低収入で豊かな生活をする人も
これまで、ホワイトカラーをめぐる諸問題を多面的にみてきたが、実は、大きな問題を残してきた。それは、大企業と中小企業の賃金格差の問題である。よく、「大手で一千万円の人は中小企業で六百万円が相場」といったような記事をみる。この差は、不変のものでもなかろうが、おおよそ、中高年者の転職のさいの目安となるものだ。もちろん、転職しても収入が増える人もいるが、全体からみればごく少数である。そうすると大手で高収入を得ている人は、収入の低下に備え何らかの経済的準備が必要となる。
これに関して、私が三〇年もの昔に聞いた話を紹介しよう。
一九六五年に私はNTT本社の運用局にいた。当時、ここの次長は高橋達雄という実力者で、経営のプロともいえる人であった。彼は、ある時、個室から大部屋に出てきて、仕事のついでにこういった。聞いていたのは三五歳以下の社員である。
「君ら、社宅に住むのは一〇年位でやめておけ。僕は、社内(の幹部の中)では一番就職の斡旋をしているが、『子供が小さい』、『家がない』、『仕事ができない』という三条件がそろっている人はなかなか決まらない。このような人は高給を望むからだ」
これは、当時、まだ若かった私の理解力を超えたものがあるが、妙に頭に残っており、いまでも彼が話した場所と姿勢まで浮かぶくらいである。
高橋の話には中高年者の転職に伴う多くの問題が含まれている。
ここでは、高橋の話を参考にして、私なりにの見方を付け加えておく。
世の中には多くの保険がある。生命保険もあれば火災保険もある。しかし、会社を離れる危険に対する保険は、失業保険のみで十分ではない。そうすると、サラリーマンは自分で保険に見合う対策を取らねばならない。
さて、高橋があげた三条件は、これを裏返すと一種の保険のような気がする。「家がある」「子供が大きい」「仕事ができる」という条件のどれかがあれば、いくらかでも転職などでの苦労が少なくなるからだ。 裏返した三つの条件のうち、「仕事ができる」に関しては、これまで述べてきたので省略する。
では、「家がある」、「子供が大きい」はどう考えるべきなのか。
家があり子供が大きければそれに越したことはない。しかし、子供の年齢は親が決められるものでもない。また、家も簡単には手にできない。同僚と変わらない収入を得ていても、親を養っている人もいれば、家族に病人がいる人もいる。同じ年収だからといって、同じように家を持てるというわけではない。
では、諸般の事情があって経済的にゆとりのない人は、どういった態度でのぞむべきなのか。高橋は、高給を望むから就職が決まらないといったが、高給を求めない考え方を取ることはできないのだろうか。
私は、生活に対する意識を変えることで、高給を得られないことに対する、ある程度の解決がつくと考えている。
例えば、最近、子供の教育費が上がっている。これが、サラリーマンにプレッシャーを与えていることは疑いない。しかし、教育費は絶対的な固定費であろうか。そうではない。子供は親の時々の収入の範囲で育つのである。
子供は親の財布をよくみている。財布をのぞいてはいないが、雰囲気から収入の程度がわかるのだ。だから、あると思えば高望みをするし、ないと思えば控えめになる。だから、教育費は固定費でなく変動費である。そう考えると精神的に楽にならないだろか。
これは教育費に限ったことではない。日産自動者を四〇代後半に退職し、その後、友人と共同で事業をはじめた増井健一は、雑誌の対談の中でこういう。
「いま僕たちは、固定費がものすごく高い生活を送っているはずです。つまらない見えにとらわれて、ムダな費用を使っている。それをもう一度見直したらどうか。生活も、気も楽になります。*」
* 勝畑良、増井健一「エリートビジネスマンが独立を決意するとき」
『エコノミスト』、一九九四年一一月二九日号、四六頁。
増井は教育費のほか、車や衣服などを例としてあげている。柔軟性のある経費は結構多いのだ。
都市銀行の管理職の年収の高さは承知の事実である。彼らがメーカーに転籍すると、年収は半分になるという。仮に、年収が一千四百万であれば七百万になるのだ。しかし、七百万といっても勤労者の平均よりはずっと高い。しかし、その辺の認識にかけ、せっかくの転籍勧奨を断り、その後、とてつもない苦労をしている人の話も聞く。もし、彼が、普段から、低収入の人はどのように生活をしているのかと、片隅からのぞいていたなら、チャンスをのがすことはなかったのではないか。収入が低ければは、当然、それなりの苦労はあろうが、しかし、それはそれで豊かな生活をしている人も多いのだ。