「正しい食生活」で健康に

体調不良の原因の大半は「食事」です

2006年06月

現代医学の一断面

現代医学の一断面(1)

 今回から3回にわけて現代医学の特徴について書いてみます。
 殆ど全ての人はお医者さんのお世話になります。
 ですから、お医者さんがよって立つ現代医学の特徴をつかんでおく必要があります。
 特徴をつかめば、お医者さんに過大な要求をすることもなくなるでしょう。

 テレビの健康番組や新聞の健康欄をみていると、「まず検査しましょう」というお医者さんの言葉を見聞きします。
 この言葉自体に特に思うことはありません。しかし、何度も繰り返して聞いていると、「どうして検査する前に何かアドバイスしないの?」と思ってしまいます。

 こんなことを考えているなか、あるとき、以下の文章に接しました。
 それは医師の森時孝さんの文です。ちなみに、森さんは現役の医師(CLI 内科皮膚科診療所医院長、1936年生まれ)です。

「私が大学に入っていちばん最初に感じたことは『近代医学は診断学だな』ということでした。まず第一に診断ということがくる。それが決まらないと治療が始まらない。ところがその診断をつけるために、さまざまな機械ができあがってきた。
(中略)
 しかし、進歩はしたものの、全体としてみると『何か凸凹しているな』という印象を拭えません。
 たとえば検査方法の進歩によって何が起きたか。触診、聴診、打診といった人間として本来持っている診断能力が置き去りになってしまいました。」
(森時孝「末期ガンを癒す『MMKヨード療法』」船井幸雄編著『船井幸雄と本物の医師たち』船井総合研究所1997)

 森さんが医学の勉強を始めたのは、今から約45年前のことです。
 その頃から『近代医学は診断学』だったのです。
 もちろん、それ以前もそうでしょう。
 ですから今のお医者さんが「まず検査しましょう」というのはごく普通のことなのです。

 しかし、何か変な気がしませんか。
 お医者さんは検査する前に、患者の外見などを見て何らかのアドバイスをできないのでしょうか。

 趣味の話で恐縮ですが、私は囲碁はけっこうの腕前です。
 アマチュアを5段階に分けると上から1段目に入ります。
 そのため、中級以下の方を指導したことは何度もありますが、対局して10〜15分もすれば、その方の弱点が分かります。そして、すぐにアドバイスをすることができます。

 お医者さんが患者さんにアドバイスもせず、「検査」「検査」と言うのは変な話なのです。

 再び森さんの文章を引用します。以下は、病院やお医者さんの現状を良く示した文章かと思います。

「たとえば検査方法の進歩によって何が起きたか。触診、聴診、打診といった人間として本来持っている診断能力が置き去りになってしまいました。
 そしておかしなことが起きてきました。
 しょっちゅう体にさわっているマッサージの人とか鍼灸の先生のほうが早く病気を見つけてしまうのです。
 『あなた、ここがちょっとおかしいから病院へ行ってみてもらったほうがいいですよ』
 機械的なものに頼りすぎた結果、医者は五感による診断の能力を衰えさせてしまった。
 しかも患者さんとの触れ合いということもなくなって、昔はあった医者と患者の信頼関係も薄れてきてしまっている。人間としていちばん大切なものを置き忘れてきてしまったのです。」(前掲書)

 終わりに森さんの文章の冒頭を引用しておきます。
「私も近代医学を勉強した身ですから、近代医学を否定するつもりはありません。日本人が長生きできるようになったのは、まちがいなく近代医学のおかげです。抗生物質などの薬、手術の方法、検査診断法、みな格段の進歩を遂げています。」(前掲書)


現代医学の一断面(2)
 私は「家庭医学」の本を何冊か持っています。
 大病院のお医者さんたちが書いたものです。
 それを見てつくづく思うのは、「病気の原因」が書いてないなあということです。

 例をあげておきます。
 前立腺ガンの項ですが、ある家庭医学の本には、「ほかのがんと同様、原因は不明です。男性ホルモンががんの発育と密接な関係をもっていることがわかっています」としか原因が書いていません。

 これでは、前立腺ガンにかかった人は対応のしようがありません。
 ほかの場所にガンができた人も同様です。

 現代医学は対症療法が中心で、原因を追求しないことは知っていましたが、その徹底ぶりに、悪い意味で感心するばかりです。

 そんな中、ある日、少し衝撃を受けるような文章に出会いました。
 書いたのは医師の鶴見隆史さんです。

「私はそのこと(病気の原因を究明しないこと)が不思議でならなかったので、医学生時代に教授に質問したことがあります。
 『この病気の原因は教科書に書かれていませんが、それはいったい何でしょうか』
 すると教授に
 『そんなこと聞くな!』
 と一喝されたことを昨日のように覚えています。
 現代の医学は、原因追求をしてはいけない学問なのではないかとさえ思ったりしました。
 極端にいえば、原因追求すること自体がタブーではないかと思えます。」
(鶴見隆史『ガンに克つ高エネルギーパイウォーター』廣済堂出版)

 さて、現代医学が原因を追求しないことの結果は何でしょうか。
 それは応急措置が中心になるということです。

 「病気の原因」ですが、現代医学に限らず、どの本にもあまり書いてはいません。
 しかし、現代医学より東洋医学、東洋医学より自然医学(食養法)の本に、より詳しく書かれているといったところしょうか。

(参考1)対症療法
(参考2)病気の原因については、森下敬一「クリスをいっさい使わないで病気を治す本」(三笠書房の知的生き方文庫、560円)に良く書かれています。ただし、主な病気のみについてですが。


現代医学の一断面(3)
本日も、現代医学の特徴を示す「お医者さんの言葉」を紹介いたします。

 以下は、ある元患者さん(佐藤大三郎さん、1977年頃41歳で旭川市在住)の談話です。

「私は、病院を全面的に否定する者ではありませんが、若年より、肺結核、腸結核などで北大病院にお世話になったとき、教授の言葉が、『病院は、病気を発見するところで治すところではない!』ということでしたので、以後、このような認識をもっています。」(鈴木弘一『自然食と玄米酵素』アロー出版、1977年)
(注、北大病院とは札幌市の北海道大学病院のことです)

 佐藤さんは、北大教授(医師)に、「病院は、病気を発見するところで治すところではない!」と言われたのです。
 1960年前後(私の推定)のことかと思われます。

 その佐藤さんは、談話の後半で、米の胚芽・表皮の健康食品と食生活の改善で健康を取り戻したことを、ごく簡単に語っています。

 さて、皆さん、大学病院の医者が、「病院は、病気を発見するところで治すところではない!」と言ったのですよ。信じられますか。

 私が、普段、たまに聞くのは逆のことです。
 一例をあげておきます。
 ある緑内障患者の方が、大病院のお医者さんに「玄米食や健康食品などで良くなると聞きましたが」と話したところ、「それで治るのなら医者はいらない」と言われたそうです。

 応急措置として手術を選択するかどうかはともかく、緑内障は、間違いなく慢性病(生活習慣病)の一つです。冷え性の方に多いと言われていますが、食事の内容は大いに関係しているのです。

 さて、皆さん、先の北大教授の話と大病院のお医者さんの話の、どちらに親近感をもちますか。

 ここでは、医師の鈴木弘一さんの所見(佐藤さんの談話に対しての)を掲載しておきます。これを参考にして皆様なりにお考えください。

「佐藤大三郎さんは、貴重な体験をへて真理を悟りました。素晴らしいことです。今日、『医者は患者の病気を治す存在ではなく、患者がみずから治るのに手を貸す存在に過ぎないこと、そして病気は、患者自身の自然治癒力によってのみ治ること』についての認識を欠いており、患者もまた、そのことにあまり気がついていないようです。悲しい現実です。」(前掲書)

カタカナの多い健康番組について

 テレビの健康番組をみていると、カタカナ用語をたくさん使う先生がいます。
 カタカナ用語は専門用語と思っていただいてもけっこうです。

 私はビタミン、ミネラルなどのポピュラーな用語は別として、他のカタカナ用語をいくつも並べられると、もう分からなくなります。
 おそらく多くの人もそうだと思います。

 では、聞く人が分かりにくいのに、なぜ講師はカタカナ用語を並べるのでしょうか。
 また、カタカナ用語が多い解説の問題点は何でしょうか。
 これについて、私なりの考えを述べてみます。
 
 私はカタカナ用語が多くなる理由を次のように考えます。

1.講師の思考方法が、身体を全体として見ようとするのでなく、部分を分析的にとらえようとするため
 どちらかと言うと、東洋医学系の人は身体全体を見ようとし、現代医学系の人は部分を分析的にとらえようとします。

2.講師の実力が十分でないため
 東洋医学系の知識を身につけた人なのにカタカナ用語が多い人がいます。
 この人たちは、いまだ、素人に語るだけの実力を身につけていないのかもしれません。
 よくいわれるように「専門家に語るより素人に語る方がむずかしい」のです。

3.自分の知識を披瀝(ひれき)するため
 聞いている人に対する優越感を示すために、カタカナ用語を使って自分を偉く見せる講師もいるかも知れません。 

 私はこの原稿の構想を練りながら、ひとつ気がついたことがあります。
 それは、「カタカナをたくさん使う講師は生徒を自分の仲間と見ていないのでは」ということです。
 本来、「正しい食生活」は、けっして難しいものではないのに、それを難しく語って、生徒と自分との間に距離をおこうとしているのではないかと。

 カタカナ用語の多い講師の話は、途中で退席する(又はテレビを消す)くらいで構わないと思いますが。

片仮名を追うのは止めましょう

 1年も前のことですが、菜食中心の食事に取り組んでいる女性が、今はやりの健康食品のことが「とても気になる」と言います。
 この女性は穀物の胚芽と葉緑素の健康食品も食べています。

 彼女が何が気になるかと言うと、「○○は一日○○単位が必要」いった健康食品の広告なのです。
 広告を見ていると、「○○を一日○○単位食べないと健康を維持できない」というような気持ちになるようです。
 ここで、○○とはEPA、DHA、グルコサミン、コエンザイム、コラーゲン、コンドロイチン(順不動)といった健康食品のことです。

 これに対して、私はすぐに答えることはできませんでしたが、心の中では「カタカナを追っていてはきりがない、カタカナは追う必要がない」と思っていました。

 さて、彼女と話した後、少し勉強してみました。
 そうしたところ、たとえば、DHAは「血流を良くする」もので、青汁とかスピルリナ(藻の一種)と同じ部類の健康食品に入っていました(ある資料による)。
 要するに、「青野菜をしっかり食べていれば良い」ということではないかと私は思いました。

 さて、ここで健康食品のパンフレット(2つの商品)に書かれている成分(その一部)を転載してみます。

(ビタミン)
 ビタミンA、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンE、ナイアシン、葉酸、パントテン酸、ビタミンK、ビオチン
(ミネラル)
 カルシウム、カリウム、リン、ナトリウム、マグネシュウム、マンガン、銅、セレン、鉄、亜鉛
(脂肪酸)
 オレイン酸、リノール酸、中鎖脂肪酸
(アミノ酸)
 グルタミン酸、リジン、チロシン、他15種ほど

 さて、皆様、上記の各成分を気にしながら食生活を進めることができるでしょうか。
 これらの沢山の成分を、一つひとつ追いかけるのは不可能です。
 ノイローゼになってしまいます。

 食生活は、カタカナで書かれた成分を追いかけるのではなく、主食は玄米などの未精白穀物、副食はみそ汁と野菜と海草など、魚や肉は過食にならないように、といったように食材を中心に考えていくべきではないでしょうか。

「クスリより食べ物で治すのが先」

 「クスリより食べ物で治すのが先」は、あるドラマのセリフです。
 そのドラマとは「チャングムの誓い」(韓国ドラマ、NHKテレビ、2006年5月13日放映)です。

 このセリフを述べたのは医女(女性の医者)のチャンドクです。
 良い水を確保することについての話し合いの場面で述べたのです。
 ここで、チャンドクは「クスリよりまず食べ物で治すのが先だと医学書にも書いてあるわ」と言ったのです。
 
 「チャングムの誓い」は16世紀の朝鮮を題材にしたドラマです。
 もちろん、ドラマの内容の多くは作家が推考して書いたものです。
 しかし、色々な資料にあたり当時の状況を再現しようとしたようです。

 もう一つ紹介します。
 今度は、「チャングムの誓い」の2月17日放映分からです。
 
 この日の場面で、宮廷の女性料理人のチャングムは、
 「糖尿病で大事なのはクスリではございません。食事を工夫しなければ、クスリを飲んでも無駄でございます」と言いました。

 相手は中国(当時は明王朝)から来た外交官です。
 この外交官は、糖尿病なのに朝鮮に来て美味しいもの(山海の珍味)を食べようとしました。
 これに対してチャングムたちは、野菜中心の食事を出そうとしたのです。

 現在の日本はクスリ全盛の時代です。
 そのため「クスリより食べ物で治すのが先」と言い切る医者は殆どいないでしょう。

 進歩という言葉があります。
 時代と共に何もかもが良くなるかのような印象を与える言葉です。
 しかし、時代と共に退歩することもあるのです。

外国人の見た日本食

 健康情報が氾濫しています。
 そのため、迷いが出てきます。
 迷いが出たときは過去を振り返ることも大切です。

 今回は織田信長が活躍した時代あたりの「食事」を紹介します。
 医学博士の牛尾盛保さんの本(『塩、自然塩と化学塩』鷹書房1975年)からの引用です。

「永禄八年(一五六五年)九月十五日堺発、パードレ・ガスパル・ビレラからポルトガルのアビス僧院パードレへの手紙で、
『戦争絶ゆることなきを以て、地は物を産せざれども、本来甚だ豊沃(ほうよく)にして、僅かに耕作することにより、多量の米を得、即ち当国の主要な食料なり。
 また麦、粟、大麦、空豆(そらまめ)、その他豆類数種、野菜は大根、蕪(かぶら)、茄子(なす)、ちしゃの実。また果物は梨、石榴(ざくろ)、栗などあれど甚だ少なし。肉は甚だ少なく、全国民は肉より魚類を好み、その量多く、また甚だ美味にして佳良なり。』
 と主食、副食について述べています。」
 〔注.ちしゃ(原文は漢字)はサラダ菜類です〕

 パードレ・ガスパル・ビレラはフランシスコ・ザビエルの後に活躍したポルトガル人の宣教師です。

 もうひとつ引用します。
 先に引用した部分に続いて書かれている文章です。

「調味料について、一五八四年一月六日、パードレ・ロレンソ・メシヤは
『その食物は他の諸国民と異なり、果物も甘い物も食わぬ。また油、酢または香料の加わった物は食わぬ。
 牛乳と乾酪は有毒なものとして嫌い、ただ塩のみで味をつけ、ある地方では塩が食料品である。大多数の人は米と各種野の草と貝類を沢山食い、野の草と貝類及び塩を以って養を取る者が多い。皆いかに暑い時でも堪えられるだけの熱度の湯を呑む。
 また冬に同じように酒を呑む』
とあります。
 油、酢などを使ったものを食べないで、塩を多く用い、野菜、貝類を多く食べているといいます。」(下線は牛尾さんが付けたものです)
 〔注.乾酪(かんらく)はチーズです〕

 パードレ・ロレンソ・メシヤもポルトガル人の宣教師です。

 二つの引用文を私なりに要約すると、「主食は米と雑穀、副食は豆と野菜、肉は殆ど食べず、魚と貝類、そして塩をしっかり摂っていた」というところでしょうか。

(参考)食事と病気(うつ病3)
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