2012年04月

2012年04月19日

小笠原徹さんの志をうけついで

筑波山と霞ヶ浦をこよなく愛し、戦前、戦後をはしりつづけてきた小笠原徹さんが86歳で永眠されました。謹んでお悔やみ申し上げます。

戦後まもなく家業の歯科医院を継ぎ、あうんの呼吸の奥様の多満子さんと二人三脚で、土浦で戦後はじめて誕生した平和運動、文化運動に奔走され、住民運動でもまとめ役として大きな役割を担ってきました。

県内ではじめての日中友好協会の設立、原水爆禁止世界大会への代表派遣、市議会議員1期、また県政を県民のために取り戻さなければと県議選に2度挑戦しました。「院長、よく身体が持ちましたね」とたずねると「市民の痛いところはすぐとりのぞかないとね」と笑顔でこたえました。住井すゑさんを師と仰ぎ、平和運動、女性運動にもエールをおくりました。

憲法9条にこだわり、8年前に発足した憲法九条土浦の会では、「この会は希望の持てる運動にしなければと、議論だけではなく、足を踏み出して行動しましょう」と、駅前での訴えはいつも心にしみる胸に落ちる話をされました。(福田 勝夫)



kenpo9 at 10:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)