「正しい食生活」で健康に

体調不良の原因の大半は「食事」です

お知らせ

(2016年4月20日に一部書き換えました) 

 ご訪問いただきありがとうございます。
 このブログへの投稿は終了しておりますが、別のブログに好転反応について書きました。

 がんを克服するための諸情報というブログ(ホームページ的なもの)を立ち上げました。ガン予防法も投稿しましたので、いま、がんに恐怖心のない方にも参考になる内容かと思います。こちらだけでもご覧になってください。、
 
 また、「正しい食生活」で健康に、と同じようなテーマのブログを持っています(投稿は終了)。健康問題を大局的に扱ったもので、このブログの続編です
(「「健康」は自分の手で」)。
 よろしくお願いいたします。

 さて、当ブログの内容ですが、健康の回復・維持・増進につながる「正しい食生活」を中心において書いてあります。
 きっと役立つ情報があると思いますので、カテゴリー別、月別などによって、少しでもお読みになっていただければ幸いです。

 なお、このブログの内容やその他のことについて質問等がございましたら、お気軽に、私(矢だれ)宛にメール(imaizumiy@air.ocn.ne.jp)をください。
 このブログの投稿終了後もけっこう勉強をしていますので、お役にたてることがあると思います。また、諸事情でブログに書けない情報もあります。分かる範囲(多少は調べて)ですが、誠意をもって回答などをさせていただきます。

ガン関連のお知らせ

(2011年7月13日追加)
がんを克服するための諸情報というブログ(ホームページ的なもの)を立ち上げました。参考にしてください。

(2010年9月1日修正)
 がんの患者学研究所(元NHK職員で、がん患者であった川竹さん主宰)が、がん克服のための小冊子『すべては、あなたが治るため』を無料で配布しています。
 私の知人はこれを読み、「小さいながらも、がん完治への熱意や、患者への励ましに満ちています」と言いました。
 がんの経験者及びその家族や友達の方は一読をお勧めいたします。
 また、がんに対する不安を持っている方にもおすすめです。
 この冊子を手にしたい方は、がんの患者学研究所のホームページ(下記参照)をごらんください。
(上記ホームページへのアクセスなどが上手くできない方は、私にご連絡ください。冊子入手のお手伝いをいたします。連絡先はimaizumiy@air.ocn.ne.jpの矢だれです。)
 
 同研究所のホームページもごらんください。

(注)例外的に投稿しました。

食の格言

◆一物全体食(1)
 一物は「いちもつ」とも読みますが、「いちぶつ」でよいでしょう。
 一物全体食(いちぶつぜんたいしょく)は、自然医学・食養法の多くの本に出てくる言葉です。「正しい食生活」のあり方を熟語で述べたものです。
 意味は実に簡単です。
 ひとつの食べ物の全体を食べなさいということです。
 魚なら、頭もしっぽも取らずに、骨まで、丸ごと食べなさいということです。
 小魚なら簡単にできますね。
 大根なら、根だけでなく葉っぱも食べなさいということです。しかも皮もむかないで。 穀物なら、精白せず、表皮も胚芽も食べないさということです。
 なぜ、一物(いちぶつ)の全体を食べる必要があるのでしょうか。
 ある食生活の指導者は、体調不良の原因に関し「ビタミン・ミネラルが不足しているから」と、よく言います。
 いまの日本人は、ビタミン・ミネラルが不足している人が多いのです。
 その理由は、白米、魚の切り身、皮をむいた果物などを食べ、食物の全体を食べないからです。
 前にも書きましたが、米を例にとると、ビタミン・ミネラルに関し、白米は玄米の5%くらいしかないのです。
 他の食べ物については、こういったデータを見ることはほとんどできません。
 しかし、丸ごと食べるとビタミン・ミネラルの不足を解消できることは疑いのないことです。
 丸ごと食べることができない物や、できないときがあります。しかし、できるだけ一物(いちぶつ)の全体を食べようと努力したいものです。少しづつの積み重ねが健康につながります。
(二〇〇五年七月五日)

◆一物全体食(2)
 一物全体食(いちぶつぜんたいしょく)は、野性の動物にとってはあたり前のことです。
 人間以外は道具を使いません。ですから、ごく普通に食物の全体を食べることになりがちです。もちろん例外はありますが。
 ここでは犬(家畜ですが)の例を紹介します。
 昨年のお盆の日、親戚宅でのことです。
 この家では犬(ラブラドール・リトリーバー)を飼っています。
 親戚が集まった日、ここのご主人、まず、犬にピーナツを殻(から)のままあげました。
 そうしたところ、犬は殻ごと(殻も皮も実も)食べました。
 私は「殻まで食べるのか」と少し驚きました。
 われわれの多くは、ピーナツの殻どころか薄皮も食べません。実だけを食べます。
 つぎに、枝豆を、さやのままあげました。
 こんどは、枝豆は食べましたが、さやは口から出しました。
 犬にとっても、さやは固すぎたようです。
 さて、このように、人間以外の動物は、人間に比べると、ずっと一物全体食的です。
 しかし、何が何でも全体を食べるわけではありません。物によりけりです。
 私たちも、動物に見習い、できるだけ一物の全体を食べたいものです。
 一物の全体を食べれるば食べるほど、ビタミン・ミネラル、食物繊維が豊富にとれます。
 その結果、高血圧、糖尿病、肥満といった慢性病的なものと縁が薄くなります。
(二〇〇五年七月八日)

◆一物全体食(3)
 一物(いちぶつ)の全体を食べるためには、料理の段階が大切です。しかし、料理しない人にも努力の余地はあります。
 たとえば、リンゴは皮をむかないで食べるとか、ピーナツなら皮つきのものを買うとか、その気になれば色々と工夫の余地があります。
 私の子どもの時代(物不足の時代)のことですが、梅干しの種を石で割って実を食べたり、魚の骨をストーブで焼いて食べたり、みかんの皮を乾燥させて食べたり(苦くて美味しくはない)、いろいろやっていました。
 その気になれば、いろいろあるものです。食べ物の豊富な時代にはむずかしいかもしれませんが。
 ここで、私が森下敬一さんから学んだ2つのことを紹介します。
 最初は、小魚(こざかな)に関してです。
 森下さんは動物性食品の過食をいましめています。
 いっぽう、一物全体食の関連では小魚を勧めています。
 しらすからいわし(小さいもの)くらいまでなら、だれでも全体を食べることができます。骨も食べますから、気になるカルシウムも補えます。
 森下さんは、牛肉に関し、「もし牛を丸ごと食べるのなら良い」といったことを書いています。逆にいえば、牛は丸ごと食べられないから、牛肉は勧められないと言っているのです。
 つぎは海草に関してです。
 つい最近知ったのですが、森下さんは「海草はどの部分を食べても一物全体食になっている」といったことを書いています。昆布などの、食べ物としての良さを言っているわけです。そして、無理に根昆布を食べる必要はないということにもなるでしょうか。
 私たちは、もっと海草を食べてもよいような気がします。
 ただし、異常に沢山食べるのは禁物ですが。
(二〇〇五年七月十一日)

◆身土不二(1)
 ヨーグルトの過食の可否との関連で、「身土不二」という四字熟語を思い出しました。 身土不二は、しんどふじと読みます。
 普通、ほとんど聞かない言葉です。
 手元の国語辞典や漢和辞典には出ていません。
 ところが、身土不二は、自然医学・食養法の多くの本で解説されています。
 前に取り上げた一物全体食と双璧です。
 意味ですが、身土不二の身は人の体、土は草木を含めた土地、不二は一体であることです。
 全体としては、「人は自分の暮らす土地と一体であるべきだ」といったことです。
 食べ物に関しては言えば、「人は自分が暮らす土地から、季節ごとに得られるものを食べるべきだ」ということです。
 そして、そうすれば病気になりにくいというのです。
 さて、ヨーグルトに戻ります。
 「ヨーグルトは沢山食べたほうが良い」という意見と、「ヨーグルトの過食は危険である」という意見の両方を聞いたとします。
 皆さんどうしますか。
 どちらが正しいか迷うでしょう。
 だからといって、私たちが学術論文を読むわけにもいきません。
 こんなとき「身土不二」がひとつの判断基準になります。
 高温多湿で草木のよく育つ日本の土地では、乳牛を飼う必要も習慣もありませんでした。
 ですから、「ヨーグルトは日本では常食にはしていなかった。だから、たくさん食べるのは良くないかも知れない」と考えてみるのです。
 この説明、ちょっと「身土不二」とニュアンスが違うかも知れませんが、拡張解釈の範囲かと思います。
(二〇〇五年十月一日)

◆身土不二(2)
 身土不二は食べ物に関していえば、「自分が暮らす土地から…季節ごとに得られるものを食べるべきだ」ということです。
 これを読んで、皆さま、どのように感じますか。
 私の場合、普段食べている物が、どこでとれたものかは殆ど意識していません。
 私は、東京圏に住んでいます。
 私の自宅の周辺には田畑はほとんどありません。
 私の食べ物の多くは他県、他国でとれたものです。
 ですから、「自分が暮らす土地から得られるもの」にこだわっていられません。
 そのため、普段、身土不二を意識することはほとんどありません。
 身土不二に関連して、多少意識するのは果物についてです。
 いま、果物は南方産のものがたくさん売られています。
 バナナとかパイナップルなどです。
 これらのものは水分が豊富です。
 そのため、熱帯など暑い地域向きの食べ物です。
 熱帯地域の人が食べれば、果物が体を冷やしてくれます。
 ところが、これを温帯地域に住む人が沢山食べると、体が冷え、病気につながりかねないのです。
 熱帯産に限らず、国内産の果物についても、たくさん食べるのは弊害がでてきます。特に寒い季節に。
(追記)身土不二によれば、野菜や果物は、初物(はつもの)でなく、最盛期(旬、しゅんと読みます)のものを食べるべきだ、ということになります。そのため、経済的でもあります。
(二〇〇五年十月六日)

◆対症療法
 対症療法(たいしょうりょうほう)は、病気治療を考えるうえで、極めて重要な言葉です。
 しかし、あまり聞かない言葉でしょう。
 たとえば財政改革について、「税のアップなどの対症療法ではダメで、行政改革など本質的な問題を解決しなければならない」といったふうにです。
 医学用語としての対症療法(対症適応)ですが、私の手元にある南山堂医学大辞典では、つぎのように説明しています。
「治療上、病の原因を顧慮することなく、病の結果である症状にのみ着目し、これを除くために種々の薬物を適用することをいう」
 つまり、対症療法は病気の原因を基にした本質的な対策ではなく、症状だけをみた対策だというのです。
 そして、その例に薬の使用をあげています。
 なお、病の原因を考慮した措置は原因療法(原因適応)といいます。
 さて、われわれの病気に話を移します。
 現代日本人の慢性病の原因の大半は「食事の乱れ」にあります。
 そのため、慢性病に直面した人は、「正しい食事」に戻ることが原因療法です。
 そうでなく、薬や手術など、食事に着目しない多くの他の療法は対症療法なのです。
 対症療法は必要です。
 長い人生のなかで、対症療法のお世話にならない人はいないのです。
 しかし、対症療法では将来に向けて病気の完全に近い回復はないのです。
 ところが、病院で行う多くの治療は対症療法です。
 このことは、お医者さんも認めるところです。
 お医者さんによっては、「病院は病気の進行を(対症療法で)くい止めるだけです。ですから、回復のために、ご自分で病気のために良いと思ったことはしてください」などと言っています。
 さて、食事を変えるのが原因療法といいましたが、すべての場合にあてはまるのではありません。
 過労死するほど働いて病気になった人は、仕事を減らすことが原因療法です。
 その場合、食事を変えるのは副次的対策で対症療法といえるでしょう。
(二〇〇五年十月十六日)

このブログへの投稿を終了するにあたって

 本日をもって、このブログへの投稿を、すべて終了いたします。
 多くの方々にお読みいただき深く感謝いたします。

 このブログは、当面、このままで残しておきます。
 たまに再訪問していただければ幸いです。

(お知らせ1)
 このブログの内容やその他のことについて質問等がございましたら私宛メール(imaizumiy@air.ocn.ne.jp)をください。
 分かる範囲でご回答などをさせていただきます。

(お知らせ2)
 5月30日の「お知らせ」もごらんください。

3222

おわりに

 専門外の者が挑戦した健康論であったが、当初の予想より苦戦した。それは、これまで私が勉強不足であったからだ。
 今回、書く機会を得たことにより、私にとって新しいこと、また理解不十分だったことを勉強することができた。このため、私自身、いままでよりもっと健康にすごせるのではないかと思っている。

 書き終えての感想として、食養法をめぐる状況を25年前と比較しておきたい。
 まず、よくなったことは、玄米など未精白穀物のよさが広く知れわたったことである。スーパーで玄米や胚芽米が売られ、会社の食堂に麦飯や玄米食があり、駅前の食堂に麦飯があったりする。25年前にはあり得なかったことである。さらに、発芽玄米や玄米粉も発売され、未精白穀物を食べる環境は確実によくなった。

 いっぽう気になることもある。それは、食養法の基本を書いた本を手に入れにくくなったことである。大書店でないかぎり、書店の棚で見つけることはむずかしくなっている。また、著者の高齢化が気にかかる。どうも食養法の指導者には、後継者不足があるようだ。

 おわりに、2つのことを提言しておきたい。

 ひとつは、まず、どんな方法でもよいから、できるだけ未精白穀物を食べてもらいたいということである。そして、そのような努力をつづければ、ごく自然に健康への道が開かれてくるのではないか、と私は思っている。

 つぎは、食養法の基本をしっかり身につけてもらいたいということである。食事を変えて一時的に体調がよくなることがある。しかし、基本を理解していないなら、やがて食事は元に戻り、体調も悪くなっていく。食養法の基本は決してむずかしいものではない。いやむしろやさしいものである。だれでも多少勉強すれば、すぐに本質を理解できる。だから、少し努力して、ぜひ基本を知ってもらいたい。

(『食物健康法』の連載は今回で終了です)

4−5 玄米酵素の使い方

 ある社によると、玄米酵素とは、「玄米、胚芽、表皮、食用牡蠣(かき)殻カルシウムを発酵させ、大豆プロテインを加えて粉末状にした」ものである。顆粒(かりゅう)と粉末があるが、粉末の玄米酵素の感じは、きなこの粉に似ている。

 玄米酵素は、私が、いま愛用するただひとつの健康食品である。
 私は玄米酵素とは長いつきあいがある。玄米菜食に切りかえると同時に使ったきた。
 玄米酵素を食べる(1回2〜3g)と、どんな効果があるのか。それは、白米と玄米酵素で、玄米を食べたのと同じような効果が得られるのである。

 玄米酵素はどんなときに食べるのか。
 まず、白米しか食べられないときである。旅行のときや人と一緒に食事をするときなどである。そんなときは、玄米酵素を持ち歩き食後に食べている。

 つぎは、お菓子など、いろいろな物を食べたり、深酒したときなどである。そんなときは、多めに玄米酵素を食べている。

 さて、私は、玄米を食べているので玄米酵素は例外的に使っている。しかし、玄米食をできない人は、毎日毎食、玄米酵素を食べるのがよい。また、そのように使っている人もたくさんいる。そうして、半病人から健康人に変わっている。

 私は、長年、玄米酵素を愛用してきたが、特に難点はみあたらない。ただ、毎日3食玄米酵素を食べると月に数千円の出費となる。

(お知らせ)玄米酵素に関するホームページを新しくしました。内容は同じですが、読みやすくしましたので、覗いてみてください。
「玄米酵素の紹介」

4−4 発芽玄米と玄米粉

「玄米を食べるのは、おもに皮と胚芽から栄養素をとるためである。だから、玄米じたいを食べなくても、他の方法で穀物の皮と胚芽を食べればよい。そうすれば、ビタミン、ミネラル、繊維質がとれるのである。」
これは、1−5で書いたものである。大事なことだと思ったので再度のせた。
1−5では、玄米に代わるものとして、いくつか並べておいた。しかし、情報がたりないと思ったので、発芽(はつが)玄米と玄米粉について紹介することにした。

〔発芽玄米〕
・玄米をほんの少し発芽させ、やわらかくした米。
・やわらかいので玄米よりかむ回数が少なくてすむ。
・白米に混ぜてたくのが普通。電気ガマで簡単にたける。
・私が食べた感じでは、けっこう歯ごたえがあった。
・米を売っている店には、たいてい売っている。

〔玄米粉〕
・リブレフラワーという商品名で市販されている。
・リブレフラワーは玄米を高熱で煎(い)って微粉末化したもの。
・10〜30g食べれば玄米食の効果がある。
・微粉末のため、そのまま飲食することができる。旅行などにもっていき、お湯に入れて飲めば玄米食の効果が得られる。
・スープやシチューに加えたり、パンやクッキーの素材にもなる。
・離乳食や老人食にも利用できる。
・製造元は螢轡リオMA(03−5511−8871)。
・自然食品店、デパートや大手スーパーの自然食品コーナー、一部の薬局などで購入できる。
・便利すぎるくらい便利であるが、料理に入れると、入れた人しか玄米粉が入っていることを意識できない。

4−3 自然食品店

 自然食品店は歴史があり、社会的に定着したものである。
 私は自然食品店のファンである。買う物は少ないが、長い間、ほそぼそとかよってきた。
 今回この冊子を書くにあたり、自然食品店、数店にいってみた。そこであらためて感じたことは、「自然食品店は食養法を推進する役割を確実に果たしている」ということであった。

 以下は、私自身を中心にしてみた自然食品店の利用の仕方などである。

〔自然食品店で買える物〕
・無農薬野菜・果物
・未精白穀物(玄米、麦、雑穀、発芽玄米など、いずれも無農薬)
・全粒粉の菓子、胚芽入り菓子など
・無添加食品(お菓子、調味料、インスタントラーメンなど多数)
・健康食品
・その他、化粧品、石けん、はみがきなどまで多数

〔自然食品店から得られる情報〕
 以下は、おもに私の体験をもとにしたものである。
・健康食品や全粒粉菓子などで、ほしかったものを発見できる。
・玄米や雑穀のたき方などを教えてもらえる。
・食養法の参考書を貸しくれる(店がある)。
・カイロプラクティクを紹介してもらったことがある。
・健康に関しアドバイスをもらったことがある。

〔自然食品店の探し方〕
 電話帳(タウンページ)の『健康・自然食品』欄をみれば自然食品店をさがせる。 ただ、残念なことに数は多くはない。小都市には自然食品店がないのが普通である。 しかし、薬局やスーパーなどに自然食品のコーナーがあることもある。そのなかに は、店員さんとコミュニケーションをとれる店もあるかと思う。

4−2 食養法の雑誌

 食養法を学ぶための雑誌を紹介します。「健康」をテーマとする雑誌はたくさんありますが、食養法にしぼった雑誌はあまりありません。以下に2つ紹介します。

 愀鮃ファミリー』(月刊) 衒戸書院(電話03−3202−9611)
 文理書院は食養法関係の本をたくさん出しています。この雑誌は50年以上の歴史があり、私も前から知っていましたが、親しみやすく大衆的なにおいのする雑誌です。
 同社によると、この雑誌は「健康な家庭づくりをめざす健康総合雑誌」で、4本柱は「自然食による健康法」「生活に役立つ特集記事」「これが自然食の献立」「現代医学・栄養学に鋭いメス」となっています。書店で買えます(510円)が、直接注文もできます(6か月分送料とも3060円)。

◆惻然医学』(月刊) 国際自然医学会(電話03−3816−3966)
 森下敬一氏が会長の国際自然医学会が発行する雑誌です。国際自然医学会に入会すると『自然医学』が毎月送られます。1年間(年会費)6千円です。書店では買えず、直接申込みとなります。なお、会員には同医学会の講演会などに参加できる特典があります。雑誌の内容は、自然医学の解説、治療報告、文明論・文化論、投稿など多彩です。『健康ファミリー』より密度が濃い感じですが、親しめる頁もたくさんあります。

4−1−2 食養法の図書

Α惴躾の恐怖』 中嶋孝司 展望社 2002年
 副題は「食べるな、それが生命を縮める」。著者は元事業家。大病後食生活を改め食養法の研究をはじめた。食養法全般を扱っているが、「食養は食物修養」と考える著者の人生観がにじみ出て味わいのある本である。『減塩の恐怖』の記事も豊富。

А愾匿のすすめ』 幕内秀夫 東洋経済新報社 1995年
 著者は栄養士。食生活の個人相談、病院の食事相談を担当。粗食とは「日本の豊かな風土の中から生まれてきた素晴らしい食生活」のこと。主食をごはんに戻し、それに合うおかずをとることに基本をおく。幅広い視点から書かれている。著者には講談社新書・文庫を含め沢山の著書があるが、どれを読んでもよいと思う。

─惴渋緘如食物養生法』 鶴見隆史 評言社 2002年
 著者は開業医。現代医学から漢方、中国医学、鍼灸を経て食養法にたどりつく。本書は豊富な知識が反映された力作で、初心者向きではないが、他の本2〜3冊を読んだ後に読むとよい。患者の食事指導には玄米でなく玄米粉を使っている。著者は今後の20年間、食養法の理論的指導者の一人でありつづけると私は見ている。

『ガンは恐くない』 森下敬一 文理書院 2001年
 ガンに焦点をあてながら森下自然医学理論を展開した本。これを読むと、自然医学、食養法そして森下理論のすばらしさに感動し、きっと、もっと勉強したくなるはず。
 食養法関係の本を2〜3冊読んだあとに、この本を読むことを勧めたい。

(図書の選択などについて)
 上記の本などを2〜3冊読まれることをおすすめします。上記の本なら、どの本から読んでも興味がわき、きっと、もう1〜2冊読みたくなると思います。

 どれかを選べと言うのなら、私は、まず、森下氏の『慢性病は食べ物で治る』をすすめます。森下氏の著書は、現代の科学志向の強い人たちをも納得させるように書かれています。また、この本は活字も大きく分量も適当だと思います。

 なお、上記のそれぞれの本は、書店では「家庭医学」の棚に置いてあります(文庫と新書はそれぞれの所)。しかし、大きな書店でないかぎり、置いてないのが普通です。そのため、書店をとおして注文することが多くなると思います。

4−1 −1 食養法の図書

 食養法を学ぶための本を紹介します。たくさんあるなかから、私なりに選びましたが、選定基準は、/養法の全体をつかみやすいこと、△任るだけ新しいこと、C者が生存中であること、の3点におきました。
 なお、下記図書は全部1,600円以下なので定価は表示しませんでした。

 慄性病は食べ物で治る』 森下敬一 経営実務出版 1983年
 著者を自然医学の第一人者と言う人が多い。本書はサラリーマンの日常生活・食生 活に焦点をあてながら、食生活の改善の仕方を解説している。また、慢性病を個別に取りあげ「食べ物で治る」ことを解説している。読みやすく入門書としても最適。

◆愀鮃的にやせたい人が読む本』 森下敬一 三笠書房(文庫) 1990年
 副題に「しっかり食べてやせる方法、教えます」とある。肥満解消がテーマであるが食養法の基本が全て書かれている。読みごたえは十分ある本。森下の、東城のぁ△気蕕貌永幻砲寮亳況誥蕕涼書を読めば、三笠文庫のみで食養法が勉強できる。

『クスリをいっさい使わないで病気を治す本』 森下敬一 三笠書房 1990年
 文庫。食養法の基本について解説したあとに、各論で病気別に「クスリをいっさい使わない病気の治し方」を解説している。対象は、アレレギー、胃潰瘍、胃弱、うつ病、カゼ、肩こり、ガン、肝臓障害、狭心症、下痢症、高血圧症、更年期障害、痔、歯槽膿漏、食欲不振、神経痛、腎臓病、精力減退、喘息、痛風、頭痛、低血圧 症、糖尿病、脳卒中、皮膚そう痒症、肥満、疲労、貧血、不眠症、便秘、膀胱炎、むくみ、胸やけ、めまい、腰痛

ぁ愎生活が人生を変える』 東城百合子 三笠書房(文庫) 2002年
 著者は栄養士。結核を玄米菜食で克服後食養法を勉強した人。本書の母体は75万部出た『家庭でできる自然療法』。食事の仕方から自然療法まで解説あり。「玄米食が苦手な人への応用編」として未精白穀物のいろいろな食べ方が書かれている。

ァ悒魯淵声 玄米菜食』 花田美奈子 竹内書店新社 2002年
 著者は元レストラン経営者。病気になり玄米菜食に取り組む。その後、玄米菜食レストランを経営。食養法の全体像が分かりやすく書かれている。基本的事項もすべて書かれており入門書としても最適か。「ハナダ式玄米菜食」のレシピ付。

3−8 全く逆の健康法が出てくる理由

 私は朝食をとっていない。朝食をやめてから20数年になる。食べないのは「内臓を休ませる」ためで、食養法の指導者の教えを受け入れた。いっぽう、「朝食ぬき」は評判が悪い。「朝食をとりなさい」との指導・宣伝がどんどん出されている。

 私がここで問題とするのは、朝食をとるべきかどうかではなく、健康法に関し、まったく逆の見解が出てくることについてである。

 単なる好き嫌いなら意見が分かれて当然だ。しかし、朝食をとるのがよいかどうかは、医学や栄養学、即ち科学の分野のことである。正反対の意見が出るのは納得できない。ところが、現実は、相反する見解がどんどん出されているのだ。

 なぜ、対立した見解の出るのだろうか。理由をいくつか示しておこう。

 第一は、現代医学と食養法・自然医学の見解のちがいである。これまで、いくつか例を示してきたが、朝食をめぐっても、この2つの医学で対立している。

 第二は、商売目的の見解が出るためである。生産者団体は自分たちがつくる食品は体によいと宣伝する。どの業界も、皆、ほぼ同じである。しかし、それが宣伝とわかれば読む人も割り引いて聞く。しかし、研究者の意見のような形で出されることもあり、読者が惑わされてしまう。

 第三は、アメリカやアメリカ人の動向に過剰に反応した見解が出るためである。昭和20年代には、アメリカの影響でパンや牛乳がよいとされた。最近では、「塩分ひかえめ」やタバコの害に対する過剰な反応などにアメリカの影響が強く感じとれる。

 第四は、立場を維持するため、自分の思ったこととは別の見解をいう人がいるためである。一般に、公的立場で地位の高い人は、自分の見解をいうことはむずかしい。正直に発言すると、それによって被害を受ける業界の猛反発を受けることになりかねず、地位の維持がむずかしくなるからだ。

 第五は、経験や実験の仕方のちがいから出てくる見解の対立である。これは現代医学の医者のあいだにもあるし、食養法の指導者のあいだにもある。

 以上、対立する見解が出てくる背景を並べてみた。相反する見解に出あったら、それが出てくる背景を考えてもらいたい。案外簡単にわかることがあるかも知れない。

3−7 便秘のなかった村

 当初、「便秘」の項目は予定になかった。しかし、玄米の「特によい」ことのひとつは「便秘しない」ことである。そこで、その体験を伝えたいと思い書くことにした。 玄米を食べるとほとんど便秘しなくなる。これは、玄米を食べて健康になった人の体験談に、しばしば書かれていることである。

 私も便秘の悩みはない。トイレにいる時間も短い。ただ、旅行のときは別である。出張に玄米弁当をもっていっても便秘する。緊張のせいだろう。しかし、ふだんは苦労はほとんどない。とにかく玄米食は楽である。

 むかしの人は便秘で悩んでいたのだろうか。ぜんぼうを知るのはむずかしいが、たまたまひとつの例に出あったので紹介しておこう。

 『人間の原点をここにみる』(農文協文化部著、1977年)という本がある。これは、日本の長寿村の生活を記録したものであるが、このなかに「便通」を語ったところがある。岩手県の有芸村(うげいむら、今は岩泉町有芸、日本第二位の長寿村)の老人たちが、「長寿の秘密はどこにあるか」という質問に答えた一節の中にある。

 ある老人はこう言う。
「昔しゃ、秋田椀とゆうて、いまの茶碗の倍ぐれえのやつで二〜三杯たいらげてしまう。カヤ屋根のふきかえを手伝いに行くと、麦や粟(あわ)に小豆の入ったごはんが、その秋田椀に和尚さんの頭みてえに盛り上げて出されるんでやす。大根おろしをおかずに二杯は食わねば、力が出んのでやすな。きたねい話だども、そんだけ食うと返しも早よう、それも余計に来やす。とにかく通じがようて、腹の具合もええ」

 また、別の老人はつぎのように言う。
「稗(ひえ)・麦ばかりでなく、ドングリはじめここでとれるものを何でも食べたのがよかったのでは?毒になるものも、毒にならないものもいっしょに食う。それも大量に食べて大糞をたれて、通じがよかったのが健康のもとだ」

 食べる量が多かったのは、いろいろ理由があるようだが、おどろくほど通じがよかったようだ。これなら長生きするのも当然だと思えてくる。便秘で悩んでいる人は、玄米など未精白穀物を食べ、自分の体で、そのよさを体験してもらいたい。

3−6 肥満のない世界もある

 私の会社勤めのとき、同僚のなかに、とつぜん倒れた人、とつぜん亡くなった人は何人もいた。40代、50代の人である。いま思いだしてみると、過労が原因の人は別として、倒れた人の多くはかなり太っていた。やはり太りすぎはよくないようだ。

 肥満の人、肥満ぎみの人はたくさんいる。そして、それがあたり前になっている。しかし、肥満は時や場所をこえてどこにでもあるものでは決してない。

 まず、少しむかしの話になるが、私の小学校5年生から大学卒業までのことを思いだしてみよう。1951年から62年のことである。この12年間、私は太った人をほとんど見ていない。まず、同級生にはまったく記憶はない。アルバイトをしながら大人もたくさん見ていたが、高校生までは太った人をみた記憶は、中学校の先生ひとりくらいである。本当に太った人に出あったのは1961年がはじめてで、ある大学教授が超肥満であった。私の子どものころは肥満は例外だったのだ。所得が低いためか、食べすぎることもなく、また、食事も西洋化していなかった。

 つぎは、1979年、食養法を学ぶ通信教育のスクーリングでのことである。ここには、20代から50代くらいまで、80人以上の男女の生徒がいたが、そのなかで太り気味の人は男性ただ一人であった。あとは皆、しまった体でしまった顔をしていた。食養法を学ぶ人の集まりだから、当然といえば当然であるが、飽食の時代に太った人のいない集団もあるのだ。

 われわれの周囲は肥満者であふれている。一例をあげておこう。一時、私は仕事仲間と年に何度か出張で同じ旅館に泊まり、いっしょに風呂に入っていた。おもに、50代の人たちだった。私はかれらの肥満ぶりにおどろいたものだ。まるで「象さんのよう」と心のなかで思っていた。背広のままだとよくわからないが、風呂に入るとよくわかる。しかし、現代では、像さんのような人は決して例外ではない。

 肥満は玄米菜食プラス小食で必ず解消される。私も、むかし、肥満というほどではないが60キロ以上あり、やや太り気味であった。それが食事を切りかえて54キロほどになった。その間、苦労や苦しみはまったくなかった。体重が正常にもどると動きやすく何かと楽である。

3−5 週に一度は好きなものを

 食生活を切りかえるのは楽ではない。好きな物が食べられなくなるからだ。しかし、がまんしようとするとストレスがたまる。私は玄米菜食にしてから27年以上になるのに、いまだに子どものころに好きだったものに手を出している。そんなときに思い出すのが、ある医者のつぎの言葉である。
「土曜の晩など、家族が全員そろい、明日は日曜日というくつろいだ雰囲気のときに、週一回お好みを存分に食べる機会を設けることは、かえって平生を正すのに好都合と考えられる。」(小倉重成『自然治癒力を活かせ』)

 私は玄米を食べることにまったく違和感はない。白米ごはんを食べたいと思うことはない。しかし、白米を使った寿司やカレーライスは食べたくなる。また、ラーメンも食べたくなる。カレーやラーメンは子どものときによく食べていた。私がそれらを食べたくなるのは、おもにストレスがたまったときである。

 私は、好きな食べ物は子どものときに決まると思っている。そして、それは簡単には変えられない。だから、肉好きな人は、玄米菜食にしたからといって、いっきょに肉をへらすのはむずかしいと思う。それをむりやりへらすと、基本の玄米菜食じたいをやめることにもなりかねない。重い病気でもないかぎり、はじめはそれほどきびしくする必要もないし、また、きびしくできないものである。人は機械でないから、機械にさす油を変えるようにはいかないのである。

 ここで、私の体験をひとつ書いておく。私は子どものころからラーメンが好きだった。そして、それはずっとつづき、玄米菜食に切りかえたのちも食べていた。しかし、いまでは店でラーメンを食べることはほとんどない。それは、ラーメン屋さんのラーメンは油が強く感じられ、食後も油の感じがのこりすぎるためである。
 私は、がまんしながらラーメンをやめたのではない。自然と体がほしくなくなったのである。

 肉好きの人も、菜食中心の食事に変えれば、そのうち自然と肉から離れられるのではないか。ちなみに、私はラーメンが食べたいときは、自然食品店で油分の少ないインスタントラーメンを買って食べている。

3−4 自然塩を使おう

 塩には化学塩と自然塩がある。化学塩は海水を電気分解してつくった塩である。自然塩は海水や岩塩をとかした水を原料とし、それを煮つめたり太陽熱でかわかして取りだした塩である。
 いま、食品店にいくと何種類もの塩が売られている。化学塩は精製塩という名前で売られている。発売元は、専売公社から引きついだ塩事業センターである。自然塩は、多くの会社から商品がでており、その数は数百にもなるという。

 化学塩と自然塩は、どこがちがうのか。
 まず、成分のちがいである。化学塩は塩化ナトリウムが99%以上で、他のミネラルはほとんどない。塩というより化学物質である。自然塩は、塩化ナトリウムが80〜90%で、そのほかマグネシウム、カルシウム、カリウムがふくまれており、さらに多くのミネラルも、微量ではあるがふくまれている。

 つぎは、味のちがいである。化学塩は塩からいが、自然塩はふくみのある味がする。私が化学塩から自然塩に切りかえたときに、いちばん先に感じたのはつけ物の味のちがいであった。化学塩のつけ物は塩からいが、自然塩のつけ物は味にふくみがあり、塩のほかに何かの調味料を加えたような感じがした。

 問題は人の体に対する影響のちがいである。
 「化学塩から自然塩に切りかえて病気が治った」という報告がたくさん出ている。あるときテレビを見ていたら、塩を切りかえて糖尿病がよくなったという人、高血圧が治ったという人が紹介されていた。私は、そのような話は、そのときはじめて聞いたのだが、本を見ると同じような話がたくさん報告されている。

 なぜ塩を変えただけで病気が治るのだろうか。私が調べたところを要約すると、「人の血液の成分に近い塩をとることにより、体のなかのバランスがよくなり、それが体調をよくして病気も治す」といったことになる。
 自然塩は少し値段が高いが、家庭で使う量は多くない。だから、ぜひ自然塩を使ってもらいたい。なお、塩の問題を扱った本は何冊も出版されているが、4−1に紹介した『誤食の恐怖』(中嶋孝司著)が、減塩の恐怖の問題を詳しく書いている。

3−3 ガンはこわくない

 ガンはこわいものである。ガンは日本人の死因の第一位であり、2001年には30万以上がガンで死んでいる。だから、こわくて当然である。
 ところが、私にはガンの恐怖心はない。まったくとはいわないがほとんどない。恐怖心がなくなってから、もう20数年にもなる。ガン全盛の時代に幸せなことである。

 なぜ、恐怖心がないのか。それはガンができる理由をつぎのように考えるからだ。
  〆挧Δ老豈佞らつくられる。
  ▲ン細胞は悪い血液からつくられる。
  7豈佞歪欧任弔られる。
  ぐい血液は腸の中の悪い状態でつくられる。
  ツ欧涼罎琉い状態は、腸に入ってくる悪い食べ物でつくられる。
  Πい食べ物はガン細胞につながる。

 以上は、森下敬一氏などの解説をもとに、私が、私なりにまとめたものである。

 ,らΔ里Δ繊⇒論的にみて大事なのは、の「血液は腸でつくられる」である。これは腸管造血説といわれるが、発見者の名をとって千島・森下学説ともいわれている。そして、「血液は骨髄でつくられる」(骨髄造血説)とする現代医学と対立する。腸管造血説をとる人は、「血液は腸でつくられる」ため食べ物を大事にする。

 少しめんどうなことを書いたが、私は、正しい食事ならガンはできないと思っている。もちろん、ガンの原因が食事だけと思っているわけではない。ストレスも原因だとする説を否定しない。しかし、私は食事のウェイトが大きいとみている。

 もし、私がガンになったらどうするか。玄米菜食をしていても、食べすぎなどでガンになった人もいるという。私も食事が乱れてガンにならないともかぎらない。
 しかし、それでも私はガンを恐れない。ガンになったら、食養法の指導者のもとで食事や断食の指導を受け、自然治癒力を回復させてガン細胞を消せると思っている。

 さて、これらの話をどう思うだろうか。「ガンが消えるなんて信じられない」という人もいるだろう。しかし、「食事を変えてガンが消えた」といった治療報告や患者の体験談は、食養法関連の本には、あり余るくらいあるのである。

(参考)『がんを克服するための諸情報』というブログ(ホームベージ的なもの)を立ち上げましたのだごらんになってください。

3−2 病院は万能ではない

 いま、病気になった人で、病院以外の治療機関にいく人がふえている。
 2〜3年前のことだが、ある週刊誌に「スポーツ選手が故障したとき、どこの医療機関にいくか」についてのアンケート調査の結果がでていた。一流に近い選手が対象であったが、答えは、病院にいく人が約半数で、あとの半数はカイロプラクティクなど病院以外にいっていた。スポーツ選手には病院万能の意識はないようだ。

 いっぽう、病気になったら文句なしに病院という人もいる。病院のほかは見向きもしないのだ。私はその人たちをみていて、「頭がかたい」と思ったこともあったが、いっぽう彼らの気持もわからないではない。それは、むかしの私がそうであったからだ。私は、日本の伝統的な治療院の看板などをみながら、「これは何だろう」と思っていた。世のなか全般が西洋科学に傾くなか、私にも偏見ができてしまっていたのだ。

 現実を冷静にみれば、病院すなわち現代医学の力が限られているのは明らかである。むしろ、得意分野はそれほど多くない。現代医学は緊急医療ともいわれるそうだが、応急措置には強くても、慢性病などには弱いのである。

 ここで、私と病院以外の治療機関とのかかわりついて言っておこう。

 まず、腰痛治療のことである。あるとき、私の家族が腰痛になった。病院やマッサージにいったがよくならず、困りはてた私は、自然食品コーナーのある薬局にいって「腰痛によくなる薬はないか」と聞いてみた。店主は「腰痛にきく薬はない」といいカイロプラクティクを教えてくれた。そこへいったところ3回ほどで全快した。

 つぎは、私が円形脱毛症になったときのことである。「病院にいかないと頭の毛が全部なくなるよ」と知人の看護士から言われたが、私は病院でなく漢方薬局にいった。そこで薬を買い生活指導を受けた。そして難なく治ってしまった。

 私が経験したように、病院以外の治療機関も、それぞれ力をもっている。そうしたことが知れわたってか、近年、病院以外の所にいく人がふえる傾向にあるそうだ。ところが、相変わらず病院、つまり現代医学しか信用できない人がいる。もっとも、「病院しか信用できないから、ほかにはいきたくない」というのなら、それはそれで仕方がない。しかし、健康になりたいのなら、よく現実を見てもらいたい。

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3−1 自然食なら安心か

 自然食品を食べているのに、重い病気になったり、働きざかりで亡くなる人がいる。なぜなのか。不思議に思う人がいるかも知れない。私は、細かいことがわからないので確かなことは言えないが、ひとつ気になることがある。それは、食べ物の組み合わせのことである。

 自然食品とは何だろうか。まず無農薬のこめや野菜である。人工飼料を食べない家畜の肉やにわとりの卵も自然食品である。野原の草だけ食べる牛の乳も自然食品とされているようだ。また、無添加の食品加工物も自然食品である。

 では、自然食品を食べていれば、あまり病気にならず健康でいられるのだろうか。
 確かに、化学物質が体に入らないのはよいことだ。私も保存料や着色料入りの食品はできるだけ買わないようにしている。しかし、それだけで健康でいられる保証はまったくない。

 人は生物である。人という生物には人特有の食べ物がある。そして、それは無農薬かどうか、無添加かどうかで決まるわけではない。人の体に合っているかどうかで決まるのだ。そして、それが何であるかを調べるのが食養法である。そこでは、菜食中心の食事が、生物としての人に合うとしている。

 自然食を求める人のなかには、食養法に関心のない人がいる。その人たちは無農薬のこめを食べているが、それを白米で食べ、無農薬の野菜を食べるが、同時に、有機飼料の肉や有精卵をたくさん食べたりする。その結果、白米と肉にかたよった食事になりかねず、病気になる人がでてしまう。せっかくの自然食なのに、結果は、単に農薬や添加物をとらなかっただけである。それはそれで大事なことだが、それだけに終わってしまっている。

 私は、健康を考えるなら、まず、食養法を勉強し、それを理解し実行してから無添加・無農薬について考えるくらいでよいと思う。玄米などの未精白穀物をとれば副食は少なくてすむ。それなら、たとえ無農薬・無添加食品でなくても、体に入る化学物質の量はへってくる。また、玄米は化学物質を体外に出してしまうこともわかっている。無農薬・無添加食品にこだわり過ぎることはない。

2−6 対症療法

 対症療法(たいしょうりょうほう)とは病気の症状に対して直接働きかける治療法である。例えば、はれ物ができたとしよう。対症療法では、はれ物の表面に薬をつけたり、はれ物を切り取ったりする。表面にあらわれた症状に対して働きかけるのである。
 これに対し、症状にはこだわらず、病気の原因を取りのぞいて治そうとするのが原因療法である。

 医学用語として「対症療法」を聞いた人はあまりいないと思う。いっぽう、政治の分野で聞いた人は少なくないと思う。たとえば、財政赤字の問題があったとする。そのとき、赤字の原因にせまり根本的に対策を立てるのではなく、増税や値上げなど一時的な対策をとろうとすることに対し、「それは対症療法にしか過ぎない」といって批判するのである。「一時的な対策で、真の解決になっていない」ということである。対症療法といわれるのは不名誉なことなのである。

 医療の話に戻るが、われわれが日常的に受ける病気の治療法、すなわち、現代医学の手法は対症療法である。たとえば、ガンになったとしよう。病院にいって医者にみてもらうが、医者はガンをみつけ、何々ガンと病名をつける。さて、治療であるが、ガンに放射線をあてたり、手術して切り取ったりする。これがまさに対症療法である。ところが、これが批判を受けている。切り取っても体質を変えないかぎり、またどこかにガンが出てくる可能性が十分にある。そのため、根元的治療ではないと批判されているのである。

 食養法のガン患者のあつかい方は現代医学と逆である。普通、食事を変えさせたり、断食・少食療法を使ったりする。外からガン細胞に働きかけるのではなく、自然治癒力をつけさせ、その力によってガン細胞を消そうとする。体のなかの働きにまかせるのである。まさに、病気の原因を取りのぞこうとする原因療法である。

 現代医学は対症療法だと批判されているが、その世話にならない人はない。対症療法は必要なものである。しかし、限界も明らかである。われわれは現代医学に無いものねだりをしても仕方がない。自分の体を守るために、食養法・自然医学などの原因療法を知るべきである。
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