とうとうマイリトルポニーのシーズン5が始まったね。
放送時間(日本時間の土曜日の深夜)にはパソコンの前でかぶりつきで見てるよ(どうやって見てるかは秘密。まあ、EQDに行けば分かるんだけど)。
さて、その第一話(厳密には1・2話。マイリトルポニー FiMでは、シーズンはじめは必ずヴィランを倒す前後編になっている)は、いきなり女児アニメとは思えない思い代物だった。

 

女児アニメでも共産主義批判とはさすがアメリカさんやでえ! という感じである。
まあ、共産主義批判(というか過度の平等主義批判)と言っても、それほど深い内容ではなく、狭い部屋への監禁と抑揚のない洗脳放送など、この手のものの定番をなぞったような感じだが、それでも女児アニメでこれをやられるとちょっと異様な感じがする。
もう、「見てるのはどうせ成人男性ばかり」と居直ってるんじゃないかと思わせる感じだ。「平等の杖」はどう見たって、『新世紀エヴァンゲリオン』の「ロンギヌスの槍」だし。だったら、スターライト・グリマーがやりたかったことは「ポニー補完計画」なのだろうか。
後編冒頭のドアを叩いている音を聞いたとき、「どこかで聞いたような」と思って一生懸命思い出したら、これだった。
 
これは『Papers, Please』っていう、架空の共産主義国で、入国審査官になるっていうゲームを、マイリトルポニーの登場人物を主人公として実況する、というシリーズなんだけど、このスタンプを押す音が、なんだかドアを蹴る音に似ていたような気がしたのだ(実際聞いてみると別に似ていないが)。
まあ、なによりこのゲームも共産ディストピア物だしね。これって、もともとの意図としては、「かわいいマイリトルポニーのキャラを、似合わない世界観の中で動かして、違和感を楽しむ」って感じだと思うんだけど、本編でその世界観を出してしまうというところが、マイリトルポニーのすごいところだといえよう。
互いに監視しあう住人とか、仲間に入るために、誰かを密告しなければいけない(そうすることで、組織への忠誠度を試している)とか、かなりエグい描写も入れてる。

しかし、アメリカ産の共産嫌いも年季が入ってるなあと思ったわけだが、よく考えたら『マイリトルポニー』のシリーズはそこら辺のバランス感覚も結構うまくてきているのかもしれない。
昨年2014年の秋に公開された、『マイリトルポニー』の人間化(「擬人化」という言葉は明らかに誤用なので)による劇場用映画シリーズ『Equestria Girls』の二作目「Rainbow Rocks」のヴィランは過度の競争主義を標榜していたのだ。


 
一作目を見ていない人は、一作目から見ることをおすすめする。人間化と聞いて最初はびっくりしたが、これがかなり可愛くてよく動いて音楽も良くて、いいのだ。特に二作目はmane6もサンセット・シマーもヴィラン(特にソナタ)もみんなむちゃくちゃ可愛い。フラッシュセントリーは別にどうでもいいよ。
一作目のヴィラン、 サンセット・シマーも「自分が一番」というキャラだったが、2作目のヴィランズ、ダズリングズは、この「自分が一番」という心を人々に植えつけることにより、混乱をもたらす。
もちろん、それを主人公たち、そして全開のヴィランであるサンセット・シマーが友情の力で打ち破る、という筋になるわけだ。
なるほど、ここで自由競争主義にチクリとやっていたから、返す刀で平等主義にグサリとやれるわけだ。
子ども向けアニメにちょっとメッセージを込めるときの、いいバランス感覚と言えないだろうか。「自由」と「平等」の矛盾を「友愛」で止揚するなんて、なんだかフランス革命以来の伝統すら感じる(考え過ぎだろ)。
「Equestria Girls」の方も、第三作目に向けて動いているみたいで、シーズン5直前のタイミングで新作クリップが発表されたりしてる(ネットで小出しにするのは、「Equestria Girls」のライバルであり先達である『モンスター・ハイ』の手法)。



シマーさんの新衣装も可愛いし、mane6も可愛いし、ラリティは当然可愛いし、もう最高である。音楽も、いろんなテイストが交じり合っていて飽きない。
この調子なら三作目も期待できそうだ。人間界のトワイライトがどう話に絡んでくるのか。フラッシュセントリーとの関係は結局どうなるのか。もし進展してしまったとして、ブロニーは暴動を起こさないのか。いろいろわからないことだらけだが。

とにかう、しばらくは日々の楽しみが増えそうである。善哉善哉。