芸術作品の本質は「驚き」であり、それはまた何らかの意味で見るものを「騙す」ことだ。うまく騙されたとき、観る者は地面が揺らぐような心地よい「眩暈」を感じることができ、それによって硬直化しかけていた世界への視線を更新することができる。そして、一部のさらに先へ行こうとする者にとっては、人間が世界をどう認識するのかの、根本的な問題への道しるべにすらなれる。
そういう作品を作り続けた芸術家の代表例は、トリックアートの巨匠エッシャーであろう。
そのエッシャーの影響を強く受けたハンガリーのグラフィックアーティストでもあるアニメーターがイシュトヴァーン・オロスである。
まずは彼の代表作『Mind the Steps』から。



民主化以降のインタビューによると、これは社会主義の圧政から逃れようとしながら逃れられないことを、不条理な引っ越しの情景に仮託したらしいが、この作品を楽しむのにはあまり必要のない知識だろう。ただ、エッシャー的無重力無方向感や変転するイメージに幻惑されるのが、なにより正しい楽しみ方なのであろう。その上で、その眩暈の向こう側にある不安の正体について議論をするならば、有益なものになるであろう。
なお最後に出る監督の名前が「OROSZ ISTVAN」なのは、本来ハンガリーの名前は日本と同じように「性+名」の順番だから正しくは「オロス・イシュトヴァーン」で、外国では分かりやすく「名+性」の順番に直してあるのだろうと思われる。じゃあ、なんで日本でも「名+性」の順番なんだと言われると答えに窮すが、ハンガリー系の名前ではよくあることである(アゴタ・クリストフってどっちがどっちだっけ?)。

イシュトヴァーン・オロスの作品のもう一つの特徴はルネッサンス以降のヨーロッパでデューラーらにより発達させられた銅版画のテイストをアニメーションに持ち込んだことであろう。これもエッシャーとの共通点であるが、この緻密な絵を動かす事の苦労がしのばれる。
『The Garden』


少年が車椅子の女性を追っていくと、その女性が水に入った途端、人魚になるのを目撃する。監督のインタビューによると、思春期に大人になろうとする少年の性的ファンタジーについて描いた作品らしい。そう言われてみると、蛇口のシーンが多いのが何だか意味深げに見えてくるな。

この銅版画アニメーションとエッシャー的トリックアートアニメーションが融合した傑作が『Time Sights』である。


この動画ではナレーションがハンガリー語で何言ってるか分かんないけど、ナレーションが英語のバージョンもあって、そちらで聞く限りは、過ぎ去っていく時間のことや男女の出会いと別れを、男の側と女の側から、過去形と現在形で、単数形と複数形を混ぜながら、左右入れ替わりながら、語っているようだ。絵の二重性にかぶせて、語りも二重性を持たせようという試みなのだろう。

最後に2008年に完成した最新作『Mazes』。


これは監督が雑誌にイラストとして掲載した九つの迷路をもとにつくったアニメーションである。アニメーションとしては生まれてから死ぬまでの人生の流れを表現しようとしたものらしい。

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(追記:2013年2月26日:ルネ・ラルーとメビウスによるフランスのアニメーション『時の支配者』の作画スタッフにこの人の名前を発見!