けんさく。

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2010年08月

CAROLINER RAINBOWでも聴こうじゃないか

なんかこの音楽コーナー、変な格好して歌を歌う人達を紹介してるだけなんじゃないの? って感じがしてきたので、せっかくだからみんなでCaroliner Rainbowでも聴こうという趣向だ。サンフランシスコのバンドらしいです。実はよく知らない。19世紀に実在した人間の言葉がしゃべれる牛の書いた歌を歌っているとかなんとか。あとジャケットは手作りで汚い縄が巻いてあったり、泥が塗ってあったりする。グラフィックデザイナーの宇川 直宏が渡米を決意するきっかけになった1994年の初来日した時に、V系雑誌になる前のFOOL'S MATE(プログレかつニュー・ウェイブな感じで、ウィリアム・バロウズ特集とかしてくれる奇矯な音楽雑誌だったころ)の記事でヴォーカルが重度の精神障害という嘘記事が出たことがあるらしいです。まあ、聴けば分かるけど、生の音と電子音の重ね方とか、変な歌声とか、実はかなり計算された音楽をやっているので、あまりにインパクトの強い見た目に惑わされないリテラシーが求められているのでしょうな。そう言えば宇川 直宏は2009年The Residentsのマルチメディア・コスプレユニットXXX RESIDENTS(なんでもResidentsの格好をして、Residentsの音楽をディープミニマルに解体、再構築、再演奏、更にはダンスミュージック化させるというコンセプトの、匿名性を逆手に取ったオーディオビジュアル禅問答なだそうな)を結成している。もちろんThe ResidentsもCaroliner Rainbowも、そして宇川 直宏が渡米した場所も皆サンフランシスコだ。どうもあそこには何かあるらしいな。


ブラックライトに浮かび上がる、傾向塗料を塗った謎の衣装。謎の絵。そしてノイジーな音楽。どっかの知られざる民族の秘密の儀式だと言われたら信じてしまいそうだ。それにしても、こんなやかましいのにちゃんと聴ける物にしているのはすごい。ところどころポップでキャッチ―ですらある。蛍光塗料を塗っていない部分が真っ黒なのが怖い。
次来日したら聴きに行きてえな。


1998年のデトロイトでのlive。ベースの音が結構好みだ。バイオリンの人の翼が格好いいです。バイオリンにも変な模様が付いてるのが可愛いね。天井からぶら下がってるくるくる回ってる物が気になる。客も盛り上がってそうで何よりだよね。


07年の地元サンフランシスコでのlive。liveというより見世物小屋に見える。観客との間の紐も、何だかこいつらが観客を襲うのを防いでいるようにも見える(いやとても防げるようには見えないけれど)。観客の持っているパンフレットも光ってることに思わず感心してしまう。

興味を持った方はこれが彼らのmyspaceである。
http://www.myspace.com/carolinerrainbowherniami
ここにたくさん音源や映像、絵画などがあるので、見て楽しんだり、作業用BGMにしたりしましょう。

赤い糸

人は恥ずかしい場面でどんな行動をとるか?
準備しておくとあわてないだろう。

私は、次のせりふを言うことに決めてある。
「フッ、とんだピエロだぜ」

でも、これを思い出す前にあわててしまうので、まだ言えたことがない。


「赤い糸」


かつて「赤い糸」は、運命の相手を引き寄せる神聖なものと考えられた。

しかし、その赤い糸は、人口の増大に伴い、大発生的に町に氾濫した。それは、絡まり、もつれ、それに足をとられた全く関係のない男女を、気まぐれな張力によって結びつけ、そして、引き離した。すでに、それは、無用の長物と化し、人は運命ではなく、世俗的な欲求、あるいは、惰性に身を任せ異性と結ばれることを望みさえした。
と、まあ、赤い糸がどうだったかは別として、人々はそんな感じだったろう。
その当時、このような現状に疑問の声を上げるものさえいなかった。しかし、男たちには確信があった。開発チームの長田が口を開いた。
「俺たちで、赤い糸をつくろう」
その日から、男たちの戦いが始まった。(か~ぜの~なか~のす~ばる~・・・)

俊助は、その日「赤い糸診断セミナー」と銘打った説明会に参加した。
赤い糸診断というのは一種の占いのようなものらしい。説明によると「検索システム:赤い糸」という画期的な大発明によって、非常に正確に男女の相性を測定することができ、最適のマッチングが可能になるという。
しかし、占いなんていうものは、俊助にとって全く説得力を持っていない。彼は、常に論理によって物事を見極めようとする、きわめて理知的な男なのである。
おろかな。
俊助は、説明に目を輝かせている聴衆の後ろ頭を眺めながら、彼らを哀れんだ。

そういえば、こんなことがあった。
ある日のA放送局の血液型占いでO型は「恋愛運絶好調!気になるあのヒトとの関係に大変化の予感!?ラッキーアイテムは携帯電話!」とでた-俊助はO型である-。当然、俊助は気にしない。しかし、その日の夕方、俊助のケータイに大学時代の友人からメールが届いた。俊助が、当時思いを寄せていた女性だ。どうしたことだろう。あれよあれよと事が進んで、たちまち清い交際がはじまったのだ。
だが、ここでも俊助はきわめて冷静である。
占いは当たった。しかし、これは偶然の賜物である。俊助には、このことがしごく当然のこととして理解できた。なぜなら、あの占いは、A放送局の社員である俊助がかいたコンピュータのプログラムによってランダムに得られた結果だったからである。
占いなんて、だいたいそんなもんだ。

とはいえ、俊助は心の狭い人間ではなかった。新しいものを、はなから否定することはばかげている。
俊助は、「検索システム:赤い糸」の説明に耳を傾けた。聞いていると、結構多くの若者がこのサービスによって、異性と結ばれたらしい。そして、かなりの数のカップルから涙涙の感謝状が続々贈られてきているようだ。
まぁ、よくある話だ。
また、その「検索システム:赤い糸」というのが大変な努力の末に完成した、すごいシステムらしい。簡単にいうと、利用者が自分の情報を登録すると、世界中から自分と最も相性のよい相手を探し出してくれるという代物だそうだ。にわかには信じられない話だが、事実ならば確かに画期的なシステムである。
実は、占いが当たって交際していた政子と、3ヶ月前に別れたばかりの俊助は、まだ「検索システム:赤い糸」にたいして半信半疑という状態だったが、セミナー終了後に通常の半額で「赤い糸診断」をしてくれるというので、受けてみることにした。

「検索システム:赤い糸」には、大きなモニターが接続されており、普段は白いもやもやしたものが映し出されていた。どうやら、利用者の情報を入力すると、そのもやもやが、その者にとっての最高のパートナーの顔に変わるのだ。では、その顔が自分の知らないやつだったらどうするんだ?と、また疑念が沸いてきたところで、俊助の番になった。
俊助の情報を入力すると、もやもやがぐるぐるぐーぐるぐーぐると動き始めた。しばらくすると、なんとなく人の面影がみえてくる。これは、なかなかの美人ではないだろうか?
さすがに、手が汗でぬれているのが分かる。かなり、顔の輪郭がはっきりとしてきた。

見よ。そこに誰の顔があったか?
驚いたことに、そこにあったのは、確かに政子の顔だった。

俊助は驚くと同時に、政子とともにあった年月を思い出した。付き合い始めたころ、本当に最高の相手に出会えたと思った。政子も同じだったはずだ。運命というものがあるならば、まさに、あの出会いこそが俺たちの運命だったに違いない。モニターに映る、政子の顔が、その確信をいっそう強くする。

あんなふうになってしまって、すまなかった。

俊助は、心の中で、政子に話しかけた。一瞬、政子の顔が曇ったような気がした。
いや。俊助は立ち上がった。そして、その足で、政子の部屋に向かった。

「もう一度、やり直せないかな」
今では懐かしい喫茶店で、俊助はさっそくこのように切り出した。
「え、そんなこと、今さらそんなこと言われても」
その反応は想定していた。では、この事実を知ったらどうだろう。
俊助は持ち前の手際のよさで、どうだ!とばかり切り札を持ち出す。
「実は、「赤い糸診断」ってしってるよね。あれ、受けたんだ。
そしたらさ、君だった。運命の相手」
最初に気づくべきだったんだ。こんなに近くにいたんだね。ところが、
「え、そんなはず・・・、でも、だめだよ。だって、わたし、もう新しい彼氏、いるんだよね」
だから、女はだめなんだ!俊助は苛立ちを感じた。最新のマシーンが導き出した最高の相手をすてて、最高じゃない男をとるなんて。きわめて、非合理的だ。なぜ、義理やしがらみに足を取られて論理的に考えられないんだ。
「いや、でも、合理的に考えれば、最新の・・・」
「私も受けたの。赤い糸。そしたら、今の彼氏が最高の相手だって。」
「そんな馬鹿な!」
一瞬にして、俊助は状況を理解した。
あんな占いを信じた俺が馬鹿だった。とんだ、恥をさらしたもんだ。俊助は、「赤い糸診断セミナー」の会場にすっとんでいった。

会場に戻ると、すでにセミナーは終わっていたので、受付に走った。そして、そこにいた頭の悪そうな受付嬢に、筋道立てて、手際よく、噛み砕いて説明した。
「だからね、俺がやったときは、政子って女性が俺の運命の相手だったの、それでね、分かりますか?彼女がやったときは、違う相手だったの」
「はい、分かります」
「分かりますじゃないんだよ!矛盾してますよね。これ。矛盾。分かります?」
「えぇ、そのようなことをおっしゃるお客様もいらしゃいます。ですが、これは矛盾というわけではないんです」
受付嬢の説明は、理知的な俊助の頭には、瞬時に了解できるほど、明快なものだった。
「当社の「検索システム:赤い糸」はご利用になられるお客様にとって、最も相性の良いお相手を見つけることができるシステムでございます。
しかしながら、「検索システム:赤い糸」が選び出したお相手の方にとっての‘最高のパートナー’が、必ずしも、システムをご利用になられたお客様であるとは限りません」
なるほど、はいはい、なるほどね、つまり俺にとって最も相性のいい相手は政子だったが、政子にとって最も相性のいい相手は俺じゃなかったというわけか。
さて、こういうことになって、俊助はどんな行動にでたか?「ふざけるな!責任者だせ」といって、ますます受付嬢に食ってかかったか?
そうではない。常に冷静な俊助は、人がこういう状況に陥った場合にとることができる、最も大人な対応をとることに成功した。
まず、彼は腕を直角に曲げて、手首が腰の上のところにくるようにした。そして、左右の腕を同時に、電車ごっこの要領でくるくる回しながら、精一杯高い声で次のように繰り返した。
「ガッテン・ガッテン!」
回れ右。
「ガッテン・ガッテン・ガッテン・ガッテン・ガッテン・ガッテン・ガッテン・ガッテン・ガッテン・ガッテン・ガッテン・ガッテン・・・・・・・・」
部屋の外で小さくなっていく声を聞きながら、受付嬢は目頭が熱くなるのを感じていた。

「で、どうだった?B社が開発した「検索システム:赤い糸」は?」
次の日、心なしか小さく見える俊助に対して、A放送局開発チームの上司、長田はこう問いかけた。
「それがですね、「検索システム:赤い糸」のほうは、信憑性のほうは、まだ、ちょっと分かりません」
俊助は、ここでも強靭な精神力をみせ、昨日あったことを、つつみかくさず長田に報告した。
それを聞いた長田は、しばらくの間、目を閉じて、何か考えている様子だった。
「そうか。いや、ありがとう。なるほどな。
つまり、仮に「検索システム:赤い糸」が、われわれの目標とする性能をもつシステムだったとしても、
それは、必ずしも、「運命の相手」を結びつけるための道具として役に立つとは限らないということだな・・・
ふ、赤い糸か。    俺たちは、最初から存在しないものを捜し求めていたのかもしれないな」

愛知トリエンナーレ2010のつれづれ その2

あいちトリエンナーレで公演された演劇
「ロボット版 森の奥」(平田オリザ+石黒浩研究室(大阪大学))
を観てきたので、紹介と感想を少し。
ロボットを役者として使った演劇として話題になっていたやつです。

まず、舞台は2030年のコンゴの森の奥ということらしい。
そこで活動するサル研究のプロジェクトチームのメンバーたちの、わりと日常的な会話で構成された演劇作品。
ロボットとしては、三菱重工が開発したwakamaruという、たぶん誰もが一度は見たことのある機種が2体、そのプロジェクトチームのメンバーの役で出演していて、それぞれサル研究者の助手、生化学者という仕事をもっていた。
ところで、私が観た公演のアフタートークで、ゲストの平田オリザさんに
「あなたは、この演劇を通して我々に未来を見せたいといったが、将来、開発が進んだロボットには、人間にもできるような仕事ではなく、ロボットにしかできない仕事がまかされるんではないか?」
というような意図の、するどい質問を投げかけていた人がいた。ー確かにね。

ただ、どうやら、平田さんはロボットのリアルな未来を伝えたかったわけではなかったみたいだ。

おおまかに、話のあらすじについて書こう。
その研究チームの目標は、ボノボの進化を促進させて、人間のように知能を発達させることだった。
で、そこにチームの新メンバーとして心理学者の女性がやってきた。
ところが、彼女には、自らの自閉症の子供の治療に役立てるために、知能の発達したボノボを実験台に使うという目的があった。
そのためには、統合失調症のボノボを意図的につくらないといけないけど、それはボノボを自分の家族のように思っているサル研究者には受け入れられそうもない。
それで、心理学者の女性が、「数体のボノボが犠牲になるだけで何人もの自閉症の子供が救われるのに・・・」と疑問をいだく。
と、これだけ書いただけではロボットなんて必要ないような気がする。

しかし、実際の舞台の上では、ロボットの存在によって、平田さんが演劇を通して提起しようとした問題がより明確に示された、と思う。

ロボットは舞台の上でどんな感じだったかというと、かなり自然に振舞っていた。
声は、いわゆるロボットっぽい声だったが、間の取り方や話の内容から、実際に考えながら人間とコミュニケーションしているように見える。
時々、場を読まない‘ロボットらしい’発言をするのが、かわいらしくてけっこう笑えた。
しかし、特に面白かったのは、人間のロボットに対する態度だ。
チームのメンバーは、ロボットをちょっと変わった同僚として接していた感じだが、新しく来た心理学者は、何か、他人の子供に接するような感じだった。
それも含めて、ロボット-人間のコミュニケーションに全然違和感を感じなかったのは不思議だ。
演出がすばらしかったんだろう。

気になるシーンのひとつに、人間が、研究のためにロボットを実験台として犠牲にしてもいいか?という発言をしたところがある。
役者がこの話題について話すとき、ロボットは「感情がありませんから、かまいません」といっているにもかかわらず、ロボットにたいして、結構気を遣う様子をみせていた。
人間のように振舞うロボットは、人間らしく扱わなければいけないのではないかと、直感的に感じさせる場面だ。
また、一方、ロボットは人間を殺せるかという話題にもなった。
ロボットによると、ロボットは人間を殺せないが、ボノボを殺すことはできるらしい。
それは、そういうふうにプログラムされているからだ。
しかし、ボノボの進化が進んで、人間に近くなったら、人間と区別ができなくなるかもしれないそうだ。
結局、人間のためにボノボを殺してもいいんだろうか。
ロボットは?ロボットは感情はないけど、話ができるから殺しちゃだめ?
じゃあ、ボノボがもう少し進化したら?

うむ。なにやら話が難しくなってきたぞ。この作品はいったい何を表現しようとしたものか?
それをうまく言い表すにはある法則をつかうと便利だ。つまり、ちょっと複雑なことを表現しようと思ったら、難しげな言葉を用いれば、なんとなく納得できるのだ。
この場合、こんな感じでどうだろう。
「この作品は、ヒト、サル、ロボットという三者の相互比較を提示することで、人間を人間たらしめる性質の曖昧性を表出した」
うん、しっくりきた。

個人的な感想としては、やはり、ロボットと人間のやりとりが新鮮で面白かった。
しいて不満なところをあげれば、本当に会話だけで劇が進行していたので、大切な内容を聞き逃しちゃいけないと、少し構えて観てしまったところだ。
少し高尚な感じのするテーマを扱っている雰囲気が出ていたので、もうちょっと分かりやすい事件なんかが起こったりして、気楽に観られるようになっていたほうが、自分には好みだ。
まぁ、平田さんが意図的にそういう作品に作り上げたんだろう。
とはいえ、これまでに、見たことのない世界だったので、非常に貴重な体験だったと思う。

平田さんの持論によると、今後、ロボットが普通に演劇に使われるようになることは、必然であるらしい。
しかし、家電製品としてのロボットが、生活に定着する前の、実験的なロボット演劇が見られるのは今だけかもしれない。
何事も、実験的な時期が一番面白いので、しばらくロボット演劇は見逃せないテーマじゃなかろうか?

公演のアフタートークで批判的な質問をとばしていた人がいたと書いたが、彼は「都市に祝祭はいりますか?」とも聞いていた。
これに対する答は「都市に祝祭はいりません」。
融通がきくね!

正体不明? The Residentsの世界

私とThe Residentsの出会いは、DVDを買いに上前津のSound Bayという中古CDショップ(DVDも売っている)に行って、ついでにCDを見て回っていたときに、普通はバンド名が書いてあるCDの棚に挟みこまれるプラスチックの板の一つがなぜか空白というか何も書いてなかったのである。不思議に思って手に取ったら、それがThe Residentsだった。嘘みたいだが本当の話だ。

Residentsという名前だからって、研修医の作ったバンドなわけではない。この場合のResidentsとは「住人」という意味だ。メンバーは4人か5人で、少なくとも一人は女性だという話だ。出身地はルイジアナ(歌を聞いてもらえば分かるように、南部なまりがある)。1960年代に高校でメンバーは出会い、1966年にサンフランシスコを目指して西に向かう途中、サンマテオで車が故障したのでそれ以降そこにとどまる。食っていかなくてはいけなかったので、編集のためのハードもソフトもなかった時代に録音テープを手作業で切り刻んだり、写真や映像の実験をしたりと、なにか「芸術」関する仕事をしていたところ、その噂を聞いたスネークフィンガーことギタリストのフィリップ・リスマンと、そのリスマンがババリアで出会った謎の人物N・セナダが彼らの元を訪れる。こうしてThe Residents初期のパフォーマンスや粗雑な録音環境でのテープ作りが始まった。
1970年には「医者のための錆び付いたコートハンガー」と「剥製の引き金のバラード」という二つのテープを完成させ、ワーナー・ブロスに送りつけるが、送り返されてしまう。キャプテン・ビーフハートのレコードを出していた会社なので、一か八かをかけたのかも知れない。そのとき返却先の住所に宛名がなかったので、拒絶の通知は「当該住所の住人(レジデンツ)」宛に送られてきた。これがグループ名の由来である。

1971年から彼らはThe Residentsという名義でパフォーマンスをはじめる。1972年に彼らはサンフランシスコへと移り、自分たちでレコードが出せるようにラルフレコードを設立。もしかしたら車が直ったのかもしれない。この頃にレジデンツはN・セナダの「無名の理論」を取り入れるようになった。これはつまり、外部の期待や影響を排除することによってのみ、アーティストは純粋な芸術を生み出すことができるというものである。

彼らの特徴はその無名性。基本的に皆仮面をかぶっている。最初のうちはいろいろな仮面があったが、いつ頃からか彼らの一番有名な格好であるタキシードを着た目玉に統一される。しかし1980年代に一つが盗まれてしまい、目玉達の中で一人だけ骸骨が登場することになる。その後ファンの一人がその目玉を盗み返してくれたのだが、「穢れた」のでもう使えないのだそうだ。

分かってもらえただろうか。分からなかったのなら、それで良い。多分それが正しい。とにもかくにも音を聞いてみなければ始まらない。


The Residentsのセカンドアルバム「The Third Reich'N Roll」から一曲
このアルバムでは音楽界の重役たちがナチスの格好をしているように写真やイラストが加工された物がジャケットになっている。
音楽はロックの名曲(今の場合は前半の「ダンス天国」と後半の「Wipe Out」)が手作業で切り刻まれ、何だか分からんものになってる。
ちなみに彼らの映像作品はpvの草分けの一つで、前紹介したDevoの映像作品とともに、初期のMTVで相当なヘビーローテーションだった。
とにかく楽しそうで何よりだ。

The Residentsは「無名の論理」の貫徹のために1974年に発表するつもりのない曲のレコーディングをする。「Not Available」と名付けられたこのレコードは、誰もがその存在を忘れたら発表するという、深く考えると思考の泥沼に落ちそうな条件でお蔵入りとなるが、誰もがその存在を忘れかけていた1978年にレコード会社が契約の義務により発表してしまう。
Not AvailableNot Available
アーティスト:Residents
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だから実は本当のセカンドアルバムはこれなんだとかいう話なんだが、何もかもが嘘っぽいのも良い。

あと、上を見てくれれば分かるだろうけど、この人たちのジャケットのデザインも独特でいいのよ。
商業デビューのファーストアルバムが
ミート・ザ・レジデンツ(紙ジャケット仕様)ミート・ザ・レジデンツ(紙ジャケット仕様)
アーティスト:ザ・レジデンツ
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なのも人をおちょくっていて良い。

そしてなんといってもThe Residentsの代表作「エスキモー」

これがパート1で、このあと何十分も続きます。
N・セナダが録音した音源と撮った写真による、エスキモーの生活のロマンチックな再創造、という触れ込みのこの作品。ジャンル分けすると「架空の民族音楽」とファイナルファンタジーとか聖剣伝説などのRPG好きが寄ってきそうな感じですが、当作品は「これは音楽なのか?」といわれても文句の言えない代物。音楽的でない音と明らかに歌ではないうめき声の素晴らしきコラボレーションはお部屋の温度を確実に2度は下げます。暑い日に最適。ちなみにこの作品、音楽なのかどうかも良く分からんのに、危うくグラミー賞にノミネートされかかった。
ちなみに気でも狂ったのかディスコ向けの編曲の「ディスコモ―」なる曲もある。


こんな曲で若者が踊っている情景を思い浮かべるとすごく嫌でとてもいいな、と思う。
しかし、なんか関係ない曲になっている気もする。

The Residentsは商業音楽のルールを華麗に無視してしまう。
普通のポップソングは3分の間に歌メロとサビが3回ずつ繰り返される形式が多い。「コマーシャルアルバム」に収録された40曲は全て丁度一分間の曲で、歌メロとサビが1回ずつで終わる。普段どれだけ繰り返しの多い、退屈な曲を聞かせられてきたことか。一度で済むことは、一度で済ませるべきなのである。




そしてこれがlive映像

多分80年代のいつか。
Devoの「satisfaction」も無茶苦茶だが、これは何というかひどい。やる気があるのか心配になる。
今まで見てきた映像の中で、一番顔が見えてる。

次はもっと最近の映像


The Residentsは今でも活発に活動しており、アルバムも映像作品も多く、ときどきはliveもしている。ただいつも気になるのは、中の人が変わっても誰も気がつかないのではないかということだ。上手くやれば、代々受け継いでいって、永遠にバンド活動ができるかもしれない。

The Residentについてもっと知りたいあなたにはこれ!
踊る目玉に見る目玉―アンクル・ウィリーのザ・レジデンツ・ガイド踊る目玉に見る目玉―アンクル・ウィリーのザ・レジデンツ・ガイド
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The Residentsのことがもっと分からなくなる名著ですぞ。

愛知トリエンナーレ2010のつれづれ その1

愛知トリエンナーレの一部を見て回ってきたので、その感想やら何やらを少しずつ書いていきたいと思います。

まず行ってきたのは長者町会場でした。ここはもともとは繊維産業の問屋街として栄えたのだけど、今ではさびれてしまっている場所だから、なんとか盛りたてるという意味合いもあるのでしょう。行った日が悪かったのか、それほど盛り上がっているようには見えなかったので、頑張ってほしいものです。

今回紹介したいのは、浅井裕介の作品で展示場所は長者町繊維卸会館の展示場(有料)と純喫茶クラウン店内(会期中はホットコーヒーとアイスコーヒーのみ)の二か所です(純喫茶の純の意味も今では遠くなりにけり)。

浅井裕介の作品の特徴の一つは独特のマスキングテープ、つまり本来の用途は色の付いてほしくない部分に張って、色を拭きつけた後剥がす物なのだが、それをぺたぺた継いでいくように張って枝や珊瑚のように伸ばしていったり、面を埋めるように張った後、カッターで切っていらない部分を剥がして、広葉樹や公孫樹の葉を表現したりするのである。マスキングテープが驚くほどの有機性を持って壁を這い伸び、繊維卸会館の展示場では展示場所の部屋からはみ出し、更に光を求めて会場の外まで這い出していく様は、何とも生命的で面白い。
さらに繊維卸会館の展示場では、寝っ転がりたくなるような畳敷きの部屋の床壁天井全体に、泥を塗りたくって乾かし、その上に絵具や蠟を使った絵が描かれている。薄暗い畳敷きの室内と泥によるドローイングの落ち着いた色合いが調和し、土着的な空間を演出している。絵は狼や鹿などの動物と様々な植物がプリミティブなデフォルメを施されて、所狭しと敷き詰められており、ネイティブ・アメリカンの美術など思い起こさせる。
今回の展示の、今まで見た中では、お勧めの一つだ。

純喫茶クラウンでは、浅井裕介の絵が2点、額に飾ってあって、小品ながら、なかなか手が込んでいて、見て楽しい。画面を黒く塗りつぶした後、それを消して絵を描き、その上に半透明のテープを張って、更に重ねて絵を描いている。
またここの壁にも、マスキングテープによる装飾がされているが、その一部を隠すようにボインボインのオッパイ丸出しカレンダーが掛けられているのはどうにかならなかったのだろうか。純喫茶的な意味でも。
でもここでもらったコースターはなかなか良い。

面倒くさかったので写真はありません。
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