのほか、自ら一部の業務も分担する。つまり、彼らは人事管理と業務管理の双方をこなしている。課長は、オールラウンドに働く係長の上に立つ。だから、力量如何にかかわらず勤まっているともいえる。

マニュアル作りができれば転職はできる

マニュアル作りができれば転職はできる

 前章でも一部紹介したが、大企業のホワイトカラーに「専門力がない」といった批判があることについて、中央大学教授の直江重彦に聞いてみた。直江はシンクタンク勤務の経験があり、そこで、コンサルティング活動も行い、企業の実情に通じている。彼は、即座にかつ明確にこういう。
「日本の課長はマニュアル作りができない。そのため、仕事の説明を求めてもできない。アメリカでは課長がマニュアルを作る。そして、仕事を個々人に割り振る。そこで、担当者がその仕事をこなせなければマニュアルを変える、場合によっては担当者を入れ替える。日本では課長は皆と同じ部屋にいるが、あれはよくないのでは。課長は皆と同じ仕事をすべきではない。マニュアル作りをすべきだ。マニュアルを自分で作れることができれば、他の会社にいっても仕事ができる。人間関係のノウハウは他企業に移転しにくい。日本のホワイトカラーの生産性が低いのは、管理職の役割が仕事の改善に向かっていないからだ」
 直江はマニュアル作りと表現したが、具体的には、新たらしい仕事をどういう方式で進めるか、既存の仕事をどう改善するか、また、仕事を部下にどう振り分けるか、などいったことであろう。直江は、これらの仕事で、課長がリーダーとしての役割を発揮していないといい、その結果、課長は社会的に通用する能力を失っていると指摘するのである。
 人によっては、このような見方は極端であるというかもしれない。課長は、業務遂行の面で指導権を持たなければ、リーダーシップを取っていないことになるからだ。しかし、大企業の人なら、自分の職場をよく思い起こせばわかることではないか。管理職は意外にリーダーシップを取っていないのだ。

応用力不足、実務能力不足との指摘がある

応用力不足、実務能力不足との指摘がある

 まず、大企業の管理職の弱点についてみてみよう。もっとも、ここでは、大企業で仕事をする場合の弱点ではなく、転職・転籍先となる中小企業で働いた場合の弱点である。
 中小企業側からみた大企業の管理職経験者の評価を、ある調査の結果からみてみよう。
 螢屮薀ぅ肇ャリアでは、一九九一年五月に、同社の再就職援助により大手企業の中高年管理職を受け入れた中小企業七八社を対象にアンケート調査を行った。
 受け入れた中高年転職者の評価に関しては、
技術系(企業数七〇社)
「期待以上である」 四.三%
「まあ期待したとおりである」 四〇.〇%
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  「あまり期待したほどではない」 一八.六%
「まったく期待にそぐわない」 一.四%

 経営・事務職(企業数七〇社)
「期待以上である」 一一.四%
「まあ期待したとおりである」 五〇.〇%
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  「あまり期待したほどではない」 二七.一%
「まったく期待にそぐわない」 四.三%

 技術系で約二〇%、経営・事務職で三〇%以上の人が、期待に反した評価を受けている。

 期待に反した評価を受けた理由に関しては
  技術系
 「事業環境が大手と異なり経験が生かされない」 四二.九%
 「管理職経験は豊富でも実務能力に欠ける」 四二.九%
 「応用力に欠けるため能力活用ができない」 二八.六%
 「職場に溶け込めないため能力が活かせない」 二一.四%
 「新技術の理解・対応力に欠ける」 二一.四%
 「技術が陳腐化しているため現状に対応できない」 七.一%
  経営・事務職
 「事業環境が大手と異なり経験が生かされない」 四〇.九%
 「管理職経験は豊富でも実務能力に欠ける」 三六.四%
 「応用力に欠けるため能力活用ができない」 二七.三%
 「職場に溶け込めないため能力が活かせない」 二二.七%
 「職場のOA機器等を十分に活用できない」 四.五%
 「技術が陳腐化しているため現状に対応できない」 四.五%

 期待に反した理由としては、「事業環境が大手と異なり経験が生かされない」という包括的な理由が高いが、「管理職経験は豊富でも実務能力に欠ける」、「応用力に欠けるため能力活用ができない」といった理由が、「新技術の理解・対応力に欠ける」、「技術が陳腐化しているため現状に対応できない」といった理由を上回っている。これは、中高年管理職の弱点は、技術などの知識や理解力より、応用力、実務能力といった面にあることを示している。
* 以上は、花井誠『ミドルからのキャリア開発戦略』、一九九三年、ダイヤモンド社一〇八〜一一〇頁による。
 さて、応用力・実務能力不足を指摘する生の声も多い。その一部を紹介しよう。
 独立系の情報通信の中堅会社で企画業務を担当するSは、応用力不足に関してこういう。
「官庁や大手からきた人が中心にいる会社は、体力はあるだろうが、機動性は完全になくなっている」
 ここで、体力があるとは、官庁や大手との取引が保障されているといった意味である。また、機動性とは、市場や技術の変化にすばやく対応することを意味しており、いわば、応用力の問題といえよう。
 また、ある大手メーカーの中堅社員は、子会社の人から聞いた話としてこういう。
「子会社の人は、出向者に対して『人物と応用力に問題がある』といっている」
実務能力不足については、私は、次の話を思い出す。
これは、ある官庁系財団の営業所長(プロパー社員)の話である。この財団には、営業所長として多くの転籍者が官公庁からくる。ところが、四人のうち三人は一ヵ月で辞めていくという。それは、この財団では、営業所長といえども自ら電卓をいれなければならず、事務量も極めて多く、長年、上級管理職としてやってきた人はには勤まらないのだ。もっとも、これには、一つの注釈が必要だ。転籍者は五五才を過ぎており、所長の仕事をしてみて、「いまさらこうまで働く必要はない」と感じたとも思われるのだ。彼らは、年金のほか、退職金などで相当の蓄積もあり、そのため、さほど稼ぐ必要がないという事情もあるのだ。
 もちろん、受入れ側の中小企業などにも問題がないわけではない。子会社の場合なら、「親会社の企画のもとで生きていて、自らの創意工夫がない」とか、中小企業であれば、「オーナー経営者の意向がすべてだ」とか多くの批判がある。しかし、大企業ホワイトカラーが、転籍先でいかに生きる力をつけるかにある。以下では、大企業ホワイトカラーが応用力、実務能力に欠ける理由について、いくつかの角度から検討してみたい。

管理職になって腕がにぶってくる

第九章 管理職となってからが正念場

管理職になって腕がにぶってくる
ホワイトカラーをめぐる雇用調整は、主に、中高年者におきる。そして、彼らの多くは管理職である。そこで、ここでは、中高年管理職にしぼって諸問題を考えてみたい。
中高年ホワイトカラーの評価の低さについては、前章でもふれたが、実力低下の主因は、彼らが管理職として仕事をしてきたことである。
日本の企業では専門職制度が確立していない。このため、ある年齢に達すると、高度の専門技術を持った人でも管理職に任用される。私もNTT時代にそのような事例をみて、産業界というか世の中のためにもったいないと感じたことがあった。
高度な技術者、いわゆるプロはごくまれであるから、問題は、一応の専門技術を持った人が管理職になった後にある。彼らは、管理職となったのだから、当然、蓄えてきた技術を直接発揮する場を失う。しかし、失業したわけではない。管理職として、同じ会社で仕事を与えられる。彼らは、新しいポストで、過去の専門技術をベースとして、新たに実力をつけ加えることができれば問題はない。そうすれば、転職しても、他社から評価されるものがあるはずだ。
しかし、現実は、管理職となって蓄積した専門能力が失われ、その反面、新たに評価できるものが身につかないのである。つまり、管理職となって腕が鈍ってしまうのだ。大企業ホワイトカラーが評価を高めるには、どうしても管理職のあり方を再検討しなければならないのだ。
(参考)
ケンブリッジ・リサーチ研究所の岡本義幸は、管理職となって専門知識が失われることに関して次のように述べている。
「たいていの社員は会社の都合で、そしてジョブ・ローテーション(定期配置転換)で仕事や職場を変えさせられて三〇代から四〇代前半までの専門職志向がなくなって経営管理者として昇格してゆくか、わき道にそれて余り重要でない仕事に移されてゆく。そしてその過程で社員はその人の本来の専門職とかスキルが失われてしまって転職をしたいと思っても潰しがきかなくされているのが現状のようである。・・・特に大手都市銀行や総合商社などにこの傾向が著しく、私ども人材コンサルタントがどんなに努力しても新しいキャリアの可能性を提供することができない場合が多い。*」
* 岡本義幸『40歳からの転機と転職』、九九頁。

自立精神への道は「狭き門」

自立精神への道は「狭き門」

 さて、これまで、受身の姿勢をやめ自立精神を持てば、大企業から離れても展望は開けるなどと書いてきた。しかし、実は、大いに気になることをひとつ残してきた。それは、受身に慣れた人が自立精神を獲得するには、大変な苦労が伴うということだ。特に、大企業にいる人は苦労の度が高いであろう。
 では、苦労をもたらすもの、自立精神を妨害するものは何なのであろうか。
 会社であるといえば簡単だ。しかし、もうひとつはっきりしない。まさか、取締役会で妨害を決定することもあり得ない。
 実は、妨害を加えるのは周囲の社員である。同僚でもあれば上司でもある。もちろん、部下も妨害者となりうる。だから、自立の姿勢に切替え、それまでと違った行動を取ると、途端に周囲から圧力がかかるのだ。端的にいえば孤立するのである。だから、孤立に耐えられるかどうかが課題となる。
 もっとも孤立に耐えるといっても、その状態がいつまでも続くものでもない。切替え当初は激しい孤立感にも悩まされようが、ある時期をすぎると、今度は「一家言のある人」として、周囲からそれなりに尊重してもらえる。そうすると、応援者も出てくるから、孤立感があったとしても、それは初期とは違ったものとある。
 私は、サラリーマン生活の中で、会社の内外に自立精神旺盛な人を何人もみてきた。しかし、彼らがどのようにしてそれに至ったかについては聞いてこなかった。人によっては、あたかも先天的に身につけていたような人もいた。しかし、そんなことはあり得ないから、彼らも、家庭教育などの影響があったのだろう。私自身は、主に二〇代の数年間にそれなりの苦労を味わった。
 受身の姿勢の強い人が、四〇代後半で、極めて短期間に自立精神を獲得した例がある。彼は、ノイローゼ寸前まで苦労したというが、それを「四面楚歌」と表現していた。回りの人が皆、敵にみえたという意味である。
 彼が、短期間に乗り越えたのにはわけがある。それは、彼には力強い応援者Aがいたのである。Aは、彼の相談にのったが、徹底的に厳しい態度を要求したという。
 自立精神の獲得を目指す人に、Aのような応援者がいればよい。しかし、そのような人に出合うの現実には難しい。そうであれば、普通は、多少時間がかかっても、自分でこつこつ積み重ねるしか方法はないような気がする。そうすると、その間に挫折が待ってもいよう。それだけに、自立精神への門は「狭き門」ともいえそうだ。もっとも、自立精神を獲得すれば、その先は、自分で人生を作るのだから、楽しみが倍加する。それを信じて頑張ればよいと思う。

年功賃金もアマチュア精神を生んでいる

年功賃金もアマチュア精神を生んでいる

 アマチュア精神を生み出す背景について、もうひとつふれておきたい。
 それは、賃金が仕事と直結していないことである。もちろん、サラリーマンの賃金も、仕事の対価ではある。しかし、年功賃金ではこの原則がくずれている。同じ仕事をしていても、年齢、学歴、勤続年数などによって受給額が異なる。囲碁の専門家のように、強ければ二〇代でも最高の報酬を得るといったシステムにはなっていない。
 仕事と賃金の結びつきが薄いため、サラリーマンは仕事をする時に、対価についての意識が薄い。私自身、自分の仕事と賃金を結びつけて考えたことはあまりなかった。仕事は仕事で何らかの使命感や義務感などに燃えて一生懸命する。もちろん、時には状況をみてほどほどにすることもある。これは、賃金の低かった若い時も、高給を得た四〇代も変わりはなかった。一方、賃金は賃金として、仕事とは別に、まるで定額の年金をもらうように手にする。もらろん、安いという不満を持つこともある。しかし、その多くは生活できるだけの額であるかどうかが基準となる。わずかに、対価性を意識するのは、残業をする時くらいであった。
 サラリーマンの大半は、私とさほど変わらない気持で仕事をしているのではないか。
 また、仕事と昇進が直結していないことにも問題である。業績をあげれば、今すぐ収入が増えなくても、次期の昇進に結びつき昇給すれば、仕事と賃金が関連してくる。しかし、昇進の大きな要素は、年功、学歴である。ここでも対価性を意識することは難しい。
 囲碁の坂田栄男によれば、プロとしての真剣味は、「勝負は生活に直結している」ことにある。そうであれば、仕事と賃金の対価性を意識しにくいサラリーマンが、アマチュア精神のままでいることは、ある意味で当然である。
 しかし、問題は、サラリーマンは、個人としての力量を問われる時がくる可能性があることだ。その時に、「私はアマチュアだ」といってみてもはじまらない。サラリーマンは、アマチュアを育てる環境のなかで、自分だけはプロの精神で仕事をしようという気持が必要となる。
無意識に仕事をしていては、アマチュアのまま時が過ぎてしまう。

プロになるには自立精神が前提となる

プロになるには自立精神が前提となる

 これまで、サラリーマンのアマチュア精神の根源についていくつか述べてきた。いずれも、集団に対する依存心が働き、自立精神の欠如がもたらす行動様式である。まさに、集団主義がアマチュアを生み出しているのだ。
 ホワイトカラーのあり方について、よく、スペシャリストかゼネラリストかといった議論がなされる。しかし、日本のホワイトカラーの場合、それとは次元の違う問題がある。自立精神を欠いたままいかに知識技能を深めても、そこから、社会的に通用する能力は出てこない。能力は組織の中の実践を通して向上するものであるからだ。
 第六章でみたように、スペシャリストの意味は、必ずしもはっきりしない。一般的には、知識・技能の幅と深みで説明する。しかし、それは、少なくとも集団主義のもと、自分が埋没しがちな状態で仕事をするホワイトカラーを対象にする限り適切でない。仮に、スペシャリストとして成長するのに適した場についても、自立精神が発揮されない限り、社会的に通用する知識技能は身につかないからだ。
(参考)
旭リサーチセンターOBで、評論家の小川俊一は、自立と職業能力の関係について、次のようにいう。
「本当に職業能力として自立する(といっても必ずしも『企業から独立する』という意味ではない)ということは、自分の仕事の範囲、条件、リズムなどを自分の意思で決められる、ということである。自分の意思だけで、というのがちょっと言い過ぎなら、少なくとも、交渉レベルの中に自分の意思をハッキリ織り込むことができる、といってもよい。この『自分の意思で』というシステムのない仕事を『自立』とはいわない。そして本来の意味での専門職は、この自立性の条件を外しては決して論じられないはずである。」
* 小川俊一『人脈づくりは40歳からが面白い』、一九九一年、日本経済新聞社
五七頁。

「させられている」はアマチュア精神を生み出す

「させられている」はアマチュア精神を生み出す

 ある研究会の自己紹介で、私は「今、ホワイトカラー向けの本を書いている。大企業ホワイトカラーはどうして専門力が弱いのか、どうして中小企業で通用しないのか、この原因の究明が課題です」といった。そうしたところ、Jが「その原因はよくわかりますよ。『させられている』という意識です」とアドバイスしてくれた。Jは技術者で、当初は三千人位の会社にいたが、その後、六〇人位の会社をへて今は二〇人ほどの会社にいる。彼は転職を重ねるなかで、大企業と中小企業のサラリーマンの違いを肌で感じていたのだ。
 Jの話を聞き、私はなるほどと思った。実は、私の気に食わないことのひとつは、「させられている」という言葉を聞くことであった。例えば、次のような会話である。
「今はどんな仕事をしているの」
「新規の顧客開拓のため、訪問先のリストを作らせられています」
 「させられています」が入るのは、内心、「こんなことをしてもむだだ」、「これは本来自分の仕事でない」、「自分なら別の方法があるのだか」といった気持があるためだ。私は、このような答えを聞きながら、「ああ、彼はだめだなあ」と思ったことが何度かある。
 もっとも、私自身が、「させられている」といったことも一度や二度ではない。不意に何かを聞かれ、無意識に「させられている」と答えている。ああ、「いってしまったなあ」と反省することも多かった。
 組織にいれば、不本意なこともしなければならない。思いどおりになることの方が少ない位である。だから、「させられている」という気持になるのは当然ともいえる。しかし、状況のゆるす限度に自分の意見を述べ、それが通らなければ、今度は、自分なりに消化して仕事を進めることが必要だ。その努力なしに、「させられている」という気持で仕事をすれば、気が入らないから、せっかくの実践の場が意味のないものになる。そして、その繰り返しの結果が、中小企業で通じない専門力となってしまう。「させられている」は、アマチュア精神の根源である。

集団で転職すればうまくいくとの皮肉

集団で転職すればうまくいくとの皮肉

 「専門力がない」ということに関して、中央大学教授の直江重彦にも聞いてみた。彼の答は第九章で取り上げるが、「集団で転職すればうまくいく」との指摘には驚いた。直江はこういう。
「アメリカでは各担当者はしきられた所にいる。そして、仕事の分担とその相互関係が明確になっているめ、各人が自分の仕事の範囲を知っている。そのため、やっている仕事、できる仕事が明確だ。日本では集団で仕事をする。各人の責任範囲が明確でない。そのため、日本では集団で転職すればうまく仕事ができるのかもしれない」
確かに、直江の指摘のとおり、日本の職場では仕事の分担がはっきりしないことがある。しかし、係とか課の単位では仕事は完結する。あるいは会社全体で完結することもある。相互に補い合う習慣があり、これが分担の不明確なところを埋めている。しかし、問題は、個々人の能力が補いを前提としたものとなってしまうことである。
直江と似た指摘をする人もいる。佐藤進はこういう。
「大企業の中高年出向者で見られる能力の特徴は、大企業の中で集団力としては大いに力を発揮するが、出向してばらばらになって働き出したときの能力を見ると充分でない。*」
* 佐藤進『中高年のための出向学入門』、九一頁。
 日本のホワイトカラーのアマチュア性は、集団では力を発揮できるが、個人としては弱い部分があるということだ。
 問題は、集団でのみ発揮できる能力のまま会社を離れた場合である。いうまでもなく、集団での転職や出向といった例はまれである。大手から、誰かがリーダーとなって、集団で退職し新会社を設立するケースがたまにある。また、子会社に転籍して、元の上司、同僚と仕事をするケースもある。しかし、これはあくまでも例外である。一般的に、転職、転籍はひとりで他の集団に入ることである。そして、まず、個人としての能力を問われる。そうすると、大企業から出る準備としては、「集団のもとで発揮される能力」を、「個人でも発揮できる能力」に変えることである。そして、「個人でも発揮できる能力」を持つのがプロである。

サラリーマンはアマチュアか

サラリーマンはアマチュアか

 サラリーマンはプロなのかアマなのか。いうまでもなく、サラリーマンは仕事で生計を立てている。仕事から離れれば収入はなくなるから、これは極めて自明のことだ。そうすると、サラリーマンも、皆、それぞれ自分の仕事についてのプロであるはずだ。
 問題は実質である。プロとよべるほどの真剣味があるかどうかである。
 私は、電話局長時代に、ちょっとしたことで、いらいらに悩まされたことがあった。例えば、私が、仕事を進める上での必要事項を部下のFに聞く。それは彼の担当業務のことである。ところが、返ってくる答えは「○○だと思います」である。もちろん、「思います」で足りることは皆無ではない。しかし、多くの場合、あいまいな答えをもとに先に進むことはできない。そこで、私は、「確認して」と再度の指示を出す。しかし、Fのような人を相手にするのが面倒になると、自分で調べたり、ほかの人に確認したりする。ところで、Fは、自分の返事があいまいでも、私自身が何とかするとでも考えていたのだろうか。
 「○○だと思います」という返事を、質問者の意図を意識することなく使うのは、真剣味にかけ、まさにアマチュアなのである。私自身は、断定的に、「○○です」、「わかりません。調べてみます」といった答え方をしてきた。また、「何に使いますか」と聞き、概数で済むのなら「これ位です」と即座に答える方式も取っていた。比較的マイペースで生きてきたので、自分の信用を大事にしたかったからである。
 大企業のホワイトカラーに「専門力がない」といった批判があることについて、その理由を、大手化学会社の部長に聞いことがある。彼は、転職の経験などはないが、躊躇なくこういった。
「大企業の社員に専門力がつかないのは、そばに聞ける人がいるからではないか。バランスシートを作るとして、担当者が急に休暇を取れば誰かが作るが、そばに聞ける人がいる。そのため、本人はしっかりした知識が身につかない」
 そばに聞ける人がいるのは日本の職場の特徴である。私自身、サラリーマン生活の中で、多くの人に教えてもらい、「どうもありがとうございます」だけで済ませてきた。日本の職場では、同僚に聞けばいとも簡単に教えてくれる。これはよいところでもあるが、反面わざわいすることもある。それは、ひとりで仕事をする知識技能が身につかない危険性があることだ。このため、人によっては、周囲に聞ける人がいない環境の職場にいくと力を発揮できなくなる。
 大企業の人の中には、そばに聞ける人がいて、いつでも教えてくれるのは当然、と思っている人はいないだろうか。実は、そうでない世界があるのだ。
これは外資系の会社での話である。大手メーカーにいたHは、転職で外資系の会社に入った。その会社は、社員は外国人が多く、仕事は英語で、また、つい立で社員の席が分かれていた。Hは英語で苦労はしなかったが、問題は、仕事でわからないことがあっても同僚が教えてくれなかったことだという。彼は、「何かを聞くと教えてくれず、それは自分で調べることだといわれた」といってこぼしていた。
 NTTでの話もある。私が入社して間もないころ、交換機の保守現場の年配者から、「昔は先輩が教えてくれず、困ったこともあった」といった話を聞かされた。交換機が故障する。新米社員に「直してこい」と先輩がいう。新米社員は必死に故障箇所を探す。もちろん、回路図もみる。しかし、どうしても直せない。そうして時間が大分たった頃、みかねた先輩がきて、そばで、ある接点にふっと息を吹きかけるだけで直すのだ。先輩は、最初から故障の原因はわかっていた。しかし、あえて教えず、無言のうちに「勉強せよ」と教えたのだろう。これは戦前ばかりでなく戦後にもあったようだ。新米は、先輩から手取り足取りで教えてもらうのではなく、先輩の背をみて学ぶという職人の世界の方式が、近年まで生きていたのだ。しかし、今では保守の現場もこうはなっていない。
 そばに聞ける人がいて、それに過度に頼るのはアマチュアであり、格段の努力で先輩の技術を盗み、また、試行錯誤して技術を身につけ、独力でも仕事に向かえる人がプロといえるのであろう。

プロがいうプロとアマの違い

プロがいうプロとアマの違い

 プロといえば、読者は何を思い浮かべるだろうか。私は子供の頃からスポーツをみるのが好きだったので、プロというとすぐにプロ野球が浮かぶ。最近ではサッカーのJリーグもこれに加わるがこれはまだ歴史が浅い。また、囲碁や将棋の世界でもプロという表現がよく出てくる。
 プロの世界の特徴はどこにあるのか、アマとはどこが違うのか。答えは簡単である。それは、生計の基盤にある。プロ野球選手もプロの棋士も、生計はプレーそのものから得る報酬で立てている。アマチュアもプレーするが、それはあくまでも趣味としてであって、生計は別にある。
 問題は実質的な違いである。ここでは、私が長年親しんできた囲碁の世界を例に取って説明してみたい。
 囲碁では、プロとアマの実力の差は比較的接近しているといわれてきた。主に、将棋と比較してのことである。しかし、プロアマ対抗戦など、長年の経過をみると、プロとアマとの実力の差は明確で乗り越え難いものがある。
 この差はどこからくるのか。いろいろな角度から説明できようが、ここでは坂田栄男名誉本因坊の言葉を紹介する。
 坂田は、プロとアマの違いについてこういう。
「このままアマチュアの棋力が向上を続けていって、その実力が専門家と同等になれるとはわたしは思わない。アマチュアの最高レベルの人がもっと強くなろうとするなら、専門家に転身するよりないと思う。・・・なぜプロに転じなければ強くならないか。それは勝負に対する真剣味の差である。プロの勝負は生活に直結しているが、アマは勝っても負けても直接生活に響くことはない。しょせんアマは楽しみで打っているのである。両者を同日に談ずること自体がまちがいかもしれない。*」
* 坂田栄男『坂田の碁3』、一九六四年、平凡社、二四七頁。
 囲碁の専門家の主な収入は対局料である。対局の多くはトーナメントで組まれている。勝てば次の対局があり収入が増える。このため、一つひとつの勝負が生計に大きく響く。坂田はプロとアマの実力の違いを、勝負と報酬の関連性からくる真剣味の違いに求めたのである。
 また、囲碁では「読み」ということある。「読み」とは、自分がこう指せば相手がこうくる、そうすると自分はこう指すといったことを、頭の中で追求することだ。「読み」に関して、しばしば、「アマは『だろう』で打ち切るが、プロはとことんまで追求する」といわれる。もちろん、プロといえども、いつもいつも完全に読み切れるわけではない。完全な「読み」は神の世界のことである。だから、「だろう」で打ち切るかどうかは、「読み」に取り組む真剣味の違いともいえよう。しかし、神わざであるのものを、人間が取り組むのには苦痛が伴う。だから、楽しみを求めるアマが「読み」を「だろう」で打ち切るのは当然のことかも知れない。しかし、生計を囲碁に求めるプロには「だろう」という精神では済まされないようだ。
 以上、囲碁を例にとって、プロとアマの違いを説明してみたが、プロのプロたるところは、生計費の獲得を背景とした真剣味であり、それが、アマチュアとの差となっているのだ。

プロになれとの諸提言

プロになれとの諸提言

 サラリーマンのあり方に対する提言を広く読んでいくと、「プロになれ」といった表現によく出会う。これは、サラリーマンのあるべき姿を、プロという切り口で表現しようとするものだ。意味するところは人によって異なるが、「スペシャリストを目指せ」とはニュアンスが異なる。どうやら日本のサラリーマンをめぐる問題には、スペシャリストかゼネラリストかといった切り口だけで示せない何かがあるようだ。
 では、プロとはどのような意味で使われているのか。
 おおよそ、次の三つの使われ方がある。
 ひとつは、文書のプロ、生産管理のプロといった使い方である。ここでは、プロとはある領域に精通した人という意味である。精通した人をプロというからには、多くのサラリーマンが、不十分な知識のまま仕事をしていることになる。
 第二は、積極的に発言し、行動する人をプロとするものだ。言い換えれば、主体的に仕事に取り組む人がプロである。ここでは、「仕事は自ら作るべきだ」、「難かしい仕事を狙え」、「摩擦を恐れるな」といった言葉が並べられている。主体性のある人をプロというのは、多くのサラリーマンが受身だということだ。
 第三は、報酬に見合う仕事をする人をプロとするものだ。仕事は無難に、報酬は高いほどよいという意識のサラリーマンはアマチュアだという指摘である。
 さて、プロという言葉の三つの使い方は、まったく違った意味のようでもあるが、また、主体性という点で関連性があるとも思われる。しかし、ここでは、これ以上深入りせず、次に、日常的に「プロ」といわれる世界をさぐってみたい。

評価の低い大企業ホワイトカラー

評価の低い大企業ホワイトカラー

 キャリア形成の仕方をみると、平均的な大企業ホワイトカラーは、業務経験の面で転職につ
まづくことはないのでは、という感じがしなくもない。
 しかし、現実は逆のようだ。
 四〇代後半から五〇代の人から、「俺たちは世間では通用しない」とか、「会社の名刺で仕事をしているだけで個人ではやっていけない」といった話を聞くことがある。大企業の現役でもある彼らが、何故このようにいうのか。それは、彼らが、他社へ転職・転籍して苦労している多くの先輩をみてきたからのようだ。
では、低い自己評価をくだす彼らはどのような人なのか。私からみれば、ごく普通の人である。決して、宴会の幹事のみを得意としてきたような人ではない。しかし、また、格段の努力をしてきた人でもない。彼らは平均的なホワイトカラーである。その彼らが、自分に低い自己評価しか与えられないのだ。
ホワイトカラーを受け入れた中小企業や子会社からの厳しい批判もある。
新日鉄を退社後、中小企業の経営者として活躍した佐藤進はこういう。
「私自身大企業卒業後、中小企業の経営再建に経営者の一人として数年間奔走した経験をもつが、大企業出向者でたよりになる人は思ったより少なかったと考えている。そのような修羅場で活躍できた人は、大企業出身者でも高校卒の管理者で、実務に強く、厳しい競争を勝ち抜いてきた本当に実力のある人々で、文字通り大企業が誇れるすばらしい人々であった。それに反して大学卒の人々は、優秀な人ももちろんいたが、・・・評論がさきばしる人も少なくはなかった。*」
* 佐藤進『中高年のための出向学入門』、一九九一年、学生社、三二頁。
 佐藤は、大手と中小、双方を理解できる経歴を持つ。公平な立場での見方といえそうだ。
 佐藤のような指摘は、多くの人から聞くことができる。
 大企業ホワイトカラーは、自分自身による評価も、受入れ側からの評価も、必ずしも芳しくはない。何故なのか。平均的なホワイトカラーは、申し分のないキャリアを形成してきたのではなかったか。しかし、現実は、キャリアが生きていないのである。

ホワイトカラーのキャリア形成の実態

第八章 プロになれば社会的通用力がつく

 本書は、大企業のホワイトカラーが、中高年以降、会社からうまく離れられるよう、多少でも助力できることを目的としている。具体的には、将来の転職・転籍先となる中小企業で通じるための能力のイメージを持ってもらうことだ。以下の二章で、さらに、具体策を示してみたい。

ホワイトカラーのキャリア形成の実態

 第六章では、狭い分野の経験しかないホワイトカラーは、中小企業への転職が難しく、広い分野の経験を持つ人が有利だと説明した。これは、中小企業は組織が小さく、そのため、一人ひとりの受け持つ範囲が広いためである。指摘されれば、誰にも容易に理解できよう。
 では、大企業のホワイトカラーは狭い分野しか経験していないのか。経験範囲が狭いから転
職で苦戦するのだろうか。
 まず、大企業ホワイトカラーのキャリアの形成の仕方をみてみよう。
 日本のホワイトカラーは、「部門を超えた幅広いローテーションのもとで昇進していくゼネラリスト」というのが研究者の間での通説である。また、ホワイトカラー自身も「私はゼネラリストです」といったことをいう。
 では、ゼネラリストとは何なのか。ここでも辞典にあたってみた。ところが、人事労務関係の辞典には解説がなく、また、英和辞典にも出ていない。通説といわれている割には変な話である。ゼネラリストは俗語のようだ。わずかに、『現代用語の基礎知識』(自由国民社、一九九〇年版)に「何でもできる人」と説明されていた。
 ゼネラリストとは何かについて、以下では、「部門を超えた幅広いローテーション」、「何でもできる人」の二つを手掛かりに考えてみよう。
 ある時、仕事仲間のDが、私に「そういえば、今泉さんは何でもできる人でしたね」といった。市場調査の仕事の分担に関連して出た言葉である。彼は、おおよそ、私のNTT時代の経歴を知っている。私の経歴は、設備管理、経営調査、購買、経理、コンピュータ部門総務で計一〇年、電話局長八年、他に閑職五年である。これをみると、確かに「部門を超えた幅広いローテーション」は満たしている。では、「何でもできる人」はどうか。退職後、いろいろな仕事をしてきた経験からすると、到底、「何でもできる」などということはできない。しかし、また、サラリーマン生活も二〇年を経験した頃には、NTTの仕事に限ってではあるが、「管理職としてなら大抵の仕事はこなせる」とも思っていた。これは、技術系のポストを含めての話である。これは私が事務系ながら、技術と事務の接点の職場に何度かいたこと、また、社外で技術者と交流が深かったためでもある。Yは、私のこのような経歴を知って、ひやかし半分に「何でもできる人でしたね」といったのである。
 さて、読者によっては、私の経歴は、ホワイトカラー一般からみれば例外的なものとみえないだろうか。技術分野の経験もあれば、経理のような事務系特有の経験もある。このようなローテーションをするのは、官庁のキャリア組だけで、他にはあまりないとも思うのではなかろうか。しかし、必ずしもそうとはいえない。ホワイトカラーの中には、分野の大きく異なる仕事を経験している人が結構いる。私がごく最近会った人の例でも、中堅商社の広報課長は、直前まで人事部で採用担当をしていた。また、証券会社の営業主任は、最近、人事部からきた人である。中堅機械メーカーの営業課長も、最近、製造部門からきた人である。彼は、以前は開発担当でもあった。このような例をみると、幅広い分野を経験している人は決して少なくないようだ。
 ホワイトカラー全般のローテーションはどうなっているのか。これについては、最近、いくつかの実証的研究が出ている。
 まず、全体の状況をみるために、あるアンケート調査の結果をみてみよう。
 日本労働研究開発機構では、一九九〇年に、従業員規模一〇〇〇人以上の大企業を対象にしてアンケート調査(「ホワイトカラーの企業内配置・昇進に関する実態調査」)を行った。
 * この調査では、ホワイトカラーを、四年制大卒ホワイトカラー(技術系を除く)に限定して問いかけている。なお、アンケートの調査表は二〇三九社に送付、有効回収数は六四〇社。
まず、部門を超えたローテーションの状況をみよう。

設問「貴社では、どのような方針に基づいて定期的な配置転換を行なっていますか。
(1)部門を超える配置転換について」
*この調査では部門を、人事、総務、営業、経理、購買、外注、研究開発、国際、企画、情報処理、製造に分類し、これらにまたがる場合を「部門超える転換」としている。
回答
 二〇代
「部門を超えて行なう」 五一.三%
「同一部門内で行なう」 一七.九%
「どちらとも言えない」 二九.六%
 三〇代
「部門を超えて行なう」 四六.九%
「同一部門内で行なう」 九.九%
「どちらとも言えない」 四一.六%
 四〇代
「部門を超えて行なう」 四〇.八%
「同一部門内で行なう」 一〇.三%
「どちらとも言えない」 四五.一%
 社員の年齢層に違いはあるが、大企業は配置転換を「部門を超えて行なう」ことに積極的で、「同一部門内で行なう」は極めて低率となっている。

次ぎに、配置転換の間隔をみよう。
 
設問「貴社では、個々の従業員について、何年に1回の間隔で配置転換が行なわれるのが望ましいとお考えですか。
回答
 二〇代
「二年に一回程度」 一二.四%
「三年に一回程度」 五六.八%
「四年に一回程度」 七.五%
「五年に一回程度」 一八.五%
 三〇代
「二年に一回程度」 一.六%
「三年に一回程度」 三二.二%
「四年に一回程度」 一三.四%
「五年に一回程度」 四四.一%
 四〇代
「二年に一回程度」 二.一%
「三年に一回程度」 二三.九%
「4年に一回程度」 八.七%
「五年に一回程度」 四四.四%

 間隔は、二〇代ではやや短く、積極的に異動させている様子が伺われるが、総じて各年代とも、大企業では、三〜五年に一度のローテーションを望ましいと考えられている。
 二つの設問を総合してみると、大卒ホワイトカラー(事務系)は、部門をまたがる異動をまじえて、三〜五年の周期でローテーションを行っているといえよう。その結果、勤続二〇年の時点をとらえると、四〜六回仕事を替え、その間に、部門を替え、事業所を替えることになる。大企業のホワイトカラーはゼネラリストという通説は正しいかのようだ。
*以上は、日本労働研究機構『大企業ホワイトカラーの異動と昇進』、一九九三年による。
しかし、この調査から、ホワイトカラーは、「部門を超えた幅広いローテーションのもとで昇進していく」という結論を導くのは早すぎる。それは、この調査では、部門を超えた異動といっても、その超え方の程度の設問がないからである。例えば、ある人が、総務部門から情報処理部門に異動したとする。この場合、彼の情報処理部門での仕事が、システム関連と、総務的仕事とでは全く意味が異なる。前者は完全に異質の仕事であるが、後者は部門という環境は異なるが同質に近い。もちろん、総務部にいるのと、情報処理部門にいるのとでは、仕事の内容に違いが出る。前者は分業体制のもと、狭い範囲の仕事を受け持つ。一方、後者は、通常、総務全般以外に経理、購買などまで受け持つ。だから、部門を替えたような、替えないような中間に位置するローテーションといえる。しかし、ここまで追求すると、アンケート調査では限界につきあたる。
 そこで、部門を超える配置転換の真相に迫るためには、他の資料で補足する必要がある。
 ホワイトカラーのキャリア形成の実態については、面接調査などにより、企業の人事方針、社員のキャリア形成の状況に個別具体的に追ったものがあり(*)、数十社の実態分析が示されている。
* 小池和男編『大卒ホワイトカラーの人材開発』、日本労働研究機構『大企業ホワイトカラーの異動と昇進』、神代和欣、桑原靖夫編『現代ホワイトカラーの労働問
題』など。
 これらによると、個別調査ではアンケート調査にみられるほど、部門を超える配置転換は行われていない。また、部門間異動であっても、担当する仕事に関連性を持たせたケースも多いようだ。中央官庁のキャリア組の人事のように、関連の薄い部門をまたぐローテーションを取る例は一部の企業に限られている。
 事例をもとにみてみよう。
 総合商社では「鉄鋼部門に配属されたら、定年まで鉄鋼だ、ということがよくいわれる」という。また、あるデパートでは「総合すれば、あきらかに専門性が認められ」るという。
 しかし、これらは、ホワイトカラーのキャリア形成の狭さを示すものではない。
 総合商社では、鉄鋼に配属された人は、鉄鋼という一つの商品群のなかで、受渡業務、貨物手配、デリバリーなどを経験した後、商取引の場に出る。そして、厚板、薄板など製品を変え、国内取引、輸出と取引形態を変える。また、商社員はほぼ全員が海外勤務につく。海外の事業所は規模が小さいため商品部門別組織がない。そこで彼らは専門以外の商品も扱う。このようにして、彼らは、総合性を身につけながら成長する。その結果、「商社におけるキャリア形成は商品群という専門性を軸としたうえでの幅ひろい経験と形容することができる。」と結論づけられている。
 デパートの例でも、幅広いキャリア形成がみられる。ここでは、例えば、紳士服部門であれば、この部門の中でのみ動くが、スーツ類、シャツ類、紳士雑貨類の三領域の全てを経験するように動く。これは、大学卒業者を管理者として養成するためである。そして、勤続一五年ほどで、店長と商品バイヤーに分かれていく。
 もっとも、部門をまたぎ、しかも、その間の仕事の関連性も薄い異動をさせる会社の事例も紹介されている。しかし、これらは全体からみるとごく少数である。
* 以上、この部分は主として小池和男編『大卒ホワイトカラーの人材開発』
一九九一年、東洋経済新報社、による。
(参考)
 一九八〇年に、全日本能率連盟・人間能力開発センターは、中高年ホワイトカラーのキャリア・パターンの調査を行った(サンプル数、一三三四)。そこから得られた結論について、桑原靖夫は次のように紹介している。
「そこで得られたキャリア・パターンについての結論は、各分野とも『富士山型』のキャリア・パターンをしている場合が多いということである。すなわち、精通した分野を中心として関連した分野についても一とおり以上に詳しく、裾野もかなり広いというキャリア・パターンをとる者が多いという。*」
* 桑原靖夫「管理者・経営者キャリア形成のメカニズム」、神代和欣・桑原靖夫編『現代ホワイトカラーの労働問題』、一九八八年、日本労働協会、所収、二七三頁。

 どうやら、アンケート調査にみられた、多くの会社が配置転換を「部門を超えて行なう」とする結果は割り引いてみなければならない。少なくとも、ホワイトカラー=ゼネラリストとは単純にはいいきれない。
 以上、ホワイトカラーのキャリア形成の状況についてみてきた。検討結果を整理すると、大企業のホワイトカラーは、ゼネラリストこそ少ないが、一定の領域の中で、仕事を替え、事業所を替えて、幅広い仕事を経験している。そうすると、多くの人は、適当に専門性もあるため、ゼネラリスト特有の欠点もなく、また、狭い分野しか経験しないスペシャリストのマイナス面もないことになる。ホワイトカラーは、平均的には理想的なキャリアを持っているといえそうだ。「人事なら給与しかできない」ような人は、例え、いたとしてもごくわずかであり、多くの人は幅広い知識・経験を持っていることになる。

欧米の研究者の見方

欧米の研究者の見方

 一九九五年の初夏、日本労働研究機構などの主催で、日米雇用シンポジウム(「二一世紀先進諸国の雇用の構築に向けて」)が、日米の研究者、実務家の参加のもとに開催された。私は、これを傍聴したのだが、討論のなかで、カリフォルニア大学教授ロバート・コールは次のようにいった。
「私は、三〇年前、一九六五年に日本にきた。鮮明に記憶に残っているが、その頃、盛んに、能力主義の台頭、終身雇用制度のゆらぎについて議論されていた。しかし、景気が後退しているときは、このような議論が必ず出てくるものなのです。ですから、今回もどれほど深刻なものなんでしょうか。(笑)……日本は四年間の非常に困難な状況から、ほんのわずかな調整だけで脱出しつつあるのです。もちろん、これは円高がどうなるかを考えなければなりませんが、日本はその雇用システムを大きく変えることなく、景気後退期から脱出しているようにみえます。……解決法は過去のものとは根本的にそう変わるものではないでしょう*」
* シンポジウムは、後日、NHKテレビで放映された。引用文は、テレビから私が要約したものである。
 この発言が誰に向けられたかは明確でない。当日の発言者に該当者がいないようなので、多分、終身雇用制度の崩壊を説く研究者や評論家一般に向けられたのであろう。
 さて、私が問題にしたいのは、コールの発言に対する日本のある参加者のコメントである。彼はこういった。
「これだけの円高だから、もう余地はない」
 何の余地がないというのか。Aの前後の発言からすると、ホワイトカラーを優遇する日本的雇用制度といったことになる。
私は、Aの発言を聞いた瞬間、非常に残念に思った。それは、コールの発言が事実を もとにしたものと取れたの対して、彼は、円高だからやっていけないはずだといった感覚的なものに取れたからである。
 Aの発言に私が強く反応したのには、もうひとつの理由がある。実は、二年程前に、ロバート・コールと同趣旨の発言をみていたからだ。
 それは、ロンドン大学教授のロナルド・ドーアである。彼は、龍谷大学の奥村宏教授との対談の中でこういっている。
「私が日本の労使関係の勉強を始め、日本の工場を訪ねたりし始めたのが、三〇年くらい前。そのころ、『転職のすすめ』とかいう本が出たり、終身雇用は封建的でもうおしまいだとか、そして年功序列賃金なんかけしからんので、職務給導入でと、会社の人事課が騒いでいた(笑)。三〇年前から今と同じようなことを聞いていますから、私は懐疑的にならざるを得ない(笑)。」
「終身雇用制はまず崩れない。一〇〇年かかって崩れるかもしれませんけれども
(笑)、崩れ方は非常に緩慢じゃない?」
* 以上は、「日本の“法人資本主義”はほころび始めた?」、『エコノミスト』
一九九三年五月二五日号、三二頁による。
コールやドーアの発言は特に目新しいものではない。日本人にも同じ見解の人はい る。私は、彼らが外国人だからといって感心したわけではないが、彼らの見解を紹介したのは、それが、過去の事実に基づいて将来の方向を示しているとみるからだ。一方、日本的経営終焉論をとる日本人は、どうも、円高とか空洞化など経済の局面の動きに過剰に反応しているようだ。
 ここで、終身雇用制度などの将来に関する私の見解を述べておく。
 繰り返しになるが、私は、終身雇用・年功序列は簡単には崩れないとの見方をとる。ロナルド・ドーアは、「一〇〇年かかって崩れるかもしれませんけれども」といったが、私は、もし、日本の資本主義が終わる時がきたら、その時にも、終身雇用・年功序列は残っているとまで考えている。ちょうど、徳川幕藩体制が士農工商の序列を残したまま崩壊したように。それは、終身雇用・年功序列制度の背景に極めて強いものがあるとみるからだ。年功序列についていえば、それを尊重するのは会社だけではない。自由民主党における、大臣の年功を重視した決め方、当選回数別の議員の会合、学校のクラブ活動における先輩後輩の関係などがその例だ。終身雇用・年功序列はまさに国民性に根ざしたもので簡単には変えられないのだ。
 もっとも、だからといって、これがホワイトカラーの自立精神の必要性を減らすものではない。終身雇用・年功序列のもとで、会社から離れる日がくるからこそ、一層自立精神の必要性が高まるからだ。

崩れない日本的経営システム

崩れない日本的経営システム

 日本的経営終焉論の主張者は、中高年ホワイトカラー論に向けて、終身雇用は終わった、社内でしか通用しない人間は不要だなどという。しかし、日本的経営とは何であろうか。諸々の制度・習慣を複合したものである。終身雇用はそのうちのひとつにしかすぎない。にもかかわらず、彼らは、終身雇用・年功序列は終わるというが、他のことにはあまりふれない。
 例えば、企業内労働組合は日本的経営のひとつである。しかし、これが消滅するという主張をみたことがない。もちろん、「組合員個々人の主体性を重視した組合をめざすべきだ」といった主張はある。しかし、企業内労働組合の消滅まで予測する人はいない。
 経営者が集団的指導体制を取るのも、日本的経営のひとつの特徴である。
 ある中堅食品メーカーの企画部長はこういう。
「日本の経営者の多くは、一人で決めて引っ張るという人はほとんどいない。多くは経営者群としての意思決定ですよ」
 また、大手企業の実情に詳しい、あるコンサルティング会社の社長はこういう。
「日本の大手の社長はほとんど順番で決まっている。例外は、業績不振などピンチにあった会社だけだ」
 また、日本的経営方式のひとつとして稟議制度がある。ボトムアップで重要事項までも決める方式である。TQCも同じ意味をもつ。これらの崩壊を説く人もあまりみない。
 もし、日本的経営が崩壊するのなら、経営者の選択システム、経営意思決定システムなども同時に変わらなければならない。しかし、これらにふれる人はほとんどいない。
 日本的経営は多くの制度・慣習を含んでいる。経営の諸問題を思い浮かべてみると、日本的経営は簡単には変われないのである。

(参考)
 労働問題の評論家中沢孝夫は、日本的経営終焉論について次のように批判している。
「『終身雇用や年功制などの日本的雇用は弊害が多い』とか『これからはストック社員とフロー社員に分かれてくる』といった一部経営者の発言や、日産自動車の管理職への年俸制の導入などを捉えて、日本的雇用の崩壊を語る論調が多いが、実態を精査してみると、大きな制度的な変化の兆しはやはりみえないのである。
 例えば退職金制度と定期昇給制度を廃止し、社宅や各種フリンジベネフィトも廃止し、その分を通常の賃金に上乗せする、といったり、あるいは定年制をなくし、採用も新卒の定期採用をなくし、年齢や役職を問わずアドホックな採用方法とする、といった企業はどこにも見当たらないのである。特に大企業の場合は、内部労働市場を中心とした従来型の人事管理の手法を変えようしている例は皆無であるといってさしつかえない。
 また、日本的な雇用慣行の変化や、その必要性を唱える論者も、どのような部分をどのように変えるのかの具体論となるとほとんど述べることがない、といってもさしつかえないだろう。」
「過去の不況時の論議を振り返ってみると、常に『年功序列や終身雇用は終わって』いるのだが、現実は内容を少しづづ変えながら企業忠誠型システムの強化に結果している。」
*以上は、中沢孝夫「平成不況では崩れない日本的雇用システム」
   『エコノミスト』、一九九四年、一月一八日号、二二〜二四頁による。

終身雇用の幻想ということ

終身雇用の幻想ということ

 終身雇用の幻想といったことがいわれる。
 終身雇用とは、もともと、大企業特有のもので、しかも、主に男子正社員にのみ適用されるものである。これを理解せず、「終身雇用は中小企業にも適用される」と思っていることを、終身雇用の幻想というのである。また、大企業の人が、「大企業にいるから必ず定年まで会社にいられる」と信じているのも終身雇用の幻想である。大企業は不況になれば解雇など雇用調整策を取るからである。
 日本的経営終焉論者の中には、実は、終身雇用の幻想と終身雇用を取り違えている人がいる。だから、雇用調整が表面に出てくると、すぐに終身雇用は終わりつつあり、日本的経営も終わるという。
 さて、大企業の雇用調整を、終身雇用の本質の一部とみるか、終身雇用が終わる兆候とみるかは、言葉の違い以上のものがある。前者では、雇用調整の対象となった中高年ホワイトカラーは、相変わらず閉鎖的雇用市場の中での職探しになるのに対し、後者では、新しい雇用制度、場合によっては、オープンなマーケットが期待できるかもしれないのである。今、雇用調整の真只中にある人にとっては変わりはなくても、これから自己啓発にはげもうという二〇代、三〇代のホワイトカラーには、準備の仕方が変わってくるからだ。終身雇用の幻想に惑わされないようにしてもらいたいのだ。

終身雇用制度は雇用調整を含んだもの

終身雇用制度は雇用調整を含んだもの

 日本的経営終焉論の根拠は、主として、終身雇用制度を字義どおりにとらえるところからきている。即ち、文字通り、定年まで一企業に勤めることができ、解雇などは絶対あり得ないととらえるのである。
 では、終身雇用制度とは、解雇を絶対に伴わない制度であったのか、また、そのような理解の仕方が通説であったのか。私は、三〇年ほど前にこの用語を知り、大企業に特有の制度だとは理解していたが、解雇との関係で考えたことはなかった。そこで、幾人かの研究者の主張にあたってみた。そうすると、実は、終身雇用制度は解雇などの雇用調整とセットになったものとして理解されているのだ。
 最近、『終身雇用』という著書を出した岡山大学の野村正實はこういう。
「日本企業の雇用慣行は終身雇用である、という命題が社会的にいかにひろがろうとしても、実態としては、日本の会社も、不況が深刻になる場合、人員整理をおこなってきた。*」
* 野村正實『終身雇用』、一九九四年、岩波書店、はじめにv頁。
 また、終身雇用と切り離せない年功制という用語の創始者である藤田若雄は、一九六七年にこういっている。
「年功賃金は、能力がなくても上って行く。ところがこの年功賃金は、昇進コースの行きずまりのところで首を切るシステムになっているでしょう。」
「年功序列のところでは、余剰人員は、企業の中に潜在している。そしてこれがある程度以上にふくれると、首切りをしないとならない」
* 以上は、「藤田若雄キリスト教社会思想著作集第2巻」、三七、四三頁による。
 学会の通説まで調べる余裕はないが、少なくとも一部の研究者は、終身雇用は雇用調整を繰り返しながら存続するものとして理解している。
 私の知る例でも、例えば、造船不況のときに、三井造船や石川島播磨重工業から多くの人が退職している。知人にも、会社の事情をさっして自主的にやめた人がいる。解雇ではないがそれに近いものがあろう。しかし、これらの会社が終身雇用をやめたという話は聞かない。また、旧国鉄についても同じである。民営化移行で、多くの退職者を出したが、JR各社が特殊な人事制度を取ったという話は聞かない。相変わらず終身雇用は生きているのだ。
 このように、日本の大企業は、経営不振などでホワイトカラーを排出する。しかし、そこで力を蓄え、残った者で終身雇用制度を維持するのである。
 終身雇用制度は、解雇など雇用調整を内に含むものとわかれば、日本的経営終焉論は容易に主張できないのではないか。

「日本的経営」は終わるか

「日本的経営」は終わるか

 中高年ホワイトカラーへの雇用調整の根源を、「日本的経営は終わった」(以下では、日本的経営終焉論と呼ぶ)ことに求める主張が数多くある。
 日本的経営終焉論は、評論家のほか経営者からも主張されている。以下では、堀紘一の見解を取り上げる。
 堀は、一九九四年に出版した『ホワイトカラー改造計画』で次のように述べている。
「今世紀中に日本的経営システムは抜本的に変わると私は考えている。いまの年功序列賃金、終身雇用、基本的に新卒しか採用せず、中途採用をしても最後は閑職に追いやるという採用処女主義など、人事管理の『三本柱』はすべてが消滅するだろう。」
「日本的経営の原点は『会社の拡大』にあった。拡大するためには、社員の『和』と『がんばり』が必要とされ、そのために、新卒しか採用しない『採用処女主義』、同期はだいたい同じように出世し、みかけの収入もそれほど差をつけない『年功序列賃金』、そして定年まで生活を保障する『終身雇用』の三本柱の人事管理システムで支えてきた。
このシステムの基礎である『会社の拡大』は、様々の理由でもう望めなくなった以 上、三本柱を崩していくしか、ほかに選択肢はないということである。ささやかな望みはとっくに絶たれてしまっているのだ。
 追い詰められたときに、まず、日本の経営者が着手するのは、雇用の見直しである。」「このホワイトカラー大量整理は、従来の景気低迷局面で見られた企業の不況対策と同じように映るが、同じではない。一時的な雇用調整でもない。不況を脱出すれば解決されるものでもない。日本経済、日本企業、日本的経営が『変化』に真正面から向き合い始めた兆候であり、『地殻変動』の始まりだと思う。」
* 以上は、堀紘一『ホワイトカラー改造計画』、一九九四年、朝日新聞社
一〜二〇頁による。
 堀の主張の特徴とその問題点をみてみよう。
 まず、堀は、日本的経営システムにおける人事管理の三本柱として、「年功序列賃金」、「終身雇用」、「採用処女主義」をあげている。一般的には、三番目の柱は「企業内労働組合」である。通説と異なった主張をする理由がわからないが、ここはさほどのことではない。 次は、日本的経営の原点は会社の拡大にあったが、拡大が望めなくなった以上、三本柱を崩していくしか選択肢がない、という主張である。
 この部分は大いに問題がある。日本経済は、一九七三年の第一次石油危機を境に低成長となっている。そして、この時点で、基本的には会社の拡大も止まっている。もちろん、これは総体的な話で、当然、業種・会社毎には違ってくる。しかし、堀のいうように、もし、会社の拡大が日本的経営の原点であるなら、低成長に移行した七〇年代に、人事管理の三本柱は崩壊しなければならない。しかし、現実は、微調整を繰り返しながら、今日まで、終身雇用・年功序列は続いてきた。
 三つ目は、「今世紀中に日本的経営システムは抜本的に変わる」、「人事管理の『三本柱』はすべて消滅する」といった主張である。もし、それが真実なら、三本柱に変わる新しい人事システムについて説明があるべきだ。今世紀中といえば、堀の著書が出た時点から六年しかない。六年後に抜本的に変わるのなら、既に、明確な兆候が出ているはずだ。
 以上、堀の主張の問題点を指摘したが、次に、堀のような日本的経営終焉論が出てくる背景を、もう少し掘り下げてみてみよう。

大企業はスペシャリストを活用できるの

大企業はスペシャリストを活用できるの

 中谷のいうように、確かに日本の企業は欧米から取り入れるものは減った。また、この傾向に対し、経営者に危機感があるのも事実である。日本の企業が独自の技術なり、商品を開発をする必要性は高まっている。しかし、だからといって、大企業が創造性豊かなスペシャリストを企業内に抱え、かつ、彼らを有効に活用できるか否かは別の次元の問題である。
 最近、私は通産省OBと次のような会話をした。
「なぜ、最近、審議会や委員会が多いのか」
「理由の一つは、最近、日本独自の発想が要求されてきたことと関係している。以前なら、海外にモデルがあった。そこで、頻繁に海外に出かけた。しかし、最近は学ぶものがなくなった。そこで、技術的な仕事を中心に民間の人達をはじめいろいろな人達と議論しながら、方向をみいだしていく方式を取ることとなった」
 中央官庁では、環境の変化に対応するため、独自の発想をできる人を中途採用するのではなく、外部の力を借りる方法を取っているのだ。
 こういったやり方は大企業にもみられるようだ。ある大手電機メーカーのベテラン社員に聞いてみた。
「大企業はアイデアを出せる人を内部に抱えることができるのか」
「それは必ずしも容易なことではない。当社でも、独自の発想を持つ幹部が意外に早く転出したりする。ある総合電機メーカーでは、社内でアイデアを生み出すより、外に求める方が早いとみたのか、アメリカのベンチャーと合弁会社を作り、そこから丸ごとアイデアを買い取る方式を取りはじめた」
 大企業がアイデアを確保するには、何も、社内にスペシャリストを抱える方式が唯一のものではない。よく指摘されるところだが、アイデア豊富な人は終身雇用制度にはなじまない。それなら制度を変えればよい。しかし、日本の中で、ひとつの会社のみが特殊な雇用慣行を取りにくい。日本全体が変わればよいが、それを待ってはいられない。だから、大企業も外部の力の活用を図るのが近道なのだ。

今日のスペシャリスト論

今日のスペシャリスト論

 今日、スペシャリスト論の主張者として、しばしば、マスコミに登場する中のひとりに、一橋大学教授の中谷巌がいる。彼の主張をみてみよう。
 まず、基本認識に関わることについてこういう。
「成熟経済の仲間入りをした日本経済の最も重要な課題のひとつは、これまでのいわば『途上国型』の企業経営スタイルを先進国にふさわしいものに変えていくことである。」
「先進国経済においては、経済発展の主要な原動力は自らオリジナルなコンセプトを生み出すというブレークスルー型のイノベーション力であって、日本が得意としてきた漸進的イノベーションだけでは不十分だ。なぜかいうと、日本ほど賃金水準が高くなると、どこの国でも使うような技術では競争力を維持することができないからである。所得水準の高い先進国の企業が競争力を維持するには、コストの高さを補って余りある斬新(ざんしん)なアイデアや高度な技術が必要だ。*」
* 中谷巌「平等主義・現場主義」(「読売新聞」一九九四年一二月二六日)
 中谷は、日本経済の現状から、企業にとっては、アイデアや高度の技術が必要なことを強調する。
 スペシャリストの必要性についてはこういう。
「これからはこのような人事評価制度(スペシャリストを優遇しない制度 筆者注)は大きく変わらざるをえなくなるだろう。というのは、これからの日本企業の最大の課題がオリジナルなアイデアをいかに生み出すかという点にあるからである。ゼネラリストは多くの部署を経験し、視野が広いという長所を持っている反面、自らの専門分野を持たず、オリジナルなアイデアを創り出すという仕事に向いていない。ゼネラリストの仕事はどちらかといえば、周りを見渡して有用そうな知識を収集し、それを総合化したり、融合するという仕事である。」
「これからは、スペシャリストとして素晴らしい能力を持っている人間が本来の創造的能力を発揮できるよう、企業の評価体制を抜本的に変える必要がある。スペシャリストに夢を与える人事の体系をつくり、内部育成型人材だけでなく、世界で通用する人間を外部からも調達して活用するシステムをつくらなければならない。彼らがゼネラリストの多くを後目に企業内を闊歩できる日がこないと日本の企業の将来はない、とすら筆者は考えている。*」
* 以上は、中谷巌『日本企業復活の条件』、一九九三年、東洋経済新報社
八九〜九〇頁による。
 中谷が、スペシャリストとしてイメージするのは、主として、オリジナルなアイデアを生み出すことのできる人である。
 中谷の主張を通してみると、スペシャリストが活躍しないと日本の企業の将来はない、だから、彼らが企業内で活躍できるようにすべきだ、彼らが活躍しないと日本の将来はない、といったことになる。しかし、企業、特に大企業が、はたして現実にスペシャリスを活躍させ得るか否かについてはふれていない。中谷の主張は、将来への期待を示したものと受け取るべきではないか。
 以上、森村と中谷のスペシャリスト論をみてきた。両者には三〇年の隔たりがある。しかし、スペシャリストを必要とする時代的背景は異なるが、両者の主張にそれほどの違いはないのではないか。

三〇年前のスペシャリスト論

第七章 スペシャリスト論の諸問題

三〇年前のスペシャリスト論

 これまでみたところで、「狭い分野で、長年にわたって仕事をしてきた人」が転職に有利という主張は容易に取りえないことがわかった。しかし、今後も、不況のたびに、「スペシャリストを目指せ」(スペシャリスト論)という提言が繰り返されることは目にみえている。そこで、以下では、スペシャリスト論を少し掘り下げてみてみよう。
 スペシャリスト論は大分以前からあるようだ。数年前、図書館で、森村稔著『スペシャリスト新時代』という本に出会った。副題には、「サラリーマン生き残りの条件」とある。これは、初版が一九六四年で、私が手にしたのは一〇版(一九六九年)である。当時のベストセラーであったのだ。タイトルは、平成不況の余波が続く今日でも使えそうだ。
 森村は三〇年以上前に何を考えていたのか。
 まず、基本認識に関わることについてこういう。
「戦後の技術や経営の発展のあとをながめると、昭和三十四年がいろいろな意味での一つの転機になっている。それは、わたしたちサラリーマンの社会に、スペシャリスト時代の到来ともいうべきあたらしい変化をもたらした。
 なにかの特技をもって創造的な仕事をする専門家、スペシャリストというものを軸にして、サラリーマンという職業(?)の性格が変えられつつある。大げさにいえば、なにかの具体的能力をもつものだけが生き残ってゆく時代のはじまりである。*」
* 森村稔『スペシャリスト時代』、一九六四年、実業之日本社、一頁。
 森村は三〇年以上前に、スペシャリスト時代の到来を予感したのである。
 森村のいうスペシャリストとはなにか。明確な定義はみられないが、以下のところから彼の意向が伺われる。
「大量サラリーマンの時代。これが今日だとすれば、明日は技術者の時代だ。いいなおせば、労働力が専門職業化する時代である。」
「技術をもつということは、スペシャリストになるということと同じことだ。」
* 以上は、森村稔『前掲書』、二五、二六頁による。
 技術を持つことをスペシャリストの要件としている。
 また、森村はスペシャリスト社会が誕生する背景について、技術革新、コンピュータの導入、生産のオートメーション化、販売革新などの動きをあげている。森村は、これらが必然的にスペシャリストを要求するとみたのである。
 さて、三〇年後の今日からながめてどうか。「スペシャリスト時代」、「具体的能力をもつものだけが生き残ってゆく時代」は到来しなかった。もちろん、高級技術者の需要の増大とか、コンピュータの専門職が重要になったなど、特定の技術を持つ人の地位は向上した。しかし、会社、あるいは世の中全般がスペシャリスト社会になることはなかった。

T字型、鳥居型スペシャリストなど

T字型、鳥居型スペシャリストなど  これまで見てきたように、どうも、狭い分野しか経験しないスペシャリストは評判が悪い。 では、ビジネス書などで、スペシャリストはどう解説されているのか。  その多くは、やはり、狭い分野しか知らないスペシャリストを否定し、複合能力を持つことをすすめている。例えば、「T字型人間」とか、「鳥居型人間」といった表現である。T字型とは、一つの専門を究め、それを基盤として周辺の知識を豊富にせよということだ。また、鳥居型とは、二つの専門を持ち、それを基盤として周辺の知識を身につけよということだ。中には、「どこの会社でも通じる実力を身につけよ」とまでいう人もいる。もっともこうなっては、何もいわないのと同じである。  このように、スペシャリストといっても、人によって内容は多様である。だから、スペシャリストという言葉にとらわれていては議論はかみあわない。ホワイトカラーがどうあるべきかは、彼らの転職などの実態をふまえて検討する必要がある。
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