けんさく。

けんさく。が、いろいろ趣味のことをやるページです。

物理

『恐竜惑星』『ジーンダイバー』に90年代半ばの複雑系ブームを見る

『恐竜惑星』や『ジーンダイバー』を見ていて思ったことを、少々(とか言って、少々じゃなくなったけど)。
恐竜惑星 DVD-BOX恐竜惑星 DVD-BOX
出演:柴田由美子
販売元:アミューズ・ビデオ
(2003-06-27)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
ジーンダイバー DVD-BOXジーンダイバー DVD-BOX
出演:白石文子
販売元:アミューズソフト販売
(2003-12-26)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

この「ヴァーチャル三部作」は金子隆一のSF設定により、実に細部にこだわった作品に仕上がっていて、直接説明していない部分にも、面白いSFガジェットが溢れていたりする。
その一つに「フラクタライズ・エラー」という言葉がある。
それについて一席述べて見よう。

これらの作品はどれも、単なるシミュレーションに過ぎないはずのヴァーチャル世界が現実に影響を与えるという、基本骨格を持っている。

『恐竜惑星』においては、
情報密度がある特定の値を超えたところで、あたかもブラックホールのように情報空間の最高密度の領域で「縮退」の過程が起こり、この空間にアクセスできる他の平行宇宙へのワームホールが開いたのである。人間が、自分たちの地球の歴史の完全な再現シミュレーターとして作った世界は、いつの間にか、平行世界からもコンタクト可能な多元宇宙の交差点と化していたのだ。

『恐竜惑星』DVD一巻 特典 「恐竜惑星の世界 初期設定」より
としている。
これは、量子力学の解釈の一つ、「エヴェレットの多世界解釈」から来ている。それによると、この宇宙はいくつもの世界の重ね合わせで出来ていて、観測によってそれらの世界の一つが選ばれる。
それで、本来は分岐したまま、出会わなかったはずの、恐竜が絶滅して人類が進化した世界と、恐竜が絶滅せずに恐竜人類に進化した世界が、ヴァーチャル世界において、もう一度重なってしまったのだ。
そして、さらにヴァーチャル世界において起こったことが、その様々な世界に影響を与えることになる。例えばヴァーチャル世界で、哺乳類を滅ぼせば、人類は消えてしまう。
物語の後半では、「絶対的な観察者」=「宇宙の眼」を作ることにより、世界の分岐の中から好きな世界だけを選んで、他の世界を消そうとする敵が現れる、というストーリーになる。
なんだか、この部分は、「観測されなかった世界は、消えるのか、それとも分岐するだけなのか?」という矛盾する考え方の両方をとっているようで少し破綻してるし、観測者がどの世界を観測するのかを選べるのか? という部分に疑問が残るが、まあ細かすぎる突っ込みはやめておこう。

『ジーンダイバー』においては、そこら辺の理屈はあまり追及されずに、とにかくエラーによって情報量が爆発的に増え、それによって、シミュレーションが現実に影響を与えかねない、という話になっていた。
そこら辺は前作で追及したから、もう良い、ということだろう。むしろ、『ジーンダイバー』はそのエラーがなぜ、誰の手によって起こされたか、が追求される。
『恐竜惑星』では、エラーの理由は、単に「一度始まったシミュレーションは人の手を離れ、止まらなくなる」くらいの理由付けしかされていない。

共通する部分は、情報量がある臨界を越えると、シミュレーションが単なるシミュレーションではなくなって、現実に影響を与える、というところだ。
これはいわゆる「相転移」というやつで、ここには当時(1990年代中盤ごろ)ブームになっていた、複雑系の考え方の影響があるのだろう。
水の分子一つ一つの運動は、それほど複雑ではなく、予想もしやすい。
そして水の分子の運動は、0℃以下でも100℃以上でも、何の変化もない。
しかし、水の集団は、0℃以下になると凍り、100℃以上になると沸騰する(これを「相転移」と呼ぶ)。
統計的集団は、一つ一つの物からは予想もつかない現象を起こす。
そして相転移の中には、一見何の秩序もなかった集団に突然、秩序が生まれるようなものもある。
それはもちろん神秘的な何かがあるのではなく、単純な現象が大量に積み重なると、我々がその単純さから想像できる範囲を越えた現象が起こるのでびっくりするだけだ。
そしてそれを特に扱おうとする科学が「複雑系」だ。
例えば、「カオス」と呼ばれる現象では、地球の気候や、肉食動物と草食動物の個体数の変化など、比較的単純なルールに従う系が、予想外に複雑なふるまいをして、事実上予想不可能になってしまうことを扱う。
我々は単純な原因からは単純な結果しか出てこないと思いがちだが、それらが多量に集まると、まったく異なる様相を呈すことがあるのだ。
昔は、割と「単純な原因から単純な結果が出る」ものだけを扱っていたのだが、「複雑系」以降は、それじゃダメだ、ということになっていったのだ。
両作品の根底にある、「情報量が臨界を越えると、相転移を起こす」、「既知の物を大量に集めると、未知な現象が起こり得、そこでは技術的な予想可能性を抱えてしまう」などの考え方にはやはり、「複雑系」や「カオス」の考え方の影響が強い、と思われる

そして、その情報の増え方にも、当時のブームの影響がある。
『恐竜惑星』においては、コンピュータは「自己畳み込み型のホロ・フラクタル・メモリー・ユニットを大量に使用する史上初の実用機」とされている。
また、ジーンダイバーにおいて、情報が爆発的に増えたのは「コンピュータの暴走によるフラクタライズ・エラー」によって、ということになっている。
「自己畳み込み」とか「フラクタル」とかなんであろうか。
次のコッホ曲線が分かりやすいであろう。
Koch_curve_(L-system_construction)
この、「自分と同じ図形を自分の中に埋め込んでいく」ことが「自己畳み込み」であろう。
これを無限に行った図形は「自分の内部と相似な図形」=「フラクタル図形」となる(それを「コッホ曲線」と呼ぶ。「2次元の図形は長さを2倍すると全体の量が4倍になり、3次元の図形は長さを2倍にすると全体の量が8倍になる」という意味での次元〈ハウスドルフ次元orフラクタル次元〉を考えると、この図形は長さを3倍にすると全体の量が4倍になるので、この図形の次元はになる)

もともとは複雑な海岸線の長さを調べていくと、細かく見れば細かくみるほど細かい入り江の部分が加算され、長さが長くなっていき、事実上無限の長さを持つことになってしまうことから発見された概念である。上のコッホ曲線も、もしあの操作を無限回すれば、無限の長さを持つことになる。
海岸線以外にも、自然界の様々なもの、例えば、木(木、枝、葉脈、と自己相似になっている)、雲、雪の結晶、小腸の内壁、などがフラクタルになっている。
人体も、全ての細胞に、人体の設計図が入っているから、フラクタル的ではある。
この時代、複雑系ブーム、カオスブームの文脈から、フラクタルも大いに人口に膾炙したものなのだ。

『恐竜惑星』のコンピュータにおいては、この「自己畳み込み」は最初から備わっている機能で、それによって、どんどん情報量を増やし、いつの間にか人間の手を離れて行ってしまったのだ。
対して『ジーンダイバー』においては、「黒幕」の存在を窺わせるために、この「自己畳み込み」は普段は起きておらず、エラーによって起きたことにしてある。そのエラーが誰によって起こされたかが、物語の要点になるのだ。

ここでまた、細かい突っ込みをすると、フラクタルは自分と同じものを自分の中にたたみこむだけなんだから、実は情報量は増えない。
自分と違うものが中に入っていた方が、当然情報量は増える。
フラクタルというものは、一見複雑そうなものが、単純なルールからできることの例で、見かけほど情報量が多くないのだ。

実は数学者側からの理解では「フラクタル」は、
「今までは自然界にめったにないような単純なものしか扱えなかったけど、自然界に溢れるこんな一見複雑そうな図形も、実は単純なルールで出来ているから、かなり数学的に扱える」
という認識だったのだ。
ただ、大雑把な世間の需要の仕方は、「こんな変なものがある」程度で、それで科学の扱える範囲がまた広がった、という認識はなかったような気がする。

そして複雑系やカオス理論においては、そのギャップがますます大きかったようだ。
カ オス理論もまた、一見でたらめなものが、実は単純なルールに従っていることがあり、また逆にいえば、単純なルールに従っているにもかかわらず予想不可能な 振るまいをするものがある、という理論だった。
だからやはり、「今まで数学で扱えなかった複雑だったり予想不可能だったりする現象が数学で扱えるようになった(し、扱わなくてはいけない)」という考え方だった筈なのだが、この時期のヒット映画『ジュラシックパーク』をはじめ、おおむね勘違いされ、「世の中、科学じゃ分かんないことだらけよ」みたいな認識だったような覚えがある。
なんで、「科学に限界がある」ってことがそんなに嬉しいのだろうか。
科学じゃ分かんないことだらけなのは、科学をちゃんとやってれば誰だって知ってなきゃいけない話で、それでも少しずつ科学で分かることが増えることが大事なのに。(もちろん、カオスや複雑系に「科学による予想の限界」を明らかにした、という側面がなかったわけではない。しかし、科学の中でその限界の理由が分かったのは、大きな進展で、どこまで予想できるか、予想できないなりにどう対処すべきかを考えるのにますます科学に頼らなくてはいけなくなって、ますます科学は偉くなったともいえるのだ)

そう考えると、『恐竜惑星』も『ジーンダイバー』も、「フラクタル」に関しては、そういう通俗理解をなぞってる側面が無きにしも非ずだけど、でもそうしないと物語として面白くなりそうにないんだから、別に私は非難する気はないんである。
SFが通俗科学なのは当たり前。SFの目的は、科学を面白く誤用することなのである!
その点で『恐竜惑星』も『ジーンダイバー』も実に偉い。
さらに、「カオス」や「複雑系」に対しては、単なるカッコよさだけの「バズワード」としてだけ使ってる作品も多かったなかで、直接は言及せずに、分かる人にだけ分かる形に世界観に織り込むのはさすがである。
そしてそれが、科学の発展が人類の未来に必然的に持ちこむであろう予測不可能性に、正しく警鐘を鳴らしている、と言ったら褒めすぎであろうか。

マイリトルポニーの世界観 おまけ 科学的なのか非科学的なのかよお分からん

ここまで、マイリトルポニーのファンタジー的な世界観について集中的に考えてみたが、かと思えばマイリトルポニーの世界観は妙に科学的だったりするところがあって、面白い。

そんなエピソードを集めてみた。

『Feeling Pinkie Keen』

そこまで意地にならなくっても、とも思うが、私も教条的な科学主義者なので、気持ちは分かる。
そしてあまり魔法的でなさそうな実験装置があったりと、この世界の技術水準はよく分からん。

『Owls Well That Ends Well』

妙に正確な彗星の描写。
しかも普通の人には、なんでここで彗星の話してるのかよく分からないと思う。
「流星群」という現象は、周期彗星が通った後の「ダストトレイル」が地球の軌道と交わっているときに起きる現象である。
だから、「流星群」には「流星物質」を放出する「母天体」がある(「母彗星」ということも)。
例えば、有名な「しし座流星群」の母天体が「テンぺル・タットル彗星」だとかは、天文好きには常識だよね(高校生の時、これがクイズに出て正解した思い出がある)。
なお、『アストロ球団』の「ジャコビニ流星打法」(私的にはこれが元ネタの『トップをねらえ!』の「ジャコビニ流星アタック」のほうが印象深いが)の名前の由来の「ジャコビニ流星群」は、母天体が「ジャコビニ彗星」(現在は「ジャコビニ・ツィナー彗星」。「ジャコビニ彗星」は別の彗星の名になった)だからこの名が付いているが、国際天文学連合が、流星群の名に彗星の名を使わないことを決定したので、今は「十月りゅう座流星群」と呼ばれている。

『The Mysterious Mare Do Well』

ダムあんのかよ!
まあ、確かに電気使ってるなあ、とは思ってたけど。
しかしシーズン1では馬が引かないと、汽車も満足に走らせられなかった文明レベルだとは思えない。このダムも、あの最新式の汽車と同様に、シーズン1とシーズン2の間に作られたのであろうか。トワイライトがいるだけで、公共事業の呼び水になるなんてすごいな。
それにしても脆いダムだ。『シンプソンズ』を思い出す。

『It's About Time』

またもダム登場。そして相変わらずボロボロだが、問題はそこじゃない。
14:25付近の黒板に書いてある式は











黒板の左側にある式はさすがに分からない。
おそらくこれはwikipedia英語版の「時間の遅れ」のページにある式をまる写しにしたのではなかろうか。
ただ最後の式は(おそらく演出の都合上だが)間違っていて正確には、


      

である。
軽く解説するとこれは、定加速している物体の時間がどう遅れていくかを、特殊相対論を使って記述している。
が観測者の時間でがその時間の物体の位置、がその時間の物体の速度を表している。物体は軸方向に真っすぐ移動し、時間が0のとき、位置も0、速度はとしている。
そしてこの物体が、毎秒加速しながら、宇宙を突っ走るのである
最初の式はいわゆる「ローレンツ因子」と呼ばれるもので、は光速である。
もし速度が一定の場合は、動いている物体の時間は、止まっている観測者から見ると、この因子倍だけ遅く進むように見える。
ここではスタートの瞬間におけるローレンツ因子をで表しているのである。
物体が高速で移動している時は、時間が遅れると同時に「なにが同時であるか」にもズレが出てしまう(「同時刻の相対性」)。
このような時間を「固有時」と呼び、で表している。そして、動いている物体の固有時を止まっている観測者の時間から求める計算を「ローレンツ変換」と呼ぶ。
同様に、空間の長さも「ローレンツ変換」を受ける。
先ほど、この物体は一定の加速度を持つと言ったが、このような設定においては、ある時点での物体の位置や速度はそんなに簡単ではなくなってくる。
とりあえずやるべきなのは、ニュートン方程式をローレンツ変換することである。ニュートン方程式は、ニュートン力学のガリレオ変換(普通の速度の合成)では不変だが、特殊相対性理論だと座標系によって変わってしまう。その詳細は省くが、その方程式を解くと、速度を表す三つめの式が出る。
(直観的に分かりやすいけど実は間違っているこの式の読み方は、ローレンツ変換した初速だけ加速して、その速度でもう一度ローレンツ変換したもの、というものだ。直観的には分かりやすいが、なぜそこで出てくる時間がなのか、などの疑問が解決できないので、本当の理解はニュートン方程式をローレンツ変換すべき。では、なぜこの間違った読み方ができるかは、よく分からない)
順番が入れ替わったが、第2の式は、物体の位置を表していて、これは第3の式を積分することで出る。
そして一番重要なのが固有時を表す第4の式。これは、時の固有時の時刻に(「同時刻の相対性」よりこれは0にならない)、時間の遅れ方を表すローレンツ因子を積分したものだ。これは速度が速くなると時間の遅れも大きくなることを表している。その時間の遅れ方をすべて足したものが、その瞬間の物体の固有時になる。

まあ、いろいろ説明したけど、結局言ってることは、速ければ速いほど、時間は遅れていく、ということ。
こんな式を書いていたということは、トワイライトは一体どんな方法で時間を止めようとしていたことやら……

なお、加速している物体を扱うのは「一般相対性理論」ではないのか、と思われた方。するどい!
でも実はここでは一般相対性理論は必要ない。なぜならここでは、終始一貫して加速もしていないし重力も掛かっていない系から観測しているから。
ここで加速している物体にいる観測者が自分を止まっていると信じて、今回の観測者を逆に観測し、その時間の流れを計測したとすると、その記述には一般相対性理論が必要になる。なぜなら彼には、加速による慣性力が掛かっており、それは時空の歪みによって生ずる「重力」と区別がつかないものだからである。つまり彼から見ると、時空が歪んで見えるのである。特殊相対性理論ではこれは扱えない。
そして、子のようにすれば、「双子のパラドクス」も解消される。加速する系から見ると、止まっている観測者の時間は早くすぎていくように見える(情報の流れの速さを考えなくちゃいけないので複雑だが)。

最後に。
非常に気になってるのが、ポニーヴィルの学校の黒板に書いてある謎の数式だ。
なんか意味あるのかね。

(コメントで量子力学と書いている人もいるが、具体的にどんな公式なのかよく分からない)

トワイライトの入学試験の黒板にもなぜか書いてある。


追記:今回初めてTeXをブログで表示することに成功した。記念すべき記事と言えよう。

自然は真空を嫌う

子どもに科学実験をしていると、アリストテレス自然学が人間にとって「自然な考え方」なんだな、と思える瞬間に多く立ち会う。

例えば、ペットボトルの側面に熱した釘で小さな穴を開けて、水を一杯に入れて蓋を締める。すると穴が開いているのに、水は落ちない。
この理由を子どもに問うと、中学生で圧力の授業をすでに受けた子でも、多く
「これで水が出ちゃうと真空が出てくるから」
というアリストテレス風の「自然は真空を嫌う」という方針で説明しようとする。
実際、液体が水で、穴が一つだけだと、これを否定するためには、穴の上に十メートル近くの水の入れ物の柱を立てなくてはいけない。すると穴における水圧が気圧を上回り、水が流れ出て、容器の上部に真空が出来る。(マグデブルクの市長であり、発明家・科学者のゲーリケはこれをやって、天気の良しあしと水面の高さに関係があることを発見していたらしい。彼は理解できなかったが、後から考えればこれは気圧と天気の関係の発見である)。

手軽にこのアリストテレス自然学に疑問符をつけるためには、一個目の穴と同じ高さに二個目穴を開ければいい。これでもやはり水は落ちない。
しかし穴の高さが違うと、上の穴から空気が入り、下の穴から水が出る。同じ高さに穴をあけた場合でも、傾ければ同じことが起きる。
それどころか、ペットボトルに水平に切れ目を入れて、上部をへこませて、下部をまるでバルコニーのように飛びださせても、端が水平なら決して水は落ちない。しかし、切れ目が斜めになっていると、やはり下の方から水が流れ出て、上から空気が入ってしまう。
パスカル以降の圧力の物理学ではこれは、
「下の穴には水圧と、上の穴にかかった気圧の両方がかかるので、気圧よりも強い圧力が外に向かってかかる。よって、それを抑えようとする気圧に打ち勝って外に水が流れ出る」
と説明される。
もちろん、学説と言うものは一つの疑問符では揺るいだりはしない。アリストテレスにこの実験を見せたら、
「同じ高さの穴では、どちらが水の出る穴で、どちらが空気の入る穴かを、自然が決めかねるので、膠着状態になって、なにも起きないのではないか」
と言うかもしれない。
そして圧力による説明と、アリストテレス自然学の説明の間には想像以上に深い溝がある。
それは「質による説明」と「量による説明」だ。
アリストテレス自然学はあくまでも質による説明で、「自然はこういう性質を持つからだ」と言う。だから、言葉の解釈で、微調整がしやすい。
しかし近代物理はあくまでも、量である「圧力」のどちらが大きいかによって説明する。もちろん式をいじって微調整することはできるが、融通の効かない部分がある。

もちろん歴史において、勝利したのは後者だ。様々な真空現象の発見により、アリストテレス自然学の中心学説であった「真空恐怖」が否定されてしまい、「真空恐怖」に頼らずに、普段の空間に真空が見当たらないのを説明することが圧力説にはできるからだ。

しかし、それにもかかわらず、子ども、いやそれだけでなく大人も、やはり精神の深いところでアリストテレス的考え方を捨てていない。
人間にとって自然なのは「質による説明」で、「量による説明」は多くの人間にとって窮屈でなじめないものらしいのだ。

ラトルバック 不思議な「セルト石」

ラトルバックとは、回転に非対称性がある不思議な物体である。次の動画を見てほしい。

ある方向に回転させると、振動が起きて、次第に回転が弱くなり、ついには止まる。そしてすると振動が弱くなりはじめるとともに、何と逆回転が始まるのだ。
ちなみに、回転させずに振動させると、やはり振動が弱まりながら回転が始まる。
これはなんだか力学の法則である「角運動量の保存則」に反しているようで気持ちが悪い。
どうして、こんなことが起きるのだろうか?

実はこのラトルバック、別名「celt」「celtic stone」「セルト石」などと呼ばれているものは、割と簡単に作れる。私が以前つくったのは、ステンレス石鹸
[REDECKER/レデッカー]ステンレスソープ(におい落とし)[REDECKER/レデッカー]ステンレスソープ(におい落とし)
販売元:REDECKER/レデッカー

販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
に鉛筆を少し斜めに、かつ片方が長くはみ出すように張り付けたものだ。これだと、片方に回すと縦揺れが激しくなって逆回転、もう片方だと横揺れが激しくなって逆回転と、両方で逆回転が起きる。
youtubeを見ていたら、もっと楽そうなのも見つけた。スプーンを折り曲げるのだ。

何回も往復する

こんなのも見つけた。


さて、この非常に不思議な現象であるが、調べてみたところ、すでに微分方程式によってほぼ完全に解かれてしまっているようだ(独楽は解析力学の王道だしね)
現時点で最新の論文
Celt reversals: a prototype of chyral dynamics
を書いたのは、ケンブリッジ大学のH.K.Moffat氏と同じくケンブリッジ大学の時枝正氏。
ちなみに時枝氏は、「専門は流体力学、シンプレクティク幾何、おもちゃなど」とあるように、独楽を始めとした、おもちゃのコレクターらしく、部屋中がそういうものに埋まっていると聞く。
去年には本も出た。
おもちゃの科学セレクション[第一巻]おもちゃの科学セレクション[第一巻]
著者:戸田 盛和
販売元:日本評論社
(2011-11-15)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

ところで「celt」=「セルト」という言葉であるが、これもなんだか不思議な感じがする。
Celt」というスペルは最近では「ケルト」と発音されることが多いように、カエサルが征服したガリアや、アングロ・サクソンが入ってくる前のブリテン島にいたケルト人を通常、意味する。もともとは「ケルト」に近かったのが次第になまって、「セルト」になり、「ケルト復興運動」とともに、「ケルト」と発音されることが多くなった。でもサッカーチームの名前とかは相変わらず「セルティック」である。
それと、この「celt」はどういう関係にあるのであろうか。
実は上記の論文にも書いてあるが、実はこれはもともと間違いから出来た言葉なのだ。
もともとはヴルガータ聖書の1592年のSixto-Clementine版の『ヨブ記』で、「certe」(=「indeed」)という部分が、「celte」とつづられてしまったことが始まりである(ラテン語ではrとlが間違われるなんてしょっちゅうである。日本人は安心していい)。そしてこれを学者が、石を削っている文脈から「古代の鏨か何か」という意味だと判断する。
そして18世紀ごろから、当時の考古学者の間で、この言葉が先史時代に発見される石斧なんかを意味するようになり、「ケルト人」の「Celt」となんか関係あるんだろうなあ、と想像されたことから、特にケルト人の遺跡から発見される石器がこの名で呼ばれるようになる。
それで、そんな石の中にある不思議な性質を持つものを「celtic stone」と呼ぶようになったのだ。
なるほど、この言葉にそんな来歴があったとは。
そして調べて見て驚いたのだが、時枝正氏の経歴を見ると、彼は数学を始める前は何と古典語を専攻していたのだ。
その彼が、この「セルト石」で論文を書くと言うのはなんだか面白い。

ところで、このラトルバックが逆回転する理由だが、上記の論文に微分方程式で説明してあって、それを見れば分かる、と言いたいところだが、そんなこと言われたら私にだって分からない。そのうちに、ある程度直観的な説明をしてみたいと思う。
とりあえず、「カイラリティ」すなわち、手のひら見たいに、鏡に映すと重ね合わせられなくなる性質が決定的に重要らしい(右手と左手は重ね合わせられない)。
そして縦揺れの原因がカイラリティで、横揺れの原因は何とコリオリ力(遠心力と同じく、回転する物体に起こる見かけの力の一種)らしい。
以前、アメリカで、このラトルバックの逆行の理由を「地球の自転のコリオリ力」だとする商品があったらしく、「そんなわけないだろ」と馬鹿にされたが、まさかこんな形でコリオリ力が復活するとは(もちろん地球の自転のコリオリ力は関係ありません)。

上記の論文では、まず石と台の間が、「滑らない」という条件で計算し、そのあとに「滑り」を計算に入れる。
「滑らない」という条件は、「エネルギーが保存される」ということを意味する。
滑らなければ、接地している点の速度は0である。それなら、どんなに横方向の摩擦力が掛かっても、その瞬間の仕事=力×距離は0である。よって仕事をしなければ、エネルギーは減らない。
これは、足で地面を蹴って前へ進むことを想像すればいい。滑らなければ、その瞬間、足の裏は止まっており、エネルギーのロスはない。
なので、その状態で方程式を解くと、何回でも往復運動を繰り返す、止まらない独楽になる。
これが滑ると、横方向の摩擦力が仕事をしてしまうので、エネルギーのロスが発生してしまう。だから、何往復かしたあと止まってしまう。これが普通のラトルバックである。上のスプーン・ラトルバックのように、止まる前に何回も往復するものも作れる。
逆に摩擦がゼロだと、力がゼロなので、エネルギーのロスはないが、摩擦がなければ「角運動量の保存則」に反するので、回転が止まったり始まったりすることはあり得ない。回転させれば、同じ方向に回転し続けるし、振動もしない。
これは氷の上や、油の上で回してみれば分かる。逆回転もしないし、振動させても回転が始まることもない。
「角運動量の保存則」には、「外力がない場合」という条件があるので、摩擦がある場合には成り立たないが、それが逆回転するトルクを生むと言うのが不思議である。
(世の中には、直観的に納得しがたい、という理由で「摩擦が逆回転の原因」ということをかたくなに拒む人もいるらしい。これは「デュエム・クワインの決定不能性テーゼ」の例になるかもしれない。摩擦がないのに逆回転すれば、「角運動量の保存則」が破れてしまうし、上記の微分方程式を数値解析しても、摩擦が原因で逆回転する様子が観察されるんだから、疑う理由はほとんどない。これはクワインの「意味の全体論」の変わりやすさに「重み付け」がなされているという議論や、ラカトシュの「科学的リサーチ」の「ハードコア」の概念に対応している)

素粒子の動物園をあなたのお部屋に

異常な円高ですね。スイスみたいな無茶なことやれとは言わないが、もっと何かないのか、といつも思うことをまた思ったりしているわけですが、せっかくの円高なので、利用できるところは利用するのが正しい消費者というものでありましょう。つまり輸入です。こんなときにしか買いそうにないものをここぞとばかりに外国から買っちゃいましょう。

というわけでおススメなのがこれ、「The Particle Zoo」つまり「素粒子の動物園」です(画像にリンクが張ってあります)。
particle_splash
カワイ~~~!!!!!
なんと標準モデルの素粒子達、クオーク、レプトン、そして力を媒介するボゾン達がぬいぐるみに! しかも陽子や中性子などのハドロンまであって、これは大きめに作ってあって、中にクオークを三個と、強い力でクオークをまとめてるグルーオン入れられるという寸法。素晴らしすぎます。
もちろん反粒子たちもラインナップに入ってます。ただし買った後、粒子とその反粒子を触れさせるのは止めてください。対消滅して光子になってしまいますよ。
なななんと、おまけにヒッグス粒子などの全世界の実験物理学者達が探し求めてる理論上の粒子まで用意されている。本当にあるのか? そんな粒子。
あとSUSY素粒子、つまり超対称性粒子(super symmetric略してsusy)は普通の粒子よりも大きく重くしようと思ったんだけど、そうすると輸送とかが大変になるから、同じ大きさで作って、あとで重い詰め物をしてSUSY粒子の重さを表現するようになってるみたい。
対象年齢13歳以上。

お値段は一つ10ドル弱くらい。高いのだと一つ15ドル前後。高くはありませんね。ただ日本で買うとshippingとして一つ8ドルくらいの輸送費がかかるので、二倍弱の値段を払うと考えておきましょう。クレジット決済化でJCBも使えます。
全部の粒子のセットを買うと、210.75ドルにshipping、反粒子も入れた全粒子を買うと345ドルにshippingとなります。どうですか、この機会に。
女性はこれで将来有望な理系の男性でも落としてみたらいかがでしょうか。お部屋にこれが飾ってあれば、理系の男はテンションマックス。訊いてもいない蘊蓄を勝手に語りはじめます。
男性は女性にこれをプレゼントしてみたらどうでしょう。
「この陽子の中に、アップ・クオーク二つとダウン・クオーク一つが入ってて、アップの電荷は+2/3でダウンの電荷は-1/3だから、ちょうど陽子の電荷は+1になるんだ。あと本当は色って概念があるんだけど……」
とノンストップに語り続ければ、女性の表情がだんだんひきつったものになっていくこと間違いないでしょう。

ちなみにこれはあくまで標準モデルにおける素粒子群なので、「ニュートリノが光よりも速い」なんていう標準モデルをぶっ壊す実験結果が囁かれる中、今のうちに買っておかないと新しいモデルができて、このモデルは販売中止になっちゃうかもしれませんよ。

これが新商品「ファインマン・マグネット・セット」だ!(画像にリンクを張ってます)
Feynman_magnet_set
対象年齢は10歳以上。これを使って超英才教育だ!
Leaves of Words
記事検索
最新コメント
月別アーカイブ
プロフィール

けんさく。

QRコード
QRコード
タグクラウド
  • ライブドアブログ