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カルト映画

千葉真一の変顔に燃えろ 『激突!殺人拳』

ソニー千葉の映画も見ずになんかおしゃれとかいう理由でタランティーノ映画を語る輩が私は嫌いである。
激突!殺人拳 [DVD]
千葉真一
東映ビデオ
2006-12-08


 いやあ、面白い。話はでたらめだし、主人公にも別に感情移入できたりするわけじゃないんだけど、アクションがあって、話がキリキリ進んでくれたら、それはもう映画として成り立ってしまうのだ。
特にシリーズ第一作のこれは傑作だ。
千葉ちゃんが相手を倒すときに、ブルース・リーを意識したと思しき「変な顔」をたくさんしてくれる。かつてサンタナは「顔でギターを弾く」なんて言われるくらい味のある顔をしてギターを演奏したものだが、千葉ちゃんはこの作品では顔で空手をしている。あんな顔されたら誰も勝てるわけがない。 
私自身、空手を嗜む者の一人として、那覇手の「息吹き」と呼ばれる呼吸法にはいろいろ疑問があり、実践的ではないと考えているのだが(腹式呼吸、逆腹式呼吸、丹田呼吸の意味は分かるが、それをあのような派手な仕方で表現する必要はない)、この映画においては大正解だと思っている。
映画とはまさにこけおどしであり、こけおどさなければ意味が無いのだ。もっとこけおどして欲しい。
そんな空手と器械体操を組み合わせたこけおどしの権化であるところの千葉ちゃんが画面狭しと暴れまわるのだから、面白く無いわけはない。こうなってしまったら筋はいらない。それどころか、筋がむちゃくちゃならむちゃくちゃなほど面白くなってしまうのだ。
ひたすら決戦に向けて盛り上げてくれればいい。決戦が終わったらどうなるのかなんて、一切考えなくていい。一体全体、剣琢磨が勝ったとして、その後どうなるのか。香港マフィアの用心棒になるの? お嬢様と結婚するの? 全く分からん。
でもそんなことどうでもいいのだ。どうせそんなこと、一回目の視聴では気にならないのだから。それはこんな下らない映画を二回三回と見続ける酔狂者だけが、そのうち気づくことにすぎないのだ。
ちなみに第二作は、「変顔」成分が足りなくて、薄味に感じた。アクションはいいんだけどねえ。 
殺人拳 2 [DVD]
千葉真一
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2016-03-09

 

低予算映画への憧れ 『ゼイリブ』

いつか映画が撮りたい
映画には他のメディアにはない魅力がある。
それは映画の徹底的な「暴力性」だ。
暴力を描く、というわけではない。ラブストーリーだろうが日常を描いたものだろうが、映画は「暴力的」だ。
それは映画の形式による。映画を見る時、我々は他のどんなメディアよりも、現実から離れた場所にいる。劇場が暗くなるとともに、我々の世界はフェードアウトし、銀幕が輝き出すとともに、見知らぬ世界がそこに出現する。それは暴力的にこの世界から我々を連れ去る。
小説は努力してその世界に没入しようとするものだ。漫画も小説よりは気軽にだが、同様の面がある。テレビで流される作品は、我々の日常と寄り添うように存在している面がある。連載される小説や漫画なども同様だ。
映画は違う。
この映画の占める位置は様々な新しいメディアが登場しても、そうは揺るがない。双方向性のあるメディアでは映画の代わりにはなれない。
映画を見ている時、我々は振り回され、映画に参加することなどとても出来ない。
まるでレイプのような体験なのだ。
逆に言えば小説には読者をレイプするだけの暴力性はあまりない。だからこそ、小説は読者を誘惑しなくてはならず、そこに小説を読むことの、そして書くことのの尽きせぬ魅惑がある。
そして、だからこそ、我々をレイプするだけの暴力性を持ち合わせた小説や、映画とは本来我々をレイプするものであるはずなのに、それをしようとせず、逆に我々を誘惑しようとする映画は奇妙な魅力を持つ。
グリーナウェイを見る喜びはそんな感じだ。「ああ、これからレイプされちゃうんだ。どうなっちゃうんだろう」と思ってドキドキしていると、グリーナウェイは突然目の前で服を脱ぎながらくるくる踊り始めてしまうのだ。「なにこれ? 何が始まったの? こんなのしらない!」という気分になること請け合い。あの瞬間は何回経験しても足りない。
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アンドレア・フェレオル
IVC,Ltd.(VC)(D)
2014-10-24


ここで話は戻るが映画が撮りたい。小説を書くことが趣味というかライフワークだが、「メディアの暴力性」においてその小説と対局にある映画がどうしても撮りたいのだ。
だけど小説と違って映画には投資がいる。時間とお金が必要なのだ。
正直どちらもないんだ。うん。
だから低予算映画を見るのだ。
低予算映画は無くてはならない物がなくても映画を無理やりでっち上げる7ためのアイディアに満ちている。
というわけでジョン・カーペンターである。『ゼイリブ』とか最高じゃん。
ゼイリブ 通常版 [Blu-ray]
ロディ・パイパー
TCエンタテインメント
2014-09-03

物語上重要な宇宙人のサブリミナル洗脳を見破ることが出来る眼鏡はただのサングラスだ。宇宙人が消える謎の異次元通路は入る時こそちゃちい光学合成の異次元ぽい穴だが、入ってみればどこかのビルの地下の通路だ。笑ってしまった。
宇宙人の被り物も、あまり出来がいいとは思えない。白黒映像にしてごまかしていないか。広告を眼鏡を通して見ると、いろいろな隠れたメッセージが見えるシーンは白黒なのも相まって結構スタイリッシュだが、基本動きがないので、合成は簡単そう。
ああ、映画ってこんな風に撮ればいいんだ、と見てて思うのだ。もちろん簡単ではない。しかし知恵と工夫でどうにかならないものなどないんだ、と教えてくれる。
あと、低予算映画で重要なのは、主人公の肉体だよな。演技はうまくなくていいから、せめていい体してないと。そういう意味では主人公をプロレスラーが演じてるこの映画はとてもいい。長すぎるプロレスシーンも好きだ(16分もひたすら殴りあって投げ合ってる)。途中からものすごく笑顔で見ていた。まだやんのかよ、と。俺も体鍛えとこ。
私にとって良い小説の多くは小説が書きたくなる小説だが、同じように映画が撮りたくなる映画というものがある。幼児虐待の被害者が長じて加害者になることが多いこととだいたい同じだと思っとけば良い(絶対に違う)。
この映画はまさにそんな映画だ。ああ、映画撮りてえなあ。
あ、あとジム・ダンフォースがSFXで参加してるんだ。へえ。

なぜかニコニコ動画で上がっていたので、Leningrad Cowboysの『ジンギスカン』を貼る。

ほんと「なぜ上がったし」という感じ。
そういや、なんかてっきり以前に紹介したつもりでいたんだが、探してもないので。
 
Leningrad Cowboysなどと名乗っていはいるが、もちろんアメリカ人でもソ連人でもなく、フィンランド人。さすがどこかにある国。さらに言えば、歌っているのは、モンゴルの英雄について歌ったドイツの歌。日本語で歌っているのは缶チューハイのCMソングだったからのはず。
ヨーロッパとアジアの狭間で、文化がカオスにハイブリッドしているフィンランドらしい、実にイロモノじみたバンドである。見た目も強烈。
leningrad_cowboys





とさかのような尖ったリーゼントと同じくらい尖った靴。サングラスに赤軍風の軍服。ふざけるのも大概にしろという感じだが、こう見えて大真面目なバンドだったりするのだ。

このバンド、元はといえば、1989年のアキ・カウリスマキ監督の映画『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』に登場した架空のバンド。
しかし、この映画のヒットとともに、バンドに扮していた「Sleepy Sleepers」のメンバーたちは、本当に「Leningrad Cowboys」として活動を始めてしまったのだ。
1994年には続編の『レニングラード・カウボーイズ モーセに会う』も作られている。

 アキ・カウリスマキは兄でやはり映画監督のミカ・カウリスマキの勧めで見た小津安二郎から強い影響を受けたという。
実際、非常に静かな、不思議な雰囲気のコメディ映画になっている(あんな過激な格好をしているにもかかわらず)。
主人公たちがあまりしゃべらず終始無表情なのは、『ブルース・ブラザーズ』と一緒だが、あちらがウルトラアッパー系の作風に対して、こちらはウダウダダウナー系である。
フィンランドの寒村であの格好でポルカの演奏をしているのも相当変だが、彼らが強欲マネージャーにそそのかされて一山当てるためにアメリカを珍道中をするうちに、だんだんいろいろな音楽に影響を受けてだんだんロックになっていくのも面白い。凍ってしまったメンバーもメンバーの一人だと旅に参加させるために、ボロボロのキャデラックのルーフにくくりつけてしまうのも暢気でよろしい。メンバーが乗り切れないので(なにしろこのバンド、ブラスもいるから大所帯なのだ)、トランクを開いてそこに座ったまま走るのも楽しそうだし、演奏で得たお金をマネージャーがあまりといえばあんまりにピンはねして全部ビールに変えてしまっていることにメンバーがなかなか気付かないのも長閑としか言いようがない。
そして、なにより風景がいいのだこの映画。北欧の風景を撮っても、アメリカの風景を撮っても、どれもいい。旅の醍醐味は風景なんだから、ロードムービーの醍醐味も当然風景なのだ。

「We are Rock 'n' Roll band. Can we play here?」
「Fifty-fifty?」
と日本人にも非常に聞き取りやすい下手な英語で交渉するだけで笑える。
演奏後の、サックスでのおひねり徴収シーンも最高。
これで大体この映画のギャグセンスが分かってもらえたかと。

アメリカの車旅って感じの風景がすばらしい。
ついでに続編のトレーラーも張っとく。

 
前回、彼らを受け入れてくれて凍ったメンバーも溶かしてくれた土地メキシコにたどり着いて、大ヒットしたのだが、結局元の木阿弥に零落してしまっていた彼らの元に、失踪していた強欲マネージャーが返ってきて、モーセに生まれ変わったからお前らを故郷に返すといい始める、これまた奇妙奇天烈な物語。
一作目も二作目もたいした長さではなく、一緒にDVDにも入ってる。ぜひ見よう。

さて、この映画が元で結成された「Liningrad Cowboys」だが、映画のヒットとともに、一躍フィンランドの国民的バンドに躍り出た。 
格好はふざけているが、演奏技術もマジマジのマジなのだ。
1993年には、なんと本物の赤軍合唱団とジョイントコンサートまでしている。
『天国への階段(Led Zepperinカヴァー)』


『Bad (Michael Jacksonカヴァー)』

007にQueenの『Another One Bites the Dust』と当を得た混ぜ方。
そしてこれを赤軍合唱団が歌うというポスト冷戦的おかしさ。
しかし、この奇妙なサングラスを見ると、どうしてもX星人を思い出す。『勝手な奴ら』に出てきた宇宙人でもいいけど(もっと分かりにくい)。

『Always look on the bright side of the life(Monty Pythonカヴァー)』

この曲はやっぱりみんなで大合唱だよね。沈んでいく空母に乗ったときには、ぜひとも歌いたい一曲。

いろんな映像とともに
『There must be an Angel(Eurythmicsカヴァー)』

『Space Tracter』


レニングラード・カウボーイズの一生

トラクター大好きだなこいつら

Sleepy Sleepers時代の映像
『Nein Nein Nein』

反り返ったタイにその後の活動の片鱗がうかがえる。

ニコニコで、『ジンギスカン』一曲のみはそこそこ有名な主な理由


『Gimme your Sushi』
 
よく分からない何か 

淡々とした狂気 『アギーレ 神の怒り』

アギーレ/神の怒り Blu-ray
クラウス・キンスキー
紀伊國屋書店
2013-08-24


いやあ、クラウス・キンスキーは良い。
私は悪役俳優の方が好きになりやすいたちの人間だが(三船敏郎より仲代達也のほうが断然好き)、この人はもう格別である。
私は勝手に「金髪のイケメンゴリラ」と呼んでいる(垂れ目で目つきが悪い、ってのもポイント高め)。
最初に見たのは『殺しが静かにやってくる』だったが、もう一瞬でファンになってしまった。
殺しが静かにやって来る スペシャル・エディション [DVD]
ジャン=ルイ・トランティニャン.クラウス・キンスキー
エスピーオー
2007-05-25

雪原での西部劇という、異色だらけのマカロニ・ウェスタンの中でもとびきりの異色作。

みんなで見よう。
さて、マカロニウェスタンや戦争映画など商業的な映画で悪役をやっていた、キンスキーが、映画芸術史に残る怪優へと変貌を遂げたのが、この『アギーレ』だったわけです。
まあ、もともと過激な人だったらしいけど。ステージ上で政治発言したり、観客に過激な発言をしたとかなんとか。そんな破天荒な個性は、フィルムへも刻み付けられている。
この人の子ども(全員母親が違う)は、皆俳優になっているが、長女のポーラ・キンスキーがクラウスの死後、父親からの性的虐待を告白してスキャンダルになったときも「そりゃそうだろ」としか思わなかった。「クラウス・キンスキーが娘をレイプしないわけないじゃん」
この映画でも、クラウス・キンスキー の存在感は強烈。
物語は、インカを征服したフランシスコ・ピサロの異母弟のゴンサロ・ピサロの結局は失敗に終わるアマゾン探検隊の行軍の様子から始まる。
高い山からぞろぞろと蟻の行列のように降りていくスペイン人と現地奴隷の行列。道が悪い中を、籠に乗せた女性までいる。奴隷が泥に足を取られて、籠が斜めに倒れそうになるところなどを、ただ淡々と撮っていく。
この淡々さがすごい。
派手さが全く無く、まるでドキュメンタリーのように端的な状況を切り取っていくカメラ。
そこに異様なリアリティが宿るのである。
物語の発端は、先に進めなくなったピサロは、食料調達と情報収集のための偵察隊を出すところである。「一週間以内に帰ってこなければ、全滅とみなして、我々は引き返す」
その副長として選ばれたのがわれらが主人公アギーレである。
筏を組み立てて川を下り始めるが、 その途端にアギーレが暗躍を始める。川の渦にはまって抜けなくなった仲間を、隊長は助けようとするが、アギーレはあんなのは置いていけと主張する。もちろん、隊長は聞かずに助けようとするが、一晩明けてみると、救助を待っていた仲間は何者かによって全員殺されてしまう。
せめて遺体を回収しようとすると、大砲が暴発して筏は木っ端微塵。
全部アギーレとその部下の仕業である。
実はアギーレはジャングルの奥にある黄金の国「エルドラード」を征服することに妄執していたのだ。
あまりの難路に隊長が引き返そうとすると、アギーレはすぐさま反乱を起こし、自分たちはスペインに対して反旗を翻し、ぼんくら貴族を皇帝に擁立して、ここにエルドラード帝国を作ることを宣言する。言うことを聞かない奴は、容赦なく殺してしまう。
そして、ひたすらジャングルの奥地へと進軍する。
といっても、別に物語に大波乱があるわけではない。
淡々と、ただただ淡々と、事態が悪くなっていくのを、ただ眺めているほか無い。
少しずつ全員血相が悪くなり、精神状態もおかしくなっていく。傀儡皇帝は、地図上の空白地域を勝手に自分の支配化においていき、ご満悦。良心的に見えた神父の目つきもだんだんおかしくなっていく。
ときどき降りかかる原住民の毒矢の雨。しかし、原住民の姿はジャングルの奥から、影のようにちらほら見えるだけ。まるで捨てられたような村々も不気味だ。
映画に大きな作為があるわけではない。 
ただ、奇跡のように真に迫っている。
俳優たちが乗っている筏は本当にぼろっちくて、今にも沈みそうだ。彼らの顔が引きつっているのもむべなるかな。キンスキーは、乱闘シーンで暴れまわってエキストラたちに 怪我を負わせたらしい。前半思ったより暴れてないなと思ってたら、中盤から目に付くもの全てにブチ切れ始めるのが面白くて仕方がない。目の前に立ちふさがった馬に「邪魔だ」とブチ切れて馬を本気で驚かせたところは、馬が暴れ始めないかひやひやした。実生活でも大暴れは一緒で、ジャングルでの長い撮影に嫌気が差して、勝手に帰ろうとしたとか。キンスキーと同じくらい頭のおかしいヘルツォークが、銃を持って立ちはだかって、
「行くんだったら、お前を殺して俺も死ぬ」
と脅したとか。どんな愁嘆場だよ。
そのピリピリした緊張感が、全てフィルムに焼きついている。ここに、コッポラが1000万ドル以上の金をどぶに捨てて作り上げた『地獄の黙示録』には、全く宿らなかった神話が住み着いている。
狂気というのは、キューブリックの『シャイニング』みたいなわざとらしいものじゃなくて、こういう静かなものなんだよ。
「おれは大反逆者だ。俺に反逆することは許されん。おれは神の怒りだ。俺が落ちろと言えば、鳥も落ちるし、俺が睨めば大地も震える」
こう静かにぶつぶつとつぶやく、アギーレは完全にあちらの世界に行っちゃってる。誇大妄想もここまでくれば立派だ。
『地獄の黙示録』もまた、こちらの世界からあちらの世界へと少しずつ移行し、最後にはフレイザー的神話の世界に到達することを作品の結構としながらも、度重なるトラブルや、脚本の練り足らなさから適っていない。町田智浩が指摘するように、暗殺部隊があんな役立たず集団なわけはないし、もしほんとにああいう作戦をやるとしたら川をさかのぼるのではなくパラシュートで降りていくだろうし、ベトナムとカンボジアの国境地帯に山なんて無い。要は話が破綻している。しかしもし、この世からあの世への段階的な移行をもっと丁寧に書けていれば、そんな現実的な突っ込みはいくらでも押しのけられるのだ。
川のさかのぼりと、無意識や過去へのさかのぼりをオーバーラップさせるのは、カルペンティエールの『失われた足跡』やJ・G・バラードの『結晶世界』など、さまざまな傑作が採用している手法であり、まだまだ賞味期限は切れていない。なのに、結局コッポラは中途半端な仕事しか出来なかった(完全版の途中で、時代から取り残されたようなフランス人入植者の出てくるシーンに、そういう意図の名残がある)。結局、ヘリコプターによる「ニーベルンゲンの騎行」以外大して見るべきところの無い映画になってしまった。この映画のドタバタを記録した『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』のほうが面白い、というのはフィクションが現実に勝てないという意味で皮肉だ。
地獄の黙示録 3Disc コレクターズ・エディション (初回生産限定) [Blu-ray]
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ジェネオン・ユニバーサル
2011-09-02


それに対して『アギーレ』は、最後のアギーレ以外が全員死んで、いかだの上にわらわらと大量の猿が出てくるシーン、その猿をふん捕まえてアギーレが、
「俺は神話のように自分の娘と結婚して、帝国の祖となるのだ。俺は必ず勝つのだ」
というシーンは、そこだけ見るとお笑いのようだが、映画を見ながら、こちらの世界からあちらの世界へと片足を突っ込んでしまった観客には、実に説得力のあるシーンに見えるのだ。
それがこの映画の成功である。 観客を誇大妄想の世界に引きずりこむこと意外に映画の成功なんて無いと言い切りたい気分にすらなる。

ローラン・トポールって小説家だったのか。 『幻の下宿人』

不勉強なので、ローラン・トポールが小説家だったことを知らなかった。
幻の下宿人 (河出文庫)幻の下宿人 (河出文庫) [文庫]
著者:ローラン トポール
出版: 河出書房新社
(2007-09-04)
私にとって、ローラン・トポールは特異で風刺的かつクロテスクな画風のフランスの画家であり、ルネ・ラルーとのコンビで作った切り絵アニメーションで、世界のアニメーション史に名前を刻みつけた人間だった。
『かたつむり』

『ファンタスティック・プラネット』(冒頭のみ。残りは探せばある)

ルネ・ラルー傑作短篇集 [DVD]ルネ・ラルー傑作短篇集 [DVD] [DVD]
出版: IMAGICA
(2005-03-10)
ファンタスティック・プラネット [DVD]ファンタスティック・プラネット [DVD] [DVD]
出版: パイオニアLDC
(2001-03-23)
(『ファンタスティック・プラネット』いつの間にか一万近いプレミアついてるな)

こんな画風のトポールが小説を書いたら、出てくるのはやっぱりグロテスクなブラック・ユーモアものになるわけである。
この『幻の下宿人』も、ある男が前の住人が自殺した、アパートの部屋を借りてしまったばかりに、不条理の世界に引き込まれていく様を描いている。
アパートの住人達は、少し騒いだだけで、壁をどんどん叩いたり、文句を言いに来たり、弾劾する署名活動をしたりと、主人公を苦しめる。
主人公はそのうちに、住人達の悪意を確信し、彼らの手に乗るまいと必死にあがくようになるが、それもまた住人達の思う壺のようにも思えてならない。

読んでいて思い出したのが、下宿の上の部屋と下の部屋に基地外が住んでいるという知り合いの話で、その上下の基地外は、それぞれけたたましい騒音を出しながら、真ん中に住んでいる私の知り合いが騒音を出していると信じて疑わず、上下から罵り続け、一晩中まんじりともせずtに黙っている彼を挟んで、基地外同士で言葉のドッジボールをしているのだそうだ。
ほんまかいなと思う話だが、本人はたまったものではないのだろう。
彼は酒飲んでツーバス踏みまくるメタルのドラマーなのだが内気で、あまり人に文句を言える性格ではなさそうである。
この小説の主人公も哀れを催すほどの被害者体質であり、一番笑ったのは、住人にいじめられてアパートから追い出される母子のシーンだ。
何とこの母親、仕返しに漏らした糞をアパート中になすりつけていこうとするのだ。ちなみに漏らした理由は心理的なストレスである。
そして、ただ一人彼女の肩を持ってくれた主人公の部屋の前だけは、汚さずに去っていくことを、主人公に告げていく。それを聞いた主人公は焦る。もし彼だけが被害を被っていなければ、他の住人から怪しまれてしまう。
それで主人公は慌てて厚紙を使って、人糞を掬いあげ、自分の部屋の周りにもぶちまけておくのだ。
何と言う被害者根性。加害者が基地外ならば、被害者も同様であるのが世の習いというわけだ。
この手の被害者根性は日本人にだけ宿ると考えてしまうのは、世界の中での被害者妄想を抱きやすい日本人の特質なのだが、別にフランスにだってアメリカにだって、この手の人はいるのだ。

さて、住民の悪意の存在を確信した主人公だが、その悪意とは一体いかなるものなのだろうか?
それは、何と彼を、彼の前にその部屋に住んでいた自殺した女性に改造してしまうことなのだ。
そのために、彼らは、彼女が好きだった小説を読ませ、彼女が好きだった朝ごはんのメニューを食べさせ、だんだん彼を彼女に変えていってしまおうとしているというのだ。
最大級に栃狂った陰謀論者からでもなかなか聞けないスキゾフレニ―臭バリバリのいい話である。
読者には、この主人公の確信が事実なのか、それとも単なる妄想なのか、一切分からないまま話が進む。
それは別にこの手の話じゃ当たり前なので、別に褒めるべきことじゃないのだが、しかし、朝起きたら女装していたとか、敵に自分が逃げ出す気がないと思わせるために、わざと敵の手に乗って、女装したまま街を歩き回るとか、内容の下らなさと、あくまで筆致が真面目なことが相まって、かなり笑える。
特に好きな描写が、主人公が他の住人の行動を知るために、便所を除く部分で、何故か便所に入って数分間ぼうっと突っ立って、なにもせぬまま、水を流して出ていく奴らがいるというのだ。主人公は彼らがなにをしているのか懸命に考えるのだが、なにも分からない。
この部分は作中のその後でも何も解決されない(一応、主人公の病気が進行したときの、女たちが糞便を顔に塗りたくるシーンの前振りにはなっているが)。
この意味のない細部が、不条理さを際立たせているいい描写だが、なんだか吉田戦車の『伝染つるんです。』でそういう四コマがあったのを思い出す。あと、少し違うが佐藤哲也の『ぬかるんでから』にも下宿のトイレをめぐる馬鹿な話があったことも何故か思い出した。あれは笑った。

とまあ、こんな感じで真綿で絞め殺すように主人公への包囲網がだんだん狭まるのが肌にピリピリと心地よいこの小説、妄想と現実がひっくり返るようなオチは予想できるとはいえ、限界まで高まった緊張感が爆発するクライマックスはかなり良く書けてて迫力があるので、せっかくだからみなまで言わないでおこう。
かなりお勧めである。

そして伝え聞くところによると、映画版もあるらしい。
監督は「幼いころ反ユダヤ主義の悪夢を味わったフランス生まれのポーランド系ユダヤ人」とプロフィールの多くを共有するロマン・ポランスキー。
非常に面白そうなのだが、DVD化はされてないらしい。
テナント~恐怖を借りた男 [VHS] [VHS]
出演:ロマン・ポランスキー
出版: パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
(1986-10-21)
VHSなのに、7件もレビューされていて、カルト的受容が窺われる。
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