1982年1月31日日曜日に私が撮影した東京の町並み、神田駅東口もいよいよ最終になった。神田鍛冶町一丁目。前回の最後のカットは角のモルタル仕上げの看板建築だったけど、その左手の通りに入ったところが今回の場所になる。

これも年季の入った木造モルタル仕上げの看板建築。右手の階段を上がると二階の兒玉興行。そして左側のスライドシャッターは地下のこりんというバーだろうか。地下?なんてあるのかと思うけど、画像を拡大してみると地下への階段になっているようだ。中央の引き戸は釜飯のまり世、小さな一角だけがわらべやおむすび 欅店ということのようだ。この一軒に見事に色々が収まっている。検索してみると、まり世という店は場所を移転しつつ今も営業されているようだ。そしてわらべやむすびはコンビニのセブンイレブンにおにぎりを納める会社がやっていたらしい。この形態は今はやっていないけど、会社は大きくなって今も続いている。神田鍛冶町。

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上の店舗を斜めから見たところ。二階家で看板建築になっているのがよく分かる。現在はここもビルになっているし、その隣のビルも建て直されているようだ。神田鍛冶町。

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そして、こちらは今も健在の丸石自転車の丸石ビル(旧大洋ビル)。昭和六年に竣工した震災復興期のビルで、この時期らしいスクラッチタイルがたっぷりと使われている。2002年に国の登録有形文化財に指定されたという。 神田鍛冶町。

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このタイミングが貴重だったのは、中央通りに面したところに建設工事が始まっているのだが、今はここに丸石ビル別館という建物がある。後ろのビルに合わせたデザインになってはいるものの、このビルの通り側はほぼ見えない状態になっている。この時にはまだむき出しの状態だったので、その姿を見ることが出来た。私はこの一連の撮影では基本的に町家を主題にしていたので、ビルの写真はあまり撮っていないのだが、これは撮っておいて良かったと思う一枚。神田鍛冶町。

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そして、中央通りを挟んだ反対側には山梨中央銀行東京支店が今も変わらない姿で聳えていた。こちらは昭和四年竣工で、戦災を受けて今の状態になったそうだ。オリジナルでは正面にイオニア式の列柱を備えていたらしい。 神田鍛冶町。

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というわけで、東京を振り返るシリーズもこれで一段落ということになる。こちらで公開していない分として佃、月島のものがあるのだが、こちらは佃月島という地域雑誌に協力して提供しているので、機会があればご覧いただければと思う。