けんさく。

けんさく。が、いろいろ趣味のことをやるページです。

マイリトルポニー

マイリトルポニーは女の子向けアニメの新境地を開拓し続けてるなあ

『マイリトルポニー』は大きなお友達の多さから、アメリカの『プリキュア』だと言われたりするけど、内容的には女の子向けに容赦なくえげつないネタを入れたり、パロディネタを入れたりと、どちらかと言うと『ジュエルペット』に近い。特に『ジュエルペットサンシャイン』に。
しかし、その『ジュエルペットサンシャイン』すらそんなのやらねえよ、というネタがだんだんと入るようになって、びっくりする。
なんというか妙にリアルでドキッとするのだ。
もともと『マイリトルポニー』は、「友達の友達がガラが悪くて付き合いづらく、万引きをしているところを目撃してしまったりして、どうしたら良いかわからない」とか、「目立つことが好きな子を差し置いて、目立つことが嫌いな子が芸能界デビューしてしまい、片方は嫉妬の心を隠して応援し、もう片方は本当はそんな仕事したくないのに応援されているからには頑張らなくちゃと思って、両方不幸になる」とか、リアリティにあふれるエグい話が目白押しだった。
シーズンが進むに連れ、ストーリーのエグさは減る傾向にあるものの、普通のアニメではやらないような「女のアルアルネタ」をギャグに昇華する手並みにはほとほと感心する。
例えば、シーズン3のディスコード改心回『Keep Calm and Flutter On』では、皆がフラタシャイのことを内心でどう思っているかが現れてしまうシーンが秀逸。

フラタシャイ自身も、自分がどう思われているかわかっているのもいい。おとなしいキャラだって、心のなかにはいろいろと抱えているのが自然なのだ。フラタシャイはそれをうまく表に出すのが一番下手だからこそ、つまりいつも一番我慢しているからこそ、この話では怒りを内面に抑え続け、最後までディスコードを信じようとすることが出来たのだ。つまり、弱さを持つキャラクターの強さがうまく演出できていて、感心する。だからこそ、彼女にも見捨てられた時のディスコードの驚きが表現されるんだよな。
しかし、その弱さに秘められた強さが、一見ただの「間抜けさ」に見えることをギャグとして提示してしまうのがいいんだ。
次に、シーズン4の傑作『Simple Ways』では、お化粧が大好きなラリティが泣くと、涙でマスカラが溶けて、涙が真っ黒になるという、今まで見たことがなかった描写が入る。

アメリカではこれが萌え要素の一つだというから恐ろしいが、もう腹を抱えて笑いましたよ、ほんと。
この描写はスタッフもよほど気に入ったのか、その後ラリティ号泣シーンの定番となり、さっそくシーズン4の『Inspiration Manifestation』でも黒い涙を流し、しかもアイスクリームを馬鹿食いするという、これまた女特有の行動を取るというおまけ付き。もう可愛いなあ。

シーズン5の最新話『Tanks For The Memories』では、女の子特有の「誰かが泣いていると、関係ない奴まで一緒くたに泣き始める」という謎行動を見事に活写。

泣いてない奴が謎の疎外感を感じるという理不尽なおまけ付き。あとラリティさんまた黒い涙流してるよ。それぞれのキャラクターの違いを行動として表現できているのがグッド。
ここらへんの描写を見事にギャグにしてしまうところが嫌味がなくていいなあ。別に女を批判しようと言うんじゃないんだ。面白いなあ、変だなあ、と男も女自身も思ってるだけで。
愛だよ、愛。
 

日本のブロニーは頭おかしい(褒め言葉)

良い意味でも悪い意味でも。 
その集大成がこれだ。
 
これを見ていたら、私も日本のMLP文化へ貢献しなければという思いが沸々と沸き起こったので、ここではないどこかで二次創作小説を書こうと決意してしまった。
もしどこかで見かけたら生暖かく見守ってくださいな。 

女児アニメでディストピア物とは恐れ入る 『マイリトルポニー』 シーズン5

とうとうマイリトルポニーのシーズン5が始まったね。
放送時間(日本時間の土曜日の深夜)にはパソコンの前でかぶりつきで見てるよ(どうやって見てるかは秘密。まあ、EQDに行けば分かるんだけど)。
さて、その第一話(厳密には1・2話。マイリトルポニー FiMでは、シーズンはじめは必ずヴィランを倒す前後編になっている)は、いきなり女児アニメとは思えない思い代物だった。

 

女児アニメでも共産主義批判とはさすがアメリカさんやでえ! という感じである。
まあ、共産主義批判(というか過度の平等主義批判)と言っても、それほど深い内容ではなく、狭い部屋への監禁と抑揚のない洗脳放送など、この手のものの定番をなぞったような感じだが、それでも女児アニメでこれをやられるとちょっと異様な感じがする。
もう、「見てるのはどうせ成人男性ばかり」と居直ってるんじゃないかと思わせる感じだ。「平等の杖」はどう見たって、『新世紀エヴァンゲリオン』の「ロンギヌスの槍」だし。だったら、スターライト・グリマーがやりたかったことは「ポニー補完計画」なのだろうか。
後編冒頭のドアを叩いている音を聞いたとき、「どこかで聞いたような」と思って一生懸命思い出したら、これだった。
 
これは『Papers, Please』っていう、架空の共産主義国で、入国審査官になるっていうゲームを、マイリトルポニーの登場人物を主人公として実況する、というシリーズなんだけど、このスタンプを押す音が、なんだかドアを蹴る音に似ていたような気がしたのだ(実際聞いてみると別に似ていないが)。
まあ、なによりこのゲームも共産ディストピア物だしね。これって、もともとの意図としては、「かわいいマイリトルポニーのキャラを、似合わない世界観の中で動かして、違和感を楽しむ」って感じだと思うんだけど、本編でその世界観を出してしまうというところが、マイリトルポニーのすごいところだといえよう。
互いに監視しあう住人とか、仲間に入るために、誰かを密告しなければいけない(そうすることで、組織への忠誠度を試している)とか、かなりエグい描写も入れてる。

しかし、アメリカ産の共産嫌いも年季が入ってるなあと思ったわけだが、よく考えたら『マイリトルポニー』のシリーズはそこら辺のバランス感覚も結構うまくてきているのかもしれない。
昨年2014年の秋に公開された、『マイリトルポニー』の人間化(「擬人化」という言葉は明らかに誤用なので)による劇場用映画シリーズ『Equestria Girls』の二作目「Rainbow Rocks」のヴィランは過度の競争主義を標榜していたのだ。


 
一作目を見ていない人は、一作目から見ることをおすすめする。人間化と聞いて最初はびっくりしたが、これがかなり可愛くてよく動いて音楽も良くて、いいのだ。特に二作目はmane6もサンセット・シマーもヴィラン(特にソナタ)もみんなむちゃくちゃ可愛い。フラッシュセントリーは別にどうでもいいよ。
一作目のヴィラン、 サンセット・シマーも「自分が一番」というキャラだったが、2作目のヴィランズ、ダズリングズは、この「自分が一番」という心を人々に植えつけることにより、混乱をもたらす。
もちろん、それを主人公たち、そして全開のヴィランであるサンセット・シマーが友情の力で打ち破る、という筋になるわけだ。
なるほど、ここで自由競争主義にチクリとやっていたから、返す刀で平等主義にグサリとやれるわけだ。
子ども向けアニメにちょっとメッセージを込めるときの、いいバランス感覚と言えないだろうか。「自由」と「平等」の矛盾を「友愛」で止揚するなんて、なんだかフランス革命以来の伝統すら感じる(考え過ぎだろ)。
「Equestria Girls」の方も、第三作目に向けて動いているみたいで、シーズン5直前のタイミングで新作クリップが発表されたりしてる(ネットで小出しにするのは、「Equestria Girls」のライバルであり先達である『モンスター・ハイ』の手法)。



シマーさんの新衣装も可愛いし、mane6も可愛いし、ラリティは当然可愛いし、もう最高である。音楽も、いろんなテイストが交じり合っていて飽きない。
この調子なら三作目も期待できそうだ。人間界のトワイライトがどう話に絡んでくるのか。フラッシュセントリーとの関係は結局どうなるのか。もし進展してしまったとして、ブロニーは暴動を起こさないのか。いろいろわからないことだらけだが。

とにかう、しばらくは日々の楽しみが増えそうである。善哉善哉。 

マイリトルポニーRemixメドレー

マイリトルポニーはいい曲ばかりなので、remixも捗りますね。

このまま良いファンダム文化が末永く続きますように……

とてもいい着眼点だったので

マイリトルポニー、シーズン4『Testing Testing 1, 2, 3』のワンシーンをGBにしたものの使用例が、とてもいい着眼点だったので

元ねたはこれ
 
Leaves of Words
記事検索
最新コメント
月別アーカイブ
プロフィール

けんさく。

QRコード
QRコード
タグクラウド
  • ライブドアブログ