美しく聡明なラプンツェルは幾ら外に助けを求めても無駄であることを早々に悟ってしまいました。いくら窓の外にその美しい歌声と長い髪で男を誘っても、すぐに魔女に気付かれてせっかくの美しい髪を切られてしまうだけです。それならもっと他の手があるではありませんか。ラプンツェルは発想の転換を図ります。
 外に逃げることを止め、内側に逃げることを考えたのです。
 ラプンツェルはその日から、その長い髪を織って、長い長い織り者を作りはじめました。魔女の工房から魔法の染料を失敬して自慢のブロンドを様々な色に染め変えて、黄金色の地の上に色鮮やかな世界を織り上げていきました。
 それは一つの物語でした。黄金色に輝く世界にも悲しみや問題はありました。あるところに子どもを欲しがっているのになかなかそれに恵まれない夫婦がいたのです。しかしあるときようやく神さまに願いが届いて、妻が子どもを身ごもります。
 その夫婦の家の裏にはひとつの窓があり、そこからは妖精の庭が見えました。その庭には世界中のあらゆる花や薬草が植えてありましたが、そこに住んでいる妖精が怖くて誰も入ろうとはしませんでした。しかし赤ん坊を身ごもった女は毎日その庭を見ているうちに、そこに植わっている見事なラプンツェルが食べたくて食べたくて仕方なくなってしまったのです。しかしそんなことをしてはいけないと分かっていた彼女は、気に病むあまりとうとう痩せこけて倒れてしまいます。
 夫はそんな妻を見て決心して、黄昏時に高い高い塀を越え妖精の庭に入り込んで、ラプンツェルの葉っぱを一掴み取って逃げかえると、サラダにして食べさせました。女の喜びようといったらありませんでした。それをガツガツ食べた次の日、女はその三倍ものラプンツェルを食べたくなっていました。夫はまた庭に忍びこもうとします。そこに妖精が立っていました。怒り狂った妖精に男は懸命に説明します。そのおかげか妖精は納得したようでした。しかし妖精は言います。
 「しかたがない。好きなだけラプンツェルを持って行くがいい。ただし、おかみさんが身ごもった子供を私に渡すというならね」
 男は恐怖のあまり全てを承諾してしまいました。
 こうして女は可愛い女の子を産み、妖精はその子を連れて行き、ラプンツェルと名付けました。胸にラプンツェルの葉の形の痣があったからです。妖精に大切に育てられたラプンツェルはこの黄金色の世界で一番美しい女に育ちましたが、高い塔から出ることは禁じられていました。その塔には出口もなければ階段もありません。ただずっと上の方に小さな窓があるきりだです。妖精は美しいラプンツェルが人間に奪われることを恐れていたのです。人間たちが庭に生えていたラプンツェルを盗んだように。
 その出口も入口もない塔に妖精が入りたいときには、妖精は

 ラプンツェル、ラプンツェル
 お前の髪を垂らしておくれ

と呼びかけることになっていました。そうするとラプンツェルは普段は結いあげている黄金を紡いだようなその綺麗な輝く長い髪を解いて、おさげ髪を窓の鉤に巻き付けます。すると髪は塔の下まで垂れ下がって、妖精はそれを手ン繰ると上まで登っていくのです。
 そんなある日、この国の王子が馬で森を通り抜けようとして、近くを通りかかったときのことでした。毎日塔に閉じ込められて暇を持て余したラプンツェルの歌声が王子の耳に届いたのです。王子は思わず馬を止め、うっとりと聴き惚れました。
 王子は歌声のやってくる方に吸い寄せられます。塔を見つけた王子は入口を探しますが、そんなものはどこにもなく、梯子を掛けるにも高すぎました。王子はがっかりして家に帰りましたが、歌声が彼の胸をそこまでかき乱していたので、それから毎日森へ出かけては歌声に耳を傾けていたのです。
 それが何日も続いた日でした、気の陰で歌を聴いていた王子が魔女が例の合言葉を言って塔の中に入る様子をみたのは。なんだそんな簡単なことか、と思った王子は、黄昏時に塔に行くと呼びかけます。

 ラプンツェル、ラプンツェル
 お前の髪を垂らしておくれ

 すると髪の束が垂れさがって来たので、王子はそれを手ン繰るとするすると昇っていきました。
 ラプンツェルは初めて見た男と言うものに最初はひどく驚いたものの、王子がやさしく話しかけるのを聞いていると、育ての親の妖精よりもこの人の方が自分を大事にしてくれるのではないかと思いはじめ、王子を部屋に入れます。王子は朝までその部屋にいて、胸の上のラプンツェルを味わいました。
 王子が帰るときラプンツェルは言います。
 「わたくし、あなたに付いてまいりたいのですけれど、どうやって下に降りればいいのか分かりませんの。あなた、これからここにおいでになる度に絹の紐を一本ずつ持っていらして。それで梯子を編みますわ。梯子が出来上がったらわたくしは下へ降ります。そうしたら、あなたの馬に乗せてくださいませね」
 それ以降、黄昏のたびに王子はラプンツェルを訪れ、2人で楽しく夜を過ごしました。妖精はそのことにまったく気付いていませんでしたが、とうとう絹の縄梯子が完成しようというころ、ラプンツェルはうっかり言ってしまいました。
 「ねえ、どうして服がきつくなって着れなくなってしまったのかしら」
 箱入りで育てられたラプンツェルは性教育もまともに受けていませんでした。しかし妖精はすぐにことの次第を悟ります。
 「なんだって、この罰当たりめ! お前を俗世間から守ってやっていたのに。裏切り者め!」
 妖精はラプンツェルの見事な髪を掴むと、二巻き三巻きおさげを左手に巻きつけて、右手に持ったはさみでジョキジョキ切り落としてしまいました。そしてラプンツェルを荒野に連れていき、置き去りにしてしまいました。可哀そうなラプンツェルは、そこで哀れな暮らしをするよりありませんでした。
 その日の黄昏時にも王子はやってきます。そして下からラプンツェルに呼びかけ。降りてきた金色のおさげに掴まって登って行きましたが、そこに待っていたのは妖精でした。おさげは切りとったものを、窓の鉤に結び付けただけでした。
 「おやおや! 可愛い嫁さんを迎えに来たのか? だが、あのきれいな小鳥はもう籠から出ていてしまったんだ! だからもうさえずりゃしない。猫がさらっていったんだよ。猫はお前の目玉もえぐり出すかもしれないぞ。ラプンツェルはもうお前のものじゃない。二度とあの子の顔は見られないね!」
 妖精は王子を口汚く罵ります。それでもうラプンツェルに会えないと分かった王子は錯乱し、ラプンツェルが作った縄梯子を抱きしめて塔から身を投げてしまいました。茨の藪の中に落ちて棘で両目を潰された王子は、森の中を彷徨い、木や草の根、山葡萄や草いちごのようなものだけ食べて、ただ手に持った縄梯子に頬擦りしながら泣き続けるだけの存在になってしまいました。
 こうして幾年かが過ぎた後、彷徨う王子はついに、ラプンツェルが産んだ男の子と女の子の双子と共に細々と暮らしている荒野に入り込ます。どこか聞き覚えのある声に惹かれて近付いてきた男を見て、ラプンツェルはすぐにそれが誰だか分かり、王子の襟首にかじりついて涙を流しました。その涙の二滴が王子の目に入ると、彼の目はたちまち見えるようになります。
 「ああ、王子様。ずっとお待ちしておりました。これがあなたの子でございます」
 目が見えるようになった王子はラプンツェルを見てこう言います。
 「ああ、あなたのおかげで目が見えるようになりました。いくら感謝の言葉を連ねても足りますまい」
 その他人行儀な言葉にラプンツェルは疑問を感じます。
 「これからは夫婦で一緒に暮らせるのでしょう?」
 それに王子は首を横に振ります。
 「いえ、それはできません」
 ラプンツェルは叫びます。
 「どうしてですか?」
 王子は悲しそうに答えます。
 「私があなたに惹かれたのは、あなたが美しく長い髪を持っていたからです。しかしあなたはもうそれを持っていません。私は髪の長い女性が好みなのです。いえむしろ、女性の長い髪が好みなのです、と言うべきでしょうか」
 ラプンツェルは怒りだします。
 「子どもまで産ませてその仕打ちですか?」
 いろいろあってラプンツェルも人並みの性知識を身に付けたようです。
 王子はそれに答えずに、黄金の髪で編まれた黄金の世界から目をあげて、その外側の世界を見上げます。
 「私が結婚したいと思うのはあの女性です」
 その指さした先にいる女性、それはこの物語を編んでいるラプンツェルでした。
 「彼女は誰も自分を助けに来ない現実に絶望し、物語の中だけでも自分を救うためにこの物語を作り、自分を救うために私を作りました。だから私が本当に助け出さないといけないのは、この物語の中のあなたではなく、この物語を作っている、あのまだ長い綺麗な髪を持ちつづけている女性なのです」
 2人のラプンツェルは同時に驚きます。特に物語を編んでいるラプンツェルは飛び上がるほど驚きました。これは髪を染めるのに使った精霊の薬のせいかと思いました。しかしそれは違います。中世の魔術などと言うのは未発達な科学に過ぎず、そのような超自然的力はなかったのです。ただラプンツェルにとって物語を編むのは初めての経験であり、当然物語がその作者を裏切って勝手に動き出すという経験も初めてだったので、ひどく混乱してしまったのです。
 王子は物語の編み物の中からラプンツェルに呼びかけます。

 ラプンツェル、ラプンツェル
 お前の髪を垂らしておくれ

 ラプンツェルは物語を編み込んだ自分の長い髪をその物語の中に垂らします。王子はそのもつれた髪を手ン繰って、するすると物語の外へと登っていきます。
 「あんた、そんな人でなしでいいのかい? あんただって捨てられるのかもしれないんだよ!」
 物語の中からラプンツェルが叫びますが、外のラプンツェルにとっては自分が空想の中で作りあげた理想の男が自分に実際に言い寄ってくることと比べたら、そんなことは些細な問題に思えます。
 「さあ、塔から逃げよう」
 王子はずっと持っていた絹の縄梯子を窓の鉤に結び付けると、ラプンツェルの手を引いて塔を降り、魔女の手の届かないところまで逃げていきました。
 その後、自分の父親にラプンツェルを会わせて妃にしようとしましたが、その世界では王子は別にいるので大変な騒ぎになりかけましたがそれも何とか切り抜け、お城での優雅な生活とは行きませんでしたが、男の子と女の子の双子にも恵まれ、末長く幸せな生活を送りましたとさ。
 でもラプンツェルは、窓際で赤ん坊に乳を含ませながら、ときどき考えてしまいます。今自分がいる場所はもしかしたらあのとき自分が織った物語の中なのではないだろうか、そもそも物語の中にその物語を織りこんだ髪を垂らすなんてことが物語の外で可能なのだろうか、本当の自分はまだあの塔の中でこの物語を織り続けているのではないだろうか、と。そうしたら、今自分は相変わらずあの無骨で居丈高な塔と繊細で滑らかな織り物の、二つに閉じ込められている、それって幸せって言えるのだろうか、と。またこうも考えます。もしそうなら、本当の自分はあの塔の中で、自分が幸せになる物語を、本当には助けに来ない王子様によって自分が救われる物語を織り上げ続けている、それも果たして幸せって言えるのだろうか。
 そういうことを考えはじめるとラプンツェルはかつて塔の中で魔女に見せられた一枚の絵を思い出します。その絵では、塔の中に閉じ込められたハート型の顔をした女たちがやはり同じ顔の女の監視者のもと、絵を描き続けていて、その絵が塔の外まで続いてそのまま塔を囲む世界になってしまいます。その絵を見ているとラプンツェルは立ちつくして、なぜだか涙が止まらなくなってしまったものでした。今になってようやくラプンツェルにもそのわけが分かってきたような気がします。物語の力で救われたと思っていた彼女はだんだん物語の力が信じられなくなってきてしまい、それどころか物語の力が怖ろしくなってくるほどでした。
 でもそんなときに、ラプンツェルは自分のもつれた髪の毛を手ン繰るのですけど、何回やっても元のところに戻ってきてしまって、もつれたお話のもつれたしっぽはどこにも見つからないのでした。