けんさく。

けんさく。が、いろいろ趣味のことをやるページです。

2011年10月

けんさく。の書評 『死んでいる』は人間が生きていることを真面目に考えたいい本です

死んでいる (白水uブックス―海外小説の誘惑)死んでいる (白水uブックス―海外小説の誘惑)
著者:ジム クレイス
販売元:白水社
(2004-07)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
傑作。
主人公は動物学者の老夫婦で人気のない海岸で暴漢に殺されている。そして話の主な部分がこの2人の体がカモメやハエやカニに食べられて、腐っていく精密描写。
そ れに挟みこまれるように夫婦が学生時代に初めて出会い、初めて愛を重ねたときの話し(2人の愛が間接的に一つの死を呼び寄せる)。2人の行方が分からなく なったことにより、仲が悪くて家を出ていた娘の生活や心情の変化(若者の世界や親への葛藤が描かれる。愛されることの幸せと窮屈さ)。そして2人の死を呼 ぶことになった最後のピクニック(それは2人が最初に愛を交わした場所の確認であり、2人が呼び寄せた死を乗り越える儀式だった。ここでのモチーフはどう しようもなく訪れる老いだ)。この三つのエピソードが少しずつ語られる。
この小説が問うている問いは「我々が他人の死を乗り越え自分の死を迎える ために必要な物語はなんだ」ということだ。人間は弱いので太陽と死と無意味は直視できない。そのために物語のフィルター、意味のフィルターを付ける。やれ 天国に行くだの、やれ英霊になれるだの、なんたらのためだの、素晴らしい人生だったの。しかしそれは嘘だ。ほとんどの死は無意味だ。世界のほとんどは無意 味であるのと同様に。しかし私たちは世界の全てが有意味であると信じたがる。神さまとかがすでに意味づけていると。
アホか。神がいようがいなかろ うが関係ない。意味とは我々が意味づけていったところにしか存在しないのだ。だからこそ、我々はこの世界をより住みやすいものにするために、世界を意味づ けていかないといけないのだ。成功の保証はない。ほとんどの試みは無駄に終わるだろう。それが嫌で、神さまなんぞを持ち出して保証にしたってなんの意味も ないのだ。

では死に意味は? ほとんどない。でも絶望する必要はない。この作品では死から不要な物語を除くために徹底した描写を行う。しかしその 結果分かることは死体というのが何十という生命の活動の場だということ。そしてこの小説は主人公達の若いころの話で、彼らの愛が起因となった死を描いて、 生がいつでも死と隣り合わせだと語った返す刀で、もう一度その現場に足を踏み入れたとき、火災現場に繁茂する植物を描写する。いつだって死の後には生が続 くのだ。

確かにこの世界はほとんどは無意味だし、死は極限的には無意味だ(私にとっての意味の根源たる私が消滅するのだもの)。でもそれは意味と いうものに多くを求め過ぎだからで、まだほとんど無意味なこの世界を一歩一歩づつ意味づけることができ、その歩みは止まることを知らない、ってだけで満足 する必要があるんだ。それで充分だと知るべきなんだ。そのためにこの小説では親の死が娘にどんな影響があったかを詳しく語る。この出来の悪い娘が次の一歩 なのだから。

この小説では何も素晴らしいことは起きない。どちらかというと惨めなことしか起きない。でもこの小説は美しい。父親の死体が母親の死 体の足首を掴んだまま硬直しているのを娘が見て、親同士の愛に感動する場面など、やり過ぎで必要ないと思ったくらいだ。ここで作者は「愛」という別の嘘で 死を意味づける誘惑に耐えられなかったのだろう。しかし、この小説はこれ以上嘘を削ったら、小説なんか成り立たない瀬戸際に立たされている(小説を真面目 に考えたら全ての小説家にはそこに立ってもらわなきゃ困るんだがね)。だからこれくらいの嘘は必要悪として認めてやろう。まだ人類は小説を乗り越えて次の ステップに行く準備を整えていないのだから。
 しかし、これほど死体描写が美しい小説がありえるとは。
『近づいて見てみると、 ジョゼフとセリースの体表には、魚が決して残していくことができない色とモチーフがあった。それは、表面の血管がつくる松の茶色をした目の眩むような金線 細工で、皮膚に樹枝状の模様を与えていた。水膨れが咲き乱れ、燃え立つ赤い花冠と黄色い子房はハンニチバナのよう。そして、口を開けたあたたかな洞窟(不 完全な肋骨、不完全な皮膚、不完全な頭蓋骨)には、ぎらつく青と赤の破裂し膨張した炎。それはもう腐り切って腐臭が強すぎたので、カモメやカニには魅力が なくなってきており、等級、形態、種において末端の種族である最下層生物の集まり、つまり、脚が多すぎるか脚がまったくない、ジムシ、シャクトリムシ、ヤ スデ、ボタンシラミ、ミミズ、フレット、グルメまたの名をミツスイムシに引き渡された。』

間違いなく名文。「主人公の心が暗いときは世界も暗くなって雨が降るべき」などというたわけた決まりごとを信じている人間には絶対に書けない。世界に物語を押し付けない、という覚悟が響いている。
もちろんここにも嘘がある。嘘というか、美しい部分だけ書いているというか。実際に死体を目の前にしたら美しいわけないもんな。
でも、これも認めてあげなきゃ。でなきゃ、死体を美しく描くことにより、世界を受け入れる覚悟を表明することができないからね。

とにかく面白かったし、大半死体の描写な小説なのに、ちゃんと感動させられそうになったよ。涙流す人もいるかもしれないね。
私は流さないよ。だってこの小説、ちょっとばかし説教臭いもの。ヨーロッパの無神論者ってのは、どうしてこう無神論を押しつけたがるんだろうね。無神論者の私にすら鼻につくよ。カルトだね、こりゃ。それがこの小説の小さな傷かな。でも、なんとなくその説教臭さというか、いろいろ語った末にたどり着いたのが割と見慣れた穏当な意見だった、っていうのが凄くイギリス人らしい。力強い保守性と言う感じが。

最後に題名について。英語に詳しくないから分からないけど現代の『Being Dead』ってのはあまり使わない用法じゃないのかな。死んだ状態であり続ける、と言うことだろう。
この言葉を見ると私は、世の中のほとんどの物が「死んでいる」状態であることを思う。「生きている」ものは本当に一部だ。もし「死んでいる」ことを悪いことと考えてしまったら、世の中はかなり悪い物になってしまう。それは多分不自然な考え方なのであろう。「死んでいる」ことは別にムチャクチャ悪いことではないのだ。もう少しいい状態が目指せる、と言う意味で絶望するほどでは。

GENESIS(Remix)

始めに神が降り立ったとき、世界には恒星とその周囲を回る惑星と星の材料であり残骸であるガス星雲と大量の見えない重力源であるダークマターとそして幾つかの惑星の上にへばり付いて暮らす生き物達とその中から進化した知的生命体が作りあげて悲喜こもごも生活している都市以外何もなかった。
 そのとき神は「光よ、あれ」と仰せられた。すると光ができた。知的生命体は驚いてざわざわと天を見上げながら囁き合った。彼らが今まで見た来たのとは全く違った光だった。神はその光とよしと見られた。そして神は光と闇を区別された。神は、この光を昼と名づけ、この闇を夜と名づけられた。それはこの世界中の様々な自転周期を持つ惑星達の昼と夜のリズムをまったく無視したものだった。知的生命体はこれらの行為の主の無知さと厚顔無恥さに怒りの声を上げ始めた。こうして夕があり、朝があった。第一日。
 ついで神は「大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように」と仰せられた。こうして神は、大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。するとそのようになった。神は、その大空を天と名づけられた。しかし知的生命体はこの宇宙のどこが下でどこが上なのか、その根拠を問おうとした。しかし答えはなかった。ただ真空の宇宙空間で水が急激に蒸発し、表面が凍りついただけだった。こうして夕があり、朝があった。第二日。
 神は「天の下の水は一所に集まれ。乾いたところが現れよ」と仰せられた。するとそのようになった。神は乾いたところを地と名づけ、水の集まったところを海と名づけられた。神は見て、それをよしとされた。宇宙の各所では様々な問題が起きていたが、神はそれを見られなかった。天や海の大水の中に沈められた惑星の住人は溺れ死に、惑星系自身が水圧で潰れ、恒星は中性子星やブラックホールとなっていく。神が大量の新たな物質を導入したがゆえに重力バランスが崩れ、銀河は形を保てなくなり、神が物質をあちらこちらに動かすので、エネルギー保存則を保つため幾つもの星が絶対零度近くまで凍りついた。
 神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。 それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、それをよしとされた。それらは人為的に持ちこまれた外来種が多くそうであるように、在来種に害悪を成し駆逐していった。知的生命体達の農業は深刻なダメージを受け、飢えて見慣れぬ外来種を食べたため毒に当たって死ぬものが続出した。こうして夕があり、朝があった。第三日。
 ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と仰せられた。するとそのようになった。それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。知的生命体達はそのでたらめさに激怒した。これらの行為主には欠片の知性すらないに違いないと。どうやってこれだけの宇宙の様々な地点に同時に朝と夜をもたらす光源を宇宙の中に作れるというのだ。そもそも光の速さというものを知らないのだろうか。しかし、神が何を知っておられるかを知ることはできなかった。こうして夕があり、朝があった。第四日。
 ついで神は、「水は生き物の群れが、群がるようになれ。また鳥は地の上、天の大空を飛べ。」と仰せられた。 それで神は、海の巨獣と、その種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、その種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神は見て、それをよしとされた。神はまた、それらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は、地にふえよ。」それらが在来種を食いつぶしたこと前に同じである。知的生命たちはもう呆れて物を言うことすら忘れ始めていた。すでに疲れ切って、文句を言うことすら苦痛になりはじめていた。こうして、夕があり、朝があった。第五日。
 ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。」と仰せられた。するとそのようになった。神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。それはそれまで住んでいた知的生命体達とは全く似ていなかった。彼らは出来たばかりの世界をキョロキョロと見回した。知的生命体達はその出来たばかりの知性をほとんど持たない(まだ智恵の実を食べてないので)生き物を見て茫然としていた。その「人」と神が名づけた神の似姿の生き物は知的生命体達を見ても無感動だった。
 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」すると、そのようになった。つまり人達はそれまで宇宙に住んでいた知的生命体達を支配し、支配した。全ての在来種を食いあさった。すぐに彼らは滅び去った。そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。
 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。
 これは天と地が創造されたときの経緯である。

その順番でいいのだろうか?

クッキーロール

co-opで買った「クッキーロール」がなかなかおいしくてサクサクと食べてしまったのだが、その箱の表の右上に書いてある文章を読んでいたときに疑問が湧いた(活字中毒なのでパッケージに書いてあることはだいたい全部読んでしまう)。
うす~く焼いたクッキーを円筒状に巻き上げて
ソフトなミルクチョコレートを流しこみました。
焼いてから円筒状に巻き上げることなんかできないような気がするんだが……
焼く前に生地を円筒状に巻き上げるんじゃないのか?
それとも私が何か重要なことを見落としているのだろうか?
ううむ……謎は深まるばかりだ。
さらなる調査が求められよう!

大人も子どももみんな大好き『Happy Tree Friends』の始まりだよ!!

この前小学校高学年の知り合い達が
「ハッピーツリーフレンズ、めちゃくちゃおもしれえ」
「そうそう、あれずげえよな」
と話しているのを見かけて、その後大学生の知り合い達に
「Happy Tree Friendsって知ってる?」
と訊いたらほとんど知らない。やはり物ごころついたころからネット環境があるような人間は違うのだろうか。

というわけで『Happy Tree Friends』通称『HTF』を紹介するよ。
とは言ってもすっかり日本でも有名になってしまった感があり、これくらい知らない人間は遅れてるような気がしてしまうのは、やはり私も情報がかたよってしまっているからだろうか。
実際ニコニコ動画やpixivでは相当な人気があり、特にpixivでは擬人化をはじめとした日本独自の文化も発達している。女性ファンがかなりいるのであろう。
知らなかった人はpixivやその他の画像サイトを覗いて少し勉強してみてもいいかもしれない。

『HTF』はアメリカ MONDO MEDIA制作のフラッシュアニメ作品。公式サイトに行けばかなりの量が無料で見られるし、何カ国かではテレビ放送もされている。
内容としては可愛らしいキャラクターが毎回悲惨なやり方で死ぬ、という単純なもの。その死に方が毎回趣向を凝らしていて面白い、というわけだ。
『シンプソンズ』に『イッチー&スクラッチー』という作中アニメがあって、内容としては、『トムとジェリー』でやっていることを本気でしたら絶対死ぬよね、という残酷アニメなのだが、これもそれに凄く近い。そもそも『トムとジェリー』が相当暴力的なアニメーションだったわけだが。
まあ、とにかく見てみよう。
『Eye Candy』

こいつはトゥーシ―。良く出るのでたくさん死ぬ。最初に死ぬことも多い。

『Out on a Limb』

こいつは「ランピー」と言って、こいつに注目してみると面白いよ。大体の大惨事はこいつが原因。最後まで死なないことも多い。

『Helping Helps』

最初に出ているのは「ギグルス」。このアニメのヒロイン。良く出るので必然的に良く死ぬ。
そしてスーパーヒーロー「スプレンディド」。スーパーパワーで物ごとを悪い方向へ導く天才。この作品において他人をよく殺す人物にありがちなように、ほとんど死なない。このアニメには珍しく丈夫だしね。

どうですかね? 一説では豆腐で出来ているといわれる可愛い動物たちの生き様に心が癒されたでしょう。ちなみに、ここまではまだましな方。ここから「おいでよ!ぞうもつの森」と呼ばれる暗黒のファンシーワールドが広がっているよ。

『This is your Knife』

黄色いのは「カドルス」。一応主人公だが、別に登場回数が一番多いわけではないし、一番殺されているわけでもない。
赤いのは「フレイキー」。かなりの人気者。女の子なのか男の子なのか公式でもいまいち判然としなかったのが、一部の人たちの妄想をかきたてたとか(公式では一時期女の子になってたはずなのに後撤廃。なぜ?)。気が弱く、いつもおどおどしているのが二次創作欲を誘うとか。
そして軍人は「フリッピー」。なぜかというか当然というか女性ファンに大人気である。ベトナム帰還兵で戦争神経症。ときどき戦場のトラウマが戻って凶暴化してしまう。こいつもめったに死なない。
『Eyes Cold Lemonade』

青いのは「ペチュニア」。このアニメの準ヒロイン。スカンクであるが、脅迫神経症の気がある。女の子でも容赦なく殺すのがこのアニメのいいところである。
レモネードを売るってのはアメリカの子どもアニメの定番だね。
ところで毎回最後に子どもへの教訓のような物がでるのだが(ときどき教訓にもなってないが)、最初に子どもは見ちゃダメ、って書いてあるから意味ないよな。

『Blind Date』

この作品の主人公は「ザ・モール」。目が見えない。職業はカメラマンや医者など。目が見えないことを利用したダイナミックなサツガイに定評がある。初期シリーズではあまり死ななかったが、最近はよく死ぬのはやはり、障害者差別は止めよう、という流れなのであろうか。
途中で出てきた両手のないビーバーは「ハンディ」。ああ見えてかなり手先が器用で、家を建てたりレーシングカーを作ったりするが、その作業の様子がアニメ内で描かれたことは一度もない。
ペチュニアに迫ってガス攻撃を受けていたのは、「ディスコ・ベアー」。30代にして早くも生活習慣病を患っているらしい。

『Meat Me For Lunch』

この双子は「リフティ」と「シフティ」。帽子をかぶっている方がシフティ。悪いことをしてその結果しっぺ返しで死ぬ、このアニメでは非常に珍しいキャラクター。まあ、こいつら以外は悪意なく人を殺してるのかもしれないが。しかし勧善懲悪的な臭いがするのはやはりこいつらだけである。

Nuttin' Wrong With Candy』

こいつは「ナッティー」。砂糖中毒で糖尿病で片目がおかしくなってる。
『ホームムービーズ』のジェイソン、『フォスターズ・ホーム』のマック、『ビーバス&バットヘッド』のビーバス、『ルビー・グルーム』のミザリーなど、アメリカでは砂糖には幻覚作用があって中毒症状を持つと信じられているらしい(『シンプソンズ』でもそういうシーンがあった)。

そして個人的最高傑作。いろんなキャラクター総出演だよ。
『Class Act』

確か初めて見た『HTF』がこれだったような気がする。

どうですか。見ているとなんだかハッピーな気分になってきたでしょ? 
え、ならない? それはいけませんね。仕方がないのでもっと動画を見ましょうか。









ハッピー・ツリー・フレンズ ファースト・ブラッド [DVD]ハッピー・ツリー・フレンズ ファースト・ブラッド [DVD]
著者:オリジナルアニメ
販売元:タキ・コーポレーション
(2008-11-28)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
HAPPY TREE FRIEND★ショッキングキーチェーン(カドルス)HAPPY TREE FRIEND★ショッキングキーチェーン(カドルス)
販売元:株式会社 StrapyaNext

販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
HAPPY TREE FRIENDS ミニフェイスポーチ (ギグルス)HAPPY TREE FRIENDS ミニフェイスポーチ (ギグルス)
販売元:キューブ
(2011-02-27)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
HAPPY TREE FRIENDS/ハッピーツリーフレンズ◎きんちゃくポーチ【ナッティー】☆キャラクターグッズ(巾着袋)通販☆HAPPY TREE FRIENDS/ハッピーツリーフレンズ◎きんちゃくポーチ【ナッティー】☆キャラクターグッズ(巾着袋)通販☆
販売元:スモールプラネット

販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
ハッピーツリーフレンズ/HAPPY TREE FRIENDS《フリッピー》miniステッカー/防水加工!!☆キャラクターグッズ/シール通販☆ハッピーツリーフレンズ/HAPPY TREE FRIENDS《フリッピー》miniステッカー/防水加工!!☆キャラクターグッズ/シール通販☆
販売元:スモールプラネット

販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

アタルヴァ・ヴェーダに見る古代インド人の発毛への祈り

ディメジルを読んでインド神話に興味が出たので(前から気になってはいたが)とりあえずヴェーダを読んでみようということになった。
デュメジル・コレクション〈1〉 (ちくま学芸文庫)
著者:ジョルジュ デュメジル
販売元:筑摩書房
(2001-05)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫)リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫)
販売元:岩波書店
(1970-05-16)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
アタルヴァ・ヴェーダ讃歌―古代インドの呪法 (岩波文庫 赤 65-1)
販売元:岩波書店
(1979-06-18)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

「ヴェーダ(veda)」とはもともとサンスクリット語で「知恵」と言う意味で紀元前1000年頃から紀元前500年頃に掛けて成立。『リグ・ヴェーダ』はその一番古い奴で、『アタルヴァ・ヴェーダ』は一番新しい、と言うか非正統的なのでなかなかヴェーダの中に入れてもらえなかった。
サンスクリットは「インド・ヨーロッパ語族」とも呼ばれるように、ラテン語やギリシャ語やゲルマン語と非常に良く似ていて、もともとは同じ言語だった物らしい。例えば英語の「wise(賢明な)」「wit(知恵)」は同じ語源を持っているし、英語と近いドイツ語の「wissen」もそうだし、少し遠目のところだとロシア語の「prauda(真実、官製新聞の名前で有名)」の"uda"も元は同じ。さらに古代ケルトの呪術師「Druid」はもともとは「Daru + vid(オークの賢者)」であり、後半は明らかに一緒である。さらに「知る」と「見る」は関係が深いので、英語の「view」「vision」、フランス語の「voir」、スペイン語の「vista(景色)」「video」なども全て同語源である。こう言われてみると壮観だな。
というわけで、今の世界を支配している世界観の根源について考えるためにも、ここら辺を押さえておくのは有効な気がするわけですよ。
てな感じに読みはじめたものの、この『アタルヴァ・ヴェーダ』、当初の予想とは違う意味で面白い。
『リグ・ヴェーダ』がどちらかと言うと国家宗教的というか大規模な祭式に歌われる賛歌を集めた物ならば、この『アタルヴァ・ヴェーダ』はもっと民間的な、多分非アーリア的な要素を含んでいる、日常の様々な悩み問題を解決するための賛歌が収録されている。そう言う意味で副題の「古代インドの呪法」なのだ。
そして日常的な悩みと言うのがおおむね間抜けなものであるのは周知のことであろう。当人にとっては深刻なのかもしれないが。
まず恋愛に関する呪文が多い。
「恋仇の女子を詛うための呪文」
「夫の情人を克服するための呪文」
「女子の愛を得るための呪文(その1~その4)」
「女子に熱烈な愛情を起こさしむるための呪文(その1~その2)」
「夫を得るための呪文(その1~その2)」
「男子の愛を得るための呪文」
「男子に熱烈な愛情を起こさしむるための呪文」
「家人をねむらしむるための呪文」
「女子を不妊となすための呪文(その1~その2)」
「男子を不能となすための呪文」
ああ、バカだなあ、という感じである。そんなことしてる間があったらほかにすることあるだろう、と思う。
その他にも良く分からないものがたくさんある。
「小児の上顎に最初の二歯の生えたるときの呪文」
「兄に先立って結婚する弟の罪を消すための呪文」
「集会において成功を収るための呪文」
「論的に勝つための呪文」
「性欲を増進さするための呪文」
そして極め付けに笑ってしまったのがこれである。
「頭髪の生長を増進さするための呪文(その1~その2)」
ああ3000年前の人たちもハゲに悩んでいたのか! 正直昔の人たちがどれくらい薄毛に悩んでいたのか分からないできたのだけど、とりあえずインド人は悩んでいたらしい。それだけでも収穫である。
本文も結構面白からここに引用しちゃおう。

頭髪の生長を増進さするための呪文 その1

一 女神(薬草)なる汝は、女神なる大地の上に、薬草よ、生じたり。かかる汝を、ニタトニーよ、われは掘る、頭髪を強固ならしめんがために。
二 古きものを強固ならしめよ。いまだ生えざるものを生えしめよ。また生えたるものを一層長からしめよ。
三 汝の頭髪にして抜け落ちたるもの、毛根もろとも切り取られたるもの、ここにわれそが上に、一切を癒す薬草を注ぎかく。

【適用】 ニタトニーの実をその他の薬草と共に、水を満たした皿に入れ、新月の夜に、施術者は黒い衣服を纏い(黒い頭髪の生長を象徴する)、黒い食物、すなわち黒い米または胡麻を食べ、星の消える時刻に、烏の飛び来たる以前に、患者の頭上に注ぐ。

描写がやけに具体的なのが笑える。ちなみに、ニタトニーってのがなんなのかは分かりませんでした。
Leaves of Words
記事検索
最新コメント
月別アーカイブ
プロフィール

けんさく。

QRコード
QRコード
タグクラウド
  • ライブドアブログ