けんさく。

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2011年07月

数が数えられない小説家にしか書けない小説『ブッシュ・オブ・ゴースト』

ブッシュ・オブ・ゴースツ (ちくま文庫)
著者:エイモス チュツオーラ
販売元:筑摩書房
(1990-09)
販売元:Amazon.co.jp
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チュツオーラの『ブッシュ・オブ・ゴースツ』を読んでいたらとんでもないことに気付いた。
このナイジェリアの小説家、英語がまともに書けないことで有名だったが、数もまともに数えられてない。

11章の『「口をきく地面」と醜悪な女幽鬼』の冒頭で、神と間違えられて甕の中に入れられて、生贄の肉とぶっかけられる血で命をつないでいる主人公を奪っていこうとする泥棒と街の門番が戦うシーン。
門番は昼しか力が出ず、泥棒は夜にしか力が出ない。なので門番は夜を昼にする札を7枚持ってて、泥棒は昼を夜にする札を八枚持ってる。
それでまず門番が札を出して夜を昼にして、そこで泥棒が札を出して昼を夜にして、そこで門番が札を出して夜を昼にして、そこで泥棒が……そして門番が最後の札を出して夜を昼にすると、泥棒も最後の札を出して昼を夜にして、泥棒の方が一枚余分に持ってたから、泥棒のほうが勝負に勝つって話になるのだが、

門番が最初に札出してるんだから、一枚多くなくても泥棒が勝つだろ!

凄い小説家だとは思っていたけど、一桁の数が数えられないとは……

しかし、この小説は素晴らしい出来だ。主人公がひょんなことから幽鬼(ゴースト)たちの住むブッシュに紛れ込んでしまってひどい目にあうと言う筋立てだけど、絶対に思いつけない話がぽこぽこ出てくる。
命を狙われて追われている主人公があまりに醜くて誰とも暮らせないでブッシュの中に隠れ住んでいる女幽鬼を見つける場面が出色。
あまりの醜さに興味を覚えた主人公は自分が追われる身なのも顧みず、この女幽鬼を追いかけ始める。女幽鬼は顔を見られるのが嫌だから逃げる。主人公はあまりの醜さに追いかけながら大笑いしてしまうので、追手に場所が分かってしまう。女幽鬼の方も自分の醜さに思わず大笑いしてしまう。
わたしには、自分を殺そうととして背後から追っかけてくる『死』よりも自分にとって興味のあるものを見ることのほうが、だいじなのだ。
私がこの小説家の魅力に捕われたのは、もちろん彼のデビュー作『やし酒飲み』である。
やし酒飲み (晶文社クラシックス)やし酒飲み (晶文社クラシックス)
著者:エイモス チュツオーラ
販売元:晶文社
(1998-05-30)
販売元:Amazon.co.jp
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大好きなのは、主人公が死神の家を探す場面。五叉路でどちらに行けば分からなくなった主人公は、マーケットから帰ってきた女たちの姿を見て、いいことを思いつく。その五叉路のそれぞれの道に手足と頭を向け、交差点の真ん中に寝っ転がったのだ。すると女たちがそれを見て言うのだ。
「おや、この素敵な人は死神の家の方に頭を向けて寝ているぞ」
これで死神の居場所が分かると言うわけ。頭いいでしょ?

いいわけあるか!

皆さんも交差点の真ん中に寝っ転がっている人を見かけてもくれぐれも死神の家の方角を教えてはいけません。

私はあまりの感動に床を転げまわって喜んでしまった。こんな小説家がいたのか!?
そして『ブッシュ・オブ・ゴースツ』を読んで確信したのだ。こんな小説を数が数えられるような高等な人間が書けるはずがない! 反論は認めない。

実際、文字を読んだり、計算をしたり、ということは幼少期からすることにより、我々の脳が少なからぬ影響を受けることは、脳科学の研究から分かってきているのだ。
プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?
著者:メアリアン・ウルフ
販売元:インターシフト
(2008-10-02)
販売元:Amazon.co.jp
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この本では英語読者の脳と中国語読者の脳と日本語読者の脳がすべてどこを使って文字を読むのかが違っている、ということを書いている。そして「文字を読む」という行為によって脳がどんな変化を被り、どんな新しい能力を手に入れ、そして失ったか。そう、文字を読むことによって我々は確実にある種の脳の可能性を失った。文字を持った世代には稗田阿礼のような伝説的な記憶力を持つ人間は生まれない。また歴史上の天才たちの中に確実に多くの難読症患者が含まれるように、文字を読めない人はある種の空間認識において常人を越える能力を持ち合わせていたりする。
この本は「文字を読む」行為を軸に、過去現在そして未来に渡る、我々の脳の変化を見渡す事が出来る良い本だ。

チュツオーラは決して無文字の人間ではない。彼は高校程度の教育を受けたという噂だし、後期著作においてはかなりまともな英語が書けるようになっている。
それでも私は思うのだ。果たしてヨーロッパ人がこれを書けるのか。
もしかしたら、そこにはもう教育や文化の違いによって「脳が違う」という大きな断絶が横たわっているのかもしれない。

『ブッシュ・オブ・ゴースツ』に影響されてできた音楽。
My Life in the Bush of GhostsMy Life in the Bush of Ghosts
アーティスト:Busta Jones
販売元:Sire / London/Rhino
(1990-10-25)
販売元:Amazon.co.jp
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「Talking Haeds」のDavid Byrnsと「Roxy Music」そしてアンビエントの開祖として有名なBrian Enoが組んで作った名盤。アラブやアフリカの音楽やラジオ音声などをサンプリングして、「人工的な民族音楽」を作った傑作。




世界最高の車番組 『Top Gear』

車はそんなに好きじゃないはずなんだけど『Top Gear』は欠かさずに見てしまう。
『Top Gear』はイギリスのBBCで放送されている破天荒かつ面白くってためになる車番組で、主な内容はスピードと破壊と爆発。あと卑猥な言葉。あと他国(ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、日本、メキシコ、韓国)などを自国と一緒に馬鹿にすること。あと……いろいろだ!

とにかく見てみよう。





良くここまでやるよな! 階級差別ネタもよっぽどだが、本物の線路使って、本物の鉄道関係者を読んで。あほらしいことは、「台本があるんだろうな」とは思えるんだが、ときどきどこまで作ってんのか分からなくなってあせるわ。

と言うところでキャラ紹介。
詳しいところはニコニコ大百科に任せてしまいます。最近なまけ癖が付いてきたな。
ジェレミー・クラークソン
あだ名は「ジェザ」。パワーが全ての人。全ての物はハンマーで作れ、そして直せると思っている。背がデカイ。奥さん恐い。嫌いな車は燃やす、爆破する、叩きつぶす。髪を「陰毛みたい」と良く馬鹿にされる。永遠の5歳児。
リチャード・ハモンド
あだ名は「ハムスター」。背が小さいと馬鹿にされるが、実は170ある。一度番組中の事故で死に掛けてそれ以来脳障害で怒りっぽくなる。バーミンガム生まれなので田舎者ネタでもよく馬鹿にされる。顔は司会者陣で一番良い部類なので「歯を漂白した」などとよく馬鹿にされていた。あと雑誌の「セクシーな男」に選ばれた時も「冷蔵庫に付ける磁石みたいな男」と言われていた。永遠の12歳。ヒーロー的なものに憧れているふしがある。
ジェイムズ・メイ
あだ名は「キャプテン・スロー」「キャプテン・方向音痴」。丁寧な運転と持ち前の方向感覚で目的地に着く前に日を暮れさせる。技術マニア。工具はまず並べて整理する。ミグ戦闘機について熱く語っているのを見た時は感動してしまった。彼の講釈は大概カットされ、「翌日」とか「三週間後」とかのテロップが表示される。三人の中で一人だけの非婚者。ホモ疑惑あり。服装のセンスを良く馬鹿にされる。
Stig
備品。車を運転する。様々な謎に包まれている。

『Top Gear』の特徴はその視聴者に要求する知的水準の高さである。例えばトヨタのプリウス(この番組ではゴミとほぼ同義)を馬鹿にするために、燃費の悪いアメ者とレース場で走らせて燃費対決をさせたりする。プリウスが燃費がいいのは走ったり止まったりを繰り返す、街の中での状況なので、もちろんプリウスが負ける。そしてこの番組は燃費が気になるなら、アメリカのマッスルカーを買おう、という話になるのだ。もちろんこれは冗談だ。しかしこれを笑うためにはプリウスの特性を理解していないといけないし、それにこれには「環境に良いからと言って、猫も杓子も同じ車を買うのではなく、目的に応じた車を買うべきなのだ」という教訓もついてくる。
また三菱のGT-Rについて「コンピュータ制御をフルに使った凄い車だが、興奮はない」、という話をするためにした喩え話。「こっちはイギリス製のアンプ、このつまみを回すだけで最高の音が出る。こっちが日本製のアンプ、この10以上ものつまみをいろいろと弄りまわす事によって、こっちのイギリス製と同じ音が出せる。どっちが優秀だろうか?」と来ておいて、「もちろん日本製だ! つまみが多い方がいいに決まってるじゃないか!」と落とすのだ。もちろんこれは「ほんとは私がどう言いたいのか、分かるよな」と言う意味だ。日本のテレビがこういうことが出来ないのは、視聴者のレベルを読むことが出来ないからだ。BBCにはそれが出来る。視聴者の知能レベルへの信頼があるから、どんな無茶なことだってできるのだ。
羨ましい。

その他の神回
除雪車を作ろう





キャンピングカーを作ろう





電気自動車を作ろう





パトカーを作ろう





そのほかも無茶苦茶面白いから見ようよ。BSフジでもやってるよ!

夏が来ると思い出す歌があります

日本にはそれぞれに美しい四季があり、それぞれの四季の歌があります。
そして季節の自然の美しさを詠い上げることこそが日本古来の文学表現の至上命令であり、自然を美しく表現出来る日本語に古人は神秘的な力さえ感じたのであります。
そこまで壮大なことを言わないまでも、どんな人にだって季節の思い出があり、それと一緒に思い出される歌があるはずです。
わたしは夏の夕暮れ、自転車に乗って川の堤防の上を走りながら、鮮やかな夕焼けを片頬に受け、髪に受ける風にどうしようもなく夏を感じてしまったりしたときなどに、この歌を思い出します。

そして 
「ガリ焼いも〜、ガリ焼いも〜、ダメー! 今卵暖め中! ゲハハ! ピエール瀧やっぱ天才! やつのギャグセンスには死の香りすら漂う!」
などと大声で喚いていると、四季のある国に生まれてよかったと、しみじみ思ってしまうのです。

けんさく。の書評 インド=ヨーロッパ世界の基層へ 『デュメジル・コレクションⅠ』

まるでエンターテインメント読み物のようにすらすら読める学術文書と言うのが世の中には実際に存在する。例えば岩波文庫に入っている『古代国語の音韻に就いて』なんかは、まるで推理小説を読むような気分で立ち読みのままののめり込んで古本屋さんに怒られたことがある。
古代国語の音韻に就いて 他2篇 (岩波文庫 青 151-1)古代国語の音韻に就いて 他2篇 (岩波文庫 青 151-1)
著者:橋本 進吉
販売元:岩波書店
(1980-06-16)
販売元:Amazon.co.jp
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最近私が枕元に置いておいて、夜寝る前に読んでいるのが『デュメジル・コレクションⅠ』である。
デュメジル・コレクション〈1〉 (ちくま学芸文庫)
著者:ジョルジュ デュメジル
販売元:筑摩書房
(2001-05)
販売元:Amazon.co.jp
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面白くて眠れなくなるくらい人を引きずり込む本だ。「本と娼婦はベッドに引きずりこむことができる」と言ったのはベンヤミンだが、私が引きずり込まれているんだからわけはない。

議論の大枠はインドの『リグ・ヴェーダ』時代の宗教や社会組織とローマの共和制よりさらに前、王政時代の宗教や社会組織を比べると、よく似ているという話だ。
それは当り前で、サンスクリット語、ラテン語、ギリシャ語、ゲルマン語、スラブ語、などは全てインド・ヨーロッパ語族と呼ばれる同じ言語系統に属し、恐らく全て同じ「インド・ヨーロッパ祖語」と呼ばれる言語が変化したものだ、と言うのは広く知られている。
例えば、ヨガの用語で「チャクラ」というのがあるが、これは「サークル」「サイクル」「ホイール」と語源を同じくしてるし、英語で点火を「イグニッション」と言うのはインドの火の神「アグニ」と同語源である。神の名前でいえばギリシャ語の「ゼウス」、ラテン語の「デウス」(「ユピテル」は父なる神デウス・パテルのなまった物)、北欧神話の戦の神「トゥ―ル」(火曜を意味する「チューズデイ」の語源)、さらにはインド神話の「デーヴァ」、イランの悪魔「ダエーワ」なども同語源で(インドでは同じく神を意味していて「アスラ」が悪鬼を意味するようになり、逆にその「アスラ」がイランの善神「アフラ・マズダー」の語源になっているので、インドとイランでちょうど逆になっているのも面白い)、この「デーヴァ」が漢訳仏典の「天部」の語源になっているから日本まで影響があるのである。(ちなみにインドにも父なる神デャウス・ピターと呼ばれる天空神がいたのだが、リグ・ヴェーダの時代にはすでに主神ではなくなっている)
これは多分西アジアのどこかに住んでいたこの言語をしゃべる人びとが東に言ったのがインド人の祖先になり、西に言ったのがヨーロッパ人の祖先になったのだろう。だったら社会制度も似ていたってなんの不思議もないわけだ。

この本が面白いのは、この対応関係を使って穴埋めが出来る、と言うところだ。
ローマにしろインドにしろ、社会が出来たその最初の部分は記録に残っていない。記録を取ろうと思い始めるのは、社会がかなり熟成してからだからだ。よって肝心の部分はあやふやな伝聞で書かれることになってしまう。

実際ローマの初期の歴史はとても実話とは考えられない。狼に育てられたロムルスとレムスの双子がローマを建国したと本気で考えている人間はいない。大体ロムルスは兄弟は騙して殺すし、女はさらってくるし、約束は絶対に守らないし、どう見たって単なる山賊の親玉だ。それに国の主な仕組みを作ったのが2代目のヌマ王だと言うのも変な話で、いくらなんでもシステムなしで国が何年も経営できるわけはない。
それに初代の王が好戦的な野人だったのに対し、2代目のヌマがいきなりまったく戦争をしない理知的な王と言うのも信じがたい。ロムルスは伝説だが、ヌマは実在では、という説もあったらしいが、この人もあやしい。

それはインドにしたって同じで、文書に残っているものではすでにカースト制が出来上がってしまい、それの発生については良く分からない。

でも一つだけ見ていたら分からないことでも二つを見比べていけば分かるんじゃないの?

多くの比較神話学は「似ている」ことの発見までで止まって次へいけない中、この本では比較の手法を使って面白い事をいうところまでいっている。

例えばインドのカーストには「バラモン(ブラフマン)=僧侶」と「クシャトリア=騎士」という階級があるが、先ほど言ったヌマが創始したローマの古い司祭職に「フラメン・ディアリス」というがある。この「フラメン」というのは「ブラフマン」と同じではないのか、というところから話が始まるのだ。
そして一年の始まりを祝う古いローマの祭りに「ルぺルカリア祭」と言うのがあり、「フェブルウス」と呼ばれるローマ人にとっても正体不明になっていた神に関する祭りだったらしい。そしてこの祭りのときにだけ現れる「ルぺルクス」と呼ばれる騎士階級の若者からなる仮面の集団が、町を走りまわって誰彼かまわず「フェブルア」と呼ばれる鞭で叩く習慣だった。これはレムルスがさらってきた女の不妊を鞭うちでなおした故事とも関係がある。
これとインド神話の「ガンダルヴァ」と呼ばれる暴れまわるとともに芸術をよくする半身半獣の神が関係するかも、と言う話になるのだ(この「ガンダルヴァ」は「ケンタウルス」と同語源なのではないかという説が昔からあった。最近は否定的らしいけど)。
デュメジルがここから、「バラモン」の規定と「フラメン」の規定、「ルぺルクス」の特徴と「ガンダルヴァ」の特徴を比べていく。
そしてここから、ローマとインドに司祭と騎士と言う二つの大きな階級があり、そしてそれに対応する二つの相補的な世界観「司祭的世界観」と「騎士的世界観」が彼らの宗教の大きな柱になっていた、ということを説明していく。
「バラモン=フラメン」は一年中仕事をし、主に世界の「維持」を担当する。よってどちらも必ず結婚していなければならず、子どもがいるのが望ましい。戦争や死に関することにはあまり近づかず、通常の世界進行を司る。イメージとしては「老人」。芸術的なことにはあまり関心を向けないか、禁止されている。
それに対して、「ルぺルクス」や「ガンダルヴァ」は若者であり、未婚であるばかりか、そもそも結婚を通さず生殖行為を行う。戦争などの荒々しい行為を好み、それだけでなく歌や踊りなどの芸術的行為もよくする。「ルぺルクス」は一年に一度しか現れず、「ガンダルヴァ」は普段は他の世界にいる。そしてその仲間に入るには特別の儀式がいる。彼らは破壊行為もするが、それによって何らかの「再生」ももたらす。「ルぺルクス」は鞭うちによって不妊を治し、「ガンダルヴァ」も神の不妊を治す秘密の薬をもっている。
つまり、彼らの宗教にはハレとケ、日常的世界と非日常的世界の、「維持」と「再生」の二つの側面があり、それぞれに対応する社会的階級を持っていたのだ。
そう見てみると、ロムルスとヌマはこの二つに綺麗に対応することが分かり、やはり何らかの神話的起源を持っているのではないかと予想され、もしかしたら「ヌマ」とインド神話の人類の始祖にして法の制定者「マヌ」には何らかの関連があるかも? みたいな話になるのだ。

そしてそこからさらにデュメジルは失われたローマの神話を復元していくんだけど、まるでパズルを華麗に解くのを目の前でみているみたいでめっぽう面白い。
面白いからこそ、こういうのには注意しなくちゃいけなくて、多分これにもいろいろ批判があるんだろうなあ、と思って読むべきなんだろうけど、でもこういう面白さはやっぱ大切だよな、とも思う。
過去のことと言うのは、細かい事は実はほとんど分からない。残っている部分だけ見てるから結構残っている気になるだけで、少し想像力を働かせてみると、ほとんど分からないことだらけなのが分かる。僕らは昔の人が「本当に」どんな言葉を喋っていたのかだって正確なことは分からない。
でも、「学問をする」という行為の裏には「頑張れば一歩ずつだけれども分かっていく」という信念がある。
そういう信念を鼓舞してくれる良い本だと思う。

このむかし話が少し変なわけ

そうしてお姫様と王子様は末長く幸せに暮らしましたので、俺の頭から謎の液体が漏れ始めた。それがにゅるにゅると卑猥な形に姿を変えるのを横目に、王国の民もまた幸せでした。人びとの活気により自然と経済は潤い治安も良くなりまして、結果としてそれは俺の醜く歪んだ似姿になった。そしてそれはにやりと口の端を耳まで裂くような凄惨な笑みを浮かべて窓ガラスを叩き割りながら部屋から飛び出し、王子様とお姫様の間にはそれはそれは可愛らしい女の子が生まれます。国中がそれを喜びお祭り騒ぎで、俺はそれを捕まえようと必死に後を追いかける。放っておいたらなにをしでかすか分からないからだが、そのお祭りは王女様の結婚相手が決まる16歳の誕生日まで続きました。その日世界中から我こそはと集まった男たちが王女の愛を勝ち取るために様々な競技でしのぎを削って、俺の偽物を追いかけ続けた俺は盛大なお祭り騒ぎに巻き込まれてしまう。そしてそれの後ろ姿を見失ってしまって、競技もたけなわとなったころのことでした。競技場を見降ろすお城のバルコニーに王女の姿が現れて競技場は大歓声に包まれ、俺は特に人が密集していていましがた歓声の上がった方向に向かってみようと思った。そこはどうやら競技場のようで、そのとき王女様に近づく怪しい影が。その男は皆の見ている前で王女の細い腰を横抱きに抱えるとそのままこの国の伝統的な赤い煉瓦屋根の上を軽々と飛び越えていき、俺は突然人びとがざわめき騒ぎだしたせいでもみくちゃにされて自分がどっちから来てどっちに行こうとしていたのかも分からなくなる始末。人に押し倒されて幾つもの足に踏み潰されぼろ屑のようになる俺、そして突然のことのショックで声を上げることも出来ず気を失ってしまう王女。競技を中断していた猛者たちが手に手に剣や槍や弓を持ち狼藉者を追いかけ、やはり俺の上をどたどたと走っていき俺は中身のあんこが全部外に出てしまい中身空っぽのぺしゃんこになってしまう。俺の中からはみ出したあんこは様々な姿の人の形をしたものになり王女を助ける者たちに加わったり逆にそれを邪魔したりして、さらわれた王女様を助けるための国中上げての闘いは何年も続きました。そして人びとがこの長い戦に嫌気を差し始めたころのことでした、道端でぺしゃんこになった俺はAEDマニアの少年に発見された。こいつはまあ軽度のアスペルガーなのであろうがなぜかいつもAED(自動体外式除細動器)の事ばかり考えて生きていて建物の中に入ったりするとAEDがどこにあるかを確認しないと不安で不安で仕方がないと言う奴でそいつが生きているのか死んでいるのかよく分からない俺を発見してしまったものだから喜び勇んでそれが適切な処置なのかどうかもろくに考えず(それが適切な処置だったのかはいまだによく分からないまんまなのだが)俺に電気ショックをかましてもまあ仕方がないと言ったら仕方がないのだが、王都の上空にかかる天空に俄かに雷雲が立ち込め王女をさらった魔物たちが潜伏する闇深き山には常ならぬ風が吹き渡りました。人びとは不安げに異様な色合いの空を見上げ鳥たちはその空を右往左往し獣たちも巣のあるものは巣に身を潜め住処無きものたちはめいめい体を物陰に押し込め何か恐ろしいことが起こる予感に身を固くしていましたが、それらすべてが息を吹き返した俺の最初の一息で空っぽになっていた俺の体の中に吸い込まれてしまった。しかもそれがあまりに急だったので関係ないものまで大量に引きずり込んでしまいおかげでダイエット中にもかかわらず体重が5キロも増えたうえ、それ以降俺の紡ぐむかし話にはたくさんの不純物が混じるようになってしまいましたとさ。AED好きなアスペルガーの少年とかね。
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