憲法を生かす奈良県民の会 うだ疾風の会

日本国憲法は施行70年を迎えた。憲法の歴史は空洞化の歴史。解釈改憲を積み重ね、ついに明文改憲の危機が訪れている。だが、憲法が保障する権利や民主主義はいまだに実現されていない。憲法を暮らしに生かすために、微力ながらがんばります。

宇陀市は「最先端」を走っている

疾風コラム 6/17
宇陀市は「最先端」を走っている

たぶん、今の宇陀市が抱える問題は、何十年後かの東京や大阪が向き合わねばならない問題なのだと気づかされました。きっかけは都心に野生のシカが現れたという「ニュース」です。これまでなかった目新しい出来事が「ニュース」なのであり、物珍しさがない日常風景はニュースになりません。宇陀市でシカを見かけることは、十年も前から日常となっていて、鳥獣害対策として農地のネット設置などが着実に進んでいます。

 つまり、宇陀市は「最先端」を走っているのだと思います。このままでは、東京や大阪の大都市が深刻な高齢化問題に直面するのは確実で、そのとき当地の高齢者にどんな対策が行われるかは、もう決まっているのです。それまでに現実化してきた地方都市における高齢化対策が「下敷き」になるわけであって、その意味で、いま地方都市が採用する高齢者対策こそ、もっともホットな時事問題だといえます。

 これは、もちろん今の高齢者の問題ですが、本質的には2045年ごろピークに達する超高齢化社会の中心となるであろう3040歳代の世代の問題でもあります。これら若者の世代は、どこにいようと超高齢化の真っただ中を過ごさねばならない人々であり、今からどのような「準備」をするかの試行は始まっています。国の政策としては、年金や医療・介護を中心とする「給付」の維持で精一杯で、それ以上の施策を求めるのは不可能でしょう。

 とすれば、その上の政策は地方自治体として考えていくしかないので、高齢期におけるグランドデザインが全員に問われています。自治体の政策のヒントとして「自分が歩いていける範囲にケア空間がある」ことを提案します。その先はみんなで考えましょう。

うだ疾風の会 代表 植林成光

「土建政治」は持続可能か?

疾風コラム 6/12

「土建政治」は持続可能か? 

 社会学者の広井良典さん(京都大学)は地域政策を検討するうえで、2つの観点が大事だといわれています。つまり、その政策は「持続可能」か、住民の「幸福量」を高めるかということです。

市民所得宇陀市

まず持続可能性は、財源の問題と環境への負荷などが課題となります。かつて、合併直後の宇陀市の市税収入は37億円以上ありました(2007年)。それが、2018年度の決算では27億円程度に減っています。10年で10億円の減収です。市税は市民税や固定資産税など市の独自財源となる収入です。この減少傾向はしばらく続くと思われます。というのは、税収減の原因は現役世代の人々が引退したことと、生産活動を担う若年層が流出したからで、この流れはただちに収まらないでしょう。そこで、施設や公園の建設、道路の拡張などいわゆる「ハコもの行政」は、宇陀のような地方都市を活性化させるのか、とよく吟味しなければなりません。ハコやミチはつくったが、将来の維持管理のために財源は大丈夫なのかということです。

つぎに政策によって「幸福量」を増やすという意味を考えます。それは、政治を行う国家や自治体と市民の関係をどうみるかということです。よく、日本人はオリンピックで金メダルを取った、世界が注目する技術の企業がある、和食はサイコーなど「自国ホメ」といわれるニュースが散見されます。だから日本は素晴らしい、国民の一人として誇らしいという気持ちを抱かせるためでしょう。そういう高揚も「幸福」のひとつでしょう。でも一方で、私も含めてその種の感情には何の「価値」も認めないという人がいます。自由な個人としての自分がいて応能の税を負担している、それの見返りとして国や自治体は自分の自由や権利を保障するべきだ、その意味で行政は暮らしていくための手段だ、という考えです。そのような考えに立つと、仮に自分の自治体が不相応なほど立派な建物をもったところで、感激も名誉も感じないのです。

土建政治は、長期の視野にたつ評価が求められます。維持管理していくのは次世代ですから。それに、一般市民に十分な情報が提供されたうえで市民参加の議論が不可欠です。地域に目を向ける人々が増えている今はその好機です。

うだ疾風の会 代表 植林成光

いのちを守るのは結局、自分の決意?

疾風コラム 5/27

いのちを守るのは結局、自分の決意?

きのう厚生労働省から発表された3月の「人口動態統計速報」によると、ことし3月の死亡数は前年同月よりわずかですが減ったことがわかりました。これで13月の死亡数は連続して前年を下回ったことになります。

人口動態
なんだ、コロナの影響は大したことなかったのか、などというつもりはありません。前年同月より少なかったといっても、きょねん3月の死亡数が119329人、ことしが119161人で、わずか168人の微減です。3月といえばWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言し、国内でも新規感染者数がピークに達した時期です。人々がマスクを着け、手洗いとうがいを励行し、適度の距離を保ちながら細心の注意を払って行動した結果において、なんとか死亡数が抑えられたということでしょう。医療機関にまだ「余裕」があったことも影響しているかもしれません。

わが国が、欧米に比べて新型コロナの感染を抑えられた理由は、政策ではなく「国民の決意」だったという論説があります。(新型コロナ収束は「安倍政権ではなく国民の決意があったから」 海外メディアが日本が成功した理由を報道)

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5ec86cc4c5b669e92c2eeb61

政治は何もしてくれないと悟った国民が、自主的に「3密」を避ける生活様式をとったことが感染の収束を引き寄せたというものです。そして、国民が政治は無策と判断した理由のひとつは、小さく汚く、いつまでとっても届かない「アベノマスク」だったということです。

この話、命を守るのはけっきょく自分の責任と思い込ませる政治を続けてきた「安倍政権」が奏功したとすれば、政治にとってはあまりに空虚で悲しいことです。

うだ疾風の会 代表 植林成光

ギャラリー
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  • 全市民への直接給付を
  • 強いやつが勝つ社会でいいのか(再掲)
  • 「市長派と反市長派」の違和感
  • 宇陀警察の吸収統合と赤十字募金事件のナゾ
  • 「戦後」にそなえよう
  • 「くんなか」と「さんちゅう」
  • 人の死を利用するのは許せない