けんさく。

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フラクタル

フラクタル時計作った


フラクタル時計

時間によって模様が変わって結構面白い。
そのうちさらにいじるかとりあえず公開。 

フラクタルの木

JavaScriptでフラクタルの木を動かせるようにしたよ。

フラクタルの木 

そのうちいろいろ弄ったり、説明文になってない小説を加えたりしよう。

ちなみに思いついたのは下に貼った本(通称ブルーブック)を読んでGhostScriptで遊んでるときで、その日のうちに書いてみた。※1
PostScript® Language Tutorial and Cookbook (APL)
Adobe Systems Inc.
Addison-Wesley Professional
1985-01-01

思いつき駆動プログラミング。
しかしいいねPostScript。スタック志向は単純で良い。文法が無いのが文法の究極の姿だとLispで学んだ。
ところで、今画像生成のためにプログラミングするというと、何なんだろか。
Web上でインタラクティブに動かすつもりなら、JavaScript書くか、CoffeeScriptで書いてJavaScriptに変換するか、もしくはprocessingで書いてprocessing.jsで動かす(結局JavaScriptか)って感じなんだろう。
データを解析し、それを画像の形に出力するなら、何らかのプログラミング言語からImageMagickを使うのが王道ではなかろうか。
しかし、そもそも動かす必要もないし、複雑なデータを解析する必要もない場合も多かろう。
すると、どの言語も汎用性が高すぎる。
汎用的な道具を使えるようにするのは重要だが、ドアノブをを治すのに工業用ロボットを持ってきても困る。かと言って、全ての作業に専用の道具を用意するのもまた非効率。うまいこと複雑な作業と簡単な作業に分けて、混乱しない程度の量の道具でできるだけ多くの作業にストレスを感じずに対処したい。
するとPostScriptって結構使えるんじゃなかろうか。もちろんGIMPやInkscapeを使うことも視野にいれての話だが、規則的な図形だったらPostScript手書きも選択肢にあるんじゃなかろか。GIMPもInkscapeもある種の単純な反復作業をやるには複雑すぎる気がする。
例えば数学教師とかが、PostScriptを学べば、図とか作るのに便利なんじゃないか。慣れればマウスでやるより速くやれるし、再利用もしやすかろう。
数学教師のためのPostScript。ううむ、どんなもんだろうか。 


※1 ちなみにこの本、公式だけあってとても分かりやすいし、英語版ならネット上に無料のPDFが置いてあるのも良いが、107ページ(日本語版だと121ページ)に、(   )の中の半角スペースの個数が足らないとエラーが出て動かない(ちなみに正解は三個。postscriptの文字列は全て可変で、これは単に必要なメモリ領域を確保しているだけなので三個以上ならOK)、という鬼畜なコードが書かれている。もし紙の上に印刷されていたら目視では判断のしようがない。本来DTP用のソフトウェアのはずなのにそんな馬鹿な、という感じである。
同様に、世の中にはpythonやyamlのコードの複数の入れ子から一気に抜けるところで改ページをしてしまう紙の本が結構ある(しかも結構いい本で)が、そんなの目視で分かるわけねえだろが。 
集合知プログラミング
Toby Segaran
オライリージャパン
2008-07-25

 
どちらもとってもいい本ですよ(半ギレ)。
ちなみにとある著者にこのことの文句を言ったら、「その観点は初めてだ」と驚かれてしまった。そうかなあ。普通に考えることじゃないかなあ。

『恐竜惑星』『ジーンダイバー』に90年代半ばの複雑系ブームを見る

『恐竜惑星』や『ジーンダイバー』を見ていて思ったことを、少々(とか言って、少々じゃなくなったけど)。
恐竜惑星 DVD-BOX恐竜惑星 DVD-BOX
出演:柴田由美子
販売元:アミューズ・ビデオ
(2003-06-27)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
ジーンダイバー DVD-BOXジーンダイバー DVD-BOX
出演:白石文子
販売元:アミューズソフト販売
(2003-12-26)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

この「ヴァーチャル三部作」は金子隆一のSF設定により、実に細部にこだわった作品に仕上がっていて、直接説明していない部分にも、面白いSFガジェットが溢れていたりする。
その一つに「フラクタライズ・エラー」という言葉がある。
それについて一席述べて見よう。

これらの作品はどれも、単なるシミュレーションに過ぎないはずのヴァーチャル世界が現実に影響を与えるという、基本骨格を持っている。

『恐竜惑星』においては、
情報密度がある特定の値を超えたところで、あたかもブラックホールのように情報空間の最高密度の領域で「縮退」の過程が起こり、この空間にアクセスできる他の平行宇宙へのワームホールが開いたのである。人間が、自分たちの地球の歴史の完全な再現シミュレーターとして作った世界は、いつの間にか、平行世界からもコンタクト可能な多元宇宙の交差点と化していたのだ。

『恐竜惑星』DVD一巻 特典 「恐竜惑星の世界 初期設定」より
としている。
これは、量子力学の解釈の一つ、「エヴェレットの多世界解釈」から来ている。それによると、この宇宙はいくつもの世界の重ね合わせで出来ていて、観測によってそれらの世界の一つが選ばれる。
それで、本来は分岐したまま、出会わなかったはずの、恐竜が絶滅して人類が進化した世界と、恐竜が絶滅せずに恐竜人類に進化した世界が、ヴァーチャル世界において、もう一度重なってしまったのだ。
そして、さらにヴァーチャル世界において起こったことが、その様々な世界に影響を与えることになる。例えばヴァーチャル世界で、哺乳類を滅ぼせば、人類は消えてしまう。
物語の後半では、「絶対的な観察者」=「宇宙の眼」を作ることにより、世界の分岐の中から好きな世界だけを選んで、他の世界を消そうとする敵が現れる、というストーリーになる。
なんだか、この部分は、「観測されなかった世界は、消えるのか、それとも分岐するだけなのか?」という矛盾する考え方の両方をとっているようで少し破綻してるし、観測者がどの世界を観測するのかを選べるのか? という部分に疑問が残るが、まあ細かすぎる突っ込みはやめておこう。

『ジーンダイバー』においては、そこら辺の理屈はあまり追及されずに、とにかくエラーによって情報量が爆発的に増え、それによって、シミュレーションが現実に影響を与えかねない、という話になっていた。
そこら辺は前作で追及したから、もう良い、ということだろう。むしろ、『ジーンダイバー』はそのエラーがなぜ、誰の手によって起こされたか、が追求される。
『恐竜惑星』では、エラーの理由は、単に「一度始まったシミュレーションは人の手を離れ、止まらなくなる」くらいの理由付けしかされていない。

共通する部分は、情報量がある臨界を越えると、シミュレーションが単なるシミュレーションではなくなって、現実に影響を与える、というところだ。
これはいわゆる「相転移」というやつで、ここには当時(1990年代中盤ごろ)ブームになっていた、複雑系の考え方の影響があるのだろう。
水の分子一つ一つの運動は、それほど複雑ではなく、予想もしやすい。
そして水の分子の運動は、0℃以下でも100℃以上でも、何の変化もない。
しかし、水の集団は、0℃以下になると凍り、100℃以上になると沸騰する(これを「相転移」と呼ぶ)。
統計的集団は、一つ一つの物からは予想もつかない現象を起こす。
そして相転移の中には、一見何の秩序もなかった集団に突然、秩序が生まれるようなものもある。
それはもちろん神秘的な何かがあるのではなく、単純な現象が大量に積み重なると、我々がその単純さから想像できる範囲を越えた現象が起こるのでびっくりするだけだ。
そしてそれを特に扱おうとする科学が「複雑系」だ。
例えば、「カオス」と呼ばれる現象では、地球の気候や、肉食動物と草食動物の個体数の変化など、比較的単純なルールに従う系が、予想外に複雑なふるまいをして、事実上予想不可能になってしまうことを扱う。
我々は単純な原因からは単純な結果しか出てこないと思いがちだが、それらが多量に集まると、まったく異なる様相を呈すことがあるのだ。
昔は、割と「単純な原因から単純な結果が出る」ものだけを扱っていたのだが、「複雑系」以降は、それじゃダメだ、ということになっていったのだ。
両作品の根底にある、「情報量が臨界を越えると、相転移を起こす」、「既知の物を大量に集めると、未知な現象が起こり得、そこでは技術的な予想可能性を抱えてしまう」などの考え方にはやはり、「複雑系」や「カオス」の考え方の影響が強い、と思われる

そして、その情報の増え方にも、当時のブームの影響がある。
『恐竜惑星』においては、コンピュータは「自己畳み込み型のホロ・フラクタル・メモリー・ユニットを大量に使用する史上初の実用機」とされている。
また、ジーンダイバーにおいて、情報が爆発的に増えたのは「コンピュータの暴走によるフラクタライズ・エラー」によって、ということになっている。
「自己畳み込み」とか「フラクタル」とかなんであろうか。
次のコッホ曲線が分かりやすいであろう。
Koch_curve_(L-system_construction)
この、「自分と同じ図形を自分の中に埋め込んでいく」ことが「自己畳み込み」であろう。
これを無限に行った図形は「自分の内部と相似な図形」=「フラクタル図形」となる(それを「コッホ曲線」と呼ぶ。「2次元の図形は長さを2倍すると全体の量が4倍になり、3次元の図形は長さを2倍にすると全体の量が8倍になる」という意味での次元〈ハウスドルフ次元orフラクタル次元〉を考えると、この図形は長さを3倍にすると全体の量が4倍になるので、この図形の次元はになる)

もともとは複雑な海岸線の長さを調べていくと、細かく見れば細かくみるほど細かい入り江の部分が加算され、長さが長くなっていき、事実上無限の長さを持つことになってしまうことから発見された概念である。上のコッホ曲線も、もしあの操作を無限回すれば、無限の長さを持つことになる。
海岸線以外にも、自然界の様々なもの、例えば、木(木、枝、葉脈、と自己相似になっている)、雲、雪の結晶、小腸の内壁、などがフラクタルになっている。
人体も、全ての細胞に、人体の設計図が入っているから、フラクタル的ではある。
この時代、複雑系ブーム、カオスブームの文脈から、フラクタルも大いに人口に膾炙したものなのだ。

『恐竜惑星』のコンピュータにおいては、この「自己畳み込み」は最初から備わっている機能で、それによって、どんどん情報量を増やし、いつの間にか人間の手を離れて行ってしまったのだ。
対して『ジーンダイバー』においては、「黒幕」の存在を窺わせるために、この「自己畳み込み」は普段は起きておらず、エラーによって起きたことにしてある。そのエラーが誰によって起こされたかが、物語の要点になるのだ。

ここでまた、細かい突っ込みをすると、フラクタルは自分と同じものを自分の中にたたみこむだけなんだから、実は情報量は増えない。
自分と違うものが中に入っていた方が、当然情報量は増える。
フラクタルというものは、一見複雑そうなものが、単純なルールからできることの例で、見かけほど情報量が多くないのだ。

実は数学者側からの理解では「フラクタル」は、
「今までは自然界にめったにないような単純なものしか扱えなかったけど、自然界に溢れるこんな一見複雑そうな図形も、実は単純なルールで出来ているから、かなり数学的に扱える」
という認識だったのだ。
ただ、大雑把な世間の需要の仕方は、「こんな変なものがある」程度で、それで科学の扱える範囲がまた広がった、という認識はなかったような気がする。

そして複雑系やカオス理論においては、そのギャップがますます大きかったようだ。
カ オス理論もまた、一見でたらめなものが、実は単純なルールに従っていることがあり、また逆にいえば、単純なルールに従っているにもかかわらず予想不可能な 振るまいをするものがある、という理論だった。
だからやはり、「今まで数学で扱えなかった複雑だったり予想不可能だったりする現象が数学で扱えるようになった(し、扱わなくてはいけない)」という考え方だった筈なのだが、この時期のヒット映画『ジュラシックパーク』をはじめ、おおむね勘違いされ、「世の中、科学じゃ分かんないことだらけよ」みたいな認識だったような覚えがある。
なんで、「科学に限界がある」ってことがそんなに嬉しいのだろうか。
科学じゃ分かんないことだらけなのは、科学をちゃんとやってれば誰だって知ってなきゃいけない話で、それでも少しずつ科学で分かることが増えることが大事なのに。(もちろん、カオスや複雑系に「科学による予想の限界」を明らかにした、という側面がなかったわけではない。しかし、科学の中でその限界の理由が分かったのは、大きな進展で、どこまで予想できるか、予想できないなりにどう対処すべきかを考えるのにますます科学に頼らなくてはいけなくなって、ますます科学は偉くなったともいえるのだ)

そう考えると、『恐竜惑星』も『ジーンダイバー』も、「フラクタル」に関しては、そういう通俗理解をなぞってる側面が無きにしも非ずだけど、でもそうしないと物語として面白くなりそうにないんだから、別に私は非難する気はないんである。
SFが通俗科学なのは当たり前。SFの目的は、科学を面白く誤用することなのである!
その点で『恐竜惑星』も『ジーンダイバー』も実に偉い。
さらに、「カオス」や「複雑系」に対しては、単なるカッコよさだけの「バズワード」としてだけ使ってる作品も多かったなかで、直接は言及せずに、分かる人にだけ分かる形に世界観に織り込むのはさすがである。
そしてそれが、科学の発展が人類の未来に必然的に持ちこむであろう予測不可能性に、正しく警鐘を鳴らしている、と言ったら褒めすぎであろうか。

Cyriak Harrisの夢魔宇宙

Cyriak Harris、通称Cyriakはイギリスのフリーランス・GIFアニメーターであり、コマーシャル・フィルムやミュージック・ヴィデオを制作しているが、なによりその不条理な世界観で有名である。
彼のアニメーションやイラストなどには、肉体の異様な変形が多く描かれる。それは本来、単なる物としては扱われないはずの肉体を、まるで機械の部品のように扱うという、ブラック・ユーモアの常套手段であり、モンティ・パイソンにおけるテリー・ギリアムのOPアニメーションやヤン・シュヴァンクマイエルのクレイアニメーションによる人体破壊を思い出させる。が、コンピュータによる画像処理という、先輩達にはなかった技術を自由に使いこなす彼が作る世界は、悪夢的イメージが増殖していくその物量や、執拗でリズミカルな差分変化の繰り返し(これらこそコンピュータの得意技だ)によって、先達のそれを凌駕している。

さて、彼の作品は、彼の公式サイトに行ってくれれば(テレビ見てる男にカーソルを合わすのを忘れないこと、大抵見られるはずだが、それではなんなので幾つかの作品を紹介してみよう。

まずは彼がニコニコで有名になった作品
『Cycles』

これだけの長さの作品に驚くべき量のアイディアがつまっていることが素晴らしい。同時にいくつもの事態が進行しているので、一回では把握できない。何回見ても新しい発見がある作品である。
なお、この独特のチープな雰囲気の音楽はCyriak氏が自分で制作しているもので、この高音部と低音部が奇妙に乖離した強いビートは、映像とよく調和して、効果抜群である。

『Cows & Cows & Cows』

動物の肉体を変形する作品は、ここくらいから始まっているようだ。

牛シリーズ
『MOO!』

UFOが出てくるのは、今となっては懐かしいキャトル・ミューティレーションですな。
牛が良く出てくるのは、もしかしたら、Cyriakが最も歴史があり最も権威あるTFG(テキストファイルグループ。馬鹿みたいな名前だが、要は誤情報、怪文書をネット上に流して遊ぶハッカー集団)である、カルト・オブ・デッド・カウ(1984年に屠畜場にて、グランドマスター・ラテ、フランケン・ジャイブ、シド・ヴィシャスらによって結成。すでにこの時点で相当ふざけた野郎どもである)のpvなどを作っている関係なのかもしれない。

牛じゃなくて羊
『Baaa』

音楽とのシンクロなど、様々な点で完成度の高い作品。後ろの影もちゃんと変形しているなど、非常に芸が細かい。

今度は手
『Walks of Life』

手による 生命の歴史。なんかずんぐりむっくりで可愛い。
フラクタル的世界観も彼の特徴である。
これなどはその典型。
『hand fingers』


そして、この肉体変形を人間にやるとこうなる。
『Something』

悪夢ですな。

実は可愛い作品も作れるCyriak。
『MEOW』

ゾンビは踊る。義務と言っていいほどに踊る。

これも猫だが、珍しく大人しめの作品。


そしてこれこそCyriak
『Welcome to Kitty City』



Eskmoの『We Got More』のpv

人間の空間把握能力に確実にダメージを与える映像編集技術が素晴らしい。

『Cobwebs』

これが最新作なのかな?
情報の蜘蛛、人間の蜘蛛、都市の蜘蛛、というフラクタル構造。

少し昔のCyriakの総集編。
Animation Mix

いつも感心するのは、少ない素材を何種類ものアイディアで料理していくこと。
ほとんど一種類しかない素材で一作品作ってしまうことも多いし、同じ素材が別の作品で全く違う使い方がしてあることも多い。
質の問題を無視するわけではないが、ギャグにおいては、絶対的な量の違いが重要なのだという、『世界の喜劇人』における小林信彦にして気を思いださせる。
ちなみにbgmの題名は『no more memory』だそうだ。

その他一発ネタ集
『Scratchzilla』

ゴジラも大好き

LHCでブラックホールが発生した瞬間の映像
LHC Webcoms
このときは、うちの大学でも大騒ぎだった。これで住民の反対運動が激化して巨大加速器を作りにくくなったんだよな。

季節外れだけど、Cyriakからのクリスマスカード

ひどい。

もういらなくてももう一枚。


アメリカでのカートゥーン・ネットワークの大人向け番組「Adult Swim」(以前紹介した『ホームムービーズ』などが放送された)内のクリップ

Leaves of Words
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