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2015年08月

夏も終わるからJavaScriptで動く絵本を書いてみた 『ふしぎなてんとう虫』

入り口👇
『ふしぎなてんとう虫』


JavaSctiptで絵本書いている人がいないか探してみても、『JavaScriptの絵本』しか見当たらないから自分で書いてみたというわけだ。
JavaScriptの絵本
アンク
翔泳社
2007-09-13

別にこの本はJavaScriptで動く愉快な本というわけではないと思う。読んだことないから知らないが。
威張るほど立派なものではないけど、初めての試みなので多めに見てちょ。

(追記:もうちょっと調べたら、こういうの見つけた。
web仕掛け絵本
なかなか素敵である)

「鰯の頭も信心から」の「から」とは何なのか?

検索エンジンで「鰯の頭も信心から」と入力して言葉の由来を説明しているページに行っても、この部分をしっかり書いてあることが皆無なので、筆をとった。
語源由来辞典
ウィクショナリー
教えてgoo (間違った答えしかなく、質問者もそれに納得してしまっている)

答えを知っていれば、web上に簡単に答えを見つけられる。
「鰯の頭も信心柄」で検索してみれば良い。
石川啄木の『葬列』や狩野亨吉の『安藤昌益」など錚々たる書籍での使用例が青空文庫などに転がっていることが分かるだろう。
あの「から」は「原因」や「発端」を意味する助詞ではなく、「人としてのあり方」を意味する「人柄」や、「家柄」「場所柄」などの使い方と同じように、「~としてのあり方」という意味を付加する接尾辞であったのだ。
つまりことことわざは、「鰯の頭も信心のあり方である」つまり「鰯の頭のような一見つまらないものも、それはそれで信心のあり方である。だからご利益だってあるし、きちんとしなくてはいけない」という言葉なのだ。
私はこのことを塩村耕教授の授業で知った。なので、ネット上で答えに達することができるが、先に答えを知っていないと答えに達することが出来ないのでは役に立たない。
ウェブというものは大概の問題の解答があるが、実際には多くの人の手には届かないままになっていることの例だと思う。
「鰯の頭も信心から」で検索して答えが出てくるように誰かが書かなくてはいけないので、私が書くことにしたわけだ。

もう一つこの記事を書くことにした理由は、この問題を急に思い出すきっかけがあったことだ。
というのも、とある千葉県松戸市の空撮動画を見ていたら、BGMとして流れている曲を聞いていたら、その歌ではまさに「鰯の頭も信心がら」と「から」を濁らせて歌っていたのだ。これは「から」を「柄」と捉えているからにほかならない。
その動画を載せたいところだが、こういう動画を見ているということはあまり良い趣味ではないし、正直いつ消されるか分からない動画なので、その歌の動画を代わりに載せよう。


なんでも「カラコロ」一回300万円なので、この曲一回で1億200万円損害賠償を請求されるらしい。
こわいなーとづまりすとこ 

メインマシンをwindows7からwindows10にしたよ

とりあえず何も問題は起きてない。
最初解像度がおかしくて、デスクトップのショートカットの配置がぐっちゃぐちゃだったけど、再起動したら治った。
使えないソフトもない。
edgeにはまだ一度も触ってないけど。
あと、pngファイルに紐づけされてた「フォト」ってアプリが背景が黒で、透明背景の黒い図形のファイルが全く見えなくて、背景の色を変えようとしたんだけど、最近はやりの簡素な作りで何をどうすればいいのかわからんかったから、速攻で以前のwindowsフォトビューアに戻した。でもこの「フォト」、gifが再生できるんだな。そこは進歩というか、でもよく考えたら昔はできてたじゃねえか! という話である。

低予算映画への憧れ 『ゼイリブ』

いつか映画が撮りたい
映画には他のメディアにはない魅力がある。
それは映画の徹底的な「暴力性」だ。
暴力を描く、というわけではない。ラブストーリーだろうが日常を描いたものだろうが、映画は「暴力的」だ。
それは映画の形式による。映画を見る時、我々は他のどんなメディアよりも、現実から離れた場所にいる。劇場が暗くなるとともに、我々の世界はフェードアウトし、銀幕が輝き出すとともに、見知らぬ世界がそこに出現する。それは暴力的にこの世界から我々を連れ去る。
小説は努力してその世界に没入しようとするものだ。漫画も小説よりは気軽にだが、同様の面がある。テレビで流される作品は、我々の日常と寄り添うように存在している面がある。連載される小説や漫画なども同様だ。
映画は違う。
この映画の占める位置は様々な新しいメディアが登場しても、そうは揺るがない。双方向性のあるメディアでは映画の代わりにはなれない。
映画を見ている時、我々は振り回され、映画に参加することなどとても出来ない。
まるでレイプのような体験なのだ。
逆に言えば小説には読者をレイプするだけの暴力性はあまりない。だからこそ、小説は読者を誘惑しなくてはならず、そこに小説を読むことの、そして書くことのの尽きせぬ魅惑がある。
そして、だからこそ、我々をレイプするだけの暴力性を持ち合わせた小説や、映画とは本来我々をレイプするものであるはずなのに、それをしようとせず、逆に我々を誘惑しようとする映画は奇妙な魅力を持つ。
グリーナウェイを見る喜びはそんな感じだ。「ああ、これからレイプされちゃうんだ。どうなっちゃうんだろう」と思ってドキドキしていると、グリーナウェイは突然目の前で服を脱ぎながらくるくる踊り始めてしまうのだ。「なにこれ? 何が始まったの? こんなのしらない!」という気分になること請け合い。あの瞬間は何回経験しても足りない。
ZOO Blu-ray
アンドレア・フェレオル
IVC,Ltd.(VC)(D)
2014-10-24


ここで話は戻るが映画が撮りたい。小説を書くことが趣味というかライフワークだが、「メディアの暴力性」においてその小説と対局にある映画がどうしても撮りたいのだ。
だけど小説と違って映画には投資がいる。時間とお金が必要なのだ。
正直どちらもないんだ。うん。
だから低予算映画を見るのだ。
低予算映画は無くてはならない物がなくても映画を無理やりでっち上げる7ためのアイディアに満ちている。
というわけでジョン・カーペンターである。『ゼイリブ』とか最高じゃん。
ゼイリブ 通常版 [Blu-ray]
ロディ・パイパー
TCエンタテインメント
2014-09-03

物語上重要な宇宙人のサブリミナル洗脳を見破ることが出来る眼鏡はただのサングラスだ。宇宙人が消える謎の異次元通路は入る時こそちゃちい光学合成の異次元ぽい穴だが、入ってみればどこかのビルの地下の通路だ。笑ってしまった。
宇宙人の被り物も、あまり出来がいいとは思えない。白黒映像にしてごまかしていないか。広告を眼鏡を通して見ると、いろいろな隠れたメッセージが見えるシーンは白黒なのも相まって結構スタイリッシュだが、基本動きがないので、合成は簡単そう。
ああ、映画ってこんな風に撮ればいいんだ、と見てて思うのだ。もちろん簡単ではない。しかし知恵と工夫でどうにかならないものなどないんだ、と教えてくれる。
あと、低予算映画で重要なのは、主人公の肉体だよな。演技はうまくなくていいから、せめていい体してないと。そういう意味では主人公をプロレスラーが演じてるこの映画はとてもいい。長すぎるプロレスシーンも好きだ(16分もひたすら殴りあって投げ合ってる)。途中からものすごく笑顔で見ていた。まだやんのかよ、と。俺も体鍛えとこ。
私にとって良い小説の多くは小説が書きたくなる小説だが、同じように映画が撮りたくなる映画というものがある。幼児虐待の被害者が長じて加害者になることが多いこととだいたい同じだと思っとけば良い(絶対に違う)。
この映画はまさにそんな映画だ。ああ、映画撮りてえなあ。
あ、あとジム・ダンフォースがSFXで参加してるんだ。へえ。

8月8日はBBの日らしいから、切り抜いてみた。

AviUtlとGIMPの練習も兼ねて。初BB素材なだけでなく、そもそも初MADである。
素材は最近ずっとハマっている『スティーブン・ユニバース』。

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