市原市に憲法と地方自治を活かす会

私の住む市原市の歴史と暮らし・政治に憲法と地方自治を活かし、歴史の創造に少しでも貢献できればと思います。人生65年を迎え、余命の時間を考えると、この間の人生で学んできたことを、未来を生きる若者にどのように伝えていくか、ある意味で遺言と言ってもよいのかも知れません。  切れ目なく命の限り記録する二千の歳を更に積み上げ

市原市に憲法と地方自治を活かす会 862
日本における自治=民主主義について、調べていたところ、渡辺洋三編『法の常識』(有斐閣双書 昭和41年2月刊)という本の中の「国家機構と法」という論文の最後の一節を再読することができました。偶然です。

この本は吉祥寺の「無名書房」という古本屋で購入したものです。元々の値段は430円。安いものです。

それはともかく80年代宮本憲一氏が名付けた「草の根民主主義」について、昭和41年(1966年)の段階で、別の視点から書かれていることに感動しました。ご覧ください。

地方自治の今日の課題」(奥平康弘)より
地方自治は、現代では優れて政治的防衛的脈絡のなかでその役割が評価されなければならない。すなわち、中央政府が本格的にいって人間不在の施策の機関と化し去っている現状において、地方政府もまたこれに便乗し追随したならば、自らの墓穴を掘ることになる。そうではなくて、地方政府は、中央政府と相対的に独立し、真の意味での住民利益を保全し主張するとりでとならなければならないだろう。
地方自治の段階では、中央政府の場合よりも、住民自治参加の機会が法制度上広く存在する。地方議会と執行機関の長が、共に住民選挙によるばかりでなく、条例の制定・改廃、議会の解散、議員および長(その他若干の吏員)の解職、監査などに関し、住民の直接請求制度がある。さらに、住民ただ一人でも、最終的には訴訟にもちこんでまで争いうる住民監査請求のごとき特異な方途も開かれている。これらの制度を通して。地方住民は、地方政治にその要望を反映させ、さらには中央政治の流れを変える方途もあると思われる。(引用ここまで

何故、この本を購入していたか。
それはパートタイマーが出現した70年ごろ、私が二浪していたとき、時給250円、朝6時から10時まで4時間、一日1000円を稼いでいた頃に、購入したもので、70年3月卒業し、71年受験に失敗、浪人二年目に入ることになったのでした。しかし2年目は、さすがに親の世話にはなれなかったため、自らの食い扶持と大学入試の受験料と学費を稼がなければならなかったのです。

新聞の雇用面を探していたら丁度良い条件の会社がありました。学生のパートタイマーを雇っていた某清掃会社です。さっそく面接に行き、その場で申し込みました。午後は大学を目指して勉強していたのです。

その職場で人生を変える大転換がありました。
それは労働現場には津軽から出稼ぎにきていたおばあちゃん、おじいちゃんたちが元気よく働いていましたが、手を洗う石鹸とかお茶などは、すべて自前だったのです。働き者のおばあちゃん、おじいちゃんたちは、何一つ不満をいうことなく清掃労働に従事していたのです。
清掃労働は開店前のデパートの床・トイレ・階段清掃・食堂の出した生ごみの処理などなど、いわゆる汚いものを扱う労働です。
私たちはモップを使った、時にはポリッシャーを使ったフロア清掃でした。
清掃が一段落する10時になると、皆でお茶をやるのです。
安い賃金で、出稼ぎに来て地元に送金する!そんな労働者の現実を見て、それまで勉強と言えば、テストのため、大学受験のための勉強しかしてこなかった私が、劇的な転換を迎えたのです。

それは、私と同じように4時間労働以外の時間を弁護士試験に挑戦するための時間を確保してアルバイトしている男性とバイオリン政策だけでは食べていけない職人の男性と遭遇したのです。
彼らは職場の賃金・労働条件の現状を変えていくために労働組合をつくろうと考えていたところに、私が入り、他の学生たちの中で、めぼしい若者に声をかけたのでした。
呼びかけられた若者の中には、既に大学生としてアルバイトに来ていた若者、音楽活動をするためにアルバイトとして働いていた若者などでした。そして数人で憲法、労働法、哲学・歴史などの勉強会を始めたのです。

その時に購入した書籍の一つが上記の本でした。私はカネがなかったので、古本屋で購入するというパターンで書籍を集め勉強したのです。

受験勉強から生きるための勉強に転換した時です。

当時、渡辺洋三氏の本で、手軽に手に入れられる安い本を古本屋で探して読んだものです。最初は、何気なく手に入れた本が、以下の2冊でした。
岩波新書『法というものの考え方』『日本における民主主義の状態』
衝撃でした。日本はこうなっているのか!

憲法など、読んだことのなかった19歳の少年が憲法を、憲法について書いてある本を読むようになりました。
世界が、パッと開けました。

午後、古本屋めぐりをして、関係する本を探して読み、その時の勉強によって、何か、ものの視方考え方が劇的に転換し深化していったように思います。
今も大切にしている本です。ご覧ください。
東大出版会『法と政治の間 日本国憲法の十五年』 
岩波書店『憲法と現代法学』
岩波新書・共著『現代法の学び方』
このような19歳の少年の体験が、今日まで続いているのです。
しかも、驚くことには、この奥平康弘氏の指摘は、今日も当てはまる!
ということは、地方自治が、未だに国民の中に根ざしているとは言えない状況があるということです。

改めて思うことは、「市原市に憲法と地方自治を活かす」という取り組みの原点は、1971年から始まっていたのでした。


市原市に憲法と地方自治を活かす会 861
北朝鮮問題が劇的に動こうとしています。
マスメディア、特にテレビは北朝鮮にだけ、非核化を要求しています。
しかし、この問題は北朝鮮の非核化だけが問題か!?
違います!
朝鮮半島の非核化・東アジア・北東アジア・太平洋の非核化ついては、全く不問です!
まして日米核兵器軍事同盟に基づく日本の米国の核の傘の下にあることは全く不問となっています。
日本の平和は米国の核兵器の抑止力によって維持されていると市議会で発言した自民党議員もいるくらいですから、北朝鮮の核兵器は悪玉で、アメリカの核兵器は善玉なのでしょう!
では、米国の善玉核兵器によってヒロシマ・ナガサキで多くの人間が虐殺されたことはどのように説明するのでしょうか!
そのようなことを考えると、以下の記事は大変参考になります。
ご覧ください!!


 核軍縮「日本にも特別な責任」ICAN事務局長 
NHK  4月21日 4時39分 
北朝鮮情勢

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180421/k10011412101000.html?utm_int=detail_contents_news-related_002

NPTの準備委員会の会合が23日から国連ヨーロッパ本部で始まるのを前に、核兵器禁止条約の採択に貢献し、去年、ノーベル平和賞を受賞した、ICANのベアトリス・フィン事務局長がNHKのインタビューに応じました。
フィン事務局長核兵器禁止条約への国際的な関心が高まっているとして、「核兵器に頼る国々への圧力は一層強まり、いずれ政策を変更せざるをえなくなるだろう」と述べ、各国が条約に参加することに改めて期待を示しました
また、北朝鮮情勢について、「NPTに参加する各国が核兵器を拒絶する意思を示さなければ、朝鮮半島は非核化されない。アメリカが核戦力を増強し続ける以上、北朝鮮が核を放棄するのは難しいだろう」と述べ、アメリカのトランプ政権が核戦略を強化しながら、北朝鮮に核開発を断念させるのは説得力がないと批判しました。
そのうえで、「核兵器が再び使用される脅威がこれまでになく高まる中、核兵器の悲惨さを知る日本には特別な責任がある」と述べ、唯一の戦争被爆国である日本が、アメリカの核抑止力に頼るのではなく、率先して禁止条約に参加すべきだと訴えました。(引用ここまで


市原市に憲法と地方自治を活かす会 861
今朝のニュースを見て感動しました。
シリアとヒロシマ・ナガサキとを結ぶ!
被爆地ヒロシマ・ナガサキの威力=平和を目指す威力!
ご覧ください。
おはよう日本 NEW    シリア難民ピアニストは なぜ広島で演奏したのか2018年4月20日(金)
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2018/04/0420.html

「今、世界が注目する、異色のピアニストです。」

演奏会に選んだ場所は広島

内戦が続くシリアで、子どもたちと歌うこの男性。
ピアニストのエイハム・アハマドさんです。
この映像がインターネットで広まり、世界中に知られるようになりました。

その後、シリアを離れ、難民となったエイハムさん。
今回、NPOの招きで初めて日本を訪れました。
演奏会に選んだ場所は、広島。
なぜ広島なのか?
歌にどんなメッセージを込めたのか?
シリアの難民ピアニスト。
その思いを見つめました。

恐怖を忘れられるように あえて明るい歌を

リポート:鮎合真介(国際部)

8年目を迎えたシリアの内戦。
今も激しい戦闘が続き、35万人以上が犠牲となっています。
エイハムさんが育った町、首都近郊のヤルムークも、たび重なる攻撃で廃虚となりました。

大学で音楽を学び、教師を目指していたエイハムさんが始めたのは、子どもたちと一緒に歌うことです。

♪“避難したみんな 異国暮らしはもうこりごり
戻っておいで みんながいないのはもういやだ”

町に残る人が少しでも恐怖を忘れられるようにと、あえて明るい歌を作りました。

エイハム・アハマドさん
「地区は包囲され、皆が飢えに苦しんでいました。
砲撃されるのが日常でした。
音楽は、つかの間ですが、包囲の中で暮らす人々を癒やすことができます。」

演奏会でシリアの現状を訴える

しかし、過激派組織に目をつけられ、「演奏をやめろ」と脅迫されるようになります。
大切なピアノも燃やされ、命の危険を感じたエイハムさんは、シリアを脱出。
1か月半かけてドイツへたどり着きました。

難民となったあとも、ヨーロッパ各地で250回以上、演奏会を開催。
初めての日本でも、音楽でシリアの現状を訴えました

♪“私たちの時間は止まったまま
支援物資は一切れのパンだけ”

「魂に響くような演奏でした。」

「シリアについてどういうサポートができるか、これからも関心を持っていきたい。」

「自分は無力」と「変化を起こせるはず」

エイハムさんがシリアを離れて3年。
気にかかるのは、混乱が一向に収まらない故郷の現状です。
ヤルムークで一緒に歌った子どもたち。
1人は、何者かに狙撃されて死亡。
他の子どもたちともほとんど連絡が取れません。

歌い続けても、何も変わらないのではないか。
悩みが募る日々を送っています。

エイハム・アハマドさん
「いつも自分は無力だと感じ、ピアノをやめようかと悩んでいます。
その一方で、変化を起こせるはずだという矛盾した気持ちも抱えています。」

「被爆ピアノ」に 自分の人生を重ね合わせて

そんなエイハムさんが、今回どうしても訪れたかった場所が、広島。
原爆の悲惨さを伝え続けて来た町です。

エイハム・アハマドさん
「戦争で何が起こったのか、人々がいかに復興したのか、広島から学びたい。」

この日、訪ねたのは、広島市内のピアノ工房。
ここに、特別なピアノがあると聞いたのです。

「このピアノは被爆当時のままで、オリジナルです。」

73年前、爆心地近くの民家にあった「被爆ピアノ」。
爆風で傷だらけになりましたが、原爆の悲劇を伝えるシンボルとして、人々が大事に演奏してきました。

傷ついても、力強い音色を奏でるピアノ。
エイハムさんは、自分の人生を重ね合わせていました。

「被爆ピアノ」であの曲を演奏

昨夜開かれた演奏会。
エイハムさんは、特別に被爆ピアノで1曲演奏することにしました。

エイハム・アハマドさん
「一緒に歌いましょう。」

選んだのは、かつて子どもたちと歌った、あの曲です。

♪“避難したみんな 異国暮らしはもうこりごり
戻っておいで みんながいないのはもういやだ”

エイハム・アハマドさん
「このピアノのように、私たちも戦争に屈せず生き抜いていきます。
平和への願いを引き継ぎ、演奏し、歌い続け、語り続けるんです。」

シリアに関心を持ち続けていますか?

和久田
「エイハムさんは特に難民の中でも翻弄された人かもしれませんが、同じようにシリアを逃れた人が560万人もいるということを、改めて思い起こさなければならないなと感じました。」

高瀬
「あえて作った明るい曲調のピアノの音色を聴いていると、ともすると、このシリアの混乱に慣れてしまっていませんかと、関心を持ち続けてますかと問われているような気がしましたね。」

和久田
「エイハムさんは明日(21日)日本をたち、ドイツに戻るということです。」(引用ここまで


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