私の会社勤めのとき、同僚のなかに、とつぜん倒れた人、とつぜん亡くなった人は何人もいた。40代、50代の人である。いま思いだしてみると、過労が原因の人は別として、倒れた人の多くはかなり太っていた。やはり太りすぎはよくないようだ。

 肥満の人、肥満ぎみの人はたくさんいる。そして、それがあたり前になっている。しかし、肥満は時や場所をこえてどこにでもあるものでは決してない。

 まず、少しむかしの話になるが、私の小学校5年生から大学卒業までのことを思いだしてみよう。1951年から62年のことである。この12年間、私は太った人をほとんど見ていない。まず、同級生にはまったく記憶はない。アルバイトをしながら大人もたくさん見ていたが、高校生までは太った人をみた記憶は、中学校の先生ひとりくらいである。本当に太った人に出あったのは1961年がはじめてで、ある大学教授が超肥満であった。私の子どものころは肥満は例外だったのだ。所得が低いためか、食べすぎることもなく、また、食事も西洋化していなかった。

 つぎは、1979年、食養法を学ぶ通信教育のスクーリングでのことである。ここには、20代から50代くらいまで、80人以上の男女の生徒がいたが、そのなかで太り気味の人は男性ただ一人であった。あとは皆、しまった体でしまった顔をしていた。食養法を学ぶ人の集まりだから、当然といえば当然であるが、飽食の時代に太った人のいない集団もあるのだ。

 われわれの周囲は肥満者であふれている。一例をあげておこう。一時、私は仕事仲間と年に何度か出張で同じ旅館に泊まり、いっしょに風呂に入っていた。おもに、50代の人たちだった。私はかれらの肥満ぶりにおどろいたものだ。まるで「象さんのよう」と心のなかで思っていた。背広のままだとよくわからないが、風呂に入るとよくわかる。しかし、現代では、像さんのような人は決して例外ではない。

 肥満は玄米菜食プラス小食で必ず解消される。私も、むかし、肥満というほどではないが60キロ以上あり、やや太り気味であった。それが食事を切りかえて54キロほどになった。その間、苦労や苦しみはまったくなかった。体重が正常にもどると動きやすく何かと楽である。