「健康」は自分の手で−健康自衛論−

病院に頼らない健康法(考え方)を展開します

2008年12月

科学は変わる?

 現代は科学優位の時代です。そのため、私たちは無意識のうちに科学をしたっているかもしれません。
 しかし、健康の分野に関しては科学は必ずしも有効とは限りません。

 私は、ある健康セミナーで「科学は変わる」との発言を聞きました。
 当日の講師は井上明さん(日本綜合医学会理事で食養指導者、断食指導者)でした。
 「科学は変わる」について、井上さんの著書から引用します。

「私は、『科学』は一面ウソつきだと思います。
 リノール酸が体に良いと言うので一生懸命使っていたらリノール酸の摂り過ぎはガンや糖尿病、心筋梗塞などの引き金になるし、アレルギーの原因にもなると言うのです。
 そこで今度はシソ油とかエゴマ油なんて聞いたこともない油が良いというので使っていたら、シソ油やエゴマ油は熱に弱いので天ぷらや炒め物には使ってはいけない。過酸化脂質に変わりやすくて活性酸素を発生し、老化を促進すると言うのです。
 そして次に流行した油がオリーブ油です。動脈硬化に良いと言うので老いても若きもオリーブ油です。
(中略)
 科学は新しい発見をどんどんします。そして昨日発見したことが今日修正され、今日発見したことが明日ウソになります。これが『科学の進歩』の現実です。」
(井上明『食事改善で真の健康を作る』文理書院、2004年)

 油以外にもこういったことはあるようです。
 その昔、といっても30〜40年前のことだと思いますが、タバコに関して、紙巻きタバコの紙が良くないと言われていました。しかし、今は特にそういったことは聞こえてきません。

 また、一時、ごはんや魚のコゲが良くないと言われていました。
 これに関して、私の友人は、「コゲ(炭のようなもの)ばどうして悪いのか、むしろ良いものではないか」といっていましたが、今はコゲが悪いとはあまり言わないようです。

 新聞を見ていると、健康の分野に関しどんどん新説が紹介されています。そして、多くの新説は、昨日まで正しいとされていたものを否定・批判しています。
 しかし、私たちは、その新説に振り回されると、落ちついた生活ができなくなります。そのため、科学情報とのつきあいもほどほどにしなければなりません。

 では、私たちは何に頼ればよいのでしょうか。
 私は伝統だと思っています。
 私は、子どものときに、親などから「人参がよい」、「にんにくが良い」といったことを聞いてきました。これらは50数年たったいまでも全く変わっていません。

(参考)
 井上さんは科学批判をしていますが、先に引用した文の次に、こうも言っています。
「しかし、私は科学を全面否定するつもりはありません。『物の科学』と『命の科学』を分けて考えるべきだと思うのです。物の科学は、あまり間違いはないようです。インターネットも、携帯電話も物の科学のお陰です。しかし命の科学は間違いが多く修正の連続です。」
 井上明さんの『食事改善で真の健康を作る』(文理書院、2004年)をお読みになることをお勧めいたします。「ああそうか」ということが多々あると思います。

非科学の中での科学?(現代医学の実態)

 お医者さんをはじめ、多くの人たちは現代医学を科学だと思っているようです。
 なかでも一部のお医者さんたちは、民間療法など現代医学以外の療法家に対して、非科学的であると厳しく批判しています。

 さて、私ですが、これまで深く考えたことはありませんでしたが、現代医学は科学であるとする意見に対して、あまり疑いをもったことはありませんでした。
 しかし、数カ月前に医師の石原結實さんの次の発言に出くわし少しはっとしました。

「慢性疾患は必ずその根本的な原因となる生活の乱れや、心身に対する無理があるわけですね。だから、そこに取り除かなければ解決しないのです。
 現代医学がこれだけ発展してきたにもかかわらず、いまだに原因不明の病気は何種類もあります。そして原因が不明なのに、西洋医学は、それをほとんど自己免疫性疾患として扱ってしまうのです。よく、西洋医学は『科学』と言いますが、病気という結果に対して、原因を特定するのが科学であるはずですから、現代医学は科学とは言えない一面がありますね。」
「その点では、西洋医学が時として非科学的だと馬鹿にする東洋医学のほうが、『全ての病気は血液の汚れ』といっているわけですから、よっぽど科学的といえるでしょう。」
(安保徹・石原結實『病気が逃げ出す生き方』講談社、2008年)

 私は仕事のため病気に関する本をよくみます。そして、特によく見るというか探すのが、特定の病気についての原因です。
 ところが現代医学系の本、すなわちお医者さんたちが書いた本には原因がほとんど書かれていないのです。
 いっぽう、東洋医学や食養法の本には原因がある程度書かれています。分からないことだらけなのが人間の体ですから、どの本にも十分といえるほどは書かれていませんが、それでも東洋医学系の本には原因が書かれれいるのです。

 石原結實さんは遠慮してか、「現代医学は科学とは言えない一面がありますね」といっていますが、私は次のように考えました。
「現代医学は病気の原因を追究しないから、基本的な部分では科学ではない。しかし、クスリの開発手法など、部分的には科学である」

 現代医学は「非科学の中での科学」というのが私の結論です。ただし、これは現代医学の生活習慣病の治療に関してことです。

治療に関する科学と迷信

 現代医学以外の治療法を「あやしい治療法」とみる人がいます。
 私の知人が、体調不良の人に玄米食などを勧めたところ「なんだ民間療法か」と言われたそうです。
 また、ある年配の女性は、米糠を主原料とした健康食品を勧められた際に、「まったく効力のない、おまじないみたいなもの」と思ったそうです。
 こういった話は、けっして珍しいことではなく、私の耳や目によく入ってくることです。
 
 整体療法の評価に関しても同じ現象がみられます。
 腰痛に関して、整体治療を勧めてみても、病院以外は絶対に行かないという人がけっこういます。

 どうしてこのようなことになるのでしょうか。
 私はつぎのように考えます。
 それは、病院や医者は科学で、食事療法や整体療法は科学でないといった感覚を、多くの人がもっているためではないでしょうか。
 そして、その背景には、欧米から導入されたものは価値が高く、日本や東洋のものは劣っている考える風潮があると思います。

 これに関して、実は、私は子どもの頃から30代の半ばまで、治療に関して、お医者さんのすることが絶対的で、整体療法などは何となく迷信みたいなもの(気味の悪いもの)と思ってきました(迷信とは、道理に合わないことを信じることです)。

 そのように思うにいたった理由は明確ではないのですが、多分、戦後(昭和20年代から30年代の前半)の学校や家庭での教育、また、マスコミから流れる諸情報のためだと思います。

 さて、以上のことに関し、私の見解を述べておきます。
 私は病気の治療に関し、治せる治療法が科学的で、治せない治療法が迷信だと考えるべきだと思います。

石塚左玄の診察の特徴

 前2回で医師・石塚左玄の診察風景を紹介しました。
 現代のお医者さんの診察と比較すると、ずいぶん変わったものではないでしょうか。

 では、石塚のような診察で患者の病気は治るのでしょうか。
 私は治ると思っています。
 そこで、石塚の診察の特徴をいったことを3つに整理し、私なりに説明してみます。

 まず、検査についてです。石塚は現代の病院がするような検査(レントゲン検査や血液検査など)はしていません。しかし、患者の体調は、顔や体型などの観察で、かなり分かるものです。当然、石塚は患者の病状を分かっていたと思います。

 つぎは、患者への指導内容です。石塚の指導は殆ど「食事の改善」です。われわれの感覚からするとクスリを使わないで治せるのとの疑問がわくかと思います。しかし、「食事の改善」の方がクスリより効果が高いのは、食事指導者ならだれでも分かっていることです。石塚も食事指導で十分な成果をあげていたのでしょう。

 3つ目は、石塚の患者に対する診察時間についてです。短いような感じがしますが、患者は石塚の他の患者に対する指導(主に食事指導)を聞いています。患者はそこからも多くのものを得ていたと思われます。

 石塚の「診察」は特異な感じがするかと思います。そのため、「科学が行き渡っていない明治時代のこと」と思う方もおられるでしょう。
 しかし、今の時代に石塚のような診察・指導をしている人たちがけっこういます。ごく一部の医師と、食養法の指導者たちです。そして、大きな成果をあげています。

石塚左玄の診察風景(2)

今回は石塚左玄の女性患者の診察風景です。

石塚と患者の会話の前に次の文章があります。
「今日は、婦人の患者が多い。中にも取りわけ目立った美人……やせ形にスラリと背が高く、どことなく沈鬱で、時々人知れずハンケチをキリリとかみしめる……華麗(はなやか)な善つくし美つくしの衣装……。」

以下は石塚左玄と患者の会話です。

先生「ドーしました」
美人「何だか気分がすぐれませんで」
先生「ハハ……お前さんはいったい何か、……十二月生まれだな……どこか、山国で生まれたな」
美人「ハイ、私は京都で大みそかに生まれました」
先生「京都というところは海に遠く山にかこまれ……そこで、塩気に乏しいのじゃ……それにお前さんは胎内に居た時が、夏であったから、母親が淡白な物を食っている……まあ野菜を主に食ったので……それで国柄と親柄とでお前さんのような人柄が出来たのじゃ」
美人「それでは京都は国が悪くて、私の親もよくなかったんですか」
先生「なに、そんな事があるものか……国と親とよかったためにお前さんのような目鼻立ちそろったのが出来たのじゃ」

美人、ハッと耳朶(じた)を赤くして「あらまあ、こんなに体が弱いんですもの……」
先生「そんな体を柳に雪折れなしといって、弱そうに見えて、存外強いものだ」
美人「それでは弱いのは何のためでしょうか」
先生「いったい国柄がよくて塩気が乏しい………それに、長い間、お乳をのましてもらったのじゃ。今時の牛乳育ちには見られぬ………だが、お前さんは東京に来てから西洋風の食物をやってる」
美人「叔父の家に来ていますが大の西洋封で………パン、牛乳、果物という具合で、私もついそうなりました」
先生「それが弱くなった原因だ………」

美人「それでは、どんな物を食べたらよろしゅうございますでしょうか」
先生「お前さんは、十年も牛乳やパンでやってきたのだから、身体はちょうどシンのない帯のようてもので、骨や筋が弱っている………そこで体のシンになるような物と、血の気を足さねばならぬ。第一に赤飯のおこわ、ごま塩たくさんふりかけてとか豆餅………お香の物と油気のもの………第二にゴボウとか蓮根、人参、大根、コンニャク、昆布、とか数の子、何でもこんの字のつくようなものと塩からくした物を食べるのじゃ、そうすると身体がだんだんしっかりしてきて、骨組みが出来る。それから子供出来るようになる」
美人「あら・、それでは、この身体にも子供が出来ましょうか?」
先生「ああ出来るとも、うけあいだ。おいおい月経も順調になる。玉のような男の子が出来るのじゃ」
美人「ほんとに………まあ………私、うれしくて………ああ、ありがうございます」並居る婦人もみんな………ひしひしと心に当たる事のみと見え、うえずいている。
(丸山博『丸山博著作集第3巻 食生活の基本を問う』農山漁村文化協会、1990)

 石塚は、このような診察を明治31年頃(48歳頃)から、東京市ヶ谷の「石塚食養所」(自宅)で開始しました。
 この医院には、毎朝早くから診察の順番札をとる人でにぎわい、また、全国各地から相談の手紙が届いていたそうです。
 ただ、残念なことに、石塚は明治42年、59歳で亡くなっています。死因は幼児期から続いた慢性腎炎のためとされていますが、多くの患者を診(み)すぎた過労のためのような感じもします。
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    (プロフィール) 矢だれです。関東在住の60歳代男性。食養法実践歴30年弱。現在、「正しい食生活」を伝えながら、ある健康食品の普及活動実施中。ご質問はメールで。imaizumiy@air.ocn.ne.jp
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