サイゴン・トリビューン

「3年間のサイゴン生活」「海外旅行の思い出」「いつも頭の中をよぎること」などを思いつきと出来心で書き綴るページ
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 短波放送は、言葉の終わりにモアモアモアやゴアゴアゴアといったエコーがかかったような聞こえ方やAM放送やFM放送と比べて感情が表に出てこない単調な語りに特徴があるように思います。日本では、日本短波放送「ラジオたんぱ」(現 ラジオNIKKEI)や「NHKワールド・ラジオ日本」の2局があります。海外では、イギリスのBBCやアメリカのVOA -Voice Of Americaなどが有名です。日本向けの海外日本語放送には、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国、中華民国、ロシアなどの日本周辺の東アジア諸国からの放送もあります。
 「ラジオたんぱ」は、株式市況や競馬中継のイメージが中心でしたが、それ以外にもTBSラジオで一時代を作った人気番組「大橋照子のラジオはアメリカン」でお馴染みの当時ラジオたんぱのアナウンサーだった大橋照子の「ヤロウどもメロウどもOh!」など聞き応えのある番組もありました。

 短波放送 SWは、電離層で反射するため、受信機やアンテナなどの条件が整えば、全世界の放送を受信ができるので、国際放送や国土の広大な国での広域の国内放送に使われています。短波放送の中には、さらに細かく14バンドの周波数帯に分けられており、電離層の状態から季節や時刻などによって複数の周波数を切り替えたり、複数の周波数を利用したりして、放送している放送局もあります。詳しいことは忘れてしまいましたが、短波放送の中でも低周波帯は、赤道に近い熱帯地域で利用する「トロピカル・バンド」と呼ばれていたことが記憶に残っています。

 私と短波ラジオ放送との出会いは、黒い皮のキャリーケース付きの短波放送が受信できるラジオを祖父から貰ったことから始まりました。短波とは電波帯域の一つです。電波には波長があり、周波数の低い方が波長が長い長波、周波数が高い方が波長が短い短波という位置づけになります。周波数の低い方から長波 LF、中波 MF 、短波 HF 、超短波 VHF、極超短波 UHFなどが放送や通信機器に使われています。身近な周波数の例としては、AMラジオは中波 MF、FMラジオとTV 1-3chは超短波 VHFとなります。AM放送を主体とする中波放送 Medium WaveはMW、短波放送 Short WaveはSWと略されて表示されて、短波放送 SWはAM放送とFM放送の間にありラジオのバンドを切り替えることで受信が可能になります。

 台北中正国際空港から成田国際空港への帰路は、日本アジア航空を利用しました。日本アジア航空は日本航空の子会社として1975年から2008年まで、台北や高雄への台湾航路を中心に運航していました。設立の背景には、1972年の日中国交正常化の裏側にあった日本と中華民国(台湾)との断交と日中間の航空協定による日本航空の台湾乗り入れ禁止措置を補完して台湾航路の確保がありました。同様の台湾航路の確保のために、British Asia Airways、KLM Asia、Air France Asia、Swiss Air Asiaなど中台両国に乗り入れる航空会社で別会社の設立が見られました。台湾のフラッグシップ・キャリアの中華航空が成田国際空港開港後も長年に渡って羽田国際空港を離発着していた理由も同協定の影響からでした。現在では台湾航路に別会社を設立する必要性もなくなり、台湾就航を目的にした子会社もすべてなくなっていますので、日本アジア航空の存在は過去のものとなっています。

 日本への帰国の日には、台北車站バスターミナルから中正国際空港まで國光客運のリムジンバスを利用しました。現在の台北車站バスターミナルは増設されて、台北西站A棟・台北西站B棟・台北東站バスターミナルと行き先方面別に細分化されていますが、当時は地上ホームと跨線橋のあった古い台北車站の駅舎に隣接して半円形のバスターミナルのみでした。今でも、國光客運のリムジンバスは桃園国際空港と台北車站の間を直通で結ぶ利便性の高いバスですが、当時は空港の税関を通り抜けると國光客運の台北車站行きバスに乗るための行列ができており、両替をしてその列に並べば、台北車站まで流れに乗ってたどり着け、台北車站バスターミナルからはその逆で、バスのチケットを買って待合で行列に並んでいれば、流れに乗って中正国際空港までたどり着けました。

 「Green Oil 緑油精(リーユーチン)」は、1989年8月に初めて台湾を訪れたときに高雄で友だちになった方からお土産にもらった台湾の万能薬です。可愛い小瓶に入った緑色のミント系の香りのするオイルで、切り傷、火傷、虫刺され、肩こり、筋肉痛などの他に、鼻詰まりの時には鼻の頭に、頭痛の時にはこめかみに塗ると効果があります。タイガーバーム、メンソレータム、オロナインなどと同じような成分の塗り薬ですが、台湾での信頼は絶大のようです。台北市内を案内してくれた友人と別れて、「忠考東路」沿いに台北駅南側のホテルに向かうタクシーの車窓から、「Green Oil 緑油精」の巨大な看板を見かけた時に、それまで2回の台湾旅行の時に台湾の人々に優しく接してもらったことを思い出しました。「Green Oil 緑油精」は、私の台湾での思い出には欠かせないものになっています。

 台湾の路上では「冷飲」や「檳榔」などの屋台が見つけることは簡単でしたが、当時の台北や高雄の市街地では、台湾の有名清涼飲料メーカー「黒松 Hey Song」の自販機を見かけることもありました。「黒松 Hey Song」は台湾の大手飲料メーカーで、主力商品にはルートビアの「黒松沙士」、ソーダ水の「黒松汽水」、コーラの「黒松可楽」などがあります。街中に掲げられた大きな看板やテレビCMなどからも、台湾での存在感の大きさを知ることができます。「黒松沙士 Hey Song Sarsi」は、その「黒松」の中でも台湾を代表する清涼飲料として知られています。台湾以外にも東南アジア国々で販売されている「黒松沙士 Hey Song Sarsi」は台湾のルートビアと呼ばれ、本家A&WのRoot Beerと同じく、サルサパリラの根から抽出したエキスを原料としています。

 台北での最後のディナーには、台湾料理の老舗「梅子餐廰」に連れて行ってもらいました。台湾料理は、濃い味付けの中華料理とあっさりの日本料理の中間となる味付けなので、日本人の口にも合うと思います。台北には「欣葉」「青葉」「梅子餐廰」の老舗台湾料理店がありますが、「梅子餐廰」は、海鮮料理から屋台の台湾グルメまで、台湾料理全体を網羅する豊富なメニューを取り揃えています。「炒青菜(空心菜)」「魯肉(豚角煮)」「菜哺蛋 (切り干し大根オムレツ)」「鹹蜆仔(シジミの醤油漬け)」「炒飯」「担仔麺」など、台湾の友人のお薦めのメニューを注文して、定番台湾料理を十分に満喫できました。

 華西街近くの桂林路にある台北市立老松國民小學(旧老松小学校)は、1960年代から1970年代には児童数が一万一千人以上の世界最大級の超マンモス小学校でした。日本統治時代の1896年(明治29年)設立の100年以上の歴史のある学校で、台湾で最も早い時期に開校された小学校の一つです。
 台北を案内してくれた台湾人の友人の口利きで、校内を職員の方に案内してもらいましたが、校庭の四方をぐるりと取り囲むように校舎が配置され、アーチ型の外廊下に教室がずらっと並ぶ様子に驚きました。その友人が小学生だった当時の台湾の学校は一つの教室にに65人程度が入っていたそうです。一万一千人以上ということは、65人の30クラスで6学年という計算になります。
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 龍山寺の近くの「華西街」アーケードには、毒蛇の専門店やスッポンや亀ゼリーの専門店があります。華西街夜市としても知られているエリアで、台北の古くからの歓楽街でもあります。当時の「亜洲毒蛇研究所」では、チンパンジーと猿使いがかけ合いをしながら、お客さんの注文に合わせて生きた毒蛇を捕まえて、絞めて生き血を集めたり蛇肉をおろしたりするパフォーマンスあり、アーケード街でも一際目立つお店でした。店内には蛇を漬け込んだお酒の瓶がずらりとならび、毒蛇のパワーで元気ハツラツという怪しさに満ちた台湾ワールドを満喫できました。お酒を混ぜた毒蛇の生き血や漢方薬入りの毒蛇スープなどの毒蛇料理に挑戦しましたが、毒蛇スープはさっぱりした味わいで、毒肉は骨が多くて食べられる部分が少なかったことや鶏肉に味わい記憶があります。
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