ラトルバックとは、回転に非対称性がある不思議な物体である。次の動画を見てほしい。
ある方向に回転させると、振動が起きて、次第に回転が弱くなり、ついには止まる。そしてすると振動が弱くなりはじめるとともに、何と逆回転が始まるのだ。
ちなみに、回転させずに振動させると、やはり振動が弱まりながら回転が始まる。
これはなんだか力学の法則である「角運動量の保存則」に反しているようで気持ちが悪い。
どうして、こんなことが起きるのだろうか?
実はこのラトルバック、別名「celt」「celtic stone」「セルト石」などと呼ばれているものは、割と簡単に作れる。私が以前つくったのは、ステンレス石鹸
[REDECKER/レデッカー]ステンレスソープ(におい落とし)
販売元:REDECKER/レデッカー
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に鉛筆を少し斜めに、かつ片方が長くはみ出すように張り付けたものだ。これだと、片方に回すと縦揺れが激しくなって逆回転、もう片方だと横揺れが激しくなって逆回転と、両方で逆回転が起きる。
youtubeを見ていたら、もっと楽そうなのも見つけた。スプーンを折り曲げるのだ。
何回も往復する
こんなのも見つけた。
さて、この非常に不思議な現象であるが、調べてみたところ、すでに微分方程式によってほぼ完全に解かれてしまっているようだ(独楽は解析力学の王道だしね)
現時点で最新の論文
Celt reversals: a prototype of chyral dynamics
を書いたのは、ケンブリッジ大学のH.K.Moffat氏と同じくケンブリッジ大学の時枝正氏。
ちなみに時枝氏は、「専門は流体力学、シンプレクティク幾何、おもちゃなど」とあるように、独楽を始めとした、おもちゃのコレクターらしく、部屋中がそういうものに埋まっていると聞く。
去年には本も出た。
おもちゃの科学セレクション[第一巻]
著者:戸田 盛和
販売元:日本評論社
(2011-11-15)
販売元:Amazon.co.jp
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ところで「celt」=「セルト」という言葉であるが、これもなんだか不思議な感じがする。
「Celt」というスペルは最近では「ケルト」と発音されることが多いように、カエサルが征服したガリアや、アングロ・サクソンが入ってくる前のブリテン島にいたケルト人を通常、意味する。もともとは「ケルト」に近かったのが次第になまって、「セルト」になり、「ケルト復興運動」とともに、「ケルト」と発音されることが多くなった。でもサッカーチームの名前とかは相変わらず「セルティック」である。
それと、この「celt」はどういう関係にあるのであろうか。
実は上記の論文にも書いてあるが、実はこれはもともと間違いから出来た言葉なのだ。
もともとはヴルガータ聖書の1592年のSixto-Clementine版の『ヨブ記』で、「certe」(=「indeed」)という部分が、「celte」とつづられてしまったことが始まりである(ラテン語ではrとlが間違われるなんてしょっちゅうである。日本人は安心していい)。そしてこれを学者が、石を削っている文脈から「古代の鏨か何か」という意味だと判断する。
そして18世紀ごろから、当時の考古学者の間で、この言葉が先史時代に発見される石斧なんかを意味するようになり、「ケルト人」の「Celt」となんか関係あるんだろうなあ、と想像されたことから、特にケルト人の遺跡から発見される石器がこの名で呼ばれるようになる。
それで、そんな石の中にある不思議な性質を持つものを「celtic stone」と呼ぶようになったのだ。
なるほど、この言葉にそんな来歴があったとは。
そして調べて見て驚いたのだが、時枝正氏の経歴を見ると、彼は数学を始める前は何と古典語を専攻していたのだ。
その彼が、この「セルト石」で論文を書くと言うのはなんだか面白い。
ところで、このラトルバックが逆回転する理由だが、上記の論文に微分方程式で説明してあって、それを見れば分かる、と言いたいところだが、そんなこと言われたら私にだって分からない。そのうちに、ある程度直観的な説明をしてみたいと思う。
とりあえず、「カイラリティ」すなわち、手のひら見たいに、鏡に映すと重ね合わせられなくなる性質が決定的に重要らしい(右手と左手は重ね合わせられない)。
そして縦揺れの原因がカイラリティで、横揺れの原因は何とコリオリ力(遠心力と同じく、回転する物体に起こる見かけの力の一種)らしい。
以前、アメリカで、このラトルバックの逆行の理由を「地球の自転のコリオリ力」だとする商品があったらしく、「そんなわけないだろ」と馬鹿にされたが、まさかこんな形でコリオリ力が復活するとは(もちろん地球の自転のコリオリ力は関係ありません)。
上記の論文では、まず石と台の間が、「滑らない」という条件で計算し、そのあとに「滑り」を計算に入れる。
「滑らない」という条件は、「エネルギーが保存される」ということを意味する。
滑らなければ、接地している点の速度は0である。それなら、どんなに横方向の摩擦力が掛かっても、その瞬間の仕事=力×距離は0である。よって仕事をしなければ、エネルギーは減らない。
これは、足で地面を蹴って前へ進むことを想像すればいい。滑らなければ、その瞬間、足の裏は止まっており、エネルギーのロスはない。
なので、その状態で方程式を解くと、何回でも往復運動を繰り返す、止まらない独楽になる。
これが滑ると、横方向の摩擦力が仕事をしてしまうので、エネルギーのロスが発生してしまう。だから、何往復かしたあと止まってしまう。これが普通のラトルバックである。上のスプーン・ラトルバックのように、止まる前に何回も往復するものも作れる。
逆に摩擦がゼロだと、力がゼロなので、エネルギーのロスはないが、摩擦がなければ「角運動量の保存則」に反するので、回転が止まったり始まったりすることはあり得ない。回転させれば、同じ方向に回転し続けるし、振動もしない。
これは氷の上や、油の上で回してみれば分かる。逆回転もしないし、振動させても回転が始まることもない。
「角運動量の保存則」には、「外力がない場合」という条件があるので、摩擦がある場合には成り立たないが、それが逆回転するトルクを生むと言うのが不思議である。
(世の中には、直観的に納得しがたい、という理由で「摩擦が逆回転の原因」ということをかたくなに拒む人もいるらしい。これは「デュエム・クワインの決定不能性テーゼ」の例になるかもしれない。摩擦がないのに逆回転すれば、「角運動量の保存則」が破れてしまうし、上記の微分方程式を数値解析しても、摩擦が原因で逆回転する様子が観察されるんだから、疑う理由はほとんどない。これはクワインの「意味の全体論」の変わりやすさに「重み付け」がなされているという議論や、ラカトシュの「科学的リサーチ」の「ハードコア」の概念に対応している)
ある方向に回転させると、振動が起きて、次第に回転が弱くなり、ついには止まる。そしてすると振動が弱くなりはじめるとともに、何と逆回転が始まるのだ。
ちなみに、回転させずに振動させると、やはり振動が弱まりながら回転が始まる。
これはなんだか力学の法則である「角運動量の保存則」に反しているようで気持ちが悪い。
どうして、こんなことが起きるのだろうか?
実はこのラトルバック、別名「celt」「celtic stone」「セルト石」などと呼ばれているものは、割と簡単に作れる。私が以前つくったのは、ステンレス石鹸
![[REDECKER/レデッカー]ステンレスソープ(におい落とし)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41V8dtGRDQL._SL160_.jpg)
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に鉛筆を少し斜めに、かつ片方が長くはみ出すように張り付けたものだ。これだと、片方に回すと縦揺れが激しくなって逆回転、もう片方だと横揺れが激しくなって逆回転と、両方で逆回転が起きる。
youtubeを見ていたら、もっと楽そうなのも見つけた。スプーンを折り曲げるのだ。
何回も往復する
こんなのも見つけた。
さて、この非常に不思議な現象であるが、調べてみたところ、すでに微分方程式によってほぼ完全に解かれてしまっているようだ(独楽は解析力学の王道だしね)
現時点で最新の論文
Celt reversals: a prototype of chyral dynamics
を書いたのは、ケンブリッジ大学のH.K.Moffat氏と同じくケンブリッジ大学の時枝正氏。
ちなみに時枝氏は、「専門は流体力学、シンプレクティク幾何、おもちゃなど」とあるように、独楽を始めとした、おもちゃのコレクターらしく、部屋中がそういうものに埋まっていると聞く。
去年には本も出た。
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著者:戸田 盛和
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ところで「celt」=「セルト」という言葉であるが、これもなんだか不思議な感じがする。
「Celt」というスペルは最近では「ケルト」と発音されることが多いように、カエサルが征服したガリアや、アングロ・サクソンが入ってくる前のブリテン島にいたケルト人を通常、意味する。もともとは「ケルト」に近かったのが次第になまって、「セルト」になり、「ケルト復興運動」とともに、「ケルト」と発音されることが多くなった。でもサッカーチームの名前とかは相変わらず「セルティック」である。
それと、この「celt」はどういう関係にあるのであろうか。
実は上記の論文にも書いてあるが、実はこれはもともと間違いから出来た言葉なのだ。
もともとはヴルガータ聖書の1592年のSixto-Clementine版の『ヨブ記』で、「certe」(=「indeed」)という部分が、「celte」とつづられてしまったことが始まりである(ラテン語ではrとlが間違われるなんてしょっちゅうである。日本人は安心していい)。そしてこれを学者が、石を削っている文脈から「古代の鏨か何か」という意味だと判断する。
そして18世紀ごろから、当時の考古学者の間で、この言葉が先史時代に発見される石斧なんかを意味するようになり、「ケルト人」の「Celt」となんか関係あるんだろうなあ、と想像されたことから、特にケルト人の遺跡から発見される石器がこの名で呼ばれるようになる。
それで、そんな石の中にある不思議な性質を持つものを「celtic stone」と呼ぶようになったのだ。
なるほど、この言葉にそんな来歴があったとは。
そして調べて見て驚いたのだが、時枝正氏の経歴を見ると、彼は数学を始める前は何と古典語を専攻していたのだ。
その彼が、この「セルト石」で論文を書くと言うのはなんだか面白い。
ところで、このラトルバックが逆回転する理由だが、上記の論文に微分方程式で説明してあって、それを見れば分かる、と言いたいところだが、そんなこと言われたら私にだって分からない。そのうちに、ある程度直観的な説明をしてみたいと思う。
とりあえず、「カイラリティ」すなわち、手のひら見たいに、鏡に映すと重ね合わせられなくなる性質が決定的に重要らしい(右手と左手は重ね合わせられない)。
そして縦揺れの原因がカイラリティで、横揺れの原因は何とコリオリ力(遠心力と同じく、回転する物体に起こる見かけの力の一種)らしい。
以前、アメリカで、このラトルバックの逆行の理由を「地球の自転のコリオリ力」だとする商品があったらしく、「そんなわけないだろ」と馬鹿にされたが、まさかこんな形でコリオリ力が復活するとは(もちろん地球の自転のコリオリ力は関係ありません)。
上記の論文では、まず石と台の間が、「滑らない」という条件で計算し、そのあとに「滑り」を計算に入れる。
「滑らない」という条件は、「エネルギーが保存される」ということを意味する。
滑らなければ、接地している点の速度は0である。それなら、どんなに横方向の摩擦力が掛かっても、その瞬間の仕事=力×距離は0である。よって仕事をしなければ、エネルギーは減らない。
これは、足で地面を蹴って前へ進むことを想像すればいい。滑らなければ、その瞬間、足の裏は止まっており、エネルギーのロスはない。
なので、その状態で方程式を解くと、何回でも往復運動を繰り返す、止まらない独楽になる。
これが滑ると、横方向の摩擦力が仕事をしてしまうので、エネルギーのロスが発生してしまう。だから、何往復かしたあと止まってしまう。これが普通のラトルバックである。上のスプーン・ラトルバックのように、止まる前に何回も往復するものも作れる。
逆に摩擦がゼロだと、力がゼロなので、エネルギーのロスはないが、摩擦がなければ「角運動量の保存則」に反するので、回転が止まったり始まったりすることはあり得ない。回転させれば、同じ方向に回転し続けるし、振動もしない。
これは氷の上や、油の上で回してみれば分かる。逆回転もしないし、振動させても回転が始まることもない。
「角運動量の保存則」には、「外力がない場合」という条件があるので、摩擦がある場合には成り立たないが、それが逆回転するトルクを生むと言うのが不思議である。
(世の中には、直観的に納得しがたい、という理由で「摩擦が逆回転の原因」ということをかたくなに拒む人もいるらしい。これは「デュエム・クワインの決定不能性テーゼ」の例になるかもしれない。摩擦がないのに逆回転すれば、「角運動量の保存則」が破れてしまうし、上記の微分方程式を数値解析しても、摩擦が原因で逆回転する様子が観察されるんだから、疑う理由はほとんどない。これはクワインの「意味の全体論」の変わりやすさに「重み付け」がなされているという議論や、ラカトシュの「科学的リサーチ」の「ハードコア」の概念に対応している)