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デュメジル

マイリトルポニーの世界観と比較神話学3 竜退治=カオスとの戦い(Chaoskampf)

前回の続き

それではマイリトルポニーの比較神話学的考察のクライマックスとして、「竜退治」=「Chaoskampf」との関係について考えてみよう。

この作品で、そのモチーフが出てくるのが、次のエピソードだ。
特に、前半のセレスティアによるディスコードの説明が重要。

ここで語られるのは、原初のカオスを体現する「竜」の物語だ。

「竜退治」、より正確には「蛇退治」のモチーフ、それは神話や物語でたびたび語られるモチーフだ。
イ ンド・ヨーロッパにおける例だけでも、インドラによるヴリトラ退治、スラエータオナによるアジ・ダハーカ退治(※1)、クロノスによるオピーオーン退治、ゼウスによる テューポーン退治、アポローンによるピュートーン退治、タルによるイルヤンカ退治(※2)、トールによるヨルムンガンド退治、シグルズもしくはジークフリートによるファフニール退 治、ベオウルフによる竜退治などなどたくさんある。
それ以外の文化圏からでも、中近東には、エジプト神話におけるラーのアぺプ退治、ウガリット神話におけるバアルハダトによるロタン退治、そしてアブラハムの宗教におけるヤハウエによるレヴィアタン退治である。
また、かなり離れて影響関係は不明だが、日本にはスサノオによるヤマタノオロチ退治の神話がある。
多くの場合、これらは「嵐の神」(インドラ、ゼウス、タル、トール、バアル、そしてヤハウエも。なおスサノオの「スサ」を「荒れすさぶ」として、「嵐の神」とする見解もある)による、「水神」もしくは「海神」である「巨大な蛇」を退治する物語である。
オピーオーンがクロノスに退治されるまではオリンポスの支配者であり、またピュートーンがアポローンに退治されるまでは、聖所デルポイの番人であり、神託を もたらす存在であったことからも窺えるように、彼らの多くは恐らくは自然神であり、不死の象徴である蛇(※3)として信仰を集めていたのであろう。
ところが、社会の発達により自然を征服すべき ものとする考え方が普及したことや、移住してきた民による土着民の征服などにより古い神が悪魔に姿を変えて伝えられたことにより、ドラゴンは神によって退 治される怪物となったのだ。
特にキリスト教が広まってからは、「蛇」=「原罪の象徴」=「悪魔」であり、神によって退治されるべき「ドラゴン」、というイメージが浸透した(※4)。その結果、神話の蛇退治のモチーフも、「神の使い」(聖ゲオルギウスや大天使ミカエル)が、悪の象徴である「ドラゴン」(ミカエルが倒すドラゴンはサタンそのものだが)を倒す、というものに収斂する。
それが騎士道物語を通じて、近現代のファンタジーでも「ヒーローが悪のドラゴンを倒す」と言うのは定番のイベントになっている。
これはこれで伝統を引き継いでいるのだが、困ったことに「悪のドラゴン」というイメージが強すぎて、もともとは強大な自然神であることが忘れられたり、さらに問題をややこしくするものとして、もともと別に「ドラゴン」じゃなかったものまで「ドラゴン」と思われたりしている。
例えば、バビロニア神話のティアマトは、「辛い水」を意味する原初の海の神であり、全ての神々の母だが、孫であるマルドゥクに殺されて、世界の材料にされた女神である。
これは正に、征服される自然神の例だが、こういう話の類型に対して、西洋人があまりに「ドラゴン」のイメージを持ちすぎたがために、いまだに「ティアマトはドラゴン」という思い込みが見られる。神話学的には50年以上前に否定されたにも関わらず(※5)
そして、それ以外の神話的例も、ほとんどが「巨大な蛇」であり、近現代のファンタジーの「ドラゴン」と言うのは、大概言い過ぎである。
そこで「竜退治」よりも広い、「ChaosKampf」=「カオスとの戦い」という概念をとりいれよう。
これなら、ただ単に、「カオスな自然が、神によって倒され秩序が打ちたてられる」という骨組みだけを語れる。
こうしておくと、例えば、ギルガメッシュが森の守護神フンババを倒して、レバノン杉をウルクの街へ持ち帰った武勲(※6)や、北欧神話における「霜の巨人」との戦いも、「水神」も「嵐の神」も出ないが、同じ類いの物語と受け取れるかもしれない。


そこで「ディスコード」である(ようやくマイリトルポニーの話だ)。
そういう枠組みで考えると、このいくつもの生物が混ざり合ったキマイラ(キマイラもまた、元はヒッタイトで神聖視された聖獣であり ながら、ギリシャに伝わり怪物となり、それがキリスト教文化に引き継がれ悪徳を意味する悪魔となった)のようなドラゴンは、まさにポニーたちによって管理 されない野生の象徴(エバーフリーフォレストがそうであるような)であり、征服されるべきカオスな自然を意味していると言ってよい(※7)。
それを1000年以上前に封印したセレスティアは正に、竜退治をする神話の神々や英雄の後継者である。
カオスな自然を征服することにより、ポニー達に管理された秩序の王国エクエストリアが建立される。
この物語は、いまどき珍しいほど、「秩序、調和」対「混沌」という立場がとられていて、その「秩序、調和」の最たる源泉が「友情」という「徳」であり、「混沌」の源泉が「不和」なのである。


では、今再び蘇った竜を退治しようとする、トワイライトスパークルらmane6は何なのであろうか。
デュメジルはインド・ヨーロッパの神話における「竜退治」に、「若者戦士結社」の儀式に由来する特徴があると主張した。
本当にそんな結社や儀式があったのかはともかく、ジョセフ・キャンベルらが言うように、神話における、怪物退治などの「試練」は、当時の社会の「イニシエーション」=「通過儀礼」=「成長するための儀式」と関係づけられる。
それを色濃く表している部分が上のエピソードの後半とその続きだ。

イニシエーションは通例、儀礼的な死とそこからの再生として語られる。一度死んで生き返ることにより、子どもは大人になって社会の一員となり、英雄は力を得て真の英雄となる。
その「儀礼的な死」が訪れる場所は、多くの場合、洞窟や地下、そして迷宮だ。これらは死の世界であると同時に胎内の象徴であり、生まれ変わるための子宮だと言われている。
彼女たちが一度、その「エレメンツ・オブ・ハーモニー」を失うのは、それらをより輝かせるために必要だったからなのだ。
ただ、その次のエピソードがこれでは、あんまり説得力がないけどな。

結論:トワイリー可愛い。


※1 ちなみに、インド神話のヴリトラの別名「ア ヒ」=「蛇」がイラン神話の「アジ」に対応しギリシャの「オピーオーン」「エキドナ」までつながっているらしい。

※2 このヒッタイトの雷神の名は恐らく北欧のトールや古代ケルト神話の「タラニス」と同じく「雷」=「thunder」と同語源である。
さらに一説によると「イルヤ ンカ」の前半部分の「イル」は現在英語で「ウナギ」を意味する「eel」、後半部分はやはり「アヒ」と同語源、でどちらも「蛇」を意味していると言う。昔の人は「蛇」と「ウナギ」も概念的に未分化だったらしい。
それをさらに敷衍して、ラテン語でウナギを意味する言葉「anguilla」の前半部分は明らかに「アヒ」と同語源の「anguis」だが、後半部分も実は「eel」と同語源のやはり「蛇」を意味する言葉なのではないか、と言う説もある。
またイルヤンカはエピソードの一つでは、酒を飲まされて殺されている。ヤマタノオロチと一緒だ。

※3 一方で蛇を悪魔の象徴とするユダヤ教も、聖書の各 所で、「青銅の蛇」など、蛇を知恵や不死や復活の象徴として使っている。

※4 実はキリスト教時代になっても、正教会などは蛇をキリストの復活や権威の象徴として使用していたりはするが。

※5 ティアマトの姿は、文献による言及からは、尻尾があることくらいしか分かっていない。

※6 こいつのせいで、古代に名を馳せたレバノン杉は、いまや絶滅寸前。とんだ環境破壊の権化である。
なお、ギルガメッシュとエンキドゥは、世界最初期の、「拳を交わした強敵(とも)」であり、ジャンプイズムが溢れかえっていてほほえましい。

※7 今でこそ、なんとなく自然はいいもの優しいもの、という雰囲気でみんな語りがちだが、かつて本当に厳しい自然の中で生きてきた者にとっては、自然は凶暴で怖ろしく、鎮めるためには敬いもするが、退治できるなら退治してしまいたい存在だった。

マイリトルポニーの世界観と比較神話学1 デュメジルの三機能仮説(Trifunctional hypothesis)

比較神話学者のデュメジルはインド・ヨーロッパの神話にはある共通の構造があると考えた。
デュメジル・コレクション〈1〉 (ちくま学芸文庫)
著者:ジョルジュ デュメジル
販売元:筑摩書房
(2001-05)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
それは、インド・ヨーロッパの神には、「主権」「戦闘」「生産・豊穣」の三つの区分が現れるというものだ。
そしてそれが、社会的には「司祭階級」「戦士階級」「平民階級」の区分になり、世界観としては、「天」「空」「地」の三界の区分になる。
さらに、「天」の神であり、「司祭階級」の神であり、「至上権」を持つ主神は多くの場合、契約を破った者を魔力で罰する怖ろしい「夜の神」と、契約を順守する者を光によって祝福する「昼の神」の、ニ柱の神の対によって表現される、という。
例えばインドのリグ・ヴェーダにおいては、ヴァルナ・ミトラの対神が「至上権」を表していて、ヴァルナが契約を破った者を幻力(マーヤー)で縛る神であり、ミトラが逆に縛りを解放する神である。
そしてインドラが「戦闘」をつかさどる神であり、ナーサティヤ双神が「生産・豊穣」をつかさどる神である。
それがインドの三大カースト制、司祭階級「ブラーフマナ」と戦士階級「ラージャニヤ」と平民階級「ヴァイシャ」にそれぞれ対応している。
デュメジルはこれに対応する構造が、ローマの宗教や社会システムにもあることを指摘する。
そこでは、「至上権」を持つ神は怖ろしい神であるユピテル(ローマ史ではローマの初代王ロムルスに対応)と、契約の神であるが歴史時代にはもうどういう神なのか分からなくなっていたディウス・フィディウス(ローマ史的には二代目王でありフラーメンの創始者ヌマに対応)のニ柱の神によってつかさどられている。
そして「戦闘」をつかさどるのはマルスであり、「生産・豊穣」をつかさどるのはクィりヌスである。
ローマではインドほど、この三機能に従った社会体制は発達しなかったが、それでも「ブラーフマナ」に対応し、よく似た戒律を持ち、語源的にも関係がありそうな司祭職「フラメン」があり、この三大フラーメン「フラーメン・ディアリス」「フラーメン・マルティアリス」「フラーメン・クィリナリス」に対応している。
そしてその職務を見ると、「空」「地表」「地中」という、インド神話の空間対応をそのまま一段下げた対応が見てとれると言うのだ。
デュメジルはそこからさらに北欧神話やケルトの伝説に筆を進めるのだが、そこまで追いかけるのはやめておこう。
今回はその対応がMy Little Ponyの歴史にも見てとれることを語りたい。

それが特に現れているのがやはり次の話であろう。

天界の運行をつかさどり、高貴な血筋を誇るユニコーン。空を駆け天候を司り、居丈高な軍人であるペガサス。大地を耕し食糧を供給する重要な役割を持ちながら、みすぼらしい格好をしている平民アースポニー。
完全なデュメジル三機能の構造を持っている。この3つの不和が永遠の冬を、調和が平和を、世界にもたらす、というのも実に神話の要素が強い。
さらに結末近くでうちたてられるエクエストリアの旗。光と闇、昼と夜、陰と陽、太陽と月の調和を表すこの旗(太極図を元にしたのかもしれない)には、歴史的な順序はいまいち不明だが、すでにセレスティアとルナの姿がある。
彼女たちは、エクエストリアの調和の象徴であり、太陽と月を司る、神のような存在だ。彼女たちは正にデュメジルの、至上権を表すニ柱の神、慈悲深い光の神と、怖ろしい闇の神、を表しているように見える。

もちろん、これは神話ではなく、現代人による物語なので、キャラクターたちは、そんな古代神話の紋切り型な役割分担を窮屈に思うだろう。
実際、ルナが反乱を起こした理由もそこにあったのかもしれない。
しかし、皮肉なことに彼女は太陽に反乱をおこすナイトメア・ムーンとなったことにより、最終的には民衆の信仰を集めることに成功することになるのである。

結論:ルナ様可愛い。

続く。

けんさく。の書評 インド=ヨーロッパ世界の基層へ 『デュメジル・コレクションⅠ』

まるでエンターテインメント読み物のようにすらすら読める学術文書と言うのが世の中には実際に存在する。例えば岩波文庫に入っている『古代国語の音韻に就いて』なんかは、まるで推理小説を読むような気分で立ち読みのままののめり込んで古本屋さんに怒られたことがある。
古代国語の音韻に就いて 他2篇 (岩波文庫 青 151-1)古代国語の音韻に就いて 他2篇 (岩波文庫 青 151-1)
著者:橋本 進吉
販売元:岩波書店
(1980-06-16)
販売元:Amazon.co.jp
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最近私が枕元に置いておいて、夜寝る前に読んでいるのが『デュメジル・コレクションⅠ』である。
デュメジル・コレクション〈1〉 (ちくま学芸文庫)
著者:ジョルジュ デュメジル
販売元:筑摩書房
(2001-05)
販売元:Amazon.co.jp
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面白くて眠れなくなるくらい人を引きずり込む本だ。「本と娼婦はベッドに引きずりこむことができる」と言ったのはベンヤミンだが、私が引きずり込まれているんだからわけはない。

議論の大枠はインドの『リグ・ヴェーダ』時代の宗教や社会組織とローマの共和制よりさらに前、王政時代の宗教や社会組織を比べると、よく似ているという話だ。
それは当り前で、サンスクリット語、ラテン語、ギリシャ語、ゲルマン語、スラブ語、などは全てインド・ヨーロッパ語族と呼ばれる同じ言語系統に属し、恐らく全て同じ「インド・ヨーロッパ祖語」と呼ばれる言語が変化したものだ、と言うのは広く知られている。
例えば、ヨガの用語で「チャクラ」というのがあるが、これは「サークル」「サイクル」「ホイール」と語源を同じくしてるし、英語で点火を「イグニッション」と言うのはインドの火の神「アグニ」と同語源である。神の名前でいえばギリシャ語の「ゼウス」、ラテン語の「デウス」(「ユピテル」は父なる神デウス・パテルのなまった物)、北欧神話の戦の神「トゥ―ル」(火曜を意味する「チューズデイ」の語源)、さらにはインド神話の「デーヴァ」、イランの悪魔「ダエーワ」なども同語源で(インドでは同じく神を意味していて「アスラ」が悪鬼を意味するようになり、逆にその「アスラ」がイランの善神「アフラ・マズダー」の語源になっているので、インドとイランでちょうど逆になっているのも面白い)、この「デーヴァ」が漢訳仏典の「天部」の語源になっているから日本まで影響があるのである。(ちなみにインドにも父なる神デャウス・ピターと呼ばれる天空神がいたのだが、リグ・ヴェーダの時代にはすでに主神ではなくなっている)
これは多分西アジアのどこかに住んでいたこの言語をしゃべる人びとが東に言ったのがインド人の祖先になり、西に言ったのがヨーロッパ人の祖先になったのだろう。だったら社会制度も似ていたってなんの不思議もないわけだ。

この本が面白いのは、この対応関係を使って穴埋めが出来る、と言うところだ。
ローマにしろインドにしろ、社会が出来たその最初の部分は記録に残っていない。記録を取ろうと思い始めるのは、社会がかなり熟成してからだからだ。よって肝心の部分はあやふやな伝聞で書かれることになってしまう。

実際ローマの初期の歴史はとても実話とは考えられない。狼に育てられたロムルスとレムスの双子がローマを建国したと本気で考えている人間はいない。大体ロムルスは兄弟は騙して殺すし、女はさらってくるし、約束は絶対に守らないし、どう見たって単なる山賊の親玉だ。それに国の主な仕組みを作ったのが2代目のヌマ王だと言うのも変な話で、いくらなんでもシステムなしで国が何年も経営できるわけはない。
それに初代の王が好戦的な野人だったのに対し、2代目のヌマがいきなりまったく戦争をしない理知的な王と言うのも信じがたい。ロムルスは伝説だが、ヌマは実在では、という説もあったらしいが、この人もあやしい。

それはインドにしたって同じで、文書に残っているものではすでにカースト制が出来上がってしまい、それの発生については良く分からない。

でも一つだけ見ていたら分からないことでも二つを見比べていけば分かるんじゃないの?

多くの比較神話学は「似ている」ことの発見までで止まって次へいけない中、この本では比較の手法を使って面白い事をいうところまでいっている。

例えばインドのカーストには「バラモン(ブラフマン)=僧侶」と「クシャトリア=騎士」という階級があるが、先ほど言ったヌマが創始したローマの古い司祭職に「フラメン・ディアリス」というがある。この「フラメン」というのは「ブラフマン」と同じではないのか、というところから話が始まるのだ。
そして一年の始まりを祝う古いローマの祭りに「ルぺルカリア祭」と言うのがあり、「フェブルウス」と呼ばれるローマ人にとっても正体不明になっていた神に関する祭りだったらしい。そしてこの祭りのときにだけ現れる「ルぺルクス」と呼ばれる騎士階級の若者からなる仮面の集団が、町を走りまわって誰彼かまわず「フェブルア」と呼ばれる鞭で叩く習慣だった。これはレムルスがさらってきた女の不妊を鞭うちでなおした故事とも関係がある。
これとインド神話の「ガンダルヴァ」と呼ばれる暴れまわるとともに芸術をよくする半身半獣の神が関係するかも、と言う話になるのだ(この「ガンダルヴァ」は「ケンタウルス」と同語源なのではないかという説が昔からあった。最近は否定的らしいけど)。
デュメジルがここから、「バラモン」の規定と「フラメン」の規定、「ルぺルクス」の特徴と「ガンダルヴァ」の特徴を比べていく。
そしてここから、ローマとインドに司祭と騎士と言う二つの大きな階級があり、そしてそれに対応する二つの相補的な世界観「司祭的世界観」と「騎士的世界観」が彼らの宗教の大きな柱になっていた、ということを説明していく。
「バラモン=フラメン」は一年中仕事をし、主に世界の「維持」を担当する。よってどちらも必ず結婚していなければならず、子どもがいるのが望ましい。戦争や死に関することにはあまり近づかず、通常の世界進行を司る。イメージとしては「老人」。芸術的なことにはあまり関心を向けないか、禁止されている。
それに対して、「ルぺルクス」や「ガンダルヴァ」は若者であり、未婚であるばかりか、そもそも結婚を通さず生殖行為を行う。戦争などの荒々しい行為を好み、それだけでなく歌や踊りなどの芸術的行為もよくする。「ルぺルクス」は一年に一度しか現れず、「ガンダルヴァ」は普段は他の世界にいる。そしてその仲間に入るには特別の儀式がいる。彼らは破壊行為もするが、それによって何らかの「再生」ももたらす。「ルぺルクス」は鞭うちによって不妊を治し、「ガンダルヴァ」も神の不妊を治す秘密の薬をもっている。
つまり、彼らの宗教にはハレとケ、日常的世界と非日常的世界の、「維持」と「再生」の二つの側面があり、それぞれに対応する社会的階級を持っていたのだ。
そう見てみると、ロムルスとヌマはこの二つに綺麗に対応することが分かり、やはり何らかの神話的起源を持っているのではないかと予想され、もしかしたら「ヌマ」とインド神話の人類の始祖にして法の制定者「マヌ」には何らかの関連があるかも? みたいな話になるのだ。

そしてそこからさらにデュメジルは失われたローマの神話を復元していくんだけど、まるでパズルを華麗に解くのを目の前でみているみたいでめっぽう面白い。
面白いからこそ、こういうのには注意しなくちゃいけなくて、多分これにもいろいろ批判があるんだろうなあ、と思って読むべきなんだろうけど、でもこういう面白さはやっぱ大切だよな、とも思う。
過去のことと言うのは、細かい事は実はほとんど分からない。残っている部分だけ見てるから結構残っている気になるだけで、少し想像力を働かせてみると、ほとんど分からないことだらけなのが分かる。僕らは昔の人が「本当に」どんな言葉を喋っていたのかだって正確なことは分からない。
でも、「学問をする」という行為の裏には「頑張れば一歩ずつだけれども分かっていく」という信念がある。
そういう信念を鼓舞してくれる良い本だと思う。
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