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2010年10月

ハロウィンなのでOingo Boingoでも聴こうじゃないか

Oingo Boingoのダニー・エルフマンは今ではティム・バートンやサム・ライミなど、ダーク・コミック系映画監督御用達の映画音楽家であり、『シンプソンズ』や『俺がハマーだ』などのテーマ曲も手掛けてたりして、そちらの方が知られていると思う。が、彼はそのキャリアを、兄のリチャード・エルフマンとともに1976年に結成した「Mystic Knights of Oingo Boingo」により始めている。この団体はバンドというよりはステージ・パフォーマンス集団という感じで、1977年には世界歌謡祭アメリカ代表として来日もしている。映像があったのでどうぞ。


どうです、怪しいでしょう?ハロウィンにぴったりだ。その後兄のリチャードは映画製作に乗り出し、カルト映画『フォービデン・ゾーン』にて出演とともに、初めて映画音楽を手掛ける。
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見てると頭悪くなりそうな作品!

まあ、もともと映画好きで映画音楽から大きな影響を受けた人だったらしいけどね。で、映画製作で兄が抜けたことにより、名前が約まって「Oingo Boingo」となる。それと同時に、演劇的パフォーマンスが抜けてバンドっぽくなる。そして怪しすぎもなく、でも適度な怪しさは残っているいい塩梅の音楽をアメリカ西海岸から発信していく。ちょうど、DevoとかB-52'sとか、イギリスのお洒落なニューウェーブと違う、アメリカの奇抜なニューウェーブ達と同じ時期だ。
Oingo Boingoの場合はダニーのポップなんだけどダーク、でもポップ、というような変態ポップが売りで、そこが同じような気質をもつティム・バートンに受けたのだろう、長編第一作の『ピーウィ―の大冒険』でいきなり音楽に抜擢する。

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キングギドラとゴジラもでるよ!

ダニーは音楽の基礎的なトレーニングに不安があって嫌がってたけど、ティムやバンド仲間の協力もあって、大成功し、その後映画音楽家としての活動が本格化し、1995年のハロウィン(!)にさらに約まって「Boingo」になっていたバンドを解散すると、いまやクラシックも手掛ける大作曲家である。
最近は何だか刺が消えて、どれを聴いても「ああ、またいつものエルフマン節か」という感じになってしまって、どうもさびしいけど、それでもやっぱりある種の「妄執」を感じさせるところが、凡百の明らかに片手間に作曲してる奴らよりはましなんだけどさ。
さて、Oingo Boingoと言ったらこれ! という代表曲は私にとっては何と言ってもこれでしょう。

『NO ONE LIVES FOREVER』

ラノベ好きには『ブギーポップは笑わない』中の小ネタとして知られるこのう歌ですが、やはり何といっても怪作『悪魔のいけにえ2』の冒頭シーン
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レザーフェイスが踊りながらチェインソーを振り回して馬鹿を切り刻む時に後ろで流れていたのがこの曲。くそかっこええ!

『Weird Science』

対してこちらは映画『ときめきサイエンス』の劇中歌。映画の内容はオタク少年'sが理想の女を自分で作ろうとするもの。女性のいかにも80年代的な盛り上がった髪形にいつも吹く。まあ、この映画にはなんの思い入れもないですけど、この歌は好き。「Why don' people understand my intentions?」の部分は、頷きながら聴いてしまう。しかし、『フォービデン・ゾーン』でサタンの役をやっただけあって、ダニーはほんと悪魔的な顔をしていて憧れる。それ以外のメンバーの風貌は割と普通で、西海岸的陽気ささえただよってるのにね。

アルバムの表題曲『DEAD MAN'S PARTY』

タンクトップの似合う兄ちゃんだなあ。
そういえば、アメリカからいろんな文化を輸入した日本だけど、この手のパーティは真似しなかったんだね。いや、別にやりたいわけじゃないけど。

『Just Another Day』

題名は「なんてことのない日」という意味。木琴かっけえ。

ロリコンの応援歌『Little Girl』

「I Don't care what people say!」
笑ってるとかっこええな、ダニーは。

Oingo Boingoを入門するならまず買うCDはこれDead Man's Party
Dead Man's Party
アーティスト:Oingo Boingo
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なぜかうちのパソコンでは再生できない。

最後に一応これも載せとくべきのような気がしたから

音楽だけでなく、ジャックの歌声もダニー・エルフマン。
話は変わるが、これが婦女子に人気なのは理解はできるけど、この作品のテーマがティム・バートンの「俺はどうせクリスマスなんてまともに祝えないよ。クリスマス羨ましい、クリスマス憎い」という鬱屈した気持ちの表現だと考えると、なんか気持ち悪いよな。これって『バットマン・リターンズ』の兄弟作なんだから。クリスマスに無理やり参加しようとして壊すのがこれで、だったら最初から壊す気満々なのがあれ。ティムはどれだけ自分を社会の異物だと考えているのか。
あとティム・バートンばかりで共同監督のヘンリー・セリックの名前をいう奴がほとんどいないのは解せん。世界観を提供したのがティムで、技術的にはこれはヘンリーの作品なのに。腹が立つのはこの次の作品の『ジャイアント・ピーチ』の時で、このときはティム・バートンはプロデューサーで監督はヘンリー・セリック一人なのに、宣伝はティム・バートン一色だったことで、全くこいつらは分かっていないと思ったものだ。まあ、『コラライン』のおかげでCGの時代の数少ないストップモーションアニメーションの作家としてヘンリー・セリックの名前を覚えてくれたらいいんだけど。
あれ、なんの話してたんだっけ?

特技

道に迷うと古本屋を見つける。

今日はこれを百円で買った。
花と機械とゲシタルト (NW-SFシリーズ (2))
著者:山野 浩一
NW-SF社(1981-01)
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amazonで何やらプレミアが付いているもようなので、復刊をすればいいと思う。

僕はインテリなのでTalking Headsが好きですが、何か?

Talking Headsが好きだと告白するのには勇気がいると誰かが書いているのを読んだ覚えがある。なぜならそれは「僕は君らと違ってインテリなので、Talking Headsなんか聴いちゃいますよ」と言っているようなものだからだそうだ。それがどうした。僕はインテリだ。僕のことを多少でも知っている人ならこういうだろう、「奴はインテリだ。だからTalking Headsなんか聴いちゃったとしても仕方がないのだろう」と。
メインメンバーが超名門美術学校ロードアイランド造形大学を出ていることがこのバンドの特色なわけで、インテリバンドの由来だったりするわけだが、僕にとってはあんまり関係がない。ニューヨークパンクの震源地GBGBがどうのという話もどうでもいい。僕がこのバンドが好きな理由、それは僕がこのバンドのヴォーカル、デヴィッド・バーンの大ファンだからだ。Talking Headsの他のメンバーからどれだけ彼が嫌われようと、どうでもいい。彼が何を考え、何を食べているのかもどうでもいい(何を考えているのかよく分からん男だが)。彼の人格にも特に興味がないし、会って話がしてみたいとも思わない。とにかく僕はこの男の風貌と仕種が大好きなのだ。とにかく見ていて飽きない男なんだって!

というわけで動画紹介。
でTalking Headsといったらこれ!
ストップ・メイキング・センス(ニュージャケットバージョン) [DVD]ストップ・メイキング・センス(ニュージャケットバージョン) [DVD]
出演:トーキング・ヘッズ
TCエンタテインメント(2006-05-26)
販売元:Amazon.co.jp
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Talking Headsのliveを『羊たちの沈黙』で有名なジョナサン・デミがとったlive映画。邪魔な演出を廃して、「liveを見る」ということを忠実に映画化した傑作であります。今回はこの映像の一部を中心にして紹介したいと思います。
これは実はTalking Headsの最後のliveを撮ったもので、図らずもTalking Headsの集大成となっています。この時期、バーンはすでに盟友ブライアン・イーノとたもとを分かっていますが、このliveはイーノ無しでイーノが残したテイストを再構成したような感じになっています。
冒頭はこれ。名曲『Psycho Killer』

このliveでは始まった時は舞台上には何もなく、一曲一曲終わるごとにセットが組み上げられメンバーが増えていき、最後には大所帯になる。その経過はここでは見せられないので、どうぞDVDを買って下さい。それにしても、バーンは格好いい。あの鳩か鶏みたいな首の動きもいいし、よろけるだけで格好いいというのもすばらしい。そして頼りない声! その声で歌われる現代人の不安を歌っているような歌っていないような変な歌詞もすばらしい。最高だ。なお、裏方が黒い格好をしているのは、歌舞伎の黒子から着想したらしい。
続いて『Slippery People』

Talking Headsでバーンがやった一番の実験はアフリカンビートをロックの中に輸入することだ。もちろんロックもブルースもみんなアフリカ音楽がその源にある。しかしバーンがやったことはより根本にある民族音楽としてのアフリカンビートを無理やり(文脈から切り離して)人工的に加工してロックに接ぎ木してしまう、という荒技だ。これを行うためにバーンは、もともと白人だけだったバンドに大量の黒人サポートミュージシャンを入れたわけだが、その結果生まれたのはどう聞いても黒人音楽とは言い難い奇妙な代物だ。バーンのリズムの取り方も黒人の自然に体をゆすぶる物とは違い、痙攣するようにぎこちない。しかし、これらの楽曲はプログレッシブ・ロックが曲の複雑度を競っていた中に、確かに破壊力を持ったし、単純なビートを積みあげていくだけに思えたのがいつの間にか盛り上がっている、という音楽体験は間違いなく快感である。
これは名演『Burning Down The House』

「House」というのはTalking Headsというよりバーンの曲によく出てくるキーワードで、どうもこれに都会生活者の安心および不安を投影しているようだ。それにしても楽しそうで何よりだ。
その次が『Life Durling Wartime』

変な動きだなあ、変な声だなあ。格好いいなあ。これも基本は同じビートの繰り返しであり、使っているコードが二つだけという荒技。ミニマルミュージックでも目指しているみたいだ。
そしてこれが最高『Once In A Lifetime』

1コードの奇跡。そして不安で変な歌詞。そして照明。そして眼鏡。最高だ。カラオケに入ってるのはこのヴァージョンじゃないのが悲しい。
しめはこれにしましょう『This Must Be The Place(Naive Melody)』



Stop Making Sense以外からだとここらへんもチェックしていただきたい。
まずローマでのlive映像。ギターで象の鳴き声を再現する変態ミュージシャンのエイドリアン・ブリューに注目。
『Crosseyed and Painless』

ブリューはこの後、キングクリムゾンにヴォーカルとして参加するのですが、ヴォーカルスタイルがバーンそっくりで笑えます。Talking Headsに参加をする話もあったらしいですが、もしそうなったら確実にバーンと喧嘩になって、バンドの空中分解が早まったと思われますな。
バーンは何を考えてあんな妙な動きをするのか。もしかして格好いいとでも思っているのか。格好いいけど。

『Once In The Lifetime』のpv。歌って失敗したカラオケはこっちのヴァージョン

いい曲だけど、カラオケで盛り上がる曲ではない。映像は結構好きです。バーンがエキセントリックなら何でも好きなわけですが。

『(Nothing but)Flowers』のpv

ザ・スミスのジョニー・マーがギタリストとして参加。歌詞には皮肉が効いてるね。珍しく素直なpv。金がないのか?

『Road To Nowhere』のpv

とわりと普通の曲でしめとしましょう。映像はちょっと素っ頓狂ですけど。

ちなみにバーンは相変わらず現役で、頭真っ白になって無茶な動きはしなくなったけど、若いときと同じ声をしてるし変なカッティングギターも相変わらずで楽しいですよ。確か去年だか日本にも来てたはず。

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Warner Music Japan =music=(2009-01-14)
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80年代ベスト1!

たまにはエンタメにすり寄ってラブストーリーでも書いてみるか、って考えた結果がこれだよ!

――気をつけたまえ。この国は今、罠(わな)だらけだからな――


『流水プールデート』


なんでこの年にもなってこんなところに来なくてはいけないのか。屋内型複合温水プールのプールサイドに設置されたデッキチェアに腰かけてそう独りごちていると、遅れて更衣室から出てきた彼女が律儀に準備体操しながら
「いやね、あたしもね、行ってるスポーツクラブのプールにはときどき入ってるけど、こういうプールにはしばらく来てなかったから、久しぶりに来てみようというか」
「女友達とかと来てキャッキャウフフしてりゃいいじゃない」
「そんな友達いないし」
「じゃ一人で来いよ」
「わびしいじゃん」
「なんで俺が……」
「だってあんたいつも暇そうだし」
「暇じゃねえよ」
「えっ、あれって暇じゃなかったの?」
私は世間の無理解に思わずため息をついた。押し入れの中にこもって宇宙の行く末に思いをはせていたら突然携帯がなり、反論をする暇もあらばこそ待ち合わせの約束をさせられ久しぶりの陽光にくしゃみを二回、場所に着いたら水着とタオルを買わされ更衣室に放り込まれ、しぶしぶ着替えた後またしばらく待たされて、ようやく出てきたと思ったらこれだ。
私は私の日課が人類の未来にとってどれだけ意味深い物かをこの女という愚かなる生き物に説明することをあっさりとあきらめてのっそりと立ち上がると、どのプールに入ろうか少しの間思案した。ニューヨークの下水道に潜む鰐のような生白い体をあまり白日の下にさらし続けると不安になるのだ。間抜けなベニ―・プロフェインに間違えて撃たれそうだ。
「どこ行くの?」
「あっちの競泳プールで新しい泳ぎ方を発明しに」
「また?」
「またって!? 君とプールに来たのは初めてだし、新しい泳ぎを発明しようとするのも生まれて初めてだよ!」
「なんかあんたどこにいても新しいことをやろうとしているような気がして。図書館で新しい本の読み方を考えたり、喫茶店で新しいパフェを考えたり」
「ああ、そして必ず怒られたり追い出されたりするわな」
「その、何か新しいことをする、って考え方がもう古いってことは考えたりしないの?」
「むずしいことをいうね」
「こういうところに来たら、とりあえず流れるプールとか波のプールとか俗っぽいことをしなくちゃ駄目なの。分かる? この論理」
「心底俗人なのでよく分かりません」
などと言い合っているうちに流れに流され流れるプールの流れに流される事になる。本気で泳ぐには適さない構造になっているので仕方なくぷかぷか浮くしかない。
「何というか、今となってはどうやってこの設備を楽しめばいいのか思い出す事も困難だな」
「難しいこと考えるから駄目なんでしょ。あんたも私もこんなの見納めになるかもしれないんだから、無理やりにでも楽しんだら」
「見納め、て……近々死ぬ予定でもあるんかい」
「死ぬんだったらとっくの昔に死んでる。ていうかそういう縁起の悪いこと言わないの。そうじゃなくて、生きていたって二度とこういう類いの場所に来ないかもしんないわけでしょ」
「俺はそうかもね。君は結婚でもして子どもでも作れば嫌でもこういう場所に来なくちゃいけなくなるかも。それでああいうプールに足を浸して、ああやって他のお母さんと井戸端会議。いやそれとも井戸の中か?」
と幼児用の浅い、そしてなぜか床面の色がそこだけ他より明るい青になっている、三日月形の水溜りを指さして指摘する。
「想像することを脳が拒否する部類の事物ね。結婚する気ないし」
ライトブルーの幼児用プールの反対側に目をやると、そこそこの大きさのダークブルーの滑り台が屹立する。愚かな大衆が悲鳴を上げながら、喜んでその挽肉機に身を投じていく。
「これを何週かしたら、次はウォータースライダーね」
「ええ!? 恥ずかしくない?」
「何が?」
「いや、分からんなら別にいい」
確かにここまで来てみてあれこれ文句を垂れても仕方がない。私なりの楽しみ方を見つけるしかない。というわけで、物でも考えることにした。時は夏休みなどもう悠久の時の流れのはるか彼方に消え去り、天高く馬肥ゆる秋たけなわの平日昼前。さすがに混んではいないが、ジジババを中心に、就学前の幼児を連れたヤンママやその他様々な年齢層の自由人たちでそこそこ人もいる。しかし手足が伸ばせるだけの空間があればどこでも瞑想にふけることが出来るから大丈夫だ。いきなり天啓の如く般若心経の量子力学における相補性による解釈や高次元でのラングランズ・プログラムや巨大基数や超ひも理論等の問題におけるブレイクスル―が訪れて、思わず手足を振り回しても誰かに怪我を負わせる心配もないし、監視員に見とがめられても、足がつったかと思ったがそんなことはなかったぜ、と言い訳できる。大発見に興奮して思わず勃起してしまっても息を止めて二次体の素イデアルを数えればよい。
「というわけで。俺はこれから大層難しいことを考えるから話しかけないように」
「ハイハイ」
そういうわけで、私はできるだけ人ごみから離れて、目の前に山積する様々な重要事物、例えば、こういうレジャー施設であの競泳水着(恐らくさっき言ってたスポーツクラブで使っている物なのだろう)は少し色気がないのではなかろうかとか、しかしそれでもやはり女性の体は二十歳を越えて少し煮崩れてきてからからだ、などということを考えていたのだが、すると急に何か変だという感じが頭皮の奥からこみ上げてきた。こう見えても私は自分の違和感センサーには自信を持っている。シンプソンズの、ホーマーが市長のボディガードをする話で、『地球の静止する日』に出てくるゴートの登場するシーンの背景がなぜか『世紀の謎 空飛ぶ円盤地球に襲撃す』であることを見破ったこともある。そのセンサーが私に囁くのだ、何かがおかしい、と。
私は流水の噴出口の前で流されないように耐えていた彼女を見つけだすと、手を引いて水から上がらせた。
「どうしたの?」
と少し目を丸くして訊いてくる。違和感の正体を見極めようとしながら、「いや、別に大したことじゃないんだが」、と言葉を濁すと、
「なんだ、またうんこでも流れてたのかと思った」
と彼女が言う。
「いや、別に俺の勘違いならそれでいいんだけどて、うんこ? また? 前にうんこが流れてたことがあんの?」
「ここの開館の時にね。まだあたし小学生だったけどさ。家の近くにできた初めてのでかいプールだったから、列に並んで入って泳いでたら、ぷかぷか浮いてたの。もちろん犯人なんか分からないよ。そんで係員が来て先に網のついた長い棒で掬って、その後しばらくプールサイドで待ってたら水の入れ替えが終わったからもう入っていいよって言われて、最初は躊躇してたんだけど、だんだん他の人が入っていったから、まあいいかと思ってあたしも入ったんだけどさ。今考えると、ほんとにあの程度の処置でいいのかなと。まあ、でも、よく考えるとたくさんの人が入るプールなんて、中で何やっているか分かんないし、どんな病気の人がいるかも知ったこっちゃないけどさ」
知ったこっちゃない、の使い方が間違っているような気がするが、
「でも、だからこそ、これだけ大量の塩素を溶かして殺菌しているわけだろ」
「そのせいで変な臭いするけどね」
「加爾基 精液 栗ノ花だね」
「なにそれ?」
「林檎のアルバムだよ。カルキも栗の花も、精液の匂いと似ている物の代表だろ」
「そっか。どれもあんまり真面目に嗅いだ事がなかったから」
次嗅ぐ機会があったら注意しなさいとでも言えばいいのか。
「じゃあ、イカ臭い、ってのはなんなの?」
「汗臭さが汗の臭いではないように、イカ臭さも精液自体の臭いではなく、雑菌の出す物質の臭いだ」
「そうなんだ。でも、あんまりプールサイドでする話じゃないよね」
「先にうんこの話をし始めたのは君だろ。ってそうじゃなくて、ああ、俺はここで一体何をしていたんだっけ」
頭を掻き毟って雲脂を流れに落とす。その雲脂のふわふわと流れていくのを目で追い、人の世の無常に思いをはせ、人生はシャボン玉さ、と鴨長明の言葉を身に染み込ませていると、ふいに違和感の正体に気付く。分かってしまえば簡単なことだった。
「この流水プールは変だ」
「何が?」
「普通の流水プールは緩やかに曲がって、楕円形か陸上トラックのような形になっている筈だ」
「ま、普通そうね」
「だが見よ、このプールを。このプールはまるで白道の如くまっすぐに伸びているではないか」
「あ、ほんとだ」
せっかく芝居がけたのに拍子抜けだ。もっとMMRみたいなノリの方が乗りやすいであろうか。今後の課題を整理しながら私は、一仕事を終えた満足感を体中に湛えて、次はあの泡の出るお風呂にでも入るかな、と考えていると、横から横やりが入る。
「確かに変だよね。この建物そんなに大きくないのに、どうやったってこんな長い物を収納できない。大体これ、どっから始まって、どこまで行くの?」
私は驚いた。さすがは私の見込んだ女だけのことはある。さすがの私もその発想はなかった。確かにそれは一考に値する疑問だ。
「ローマにあるボロメオ・コルミの柱廊と同じようなものかもしれないな」
と私は意見を述べた。何それ? という顔を彼女がしたので、私はローマにある後期ルネサンスに作られたパラノーヴァ宮殿にある、40×40メートルほどしかない建物に、明らかに目測100メートル以上(正確な測量をした者はいない)の通廊が収められた奇跡の建築物について話してやった。すると彼女は眉根を寄せて明らかに疑うような顔をするので、嘘じゃない本当だ、というとますますあやしむ。しかしこれはいつものことだ。この前も、明石の蛸はむちゃむちゃ生きがいいので、昼網にかかったやつが魚屋の生け簀から逃げ出してアーケードを練り歩き、それを捕まえようと魚屋のおっさんが右往左往してもうたいへんな騒ぎなんだと教えてやったら、やはり白眼視された。すると元の青い眼に戻すのにいつも苦労する。ことほどさように、私の本当は彼女の嘘なのだ。
「で、どうやったらそんなことが可能なの」
あきれた顔のまま彼女が訊いてくるので、
「多分、柱や壁全部が、奥に行くにつれ一定の割合で小さくなっているんだ。そうすると遠近法がいわば加速されて、実際よりも奥行きが深く見える。後は、中を通る人間も一緒に小さくなっていく仕組みを作ればいい。ほら、ドラえもんに出てくるガリバートンネルみたいに」
と答えると、彼女はため息をつきながら目頭を揉み解している。心底愛想が尽きた、という風情だ。
「でもそれじゃさ、後ろを振り返ると、遠近法が逆になっちゃって、ものすごく大きな柱が並ぶことにならない?」
「うん、全くその通りだ。今日の君は何だか冴えてるね。後で褒美に角砂糖をやろう」
「いらんですよ。でもそういうことはここでは起こってないよね。それに、それって一方向にしか使えない原理じゃない? こういう両方に伸びているところには……ていうか、だとしたらここはどこ? あたしたち、かなりの距離を流されて泳いだよね。すると、あの更衣室への出入り口は? あの競泳プールや波の出るプールやちっちゃい子用の浅いプール、それにあのウォータースライダーは?」
「あの、泡の出るお風呂も忘れてくれるなよ。あれは、いいものだ」
「もしあの出口から出ていったとしたら、多分そこには今までと変わらない町があるんだとは思うけど、その世界はあたしたちがここに来る前にいた世界と同じなのかどうか……」
横を見ると、彼女が小首を傾けて本気で悩みはじめている。いやはや、これだから文系は。
「実際に確かめてみよう」
そう私が言うと、彼女は顔をあげてこちらを見た。
「考えても無駄なことは考えない、悩まない。今はデータが少なすぎるしね。もうちょっと色々試してみることがあるだろ。もしそれで困ったことがあったら、そのときに考えたり悩んだりすればいい」
そういうと、彼女は朗らかに笑った。
「それもそうだね」
そして私の手を引いて勢いよく流れるプールに引きずり込んだ。水しぶきが上がり、監視員がこっちを睨む。それに、さっきあんな話をしたあとなのに、水に入ることになんの躊躇もなしか。
「なんで水に入るんだよ」
「だって流れて行く方が楽でしょ。多分」
「元の方向に戻らないの?」
「そんなことをしたら、今までの道程が無駄になっちゃうじゃん。それにそんなことをしたって、元の出口がどこかなんて分からないし。だったら、毒を食らわば皿までだよ」
と言ってまた笑う。まるで水中花だ。
というわけで、私は競泳プールから取ってきたビート板にしがみつき、なんとか浮きにしようとして、勢いよく浮かんできた板にアッパーカットを食らわされながら、また流れに身を任せる人生を再開した。そして私がビート板とは何をぶったたくための物であろうかと考えている間、彼女は冷静に周りの景色を観察していた。その結果分かったことは、やはり一定の間隔で景色がループしていること、そしてそのたびに出入り口があって、明らかに他の出入り口から入ってきた人間が、別の出口から出ていくこと、だけど、実は一つ一つのループは全く同じなわけではなく、ちょっとずつ差異を反復し続けている、例えば、監視員が次のループで良く似ているけどちょっと違う人になっていたり、飾りのココヤシがカナリーヤシに変わっていたり、BGMがヤードバーズの「Train Kept A Rolling」からシ―ナ&ロケッツの「レモンティー」に変わっていたりと微妙に変化している、なのに、このプールが変なことに気付いているのは彼女と私の二人だけ、さらにビート板とジャック・ケルアックはあまり関係がなさそうだ、ということだった。
ときどき水から上がって休憩しろというアナウンスに従いながら、しばらく直進を続け、一人カルネアデスの板ごっこにも飽き、このままではふやけてしまうなあ、と浦島太郎がしわしわの爺さんになってしまったことへの新解釈に挑戦していると、彼女が不意に立ち止まった。すでに漂流物と化していた私は彼女の背中に頭をぶつけてしまう。
「どうした?」
と彼女の前方を見ると、確かに様子がおかしい。人が何かざわざわしているし、どんどんプールサイドに上がっていく。あと、ビート板なら理解ができるが、なぜかサーフィン板を持っていたり乗っていたりする奴が何人かいる。と見る間に水位が上がっていき、今まで一定の流れだったのが、ある瞬間に急に逆流し始める。そして前方から大きなうねりがやってきた。突然のことに、何が起こったのか理解できない私たちは、踏ん張ろうにも足場がなく、すぐにバランスを失ってしまう。抱えていたビート板はスポーンと飛んでいってしまう。私は彼女に必死に手を伸ばす。一度は掴んだと思ったが、そのときひと際大きな波頭が二人を飲み込み、手が離れてしまう。なんとか彼女から目を離すまいとする。そして一瞬確かに目と目が合ったと思ったのだが、すぐに渦のような水の流れにもみくちゃにされ、どちらが上でどちらが下なのか分からなくなってしまう。大した深さじゃないのだから、底に足なり手なりつくはずだと思い手足を振り回すが、流れが速すぎて上手く捉えられない。そこで落ち着いて冷静に行動しようと思い、波は基本線形微分方程式だが、しかし浅い水路ではソリトン解を持つような非線形方程式になるはずで、それは佐藤理論で無限に作れるが、一つ一つを解くのは別問題なのか、と考えていこうとするが、手が離れてしまった直後の彼女の顔、驚いているような固まってしまったような、何とも言えない顔が瞼の裏でフラッシュバックすると、どうにも冷静でいられなくなって、箱玉系のソリトンは今は関係ないだろうと自分に怒りながら考えていると、気付いたらプールサイドに半ば身を乗り出して、金魚のように口をパクパクさせている自分に気がついた。もしかしたら今必要なのはむしろナヴィエ・ストークスだったかも、などと考えながら息を整える。どのくらい流されたのかも良く分からない。とりあえず水の中から這い出ようとすると、爪がいくつか剥がれていることに気付く。なんとか何かを掴もうとしていた時にできた傷だろう。しかし、体全体の間隔が不思議に麻痺して痛みを感じない。妙に重い体を引きずって監視員のところまで行き、今あったことの説明を聞き出そうとする。
「ポロロッカです」
「ポロロッカ?」
そう聞きなおすと、監視員は「知りませんか? 有名ですよ」とさも当然の如く、そして私のことを何か可哀そうなものを見るように見ていう。爪が割れていなければ、抜き手で内臓を引きずり出すところだ。
「ポロロッカってどういうことだ」
「だから、月と太陽の引力が合わさった時に、一時的に流れが逆流するんですよ。さらにそれと雨季が重なると特に大きな波が起こるんで、最近じゃサーファーが集まってきたりして、いい観光資源にもなってるんですよね」
「んなこた知っとるわ。だからなんでそんなもんがここで起こるんだよ? あれってアマゾンのはずだろ?」
監視員は、質問の意味が分からない、という顔をする。
「いや、まあ、そんなことはどうでもいい。それより今の大波で俺の連れが巻き込まれたんだが、どうしてくれるんだよ」
「注意勧告は場内アナウンスでちゃんとしましたよ。出入り口に張り紙もしておきましたし」
「だから俺はそんなことを言っているんじゃなくて」
「だったら場内アナウンスで呼び出しますか?」
思わず相手の襟首をつかみそうになるが、良く見たら、良く見なくても、相手に襟首はない。変わりに相手の首に掛かっているホイッスルの紐を掴むも
「吹きたいんですか?」
と訊かれ、
「吹くか!」
と答えるのみに終わる。監視員にカラーとネクタイの着用を義務付けるべきだ。
落ち着こう。深呼吸一つ。こいつに何を言ったって無駄だ。こいつに頼んでアナウンスするのもしかたがない。どうやってこの場所を説明しろというんだ、ここがどのループなのかも分からないのに。それにもし私の考えが正しければ、たとえ彼女と再会できてもどうやってそれが私とずっと一緒にいた彼女だと見分けるのだろうか。目印でもつけておけばよかったか、いやそれも無駄か。
とにかく動こう。私は監視員と問答するのを切り上げて歩き出した。とりあえず上流側に歩く。多分だが彼女の方がたくさん流されたはずだ。彼女の方が軽いし、私は相当もがいたし。彼女はイメージ的に、あまりもがいたりしない。
彼女の名前をときどき叫びながらプール脇を歩く。走ると監視員に怒られる。幾ループも歩き続ける。プールサイドをこれだけ長距離ウォーキングする奴はそういない。ときどき変な目で見られるが気にもしていられない。焦って足が速くなる。あまり急ぎ過ぎると両足が床から離れてしまいロス・オブ・コンタクトで走っているとみなされて監視員に注意されてしまう。それでも少しでも早く歩かなければ。手を離した瞬間と水中花が脳裏にサブリミナル。
おかしい。
彼女が見つからない。もうかなり歩いてきた。来る時はゆっくりだったから、明らかにそれより多くのループを越えたはずだ。さすがにここまで流されてきたということはないだろう。それでは、いつの間にかすれ違ってしまったのか。しっかり見ていたし、自分で恥ずかしいほど大きな声で彼女を読んでいたし、それに彼女も私を探している筈なので、それはあり得ないと考えたい。もしかしたら前提が間違っていたとしたら。何らかの非線形性の現れとして、実は私は彼女より大きく流されたのだろうか。分からない。しかし立ち止まってしまうわけにはいかないような気がした。主に精神衛生上の理由でだが。だから私は回れ右して歩き続けた。
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第3回 けんさく。の書評 ダニエル・C・デネット 『自由は進化する』

自由は進化する自由は進化する
著者:ダニエル・C・デネット
NTT出版(2005-05-31)
販売元:Amazon.co.jp
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今、われわれの世界観を一番揺るがしている科学分野は間違いなく、脳科学だ。脳科学の進歩はわれわれ人間が人間である理由をわれわれに教えてくれ、そしてそれは今まで二千年以上われわれが考えてきた理由とは違っていることを教えてくれる。例えばデカルトが考えたように、われわれは魂があるから人間なわけではない。では何が人間を人間たらしめているのか。この本はそれを、それこそ原子や分子のサイズの議論からはじめて、最後には人間に至る遠大な「自由の進化」の歴史として、徹頭徹尾自然科学の知見により、説明してくれる。つまり原子や分子には自由はない。なぜなら、原子や分子は外部からの刺激に対して決まった反応しかしないからだ。それに対して、それらがいくつもつながって、核酸や蛋白質になると、まだまだかなり不自由だけど、最初と比べると、いろんな反応があり得る。なぜなら内部構造が複雑になったからだ。さらにそれらが組み合わさって細胞を作ると、自由はぐっと増える。しかしまだまだ人間が持っているような自由と比べると、顕微鏡サイズでしかない。革命は単細胞から多細胞へと進化した時に起こる。一つ一つの細胞が自由を全体のシステムに明け渡すことにより、つまり不自由になることにより、全体の自由度はぐっと上がった。これにより生物は神経系を持つことができるようになったのが大きい。これで外部の刺激に対していくつもの反応のセットを持ち、その中から適切な物を選ぶこともできるようになる。これこそ自由と呼べるものだろう。
それでもここから人間の自由への道のりはまだ遠く、それについては本書を手にとってもらうしかないのだろう。デネットは文句なく文章が上手く、ユーモアもあるので退屈しないことを保証する。
そしてこの本が僕らに教えてくれる「自由」についてちゃんと考えてほしい。上の短い論考にもすでに表れているのだが、この本では「自由」をある種の「能力」として捉えているのだ。しかしこれは必ずしも広く流通した考え方ではない。みんな自由というのを、最初から与えられている物だと思っている。誰かが自分をおさえつけなかったら、それが自由なんだと考えている、そういう人間には次の質問をぶつけてみればいい
「自由だと何がうれしいの?」
さあ、みんなも一度考えてみよう。考えたら続きを見よう。





だいたいはこんな答えをいう奴がいる。
「思った時に思ったことができるとうれしいじゃん」
それって自由を言い替えただけだよ。
もしこれを読んでいる人たちでも似たような答えを出してしまった人がいたら、この本が僕らに示す答えをよくかみしめてほしい。
「選択肢が多ければ、様々な問題に対してよりよい対策が取りやすいから」
どうだ、明確だろう。しかし、この答えが気に入らない人間もいるらしい。これはつまり「自由とは選択肢の中から正しい答えを見つけることができる能力」ということだが、それじゃあ、間違える自由がないから自由じゃないと言い始める。しかし、そんなことをいい始めたらそれこそ、「自由のうれしさ」が分からなくなる。そんな奴らは「自由の幻想」に縛られた非常に不自由な人たちに過ぎない。
さて、ではここからいくつかの面白い結論を導こう。
「大人は子供より自由である」
当然だ。大人の方が、能力があり判断力もある。買いたい物があれば自分の金で買え、いきたい所があれば、自分の足、または車で行ける。子どもの自由というのはそういう大人の自由に間借りしている、偽りの自由でしかない。しかし、多くの人たちが考える自由はこの子どもの自由なのだ。多くのポップソングが歌う「何かを壊す事により手に入る自由」は全てこういう自由の幻に過ぎない。そもそも、勝手なことばかりして、その結果は一切気にしたくないという、無責任な自由を「本当の自由」と勘違いしてしまったことがすべての間違いなのだ。ルソー辺りが言い始めた「人間は本来自由なのに、色々な物にがんじがらめにされて不自由になっている」という考え方をいい加減葬り去らなければいけないのだ。同じ理由で
「社会人は野生人より自由である」
社会の中にいた方が選択肢はずっと多い。野生にいたら、選択肢は農夫と狩人の二者択一くらいしかない。社会にいることの息苦しさは、不自由というより、高度化した社会に対する脳の悲鳴だ。
重要なことなので、もう一度言う。自由とは何かを壊して手に入る物ではなく、むしろ築き上げていくものである。そし自由になればなるほど責任は重くなる。責任が重くなるとは、選択に失敗したときの、被害が大きくなるということだ。自由と責任の相関は、別に法学とはなんの関係もなく、物理的に説明できる。「自由の扱う範囲が大きくなれば、被害も大きくなる」ただそれだけ。そして二十世紀、われわれの責任はとうとう地球サイズになった。それだけ、われわれに自由が大きくなったということだが、ここで人間は自由に怖気つくという、妙な反応を起こしはじめる。例えばエコロジー運動のおかしな形などがそうだ。もちろん人類が生きていくにあたって生態学の知識は不可欠だが、エコロジー運動はその域を超えている。あれは、人類の自由を制限しようという運動なのだ。例えばアニメの「天元突破グレンラガン」を見ていただければそれが分かる。先ほどの「脳の悲鳴」の話も同様だ。これ以上の自由の進化は人間を壊してしまう。それは恐らく事実なのだ。そこで一部の人たちは自由を制限しようとし、また別の人たちは責任のない完全な自由というどこにもない夢を追いかける。しかし、どちらも待っているのは緩慢な滅びだ。地球というのはちょくちょく大変動を起こす。どんな生物種もいつか滅びる。しかし、人間は後一皮向けば、そういう多くの生物種が甘受してきた宿命を越えられるところまで来ているのだ。つまり、「人類という今までの形を捨てることにより、人類では耐えられない高度な自由を謳歌するという道」である。それを、盲目的な怖れによって捨てるなんてもったいない。遺伝子操作、サイボーグ、脳コンピュータインターフェイス、道具は揃っているっていうのに。
多分そこまで行けば文化とか芸術とかなくなっているだろうし、個人とか自分だってここまで大切な物じゃなくなっちゃうと思う。1万年近く育んできた「文明」という奴を僕らは捨てて、次の「何か新しい物」を手に入れるんだ。僕はこの時代に生まれたことを、正直ラッキーだと思っている。ものすごく面白い時代に生まれたのかもしれないんだよ、人間が人間じゃなくなっていく時代に。
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