1982年2月2日と3日、そして13日に撮影した台東区谷中の町並みに写っていたクルマやバイクをピックアップして、あの頃はこんなだったというのを見ていくシリーズ。三回目はホンダ、マツダなど。
まずはホンダのシビック。二代目モデルのワゴン仕様カントリー。シビック・カントリーは結構他のエリアで撮った写真にも写り込んでいて、結構人気あったなと思う。二代目のシビックというとCXというイメージが強いけど、カントリーも存在感があった。全体が写っていなくても、この木目調サイドパネルがインパクトがあった。
こちらは木目調サイドパネルなしのカントリー。5ナンバーなので、それとわかる。シビック二代目はイマイチとか言われるけど、私は結構好きだった。CXはもちろんカントリーもいいなと思っていた。
このリアスタイルはマツダのコスモAP。二代目のコスモで、ロータリーとレシプロの両方が設定されていた。二代目のコスモといえば、ファストバックスタイルのこれとノッチバックになってハーフレザートップのコスモLがあったことを思い出す。そういえばレザートップっていつ頃から見なくなったんだろうか。私はファストバックのほうが好みだった。この撮影時点ではこのコスモは1981年に新型にモデルチェンジしたところだった。左奥にテールが見えているのは六代目クラウンのセダンか。
これも駐車場の風景。奥から日産のケンメリのスカイラインGT2ドアHT、2代目のトヨタ・セリカ、そしてホンダの初代アコード。アコードは鼻しか見えないからハッチバックかセダンかは不明。ケンメリは1977年にジャパンへモデルチェンジしている。セリカは1981年に角張ったモデルにモデルチェンジしていた。アコードも1981年に2代目にモデルチェンジしたところという頃だった。2ドアHTのクルマがこの頃は結構たくさん走っていたなと思う。
今振り返ってみると、この時代は2ドア車も多かった。ユーテリティが第一優先項目というわけでもなかったのだろうか。私自身はこの数年後に車を買うことになるけど、仕事で使うからその用途に適したクルマというのが基本だった。そういう点からも、迷わず2ドアHTを選べるというのは羨ましい感じだった。
まずはホンダのシビック。二代目モデルのワゴン仕様カントリー。シビック・カントリーは結構他のエリアで撮った写真にも写り込んでいて、結構人気あったなと思う。二代目のシビックというとCXというイメージが強いけど、カントリーも存在感があった。全体が写っていなくても、この木目調サイドパネルがインパクトがあった。
こちらは木目調サイドパネルなしのカントリー。5ナンバーなので、それとわかる。シビック二代目はイマイチとか言われるけど、私は結構好きだった。CXはもちろんカントリーもいいなと思っていた。
このリアスタイルはマツダのコスモAP。二代目のコスモで、ロータリーとレシプロの両方が設定されていた。二代目のコスモといえば、ファストバックスタイルのこれとノッチバックになってハーフレザートップのコスモLがあったことを思い出す。そういえばレザートップっていつ頃から見なくなったんだろうか。私はファストバックのほうが好みだった。この撮影時点ではこのコスモは1981年に新型にモデルチェンジしたところだった。左奥にテールが見えているのは六代目クラウンのセダンか。
これも駐車場の風景。奥から日産のケンメリのスカイラインGT2ドアHT、2代目のトヨタ・セリカ、そしてホンダの初代アコード。アコードは鼻しか見えないからハッチバックかセダンかは不明。ケンメリは1977年にジャパンへモデルチェンジしている。セリカは1981年に角張ったモデルにモデルチェンジしていた。アコードも1981年に2代目にモデルチェンジしたところという頃だった。2ドアHTのクルマがこの頃は結構たくさん走っていたなと思う。
今振り返ってみると、この時代は2ドア車も多かった。ユーテリティが第一優先項目というわけでもなかったのだろうか。私自身はこの数年後に車を買うことになるけど、仕事で使うからその用途に適したクルマというのが基本だった。そういう点からも、迷わず2ドアHTを選べるというのは羨ましい感じだった。