けんさく。

けんさく。が、いろいろ趣味のことをやるページです。

アートアニメーション

山田康雄の飄々とした歌声 『まるで世界』

『みんなのうた』の話題が続いたので、一番好きなのを紹介しておこう。

文句なしに良い。良いものは理屈なしに良い。

ただそれでは、何のための記事なのかわからないので、まあ関わっている人たちを軽く紹介して、終わりとしようか。
歌っているのは、ルパン三世の声やクリント・イーストウッドの吹き替えで有名な山田康雄。

ダーティハリー [DVD]
クリント・イーストウッド
ワーナー・ホーム・ビデオ
2000-04-21

作詞は不条理演劇で有名な、別役実(この苗字の来歴をたどると、「べっちゃく」と読むのがより古いらしい)。「づくしシリーズ」などのエッセイが大好きだ。あと彼が脚本を書いた、アニメーション映画『銀河鉄道の夜』も大傑作。


銀河鉄道の夜 [Blu-ray]
田中真弓
KADOKAWA / 角川書店
2014-05-30

作曲は池辺晋一郎。オーケストラや合唱曲やオペラなどを多数作曲し、『N響アワー』への出演とか、黒澤明作品への曲の提供とか、いろいろ華々しい経歴はあるが、個人的には『未来少年コナン』の音楽というイメージである。最初に意識したのがそこだからな。
未来少年コナン 1 [DVD]
小原乃梨子
バンダイビジュアル
2010-01-27

どこかマグリット的なシュルレアリスムの雰囲気ただようアニメーションを手がけている大井文雄は、今はCGアニメーションを制作し、ノルシュテインやラウル・エルヴェやアレクサンドル・ペトロフなどアート・アニメーション界の錚々たるメンバーが参加した、アニメーションによる連句作品『冬の日』でも独特の世界観を繰り広げている。 
連句アニメーション 冬の日 [DVD]
池辺晋一郎
紀伊國屋書店
2003-11-22

 
子供向けの作品に無駄な力を注いでくれるのは、NHKのいいところなのかもしれないなあ。 

疲れたので五分間休憩 『Take Five』


とかいって、45分この動画を見ることになる。
ジャズに5/4拍子を持ち込んだウェストコースト・ジャズの名作。カヴァー曲はこれら以外にも、しこたまある。

ロシアのアニメーション作家Ivan Maximovによるアニメーション化

DVDの『ロシアアニメーション傑作選集』に収録されていて、見つけた。
ロシア・アニメーション傑作選集 Vol.1 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント
2007-02-23



作曲者自身による続編『teke Ten』


しかし『Take 11』は最初に聞いたときは笑った。さすがFarmers Marketだ。
Speed /Balkan /Boogie
Farmer's Market
Kkv
2011-02-24

 

踊る線条、舞い飛ぶ立体 形の魔術師オスカー・フィッシンガー

前回書いた、ヴァイマール期ドイツに花開いた抽象アニメーション「絶対映画」。
その中でも特にルットマンの強い影響の下にに現れた一人の天才、それがオスカー・フィッシンガー(Oskar Ficshinger)である。
彼は、抽象アニメーションを実験ではなく、永遠に残すべき「作品」として完成させた。
抽象アニメーションというものがある、ということに知った後で、最初に覚えたのがこの名前である人も多いはずである。

オスカー・フィッシンガー(1900~1967)は、21歳という多感な時期に、当時彼が関係を持っていたフランクフルトの文学サークルを介してルットマンと出会った。彼が抽象アニメーションの世界に引き込まれたのが、ルットマンの強い影響に会ったのは間違いないが、彼は後年、ルットマンの技術自体は高く評価したが、その自分への影響を隠したがった。自分はルットマンに出会うまえから実験を始めていた、と主張していたのだ。
それが本当かどうかはともかく、その次の年ミュンヘンに移って、アニメーションの制作会社を立ち上げた。あと、彼は発明家でもあって、公害のでないガソリン・エンジンなどを売っていたほか、ワックスを次々とスライスして出た模様を撮影して、不思議なアニメーションを作る機械を発明していた。
ルットマンはこれとその商業利用権を買い取り、ロッテ・ライニガーと一緒に作っていた長編影絵アニメーション『アクメッド王子』(1926)の背景効果に使ったのだが、フィッシンガーはこれに、先を越されたと、相当悔しがったらしい。ちゃんとお金払ってるんだから何の問題もないと思うがな。
彼のアニメーション処女作は、このワックス・マシンを使った実験作である。
『Wachsexperimenten』(1926)
(単なる実験なので、全部見る必要は全然ありません)

同時期の実験映像
『Spirals』(1926)

多にも、この時期にいくつかの抽象アニメーション、普通のアニメーション、劇映画の特殊効果などを手がけているらしいが、見たことはない。

1927年にフィッシンガーはミュンヘンからベルリンに移る。
そこでフリッツ・ラングの『月世界の女』の特殊効果を手がけるが、事故で骨折して離脱する。
入院中に彼は、彼を有名にするサウンドトラック付きの抽象アニメーションを作ることを決心する。
それらは簡素に「Studien」とだけ名前が付いていた。
『Studie n.6』(1930)

途中で出てくる「目」状の模様は、プロビデンスの目、もしくはホルスの目かもしれない。晩年は仏教徒として生きたらしく、フィッシンガーは独特の東洋的神秘思想の持ち主だったらしい。
『Studie n.7』(1931)

『Studie n.8』(1931)

どうしてもディズニー『ファンタジア』の『魔法使いの弟子』の泡立つ波頭と舞い飛ぶ流星群のシーンが思い出される。しかしこの作品、『魔法使いの弟子』の権利が買い取れなくて未完成のまま放置された。
『Studie n.9』(1931)


ちなみにこれらの作品は、戦前の日本でも上映されていて、それを寺田寅彦が見ていることが随筆に出ている。青空文庫で読める。
かなり面白がっているのがうかがわれる。
実際、これらのスピードの速い映像は、色は白と黒だけにも関わらず、今見ても楽しめる。音楽とシンクロしながら図形が動いているのを見ているだけで幸せになれるし、思わぬ立体感の出現や、新しい動きの要素の導入など、退屈しない。
そして、これらは決して気むずかしい難解な作品ではなく、気軽に誰でも楽しめる作品になっているのだ(これだけを目的に映画館に行く人間はいるまいがね)。
ここで初めて現在でも通用する、全く古びない抽象アニメーションが登場したのである。

面白いことに、ここまで見事な音楽とのシンクロを達成しておきながら、フィッシンガーの音楽に対する態度はアンビヴァレントである。人々に受けるために音楽を付けるだけと言ったり、音楽があるおかげで人々が映像に集中できる、と言ったりしたが、サイレントのアニメーションだけで、人々を魅了したい、という目標は持ち続けていたのではなかろうか。実際、彼の最高傑作と言われる『Radio Dynamics』(1942)はサイレントの抽象アニメーションだ。
フィッシンガーにとって音楽は、道具と言うよりは、目標だったのであろう。だからこそ、可能なら音楽の力は借りたくなかったのだ。
意地悪な人間に、「音を消したらたいしたことがない」というやり方で映像を貶す者がいる。実際、だいたいの「迫力のある」映像は、音を抜いたらずいぶん拍子抜けのするものになることが多い。
それを音楽とのシンクロを目指したフィッシンガーの諸作品に言う馬鹿はいまいが、一応、彼の映像の力が音楽を必ずしも必要としないことを証明しておこう(できることなら上記の『Radio Dynamics』を見せたいが、残念なことに動画が見つからなかった)。
彼のミュンヘン時代、『Studien」』シリーズが始まる直前、サイレント時代実験作時代の末尾を飾る非常に楽しい切り紙アニメーション作品である。
『Seelische Konstruktionen(スピリチュアル・コンストラクション)』(1927)

うねる線、激しく変化する図形。すでに技術的には完成の域に達していたのがよく分かる。あと、ワックス・マシン使ってることが少し笑える。まだこだわってたのか。
『Studien』シリーズの最中にもフィッシンガーはいくつかサイレントの抽象アニメーションを作っている。

『Studien』シリーズの後期からフィッシンガーは、色の問題にかかる。色と音の関係などを研究し、光の波長と音の波長の関係について考察したりしていたらしい。フィルムの光学サウンドトラックに直接色を塗って、音を合成する実験もした。(これらの問題は、20世紀最高のアニメーション作家ノーマン・マクラレンが後に扱うことになる)
その成果が次の作品だ。
『Kreise』(1933)


同時期、フィッシンガーを一躍有名にした作品は、やはりコマーシャル・フィルムだった。
『Murrati Marches on』(1934)
 
超絶技巧だねえ!
この作品は、資本主義に適合し、配給システムに乗ったので、映画館で何回も上映され好評を得た。これによって、フィッシンガーの名はアメリカにまで響くことになる。

この時期、フィッシンガーはいくつもの今までの総決算のような作品を残している。彼のヨーロッパ時代最後の作品は、立体模型のコマ撮り撮影によって作られた次の作品である。
『Komposition in Blau』(1935)

すさまじい色の乱舞

芸術家としてのフィッシンガーの黄金期は続いている。
しかしこの時期から、彼を取り囲む環境は急速に悪化していく。
折からナチスによって抽象芸術が「退廃的」とレッテルを貼られ(ニコニコの動画説明にあるような、彼がユダヤ人、という話は聞いたことがない。フリッツ・ラングと混同していないか?)、ドイツで作品を作りづらくなっている。
つい10何年か前に、これらの新しい芸術形式に拍手喝采を与えた熱しやすく冷めやすい大衆は、それらに唾を吐きかける連中をまた熱狂的に受け入れることに何の矛盾も感じなかったようである。
フィッシンガーは「自分の作品は抽象芸術ではなく、装飾芸術だ」という苦しいいいわけをしていたようだが、状況は改善しない。
そんなとき、ヨーロッパでの彼の成功に注目したハリウッドのパラマウントの招待状が届く。
彼はヨーロッパを去ることを決意し、1936年アメリカに渡る。
ところが、パラマウントとの、『百万弗大放送』の抽象シーンを巡る契約は、カラーで作りはじめていたフィッシンガーと、予算の関係で途中から白黒に方向転換したパラマウントと意見が合わず、結局破棄されることとなった。
この時期から、フィッシンガーは生活のため、絵を描き始める。「キャンバスの油絵」は過去の芸術であり、映画に劣る、と思っていた彼にとっては、苦しい選択であったであろう。

ただしどんなに状況が苦しくても、芸術家としては、まさに絶頂期だった。
『ALLEGRETO』(1936)

『An Optical Poem』(1937)

アニメーションにとって『ハンガリアン・ラプソディ第2番』は特別な意味を持つ曲である(いずれ説明する)。
それより、まあなんというものを作ってくれたんだろうね。
ラスト近くのクライマックスなんてのは、そんじょそこらの「SF映画」よりも「SF」しているように見える。形の宇宙とでも言うべきか。

この後フィッシンガーはディズニーと仕事をする。『ピノキオ』(1940)のブルーフェアリーの杖のエフェクトをデザインしたようだ。

それほどフィッシンガーがやらなくてはいけなかったシーンには見えないが。
それより何より重要なのは、フィッシンガーが渡米したときちょうど制作中だったディズニーの芸術映画『ファンタジア』への協力である。
「一本くらい抽象的なのもやってみよう」というウォルト・ディズニーの提言で映画の冒頭として選ばれたバッハの『トッカータとフーガ ニ短調』のアニメートに、フィッシンガーはデザインで参加したが、結局ディズニーのスタッフの側で大幅な簡略化と、大衆受けのための具象化が行われ、フィッシンガーはここでも途中離脱することになる。結局スタッフとして名を連ねることはなかった。

確かにフィッシンガーぽいところもあるけど、フィッシンガーにしては具象的すぎるし、単純すぎる。
それでもかなりの傑作なんだけどね。

この直後にフィッシンガーは新しもの好きのオーソン・ウェルズに、ルイ・アームストロングの伝記映画の仕事への参加を打診されたが、これは実を結ばなかった。ジャズとフィッシンガーの手法は相性がいいので、実現していたら面白かったのに、と思う。

このように決して芸術家として恵まれていたわけではないこの時期のフィッシンガーではあるが、その家は若く冒険心にあふれた芸術家達のたまり場となっていた。
現代音楽と言ったらこの人のジョン・ケージ
抽象アニメーション作家であり、コンピューター・グラフィックスの先駆者、キューブリックの『2001年宇宙の旅』やヒッチコックの『めまい』にも協力したホイットニー兄弟
実験映画化で舞踏家で振り付け師のマヤ・デレン
前衛映画と聞いたらこの人、という方も多いかもしれない、オカルト、ドラッグ、ロックンロールにまみれた変な映画を撮り続けたケネス・アンガー
フィッシンガーはジョン・ケージの音楽理論を取り入れた抽象アニメーションを作ろうとした時期もあったらしい。誰にも分かってくれないに決まってるから(ここまでの判断はとりあえず正しい)作るのをやめたらしいけど。惜しい話だ。

この時期のフィッシンガーは精力的にペインティングを仕上げ、頻繁に個展を開く画家として生活をしていた。時々資金の提供があれば、アニメーションを作ることができた。
ジャンナルベルト・ベンダッツィが最高傑作と認めるサイレントの抽象アニメーション『Radio Dynamics』もこの時期の作品だ。
そして1947年に、完成された実験作品としては最後の作品『Motion Painting No.1』が発表される。

ここでは、音楽との厳密なシンクロは放棄され、得意の図形の激しい運動、急激な生成消滅もなりを潜めている。代わりに現れたのはゆっくりした、色の累積である。
ここに来て新しいことをしようとすることを言祝ぐことも可能であろうが、この時点ではこの手法は成功していない。フィッシンガーを見るときの希有な経験である、あの躍動感、わくわく感がここからは感じられない。要するに退屈である。
もしかしたら、彼がここから新しいすばらしい作品を作る未来もあり得たかもしれないが、結局そのような来るべき作品は現れずじまいだった。

落ち穂拾い
Munts TVのコマーシャル・フィルム(1952)

線の乱舞が文字になるのは、グスタフ・ルネ・ホッケの『文学におけるマニエリスム』の冒頭近くにある、アジアニスムスの具体例としての「ひげが付きすぎて何だか分からなくなった飾り文字」を思い出す。「蛇状曲線体」のなす「痙攣的な美」の極致。
「自然の模倣」ではなく、意味も内容も持たない人工の図像を扱う抽象アニメーションはそもそもマニエリスム的である。また安定ではなく、動きを表現するために不安定を指向するのも、マニエリスムの特徴の一つだ。
そうすると、その超絶技巧を限界まで発展させて、綺想と幻想の目まぐるしい装飾絵巻を作りあげたフィッシンガーは、まさに典型的な「マニエリスト」=「魔術的芸術家」と言える。
誰か、グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』や『文学におけるマニエリスム』を補助線に、オスカー・フィッシンガーを人工言語とでも呼べそうな「図形のカバラ」or「図形のアルス・コンビナトリア」を用いて、謎に満ちた踊る迷宮を作りあげ、そこから視覚と聴覚の神秘的な和合を見いだそうとした「呪われたダイダロス」として解釈する人はいないのだろうか?(ダイダロスはミノタウロスを閉じ込める迷宮の作者であり、アリアドネのために舞踏の振り付けもした。フィッシンガーの作品は、迷宮であり同時に舞踏である希有な例である。)
文学におけるマニエリスム  言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術 (平凡社ライブラリー)文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術 (平凡社ライブラリー)
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迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)
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OKLAHOMA GADのコマーシャル・フィルム(1954)

Oklahoma Gas ad by Oskar Fischinger from CVM on Vimeo.

たいした予算が与えられていないことが分かるので少し悲しい。

1950年代のフィッシンガーはアニメーションを作ることから離れ、また発明に戻って行っていたようである。
そのときの発明の一つをLumigraphを、従姉妹で仕事仲間で妻でもあったエルフリーデ・フィッシンガーが、オスカーの死語、1969年に実演する映像である。

Lumigraph Film (c. 1969) by Elfriede Fischinger (excerpt) from CVM on Vimeo.


オスカー・フィッシンガーは1966年に死去した。

晩年はアニメーションを全く作っておらず、芸術家として決して恵まれた生涯とは言えなかった。

この論文によると、それはフィルム芸術が、コレクションという市場から疎外されていたからだという。

つまり「芸術家」というのは、商業から離れたところに生きているポーズをとっていても、結局はコレクター市場に依存して生きている商業的存在だ。

しかし、フィルムは美術館等のコレクションの対象とならなかったので、非商業的フィルムには居場所がなかった、と言うのだ(もちろん個人収集家はいる。しかしそもそもフィルムは複製品なので、何らかの理由で希少性が高くならないと価値が高くならない。それは作者のどうにかできる問題ではない)。

この分析が正しいかどうかは、すぐには答えられないし、今現在はどうなのか、と言うのも難しい問題だが、どうすればオスカー・フィッシンガーはもっと幸せで、たくさん作品を作れたのであろうか? という問いは、ぜひとも問われるべき問いであろう。

とまれ、オスカー・フィッシンガーの作品は、その後もたくさんの芸術家に影響を与え、新しい作品のインスピレーションの豊富な水源であり続けている。


ヴァイマール期ドイツのベルリン、ミュンヘン 文化爛熟都市に花開いた草創期の抽象アニメーション

写真や映画の登場時期は、芸術におけるアヴァンギャルド(未来派、ダダ、シュルレアリスト)と重なっている。むしろ、未来派に典型的に現れているように、自転車や動車や列車や飛行機等の移動技術、有線や無線の電気通信、写真や映画や蓄音機等の録画録音技術、そして様々な戦争技術の発展が、人間の現実認識(スピード感、人工現実感、現実を編集する技術)を変えたことにより、アヴァンギャルド芸術が現れた、と言うべきだろう。
だから、初期の映画がアヴァンギャルド芸術家の主要な前線の一つであったことは驚くべきことではない。
その中から出てきた、ルネ・クレールのユーモラスなフィルムや、ブニュエルの隠された欲望を明かすグロテスクなフィルムもいつか紹介したいが、今回は当時カンディンスキーらによって始められたばかりの「抽象絵画」を動画の世界に繰り広げようとする「抽象アニメーション」の世界をともに散策しよう。

今回、大いに参考にさせてもらったのが、イタリアのアニメーション史家ジャンナルベルト・ベンダッツィによる『カートゥーン:アニメーション100年史』Cartoons: Cento anni di cinema d'animazione (Marsilio Editori, 1988)の翻訳である。途中までながら、web上に公開してある
これは最近のアニメーション事情はどうしても弱いが、総括的な歴史に関しては未だに一番詳しい本であろうと思われる。
市川崑のアニメーション作家時代に触れているなど、日本に関しても相当調べているし、アメリカン・カートゥーンの黄金時代に関しての記述も確かだ。是非とも全訳の完成が望まれる。
英語版はアマゾンで買える。
Cartoons: One Hundred Years of Cinema AnimationCartoons: One Hundred Years of Cinema Animation
著者:Giannalberto Bendazzi
販売元:Indiana Univ Pr
(1995-02)
販売元:Amazon.co.jp
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なお、この訳の訳者は、FKJ/古城氏と言って、オタクアミーゴスやと学会の関係者であり、アレクサンドル・アレクセイエフに関する同人誌などというすばらしいものも出している。

さて、抽象アニメーションの歴史は1920年代に始まる。ときは表現主義やダダ・シュルレアリスムなど、様々な芸術運動が百家争鳴の態をなしていた時代。特に表現主義絵画は、カンディンスキーらの絵画から形の空間性以外のすべてを剥奪した抽象絵画を生み出す。その時代の流れは、空間性と時間性だけの芸術を生み出そうとする。それは必然的に抽象アニメーションという形をとって現れた。
当然それは表現主義の本場ドイツ(ヴァイマール共和国)はベルリンとミュンヘンで起こった。もう一つの芸術の中心地フランスのパリで盛んだったのは、現実の転倒(ダダ)、または現実が転倒したあとに現れる「現実以上の現実」(シュルレアリスム)を目指す芸術だったので、どちらかというと実写を元にした映像実験が盛んになった(前述のルネ・クレールはダダ的、ブニュエルはシュルレアリスムそのものだ)。
そのヴァイマール共和国に起こった抽象アニメーションを彼らは「絶対映画」と呼んだ。
彼らの作品は単なる芸術家の自己満足に終わらず、黎明期の映画産業広告産業の力を利用して、何か新しいものを求めていた観客の心に訴えかけることに成功したのである。

最初期に抽象アニメーションの試みを始めた一人がハンス・リヒター(Hans Richter)である。彼はキュビストとしてキャリアを始め、トリスタン・ツァラ、ハンス・アルプらとチューリッヒ・ダダの誕生に立ち会った。
彼はその後、動きを表現することに興味を覚え、音楽の「対位法」を学んだのち、ヴィキング・エッゲリングとの共同研究の中で、次第に絵画から映画にその主戦場を移していく。
中期からはダダらしい実写のトリック撮影に興味の中心を移していくが、初期に3つの抽象切り絵アニメーションの実験作がある。
それらは白と黒の基本的な図形を移動させたり拡大縮小させたりして、リズムを表現することを目指している。

『Rhythmus 21』(1921)


『Rhythmus 23』(1923)


『Rhythmus 25』(1925)

rhythmus 25 from clint enns on Vimeo.


この後、リヒターの興味は急速に抽象アニメーションから離れていく。
『Filmstudie』(1926)

ここから先の作品は、ダダの映像作品を取り上げるときに、また語りなおすであろう。

見ていただけた人なら同意してくれると思うが、これらの作品は決して質の高いものではない。退屈だ。当時も、観客の興味を引くことはできなかったようだ。
しかし、これはまさに最初の試みである。まだトーキーの技術もなかったのだから、必要以上に高く評価する必要もないが、ここから始まったと思えば感慨深いものもあるというものである。

リヒターとともに、この技法を研究したのがヴィキング・エッゲリング(Viking Eggeling)である。彼はその後も、伴侶のエルナ・ニーマイヤーとともに作品制作を続けるが、最初の完成作『Symphonie Diagonale(対角線交響曲)』の上映を見ることなく早世する。独特の神秘主義を持っていた人物らしく、長く生きていたらどんな作品を残していたか考えると残念である。
『Symphonie Diagonale』(1924)

リヒターの作品に比べると、技術が進歩しているのが分かる。対角方向の線の生成消滅を基本にして、曲線の導入や、次第に複雑になるフォルムなど、見る者を飽きさせない工夫がされ始めている。
ネオン・サインなどを飽きることなく見続けることができる人種というのがこの世にはいるが(わたしもその気がある)、そう言う人種なら、この複雑な図形の乱舞を退屈せずに見ることができる。しかし、まだまだこのクオリティでは、不特定多数の心を掴むのには弱い。

芸術の歴史は決してまっすぐは進んでくれない。時系列は前後してしまうが、抽象アニメーションを大衆に受けるレベルまで引き上げたのは、ヴァルター・ルットマン(Walther Ruttmann)である。彼の『Lichtspiel Opus I』は初めて一般公開された抽象映画となり、センセーションを巻き起こした。
『Lichtspiel Opus I』(1921)
伴奏のスコアは当時のものを使用。

これがすばらしいのは、何より見る者を楽しませようという意識である。音楽とのシンクロへの意識もそうだし、見る者を飽きさせない展開を用意するのもそうだ。単なる実験ではなく、芸術とは、見る者がいて初めて成立するのだ、という自覚がこの映画を面白くしている。
『Opus 4』(1925)
こちらは、Helga Pogatscharによる2008年のスコアを伴奏として使っている。

白と黒だけで立体感を作ってしまうのには感心する。突然新しい動きが導入される瞬間は、文句なしの喜びだ。

見る者を引きつける彼の技術は、必然的により商業的な使い道があった。できたばかりのコマーシャル・フィルムである。
『Der Sieger』(1922)

太陽の顔が異様にむかつくのがすばらしいではないか!
『Das Wunder』(1922)

もっとも商業的な芸術が、時代の先端を成すというのは、ある種の歪んだ芸術哲学から見ると矛盾に見えてしまうかもしれないが、日常的に見られる現象なのである。
ルットマンはその後、フリッツ・ラングの『ニーベルンゲン』などの劇映画の特殊効果を担当したり、ドキュメンタリー映像をリズミカルに編集する技術を研究するようになり、抽象アニメーションからは離れていくが、その映像のリズムへの鋭敏なセンスは、すべての時代に通底しつづけていた。
『Berlin, Die Sinfonie der Grosstad(伯林――大都会交響楽)』(1927)


またルットマンと同時代で、彼とともに仕事をした人間にヨーロッパ初の長編アニメーションを作った影絵アニメーション作家ロッテ・ライニガーがいる。抽象アニメーション作家ではないが、彼女もまたルットマンの作品を見て、アニメーションの道を目指したのである。

そしてルットマンの影響を受けた人間でもっとも重要な作家、今現在の目から見ても驚くほかはない作品を作り上げ、抽象アニメーションを完成させた男、オスカー・フィッシンガーが登場する。
と言うところで、次回に続く。

ハンガリー・アニメーション イシュトヴァーン・オロスの眩暈宇宙

芸術作品の本質は「驚き」であり、それはまた何らかの意味で見るものを「騙す」ことだ。うまく騙されたとき、観る者は地面が揺らぐような心地よい「眩暈」を感じることができ、それによって硬直化しかけていた世界への視線を更新することができる。そして、一部のさらに先へ行こうとする者にとっては、人間が世界をどう認識するのかの、根本的な問題への道しるべにすらなれる。
そういう作品を作り続けた芸術家の代表例は、トリックアートの巨匠エッシャーであろう。
そのエッシャーの影響を強く受けたハンガリーのグラフィックアーティストでもあるアニメーターがイシュトヴァーン・オロスである。
まずは彼の代表作『Mind the Steps』から。



民主化以降のインタビューによると、これは社会主義の圧政から逃れようとしながら逃れられないことを、不条理な引っ越しの情景に仮託したらしいが、この作品を楽しむのにはあまり必要のない知識だろう。ただ、エッシャー的無重力無方向感や変転するイメージに幻惑されるのが、なにより正しい楽しみ方なのであろう。その上で、その眩暈の向こう側にある不安の正体について議論をするならば、有益なものになるであろう。
なお最後に出る監督の名前が「OROSZ ISTVAN」なのは、本来ハンガリーの名前は日本と同じように「性+名」の順番だから正しくは「オロス・イシュトヴァーン」で、外国では分かりやすく「名+性」の順番に直してあるのだろうと思われる。じゃあ、なんで日本でも「名+性」の順番なんだと言われると答えに窮すが、ハンガリー系の名前ではよくあることである(アゴタ・クリストフってどっちがどっちだっけ?)。

イシュトヴァーン・オロスの作品のもう一つの特徴はルネッサンス以降のヨーロッパでデューラーらにより発達させられた銅版画のテイストをアニメーションに持ち込んだことであろう。これもエッシャーとの共通点であるが、この緻密な絵を動かす事の苦労がしのばれる。
『The Garden』


少年が車椅子の女性を追っていくと、その女性が水に入った途端、人魚になるのを目撃する。監督のインタビューによると、思春期に大人になろうとする少年の性的ファンタジーについて描いた作品らしい。そう言われてみると、蛇口のシーンが多いのが何だか意味深げに見えてくるな。

この銅版画アニメーションとエッシャー的トリックアートアニメーションが融合した傑作が『Time Sights』である。


この動画ではナレーションがハンガリー語で何言ってるか分かんないけど、ナレーションが英語のバージョンもあって、そちらで聞く限りは、過ぎ去っていく時間のことや男女の出会いと別れを、男の側と女の側から、過去形と現在形で、単数形と複数形を混ぜながら、左右入れ替わりながら、語っているようだ。絵の二重性にかぶせて、語りも二重性を持たせようという試みなのだろう。

最後に2008年に完成した最新作『Mazes』。


これは監督が雑誌にイラストとして掲載した九つの迷路をもとにつくったアニメーションである。アニメーションとしては生まれてから死ぬまでの人生の流れを表現しようとしたものらしい。

ハンガリーのアニメーションに入門したければこれを買え。高いけど損はしないぞ。
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これも面白い。ハンガリー版むかし話アニメーション。人気テレビシリーズの一部をDVD化。
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(追記:2013年2月26日:ルネ・ラルーとメビウスによるフランスのアニメーション『時の支配者』の作画スタッフにこの人の名前を発見!
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