サイゴン・トリビューン

「3年間のサイゴン生活」「海外旅行の思い出」「いつも頭の中をよぎること」などを思いつきと出来心で書き綴るページ
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 プーケットからの日帰りツアーを利用して、プーケットから南東へ約50kmのアンダマン海に浮かぶピーピー島へも行きました。ピーピー島は、ピーピー・ドン島とピーピー・レ島を中心とした大小6つの島からなり、フェリーは一番大きな島のピピ・ドン島のトンサイ・ベイに発着します。プーケットからピピ島へは高速船でおよそ2時間でしたが、乾季でしたので波も穏やかで快適な船旅でした。船内には日本語の表示がありましたが、日本人観光客のための案内ではなく、船体そのものが日本の東海汽船で運行していた高速船をそのまま使っているということでした。ピーピー・ドン島のトンサイ・ベイに到着する前には、色とりどりの魚が見られるシュノーケリング・ポイントやピーピー・レ島の洞窟にある海燕の巣の採取場を廻りました。
 トンサイ・ベイのあるトンサイ村には、リゾートホテル、バンガロー、ダイビングショップ、レストランなどがあり、ピーピー島へのツアー客の滞在拠点となっています。トンサイ村で昼食を食べた後は自由行動でしたので、トンサイ・ベイで何もしない自由な時間を過ごすことができました。サンゴ礁に囲まれた美しい海と断崖絶壁の石灰岩で形成された島が魅力のピーピー島では、椰子の木の下で貿易風に吹かれてながら、透明度の高いエメラルドグリーンのビーチでリゾート気分を満喫することができました。
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 プーケットでは、最初の二泊を出発前に予約しておきましたが、滞在していたホテルが気に入ったので、現地の旅行代理店を通して同じホテルを追加で二泊分の予約しました。滞在中は、午前中をパトンビーチやホテルのプールで過ごしていました。パトンビーチでは、ビーチチェアを借りてのんびりと考えていましたが、物売り、マッサージ、怪しい客引きが煩わしかったので、ホテルのプールでのんびりしていました。プールサイドのビーチチェアに横になり、貿易風に揺れる椰子の葉を眺めながら、椰子の葉が作り出す心地よい風の音を聴きながら、命の洗濯ができたように思いました。昼食は、ホテルルームサービスやソイ・バングラー(バングラー・ロード)界隈で済ませて、日差しの強い午後には、エアコンの効いたタイマッサージ店で二時間コースで施術してもらい涼しくゆったりと過ごすことができました。
 夕食は、ソイ・バングラー(バングラー・ロード)の路地ので、串焼き屋台でシンハビールを一杯やり、麺類屋台でバーミーナームやセンレックなどのローカルフードを満喫しながら、ヨーロッパからの旅行者と仲良くなったり、東南アジアでの旅の情報交換をしたりしました。

 パトンビーチでの宿泊先は、ビーチ沿いある「パトンビーチホテル」かその隣にあった「パトン・リゾート?」のどちらかだったと思います。ホテルの入口には「バナナディスコ」があったのは覚えていますが、2004年のスマトラ島沖地震による津波の被害を受けて、繁華街の様子が変わっているようで、現在の地図には「パトン・リゾート?」というホテルはなく、その付近に当時からあるホテルは「パトンビーチホテル」と「パトンタワー」の二つだけなので、記憶がはっきりとつながりませんが、「パトンビーチホテル」だったのかもしれません。
 ホテルにチャックインしたのは、夜の8時を過ぎていたと思いますが、夕食を求めてパトンビーチにある繁華街のソイ・バングラー(バングラー・ロード)界隈を散歩しました。成田を午前に出発して、夕刻にバンコクでトランジットしてプーケットまで、およそ半日かかりましたが、食べたような食べなかったような機内食のみでしたので、シンハビールとタイ風揚げ春巻きで簡単に済ませながら、真冬の日本を脱出して南国のリゾート気分に浸りました。

 成田国際空港を午前中に出発した日本航空バンコク便は、台湾海峡やベトナムのダナン上空を飛行しながら午後にタイのドンムアン国際空港に到着しました。真冬の日本から真夏のタイへ来たので、一気に汗が吹き出すような暑さを感じました。ドンムアン空港到着後は、タイ航空国内線でプーケットへ向かうために、国際線ターミナルから陸橋を徒歩で渡って国内線ターミナルへ移動して、夕刻発の国内線に乗り換えました。
 プーケット空港へ到着した時には既に日も暮れていましたので、プーケット空港からホテルのあるパトンビーチまで利用したミニバス(ワゴン車)のエアポート・トランスファーの車窓からは何も見えずどこを走っているのかもわかりません。1時間くらい真っ暗な道を走っていると、突然ネオンサインの輝くカロンビーチの繁華街へたどり着きました。何人かの同乗者をカロンビーチに降ろした後に、カロンビーチよりもさらにネオンサインが眩しいパトンビーチへ向かいホテルへ到着しました。

 1995年の年末には、一人旅でプーケットかサムイ島のどちらかへ行こうと考えていましたが、サムイ島へのバンコクエアウェイズの便数が今よりも少なくて予約が入らなかったので、サムイ島をあきらめて、プーケットからマレーシアへ移動するルートで行程を考えました。プーケットからクアラルンプールへの旅程は現地で考えることにして、とりあえず成田出発プーケットINクアラルンプールOUTの日本航空とタイ航空国内線を組み合わせたチケットを購入して出発しました。プーケットでは、最初の二泊のみを出発前に予約して、プーケットの旅行代理店でさらに二泊を追加しました。さらに、プーケットからシンガポールへの二泊三日のパッケージ・ツアーをリターン・チケットをキャンセルする方法で利用してシンガポールへ滞在した後に、クアラルンプールへ高速バスで移動しました。一度は経験してみたかった陸路での国境越えも実現して、結果的には、タイ、シンガポール、マレーシアとマレー半島を縦断する旅となりました。

1995年12月26日
日本航空 成田 → バンコク
タイ航空 バンコク → プーケット
1995年12月27日〜1995年12月29日
プーケット4泊
1995年12月30日
シルクエアー プーケット → シンガポール
1995年12月31日
シンガポール2泊
1996年 1月 1日
高速バス シンガポール → クアラルンプール
1996年 1月 2日
クアラルンプール1泊
日本航空 クアラルンプール →
1996年 1月 3日
→ 成田

 レンタルレコードの登場で、LPレコードを買うのではなくレコードをレンタルしてカセットテープに録音することが多くなり、LPレコードを購入することはめっきり減りました。LPレコードを買うことは高校生にとっては大金でしたので、レコードを選ぶ際にはとても慎重になっていましたが、レンタルとなると多少は思いつきで選んでみるなど、未知のアルバムに挑戦してみることもできました。群馬県内には、日本で最初にレンタルレコードのサービスを行った全国チェーンの「黎紅堂 REIKODO」や首都圏を中心に展開した「友 & 愛」などの店舗もありました。高校や予備校時代には、最寄りの駅前にあった「友 & 愛」の会員になって、毎週のようにLPレコードをレンタルしていました。
 BAND AIDの「Do They Know Its Christmas?」が発表された頃に、「黎紅堂 REIKODO」前橋店の協力により、アフリカ飢餓救済のチャリティーイベントとして、レンタルレコードとして使われた中古レコード販売のボランティアをしたこともレンタルレコードの思い出の1つとなります。

 レコードを聴く場合には、レコード針を定期的に交換する必要がありました。高価なダイヤモンド針は、中学生や高校生にはなかなか買えませんでした。テレビでは「ナガオカ」のレコード針のCMが流れていたことが思い出されます。ナガオカのCMでは、「僕は高校2年、腕立て伏せを40回できたら、思いっきりビートルズ聴くんだ。彼らのレコードは、ほとんど持っているよ。レコード針?一学期毎にちゃんと交換しているさ。そうです、レコード針は使いすぎると、レコードを痛めてしまいます。常識だよな。ナガオカ」というフレーズがとても印象に残っています。
 レコードをかけるときには、レコード針がレコードに触れてパチパチという音が鳴りますが、ここにレコード・プレーヤーの良さがあるように思います。プリンセス・プリンセスの「ダイヤモンド」の歌詞に「針が降りる瞬間の胸の鼓動焼きつけろ」とありますが、レコード針がレコードに触れる瞬間のパチパチという音をイメージしていると思います。

 高校生の頃には、学校帰りにレコード店に立ち寄ってレコードを探す楽しみもありました。当時のレコード店では試し聴きができましたので、森田童子や山ハコなどちょっと暗い音楽やボーカルなしの「インストゥルメンタル」が特徴のフュージョンなど、知らないジャンルのレコードを店員さんにお願いして聴かせてもらうこともありました。特に、ジャズをベースにロック、ラテン音楽、電子音楽などを融合したフュージョンとの出会いは、映画、テレビ、ラジオのテーマ曲やBGMとして使われる聴きやすいイージーリスニングの音楽分野へ興味を持つきっかけとなりました。
 You & Explosion Bandのアルバム「Full Course」に収録されている「Manhattan Life」は、高校生の頃に聴いていた東海ラジオの「(岩崎)良美のオシャレクラブ」のテーマ曲として使われていました。当時高校生だった私には、ニューヨークのマンハッタンの生活など想像すらできないほどの遠い存在でしたが、マンハッタン・ライフという素敵な響きと軽快な楽曲に誘われて、レコード店の店頭には並んでいないこのアルバムを取り寄せてまで購入した思い出があります。

 SPシングルレコードに比べてかなり高価に感じたLPアルバムレコードには、中学生のお小遣いではなかなか手が出せませんでしたが、「雨に泣いてる」や「微笑の法則 SMILE ON ME」がヒットして人気上昇中の柳ジョージ&レイニーウッドの第三弾アルバム「Y.O.K.O.H.A.M.A.」を思い切って購入しました。柳ジョージ&レイニーウッドのアメリカを強く意識したブルース調のサウンドは、中学生が聴くフォークやロックと比べて背伸びした大人の音楽だったかもしれませんが、自分にとってR&Bサウンドは初めて触れる機会となりました。「Y.O.K.O.H.A.M.A.」には、「プリズナー」「 雨に泣いてる」「グルービー・ガール」「FENCEの向うのアメリカ」など柳ジョージ&レイニーウッドを代表する名曲が収録されていました。「グルービー・ガール」の歌詞にある「「ヒップアップのカマロに乗って、本牧埠頭をぶっ飛ばす」フレーズからは、カマロやマスタングなどのアメ車の迫力あるV8サウンドがイメージできました。柳ジョージ&レイニーウッドの曲の中で一番好きな「FENCEの向うのアメリカ」には、FEN放送からしか想像できなかった米軍基地とその周辺の雰囲気が描かれており、中学生の頃に抱いた憧れのアメリカ文化の一端が表現されていました。

 初めてレコードをかけたのは小学生だった昭和40年代後半に祖父母の家にあったアンプスピーカー一体型のポータブル・レコード・プレーヤーでした。SPシングルレコードを聴くときには蓋を開けてそのまま曲をかけることができましたが、LPアルバムレコードを聴くときには蓋を外して何かを付け替える作業をしてから曲をかけたように記憶しています。レコードとは言っても、本の付録になっていた赤や緑のペラペラのレコードで、子供用の歌(およげたい焼きくん)や蒸気機関車D51のサウンドなどでした。レコード・プレーヤーには回転数の切り替えがありましたので、SPシングルレコードは45RPM<45回転>や LPアルバムレコードは33RPM<33回転>という用語がありますが、レコード世代にしか通用しないものかと思います。また、レコードを聴く前には謎のスプレー(レコードクリーナー)をレコードにかけていたことも懐かしい思い出です。
 中学生になって自分のステレオセットを買ってもらってからは、自分の好みのジャンルを見つけながら、少しずつレコードを揃えて、部屋で音楽を楽しむようになりました。最初に買ったレコードは、竹内まりやの第二弾シングル「レモンライムの青い風」でした。

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