けんさく。

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いろんな仕事

あの木材

知り合いの箱屋さんの社長(ものを輸送するときに入れる箱を作る仕事)と話をしてたら、東北東日本大震災で本来の仕事が激減して、生き残るために多角経営しなくてはいけなくて忙しい、という話を聞いたので、どんなことをやっているのか、と聞いたら、ヴィレッジヴァンガードに木材を入れる仕事とのこと。ああ、あの木材はあなたが! と思って、適当な木材でもいいから安上がりですね、と思わず言ったら、そんなことはない、ちゃんとしたものを入れてる、と言われてしまう。だって、あんなのただの雰囲気作りですやん。なんか店に頼まれてハロウィンの棺桶を作ったこともあるんだって。世の中、いろんな仕事があるんだね。

評論家になろう

評論家になるには、どうすればいいんだろうか?

世の中には、いろいろな仕事があるが、大きく二つのグループに分けられる気がする。ひとつは、普通の仕事で、税理士や翻訳家やシステムエンジニアがこれに含まれる。そして、もうひとつのグループは、それ以外の仕事、例えば、占い師やさお竹屋などからなり、それらは、その職に就くための道筋、つまりキャリアパスが見えにくいという特徴がある。評論家という職種は、わたしにとっては、極めてこの二つ目のグループに近い職種のように思われる。

さて、ここに一人の画家がいたとしよう。名前を勇作といって、まさに絵に描いたような画家である。彼の画家としての活動を開始して間もない初期の作品は、モンドリアンだかエイドリアンだかの影響だろうか、絵というより図形と呼びたくなるような、極限まで無駄を取り除いた大変にシンプルな構成のものが多かった。ある芸術祭で、勇作は真っ白なキャンパスにタテとヨコの直線を合計十数本引いたものを作品として提出した。この作品は、それを見た人々の意識の中に、その作品が持つ情報よりも遥かに複雑な何かを残すようだった。まず、「無題」というタイトルのその作品を見た人々は、タイトルの下にある勇作の名前を確認した。何人かは、その無名な勇作という画家の作品に、必要以上に興味を持つことを億劫に感じ、その場をあとにする。しかし、そうもできない者もいる。例えば、勇作に招待された彼の高校時代の友人たち。学生のころ、社交的で、しかし少しとっつきにくい所もあった、懐かしい旧友からの誘い。画家の友達という、なんだか少しエキサイティングな味付けを、自分の生活に与えてくれそうな人物からの誘いに、軽い気持ちでやってきた仲間たちは、その十数本の直線からなる恐ろしくとっつきにくい作品を前にして、自分に課された責務の困難さを初めて認識した。「うまいね」とでも言えばいいのだろうか?仮に「うまいね」といって、うまくいったとしよう。すると、次に待っているのは「感想ノート」である。感想ノートとは、作品を見た人がその感想を書くノートのことだ。とくに、出品者に招待された者たちにとって、これは出席簿と同様の役割も持つ。葬式のように、香典だけ渡せばそれでよし、というわけにはいかないのだ。こうして、哀れな友人たちは、かわいくもなく、賢くもなく、素直でも静かでもない知り合いの子供を褒めちぎるのと似た苦しみを経験し、その無味乾燥な直線群を記憶に刻印することとなったのである。しかし、彼らは「無題」に対して、何らかの良い印象を受けたということを勇作に示すことさえできればそれで許されるわけで、ある意味楽なのかもしれない。彼の作品に、本当に頭を悩ませることになるのは、批評家、評論家であろう。

その後、勇作は徐々にその作風を変化させながら、絵を描き続けた。決して高く評価されることはなかったが、その奇抜な作品のためか、彼の社交性のなせる業か、だんだんと勇作の知名度は上がっていった。ひっそりとではあったが、勇作の作品が、わりと有名な雑誌に小さくとりあげられることもあり、そこに記事を載せている評論家は、彼を完全に無視するわけにもいかなくなってきた。で、あなたがその評論家だったとしよう。あなたは、どのような立場をとるべきだろうか?それには、やはり勇作の作品群を眺めてみる必要があるだろう。彼の作品だが、その初期に見られた完全なる抽象性は失われてきていた。そのかわり、人や家といった具体的な対象が描かれるようになってきていた。とはいえ、それらは、おぼろげに人か、あるいは馬か何かであることが分かる、というレベルで、どちらかというと子供の描く絵に近かった。では、勇作をインチキ画家として一蹴すればよい、というのは浅はかな考え方である。もし、他の、自分よりもっとえらい評論家の言で勇作が天才であるということになったらどうするのか。そうなったら、あなたの評論家としての評価は地の底である。もうだめだ。それでは、えらい先生方より先に「天才である」といっておこうか。そういえば、最近の勇作の作品は、一見、子供の描いた絵のようだが、人物の表情など、どことなくピカソ的なものを感じる。なんとも、天才らしい。いや、天才だ。もし、この時代の大海原に沈みかけた偉大なる才能を引き上げることに成功すれば、世間はその惜しみない賞賛の一部を、あなたにも送ることになるだろう。でも、そんなにうまくいくだろうか?勇作が天才じゃなかったら?

ところで、シュレーディンガーの猫という話がある。特殊な仕掛けの施された箱に猫が一匹入っている。この箱の仕掛けに向かってレーザーを打ち込むと、ある高尚な理由で、二つの量子状態が現れる。ひとつでは猫はそのままの様子で生き続けるが、別の場合にはその猫は毒にあたって死んでしまう。重要なのは、仮に箱の中の情報が全く外に漏れないようになっていれば、これらの状態のうち、どちらが実現しているか、箱を開けるまで外の人間には決して分からないということだ。勇作は天才なんだろうか。下手に高く評価して、箱を開けたら天才どころかアレでした、なんてことになったら大変だ。結局、勇作にでたらめな評価を与えたあなたは、評論家仲間にこっぴどくやられることになる。それなら、一生、箱なんか開かない方がいい。時々、死んでから評価される画家なんていうのがいるが、こういうところに理由があるんではなかろうか。つまり、死んでしまえばもはや、あとから箱が開いてやっぱりアレでした、などという心配もないのだ。

しかし、勇作が死んでから評価するのでは遅い。あなたには、評論家のライバルたちがたくさんいることを忘れてはいけない。事を起こすには早いほうがいいのだ。批評も二番煎じでは味が落ちる。すでに、評価の定まったものをあれこれ言っても仕方が無いではないか。

それじゃあ、結局どうすればいいんだ?あなたが、いかに難しい選択をせまられているか分かっただろうか。これは、一本の杉から放出された種子が最初にしなければいけない選択に似ている。あなたが、これら無数の種子のひとつだったとして、いったいどこに落っこちれば、このキビシイ競争社会を生き抜いていけるだろう。多くの兄弟たちは、自分の生まれたウッソウと茂る杉林に根を下ろそうとする。あなたは、この同輩たちに、決してつられることがあってはならない。なぜなら、そこは太陽の光が届かない、そしてライバルのやたらとひしめく最悪の場所だからである。そこで、少し足を伸ばして、林の外に目を向けてみよう。そこには、広大な草原が広がっているかもしれない。そんなところならば、太陽の光も土地も独占できるじゃないか。しかし、悪いこともある。もし、周りがこの先ずうっと草原だったらどうするんだ。全く風除けのないところで、あなたは永遠に風雨にさらされ続けることになる。疲れて死んでしまうかもしれない。最も望ましいのは、林が生まれ始めているところに早めに落っこちることだ。最初は、光と栄養を独占し、後には周りに成長した後輩たちによって、風雨から守られる。そういう評論家にあなたはなりたいだろう。それには、注目を集め始めそうな画家を見つけて、思いっきり持ち上げてみることだ。

では、勇作はあなたに何を与えるか?箱の中には、何が隠されているのか?評論家は、自分の人生を勇作の天才にかけることにした。あなたは、あなたの人生を覆い隠す大きな箱を開けたのだ。そこに何があったか?もう少し勇作の先の人生を追っていく必要がありそうだ。雑誌に大々的に取り上げられ注目を浴びた勇作は、ますます意欲的に大作を世に送り出していった。と、次第に彼の作品から、初期に見られた抽象性が消えていった。勇作を高く評価していた者の中には、この変化に少し困惑する者もいた。それでも、この大家の試行錯誤から生まれくるであろう新たな境地への期待のほうが上回っていた。ある時、勇作は非常に印象的な作品を描いた。部屋の中にベッドやタンスや机といった家具が不思議なバランスで置かれている。一つ一つの家具は力強い線ではっきりと描かれているが、部屋の奥に置かれたタンスと、手前のベッドの大きさの比率や、机とベッドの面が斜めに交わる角度が微妙な違和感を感じさせ、作品に非現実的な雰囲気を与えているようだ。この超現実的な世界観と、机の上にぽつんと置かれた小さい箱が、見る者の好奇心をそそる。勇作はこれに「習作」というタイトルを付け、この作品には大切な何かが欠けているとコメントした。そして、次の作品では、なんとしてもその「欠けているもの」を見つけ出し、「習作」で描こうとしたモチーフを完成させたいと言った。この勇作の思いは間もなく「ポートレイト」という作品で実を結ぶことになる。「ポートレイト」は「習作」に似ていた。しかし、「習作」に見られた違和感や非現実的な雰囲気は、すでに姿を消している。部屋の中のベッド、タンス、机は整然と配置され、勇作独特の素朴な画風は残しつつも、遠近の物体の自然なバランスが実現されている。そして、机の上の小さな箱は取り除かれ、代わりにかわいい盆栽が描かれていた。このファンの待ち望んだ大作について勇作は、ある雑誌の編集者の取材に答えて説明し、同時にあることを証明した。それによると、勇作は「遠近法」を発明したそうである。「習作」の家具のバランスがどうも悪いと感じていた勇作はあることに気が付いた。つまり、どうも人間の目には遠くにあるものほど小さく見えるらしいのである。元来、対象物を忠実にキャンバスに写し取ることだけを目的にやってきた彼にとってこれは重要な発見だった。早速、この新しい画法を取り入れて、これまでに無いほどリアルな絵を描くことに成功したのが、まさに「ポートレイト」だったのである。この瞬間、勇作の周りを囲っていた箱が開き、彼に人生を託した評論家は一生世間や評論家仲間からの侮蔑と冷笑という雨風にさらされて生きていくことが決定した。

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