聞け、ゾンビー。俺を信じろ。
 巨大なテレビが無言で叫び、画面が静かに輝き出す。
 映されたのは街角。オフィス街。職場に向かってあてどもなく歩くスーツ達。
 その一人を声が呼び止める。
 「はい?」
 振り返る特徴のない顔をカメラが写す。
 「感情ですか?」
 男は画面の外の声に答える。
 「まあ、生きてるといろいろありますよね。普段はコントロールしてますが。むずかしいときもありますね」
 カット。数秒後の男。
 「楽しむですか? あんまり楽しんでる余裕はありませんね」
 さらにカット。男の手に何かが渡されている。端子の着いた棒状のもの。
 「新しい感情? へえ、どんなものでしょうか」
 それを男が首の後ろにそれを押し当てる。髪に隠れた部分に差込口が僅かに見える。
 「あ、なんですかこれ? あっ、なるほどお」
 男が自分の内側に感覚を済ますように少し視線を躍らせる。
 「これはぁ。ああ、これはいい。これは悪くないです」
 「人間の感情を徹底的に分析し、ついに自然界が実現しなかった可能性を見つけ出しました。20種類の感情を煮詰めて煮詰めて、濃厚な感情に。それが我々が開発した『新しい感情』。これまで誰も感じたこと無い、完全にアップツーデートな経験をしてみませんか。お試しください」
 落ち着いたナレーションがテレビの前に語りかける。
 「無料ですか? 一つだけ……? あ二箱! 二箱! 十日分」
 「無料、約五日分のお試しセットをもう一つプラス。無料二セット、十日分をはじめての方に差し上げています。お申込みは……」
 こうして、新しい感情が野に放たれた。それは燎原の火のように瞬く間に広がった。大々的なキャンペーンが打たれ、著名人たちがその感情を嗜んていることをアピールし、未だ名付けられぬ感情の名前が募集された。
 しかし、結局その感情に名前がつけられることはなかった。中毒性や毒性等の危険性が指摘され、すぐさま回収されてしまったのだ。
 これで終わったのだろうか。いや、何かが本当の意味で終わることなど無い。この世界では。
 厳重な暗号化とコピーガードは悪意と善意の入り混じった名無しの集合知によって突破された。それは地下に潜って伏流水となり、表の世界を支配し始めた。名もなき感情が闇取引され、中毒者は常時耽溺し順次廃人と化す。何人ものスポーツ選手や歌手が違法な感情の摂取で逮捕された。不自然な感情、人工的な感情、合成された感情を抱いていないかどうかを見張る心理警察が人々の行動や表情や身振り手振りを徹底的に監視しはじめた。女児向けアニメで描写された恋愛感情が、じつは人口合成恋愛感情であったのではないかとスキャンダルが起き、大規模なバッシングが起こった。真相は未だわからない。
 粗雑な複製を繰り返し、少しずつ歪み、ひずみ、狂っていくその感情は、もう感情とも言い難く、感情の怪物としか言いようがなく、かつて感情であった名付け得ぬそれは、今日もダークネットを駆け巡る。