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ドラムンベース

「Pendulum」の「Knife Party」への脱皮を言祝ぐ

90年代中盤、「The Prodigy」が非常に高いレベルでテクノ系ダンスミュージックとロックを融合させた(しかもCDとliveの両方で)ことにより、そのスタイルを受け継ごうというバンドがたくさん現れた。
そんな中でも特に、熱かったのが2002年にデビューしたオーストラリアのバンド「Pendulum」だった。
彼らの出すバキバキした感触の音で繰り出される高速どらムンベースと高速ブレイクビーツは21世紀のテクノのメルクマールになってるし、勢いよくはじけるヴォーカルは会場をロックコンサートの興奮に巻き込んでいる。
ライブで、ターンテーブルやラップトップを駆使する傍らでギターが生演奏しているスタイルは、やはり「The Prodigy」を思い出させる。『Voodoo People』のremixも有名である。
とりあえず彼らの曲を聴いてみよう。

『Showdown』

キャットファイト好き大歓喜pv。

『Slam』

半裸で踊り続けるデブのおっさんが有名なpv。金が掛かってなくていいね!

『Voodoo People(Pendulum Remix)』

pvに出てるのはThe Prodigyの面々ですが。

『Watercolour』

出てくる黒い液体は磁性流体ですね

『Crush』

破滅的なストーリーを伺わせるpv

The Prodigy同様、このバンドはライブがいい。

2010年サマーソニックで来日の時の映像
『The Vulture』『Voodoo People』

MCがいると曲がさらに栄える。

2009年イギリスのGlustonburryでの『Shouwdown』


同じライブの『Granite』


ちょっと変わり種。Metalicaの『Master of Puppets』カヴァーからの『Slam』


で、ここまで書いといてなんだけど、実はこのバンド、最初聞いたときこそ「むちゃくちゃかっこいいじゃないか」と思ったものの、わりと早く飽きたのである。
なんか、なにを聞いてもおんなじに聞こえるような気がしはじめて。
音作りもリズムもそんなに手数がないように思えたのだ。

だから、、ヴォーカルのRob SwireとベースのGareth McGrillenがダブステップのユニット「Knife Party」を結成して、Pendulumとしての活動を無期限停止したときは、驚いたし、彼らの次にステップにわくわくしたのだ。
とりあえずスタートにおいては「Knife Party」は「Pendulum」よりも進化している。音がさらに凶暴に進化しているのだ。個人的にはずっと好きだ。
次はいったい何をするのか、楽しみである。

『Internet Friends』

「You blocked me on facebook, and you're going to die」
変な女につきまとわれる恐怖を描いた歌だが、途中の着信音はモノホン過ぎて少し慌てる。

『Centipede』

「centipede」というのは「centi」=「百」、「pede」=「足」という名のとおり「百足」を意味する。
害虫駆除というのは、どうしてもバロウズを思い出させる。

『Destroy Them With Lasers』

「奴らをレーザーで殺せ!」

『Rage Valley』


『Fire Hive』


『Bonfire』

「bonfire」とは、ワルプリュギスの夜とかに行われるかがり火の総称で、動物の骨を投げ入れたことから「bone」+「fire」でできた言葉。
ちなみに英語版wikipediaを見ると、五山の送り火がbonfireの一種に数えられているが、もちろん「お盆」とは何の関係もない言葉である。

Knife Partyの曲はすべてディジタル・ダウンロードによって販売されている。
買いたい人は公式ページかitunesににいくといいよ。

世界で最も重要な6秒間のドラムブレイク

著作権について考えるときにぜひとも知っておきたいのが、Hip-Hopやハウス・テクノ業界における、「サンプリング」という手法だ。
それは既存の音楽の一部を切り取ってきて、ループさせたり、ピッチや速度を加工したり、場合によっては原形をとどめぬまでに再構成して使う手法である。
同じ「サンプリング」という言葉であらわされる手法に、電子音楽において発達した、「人の声や工場や自然の音を記録して、素材として使う」もあり、最初は出自も内実も全然違うものだったが、両者の発展とともに、まぜこぜになって言っているような気もする。

そしてそのような「サンプリング」の元ネタとして、もっとも重要な「アーメンブレイク」について説明してくれるのが、次の動画である。

アーメンブレイクの歴史


アーメンブレイクが世界に最初に登場したのは次の曲の1:26である。
The Winstons 『Amen Brother』(1969)


それではこのドラムブレイクの変形の歴史を見ていこう。
長い眠りの後、これはサンプリングされ、1980年代後半から、Hip-Hopにおいて、ただ速度を遅くしてループさせるだけの手法で、幾つもの曲に利用されている。
N.W.A. 『Straight Outta Compton』(1988)


3rd Bass 『Wordz Of Wizdom』(1989)


MANTRONIX 『King Of The Beats』(1990)


1990年代に入ると、テクノにおいて、楽曲の複雑化が始まり、レゲエから発生した「ラガジャングル」で、ドラムブレイクをバラバラにして再構成する、ブレイクビーツの技術(これもHip-Hopによって発明された)が大々的に導入される。そこではこのアーメンブレイクを一度バラバラにし、複雑な音の構造体へと再構成している。
Shy FX & UK APACHI『Original Nuttah』(1994)


さらにそこからレゲエが抜けると「ジャングル」になり、
L.Double & Younghead 『New Style』(1996)


そこにジャズを足すと「ドラムンベース」になる。
4 Hero 『Escape That』(1998)

4 Heroは初期のドラムンベースの完成者。これは少し後の作品だけど。

そして、ドラムンベースのブレイクビーツをさらに複雑怪奇なものにしていくと、「ドリルンベース」と呼ばれる、非常に特殊なジャンルになる。
Aphex Twin『Girl/Boy Song』(1996)

ストリングとピチカートの美しいメロディと暴力的なブレイクビーツが奇妙に調和した「テクノ・モーツァルト」の傑作である。

Squarepusher 『VicAcid』(1997)

非常にジャズ・べーシストらしい作品で、こちらも傑作。

ブレイクビーツの手法がさらに奇形的に進化すると、「ブレイクコア」というジャンルになる。ここら辺になると、だんだん、音楽とノイズの区別がつかなくなってくる。

Hrvatski(Keith Whitman)『Routine Exercise』(1998)


Venetian Snares 『Szamar Mader』(2005) (映像はファンによる自主制作)

ちなみにチェロの音の元ネタはこれ
Edward Edgar 『Cello Concerto』


「ブレイクコア」というジャンルでは、激しく「サンプリング」を行うために、著作権的にアウトな作品が多く、表の世界にあまり出てこない(これない)。Venetian Snaresは、サンプルを自作するので、このジャンルで例外的にメジャーなアーティストになっている。アルバムのたびに、作風が変わることでも有名。
『Americanized』(2004)

『Die Winnypeg Die Die Die Fuckers Die』(2005)

『My So Called Life』(2010)

サイコーッ!!!


アーメンブレイクはこれらの電子音楽だけでなく、有名バンドの楽曲の中にも、知らぬうちにまぎれていたりする。
Oasis『D'You Know What I Mean』(1997)


Nine Inch Nales『The Perfect Drug』(1997)



このアーメンブレイクを取り囲む状況では、著作権の縛りが弱いことが発展にプラスに作用した。Hip-Hopにしても、ハウスやテクノにしても、DJ文化は最初、大規模商業とは遠いところで発生したので、そのような縛りが発生しなかったのだ。
しかし、ジャンルが発達し、金の臭いを嗅ぎつけた大企業が参入し始めると、すぐに著作権の問題が発生し、かつてあった楽園は消失する。その束縛を受け入れたものが(脱臭除菌された形で)表の世界に出ることができ、それが出来ないものは地下に残った。

ではなぜ、そんな著作権など我々は守っているのだろうか。それは決して必要悪なんかではない。

そもそも著作権について考えるときに忘れていけないのは、それは決して「自然なもの」なんかではないことだ。
自然な状態では著作権なんてない。人がやっていることはなんでも真似していい。そうすることによって、技術は伝わり、人類は発達してきた。
我々がなんとなく、「著作権は守らなくちゃいけない」と思ってるのは、文化的教育の賜物であり、そういう教育を受けなければ、人のやっていることを真似していけない理由など理解できない。
パクる側が自然なのであって、我々が不自然なのだ。そこを間違えてはいけない。
ではなぜ、そんな不自然な仕組みを作ったの?
そっちの方が、みんなが生きやすいと思ったから。
自分が作ったものを、自分が作ったとも知らずに、みんなが何の感謝もなしに使ってたら気分悪いでしょ? また新しいものを作ろう、なんて気分にはならないでしょ。だから、つくった人に、しばらくの間特権的使用権を認めようよ。というのが著作権だ。
しかしこれは際限なく強くしていいものではない。そうすれば、他の面で、それを享受しようと言う人々や、それを使って、自分で新しい作品を作ろうとする人々の邪魔をしてしまうからだ。
そもそもこの仕組みのこころは「製作者のプライドを満足させること」ではなく、「あたらしいものを発明する人をサポートする」ことにより、長い目で見れば「みんなが生きやすくなる」ことなのだ。
それが「あたらしくものを作る人」ではなく、「すでにものを作った人」や「すでに作られたものの権利を持っている人」を守ることに使われているのは明らかに本末転倒である。
Hip-Hopやテクノが自由にアーメンブレイクを使えたのは、権利者が存在を忘れていたからだし、同人誌やファンアートが許されているのは単なるお目こぼしだ。しかしこれは明らかに、危険な状態だ。
表現ジャンルの健康な発展のためにも、いろいろと考えなければいけない。

補記:別に私はバロウズみたいに、「盗め」と言っているわけではない。読みなおして、そう勘違いされるかも、と思って。
重要なのはバランスで、その時に気をつけなければいけないのは、「道徳問題」にしないこと。
「著作権侵害は道徳的に悪い」から著作権擁護するのでも、「大企業による既得権益が道徳的に悪い」から著作権反対するのでもなく、私たちが生きやすいバランスを見つけることが大事。それを道徳の問題にしてしまうと、どうしても「白か黒か」の議論になってしまうから危険なのである。
要は楽しく生きたいよね、って話である。
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