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言葉/ことばあそび

「鰯の頭も信心から」の「から」とは何なのか?

検索エンジンで「鰯の頭も信心から」と入力して言葉の由来を説明しているページに行っても、この部分をしっかり書いてあることが皆無なので、筆をとった。
語源由来辞典
ウィクショナリー
教えてgoo (間違った答えしかなく、質問者もそれに納得してしまっている)

答えを知っていれば、web上に簡単に答えを見つけられる。
「鰯の頭も信心柄」で検索してみれば良い。
石川啄木の『葬列』や狩野亨吉の『安藤昌益」など錚々たる書籍での使用例が青空文庫などに転がっていることが分かるだろう。
あの「から」は「原因」や「発端」を意味する助詞ではなく、「人としてのあり方」を意味する「人柄」や、「家柄」「場所柄」などの使い方と同じように、「~としてのあり方」という意味を付加する接尾辞であったのだ。
つまりことことわざは、「鰯の頭も信心のあり方である」つまり「鰯の頭のような一見つまらないものも、それはそれで信心のあり方である。だからご利益だってあるし、きちんとしなくてはいけない」という言葉なのだ。
私はこのことを塩村耕教授の授業で知った。なので、ネット上で答えに達することができるが、先に答えを知っていないと答えに達することが出来ないのでは役に立たない。
ウェブというものは大概の問題の解答があるが、実際には多くの人の手には届かないままになっていることの例だと思う。
「鰯の頭も信心から」で検索して答えが出てくるように誰かが書かなくてはいけないので、私が書くことにしたわけだ。

もう一つこの記事を書くことにした理由は、この問題を急に思い出すきっかけがあったことだ。
というのも、とある千葉県松戸市の空撮動画を見ていたら、BGMとして流れている曲を聞いていたら、その歌ではまさに「鰯の頭も信心がら」と「から」を濁らせて歌っていたのだ。これは「から」を「柄」と捉えているからにほかならない。
その動画を載せたいところだが、こういう動画を見ているということはあまり良い趣味ではないし、正直いつ消されるか分からない動画なので、その歌の動画を代わりに載せよう。


なんでも「カラコロ」一回300万円なので、この曲一回で1億200万円損害賠償を請求されるらしい。
こわいなーとづまりすとこ 

デイヴィー・ジョーンズのロッカー

ゼラズニイの『心はつめたい墓場』を読んでいたら「デイヴィー・ジョーンズのロッカーでも踊った」という言葉があった。
ロジャー・ゼラズニイ
早川書房
1984-04

デイヴィー・ジョーンズなんてキャラクターいなかったからなんのことかなと思った。この言葉は様々な世界の名所(「チベットのスキー・ロッジからデイヴィー・ジョーンズ・ロッカーまで、軌道上ステーションでのハロウィーンからデルフィでのメーデーまで」)に行った、という独白に再登場するので、固有名詞かとも思ったがどうも違う。いろいろ調べて分かったのだが、どうやら「海底」を意味する慣用表現らしい。
デイヴィ・ジョーンズの監獄 
デイヴィ・ジョーンズとは船乗りたちが信じていた悪魔らしく、語源的には旧約聖書に出てくる巨大な魚に飲まれた聖人「ヨナ」に関係があるらしい。そういう名前のパブの店主が船乗りを酔っ払わせて売り払っていた、といううそ臭い伝説もあるとか。なるほどなるほど。
当時はインターネットもなく、おそらくさしもの浅倉久志もそのまま訳してしまったのであろうか。
しかし、今これを訳すとしたらどうだろうか。そのまま「海底」と訳すのはあまりうまくない。なぜならこの文章は、読者に少し「うん?」と思わせることが目的だろうからだ。
ゼラズニーが活躍した時は、SFがそれ以前よりも知的に、場合によっては難解になっていった時期だ。この短編小説の他の部分では、洒落た会話として、「ミクロプロソプスのイブ」だの「アダム――カドモン」だの「われわれ、堕ちた霊魂は、このマルクトでいっしょにがんばらなくちゃ」だの、カバラの用語が一切説明されずに使われている。ここは読者の知識を試しているわけで、全ての人がすんなり読めるわけではないように書かれている。
そうすると、「Davy Jones's Locker」も同様の意図があると考えていいだろう(「floating Palace of Kanayasha」という言葉は、インターネットで検索してもこの小説以外hitしなかった。さらなる研究が必要である)。
だったら、ここも日本語にするなら、ある程度知識がある人にはすんなり分かるけど、そうでない人にはピンと来ない言い回しをうまく選ぶべきではなかろうか(おそらく「デイヴィー・ジョーンズのロッカー」ではその効果は出ない。あまりに馴染みがないから。逆にカバラはそのままでいいのだ。アメリカでカバラを知っている層と、日本でカバラを知っている層はそれほど違わないだろうから)。
そこでいろいろ考えたのだが、例えば「安徳天皇の墓所」なんてどうだろうか。少し知識のある人なら、安徳天皇が壇ノ浦の戦いで海中に没したことくらい知っている。そうすれば「安徳天皇の墓所」で海底を意味することもそれほど不自然であるまい。
と思ったのだが……
安徳天皇陵墓ってあるんかい! なんでやねん! 


ちなみに『心は冷たい墓場』は未来を生み出す理系と過去を夢見る文系が時代という名の女を取り合って時を超えた神話的痴話喧嘩をする素晴らしい作品でした。 

星座と欲望

前回書いたfanficの翻訳のときに知った話。
「desire」という言葉は「欲望」を意味しているが、この「sire」の部分はもともとは「sides」で、「星」もしくは「星座」という意味だ。
「星からもたらされるものを待っている」状態からい今の意味になったらしい。
同様の語源からきている単語が「consider」で「よく考える」という意味だが、もともとは「星をよく観察する」という意味だったらしい。
事ほど左様に昔の人にとって、星「星の影響」は今よりずっと身近なものだったのだ。
「disaster」つまり「災害」を意味する単語は「悪い星」を意味していたし、「influenza」は星からの「influence 」によって起こると思われていた。
機械時計の発明は、昔は修道院の規則正しい生活のためと言われていたが、今では天体観測のために正確な時間が必要だったからの方が主流だ。というのも暦は人の運命を左右する超重要技術だったのであり、そのために数学も発展した。『ルパイヤード』で有名なオマル・ハイヤームは、本職は天文学者であり、非ユークリッド幾何学の先駆けとなる思考を残している。その影響か、今でもイランの閏年の入れ方は、公転周期の誤差を考えると無意味なほど正確を期しているとか。
ケプラーもルドルフ2世の占星術師であった。彼は魔術的なほど世界の構造的微を信じてやまなかった。惑星の軌道とプラトン多面体との関係の仮説や、公転周期と音を対応させれば惑星たちが和音を奏でている確信などについて書かれた本が残っている。そしてこれらの研究が、ニュートンの微積分の研究へと繋がっていくのだ。
天文学とは当時の実用的な科学であり、当時は今より科学と人々日常的な精神が近いところにあった。ガリレオ、ケプラー、ニュートンらによる科学の発展が占星術的な当時の人々の心に与えた影響は大きい。それが占星術を次第に実用的な学問の座から落としたのだ。
「使えることがえらい」とプラグマティストを気取った人間が気楽に言ってくれることがあるが、何が「使える」かどうかは、その人が所属する文化圏の世界観によって決まるのだ。ウィリアム・ジェイムズも『プラグマティズム』の冒頭でチェスタートンの言葉を「ある人を知りたいときに一番重要な情報は彼の世界観だ」を引いている理由だ。
昔の人の世界観が分からないと、昔の人にとって何が役に立つものだったのか見誤ってしまい、我々の世界がどこから来たのか見誤ってしまう。
今の人たちは、昔ほど「星の影響を信じてはおるまい。それでも私たちの生活を支える幾つかのものは、「星の影響」を信じる心性によって作られたのだ、歯車を組み合わせた機械や微分積分を使ったニュートン力学などだ。
たまには我々とは随分異なる昔の人の精神構造に想いを走らせ、そんな心から出てきた科学や技術が自分の故郷である精神にどれだけの影響を与えたかを想像してみるのも面白いだろう。

英語の練習に、好きなアニメの海外のfanficでも訳したらどうかと思う

理由

  1. 海外のファン活動はテキスト文化なので、英語のfanficはしこたまある

  2. プロの小説と違って文法的に簡単であることが多い(文法的に間違ってることもある。andを複数続けてたりとか)

  3. 実際に使われている単語を覚えられる(mesmerizeで「魅惑する」とか、galvanizeで「元気づける」とか、科学史的に面白い単語が割りと普通に使われててびっくりした)

  4. モチベーションを保ちやすい(面白い小説は訳すのが難しく、つまらない小説はモチベーションが上がらないが、キャラ愛のミーハー根性なら、小説がつまらないのもカバーできる)


てな感じに思うんですけど、どうでしょうか。ちなみに実践してたりします。発表する予定はないが。

見えざるトイレ差別を糾弾する

近所のインド・ネパール料理屋がそうなんだけど、それ以外にも時々コンビニとかでも、男用トイレ(もしくは男女共用トイレ)と女用トイレの施設に差があったりする。
この前行ったコンビニでは、女用トイレの個室のドアが開いてて中が見えて、便座ウォーマーは当然として、ウォシュレットも備えた現代的トイレだったのだが、いざ男性用トイレに入ると、ウォシュレットどころか便座ウォーマーすらついていなかった。
近所のインド・ネパール料理屋では、それどころか女性用はやはりフル装備だったにも関わらず、男性用は和式トイレだった。 
これは明らかな差別であり、是正すべきである。
私は世の女達の尻毛事情に詳しくはないが、男諸君の中にはdingleberry問題に悩まされている人も多いのではないかと愚考するものだ。dingleberryとは「尻毛に絡まった糞」を表す素晴らしい英語表現である。dingleという語感という、berryというきつい洒落の幸せな結婚といえよう。 
よって男にとってのウォシュレット需要は女には勝るとも劣らないのではなかろうかと想像できる。
なお、2005年に惜しくも廃駅になってしまった岐阜県にあった名鉄揖斐線の駅「尻毛」は「しっけ」と読み、隣の駅は「又丸」である。こちらも廃駅。 
とにかくムカつくなあ、もう! 
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