とりあえず「基本のき」として、未見の方はこれを見ましょう(過去記事へのリンクです)。
Red(そうかもう二年前になるのか)
While
Black
Yellow

episode 1

こう見てみるとrwbyについて、一年以上記事を書いていなかったわけだが、言い訳すると(言い訳する必要があるのかは謎だが)、最初のうちはテンション落ちてたんだよなあ。


なんか、『ティーン・タイタンズ』を見ているような気分で、複雑だったのだ。
『ティーン・タイタンズ』は表情のデフォルメや漫符などの表現など、日本アニメの手法を大きく取り入れた作品で、そういう意味では興味深かったが、心の底から楽しめた回はそれほど多くない。
やはり下手でこなれていなかったし。
rwbyも爆発したりチビキャラになったりと、「いかにも」で「ステロタイプ」な日本アニメの表現を使っていて、少々薄ら寒かった。あとモブが真っ黒なのは、資金と時間的に仕方なかったのかもしれないけど、どうしても伝説的な『みなみけ おかわり』を思い出す。
そして決定的なことに、肝心のアクションが足りなかった。
やはり動くことがアニメーションの魂。アメリカン・アニメーションは動きを省略することなく丁寧に描くことに、最大の長所がある。それに対して日本アニメは、予算人員時間の少なさをカヴァーするためとはいえ、出崎統や金田伊功ら天才が開発した、「対して動いていないのにものすごく動いているように見せるアニメーション技術」を開発した。たとえば、『明日のジョー』や『コブラ』のラストで、劇画調の止め絵になるのは「ハーモニー処理」と言って、キャラクターと背景を同じ描線で描く手法だが、これによって、止め絵で時間を持たせることができ、出崎統が発展させた。一枚を描く労力は増えても、動画を何枚も描くことに比べたら楽なのだ。
また、金田伊功はその天才的なデフォルメとエフェクトのセンスによって、実際以上に動いている画面を作り上げた。間接は明らかに無理な方向に折れ曲がり、レーザー光線は直進せずまるで破裂し、まるで魚眼レンズで撮ったかのように手前のものは大きく拡大されたが、止め絵では異様に見えるそれらが、動かすと驚くほどかっこよかった。
しかし、東映アニメーション出身の宮崎駿や大塚康雄が体現していたように、本来の王道はちゃんと動かすことだった。
しかし、80年代、アメリカのテレビアニメーションが予算の枯渇の中、底なしの没落をしていたときに、さまざまな窮余の策を開発しながら質の高い作品を輩出していた日本のアニメ作品は、アメリカのアニメーションファンに強い影響を与えた。
それらが90年代以降の、第二期アメリカンアニメーションの黄金時代、いわばアメリカンアニメーションのルネッサンスを準備した。
『パワーパフガールズ』を見れば、カット割りや省略、突然の絵柄の変化などで動きを間接的に表現するという、日本アニメの技法を見事に生かしているのを目撃できる。
それが何より気持ちよかった。
それに対して『ティーンタイタンズ』の日本アニメ需要は、表情だの漫符だの、どうも表面的に感じたのだ。というかぶっちゃけた話をすると、それは私にとって日本アニメの嫌いな部分だったのだ。誤魔化さないでちゃんと描け、と。
アクションに関して言えば、『ティーンタイタンズ』は動きを省略せずに丁寧に描くという、とても伝統的なアメリカのアクションアニメのように感じられた。
そこがどうもちぐはぐだった。
ああ、またか、とrwbyを見てそう思いかけた。
しかし、話が進んでいくと、どうやらこれはなかなかすごい作品かも、と思わされ始めた。




日本アニメに影響されたキャラデザインに、アメリカっぽい細かい仕草や表情の変化が乗って、とても可愛らしくなってきた。
キャラクターも一見類型的でありながら、アメリカ的に皆我が強くぶつかり合う。『マイリトルポニー』と一緒で、脚本を書く段階で、仲間がいがみ合い、誰かが傷つくことを恐れていない。ドラマとは衝突なのだから当然だが、日本アニメで衝突の弱い脚本の多いことよ。
これなら、下手に日本風の演出などせずに、キャラデザインだけ日本風で、脚本演出はアメリカ風でいいんじゃないか。そう思えた。
実際、制作側もそちら側にシフトし始めているようにも思えた。
そんな中、完全に認識を改めさせられたのが次の回だった。

すげえ!
すごすぎるだろ!
多人数の連携をこんなにちゃんと描けた作品がほかにあっただろうか。しかもリアルタイムで。日本のアニメはどうしても、説明や独白や回想に時間をかけてしまうので、スピードの速い戦闘をリアルタイムでかけない。この内的描写の少なさからくるテンポの良さはまさにアメリカ的。
それをここでは、さすが3Dアニメという空間演出で、説明なしに見るものに分からせている。
rwbyは日本の格闘ゲームに強い影響を受けたモーションが特徴だが、この動きはfpsやmmorpgなど多人数がリアルタイムで動くオンラインゲームの影響なのではないか、と思った。日本のアニメがターン製のjrpgなのと対照的だ。どちらが良いとは一概には言えないが、このリアルタイム演出力の差は、ゲーム経験の違いに起因するのかもしれない。
そして、一番盛り上がるところで歌が入るという、いかにもな日本的演出。燃える。文句なしに燃える。
そうだよ! 日本アニメの影響を受けるんだったら、そういうかっこいいところを受ければいいんだよ!
この回で、このアニメが世界の最先端をいっていることを、再確認でき、どこまでも追いかけていくことに決めたのだった。
次回へ続く。

で、もうちょっとだけ語る。
日本のアニメとアメリカのアニメーションを見ていて強く感じることは、彼らはこちらを良く見、良く勉強し、良く消化して表現しているが、こちらはそんな努力をしていない、ということだ。
もちろん日本の先進的なクリエータは世界を見ている。『Panty&Stocking with Garterbelt』を作りGainaxを去っていたスタッフは(特に今石洋之、吉成曜、若林広海らは)、アメリカのアニメを見事に吸収し、自家薬籠中のものとして表現しきった。
『クレヨンしんちゃん』『マインド・ゲーム』『四畳半神話体系』『ピンポン』などの傑作を生み出した湯浅政明なども、『wakfu』や『アドベンチャー・タイム』など海外のアニメスタジオとの仕事をこなしている(このことはなぜか世界で日本人が評価されるのが好きで、日本アニメが世界一だという偏った意見を定期的に垂れ流す日本のマスコミは報道しない)。
しかし、それが日本アニメの地力を上げることには未だ繋がっていない。
クリエータがいくら勉強しても、鑑賞者が勉強しなければ、実は作品はよくなっていかないのだ。
もちろんクリエータが良い作品を作らなければ、鑑賞者は鍛えられない。
ただ、そこへさらに、良い鑑賞者がいることによってクリエータも鍛えられていく、という流れを加えないとこのフィードバックは循環せず、先細りになってしまう。
健康なジャンルにはこのループがある。日本のアニメには残念ながらそれを感じない。
「批評の貧困」と昔からよくあるタームで総括しておこう。

まあ、硬いこと言ってるが、ようは「アメリカのアニメは面白いなあ、うらやましいなあ」ということなのだ。
何しろこちらより自由度が高く、定期的に信じられないことが起こるし、一年に一作は今まで見たことのなかった作品に出会える。
日本人として、日本アニメにリスペクトをしてくれるのも嬉しい。こう見えても私は常識的なナショナリストで、現状に文句はあっても日本アニメが基本的には好きだからね。
アニメだけでなく、『おかしなガムボール』を見ていても、『アドベンチャー・タイム』を見ていても、『スティーブン・ユニバース』を見ていても『グラビティフォールズ』を見ていても、日本のゲーム文化に対する強いオマージュを感じざるを得ない。『スティーブン・ユニバース』なんてjrpgの香りがぷんぷんする。世界では通用しないだのいろいろ言われたり自分で言ったりした日本のゲームだが、世界の若いクリエータには確実に影響している。問題は、ジャンルが外から自分を見る視線を持たなかったために、自分たちの何がよいのかを見失ったことだ。
新陳代謝を失ったジャンルの衰亡は早い。
考えれば上で、ちゃんと勉強しているクリエータとしてあげた今石洋之も湯浅政明も「金田アクション」という日本で生まれたアニメーション技法の後継者たちだ。
日本のアニメーション技法を極めるためにこそ、アメリカやヨーロッパの表現技法に真摯に向かい合わなければいけないのだ。
結局堅い話になってしまったが。