1977050606
1977年5月6日に撮影した東海道新幹線0系。八ツ山橋にて。

このところ昔撮った鉄道関連の写真を見ていると、色々と思うところがある。国鉄の民営化については、私は以前からあれが必ずしも唯一の正解だったわけがないと思ってそう言い続けてきたけど、近年になって民営化のネガについての話が色々とされるようになってきているのは良いことだと思っている。国鉄をどうするのか、なにか手を打つべきであるというのはあったにしても、それが単に採算性の話であろうはずがなかったとも今も思っている。この期に及んでも、今は儲かるようになったから良かったのだとか、やってしまったものは仕方がないみたいなことを言うのは愚かしい戯言に過ぎない。行った施策について、評価し現状を再確認して、今後の方針を考えるというのは常に必要なことだ。

私は鉄道の写真を撮っていた1980年前後の時代、基本的に国内のベーシックトランスポートは鉄道によるものだった。どこに行くにも鉄道で行くのが便利だったし、安価でもあった。それは小児や学割といった制度に加えて、周遊券という割引きっぷがあって、それを買えば追加料金無しで乗車できる自由席の急行列車が多数走っていたからでもある。その急行には夜行もたくさんあったから、遠距離の旅行にも非常に便利だった。周遊券のエリアの広いものなどは、エリア内へ旅行に行ったらその端から端までの区間を夜行急行に乗って一夜を明かすということも可能だった。深夜や明け方にエリアの端の駅で下車して逆方向の夜行急行に再度乗り直すなんていうことをしたり。いくら若くてもそれをやっていると疲労が極限状態に向かっていき、歩きながら寝そうになったりとか言うのも、今となっては思い出の一コマというわけである。

いつの間にか、JRになってもう久しいのだが、急行列車は姿を消してしまった。夜行列車も風前の灯。安価で遠距離の旅に出ようとするなら、選択肢は高速バスという時代になっている。高速バスは安価だけど、事故が起きたこともあって、その実態を知るとなかなか難しいものだとも思う。価格競争が激しくて、厳しい状況の中で運行されていたりする。JRはこういったバスとの競争に敗れたとも言えるが、どちらかといえば競争力を上げる努力を放棄して、高収益な分野だけに注力する方向に向かったとも思う。こういった選択を可能にしたのも民営化ならばこそだろう。

大規模災害のときにいち早くシャッターを下ろして利用者を締め出してみせたり、駅ビル経営の旨味に目が眩んで鉄道を毎日安全運行することより大事だと思うようになったり、そういう事が起きてきたことも民営化の結果。JR西日本の福知山線事故もそういった例の一つだと言えると思う。車扱い貨物の廃止と大規模ヤードの廃止も、本当に貨物輸送の未来を考えてだったのか、大都市の貨物ターミナルの資産価値を現金化したかっただけなのか、なんとも言い難いところがある。そういう色々をいい加減ちゃんとリサーチして、総括しておくべきではないかとも思う。

1983043003
1983年4月30日王子〜東十条で撮影した新幹線リレー号。 

もう一つ考えさせられるのは新幹線だ。今では新幹線が開業したからと言って、それで一気に地方が活性化するなんて言うことはないことが分かっている。ストロー効果なんて言うことで、ネガティブな結果を生み出すこともある。それ以上に、並行在来線をJRが放棄すること、そして新幹線が停車しない駅、迂回されていったエリアというのが、取り残されていくというのも気になるところだ。
今の時点で振り返ってみても、東海道、山陽新幹線は並行在来線も貨物輸送や近距離の旅客輸送があって共存しているけど、それ以外の線区では寂しいことになっている。

北陸新幹線ができてからの信越本線や北陸本線、東北新幹線が延伸してからの東北本線の第三セクター化、など見ていると、昔の姿を知るものには辛いところが多々ある。こういうことになるのも民営化ということが背景にあって、採算性で全てが割り切られていく結果になっている。
こういった状況を見ていると、全国に新幹線をということ自体がこれで良かったのかということを改めて考えてみるべき時期に来ている様に思える。在来線の時には乗り換え無しで東京まで繋がっていたところが、切り離されていったわけでもある。

国鉄というあり方は、以前にも書いたけど、都市部や新幹線の黒字で全国の赤字路線の運行を行うという形になっていて、実は一つの再分配システムになっていたとも言える。 それを崩壊させた上で、新幹線で高収益部分だけを掬い上げて、ローカル部分を切り捨てていくというのは、正に民営化というものが新自由主義的な価値観の元で実現されていき、それが未だにこうして拡大し続けているということの証左でもある。

今の時点で色々考えても手遅れであるかもしれないが、それを考えていくことで理解が深まるところもあるだろうから、少し書いてみる。新幹線というものが実際には運輸行政の中で将来像を描いて建設されてきたものではなく、政治案件として建設促進が進められて来たものということも、理解しておく必要がある。そして、標準軌で高速運転出来ることのメリットがあるということが、全ての免罪符になるわけではない。そう考えていくと、東海道、山陽以外の線区の大半は在来線の改良で対応してきたほうが、メリットが大きかったのではないかとも思えてしまう。遠距離は航空機に役割分担をして、在来線の広いエリアをカバーできるという特性をもっと大事にしても良かったのではないか。新幹線で多くのエリアを切り捨てながら、遠距離の速達性が優先されるというのも鉄道の行き方として偏ったものになっていると思う。新幹線の建設コストの何割かを投入することで、在来線だって飛躍的に改良する余地はあったのではないか。
なんてことを書いても、既に手遅れなわけだけど、頭の中ではこうしておけばということのシミュレーションを行うことが出来るというのが便利なことなので、こういうことはいくらでも考えて見る価値がある。在来線の大規模改良を行う事を考えてみて、碓氷峠を補機無しで越えられる新線とか、色々あり得た可能性を見出すことは出来る。 

今のところ、私の頭の中で思いついたことを書いてみているだけのことなのだが、これを真面目に突き詰めてみたら結構面白い話になりそうに思う。